南青山・月見ル君思フ。”月と衝突”と名付けされた、弾き語りパフォーマンスを提供する4日間の帯のなかの1日。この晩はマヒトゥ・ザ・ピーポーと青葉市子と灰野敬二、非安定の美徳をどこかに置く、なるほどの3組が出演。各者、それぞれ40分ぐらい一人パフォーマンスをしたか。

 会場入りすると、まだ20代半ばだろうマヒトゥ・ザ・ピーポーが生ギターを持って歌っている。生ギターの爪弾きと漂い気味歌唱の組み合わせ。ながら、どこかにピンと張った情感も。弾き語り表現の奥に別の日常が広がっているようなパフォーマンスとも書きたくなるか。彼は普段は、灰野ともつるむGEZANという気鋭の爆音暴走バンドをやっているというが、そうした情報も余白に添付されていたような。

 2番目は、青葉市子(2013年8月7日)。彼女は昨年の下山のイヴェントで灰野のパフォーマンスに触れて感化されたみたいなことをMCで言っていたが、最後には下山の曲も披露した。おじさんに囲まれていた前に見た実演より、この日のソロ・パフォーマンスは”不思議ちゃん”度数が低目で、真面ミュージシャン濃度が高めの演奏。と、ぼくは思った。思うまま個を出すことは、それだけで、過不足のない即興性を孕むもの、なり。

 3番目が、大御所という書き方はふさわしくないかもしれないが、とっても偉人とぼくは思ってしまう灰野敬二(2008年9月25日)。すんごい久しぶり、少なくてもこのブログを書くようになってから、この我が道を行く、孤高とも書きたくなる音楽行為者の実演を初めて見る。で、すぐに、格好いいと思ってしまう。この晩は、ギターを持たず、手押しで音が出る小さ目の楽器(両手で、ダブル)、小さなハープ型の弦楽器、ネックが細くて長い3弦の弦楽器を持って、自在に肉声を加える。それら楽器の音は、順に笙、コラ、日本の弦楽器(なんだっけ、忘れた)を思わせる。そういう意味では、この晩のパフォーマンスは広義のエスノ性が出ていたと、指摘できるのか否か。そして、歌詞カードの文言をガイドに歌うのだが、その自在に湧き出る朗々とした歌声、そのストロングな佇まいにはうなる。自分の世界を思いっきり肉声に託せるということはなんと素敵なことであるのか。斜にかまえず、ぶっといブレない自分を出す様には、もう頭をたれずにいられない。とともに、そこにあるなんらかの感覚に、高度成長期ありきの“東京サヴァーヴ感覚”があるとも感じてしまった。

 そして、その後は3人でフリーフォームな共演。それ、15分ぐらいやったか。灰野のマヒトゥ・ザ・ピーポーはエレクトリク・ギターを弾き、青葉は部分的に生ギターを弾き、歌う。ときに、傘を次々にさして行く、軽めのパフォーマンスも。マヒトゥ・ザ・ピーポー、ギターがうまかった。

▶過去の、青葉
http://43142.diarynote.jp/201308110827534904/
▶過去の、灰野
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/

<今日の、アフター>
 雨天。ライヴ後外に出ても雨脚は弱まっておらず、ほろ酔いではあったが、流れようという気持ちが失せていくのを感じる。まっすぐ家に帰ろうかなあどっしよっかなーと気持ちが揺れていたら、乗った銀座線で好意を持てる知人と会う。って、何年か前の新年にも似たようなシチュエーションがあったような。それで、相手の知っているお店に流れる。すでに個人宅の新年会など外飲みはしているが、ちゃんとお店で飲むのは、今年初めて。それが初めての店だと、2014年は新しいことがありそうでなんか楽しい。やー、暴飲暴食〜。
 1958年、英国ブリストル生まれの自作自演派、29年ぶりの来日だそう。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 1980年代なかばにニューウェイヴ・ポップが全盛のなか世に出て来たポッパーで、そのころ曲にはピコピコした鍵盤音がつけられていたが、独自の才覚が光る曲作りの冴えには定評があった。この晩も次々に繰り出す曲群に触れながら、技あるなあ、妙なコード進行を使うなあー、とか頷く。それで、プログ(レッシヴ)・ロックの方に向かうのなら分るのだが、彼の場合はポップ・ロックの文脈でそれをまっとう。それが、彼の面白いところだったんだよなー。

 と、本人の持ち味をちゃんと伝える実演は、ギターを弾きながら歌う本人に加え、ギター、ベース、キーボード、ドラムという布陣。ちゃんと曲を再現し(以前よりも、キーボードの音は少し控え目に)、演奏する歓びも素直に出す。彼の一番のヒット曲である1984年曲「ザ・リドル」はレゲエ調のビートを持つ曲で少し当時のジョー・ジャクソンとも重なるメロディ感覚を持つ曲だが、そのイントロはケルト調といえるものがついていたことを今日認識した。


<今年の、想定外>
 面倒くさがりで年賀状を出さないワタシであり、年賀状を作ったり、この人には出すか出さないかとうのを迷ったり、宛名書きしたり(ぼく、住所なんて整理してないしい)、そえる一文に迷ったり(変なところ律儀で、一文ぐらいそえなきゃとか思ったりする。というか、それをしなきゃ私信として出す意味ないじゃんと思う)、とかを考えると、それでもOKと思っていたが。。。。が、今年はまいった。昨年、鬼のように尊敬に値する、居場所の異なる、年長の方と一回だけ少しお会いしたのだが、まさかその方からちゃんと手書きの、ぼく用のありがたい文面をそえた年賀状が届いてしまった。あちゃー。恐れ多い。小心者なので、どうすべきか数日考えてしまいましたとサ。結局、ぼくのしたことは……。ぶっちゃけご免なさい&恐縮至極お礼直電をエイヤっとしちゃったなり。そしたら、その電話にとても喜んでくれ、自宅に伺い、食事をすることになっちゃった。あわわわ。なんで、こうなる? さすが、大人(たいじん)は器が違う。そのとき、年賀状なんて出さなくていいから、電話をよこしなさい、と言われるのを希望〜。なんて厚かましい。。。

 有楽町・コットンクラブ(ファースト・ショウ)→南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。

 まず、ピアノとキーボード(それなりに弾いた。ピッチ・ベンドもけっこう用いた)のゴンサロ・ルバルカバ(2005年3月16日、2007年11月21日、2010年8月22日)、6弦エレクトリック・ベース(1曲は同フレットレスを弾く)のアルマンド・ゴラ、ドラムのオラシオ“エル・ネグロ”エルネンデス(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年10月3日、2003年8月9日、2004年4月5日、2009年11月12日、2011年12月8日)、パーカッションのジョバンニ・イダルゴ(2012年5月11日)からなるカルテットのヴァルカンを見る。

 技巧、即興、構成、ラテンの記憶といったようないろんな項目が螺旋状に交錯し合うようなインストゥメンタルを聞かせるブループ。スペイン語圏のアーティストの場合、“v”がついていても発音にしたがいウ濁点を使わず、バビブベボ表記にここのところはしていたが、彼らは在NYラティーノなので、今回はボルカンでなくヴォルカンと表記しておこうか。それは、やはり今のNYの環境ありきと思わせるところが、どこかにあったからか。

 ともあれ、ルバルカバについてぼくは一つの見解を取っていて、それはウッド・ベースを用いるときはとてもうれしい奏者ながら、エレクトリック・ベース奏者を起用する際はトホホ奏者になっちゃう、というもの。もともと、ジャズという分野にて電気ベースを使われるのが好きくないというワタクシなのであるが、ルバルカバの場合はびっくりするぐらい駄目表現にこれまでなっていて、ある意味、それはお見事? いやいや、音楽ではなく、一切のコクを払拭した只の曲芸と言いたくなる、そうとうヒサンなアルバムも過去にはありました。

