終演後、ステージ前に出向き、ルーラー(2004年4月6日)の機材を写真に収めようとする人が次々と。入りもとっても良かったが、何気にジャズ・ギター・ヒーローなんだなと思わせられた。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 確かに、現代感覚を秘めつつ、今もっともジャズ・ギターらしいジャズ・ギターを弾く人かも知れぬと、頷く。彼の新作『ファントム』はジョー・ヘンダーソン曲をトリオで紐解いた内容を持つが、同作に負うカタチでこの晩のパフォーマンスは持たれたがゆえ、余計にそう感じるという部分はあったかもしれぬが。
 
 全員、オランダ人。ギブソンの1970年代初頭のセミアコ希少モデルをピック弾きと指弾きの混合で弾く彼をサポートする2人は、新作参加者と同じ。アルコ弾きも要所でするベースのクレメンス・ヴァン・デル・フィーンは生理的に立ったラインを弾く人物だが、ドラマーのヨースト・ヴァン・サイクは本当に旧ジャズ文脈にある叩き方をしていて、あららあ。バスドラがリズム・パターンの骨格を作るのではなく、完全にアクセント音として入れられるタイプのドラミングって、けっこう久しぶりに聞くような。彼、40歳ぐらいだろうけど、異彩を放っておったな。なんか、いかにもオランダ人みたいな風体の彼を見ながら、3人をオランダ人のサッカー選手にたとえるなら……なんてことを、このショウに触れながら一瞬考えた。

▶過去の、ジェシ・ヴァン・ルーラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm

<今日の、スタンダード>
 ビリー・ストレイホーンが1930年代に作った「ラッシュ・ライフ」を演奏したが、いい曲だなとしみじみ。酒にまつわる曲だが、この晩もよく飲んだなー。この前のジェフ・ニーヴ(2010年11月11日、2014年3月11日、2015年6月16日)も独自の解釈で「ラッシュ・ライフ」をやっていたが、今ぼくのなかではグっとくるスタンダードのベスト5に入ってしまうのではないか。しかし、このブログを始めたころ(15年強、たつなあ)には、スタンダード・ソングについての言及をするようになるとは思いもしなかったよな。やっぱり、生きたジャズはオリジナルをやらなきゃとも思っていたし。そこに、ワタシの成熟はありかなしか。、もうすぐまた1つ歳をとる〜。
▶過去の、ジェフ・ニーヴ
http://43142.diarynote.jp/201506180954176007/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201403131302543532/
 ニューオーリンズといろんな部分で繋がっているアルト・サックス奏者(2014年8月25日)のちょうど1年ぶりの来日公演。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。若手を擁するバンドはピアニストをのぞいては前回と同じ。ジェラルド・クレイトン(2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月7日、2009年9月3日、2011年10月6日)みたいなヘア・スタイルのザッカイ・カーティス(ピアノ)は2000年代中期にハリソン・バンドで演奏するとともに、その後はクリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日)のグループに入ったりもしてきた人。彼、端正な指さばきを見せたな。ドラマーのジョー・ダイソンは7月初旬のドクター・ロニー・スミス公演(2015年7月2日)で来日したばかりだ。

 純ジャズからニューオーリンズR&Bへ、という流れも前回と同様。とはいえ、受けた所感はそれなりに異なるところもあったな。ザクっと言えば、よりジャズっぽかった。白いジャケットに赤いネクタイのハリソンは、“暖簾に腕押し”と言いたくなるフレーズを4ビートのサウンドにのって積み上げる。途中で、チャーリー・パーカー曲もうれしそうに演奏する。やっぱり、この世代ぐらいまでのアルト・サックス奏者はつまるところパーカーなのだなと、思わずにはいられず。ハリソンは前回のように、パーカッションを叩くこともなし。それで、40分強ずずいと進む。

 そして、1曲ポップなフュージョン調曲をやった末に、唐突にニューオーリンズ路線に転換。ハリソンはサックスを置いて、延々と歌いっぱなし。ベーシストはエレクトリック・ベースに持ち替える。バンドの音が急に太くなる(笑い)。延々となされた「ヘイ・ポッキー・アウェイ」(ザ・ミーターズ)でハリソンは無理矢理満場の客を立たせる。この場面だけ見る人が見たら、なんと壮絶に受けまくったショウかと思うだろう。今回、場内練り歩きはなし。ライヴ直後のサイン会はあり。

▶過去の、ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
▶過去の、ジェラルド・クレイトン
http://43142.diarynote.jp/200709171108570000/
http://43142.diarynote.jp/200809171409066704/
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201110091258307349/
▶過去の、ドクター・ロニー・スミス
http://43142.diarynote.jp/201507030846173120/
▶過去の、クリスチャン・スコット
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<今日の、暗喩>
 パーカーの曲をやる前に、ハリソンは「チャーリー・パーカーを聞いたことのある人は?」と客に問う。そして、続けて「ジョン・コルトレーンを聞いたことは?」、「ザ・ビートルズは?」、「2パックは?」といった感じで、次々アーティストの名前を出して、働きかける。今回ははみだし度数は前回公演より少なかったが、その他愛のない問いかけでオレの表現はいろんなものとつなっがっているという気持ちを出しているように思えた。
 世界的日本人ノイズ音楽家と、大学教授もしている舞踏大家のお手合わせ公演、代官山・晴れたら空に豆まいて。もちろん混んでいて、後からはステージの全貌を捉えるのは困難ナリ。客の外国人比率、高め。

 演奏陣は最初のほう、2人とも機材のツマミをいじってノイズの波を出す。濁音の大海だア。20分ぐらいはそうだった? そのうち、MERZBOW/秋田昌美は自作だろう楽器をギターのように抱えて、音を出し始める。一方の灰野敬二(2008年9月25日、2014年1月8日)はマイクを手にとり詠唱をした(←それ、とても存在感あり)り、ギターを弾いたりもする。その際の、エモーショナルな姿は胸を打つな。という感じで、表現総体はどんどんダイナミックに動いていき、ストーリー性を帯びて行く。灰野はダミ声でも肉声を出すが、それに触れ、装置音もギター音も肉声も、併置すべき回路を持っていると思わされる。筋が通っているし、どれにも得難い肉体性があった。

 その二人の媒介となる勅使河原三朗の動きについては、ちゃんと見えないこともあり、よく分らず。音楽だと音や音による空気の波動だけでも理解の手助けになるが、舞踏は見えないとお手上げ。静かな場でやると、見えなくても踊り手の“気”のようなものが伝わってくるのかもしれないが。ちゃんと理解できたのは、抑制する作法を取っていて、動きは大きくない、ということ。

 一度、灰野のギター音に合わせてエア・ギターもやったが、それには退く。二人の音を受け、自分の感覚と肉体を介して反応し直しているわけで、なにもそんな直接的なことをしなくてもいいじゃないか。ただし、特徴的なノイズ音を受け、それを口から出すのを模すようなパフォーマンスには、これはアリだと頷く。門外漢としては、音と重なりきっていないという感想を得たが(もしくは、演奏者が舞踏に合わせきれなかったという言い方もできるか)、あのアヴァンな大きな音とステージ中央で生身一つで対峙する様には尊いものを感じずにはいられなかった。

 パフォーマンス時間は1時間の予定と聞いていたんだが、彼らは切れ目なしにきっちり2時間やった。そして、アンコールにも応える。これはどうしたことか。ノリノリになった? 当人たちも意義を感じたからと、判断したい。コスモスと言えるものをぽっかりと出していたと、ぼくは感じました。

▶過去の、灰野
http://43142.diarynote.jp/201401141413008927/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/

<今日の、耳>
 会場入りして、ステージ背後にスピーカーが壁のように並べられていて、フフフ。今年一番デカい音の波を受けたな。耳が完全に死にました。出演者は1953年、1952年、1956年の生まれ。3人とも結構な年齢だが、やっていることも含めて、お若い。演奏陣の二人はともに長髪、サングラス。その容貌に触れ、禿げないのはある種のスタンス表明になりえると思った?
 ついにブルーノート発の新作がリリースされたLAの4人組バンド(2012年8月20日、2014年8月20日)のライヴを新宿・ReNYで見る。へえ、こんなハコがあったのか。そこそこ高さのあるステージを半円型のフロアが囲む作りで、渋谷のクラブクアトロなんかよりずっと広い。

 例によりビシっと格好を決めた4人は、勘所を掴みつつ好演。その美味しさは過去の2回のショウの文章を参照してほしいが、客の反応も一番だった今回が一番密度が濃かったかもしれない。ぼくは彼らのことをロッキン・ソウル・バンドと記したりもするが、彼らに関しては、ロック・ファンが聞くとソウルに聞こえ、ソウル・ファンが聞くとロックに聞こえるという話があったりする。

▶過去の、ヴィンテージ・トラブル
http://43142.diarynote.jp/201209121315025654/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/

 そして、サクッと南青山に移動。ワン・アンド・オンリーな天衣無縫シンガー/ピアニスト(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日、2014年8月7日)の毎年恒例のブルーノート東京のショウに臨む。

 ベースや鍵盤のウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日、2014年8月7日)とドラムのクリストファー・パーカー(2009年8月19日、2012年8月21日、2014年8月7日)というずっと続けられているトリオによるものだが、エレクトロ要素を差し込むようになった前回から、より活性していると思わずにはいられず。昨年リリース作の志向に沿った音楽傾向を入れることで、3人はあらたな玩具を見つけたかのように、嬉々として表現にあたっている。

 前回は新作曲から披露した曲も多かったが、今回はこのトリオ回路で普段は矢野がやらない曲をフレッシュに届けたいという意図がよりあったのではないか。矢野が候補に出した曲を3人でNYであーだこーだと楽しんでリハーサルをしたんだろうなというのが、なんか伝わってきたような。

