ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル’07
2007年7月22日 日比谷野外音楽堂、曇天ながら雨はふらず。満員、盛況。
トップは、腕に覚えありのの女性3人(長見順、かわいしのぶ、グレース
)によるバンチの効いたブルース。ブルースの持つ何かをやけくそな諧謔感
覚やパンク感覚でもって太平楽にぶちかましていく。20分ぐらいと、演奏時
間が短かったのが残念。
続いて、日本のジャンプ・ブルース・バンドの草分け、吾妻光良&ザ・スウ
ィンギン・バッパーズが登場。ホーン音が重なり合う小さめなビッグ・バン
ド・サウンドと対峙する、吾妻(しかし、その特異な風体は外国人が見ると
、何人に見えるんだろ?)のテキサス・スタイル+アルファのギター演奏は
切れ切れ。良い良い。やはり素晴らしい音楽家であり、キャラクターの持ち
主。笑える「150 〜300 」はバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ
の「テイキン・ケア・オブ・ビジネス」を応用したような曲なんだな。すで
に結成28年とか。リーダー以下みんな正業を持つ(ボ・ガンボス他でも叩い
ている岡地曙裕は違うか)かけ持ちバンドゆえ、ほとんどメンバー・チェン
ジなしでここまでやんわりと維持され、随所髄所で気張ることが出来ている
。和気あいあい、ときに緩く意気軒昂な面々を見ながら、10年後の彼ら(吾
妻は1956年生まれ。大学卒業を記念して組んでみたというし、他のメンバー
も似たような歳だろう)が本当に楽しみだナと思う。みんな仕事をリタイア
し、もっと豊かな気持ちでバンドに打ち込み、海外公演なんかもやっちゃう
。う〜ん、素晴らしいじゃないか。
関係ないけど、吾妻光良には良くない印象もある。その1.)15年前ぐらい
にオリジナル・ラヴの田島貴男に吾妻さんに似てますね、と取材したときに
言われたこと。何を指して、彼がそう言ったかはいまだに判らない。それを
他人に言っても、?だよねとみんな言う。当時、田島は吾妻に客演を何度か
願っていて、ネガティヴな意味で言ったのではないのは確かだが。その2.)
名文家である吾妻は長年に渡り雑誌にコラム的連載ページをいろいろと持っ
ているが(大昔にプレイヤー誌で、ギターではなくブギウギ・ピアノ指弾の
コーナーを持っていたことがあった。そういえば、そのころ大学祭でのサー
クルでライヴ・ハウスをやるためのコンソール調達で、吾妻さんの市ヶ谷の実
家にそれを取りに行った事があったな。ピアノの先生をしているというお母
様が、そうぞ上がって持っていって下さい、というような感じで優しく応対
してくれたっけ)、一時はクロスビート誌に<吾妻流お宝探偵団>みたいな
連載を持っていたことがあった。で、そこにぼくがジョージ・クリントン直
筆のイラスト(90年ごろ取材の合間に、ピンク色の水性マジックでコースタ
ーに気儘に女性とかを描いていたので、もらえますかと言ったら、笑顔で署
名し、ぼくの名前も書いてくれた)を出したら、「こんなの価値なし。第一、
俺はファンクが嫌いなんだよ」といったコメントとともに、0円をつけられ
た。吾妻光良のバカぁ。
それ以後は本場勢。まず、シカゴ・ブルース界で名前を成すハーモニカ奏
者のキャリー・ベルの息子、ローリー・ベル(ギターと歌。58年生まれで、
82年いらいの来日らしい)。サイド・ギタリストとベースとドラムを従えて
のパフォーマンス。普通の年齢相応の格好、バシっとスーツ/ネクタイ、ブ
レイズ頭で少しボヘミアン調......フロントに立つ3人の格好がバラバラな
のにクスっ。サイド・ギタリストにも歌わせたりリードを取らせたりもし、
そうするとベルの力のあり具合がよく判る。まっとう。だが、突き抜ける何
か、引きつける何かが希薄と感じる(前日のパフォーマンスは物凄かったら
しいが)。
そんなふうに感じずにはいられなかったのは、次のココ・テイラー(まさ
に、クイーン・オブ・ブルース! やはりシカゴ在住)が素晴らしすぎたせ
い。頭にバック・バンドによるパフォーマンスを2曲やった(歌はギター奏
者が1曲づつ歌う)のだが、濃さや生理的なスピード感や華やかさが段違い
。そのバック・バンドはギター2(うち、一人はずっとシカゴで活動する菊
田俊介)、ベース、キーボード、ドラムという編成だが、伝統を受けつつ今
の輝きも適切に持つ本当にいいバンド。そして、鮮やかなオレンジ色の服を
着たココ・テイラーが登場、もう一声だけでもこりゃすごいと平伏させる手
応えや訴求力を与える。すでに78歳らしいが、貫祿たっぷり、力ありあり。
降参。とともに、今伸び盛りの年齢ではなく、鬼のようなベテランがこうい
う現役感覚に満ちたショウを思うまま展開できている様に多大な感動を覚え