 ま、そんなわけなので、電気ベース付きの編成でコトにあたる今公演には過剰に期待しないで行ったのだが、けっこう釘付けになって見ちゃったよな。それは、エル・ネグロとイダルゴの素晴らしさゆえ。特にエル・ネグロなんて過去何度も接しているはずなのに、いやーびっくりした。左手でラテンのクラーヴェを叩き出し、右手と両足は普通のドラム流儀にある叩き方をしているみたいな、そうしたドラミングはまさに化け物。それをニコニコ飄々とやっている様に唖然としちゃう。彼だけ譜面を置いていなかったが、仕掛けのある曲もすんなり覚えちゃっているのかな? あんな奏法できちゃう人なら、そういう才もアリと思えてくる。

 そして、エル・ネグロと自在に絡むイダルゴもすばらしい。ほとんどはコンガを呑気に叩くという感じなのだが、それだけでなんか人生バンザイと思えてくるもの。で、たまにスティックを持ち1発だけティンバレスを一撃するのだが、その間(ま)と音色の絶妙なこと。ああ、オレはこのアクセント音が生み出す至高の一瞬を味わうために、この日に会場に来たのだと思ってしまった。少し、誇張して書いていますが。

 その次は、2000年代になるころからアーバン(R&B/ヒップホップの、米国での総称)とジャズの両方のアルバムに参加しているベーシスト(1979年、フィラデルフィア生まれ)、デリック・ホッジ((2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)のリーダー・グループのショウ。彼は昨年ブルーノートから清新ジャジー・アーバン・ポップ作(『リヴ・トゥデイ』)を出すとともに、テレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)・バンドの同僚であるケンドリック・スコット(2009年3月26日、2013年2月2日、2013年8月18日、2013年9月11日)の新作をプロデュースするなど、その道の制作者としてもエスタブリッシュされんとしている。言わば、アーバンとジャズがくっついたNYのサークルの重要人物ですね。

 4弦フレッテッドのエレクトリックを主に演奏するホッジとリズム・セクションを組むのは、ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)・バンドの同僚マーク・コレンバーグ(2012年6月12日、2013年1月25日)。彼、グラスパーのときより自由に叩いているように思えた。その核になる2人にトランペット奏者と2人のキーボード奏者がつくが、これは当初アナウンスされている顔ぶれから3人とも変更になった。が、やってきたトランペッターのキーヨン・ハロルドは『リヴ・トゥデイ』でも吹いていて、ビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)やジェイ・Z作に名前が見られる一方、2009年にクリス・クロスからストレート・アヘッドなジャズ・アルバムを出している御仁。また、キーボード奏者のフェデリコ・ゴンザレス・ペナ(2002年6月18日、2008年9月8日、2009年3月18日、2009年9月15日)やマイケル・アーバーグ(2012年1月5日)も実績を持つ人たちだ。

 披露した多くは『リヴ・トゥデイ』からの曲だったが、ポップ・ミュージック的なところをもう少しジャズ・フュージョン側に開いて提供するという感じだったか。少しラフな部分もあったが、ホッジの歌心の在処、その行方が漂う様が興味深かった。そして、ショウに接しながら思ったのは、他の周辺の人たちとともに、彼はポップ・ミュージックとジャズを同じノリで親しんで来ていて(ま、それはぼくもまったくもってそうなのだけど)、それをナチュラルに自分の音楽として出そうとしている、ということ。そう思うと、彼のアルバムやケンドリック・スコット作で歌っていて、グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やアンドリュー・バード(2010年2月3日)とも親しい白人シンガー・ソングライターのアラン・ハンプトンを同行させてほしかったなあとも、少し思う。でも、今回みたいな行き方だと、浮いちゃうかな。でも、想像できる以上にロック好きかもと思える部分も、ホッジにはあった。

▶過去の、ルバルカバ
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
▶過去の、エルナンデス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/200404050925340000/
http://43142.diarynote.jp/200911141111322146/
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
▶過去の、イダルゴ
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/

▶過去の、ホッジ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、コレンバーグ
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
▶過去の、ペナ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903191858068821/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
▶過去の、アーバーグ
http://43142.diarynote.jp/201201131544153279/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、バード
http://43142.diarynote.jp/201002051635443280/

<今日の、通信>
 無知はときとして、美徳である。ずっと同じガラケーを使っているが、外でネットを引く習慣がないので、まったく不便を感じたことはない。画面を見るのに気をとられて、第三者に失礼になることもないし←←逆に言うと、ぼくは相手の失礼を感じるときがある。そんなぼくは当然、携帯電話についている機能も9割は用いていない。だが、昨年のいつごろからか、ショート・メールというのがあるのを知り、主にそっちのほうを使うようになった。もともと打つのが面倒なので、最低限のことしかぼくは打たないし、それで十分。それに、普通のメールより、もっと軽い感じが出るのがいい(かも)。
 いやあ、この晩もびっくり。自分でも山ほどライヴは見て来ていると思うが、いまだ驚きや感慨を持てるのは幸せだよなあ。

 1978年ボゴタ生まれで1994年以降はNYに在住するアルパ(南米のハープ)奏者と、1963年ハバナ生まれでだいぶ前からNYに居住するピアニスト(2005年3月16日、2007年11月21日、2010年8月22日、2014年1月10日)のデュオ公演。その内訳はデュオで4曲、中盤にそれぞれのソロ演奏が1曲づつ。思うまま、息遣いをソロという形で出していたので、ならせば各曲はそれぞれ10分を超えていたはず。MCはすべてカスタネーダが英語でやったが、本当にうれしそうにそれをする人。でも、やはりそういうの、ポイント高いと思う。
 
 それにしても、初めて見る(MCで、2度目の来日と言っていた)、カスタネーダのハープ演奏は上手すぎ。笑っちゃう(しかない)。もうガンガンせめて、複雑な音を切れとともにごんごんあふれさせ、一方では繊細で優美でもある。あれだけ早くジャラジャラ弾いて、ミス・トーンと思われるものがないのも驚異的。アルパはアイリッシュ/スコティッシュ・ハープよりは大きく、クラシックのハープよりは小さい。そんなアルパは弦の間が狭いので、小さいながらクラシックのハープより弦の数は多いのだそう。←この情報、たまたま同じテーブルに座っていたクラシックのハープ奏者の方の受け売り。やはり彼のことを、超絶技巧と驚いていました。

 ルバルバカ演奏のサポートに回る場合、カスタネーダは右手(高音のほう)は複音でコード的な音を出し、左手(低音)はしっかりはじいてきっちりベーシストがいるような音を悠々とだしちゃっていた。音色もいろいろ爪弾き方や抑える位置で変化を出している感じもあったし、とにかく変幻自在。ぼくがこれまで見たハープ系奏者のなかではダントツと思えた。

 そして、それを引き出していたのは、ルバルバカの達者さでもあったろう。一部はシンセサイザーも弾いた彼、十分にカスタネーダの後見人的な役割を果たしていた。彼はルバルカバを迎えた『ダブル・ポーション』というデュオ演奏主体のアルバムを出しているが、生のほうがずっとグっと来た。