 「クマ」や「DAVID」など矢野の旧曲をあり、矢野が大好きというイリノイ州出身のシンガー・ソングライターのジョナサ・ブルックの2014年作『My Mother Has 4 Noses』(Bad Dog。ギル・ゴールドスタイン〜2004年2月13日、2015年3月23日〜やジェイムズ・ジナス〜2012年1月13日、2012年3月3日 、2013年9月3日、2014年9月7日、2015年3月3日〜やスティーヴ・ガッド〜2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9 月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9 月3日〜らが参加。その昔、ミシェル・ンデゲオチェロ〜2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日、2014年7月14日〜が入ったアルバムもあったよな)に入っていた「タイム」やデイヴィッド・シルヴィアン(2004年4月24日)と坂本龍一(2011年8月7日、2012年3月21日、2012年8月12日、2013年8月11日)が作った「バンブー・ハウス」といった選曲もあり。それらが、三人のこんな開き方はどう?、こうしちゃう?的な寛いだ創意のやりとりが見える行き方で、送り出される。また、9月に出るという新作からの曲(少し、エレクトロ)も披露した。

 それにしても、矢野の歌は輝き、指さばきも映える。改めて、すごい才と頷く。彼女を敬愛する海外のミュージシャンは少なくないだろうが、彼女の知名度が欧米の一般の人々に広がっていないのはどうしようもない不幸であると、ぼくはショウに触れながらふと思った。
 
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
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http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
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http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
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http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、クリス・パーカー
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
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▶過去のギル・ゴールトスタイン
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▶過去の、ジャイムス・ジナス
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http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
▶過去の、ミシェル・ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
http://43142.diarynote.jp/201407151135353688/
▶過去の、デイヴィッド・シルヴィアン
http://43142.diarynote.jp/200404271931000000/
▶過去の、坂本龍一
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120321
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811

<今日の、季節ネタ>
 今週は降雨もたびたびあったりし、気温は少し低目。このまま秋になっちぇと夏に疲れたぼくは思うのだが、陽が暮れるのも早くなってきている。今日ライヴに向かうために外に出たら、一頃よりも大分暗くて、秋が近づいていることを実感しました。

▶臨海副都心・ゼップ東京。43分おしで、ショウは始まった。▶彼らのライヴを見た人は皆太鼓判という感じだったが、なるほど素晴らしい。Dさん、やはり天賦の才能を持っているな。▶ギターを持ったり、キーボードの前に座ったり、立って歌ったりする本人に加え、2ギター、キーボード、ベース、ドラム、テナー・サックス、トランペット、2男性コーラス、女性コーラスという布陣にてパフォーマンス。▶2人のギタリストのうち一人はジミ・ヘンドリックス度高し。と思ったら、なんと元ザ・タイムのジミ・ヘンドリックス耽溺野郎のジェシー・ジョンソンのよう。ぼくはそうじゃない方の臨機応変なギター演奏に惚れた。そしたら、アイザイア・シャーキー(2012年9月21日、2013年9月28日)ぢゃん。▶ベースは、その丹精なシルエットで英国人ピノ・パラディーノ(2006年12月22日、2008年11月17日、2010年10月26日、2012年9月21日)と分る。おそらく、ザ・ヴァンガードの最年長者(彼は1957年生まれ)で、唯一の白人か。しかし、彼はいまだいろんなサポートをしていて、ロードに出るのも苦にならないんだろうな。▶例の短冊状のシンバルが配置されている(今回は二つ)ことで、ドラマーはクリス・デイヴ(2009年4月13日、2009年12月19日 、2010年12月16日、2012年9月21日、2013年9月28日)であるとすぐ了解。この晩の彼のドラム音は、ぼくの好みから言えば人口的になりすぎてて良くない。デカい会場でのライヴだと、それは致し方ないことであるのか。でも、バンド・サウンドの土台は確かに彼が担っていた。▶女性コーラスのジョイ・ギランは、1990年代にキャピトルからリーダー作を出していた人。とかなんとか、ちゃんとキャリアを持つ人をバンドに入れているあたりは、過去を大切にし、繋がることを標榜するディアンジェロの姿勢が出たものであると思う。トランペットのキーヨン・ハロルドもクリス・クロス(ちゃんとしたジャズ・レーベル)からリーダー作を出しているよな。▶有機的に絡むバンド・サウンドにうなづきつつ、そうかと思ったのは、彼らはプリセット音は使わず、生音だけで勝負しているようであったこと。そこに、こだわりを持つ音楽家の自負を見いだすのはあまりに容易すぎる。▶そして、アーティスト名義がディアンジェロ&ザ・ヴァンガードとグループ名にしているところにも、グループ力学〜サウンドの狙いは出ているだろう。▶1曲目「エイント・ザット・イージー」の際はかぶっていた帽子のためもあってか、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)的色彩強し。だが、帽子を取ったら、遠目にはおカマのおばさんみたいに見えた。失礼。▶アルバムのように、プリンス(2002年11月19日)っぽいと思わせるところは基本あまりなし。やっぱり、ディアンジェロは骨が太く、Pのような妖しさよりは、充実した王道感が出るからではないか。▶その一方、JBの影響を感じさせたのは、アルバムから受ける所感をはるかに超える。とくに、本編最後の「シュガー・ダディ」とアンコールのメドレーはJBビートの技あり展開が繰り広げられて、それに触れるだけでも、先達の逸表現に薫陶を受けた末にあるディアンジェロの現代的才覚がくっきりと浮かび上がる。▶その際の、JB(2000年8月5日)パターン+アルファという感じの二管のホーン音がまたよろしい。他の曲でもセクション音は何気に耳をひくところがあって、そういう部分にも肉声群をもり立てるバンド・サウンドの良さは顕われる。▶つきるところ、JB以降の米国黒人音楽の積み重ねの精華、そしてその総体から一歩前へ出ようとする創造性に満ちあふれていた実演……。堪能、満足、もっとディアンジェロ表現を受けたい。とともに、ジェイムズ・ブラウンの気の遠くなるようなすごさも、彼を見て強く再認識。▶そして、ぼくはディアンジェロが“メサイア”であることも、生理的におおいに実感。▶出演者の面々、かなり喜んでいる感じもあって、次回はそんなに間が空かずにやってきそうという期待が持てたかにゃ。▶それから、曲はほぼ切れ目なしで、送り出された。それ、DJ感覚経由としていいのか。▶この晩のことは、日経新聞電子版にそれなりの量で書きます。

▶過去の、ピノ・パラディーノ
http://43142.diarynote.jp/?day=20061222
http://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101026
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
▶過去の、アイザイア・シャーキー
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
▶過去の、クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
▶過去のプリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去の、ジェイムズ・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日

<今日の、お会いできて光栄です>
 開演前に、会場でなんとエンディア・ダヴェンポート(2010年2月22日)を紹介される。おお、きっちり精悍、ちゃんとキメた格好していて現役感あり。身長はイメージより、大きくなかった。ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日、2014年10月23日)を経て彼女がV2から1998年にセルフタイトルのソロ・アルバムを出した(ダラス・オースティン制作。自作曲を中心に、ブライアン・ブレイド〜2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2008年9月4日、2009年7月20日、2011年5月12日、2012年1月16日、2012年3月15日 、2012年5月22日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日〜との共作曲やニール・ヤング〜2001年7月28日〜曲のカヴァーもあった)ときに、電話インタヴューしたことがあった。そのとき、今はニューオーリンズに住んでいて、自分でレンガを積んだりして家を作っているなんて呑気なことを言っていたよなー。そういえば、その『エンディア・ダヴェンポート』にはリバース・ブラス・バンド(2007年2月6日)ともろに重なった自作のセカンド・ライン曲「ゲタウェイ」もあった。ブラスの咆哮と彼女のグイのり歌唱が拮抗する、好曲。もし、ぼくがニューオーリンズ・ブラス・バンド流れのコンピレーションを組むとしたら、入れたくなる曲だな。そんな彼女は東京に今住んでいるらしく、びっくり。
▶過去の、エンディア・ダヴェンポート
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
http://43142.diarynote.jp/201410251056112035/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200809071429250000/
http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
▶過去の、ニール・ヤング
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▶過去の、リバース・ブラス・バンド
http://43142.diarynote.jp/200702122331460000/
 サマーソニックにも出演した、ニューオーリンズのブラス・バンドのショウをまず見る。取材がおして、会場のブルーノート東京入りしたのは、19時30分。前半の30分見れなかったが、彼らの要点はちゃんと掴めたかにゃ。

 まず、ふむふむと頷いたのは、その編成。手で叩くバスドラを中心とする打楽器奏者とスネアを中心とする打楽器奏者それぞれ1人、スーザフォン、テナー・サックス、2人のトランペット、2人のトロンボーンという、純パレード仕様の構成を保っていること。同地ブラス・バンド表現中興の祖たるザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2004年7月27日、2004年9月17日、2007年5月15日 2004年9月17日、2015年3月5日)だって、ギタリストを入れるとともに、ライヴ・ショウにおいてはドラム・セットを用いていることを考えると、その編成は生理的に尊く見える。2人いる打楽器奏者は2人あわせてドラム・セットの音になるという感じもある。今回、バスドラの音があまり聞こえなかったのは残念だが。

 その一方、レパートリーはわざとニューオーリンズと繋がらないものを持ってきていると思わせる。ホール&オーツ(2005年3月21日、2011年2月28日)の「アイ・キャン・ゴー・フォー・ザット」やマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」とか、もう畑違いのポップ曲をぽんぽんとやる。彼らは昔からレゲエもやっていたがそれも危なげない。アレレと思ったのは、彼らはヒップホップ要素を取り込んでいることでも知られるが、ぼくが見た45分ではそれが皆無であったこと。頭の30分はどうだったのだろう。

