南青山・月見ル君思フ。”月と衝突”と名付けされた、弾き語りパフォーマンスを提供する4日間の帯のなかの1日。この晩はマヒトゥ・ザ・ピーポーと青葉市子と灰野敬二、非安定の美徳をどこかに置く、なるほどの3組が出演。各者、それぞれ40分ぐらい一人パフォーマンスをしたか。

 会場入りすると、まだ20代半ばだろうマヒトゥ・ザ・ピーポーが生ギターを持って歌っている。生ギターの爪弾きと漂い気味歌唱の組み合わせ。ながら、どこかにピンと張った情感も。弾き語り表現の奥に別の日常が広がっているようなパフォーマンスとも書きたくなるか。彼は普段は、灰野ともつるむGEZANという気鋭の爆音暴走バンドをやっているというが、そうした情報も余白に添付されていたような。

 2番目は、青葉市子(2013年8月7日)。彼女は昨年の下山のイヴェントで灰野のパフォーマンスに触れて感化されたみたいなことをMCで言っていたが、最後には下山の曲も披露した。おじさんに囲まれていた前に見た実演より、この日のソロ・パフォーマンスは”不思議ちゃん”度数が低目で、真面ミュージシャン濃度が高めの演奏。と、ぼくは思った。思うまま個を出すことは、それだけで、過不足のない即興性を孕むもの、なり。

 3番目が、大御所という書き方はふさわしくないかもしれないが、とっても偉人とぼくは思ってしまう灰野敬二(2008年9月25日)。すんごい久しぶり、少なくてもこのブログを書くようになってから、この我が道を行く、孤高とも書きたくなる音楽行為者の実演を初めて見る。で、すぐに、格好いいと思ってしまう。この晩は、ギターを持たず、手押しで音が出る小さ目の楽器(両手で、ダブル)、小さなハープ型の弦楽器、ネックが細くて長い3弦の弦楽器を持って、自在に肉声を加える。それら楽器の音は、順に笙、コラ、日本の弦楽器(なんだっけ、忘れた)を思わせる。そういう意味では、この晩のパフォーマンスは広義のエスノ性が出ていたと、指摘できるのか否か。そして、歌詞カードの文言をガイドに歌うのだが、その自在に湧き出る朗々とした歌声、そのストロングな佇まいにはうなる。自分の世界を思いっきり肉声に託せるということはなんと素敵なことであるのか。斜にかまえず、ぶっといブレない自分を出す様には、もう頭をたれずにいられない。とともに、そこにあるなんらかの感覚に、高度成長期ありきの“東京サヴァーヴ感覚”があるとも感じてしまった。

 そして、その後は3人でフリーフォームな共演。それ、15分ぐらいやったか。灰野のマヒトゥ・ザ・ピーポーはエレクトリク・ギターを弾き、青葉は部分的に生ギターを弾き、歌う。ときに、傘を次々にさして行く、軽めのパフォーマンスも。マヒトゥ・ザ・ピーポー、ギターがうまかった。

▶過去の、青葉
http://43142.diarynote.jp/201308110827534904/
▶過去の、灰野
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/

<今日の、アフター>
 雨天。ライヴ後外に出ても雨脚は弱まっておらず、ほろ酔いではあったが、流れようという気持ちが失せていくのを感じる。まっすぐ家に帰ろうかなあどっしよっかなーと気持ちが揺れていたら、乗った銀座線で好意を持てる知人と会う。って、何年か前の新年にも似たようなシチュエーションがあったような。それで、相手の知っているお店に流れる。すでに個人宅の新年会など外飲みはしているが、ちゃんとお店で飲むのは、今年初めて。それが初めての店だと、2014年は新しいことがありそうでなんか楽しい。やー、暴飲暴食〜。