 フォークロアからもクラシックからも距離を置くようにも思える彼の演奏は間違いなくジャジー。そして、アルバという楽器自体が放つエキゾ性がそこに誘いを効果的に与える。彼はリーダー作を出すほか、ジャニス・シーゲル(2010年3月21日)やテイラー・アイグスティ(2009年6月24日、2013年2月2日、2013年3月19日、2013年9月11日)やザ・チーフタンズ(2010年リリースのライ・クーダーと連名のやつ。1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日)などのアルバムに名前が見られる。いやあ、すごい人がいるなあ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

▶過去の、ルバルカバ
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201401161534392423/
▶過去の、シーゲル
http://43142.diarynote.jp/201003261222016835/
▶過去の、アイグスティ
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130911
▶過去のザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/

<今日の、わがまま>
 エレヴェイター内にある大きな鏡、集合住宅居住の人は出かける際にそれで自分の身なりがおかしくないか最終チェックする人も少なくないんじゃないか。車椅子がバックで出る時の補助のために設置されるようになったとは知りつつ……。やっぱ、家の鏡で見るのとは少し勝手がちがう。エレヴェイターのなか、明るいし。ところが、今ぼくの住むマンションでリフォームしている部屋があって、関連の出し入れで傷を付けないようにとエレヴェイター内に保護シートが張られ、鏡が見事に隠れてしまっている。意外に不便〜。

 ウィルコ(2003年2月9日、2010年4月23日、2013年4月13日)のベーシストのジョン・スティラットが南部出身優男のパット・サンソンと1990年代後期に組んだユニットが、ザ・オータム・ディフェンス。その後、サンソンもウィルコのメンバーになってしまった。

 その2人がリード・ヴォーカルを取り、スティラットは生ギター(曲によっては電気ギターも)を弾き、サンソンは電気/生ギターやキーボードを弾く。その2人にペダル・スティール/電気ギター、ベース、ドラマーがついての、計5人によるパフォーマンス。つまり、曲によっては、3本ギターがある場合もある。彼らは昨年のウィルコの来日時にも、2人で下北沢にてあっさりライヴをやっているんだよな。

 大雑把に言えば、歌心と柔和さをしっかり持つアメリカン・ロック。ゆったり自然体、ペダル・スティールをもっと弾いてよと言いたくなる曲も少なくなかったな。今、ウィルコがプログ&アヴァンな面を抱えているので、こういう気を衒わない行き方もおおいに歓迎されることは想像に難くない。とはいえ、サンソンがキーボードを弾く場合、コード進行がおもしろい曲が多く、それはテンパらないゆったりしたスクイーズという感じもある。会場で会った中川五郎(1999年8月9日、2004年2月1日、2005年6月17日)さんと、そっちの方が面白いかもと意見の一致を見た。

 アンコールはボブ・ウェルチ(フリート・ウッドマック)とビッグ・スター(アレックス・チルトン)曲。渋谷・クラブクアトロ。

▶過去の、ウィルコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/
▶過去の、スクイーズのメンバー
2005年8月8日 http://43142.diarynote.jp/?day=20050808
2011年1月16日 http://43142.diarynote.jp/?day=20110116
2010年3月24日 http://43142.diarynote.jp/201003261728103458/
▶過去の、中川
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200402051852240000/
http://43142.diarynote.jp/200506200011180000/

<今日の、困惑>
 昼間、人に会ったら、年初にあたり、こうするぞとか何か決めましたか。みたいなことを、問われた。えええっ。そんなこと、考えもしなかった。とりあえず、正月はのんびりしていていいなあとか、ここのところの年始は穏やかな天気でいいなあとか、思ったことぐらい? お寺だか神社だか知らない(そういうの、ぼくは本当に弱い)が親の付き合いでお参りに言ったときも、幸せに楽しくいけますように、ぐらいしか、頭に思い浮かべていないもの。昔は、今年はこうするゾとばしっと思ったりもしたっけかな〜。ぐうたら不感症になった気持ちを、ほんの少しもった。

 長寿のコンテンポラリー・ジャズ・コンボ(2009年3月23日)、その2013年新作『Rise in the Road』(マック・アヴェニュー)はオリジナルの電気ベーシストだったジミー・ハスリップ(2004年3月24日、2004年12月17日、2010年7月9日、2010年10月1日)が脱退、代わりにジャコ・パストリアスの息子のフェリックス・パストリアスが新メンバーとして入っていたが、その顔ぶれでの来日公演。リーダーのラッセル・フェランテ(2007年12月16日、2012年6月21日)って、電気ベーシストを起用することにこだわりを持っているのだろうな。ぼくは一度ぐらい縦のベーシストが入ったイエロージャケッツ表現を聞いてみたい。それでも、通常のジャズにはならない表情は出せるはずだし、出せないのなら解散しちゃえばアとも思う。←暴言。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ドラマーも前々作から、1980年代後半から1990年代いっぱいにかけて在籍したウィリアム・ケネディが、それまで叩いていたマーカス・ベイラー(2007年12月16日)に代わりイエロージャケッツ再加入。話はとぶが、ケネディが1980年代に入る前の同バンドのオリジナルのドラマーがリッキー・ローソン。彼はイエロージェケッツ脱退後、西海岸R&Bセッション/ツアーの第一人者となったが、昨年12月に亡くなってしまった。イエロージャケッツの1980年代中期の来日公演(渡辺貞夫の“ブラバス・クラブ”への出演。この晩のファースト・ショウには貞夫さんも見に来ていて、MCで紹介されていた)を見て、ローソンの強いアタック感に共感し、ぼくは一時ローソンのことを“西海岸のトニー・トンプソン(cf.シック、2003年死去)”と呼んでいたことがあった。

 各奏者間の音のバランスが良く、生理的にクリアー。それもまた、彼らが望むところだろう。ピアノのフェランテは、キーボードもサウンドに奥行きを付けるために併用する。テナー・サックスのボブ・ミンツァー(2012年6月21日)は1曲で、ウィンド・シンセ(アカイのEWIではなかったような)も用いた。それ、ある種のクールネスを求める使い方で、ウィンド・シンセ嫌いなぼくも納得。

 長身のパストリアスは6弦のフレットレスを演奏。彼はベラ・フレック(2000年8月12日、2007年10月1日)のザ・フレックトーンズのリード奏者であるジェフ・コフィンのバンドに入っていたが、真面目そうな彼はなかなか堅実な演奏を示す。父親のようにトリッキーな部分は出さずに、黙々弾くという感じ。別に音数が少ないわけではないが、ペラ男くん度数が低いのはマル。それにしても、やはりベーシストである甥のデイヴィッド・パストリアス(2007年12月3日)という人もいるし、パストリアス家系はベーシストが多いのか?