 曲によっては前列に立つ管楽器奏者の5人は一緒にヴォーカルを取る。そうなると、もうニューオーリンズ色もなくなってしまうわけだが、それを微妙なところでその立脚点とつないでいたのは、良く聞こえたスーザフォンによるベース音。ただし、そのエドワード・リーJr.の吹き口はどこがのぺっとした情緒を持っていて、それはどこか鍵盤ベースの音を思いだせはしなかったか。少なくても、R&Bにおける鍵盤ベースの恩恵をちゃんと知っている世代の奏者であると指摘したくなる味をスーザフォン奏者は抱えていた。とかなんとか、伝統/土着とそこからの飛び出し具合の共存のさせかたが変てこと思わせるものがいろいろあった。

 グループが結成されて四半世紀近くたつが、若いときからやっているはずで、面々はパっと見40絡みという感じか。って、オリジナル・メンバーが誰なのかは調べを入れていなれていないが。アンコールはもろにニューオーリンズ的曲調を持つもので、するとバンドの音色が濃くなり、ブラスの絡みもより活き活きとしたと、それを歓迎したぼくには思えた。

▶過去の、ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
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▶過去の、ホール&オーツ/ジョン・オーツ
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 その後、下北沢のシェルターに行って、フランスの新進エレクトニカ3人組のM.A.ビート!を見る。PC関連機器のサミー、キーボードやエレクトリック・ベースや縦笛のルイ、ドラムのエイドリアンの3人でフランスのナンシーで結成。EP『pushing forms』(BMM)をリリースしたときはサミーのソロ・プロジェクトであったが、今年出たフル・アルバム『Drowing for Love』(BMM。デジタル配信とアナログ盤、その二本立てによるリリース)から3人編成になっている。

 その『Drowing for Love』には、少し驚かされた。電気音と生音の風情あふれるタペストリーともいうべき音の流れは、フランス流ワビサビというべきものを存分に感じさせる仕上がりであったから。また、随所にエスノ的な音使いの粋があって、それはかつてワールド・ミュージック推進地となったフランス発の現代表現であるとも痛感させられる。そして、実際の演奏もCDから得た興味をいろいろと広げるものであり、さすがに生ではより太く、ダンサブルな展開を見せてもいて、それについてもまっとうと思わせた。
 
 しかし、そんなイケてる3人がまだ20代あたま(一人は大学生のよう)であるとは。確かに、顔つきはまだ若い。

<今日は、わりとすごしやすかった>
 (リハがおして)18時すぎに取材をしたのは、そのM.A.ビートの面々。今日はわりと涼しい1日で、喫茶店の外のテーブルでインタヴューをしたのだが、快適だった。そのグループ名は、ハイセンスな音と異なり、“おいらの、ちん○ん”という意味を持つそう。なんと彼らは8月2日から26日の間、日本をツアー中。ど暑い中、すでに半分以上の行程をこなしてきているはずだが、ぜんぜん困憊している様子がなく、若いっていいナと思うことしきり。彼らは日本的な音の差し込みを見せる曲目も持つが、琴とかを購入したく思っているようだ。いかにも草食系のドラマーは、アート・ブレイキーとかアイドリス・ムハマッドが好きだそう。そういえば、ブルーノートやプレスティッジにリーダー作を残す変則リード奏者のジョージ・ブライスが来日中で、この8月にいろんな所で日本人リズム隊と公演を行っているのを今日知る。20日はモーション・ブルー・ヨコハマでもやるが、え〜んすでに予定を入れてしまっていて無理かなー。

ザップ

2015年8月13日 音楽
 わー、やっぱり恰幅のいいアフリカ系男性がバシっと白いスーツを来ていると、ばっちり映えるなあ。オハイオ州デイトンから飛び出し、1980年代に天下をとっていた俯瞰型ファンク・グループ(2010年2月11日、2011年4月24日、2013年1月18日)の公演は、六本木・ビルボードライブ東京にて。ファースト・ショウを見る。盛況。メンバーが登場するときの場内音楽の段階で、下のフロアの客の多くが立ち上がっちゃう。そんな公演も珍しいな。

 全盛期からグループにいただろうテリー・トラウトマン(歌、トーク・ボックス、鍵盤)やレスター・トラウトマン(ドラム、煽り役)を含む、8人編成でのパフォーマンス。演奏、歌、踊り(今回、トンボを切ったものが2名)が渾然一体となり、またそれなりに持ち楽器もかえたりもするショウの進め方のめくるめくさたるや。流れに沿って、メンバーたちはステージを落りたり上がったり、そして衣装もかえるのだが、その凝ったフォーメイションはほんとすごい。そうとう、リハを積んでいるよなあ。衣装転換の頻繁さは統率者たるロジャー・トラウトマン没後の初来日公演となる2010年公演時が一番激しかったと思うが、今回は終盤にスーパー・マンやバット・マンやスパイダー・マンも登場。そういうバカバカしさも、黒人芸能の粋と言えますね。

 そして、やはり音も歌もしっかりしている。本当に、お見事の70分強でありました。そんな彼らはサマーソニックのビーチ・ステージにも出るはずだが、これは彼らのことを知らない人たちにも受けまくるのではないか。ただし、今日と同じ格好や動きをするのなら、担い手たちは暑さで大変であるだろうけど。いや、まんまやったら、マジ大丈夫?

▶過去の、ザップ
http://43142.diarynote.jp/201002150514277396/
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<今日の、三つ子の魂>
 何をそんなに音楽にいれこみ、関わり続けているのだろか。でも、こういう職業にずっとついている人のなかでは、ちゃらちゃらと他のことに興味を持ったりもし、音楽への執念は薄いほうであるのではないかとも、思うところはあるけれど。なんにせよ、中学生のころ、ラジオから流れてくるロックに胸をこがした、そのワクワクドキドキがまだぼくのなかで色あせずに息づいているからではないかなー。ライヴを見る前にキース・リチャーズの23年ぶりに出るソロ作の試聴会にのぞみ、そんなことをふと思った。その内容については、9月1日まで外に出すなと言うこと、です。 世は、お盆。仕事関連メールが少な目で、それを感じました。

 アル・パチーノがダニー・コリンズという役名の老ロック・スターを演じる(←やはり、うまいね)2015年米国映画を、六本木・アスミックエース試写室で見る。ジョン・レノンが1970年代初頭にあるフォーク・シンガーに真面目な書簡を送ったが、それは長らく当事者に渡ることはなかったという実話をベースとするもので、音楽プロデューサーを現ブルーノート・レコード社長のドン・ワズ(2013年2月15日)が担当。ダニー・コリンズが30年ぶりに作ったという滋味曲にはライアン・アダムス(2004年9月17日)が曲作りに関与しているようだ。9月5日から、ロードショー公開される。

 監督はこれが初監督作品となるそうな、ダン・フォーゲルマン。中年の彼は脚本で成功して来た人で、ここでも会話はかなり機微ありで、見ていてクスっとなれる。丁寧に作られているが、何気に登場人物は多くないので、それは映画に入り込みやすいノリを作るか。また、劇中に入る効果音的音楽は多くないと感じた。そのかわり、プロットプロットで(エンドロールでも)用いられるのが、なんと(ソロ時代の)ジョン・レノン曲の数々。10曲を超えるそれらには驚いた。でも、ぼくはと言えば、あまりにジョン・レノン曲に対する思いが強いので、それについては痛し痒しのところも。効果倍増とは感じられなかったわけだが、とにもかくにもロックが重要な材料となる映画だ。

▶過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
▶過去の、ライアン・アダムス
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/

<昨日の、武蔵野>
 武蔵野美術大学に行った。国分寺駅からバスで行ったのだが、あのへん、学校が多いのだな。同大美術館でお盆まで開かれている<ポピュラー音楽の世紀>というそこに生前寄贈された故中村とうようさんのコレクションをソースとするもので、催しの表題は、岩波新書に残された彼の書籍タイトルから来ていますね。文句なく興味深かったのは、実際に音を流したシリンダー型蓄音機やデカいオルゴール。音の出る装置に対する浪漫をくすぐられる。この日は、平日にも関わらず、そういう浪漫を持つ世代(?)でなかなかの盛況。会場で会った知り合いに、ピーター・バラカンさんのトーク・ショーがあるからですよと教えられた。ちょいそのホールを覗いたら、立ち見が出る大盛況。そこで同時に大きなスペースをとって持たれていた、「絵の始まり 絵の終わり 下絵と本画」という展覧会も見させてもらったが、日本画って下絵を重ねたうえで完成されるのか。へえ〜。ともに、無料でした。
 1970年英国生まれでカナダ育ち、そしてバークリー音楽大学を経て、現在はニューヨークで活躍するリード奏者のリーダー・ブループの公演。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ブライクはけっこうリーダー作を持つ御仁だが、今回のバンドはアルバム上では披露していない(と、思う)、彼が自らのエレクトリック・バンドと位置づけるスーパーコンダクターなるカルテット。ドラムのネイト・スミス(2012年5月28日、彼のみ、アフリカ系)、キーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日、2013年3月8日)、ベースのマット・クロヘシーという面々を従える。

 ふむ。ブレイクの他のアルバムではどっしりとした王道ダブル・ベース演奏に徹するクロヘシーはエレクトリック・ベースのみを弾くし、ブレイクはといえば1曲目からEWI(ウィンド・シンセサイザー)を吹き出すし、なるほどこれはエレクトリック志向だと思わせられることしきり。とはいえ、フュージョン的な晴れやかさや分りやすさとは離れたことをしていて、へえ〜。