る。ちょっとしたMCでも胸キュンさせるし、いやあいい物を見せてもらい
ました。
トップは、腕に覚えありのの女性3人(長見順、かわいしのぶ、グレース
)によるバンチの効いたブルース。ブルースの持つ何かをやけくそな諧謔感
覚やパンク感覚でもって太平楽にぶちかましていく。20分ぐらいと、演奏時
間が短かったのが残念。
続いて、日本のジャンプ・ブルース・バンドの草分け、吾妻光良&ザ・スウ
ィンギン・バッパーズが登場。ホーン音が重なり合う小さめなビッグ・バン
ド・サウンドと対峙する、吾妻(しかし、その特異な風体は外国人が見ると
、何人に見えるんだろ?)のテキサス・スタイル+アルファのギター演奏は
切れ切れ。良い良い。やはり素晴らしい音楽家であり、キャラクターの持ち
主。笑える「150 〜300 」はバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ
の「テイキン・ケア・オブ・ビジネス」を応用したような曲なんだな。すで
に結成28年とか。リーダー以下みんな正業を持つ(ボ・ガンボス他でも叩い
ている岡地曙裕は違うか)かけ持ちバンドゆえ、ほとんどメンバー・チェン
ジなしでここまでやんわりと維持され、随所髄所で気張ることが出来ている
。和気あいあい、ときに緩く意気軒昂な面々を見ながら、10年後の彼ら(吾
妻は1956年生まれ。大学卒業を記念して組んでみたというし、他のメンバー
も似たような歳だろう)が本当に楽しみだナと思う。みんな仕事をリタイア
し、もっと豊かな気持ちでバンドに打ち込み、海外公演なんかもやっちゃう
。う〜ん、素晴らしいじゃないか。
関係ないけど、吾妻光良には良くない印象もある。その1.)15年前ぐらい
にオリジナル・ラヴの田島貴男に吾妻さんに似てますね、と取材したときに
言われたこと。何を指して、彼がそう言ったかはいまだに判らない。それを
他人に言っても、?だよねとみんな言う。当時、田島は吾妻に客演を何度か
願っていて、ネガティヴな意味で言ったのではないのは確かだが。その2.)
名文家である吾妻は長年に渡り雑誌にコラム的連載ページをいろいろと持っ
ているが(大昔にプレイヤー誌で、ギターではなくブギウギ・ピアノ指弾の
コーナーを持っていたことがあった。そういえば、そのころ大学祭でのサー
クルでライヴ・ハウスをやるためのコンソール調達で、吾妻さんの市ヶ谷の実
家にそれを取りに行った事があったな。ピアノの先生をしているというお母
様が、そうぞ上がって持っていって下さい、というような感じで優しく応対
してくれたっけ)、一時はクロスビート誌に<吾妻流お宝探偵団>みたいな
連載を持っていたことがあった。で、そこにぼくがジョージ・クリントン直
筆のイラスト(90年ごろ取材の合間に、ピンク色の水性マジックでコースタ
ーに気儘に女性とかを描いていたので、もらえますかと言ったら、笑顔で署
名し、ぼくの名前も書いてくれた)を出したら、「こんなの価値なし。第一、
俺はファンクが嫌いなんだよ」といったコメントとともに、0円をつけられ
た。吾妻光良のバカぁ。
それ以後は本場勢。まず、シカゴ・ブルース界で名前を成すハーモニカ奏
者のキャリー・ベルの息子、ローリー・ベル(ギターと歌。58年生まれで、
82年いらいの来日らしい)。サイド・ギタリストとベースとドラムを従えて
のパフォーマンス。普通の年齢相応の格好、バシっとスーツ/ネクタイ、ブ
レイズ頭で少しボヘミアン調......フロントに立つ3人の格好がバラバラな
のにクスっ。サイド・ギタリストにも歌わせたりリードを取らせたりもし、
そうするとベルの力のあり具合がよく判る。まっとう。だが、突き抜ける何
か、引きつける何かが希薄と感じる(前日のパフォーマンスは物凄かったら
しいが)。
そんなふうに感じずにはいられなかったのは、次のココ・テイラー(まさ
に、クイーン・オブ・ブルース! やはりシカゴ在住)が素晴らしすぎたせ
い。頭にバック・バンドによるパフォーマンスを2曲やった(歌はギター奏
者が1曲づつ歌う)のだが、濃さや生理的なスピード感や華やかさが段違い
。そのバック・バンドはギター2(うち、一人はずっとシカゴで活動する菊
田俊介)、ベース、キーボード、ドラムという編成だが、伝統を受けつつ今
の輝きも適切に持つ本当にいいバンド。そして、鮮やかなオレンジ色の服を
着たココ・テイラーが登場、もう一声だけでもこりゃすごいと平伏させる手
応えや訴求力を与える。すでに78歳らしいが、貫祿たっぷり、力ありあり。
降参。とともに、今伸び盛りの年齢ではなく、鬼のようなベテランがこうい
う現役感覚に満ちたショウを思うまま展開できている様に多大な感動を覚え
る。ちょっとしたMCでも胸キュンさせるし、いやあいい物を見せてもらい
ました。