▶過去の、イエロージャケッツ
http://43142.diarynote.jp/200903260425159549/
▶過去の、ハスリップ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040324
http://43142.diarynote.jp/200403241554160000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100709
http://43142.diarynote.jp/201010030954188035/
▶過去の、フェランテ
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120621
▶過去の、ミンツァー
http://43142.diarynote.jp/201207031311348277/
▶過去の、フレック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
▶過去の、デイヴィッド・パストリアス
http://43142.diarynote.jp/?day=20071203

<今日の、疑問>
 エコなオトコ目指して(苦笑)毎夏ノーエアコンの生活を続けていると、なんか冬に暖房を使うことにも少し躊躇を覚えてしまう。うむ。ま、晴天の場合は日差しにより日中は暖房をまず欲しないし、陽が暮れるとほぼ外出してしまうわけだが。でも、曇天の場合は寒さを感じなくもない。本格的寒波が来たら、そんな悠長なことは言っていられなくなると思うが。

 NOLA(〜ルイジアナ州ニューオーリンズの米国での常套表記)セカンド・ライン・ファンクの象徴とも言える名バンド、ザ・ミーターズの2/4を擁する4人組(2009年7月25日)の3年半ぶりの来日公演。ギター奏者はそのとき弾いていたアート・ネヴィル(オルガン)の息子であるイアン・ネヴィルではなく、その前からザ・ファンキー・ミーターズに関与していたはずの白人のブライアン・ストルツ。彼はアート率いたザ・ネヴィル・ブラザーズ(2004年9月18日)のメンバーでもあり、21世紀には入ってからは自ら歌うおやじロックなリーダー作を何枚も出している。彼、もう少しエフェクターを使わないと、もっといいんだけどな。

 ザ・ミーターズの次世代バンドという感じで出て来たパパ・ブロウズ・ファンク(2004年3月30日、2007年2月5日、2009年7月27日)はジャム・バンド・ミュージック愛好層にも支えられ頻繁なライヴ活動の機会を得ていたが、この日のザ・ファンキー・ミーターズもまた切れ目なく、気ままに曲を連ねていて、まさにジャム・バンド状態。フジ・ロック・フェスティヴァルで見た前回の来日時もけっこうそんな感じだったか?

 最初、50分ほど延々パフォーム。その際、ザ・ミーターズの曲ではない曲もやって、なんかザ・MGズ(2008年11月24日、2009年7月25日、2010年2月8日 、2011年9月12日、2012年5月11日、2013年10月29日)の曲みたいだなと思わせられるものもあったし、ストルツが歌うボブ・ディランのブルース曲もあった。曲のリード・ヴォーカルはジョージ・ポーターJr.(2007年2月2日。2007年2月4日、2008年8月12日)かアート・ネヴィル(2004年9月18日)が取る。

 最初の長いパートが終わって、ドラマーのバティスト(2006年8月8日)がフィーチャーされる部分があり、彼はヴォイスを交え、客に働きかける。そして、はじまった「シシィ・ストラト」は観客参加型のものとなり、場はおおいに華やぎ、湧きまくる。相変わらず力づくで叩く彼は、レギュラー・グリップとマッチド・グリップの併用。セカンド・ライン色の強い曲はレギュラーで叩きはじめるが、いつも途中でマッチド・グリップに持ち直していた。オリジナル・ミーターズのジガブー・モデリステ(2007年2月3日)はきっちりレギュラー・グリップで叩く人だが、セカンド・ラインのドラミングにマーチング・バンドのスネアの叩き方が入っているのは間違いないような。話とぶけど、ぼくも小学校の鼓笛隊でスネアを担当していたので、ドラムを前にしたときはまっとうなレギュラー・グリップで叩きます。

 ジョージ・ポーターJr.は今回一番いい演奏しているナと感じたか。元気そうだ。逆に心配なのは、アート・ネヴィル。相当に腰がいたそうで途中から演奏中に付き人に支えてもらったりもしていたし、両側を支えられる感じで退出するときには相当時間がかかっていた。が、演奏を早々に切り上げるということはなく、彼らは90分はたっぷりとやる。六本木・ビルボードライヴ、ファースト・ショウ。

▶過去の、ザ・ファンキー・ミーターズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
▶過去の、アート/ザ・ネヴィル・ブラザース
http://43142.diarynote.jp/200410121001170000/
▶過去の、ポーター・Jr.
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200808140129280000/
▶過去の、バティスト
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
▶過去の、パパ・グロウズ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/200403300522210000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200908071452433928/
▶過去の、ザ・MGズ関連
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/200812110456078867/
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201109151819433479/
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/
▶過去の、ジガブー
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/


<今日の、東京駅+>
 けっこう健やかと思わされる午後、ライヴを見る前に仕事で上京中の友人と会う。健在のようだ。大阪から来たのに、熱いと少しムっとしていた。そして、東京駅の内側を時間調整で探索。その周辺、複数の駅が地下で繋がっていて、コットンクラブにも地下通路で行けるんだな。ぼくがはじめて知る商業施設もあり、丸善も偉そうにあって、思わず本を買ってしまう。が、ライヴ後に寄った店に忘れる。それ、想定内と思える自分が……。でも、精神衛生上はよろしいと、思おう。

コロリダス

2014年1月18日 音楽
 中米、カリブ、南米のエキゾな大衆音楽の魅力を愛で、趣味性が高いながら、それらを日本語のこなれたビート・ポップとして送り出すグループ(2013年2月3日)のワンマンの公演。代官山・山羊に、聞く?

 生ギター/歌、ウッド・ベース、カップを付けたトランペット、パーカッション、ドラムという編成。今回はスティール・パンのめめちゃんが欠席で、代わりにではないだろうが、カンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年8月24日)のドラマーのべんべん(2012年1月28日)が加わっていて、リズムが強化。カラフルさは減じているかもしれないが、これはなかなかストロングで押し出しの強いコロリダス表現ではないか。なんかシャキッ、バシっ。キメも決まり、気持ちいい。

 キューバの偉人ベーシストであるカチャイート(2013年2月3日)の最後の弟子であるベース奏者の ぽん のリズミックな右手使いもアトラクティヴにして弾みがいっぱいだし、曲趣にあわせアイデア豊富な音を入れる加藤のトランペットも熟達しているし、パンデイロや脚で操るカウベル音もいい感じの打楽器の英心も機を見るに敏だし、メンバー全員力量とキャラあり。そして、それらは密に重なり、気安いパーティの場へのロードマップを形作る。

 昨年出した『デパート』収録曲を主に、新曲も。節分限定曲も披露。なんにせよ、あっち方面音楽の、愛と趣味とアイデアにあふれた咀嚼の様、語呂とノリのいい日本語ののせ方はうまい。そして、巧みにギターを爪弾きながら歌をのせる主任コンポーサーでもあるはずの しみずけんた のヴォーカルは過剰な押し出しは皆無ながら、きっちり気持ちと言葉が聞く側に入ってくるのには何気に感心。その風貌もあり只の“いい人ヴォーカル”で終わりそうなところ、ちゃんと訴求力あるなと、今回思わされた。まあ、他のメンバーも皆ほのぼのとした外見を持っているのだが、そうしたほのぼの奥にはいろんな機微や衝動や陰影があることを示唆しつつ、しなやかに、笑顔あふれるライヴ・ミュージックとして、彼らは開いていた。


▶過去の、コロリダス
http://43142.diarynote.jp/201302041828146553/
▶過去の、サンバマシーンズ
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
▶過去の、べんべん
http://43142.diarynote.jp/?day=20120128

<今日の、肩すかし>
 本日は、べらぼうな寒気のカタマリ来襲とともに、夜は雪が降ると予報されていた。でも、雪が降るどころか、風がまったくないせいか、過剰に寒くもない。やはり、風があるかないかが体感温度の鍵であるなあと思った、夜の移動……。

 ステージ上には、初っぱなから3人の奏者があがった。ベーシストのロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日)を二等辺三角形の頂点に置くように、ラリー・コリエル(2013年3月8日)とピーター・バーンスタインという2人のギタリストが左右に座る。なるほど、そう来たか。ギタリスト2人は別々に出て来て、それぞれデュオ演奏をするとぼくは思っていから……。3人はスーツ姿で、ネクタイ着用。カーターはいつでもそうかもしれないが、コリエルは普段着だった前回来日時と比すとかなり違って見える。先がヒッピーあがりのスーダラじじいという風情だったのに対し、今回は老大学教授ふう。馬子にも衣装?