 まず、リズムが今。そりゃ、現代ジャズ界の辣腕ドラマーと言えるだろうネイト・スミスが叩いているのだから当然と言えば当然なのだが、クロヘシーの妙な抑揚を感じさせる重い(ペラ男くん度数ゼロ)4弦電気ベース演奏との絡みもなんか良い。それが幸いしてか、キンゼイの聞き味もこんなによかったっけかという感じ。彼が弾くリフ/パターンを基調に流れて行くという感じもあるし、彼は時にサックス音やベース・フレーズに鍵盤音をさりげなく重ねることをしたりして、それも効果的だった。

 ぼくがEWI音が大嫌いなのはともかく、ブレイクの肝心のテナー・サックス音もある種の臭みや尖りに欠けるように聞こえたのは、電気傾向バンドでの演奏ということが左右しているか、否か。率直に言えば、テナー・サックス奏者としてのブレイクには少し期待外れだった部分もあったのだが、この妙な現代回路を持つグループ・コンセプトを掲げたということで、今のジャズ・マンとしてのぼくのなかのシーマス・ブレイクの株は上がった。次に見る公演との兼ね合いで、50分しか見れなかったのが残念……。

▶過去の、ネイト・スミス
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
▶過去の、スコット・キンゼイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20091112
http://43142.diarynote.jp/?day=20130308

 そして、六本木・ビルボードライブ東京で、グラミー賞も受賞しているダンスホール・レゲエの大スターのショウを見る。1日1ショウで、20時のスタート。彼って、モヒカン風の頭がトレードマークだったはずだが、今は坊主にしちゃったんだな。

 ショウの前後にも回した(そのときは、EDM調というか、非ラガなものも流しもする)DJ、補助MC、2人の女性ダンサーを従える。やっぱいい声しているナと思いつつ、ダンスホール・レゲエとラップの関係に思いを巡らしたり、そこからレゲエやジャマイカの文化の独自性を考えたり……。

 ジャマイカの担い手には珍しくショーン・ポールは大学を出ているが、ヤンキー濃度が高いなか進むショウの時々にクールネスをにじませる部分もあったような。きちっとショウの全体を俯瞰しているように思えたりもしたし、ああやはりスターだなと思わせる部分も、そこに帰結したりはしまいか。

<今日の、偶然?>
 シーマス・ブラウンのショウ、冒頭3分ほどはスコット・キンゼイの鍵盤演奏。それに触れて、アレレ。その詩的な指裁きや軽快なハネの感覚から、なんとくシャソル(2015年5月30日)のそれと重なる部分を感じさせられた。おそらく、それは偶然であると推測されるが、ブリリアントな指使いや感性を持つからこそ、重なる部分は出てくるということか。これまでぼくはキンゼイのことを高くは評価していなかったので、なんか彼のことを見直す部分、今回のブラウン公演に触れておおいにあり。
 そして、その聞き味の重なりに触れて、今騒動になっている、2020年東京オリンピックのロゴのことを思い出す。きっと、パクリではないだろう。あれだけ大きなやつだと、すぐバレちゃうし、万が一バレたら大事になるのはコドモでも分るだろうから。だけど、違う哲学のもとオリジナルな発想で作ったとしても、先に発表されていたものとかなり似ているのは事実。真似ではないから、先の意匠は登録されていないから、似ていてもそれはしょうがないで済ませてしまっていいのか。プロの矜持を持っていたら、関知してはいなくとももろに似ちゃったわけだし、そこは独自性の欠如を恥じ、作者は作品撤回するのがスジではないのかしら。
▶過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
 こじつければ、偉大な個を持つギターの達人がリーダーとなる公演を、ハシゴ。74歳と、67歳。六本木・ビルボードライブ東京→→南青山・ブルーノート東京。

  デイヴィッド・T・ウォーカー(2007年12月18日、2010年12月11日、2011年6月21日、2013年10月17日)は、ジェフ・コレラ(キーボード、ピアノ)とバイロン・ミラー(エレクトリック・ベース)とリオン・チャンスラー(ドラム)とのもの。サム・ピッキングをけっこう用いるミラーさん、ぐつぐついう音を出していて格好良かった。

 アフター・ビートの効いたオープナーはブルース曲で、お。なんか、コーネル・ヂュプリー(2002年6月25日、2010年8月31日)を思い出す? やはり、ブルースをやっても耳をひくな。2曲目の構成に凝った不思議なむずむず曲は確かオリジナルなはずで、次はザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)の「ストリート・ライフ」。ぼくは好きではないが、この曲人気あるよナ。お客さんの歓び方が違う。で、その次は、いつも演奏するミニー・リパートンの「ラヴィング・ユー」だったっけ?

 そして、それ以降はずっと、彼がセッション・マンとして関与していたモータウン曲をやる。マーヴィン、レア・アース、ジャクソン5、スモーキー、スティーヴィ(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)といった名だたる人の代表曲がずらり。別にモータウン曲演奏に限らないのだが、彼は自らの内にある蓄積の大きさ、ギター演奏の鷹揚さを示唆するがごとく楽曲引用をいろいろ差し込む。癖のある奏法とともに、それもまた彼の名人芸を強く印象づけるのは間違いない。そういえば、彼、エフェクターを繋げている感じがなかったが、ギター・アンプのツマミだけであの音を出しているのだろうか。
 
▶過去の、デイヴィッド・T・ウォーカー
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201012131713443911/
http://43142.diarynote.jp/201106270438075311/
http://43142.diarynote.jp/201310181020496675/
▶過去の、コーネル・デュプリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://43142.diarynote.jp/201009010955348098/
▶過去の、ザ・クルセイダーズ
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/

 ジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日)は、エリオ・アルヴェス(ピアノ)、ロドルフォ・ストロエテール(エレクトリック・ベース)、トゥッチ・モレーノ(ドラム)とのショウ。ベース奏者が変わった。が、基本はもちろん毎度のように(そして、何度見てもいいと思わせるように)けっこうジャズの妙味を経由する瑞々しい大人のブラジリアン・ポップというものなり。

 そんな彼女の新作はジャズ・スタンダードを取り上げたものだが、途中で5曲ぐらいかな、英語でスタンダード・ソングを歌う。なんか英語で歌われたためもあってか、今ジョニ・ミッチェルのような味を求めるならジョイスしかいないともふと思ってしまった。ギターと歌の相乗で鮮やかにスペースを舞う様には、本当に得難い心持ちを得てしまう。彼女は弾き語りで、ジョビンの「3月の水」もやった。もー何もありません。

▶過去の、ジョイス
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
http://43142.diarynote.jp/201407161154441780/

<今日の、目覚め>
 あー、暑いっ。メールのマクラに、<暑いですね>の類が入ることが少なくない、今日この頃。完全に、バテてます。炎天下のなか立っている警備員の方々を見ると、自分の体力のなさにタジタジ(あ、それは真冬も同様か)。今朝は目が覚めると、なぜか風情ありの野鳥ふうの鳴き声が聞こえる。窓からは熱くはない風が入ったりしていて、おやおや少しリゾートふう? いや、でもすぐに都市の夏になってしまうのだが。
 米国ブラック・ミュージックの娯楽性を、秀でたポップネスとともに提示する元クール&ザ・ギャング(2014年12月26日)の滑らかシンガー(2006年11月27日、2014年3月4日)のショウを六本木・ビルボードライブ東京で見る。

 基本のサポート奏者はキーボード、ギター、ベース、ドラム、そしてアルト・サックス(女性)とトランペット奏者。テイラーが管楽器奏者を連れてきたのは初めてではないか。それゆえ、「ジャングルー・ブギー」他テイラー加入前のクール&ザ・ギャングのファンク曲を披露するかと期待したら、それはなし。ピックアップで拾っていた二管の音は精気に欠けており鍵盤で代行してもそれほど違わないかという感じ。アルト奏者は2カ所でソロ・パートを与えられたがその際は完全にスムース・ジャズ調の演奏を見せる。そして、さらに歌よりも動きや雰囲気重視の女性ダンサー/シンガーが2人、いろいろと、主役と絡む。

 ショウの運びは昨年のそれと重なるのかと思ったら、曲や構成をけっこう変えていたのはプロ。ラガ調の部分は前回よりも長かった。途中で1曲、デュエット役のおばさんが出て来たが誰だったのか。また、最終曲「セレブレイション」でザビエル・テイラーというギタリストが出て来たが、彼はJ.T. テイラーとお揃いのキラキラのスニーカーをはいていたりもし、息子なのかな。起伏に富むショウはやはり満足度、高し。

▶過去の、J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/
▶過去の、クール&ザ・ギャング
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/

 その後は、代官山・晴れたら空に豆まいて へ。途中からとはなったが、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)の単独公演を見る。全面的に打楽器やサンプラーのASA-CHANG(2013年6月20日)が加わってのもの。彼、MCで女性陣から弄られっぱなし。すっかり溶け込んでいて、メンバーみたい。

 久しぶりにこのインターナショナル派のユニットを見たが、色あせておらず、まったく“今”だなと頷く。現代的な肉感性/躍動とオツなミニマル性と一握り洒脱がかっこ良く絡まり、音圧豊かな塊となる様にこりゃうれしい、となった。

▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
▶過去の、ASA-CHANG
http://43142.diarynote.jp/201306241438288191/

<今日の、自動車>
 最近、家の近くで、アウディA1をよく見る。VWのポロと土台を同じく持つ、発売されてそれなりにたつ車だが、なんとなくいいナと思えた。ぼく、歳とって、趣味がつまらなくなっているかな。そういえば、先日ホンダのフィットを運転したのだが、信号待ちアイドリング時にエンジンが自動で停止し、ブレーキから足を離すと再スタートした。おお、今の新しいクルマって、エコでそうなっているの? ちょい、浦島太郎気分なり。

