ラリー・ハーロウ。Freeちんどん
2014年1月25日 音楽 ステージに続々出て来た面々、すらっと演奏を始めたら、おりゃ〜出音がデカい。で、張りあり、濃密。それだけで、積み上げてきているものの大きさやここに集まってきている奏者の腕の立ち方を瞬時に思い知らせるよなー。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
NYサルサの代名詞的ピアニスト(1939年生まれ)であり、1960年代後期から70年代半ばにかけてサルサ・シーンを牽引したファニア・レコード/ファニア・オール・スターズの立役者が中心となった、13人編成のラテン・オーケストラの公演。電気ピアノを弾く本人に加え、ティンバレスの名士ニッキー・マレーロを始めとするパーカッショニストやドラマーが4人、管も4人(うち、トロンボーン奏者はヴァイオリンも弾く)、ベース、そしてヴォーカルが2人という内訳なり。
ハーロウをはじめ、皆ばしっとスーツ/ネクタイ着用。ただし、前方向かって右に位置するニッキー・マレーロだけはキンキラキンのシャツを着て、特別扱いという感じ。愛想たっぷりのヤンキーがそのまま大きくなったという感じの彼は途中からその勝負シャツも脱いでしまい、只の白シャツ姿。その演奏自体は、あまり聞こえず、遠回りにパワーや瞬発力が衰えていることを伺わせるものではあったが、ソコニイテイイモノ、アルトウレシイモノ、であったのは間違いない。
じいさん、おっさんぞろいの奏者たちと比して、シンガーの男性2人はまだ中年未満でイケ面で格好よい。やはり、そうじゃなきゃと、と頷く。サルサもまたハレの場の社交/ダンスのための音楽であり、フロント・マンは着飾ってやってきた女性を湧かせてナンボ、なんだよなあ。その2人の男性歌手は客にいろいろ働きかけ、簡単な唱和を要求したり、客席をまわったり。
ハーロウは特別目新しいことをやる訳ではないが、しっかりとピアノで全体設定。オフ・マイクだがけっこう歌いながらピアノを弾いているのもいいし、ときにフィーチャーされるソロはエレヴェイターが急上昇〜急降下するようなお馴染みの指さばき。ウフフとなれますね。ブルックリン生まれのハーロウは顔つきに表れているように、ユダヤ系で非ラティーノ。だが、流れてくるラテン・ミュージックに夢中になり、キューバ詣でなどを経て、その中枢に出張るようになった人物。キューバン・ラテンとNYの都市環境が重なった先にあるNYサルサ表現の最たる司令塔がまた別の属性を持つ人物であるという図式は、なんとなく分るものでもあるか。やっぱり、純ななかから生まれるものはそれで尊く重みも持つが、その一方、純じゃないからこその、おいしい発展やオーセンティック性の掘り下げもあるのだ。
そして、渋谷・Li-poで、スウィンギン・バッパーズ(2007年7月22日)のアルト・サックス奏者を務める渡辺康蔵とアコーディオン奏者の堀込美穂(普段はロック・バンドでギターを弾いているんだって)のデュオ・ユニットであるフリーちんどん のギグのファースト・ショウを見る。そのグループ名のあとに“(フリー・ジャズ+昭和歌謡)”と記してもいて、大雑把に書けば、アコーディオンがかなでる昭和歌謡の調べにのって、渡辺がときにフリーキーなフレイズも出しつつメロディアスにアルトを吹く……。あまり、ちんどんの要素は入っていないが、2人は武蔵野ちんどん同好会に入っていると言っていたかな。小難しくならず、場をもりあげましょうという小粋なライヴ感覚は、そうした流れの味もあることと思う。ここで一部、渡辺はのほほんとヴォーカルもとる。彼の方だけ、譜面台を前においていたが、それはいけませんね。音楽の日常性や自然発生感覚と譜面台の設置は相反するものだ。
「早春賦」もやったが、それ、アルバート・アイラーの「ゴースト」と似ているんだな。同じく、アイラーも取り上げていた「家路」も披露し、オーネット・コールマンの「テーマ・フロム・ア・シンフォニー(ダンシング・イン・ユア・ヘッド)」と日本の曲をマッシュ・アップしたものもやっていた。
▶過去の、バッパーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20070722
<今日の、初めて>
自分の誕生日が、著名ミュージシャンのそれとが同じだったりするとうれCという感覚は多くの人にあるに違いない。残念ながら、ぼくの誕生日と重なる海外のめぼしいミュージシャンはたぶんいないのだが、(日本だと、直枝 政広や青山陽一、曽我部 恵一らは同じ)、そんななか、ファニア・オールスターズの有名なチータにおける1971年ライヴ録音日(そのショウをソースとする映画『アワ・ラテン・シング』の収録日という言い方もできる)がぼくの誕生日と同じで、それはひそかな自慢となっている。それ以外だと、ジミ・ヘンドリックスのザ・エレクトリック・レディランド・スタジオのお披露目パーティの日やジル・スコットのライヴ盤収録日(そちらは、その日付がタイトルにも冠される)も同じだ。
ともあれ、ハーロウさんのおいしい音が渦巻き重なるライヴには、今年これまで見たなかではベスト1だなという心持ちを得る。で、そのためか、その後、フットワーク軽く、いくつもの店をハシゴ。最後は新宿のほうに流れて、朝にお店を代えるとき、初めて花園神社の境内をとおる。うわー、この景色、写真で見たことあるよ〜、みたいな。かなり、うれし。とかいう話で、いかにぼくは通常新宿(中央線沿線も同様)で飲まないかというのが分ろうというもの。その後は、ゴールデン街にあるお店(7軒目でした)に連れていかれたわけだが、そこには後から、中原昌也(2005年4月26日)さんがやってきた。ぼくがゴールデン街で飲むなんて20年ぐらいぶりぐらい……。と、思ったら、一昨年に一度行っているよなー。あ〜、人間の記憶なんて〜。