 本来『アローン・トゥゲザー』(マイルストーン、1972年)というデュオ名盤を持ち合うギタリストのジム・ホール(1930年12月3日NY州バッファロー生まれ、2013年12月10日NYCで逝去。2005年1月18日、2012年6月4日)とロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日)のデュオ公演が本来組まれていたが、昨年12月のホールの逝去を受けてトリビュート公演に変更となっての出し物。だが、よく考えてみれば、ジャズ・ギターの決定的な魅力を体現したホールのギター演奏はまぎれもなくホールだけのものであり、他の誰がカーターとのデュオ相手役をやっても荷が重いものだろう。だったら、持ち味の異なるギタリスト二人掛かりでホール敬愛の情をだしたほうが、理にかなっているというものだ。その2人は、カーターが声をかけている。

 演目は『アローン・トゥゲザー』収録曲やホールが取り上げていたスタンダードなど。また、中盤にはバーンスタインとコリエルのソロ演奏曲も1曲差し込まれる。バーンスタインはホールから教えを受けていたことを如実に語る明晰な演奏であり、コリエルはアコースティック(フォーク)・ギターに持ち替え、透明感に溢れた調べを披露する。1960年代にジャズ・ロック調演奏で注視されたコリエルであり、今もその流れを汲むライヴ盤を出していたりもするが、今回の彼は3人で演奏するときもフル・アコースティックのギターを持ってしみじみと演奏した。

 すっくっと立つカーターは相変わらず格好いい。曲によって臨機応変、ソロはとったり、とらなかったりしたが、ちゃんと自らが土台を抑えた三位一体パフォーマンスであるのは、随所から伝わる。曲目も、1曲づつのギタリストたちのソロ・パフォーマンスを除いては、彼が決めたようだ。そうした1時間強の出し物に接して印象に残ったのは、重なりの妙を意識し、抑制の美がとられていたこと。手癖で突っ走ろうとすれば、いくらでもそれで流れることができるはずだが、ホールへの思慕が安易な方向に行くのを良しとしなかったのダと、ぼくは思った。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

▶過去の、ホール
http://43142.diarynote.jp/200501222324430000/
http://43142.diarynote.jp/201206110916017268/

▶過去の、カーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2001年6月7日
http://43142.diarynote.jp/200401140000000000/
http://43142.diarynote.jp/201005071023536171/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201212141028575543/ (ジュリアード・ジャズ・トリオ)
▶過去の、コリエル
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/


<今日の、遠い目>
 まだ日がさす16時半ごろライヴに行くために最寄り駅に向かう道すがら、ジョギングする人たちと何人(組)か会う。この寒いなか、皆すごいなあ。ぼくなら、風邪を引く危惧を抱いてしまい、尻込みする。と、書いて、我ながら、なんて虚弱なのかと自覚。真冬にも平気でサッカーの試合やスキーをやっていた(って、スキーは真冬しかできないが)ことがあったのが、まるで嘘のよう。そういえば、先日スポーツ・チャンネルでアメリカ/カナダのアイス・ホッケーNHLの試合を放映していたのだが、それが寒々しさにも程があるといった感じの野外リンクでのもので、びっくりしたことがあった。そこに、客が白い息はきながらいっぱいいるー。欧州のサッカーの試合やアメリカン・フットボールの試合なども吹雪のなかフツーに観客が見ていたりもし、ありゃーと思わされることがあるが、あちらの方々のスポーツ観戦の根性の出し方はワケ分らんなー。と、書きつつ、自分のヘタれさにあきれる。

 まず、丸の内・コットンクラブで、イスラエル人ジャズ・ベーシスト、アヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日)のトリオ公演。かつては米国で活動していたが、今は本国に戻っており、米国時代からだしていたイスラエル味はより自然体で出していると言えるか。僕のニュー・トリオとMC で紹介していたが、サイド・マンもテルアヴィヴで活動するミュージシャンだろう。ピアノのニタイ・ハシュコヴィッツはコーエンの近2作に関与している奏者だ。

 実は、今回のライヴはどうなるのかと思っていた。というのも、新作『アルマー』はクラシック素養も出した抑制美を持つ弦群やオーボエ/イングリッシュ・ホルンも用いたルバム(編曲はコーエン自身)であり、その前作『デュエンデ~聖霊』は耽美的という言葉も用いたくなるデュオ作品で、分りやすいインプロ濃度はともに低められる傾向にあったから。また、歌がいろいろ入ったその前々作『セヴン・シーズ』はジャズ的な広がりも持つフォーク・アルバムという趣もあったからなー。……と、思っていたら、今回の実演も前回公演と同様と言えるノリ、ようはジャズ・ピアノ・トリオ流儀とイスラエル的なメロディ感覚/情緒を巧みに交錯させる方向で進む。ピアニストに関しては、ぼくは前回同行者のほうが奥行きを持っているようで好き、かな。近年コーエンはアルバムで歌も披露しているが、こんかい歌うことはなかったし、ウッド・ベースに専念しステージ上に置いていたエレクトリック・ベース(『アルマー』で少し弾いている)を触ることはなかった。

 ストーリー性とある種のペーソスに満ちた、ジャズ・ピアノ表現の数々。アンコールでは皆も知っている曲もやるよと、「ベサメ・ムーチョ」を演奏。ただし、5/4拍子にて披露する。ドラマーのダニエル・ドールは初めて聞く名前の御仁だが、ダイナミクスと音色にかなり敏感な好プレイヤー。蛇足だが、コーエンはけっこう怖そうな顔をしている。E.S.T. (2003年6月17日、2007年1月13日)の故エスビョルン・スヴェンソンにも、似ているか。人によっては、レヴェル42のマーク・キングを思い出すかもしれない。

 その後は、飯田橋・日仏学院“ラ・ブレッセリー”で、フランス人ラッパー/シンガーのフェフェを見る。ユーチューブにアップしてある野外ライヴ映像(ブルゴーニュ地方のフェスの模様らしい)を見ると、フジ・ロックのグリーン・ステージみたいなバカでかい会場で熱烈支持を受けている様(と、パーフォマンスの訴求力の大きさ)が確認できびっくりさせられるが、ほんとフランス人ミュージシャンの場合、本国と日本の人気の差があまりにあるよな。

 パリ近郊生まれだが、両親はナイジェリア出身。フェラ・クティ家系にせよ、キザイア・ジョーンズ(1999年9月29日、2009年6月1日)にせよ、鋼のような体躯を持っているが、彼も贅肉なく、長身。そして、いかにもナイス・ガイ。やっぱり、フェラやキザイアは大好きだそう。1976年生まれの彼は複数のラップ・チームの集合体であったサイアン・スーパー・クルー(3枚、アルバムをリリース)を経て、ソロとして独立。仏ポリドールから2009年と2013年と2枚のリーダー作をして、ともにヒップホップ・ビヨンドの名プロデューサーであるダン・ジ・オートメイターが関与。ギャラクティック、リトル・バーリー、プライマル・スクリーム、ゴリラズ、カサビアン、ジェイミー・カラム他を手がける彼とはレコード会社の紹介のもとパリで会って意気投合、特に2作目のほうは一ヶ月もダン・ナカムラが居住するサンフランシスコに滞在してレコーディングしている。

 生音サウンドをちゃんと用いる彼の表現はまさにヒップホップと歌付きの覇気ありのビート・ポップを自在に行き来するもの。レゲエも栄養とするそれを聞いて、マヌ・チャオ(2002年7月26日、2010年10月4日)を想起する人がいえるかもしれないし、完全歌もの曲の場合はテテ(2005年3月18日、2007年9月24日、2011年10月10日、2013年11月21日)を思い出させるものもある。あ、2作目の最後は生ギター弾き語り曲だが、それは彼にとっての「リデンプション・ソング」(ボブ・マーリー)なるものだったりして?