 フジ・ロック・フェスティヴァルに出演した熟達米国黒人音楽家の出るショウをはしごする。両会場ともかなりな入り。そして、お客さんが皆うれしそうで、いやーなによりなにより。

 まず、シカゴ・ブルース界の2人の重鎮をフロントに置いたライヴを南青山・ブルーノート東京で見る。前半はエディ・ショウ(ヴォーカル、テナー・サックス)が歌い、中盤以降は90歳らしいヘンリー・グレイ(ヴォーカル、ピアノ音色のキーボード)がフィーチャーされる。サポートはギターのシュン・キクタ、6弦エレクトリック・ベースのフェルトン・クルーズ、昨年はシル・ジョンソンのサポートでフジに出たというドラムのデリック・マーティン(2014年7月29日)。リズム・セクションは今のブルーズ・バンドとしては上位にあると言えるだろう。マーティンは視覚的にも見せようとする人で、曲の最後にいつもジャンプをする。ハハ。

 ショウもグレイも巨匠ハウリン・ウルフのバンドに関与していたということで、“・ウルフ・トリビュート”のお題目がつけられていたが、グレイのほうは「スタッガ・リー」とかいろんな曲をやって、我が流儀を突き進んだという感じか。ショウの歌は濁りがあり、グレイのほうはほつれの感覚がぐいぐい体内に入ってくる。濁りもほつれも、ブルースの重要要素であると思わされることしきり。ぼくはグレイのほつれのほうがより魅力的に感じられて、グっと来た。

▶過去の、デリック・マーティン
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/

 そして、渋谷・クラブクアトロで、日本の好ジャンプ・バンドとデキサス州ヒューストン生まれ/在住の個性派女性ヴォーカリストの共演を見る。ぼくが会場入りしたのは、ブラウンが出て来てブラッデスト・サキソフォンに重なった少し後だったようだが、ものすご〜く良かった昨年の両者の共演ステージ(2014年6月28日)をばっちり超えるもの。もうジュエルの剛毅な歌の味、ブラッデスト・サキソフォン(+ピアノの伊東ミキオ)の伴奏、その両者の信頼関係ある重なり、もう完璧と言いたくなる出来ではなかったか。で、去年より両者が一緒にやる時間が3倍になっていたのではないか。イエイ。とにもかくにも、ジャズ←→ブルースの醍醐味をがぶりっと鷲掴みし、精気と歓びに満ちたものとして送り出されたものを受け止める興奮と幸福感たるや。米国黒人音楽として重要なものがただただ横溢、素晴らしすぎました。

▶過去の、ブラッデスト・サキソフォンとジュエル・ブラウン
http://43142.diarynote.jp/201406291238493838/

<翌日の、宝石>
 ジュエル・ブラウンのさよならパーティ会場で、彼女とブラッデスト・サキソフォンを率いる甲田伸太郎(彼はパーティのシェフとしても活躍)にインタヴューする。ブラウンさん、もうステージで見せる様と同じ、ガハハな好おばあちゃん。ほんと、いい味を持っている。なんと、今回は単身で来日したという。1960年代のルイ・アームストロング楽団にいたときの映像を見ると可愛らしくキラキラ輝いていてなるほど“ジュエル”だと思わされるが、それはお母さんからつけられた愛称であるという。
追記)インタヴューのテープを起こしたら、ジュエルさんの声のデカいこと! うひゃあ。8月売りのジャズ・ジャパン誌に掲載、なり。
 アルト・サックス、そしてバリトン・サックスがリーダーの実演をハシゴする。六本木・ビルボードライブ東京と下北沢・THREE。

 まず、メイシオ(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)。ぼくが見た2013年公演と、同行するメンバーは一人をのぞいて同じ。前回参加の甥のマーカス・パーカー(ドラム)だけが抜けて、今度の新ドラマーはニッキー・グラスピーというブレイズ頭の女性。もしかして、彼女を除く演奏陣はもう20年ぐらい不動かも知れぬ? マーサ・ハイ(2005年9月6日、2007年9月13日、2013年2月2日、2014年12月30日)とダーリン・パーカーという女性コーラス陣も前回と同じだ。マーサ・ハイと比べると歌唱力が見劣りするダーリン・パーカーは性格が良さそうだが、メイシオと血縁ありかなしか。

 で、始まってしばらくはおなじみの行き方と思ったが、徐々に、今回は構成をいろいろシフトしていると思えたりも。一つは、オレがバンマスというところは出す一方、メイシオ・パーカーがかなり他のメンバーをフィーチャーするパートを与えていたこと。近年、そんなことなかった。結果、元P-ファンクのトロンボーン奏者のグレッグ・ボイヤーってそんなに上手くないことを確認させられたりもしたわけだが。逆に、ごんごんソロを取る曲もあったギターのブルーノ・スペイトは刻み以外の味も良い事を知る。彼ぜんぜんエフェクターは繋いでいないが、いい感じの濁った音を単音主体ソロで出していたな。キーボードのウィル・ブールウェアもいろいろと前に出る場面もある。それ、メイシオ・パーカーの負担軽減という部分もあったろいうが、それ以上に同じ顔ぶれでやっているがゆえマンネリにならないための変化希求と、ぼくには思えた。

 そうした末広がり指針(曲もアップ目主体とは言えなくなったと指摘できるだろう)は散漫という印象も導くが、それはドラマーの味も左右したかもしれない。ニッキー・グラスピーはちゃんとJB系ビートを出していたが、女性ゆえのダイナミズム/瞬発力の少なさは全体の強度や密度に影響を与えていたと思う。

 なんにせよ、ブラック・ファンクに欠かせない重要な種や癖、そしてエンターテインメント精神にあふれるショウ。よりスリムになりどこか精悍さをましたところもあるようなメイシオはステージ上で陽性の限りをつくしても、どこか陰影を感じさせる部分がある。だから、そんな彼は、スライの「イン・タイム」のカヴァーも似合うのだ。そういえば、彼はレイ・チャールズの真似をして歌うものもあった。

▶過去の、パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、マーサ・ハイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070913
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/

 そして、下北沢に向かい、初めてのハコへ。だいぶ駅から三軒茶屋のほうに降りた所にあるハコで、安売り酒屋の地下にあり、その地階にはもう一ライヴ・ハウスが入っている。

 浦朋恵はクレツマー音楽に傾倒もし、一時はラリーパパ&カーネギーママ(2005年9月10日)にも在籍したことがあるという、バリトン・サックス奏者。おおらかな佇まいと好奇心旺盛さとどこかポワーンとトボけた諧謔が同居していて、それはバリトン・サックスの超然とした音色と繋がりもするか。この晩は、新作『なつめやしの指』(P—ヴァイン)リリースを受けてのもの。同作のプロデュースをしたオルガンのエマーソン北村(2005年2月15日、2006年8月24日、2010年9月19日) 、ギターの秋廣真一郎と八木橋恒治、 電気ベースの服部将典、ドラムの伊藤大地(2013年2月5日、2013年9月20日) 、パーカッションの宮本仁がサポート。部分的に、モッチェ永井もヴォーカルで加わる。

 彼女は、メロディを素直に吹き、曲によってはほんわか歌も披露する。演奏する曲調は主に、イ)マーティン・ディニー系エキゾ和み表現、ロ)スカ、ハ)ホンクなR&B、の3つと指摘できるか。伴奏陣は手堅く、確かな蓄積を感じさせ、そこには、もう一つの趣味性の高い日本の音楽シーンの積み重ねがあるとも思えたかも。他人曲もほのぼの取り上げているようだが、原曲を知らなくてもちゃんと彼女化されているのだろうなと思わせるのがポイント。確かな、キャラクター・ミュージックを送り出していると思った。

▶過去の、ラリーパパ&カーネギーママ
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▶過去の、エマーソン北村
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http://43142.diarynote.jp/?day=20100919
▶過去の、伊藤大地
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<今日の、街頭>
 ライヴを見る前に髪の毛をカラー/カット。いつもの店に行くために表参道を少し歩いたら、かなり夏リゾートっぽい感覚にあふれていて、あららー。浴衣もちらほら。ところで、どうしてアップルストアの横を通ると(表参道にもあります)少しイヤな気分になるのだろう? その後、二つ目のライヴを見るために、下北沢の通りを歩いたら、飲み屋やカラオケの客引きが多くて驚く。ずっと、こうだった? なんか感じ悪ぃ〜。
 ピアニス/レンジャーのクリヤ・マコト( 2010年2月17日、2010年4月15日、2013年7月12日)のリーダー・ライヴ。彼に加えて演奏陣は、縦と電気ベースの納浩一(2010年2月17日、2010年9月1日、2011年12月20日)、ギターの吉田次郎(4月にソニーから出したアルバムと違い、子供っぽいエフェクト音によるロッキッシュな演奏を主にしていた)、アルト・サックスの本田雅人(2011年3月28日)、トロンボーンの中川英二郎( 2011年3月28日、2011年4月21日)、トランペットの中村恵介、ドラムの大槻"kalta"英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年2月17日、2010年11月26日、2013年7月1日、2013年9月13日)。編成はいろいろで、管楽器奏者やギタリストは出たり、入ったりする。目黒・ブルースアレイ・ジャパン。とっても、混んでいた

 各ソロもたくさん組み込まれるし(ある曲でのひねくれた本田のソロに頷く)一言で説明するならジャズとなるのだろうが、自作や他人曲(ポップやジャズの有名曲)を立ったビートといろいろ仕掛け/構成のもと整合性高く披露していく様はフュージョン的であるとも言えるか。いろいろなアイデアや遊びを入れつつ破綻や軋轢のない明晰な表現総体に持って行く手腕を、クリヤは存分にアピール。出音は小さくなかったが、意思統一された各奏者の音がちゃんと聞こえたのは、その理解を助けた。