NYサルサの代名詞的ピアニスト(1939年生まれ)であり、1960年代後期から70年代半ばにかけてサルサ・シーンを牽引したファニア・レコード/ファニア・オール・スターズの立役者が中心となった、13人編成のラテン・オーケストラの公演。電気ピアノを弾く本人に加え、ティンバレスの名士ニッキー・マレーロを始めとするパーカッショニストやドラマーが4人、管も4人(うち、トロンボーン奏者はヴァイオリンも弾く)、ベース、そしてヴォーカルが2人という内訳なり。
ハーロウをはじめ、皆ばしっとスーツ/ネクタイ着用。ただし、前方向かって右に位置するニッキー・マレーロだけはキンキラキンのシャツを着て、特別扱いという感じ。愛想たっぷりのヤンキーがそのまま大きくなったという感じの彼は途中からその勝負シャツも脱いでしまい、只の白シャツ姿。その演奏自体は、あまり聞こえず、遠回りにパワーや瞬発力が衰えていることを伺わせるものではあったが、ソコニイテイイモノ、アルトウレシイモノ、であったのは間違いない。
じいさん、おっさんぞろいの奏者たちと比して、シンガーの男性2人はまだ中年未満でイケ面で格好よい。やはり、そうじゃなきゃと、と頷く。サルサもまたハレの場の社交/ダンスのための音楽であり、フロント・マンは着飾ってやってきた女性を湧かせてナンボ、なんだよなあ。その2人の男性歌手は客にいろいろ働きかけ、簡単な唱和を要求したり、客席をまわったり。
ハーロウは特別目新しいことをやる訳ではないが、しっかりとピアノで全体設定。オフ・マイクだがけっこう歌いながらピアノを弾いているのもいいし、ときにフィーチャーされるソロはエレヴェイターが急上昇〜急降下するようなお馴染みの指さばき。ウフフとなれますね。ブルックリン生まれのハーロウは顔つきに表れているように、ユダヤ系で非ラティーノ。だが、流れてくるラテン・ミュージックに夢中になり、キューバ詣でなどを経て、その中枢に出張るようになった人物。キューバン・ラテンとNYの都市環境が重なった先にあるNYサルサ表現の最たる司令塔がまた別の属性を持つ人物であるという図式は、なんとなく分るものでもあるか。やっぱり、純ななかから生まれるものはそれで尊く重みも持つが、その一方、純じゃないからこその、おいしい発展やオーセンティック性の掘り下げもあるのだ。
そして、渋谷・Li-poで、スウィンギン・バッパーズ(2007年7月22日)のアルト・サックス奏者を務める渡辺康蔵とアコーディオン奏者の堀込美穂(普段はロック・バンドでギターを弾いているんだって)のデュオ・ユニットであるフリーちんどん のギグのファースト・ショウを見る。そのグループ名のあとに“(フリー・ジャズ+昭和歌謡)”と記してもいて、大雑把に書けば、アコーディオンがかなでる昭和歌謡の調べにのって、渡辺がときにフリーキーなフレイズも出しつつメロディアスにアルトを吹く……。あまり、ちんどんの要素は入っていないが、2人は武蔵野ちんどん同好会に入っていると言っていたかな。小難しくならず、場をもりあげましょうという小粋なライヴ感覚は、そうした流れの味もあることと思う。ここで一部、渡辺はのほほんとヴォーカルもとる。彼の方だけ、譜面台を前においていたが、それはいけませんね。音楽の日常性や自然発生感覚と譜面台の設置は相反するものだ。
「早春賦」もやったが、それ、アルバート・アイラーの「ゴースト」と似ているんだな。同じく、アイラーも取り上げていた「家路」も披露し、オーネット・コールマンの「テーマ・フロム・ア・シンフォニー(ダンシング・イン・ユア・ヘッド)」と日本の曲をマッシュ・アップしたものもやっていた。
▶過去の、バッパーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20070722
<今日の、初めて>
自分の誕生日が、著名ミュージシャンのそれとが同じだったりするとうれCという感覚は多くの人にあるに違いない。残念ながら、ぼくの誕生日と重なる海外のめぼしいミュージシャンはたぶんいないのだが、(日本だと、直枝 政広や青山陽一、曽我部 恵一らは同じ)、そんななか、ファニア・オールスターズの有名なチータにおける1971年ライヴ録音日(そのショウをソースとする映画『アワ・ラテン・シング』の収録日という言い方もできる)がぼくの誕生日と同じで、それはひそかな自慢となっている。それ以外だと、ジミ・ヘンドリックスのザ・エレクトリック・レディランド・スタジオのお披露目パーティの日やジル・スコットのライヴ盤収録日(そちらは、その日付がタイトルにも冠される)も同じだ。
ともあれ、ハーロウさんのおいしい音が渦巻き重なるライヴには、今年これまで見たなかではベスト1だなという心持ちを得る。で、そのためか、その後、フットワーク軽く、いくつもの店をハシゴ。最後は新宿のほうに流れて、朝にお店を代えるとき、初めて花園神社の境内をとおる。うわー、この景色、写真で見たことあるよ〜、みたいな。かなり、うれし。とかいう話で、いかにぼくは通常新宿(中央線沿線も同様)で飲まないかというのが分ろうというもの。その後は、ゴールデン街にあるお店(7軒目でした)に連れていかれたわけだが、そこには後から、中原昌也(2005年4月26日)さんがやってきた。ぼくがゴールデン街で飲むなんて20年ぐらいぶりぐらい……。と、思ったら、一昨年に一度行っているよなー。あ〜、人間の記憶なんて〜。