 そんな彼の初来日公演は、オーストラリア楽旅をへてのもの。彼の実演はバンドを伴ってなされるが、規模の小さな東京公演は、DJを伴っての簡素版でなされる。残念といえば残念だが、それでもありあまるパワーと心意気を感じ、ワーイとなる。驚いたのは、わずかの滞日の間にいろんな日本語の単語を覚えて、それを見事に駆使し、観客に働きかけていたこと。客を左右に移動させたり、ジャンプさせたり、ちゃんとストーリーのあるコール&レスポンスや唱和を実現させたり。そこらあたり、滅茶すごい。で、彼はギターを持って歌ったりもする。あ、今日のショウに触れた限りは、ラップよりも歌比率のほうが高いな。どちらにせよ、きっちり豊かな喉力を持つことを無理なく伝えるもので、何をやろうと、彼の肉声に触れられるだけでうれしいと思わされる。素敵なタレントと、ぼくは彼のことを推す。

 フェフェは英語も話せるが歌詞はすべてフランス語で、子供のころから米国の音楽に浸ってきたものの、英語で音楽をすることには興味がないという。いろいろ聞き手に働きかけた彼だが、歌詞の内容には一切触れなかった。それを超える、もっと重要なものが音楽には山ほどあると言わんばかりに。なんか、そういうところも、ぼくの好みではあるよなー。


▶過去の、コーエン
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
▶過去の、ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 1999年9月29日
http://43142.diarynote.jp/200906071504504396/
▶過去の、チャオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年7月26日
http://43142.diarynote.jp/201010110929417794/
▶過去の、テテ
http://43142.diarynote.jp/200503240455360000/‎ 
http://43142.diarynote.jp/200709261218590000/
http://43142.diarynote.jp/201110141216048509/
http://43142.diarynote.jp/201311230758271244/

<今日の、フェフェ>
 文中に少し情報を織り込んだが、昼間フェフェには取材。いい奴ですよ〜。アニメも好きで、日本に来るのは念願であったよう。パリより東京は寒いと言っていたが、真夏の豪州から来たら余計にそう感じるだろう。彼は世界中のアーティストが関与した南アW杯のコカコーラ宣伝ソング(ケイナーンの「ウェイヴィング・フラッグ」)のフランス語版をまかされた(日本盤はAIがやっていますね)が、コカコーラ絡みだったので断ろうと思ったけど、お母さんにやりなさいと言われて、引き受けたとか。リーダー作の1枚目と2枚目の間が4年もあいているのは、子供の成長に触れたかったからで、今は少し大きくなったから、次作は今年中に録音するそう。あと、エッチは大好きなようだ。日仏学院のライヴは4日間、金曜日まで。

 スウェーデン生まれの女性シンガー・ソングライター(2010年11月29日)の公演は、長い付き合いというスウェーデン人女性キーボード奏者(ジョセフィン・リンズランド。彼女はあたま、ヒラサワが出てくる前に鍵盤弾き語りを聞かせた)、日本人のリズム・セクション(松井敬治と あらきゆうこ〜2009年1月21日〜)を伴ってのもの。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 ピアノ弾き語りが基本の人だろうけど、ギターを持ちながら歌う曲もいくつか。なんにせよ、印象的なメロディを作れて、それを心地よい声で歌える人物という印象を新たにする。2010年〜2011年は日本に住んでいたそう(震災は、仙台から東京に引っ越したばかりのときの出来事であったよう)で、日本語MCが少しうまくなり、披露する日本語歌詞の曲も増えていた。本編最後の曲は、JR九州のTV-CF曲に用いられておおいに話題を呼んだ「ブーン!」。やはり、いい曲ですね。とともに、ジャズ・ビッグ・バンドのドラム(タム)のパターンやゴスペル的抑揚をうまく取り込んだ、とても技アリの曲。オーディエンス、本当にみんな幸せそうだった。

▶過去の、ヒラサワ
http://43142.diarynote.jp/201012051853133733/
▶過去の、あらき
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121

<今日の、吊り広告>
 ぼくが乗った東急の車両内が、全面桜の広告。車両左右の天井両側のそれは桜の絵だけで、コピーはなし。で、つり下げのほうの広告には<河津桜を見に行こう>というコピーが載せられている。けっこう、贅沢な広告ね。でも、河津って、どこ? 東急が出している広告なので、伊豆のほうか? 伊豆急行って東京急行電鉄の傘下にあるから。はるか昔になるけど、そういえば、ゼミの卒業旅行は伊豆のどこかにある東急ホテルに泊まったよなー。無理だろうけど、渋谷から伊豆まで1本で行けるのだったら、伊豆に桜見に行ってもいいか。もー、行きも帰りも飲みまくりで、楽しそうだなー。望、東急版ロマンスカー。

 ステージに続々出て来た面々、すらっと演奏を始めたら、おりゃ〜出音がデカい。で、張りあり、濃密。それだけで、積み上げてきているものの大きさやここに集まってきている奏者の腕の立ち方を瞬時に思い知らせるよなー。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 NYサルサの代名詞的ピアニスト(1939年生まれ)であり、1960年代後期から70年代半ばにかけてサルサ・シーンを牽引したファニア・レコード/ファニア・オール・スターズの立役者が中心となった、13人編成のラテン・オーケストラの公演。電気ピアノを弾く本人に加え、ティンバレスの名士ニッキー・マレーロを始めとするパーカッショニストやドラマーが4人、管も4人(うち、トロンボーン奏者はヴァイオリンも弾く)、ベース、そしてヴォーカルが2人という内訳なり。

 ハーロウをはじめ、皆ばしっとスーツ/ネクタイ着用。ただし、前方向かって右に位置するニッキー・マレーロだけはキンキラキンのシャツを着て、特別扱いという感じ。愛想たっぷりのヤンキーがそのまま大きくなったという感じの彼は途中からその勝負シャツも脱いでしまい、只の白シャツ姿。その演奏自体は、あまり聞こえず、遠回りにパワーや瞬発力が衰えていることを伺わせるものではあったが、ソコニイテイイモノ、アルトウレシイモノ、であったのは間違いない。

 じいさん、おっさんぞろいの奏者たちと比して、シンガーの男性2人はまだ中年未満でイケ面で格好よい。やはり、そうじゃなきゃと、と頷く。サルサもまたハレの場の社交/ダンスのための音楽であり、フロント・マンは着飾ってやってきた女性を湧かせてナンボ、なんだよなあ。その2人の男性歌手は客にいろいろ働きかけ、簡単な唱和を要求したり、客席をまわったり。

 ハーロウは特別目新しいことをやる訳ではないが、しっかりとピアノで全体設定。オフ・マイクだがけっこう歌いながらピアノを弾いているのもいいし、ときにフィーチャーされるソロはエレヴェイターが急上昇〜急降下するようなお馴染みの指さばき。ウフフとなれますね。ブルックリン生まれのハーロウは顔つきに表れているように、ユダヤ系で非ラティーノ。だが、流れてくるラテン・ミュージックに夢中になり、キューバ詣でなどを経て、その中枢に出張るようになった人物。キューバン・ラテンとNYの都市環境が重なった先にあるNYサルサ表現の最たる司令塔がまた別の属性を持つ人物であるという図式は、なんとなく分るものでもあるか。やっぱり、純ななかから生まれるものはそれで尊く重みも持つが、その一方、純じゃないからこその、おいしい発展やオーセンティック性の掘り下げもあるのだ。