 そうした指針は意識的にポップ・ミュージック的な明快さを存分に入れているとも説明できるだろうし、もちろんヴォーカル曲もあり。1部にはSHANTIが、2部にはMARU(2010年2月22日)が出て来て2曲づつ歌い、2部の最後には2人で一緒にスティーヴィー・ワンダー曲を歌う。そして、アンコールにはショウを見に来ていたマリーン(2013年7月12日)も加わり「ルート66」を3人で歌う。その際の、3人の女性シンガーの掛け合いは見ていて、おもしろかった。

▶過去の、クリヤマコト
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
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▶過去の、本田雅人
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▶過去の、中川英二郎
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
http://43142.diarynote.jp/201104220822547067/
▶過去の、納浩一
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http://43142.diarynote.jp/201112261516311523/
▶過去の、大槻英宣
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
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http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
▶過去の、MARU
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
▶過去の、マリーン
http://43142.diarynote.jp/201307160734103127/

<今日の、情報>
 8月に入ると、クリヤはこの晩の納、大槻、吉田、さらにパーカッション奏者の安井源之新(1999年6月3日、2014年9月27日)を入れたクインテットで、ブラジル4都市公演を行うとか。その際は、もうすぐ(夏場の恒例で)来日するジョイス・モレーノ(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日)も加わるそう。彼女が滞日中にミーティングするそうだ。
▶過去の、安井源之新
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
▶過去の、ジョイス
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
http://43142.diarynote.jp/201407161154441780/

 わっとなり、ええっと感じ、いろいろと思いが頭のなかをまわり……。

 ジョン・コルトレーンへの人気作『史上の愛』(インパルス!、1965年)をやっちゃいますよという公演で、テナー・サックス奏者のジョー・ロバーノ(2005年6月2日、2008年10月8日)、アルト・サックスの寺久保エレナ(2013年7月27日)、ピアニストの山下洋輔(1999年11月10日、2004年7月27日、2006年3月27日、2013年7月10日2009年7月19日、2013年7月27日)、ベース奏者のジェラルド・キャノン(2008年9月10日)、ドラマーのフランシスコ・メラ(2009年1月7日。タム類のヘッドを少し客席側に向けるセッティングを取っていた)という、面々による。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アフリカ系米国人リズム・セクションは木曜から日曜にかけて同所に出演するマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)の演奏もサポートし、そこにはロバーノも加わる。

 約1時間、切れ目なしに『至上の愛』の全4部パートが披露される。ロバーノ(一応、リーダーシップを取っていたか)は譜面なしで事にあたっていたが、その様を見ると、ぼくが感じていた以上にコルトレーンへの思慕は強そうだし、バリバリと吹いていた。だが、個人プレイとグループ総体の持ち味はまた別。他の奏者も巧者なはずだが、なんかギスギスしているというか、効果的にピントがあわないというか、生理的なもどかしさをなんか感じさせる。で、それがはっきりしたのは、スピリチュアルなという形容もありの『至上の愛』曲の彼らなりの披露を終え、コルトレーンも『ソウル・トレーン』(プレスティッジ、1958年)で取り上げたりもしている、ビリー・エクスタインのいかにも歌ものっぽいおおらかさを持つ「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」の寛いだ、いい感じの5人の演奏に触れたとき。

 なるほど、合点がいった。やっぱり、アブストラクトな手触りも介して、尋常ならぬ奥行きや伸縮性などを出すようになったこの頃のコルトレーン(1967年に死去)は規格外であり、イっちゃってて、共有するのが困難なものであるという事実を、ぼくは痛感。うーぬ、後期コルトーレーンはただ者じゃなさすぎて、スペシャルすぎるもの、也。ある意味、ロバーノたちの演奏は、コルトーレンのイブツ感、独自すぎる世界のようなものを、ひりひりと(本人たちは望まなかったかもしれないが)出していた!

 そういえば、実演に接しながら、ぼくは20年ほど前にしたインタヴューをふと思い出した。それは、当時UKトーキング・ラウドから音を出していた、日本のDJクリエイター集団、ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイションとのもの。当時かなりインターナショナルなスタンスで活動していた彼らは、そうそうたる顔ぶれが集まった『ストールン・モーメンツ レッド・ホット+クール』(GRP、1994年)に楽曲(オリヴァー・ネルソン作曲の「ストールン・モーメンツ」)を提供したことがあった。彼らは、その際に同作発売元のGRPやコルトレーンが在籍したインパルス!や彼らが所属したトーキング・ラウド/フォノグラムらを持っていたポリグラムにコルトレーンの曲をサンプリングしたいとオファーを出したのだという。そしたら、答えは「コルトレーンは一切だめ。他のアーティストは誰をサンプリングしてもいいが」というものだったそう。
 
 その是非はともかく、ジャズを大切にしない米国でも、ジョン・コルトレーンはアンタッチャブル、聖域に置かれた存在だったのだ……。

▶過去の、ジョー・ロバーノ
http://43142.diarynote.jp/200506021851060000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
▶過去の、寺久保エレナ
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
▶過去の、山下洋輔
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http://43142.diarynote.jp/?day=20040727
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http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
▶過去の、ジェラルド・キャノン
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
▶過去の、フランシコ・メラ
http://43142.diarynote.jp/200901080850146753/
▶過去の、マッコイ・タイナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/

<今日の、空白>
 かなり、久しぶりにライヴに行く。東京にいたのに、なぜ、こんなに空いたか。スライ&ザ・ファミリー・ストーン『暴動』の「暴動」なる(無音の空白部分に、クスリにはまっていてもクールだったスライはそうなずけ、曲番号も取った)もの、なーんて。そういえば、今出ているレコード・コレクターズ誌にアルバム『暴動』、そしてその因子を継ぐアルバムのことをいろいろ書いている。書いていて、楽しい原稿だったな。……しかし、こんな為政者のもとで暮らす日が来ようとは。
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/
 洗足音楽大学ジャズ科を母体とする若手ビッグ・バンドの公演を少しだけ、見させていただく。話には聞いていたが、なるほどぉ。新宿・ピットイン。多くの客は若い。

 女性アレンジャー/指揮者が率いる、全22人のジャズ・オーケストラ。シンガーやヴァイオリン奏者がいたり、エレクトリック・ギター奏者が2人いたりという編成、なり。ベースは電気と縦の両刀、にて。お、今はカルナバケーションと名前を変えたサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日)の管セクションをやっていたゆうかちゃん(今、たおやめオルケスタ〜2011年4月8日〜にも入っている)や一徳くん、在日ファンク(2010年9月25日)やWUJA BIN BIN(2014年6月13日)でサックスを吹いている後関好宏も構成員にいるな。

 そのバンド名はジミ・ヘンドリックスの著名曲から来るのだろうか? でも、ギター奏者たちや音の重なりに(ぼくが接した曲においては)ヘンドリックスぽさはなし。まあ、その必要はまったくないが。菅の重なりは多少ギル・エヴァンス流れと思わせる部分もなくはないが、エヴァンスの1975年ヘンドリックス曲集への憧憬から来ているのではないよな。あのアルバムに「パープル・ヘイズ」は入っていなかったし、ぼくはあのレコードをエヴァンス作品のなかでは出来が良くないと判断している。ま、廣瀬の世代だとエヴァンス御大よりも、弟子筋のマリア・シュナイダー(2012年12月17日、2013年12月17日)により刺激を受けているかな。

 即、聞いていてフフフフとなっちゃった。もう私のビッグ・バンド表現を、保守本流とは一線を画した私のアレンジを、という強い意欲がいろいろと出た音であったから。オリジナルに交えチャールズ・ミンガス曲(「フォーバス知事の寓話」)を取り上げる根性も良し。その曲が入った『ミンガス・アー・アム』(コロムビア、1959年)の濃くも奔放な菅の絡みは永遠。秋吉敏子(2013年4月30日)にせよカーラ・ブレイ(1999年4月13日、2000年3月25日)にせよ、イケてる女性編曲者/バンド・リーダーはミンガス薫陶の色が強いと言えたりするか。まだ20代半ばだろう廣瀬の内に取り込まれた音楽ヴァリエーションの蓄積量が才気についていっていない部分もある〜それゆえ、陳腐に聞こえるところも、ぼくにはある〜が、その気概に満ちた総体には大きく頷く。ただ、実演奏のアンサンブルが整っておらず、(バンドの方向性に沿い、ありきたりじゃない方向のものを取ろうとしている伝わるものの)ソロも強くない。

 文句無しに感心したのは、歌の使い方。テーマ部とソロ部の両方に女性ヴォーカリストはフィーチャーされたが、その使い方は臭くなく、秀逸。それは、どこか旧ジャズ文脈からもう一つの土壌に表現を動かす力を持っていて、ほうこれはと思わせられる。確かな音程のもと、その重責をになった大塚望というシンガーも秀でた歌い手と思った。他のソリストも彼女ぐらい輝きを持たなきゃ!

▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
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▶過去の、たをやめオルケスタ
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▶過去の、在日ファンク
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▶過去の、WUJA BIN BIN
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▶過去の、マリア・シュナイダー・オーケストラ
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http://43142.diarynote.jp/201312181034409673/
▶過去の、秋吉敏子
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▶過去の、カーラ・ブレイ
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<今日の、陽光>
 ちょい梅雨期を思わせる天候を経て、なんか夏の日差し。早朝から出歩いたりしたら、陽光の魅力を感じつつも、早々と夏は疲れるなあという気になっている。はあ。夏にドキドキ、なんていう所感を、昔ぼくは持っていたっけ? いたか。夏休み(と、その開放感)込みの思いであったと思う。
 まず、南青山・ブルーノート東京で、インコグニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日)を率いる温故知新派ギタリストのソロ・プロジェクトを見る。前回のブルーイの来日公演も個人名を立てたショウ(2013年6月17日)だったが、今回はインスト中心でラテン的な揺れを介そうともするプロジェクト名を出してのものとなる。そしたら、実際はヴォーカル曲も多く、インコグニートのメンバーを主体とする気の置けない仲間たちといろんなことを屈託なくやろうとしたものなり。

 管楽器はトランペット奏者のみで、全9人にてパフォーマンス。『シトラス・サン』のアルバムにも参加していた元ガリアーノのヴァレリー・エティエンヌ(2008年5月9日)に代わり初来日だそうな女性歌手のスリーン・フレミング以外は、2013年公演と同じ顔ぶれなり。

 ただし、今回はそこにブルーイが現在応援しているポルトガル人ギタリストであるフランシスコ・サレスが加わり、3ギターで表現にあたる。基本ジム・マレン(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2006年3月8日、2007年3月8日、2013年6月17日)がリード・ギターをフィンガー・ピッキング で弾き、ブルーイとサレスは刻みのほうを担う。実際は2人いればOKという音楽構成を持つ表現なので、ブルーイはギターを置いてシェイカーをふったり、リード・ヴォーカルを取ったりもする。2曲だったかのそれ、実に堂々と歌うようになったなと少し驚く。猫なで声でなくなっていて、ちゃんとヴォーカル・トレイニングを受けるようになったのか。それは、性格の良さと相乗するもので、聞いていて悪い気はしない。

▶過去の、インコグニート/ブルーイ
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http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/201306190743528192/
▶過去の、ジム・マレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm 5月21日
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▶過去の、ヴァレリー・エティエンヌ
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 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、米国人気トランペッターの実演を見る。彼のプロダクツはスティング(2000年10月16日。エスタブリッシュされてから、ボッティはスティングのバンドに一時入ったことがある)やジャキス・モレレンバウム(2005年5月23日、2005年7月24日、2008年8月22日、2014年8月3日)他、才人がいろいろと入っているが、今回のバンドにも名手が入っていて、それがボッティ流のスムース・ジャズ調表現にどう組み込まれるのかというのが、ぼくの一番の興味だった。

 同行奏者やシンガーは出たり入ったりし、いろんな単位のもと、「アランフェス」からジャズ・スタンダード、バカラック曲(「ルック・オブ・ラヴ」だったが、リズム・アレンジが凝ったものだったな)まで、いろんな属性を持つ曲が披露される。本人にくわえ、歌手2、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、キーボード、縦/電気ベース、ドラムという陣容にて。さすが、みんな上手い。仕掛けもいろいろと見られるが、譜面を置いている人は誰もおらず、きっちり準備されたことをやっているのも、すぐに了解した。やっぱ、マジな米国人は腕がたつ。先のブルーイのバンドだってロンドン在住の好奏者を集めているはずだが、続けて聞くと米国音楽界の大きさを思い知らされる。

 事前にぼくが気になった参加者は、ピアノのジェフリー・キーザー(2005年1月18日、2006年9月17日)やドラムのリー・ピアソン(2010年2月22日)やシンガーのサイ・スミス。ピアソンの芸達者で視覚的にも楽しいドラム・ソロにはほう。ぼくが過去みたなかでも、これはトップ級にアトラクティヴかもしれない。3曲は大々的にフィーチャーされたスミスの歌声、技量、物腰にもおおいに魅了される。何枚ものリーダー作を持つR&B歌手で、2000年代上旬に一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴォーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日、2014年10月23日)に入ったりもした人だが、聞き手にしっかりと働きかける力を持っている、こんなに魅力的な歌手とは思わなかった。ぼくの頭のなかにしっかり登録しよう。たっぷりと歌うもう一人のジョージ・コムスキーという男性歌手は、短いオペラ調の曲のためでけに同行させたみたいだ。

 確かボッティは1926年に作られたマーティンのトランペットを大切に使っているはずだが、あんなエコーをかました1本調子の音色なら、ヴィンテージ・モデルが泣くな。うーむ、技量はやはり滅茶長けているという感じはバリバリなのだが、どうして奏者の繊細な息づかいや表情を完全にスポイルする音色を彼は平然と採用するのか。分らなさすぎる。各曲は結構いろんなクォーテイションあり。うち「ソー・ホワット」、「ブラック・サテン」や「ツツ」などマイルズ・デイヴィス絡みのものも少なくなく、ボッティの底にはデイヴィスがいるのを再確認させられもした。

 お子様向けエンターテインメント設定を繰り出す場面はちょっと鼻につくが、米国音楽シーンの豊かな積み重ねを下敷きにする、お金のとれるショウであったのは間違いない。堂々、90分の尺なり。

▶過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
▶過去の、モレレンバウム
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
▶過去の、ジェフ・キーザー
http://43142.diarynote.jp/200501222324430000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060917
▶過去の、リー・ピアソン
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
http://43142.diarynote.jp/201410251056112035/

<今日の、偶然>
 今晩、見た出演者は、ともに9人の編成。割り切れない奇数のほうがグループ表現は引っかかりや予期せぬ深みが出るとインタヴューした際に力説したミューシャンがいたけど、誰だったっけ?

プーさんが亡くなった。残念だ。でも、彼が残した珠玉のアルバムは永久に輝き続ける。

2012年6月26日、新宿のホテルで行ったインタヴューを以下に載せます。彼にインタヴューするのは3度目(他は、ブギー・バンドの2枚組ライヴ盤を出しただしたときと、『ドリーマシン』をリリースしたときだった)で、ジャズ・ジャパン誌用にとったもの。けっこう、若い語り口を持つ人でした。