 そして、渋谷・Li-poで、スウィンギン・バッパーズ(2007年7月22日)のアルト・サックス奏者を務める渡辺康蔵とアコーディオン奏者の堀込美穂(普段はロック・バンドでギターを弾いているんだって)のデュオ・ユニットであるフリーちんどん のギグのファースト・ショウを見る。そのグループ名のあとに“(フリー・ジャズ+昭和歌謡)”と記してもいて、大雑把に書けば、アコーディオンがかなでる昭和歌謡の調べにのって、渡辺がときにフリーキーなフレイズも出しつつメロディアスにアルトを吹く……。あまり、ちんどんの要素は入っていないが、2人は武蔵野ちんどん同好会に入っていると言っていたかな。小難しくならず、場をもりあげましょうという小粋なライヴ感覚は、そうした流れの味もあることと思う。ここで一部、渡辺はのほほんとヴォーカルもとる。彼の方だけ、譜面台を前においていたが、それはいけませんね。音楽の日常性や自然発生感覚と譜面台の設置は相反するものだ。

 「早春賦」もやったが、それ、アルバート・アイラーの「ゴースト」と似ているんだな。同じく、アイラーも取り上げていた「家路」も披露し、オーネット・コールマンの「テーマ・フロム・ア・シンフォニー(ダンシング・イン・ユア・ヘッド)」と日本の曲をマッシュ・アップしたものもやっていた。

▶過去の、バッパーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20070722

<今日の、初めて>
 自分の誕生日が、著名ミュージシャンのそれとが同じだったりするとうれCという感覚は多くの人にあるに違いない。残念ながら、ぼくの誕生日と重なる海外のめぼしいミュージシャンはたぶんいないのだが、(日本だと、直枝 政広や青山陽一、曽我部 恵一らは同じ)、そんななか、ファニア・オールスターズの有名なチータにおける1971年ライヴ録音日(そのショウをソースとする映画『アワ・ラテン・シング』の収録日という言い方もできる)がぼくの誕生日と同じで、それはひそかな自慢となっている。それ以外だと、ジミ・ヘンドリックスのザ・エレクトリック・レディランド・スタジオのお披露目パーティの日やジル・スコットのライヴ盤収録日(そちらは、その日付がタイトルにも冠される)も同じだ。
 ともあれ、ハーロウさんのおいしい音が渦巻き重なるライヴには、今年これまで見たなかではベスト1だなという心持ちを得る。で、そのためか、その後、フットワーク軽く、いくつもの店をハシゴ。最後は新宿のほうに流れて、朝にお店を代えるとき、初めて花園神社の境内をとおる。うわー、この景色、写真で見たことあるよ〜、みたいな。かなり、うれし。とかいう話で、いかにぼくは通常新宿(中央線沿線も同様)で飲まないかというのが分ろうというもの。その後は、ゴールデン街にあるお店(7軒目でした)に連れていかれたわけだが、そこには後から、中原昌也(2005年4月26日)さんがやってきた。ぼくがゴールデン街で飲むなんて20年ぐらいぶりぐらい……。と、思ったら、一昨年に一度行っているよなー。あ〜、人間の記憶なんて〜。
 この日は会場をかえて、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。来日公演の、最終日。このNYサルサの重鎮率いる充実バンドを先週土曜日(1月24日)に見て、とってもうれしくなっちゃったので、また行っちゃった。

 この日は、シンガーの二分の一であるエモ・ルチアーノも、かしこまった格好をせずにキラキラしたシャツを最初から着用。1曲目が終わると、ハーロウをはじめ7人がジャケットを脱ぐ。その後、全員がジャケットを脱いでいた。というところに表れているように、よりこなれた雰囲気で流れたショウであったと言えるはず。エレクトリック・ピアノ(カーツウェル)をはじめとする楽器音は先に見たときより音質が良く聞こえ、看板打楽器奏者のニッキー・マレロもより元気そうに見えた。演目はけっこう変わっていたかな。やはり、皆さん、とんでもない実力者たちであるのは痛感しまくり。

 途中で、日本人の鍵盤奏者、フルート奏者(赤城リエ)、コンガ奏者らがステージに招きいれられ、ソロをとる。それ、楽屋に挨拶に行ったりすると、鷹揚に誘われるみたいね。そういえば、ぼくが初日に行ったブルーノート東京の2、3日目はタモリが出て来て、コンガを叩いたりもしたそう。そういうファミリアな敷居の低さは、ニューオーリンズ音楽界にあるおおらかなシェア感覚を思い出させもする? というか、横にいる人間とのコミュニケーションとして世の音楽は成り立ってきたということをそれは示唆する。

 確固とした音楽様式と熟達演奏者が導く文化と娯楽が山ほど。それが、ぼくを感激させるのだと思う。最後、アンコールを求める声に答え、ドラマーのボビー・サナブリアが一人叩き語りを披露した。送り手も受け手も、皆幸せそう。そんなに間あかずにまたやってきても、なんの不思議もないな。

<今日の、ワタクシ>
 会場で会った人と、早くも花見の話になる。今年も開花の時期は早いのか? 今春も楽しい花見ができるいいなあ。と、書きつつ、寒さにはそれなりに辟易もしているくせに、まだ春はきてほしくない気分。まだまだ、冬の間に楽しいことしなきゃ、そんな早く月日が流れちゃヤ、と思う。あー、強欲なぼく。。。

 1970年代アタマからロックを聞いてきているぼくにとって、ちょうどそのころ世に出たスコットランド出身の米国ファンク/ソウル憧憬白人バンドであるアヴェレイジ・ホワイト・バンド(2007年11月26日)は、変形のファンキー・ロック・バンドとして耳にしていたように思う。少なくても、1977年の2枚組ライヴ盤あたりまではそれなりに彼らのことを聞いていた。ものぐさなぼくはテーンテーブルにのせた盤を頻繁に代えるのがイヤで、当初からレコードはLP中心であまりシングルを購買してはいなかったが、彼らの「カット・ザ・ケイク」はシングルで持っていて、滅法聞いたよなあ。一緒にギターを持っても、あのリフはちゃんとできなかった。彼らの最新作はNYでのライヴ盤だが「ピック・アップ・ザ・ピーセス」は入っておらず、今回は聞けないかもとか思っていたら、ちゃんとやってくれて超うれしかった。

 1970年中期に米国マーケットでもっとも成功した、スコティッシュのバンド。その見事な黒人音楽咀嚼の様は元祖アシッド・ジャズ/UKジャジー・ソウル・バンドとすることもできるだろうか。英MCA発1973年デビュー作(ザ・クルセイダーズの「プット・イット・ホエア・ユー・ウォント・イット」に歌詞を付けてカヴァーしたものも収録)以後、アリフ・マーディン(アトランティック・ソウルの裏方〜ようは、ジェリー・ウィスクラーやトム・ダウドの舎弟でしたね〜を経て、大プロデューサーとなる。チャカ・カーン、スクリッティ・ポリッテイ、ノラ・ジョーンズ他)に見初められて米アトランティック入りし(最初に彼らを熱烈応援したのは、ボニー・ブラムレットであったという)、米国で馬鹿受け、彼らはマーディンの初期名声を高めた最たる存在であるはずだ。蛇足だが、アヴェレイジ・ホワイト・バンドは長年米国拠点で活動していると思う。

 1980年代初頭に一度解散したものの、1990年代を回って再結成。現在はアラン・ゴリー(ヴォーカル、ベース、ギター)とオニー・マッキンタイア(ギター)という、2人のオリジナル・メンバーを擁する形で活動していて、テナー・サックスと鍵盤を担当するフレッド・ヴィグダーと著名セッション・ドラマーのロッキー・ブライアント(2001年4月24日、2003年 9月16日)は前回時も同行。そして、今回はキーボードやフレットレス・ベースを弾くロバート・エアリーズとシンガーのブレント・カーターがつく。おお、そのカーターは1990年代中期から2000年代初頭にかけて、タワー・オブ・パワー(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日)に在籍していた人ではないか。

 カーターはなるほど、癖はないながら、よく歌える。そんな人を擁したことで、けっこう彼がリード・ヴォーカル取るのではと思ったら、それはなし。「アイ・ウォント・ユー」とかリオン・ウェア絡み曲は彼が悠々と歌ったりはしたが、曲の半分以上はゴーリーが歌い、カーターがコーラス部を取っていた。しかし、ベースやギターを巧みに弾き、ソウルフルな声ではないながら高めの地声とフェルセットを巧みに併用して歌うゴーリーはなかなかの才人ではあるなー。前にも本欄で書いたことがあるけど、アヴェレイジ・ホワイト・バンド解散期にダリル・ホール(2005年3月21日、2011年2月28日)がソロ作(1993年『ソウル・アローン』)制作の重要側近者として彼に声をかけたのもよく分る。一方、今ピンで活動している元同僚のヘイミッシュ・スチュアート(2006年3月8日)はポール・マッカートニーの作曲共作者を務めたことがありましたね。蛇足だが、ホール&オーツのデビューはアトランティックからで、やはりアリフ・マーディンが担当した。契約はホール&オーツのほうが1年早い。

 ギターやベースといった弦楽器の絡みやメロディを強調するサックスの使い方が決め手のファンキー・バンドであり、何気にグっと来るメロディをそこに付けるのにも長けていた担い手であることを、再確認。新たな血も導入して実演上において衰えもないし、フツーに接してウキウキとなれる。離れた席に座っていた普段はクールな英国人知人も立ち上がりギンギンに身体を揺らしているのを見て、ぼく以上に彼はアヴェレイジ・ホワイト・バンドに夢中だったんだろうなと思った。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

▶過去の、AWB
http://43142.diarynote.jp/200711290931440000/
▶過去の、ブライアント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
2001年4月24日、2003年 9月16日
▶過去の、TOP
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm1999年11月4日、2002年8月11日
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
http://43142.diarynote.jp/200805201631280000/
http://43142.diarynote.jp/201005121331016518/
http://43142.diarynote.jp/201103171348262145/
▶過去の、スチュアート
http://43142.diarynote.jp/200603100921150000/
▶過去のホール
http://43142.diarynote.jp/200503240456350000/
http://43142.diarynote.jp/201103031015296753/

<今日の、むーん>
 表参道駅からブルーノート東京に行く道(昔は、骨董通り、と言ったんだっけ?)の途中、今いつも人が並んでいる一角がある。なんちゃらベイキングという名前のカフェのような店(内装は低予算であるように、外からは見える)の横。ウィークエンドにしろ平日にしろ、寒々しいなか、人々がぞろり。せっかちでわがままでもあるぼくは待つのが超苦手。ましてや、気持ちいい気候じゃないなか、外に立って待つなんていうのは言語道断の行為。NYから出店した話題のお店のようだが、皆さん正気? とか、思ってしまう。ああ、価値観って、本当にいろいろですね。そんなぼくは自分がやられてイヤなことは、他人にもすまいといちおう心がける。やはり、どこかまっとうじゃないところもあると、自分のことを思うので。だから、待たされるのが大嫌いなぼくは、ちゃんと時間を守る。仕事についてはもちろん、遊びの約束においても、少し早めにつく。で、万が一、相手がおくれたりすると、いい大人なんで外には出すまいとは思うんだが、ムっとしてしまう。このけんについては、なんとか、ならんだろーなー。
 純ジャズ界デビューを経て、今はポップ・フィールドで活動するシンガー/ピアニスト(2004年1月28日、2006年6月13日)の東京公演は、なんと渋谷・オーチャードホールで3日間。その中日を見る。

 出演者全員でフロア・タムを叩くなか、少し語りっぽい歌をかましていくカラムは堂々。おお、素敵な始まり方ではないか。

 半数はピアノを弾かずマイクを手に歌う彼に加え、電気とウッド両刀のベーシスト、ドラマー、ギター/トランペット/打楽器兼任奏者、テナー・サックス/キーボード/打楽器兼任奏者。皆、コーラスも取る。いいバンドだな。そんな彼らのサポートのもと、カラムは伸び伸び、やりやりたいほうだい。動きほうだい。いまだピアノに立ち、ジャンプして床に降りるなんてこともやっているのか。ぜんぜん、年取っている印象はないよなー。

 で、いろいろな曲趣や見せ方を持つものを、ナンデモアリの僕の世界という感じで開くのだが、その以前から変わらぬ見せ方に接し、その様はジャズ系エンターテイナーのライヴ流儀そのものなんだよなーと思う。ときに、二管を擁するジャズ・コンボ演奏になる場面もあった(皆、ちゃんとジャズを通っている奏者ですね)が、カラムはどんなに弾けようと、ポップに振る舞おうと、根にあるジャズ的な何かを愛で、その奥であたためているのは明白。逆に言うと、ジャズ的素養を通っても、尖ってはいないが、ちゃんと活きたポップ・ミュージックの輝きを彼の表現は持っている。彼の2013年作はヒップホップ畑のダン“ジ・オートメイター”ナカムラさんですね。同作で一番変てこな仕上がりの曲は、スタンダードの「ラヴ・フォー・セール」だったが、それも悠然と披露。とかなんとか、接していて、これは巧みな、ジャズ活用ポップ表現だと頷いた。

 バンドの面々が皆30代半ばふうで、カラムと同年代か。ベース奏者はまだ20代だろうな。で、かように同世代で固めているところがまたいいと思えた。そんな彼らがジャズと大衆的なポップスを自在に行き来している様がなんとも頼もしく思えてくるから。でもって、シナトラやベネットら大御所が昔いた位置を、このカラムは年齢相応のノリでちゃんと謳歌していると、思えた。

 一部ピアノ弾き語りなども披露したが、何をやろうとカラム印。改めて、小さな体格に似合わぬ野太い歌声は存在感るナと痛感させられた。


▶過去の、カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/

<今日の、危惧>
 この日は、ロス・ロンリー・ボーイズ(2004年9月17日、2012年2月7日)公演もあり。どちらに行こうか、当日まで迷っていた。前回見たのが2年ぶりと8年ぶり、という事実を天秤にかけて後者に決めた、という感じか。雨が降っていたので、家から近い会場にした、とは言うまい。ともあれ、オーチャードホールでの席が中央気味のすごい前であわわ。普段ブルーノートとかで見るより近いよ〜と、気後れ。シラフだと、なんか落ちつかね〜。だが、カラムが出て来て、すぐに多くが立ち上がる。ありゃー、ちゃんとしたホールでやる意味、ないじゃん。で、すぐに、床がぐらぐら揺れる。なんじゃあ、こりゃ。恐怖心を感じる。この会場はクラシック用途ホールだから、余計観客の身体の揺らし方に留意していないのかもしれないが、でもカラムの実演はそれほどビートは強くないわけで、これがもっとダンサブルな出演者だったら、この会場の揺れは一体どうなってしまうのダと一瞬マジで考えた。それから、いろいろ粗雑な使われ方をするピアノはカラム側の持ち込みか、レンタルか。普通はレンタルだろうが、だったら業者は真っ青だよなー、とか、そんな余計なことも考えた。