@まず、聞きたい事が一つ。ポール・モチアンと日本では表記されたりもしますが、あれはモーシャンと読むべきなんでしょう?
 モーシャンだね。英語読みさせている。トルコ系なんだよな。
@ところで、なぜ疎開先が会津若松だったんですか? ぼくは住んだことはないんですが、本籍が近くの喜多方なんですよ。
 両親が会津若松なの。(疎開していた際、)喜多方の病院の院長の奥さんの、ピアノの愛弟子だったんだ。女学校の音楽の先生をしていた。会津若松には若松女子高と会津女子高と女子高が二つあって、若女のほうの音楽の先生だった。それで、ピアノを習っていたの。小学校はいってない頃だよね。ずいぶん古い話しているなあ(笑い)。
@そのころは、クラシックを習っていたんですよね。
 うん。その前、(東京で)最初についた先生はすごい、いい先生だったよ。
@では、スタートラインは恵まれていたんですね。
 いやあ、家がうるさかったからね。親父がうるさかった。最初はピアノじゃなく、音感から入った。聴音から。ピアノはその後。ヴァイオリンもやったよ。最初の(聴音の)先生が進歩的な人だったから、すごいためになっているよね。その後、(疎開先で)若女の先生にちゃんとピアノを習った。彼女はいい人だったんだけど、あまり面白くはなかったよね。でも、俺、家をでるとき、その人から金をかりたんだよ。18か19歳のころかな。
@じゃ、ちょうど芸大の付属高校をでたあたり。
 俺、大学に入学拒否にあったんだ。付属だから本来は入れるはずなのに、行けなくてさあ。寒いので、俺が教室でたき火をしたのがいけなかったのかな。芸大の付属高校の二期生なんだけど、兄貴は一期生だし、弟は四期生か五期生だったのかな。寒かったから、たまたまそこにあった下級生の答案用紙を少しづつ燃やして、暖をとったの。そしたら、答案用紙だったから大問題になった。そういうことが続いていたからなあ。当時の芸大の作曲科というのは、ドイツ学派とフランス学派というのがあって、フランス学派のほうは池内友次郎(1906〜1991年)という、高浜虚子の息子だった。ドイツ派のほうは下総皖一(1898〜1962年)という人で、その弟子の松本民之助(1914〜2004年)っていう人が、俺たち高校の作曲家の先生だったの。当時、高校の同期の作曲科は3人で渋谷(毅)は同期で、俺は入学拒否にあっちゃった。最後の三次試験で落とされちゃったんだけど、俺がベスト・スコアだったんじゃないかな。でも、一番評判よかったのは渋谷だったのかな。
 あのころ、芸大の洋画の主任教授が俺たちの高校の美術の先生として週一で来ていた。俺の親父は日本画の絵描きじゃない、だから子供のころから徹底的にデッサンをやらされていたから、授業で接した俺に才能あると思ったらしく、その先生が洋画のほうに試験なしでいいから来いと言ってきた。当時洋画のほうは競争率700倍だったから、それはうれしかったけどねえ。だけど、音楽に興味を持っていたじゃない、それで1週間まってもらって、結局ありがたいんだけど音楽に進みたいと断った。そしたら、音楽の方からは大学落とされちゃって、不良だっていうので。
@その後、もう絵筆は握らないんですか。
 やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロ(演奏)を始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕じゃないわけ。で、俺はそれを見て、突然これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ。
@『サンライズ』(ECM、2012年。録音は2009年で、今のところ遺作となる)はそれを経ての録音になりますよね。
 そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず。 
@シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
 ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。ところが、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それで物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね。
@意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
 やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それができる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの。
@今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが。倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、息を飲みました。
 それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ。
@基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。 
 書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ。
@話はもどるんですが、本人の意には反したかもしれませんが、大学に行かず高校を出た後、わりとすぐにジャズ界で頭角を著したという印象があるんですが。
 最初の仕事は、厚木の将校クラブの演奏。そういうのは、長いよ。
@10代のうちに、すでにレコーディングもやっていませんでした?
 武満(徹。1930〜1996年)さんのが最初。なんて言ったけか、篠田(正浩、1931年生まれ)の最初のほうの映画の仕事で「乾いた湖」(寺山修司脚本、1960年)で、音楽を担当する武満さんが音楽を担当したやつ。武満さんは八木(正夫。1931〜1992年)ちゃんを使うつもりで作ったんだけど、ちょうど八木ちゃんがヘロインで捕まって、それは必要だと正当付けするため東大医学部に入院しちゃったの。それで演奏できなくなって、多分八木ちゃんが俺を推薦したと思うんだけど、武満さんから電話があった。俺20か21歳かな、それで武満さんとはけっこうつきあったの。
@武満さんの理想って、作曲家ではなく、ジャズ演奏家だったらしいですね。
 らしいよね。彼がNYに来ても一緒にハンバーガー屋に行ったりして、楽しかったんだけどね。彼はイエール(大学)に出入りするようになってから、名誉欲が出てきて、おかしくなっちゃった。昔は、あの人のこと大好きだったな。
@もともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
 芸大の付属にいるころだよね。1年か2年、渋谷とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってねえ。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ。
@同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
 あー、あれはある種の失敗作だよ。
@えー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
 いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミス・キャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?
@ええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
 あれ、まあまあのアルバムじゃない?
@では、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
 『ススト』(1981年)は良くできているよね。
@だって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
 いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー。
@やっぱり、『ススト』はお好きですか。
 あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした。
@あれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
 だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね。
@あれは、後から相当編集しているんですよね。
 うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている。
@『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
 いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)を入れてLAと同時録音したじゃない? ああいうの、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね。
@『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
 あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね。
@60 年代後半に一時バークリーに行ったり、その前後、ギルとか、ジョー・ヘンダーソンやエルヴィンとか向こうにちゃんと住む前にも米国人とは絡んだりしているんですが、やはり日本にいちゃいけないな、住めないなとか感じていたりしたんですか。もう、来年で40 年になりますよね。
 あ、そうなんだ。移住は1974年じゃなかったかな。俺も思い切って行っちゃったよね。
@行く人は少なくないけど、大抵は戻ってきてしまうじゃないですか。
 いや、最初のころ鯉沼がお金だしてくれていたからだな。
@行ったら行ったで、居心地がいいという感じだったんですか。
 居心地いいというか、音楽がやりやすいよね。いいミュージシャンが簡単に手に入るもの。
@そういえば、今回のライヴにおけるギタリスト、トッド・ニューフェルドはどうやって見つけたんですか。だって、アコースティックな路線でギターなんか入れたことないですよね。どうなるのかなと思ってショウを見たら、ああいう(デレク・ベイリーみたいな感覚派の)ギタリストを見つけたから、このトリオ編成でやる気になったのだと思いました。
 最初はベースを探していたの。なんかポール(・モーシャン)がいいベースがいると言ってきて、それで(ベースの)トーマスに電話して、一緒にやったんだけど、2回目まではハプニングしなかった。それで、3回目でもハプニングしなかったらあきらめようと思ってやったら、そしたらあいつすごいんだよ。それで一緒にやることを決めて、それがもう3年以上前かな。それで、そこに(ギターの)トッドも加わってやったら、最初のレコーディングからすごいのが1トラックできてさ。あ、これでやろうと思ったね。それで、そのトラックをポールに送った。そしたら、電話がかかってきて、プー、ヴァンガードに連絡してすぐに仕事とれ。そのトリオに俺が入るからって。でも、俺が断っちゃったの。だって、それだとポールと俺のカルテットになるんだろ? と。俺、それはいやだ、と。けっこう、ポールは腹黒い所がある(笑い)。
@じゃ、ポール・モーシャンが亡くなっていない時期に、ギタリストのトッド・ニューフェルドとはもうやっていたんですね。
 うん。俺は今、これにアンドリュー・シリルを入れようと思っているもん。あの人、いいドラムだよね。
@そもそも、ニューフェルドとはどうやって知り合ったんでしょう?
 たまたまだよね。若い連中が俺のロフトに出入りしだして、それでセッションしたりして。それでレコーディングしたら、最初のトラックを聞いて、こいつにしようと思った。トーマスもそのときから比べるとすごいよね、あいつ売れてしまったもん。急速に伸びたよね。トーマスとはデュオでもずいぶんレコーディングしているんだけど、1枚のアルバムにしようと思って、けっこうすごいアルバムになった。それと、この3月16日に(今回のライヴのトリオの)3人でレコーディングしたものがあって、それも凄いのよ。
@一時、昔は電気キーボードとか沢山おいていた時代もあったと思うんですが、現在はぜんぜん持っていないんですか。
 コーグのオルガンがあるよ。あそこの会長がすごい俺に良くしてくれた。俺が電通のためにいろいろ作ったとき(1980年代中期、ポリスターからシンセサイザーによるアルバムを7作品出した)、あのときコーグが俺に山ほどシンセザイザーを提供してくれて、それでブルックリンのスタジオを借りたんだよな。
@そのころ録ったエレクトリックものって、沢山音は眠っているんですよね。
 いや、録ったものはほぼ出ているよ。
@1990年代に入って、ハウスぽいものも作っていたりもしたと思うんですが。
 そのあたりの音もないよね。一時そういのに興味を持って、やり始めたことはあるけど。やったんだけど、なかなかいいDJが見つからなくねえ。ワレス・ルーニーと来た時あったじゃない(2004年11月、ブルーノート東京)、あのときはDJロジックが一緒に来たけど、あの人もどうやっていいか分らないんだ。ワレス・ルーニーがディレクションできなくてね。彼の女房のジェリ・アレンもいて一緒にやったけど、2キーボードだと難しいよね。
@でも、あのライヴを見て、ぼくは器用にプーさんの音だけを抜いて聞いて、ブギー・バンドの音みたいだと喜んで聞いてましたよ。あのときの、ルーニーの田舎ヤクザのような格好は凄かったですね。
 あの人は、なんでもマイルスだから。
@去年、震災のすぐあとにピットインで、病に倒れたプーさん支援のコンサートが行われたりもしましたが、こうやって会っていると、元気そうですよね。あのときは、どんだけ具合が悪いのかと思ってしまいました。
 いや、まだ具合が悪いよ。
@だって、食欲もあるみたいじゃないですか。(←取材中、これはうまいよと言って、パンを食べていた。一緒に食べないと、すすめてもくれた)
 だって、お腹はすくもの。良く生きているなという感じ。
@ぼくは今回のブルーノート東京でのライヴを見て、うなり声もいっぱい出るし、椅子から腰を上げてピアノを弾いたりもしたし、わあ元気だと思いました。とともに、これからもいろんなプロダクツを受けることができると、確信しましたね。
 とにかく、肺だからね。今、生きているのが不思議なくらい。だから、怖いものがないよ。いや、俺ほんとよく生き延びたと思うよ。でも、俺は生きているかぎりは音楽をやるから。

 ここに来て、まさかUKロック界の名プロデューサーがアーティストとして前に立ったライヴを見る機会があるとは思わなかった。デイヴィッド・ボウイやT・レックスは、もし彼が手掛けていなかったら? という、“たら”の項目で語れるかもしれないビッグ・ネームですね。そんな偉人ヴィスコンティはなんの気負いもなく一番最初にステージにあがり、エレクトリック・ベースを手にする。おお、フツーに弾くぢゃん。そういえば、ポール・マッカートニーが彼のベースを評価しているという話があったか。1941年、NY生まれ。飄々とした彼は年齢よりも若く感じられるし、パっと見た目は素直そうで、偉そうなところもまったくない。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ヴィスコンティと同等に名前が出されているウッディ・ウッドマンジーは、『スペース・オディティ』(1969年)から『アラジン・セイン』(1973年)あたりにかけてデイヴィッド・ボウイの屋台骨を支えたドラマーだ。溜め(ポケット)はないが、叩き込むパワー・ドラマーですね。今回の彼らの双頭公演はボウイの1970年作『世界を売った男』の楽曲を演奏するというお題目がつけられており、全曲をやるのは今回の日本が最初である由を、ヴィスコンティはMCした。

 リズム・セクションを組むその二人に加え、リード・ヴォーカル、ギター3(うち、一人は12弦アコースティック・ギターを弾き、終盤はテナー・サックスも吹いた)、キーボード(女性)、女性バックグランド・ヴォーカル2という布陣で事にあたる。コーラス隊の2人はヴィスコンティの娘と、ヴィスコンティ関与期+のデイヴィッド・ボウイのバンドでギターを弾き(そのころ、ルー・リードにも重用された)、ソロとしても活動したミック・ロンソン(1993年死去)の娘だそう。

 演目は告知通りに、『世界を売った男』をまんまやる。まず、すぐに合点がいったのは音がデケえ。でも、皆、演奏はちゃんとしていた。リード・ヴォーカルを取ったのは、ヘヴン17のグレン・グレゴリー。おお、出音の大きなバンド音に負けない、朗々とした、確かな歌い口。ボウイの強い残像を内に抱える人以外は、彼の歌に納得がいったのではないか。

 その後、アルバム曲を全部やったあとは、初期ボウイ有名曲を続々と披露。「チェンジズ」、「タイム」、「サフラゲット・シティ」、等々。ヴィスコンティ不関与の曲もやったはずだが、マッケンジーが全部叩いた曲ではあるのか。そういえば、ボウイやミック・ロンソンが関与したイアン・ハンターのモット・フープルのアンセム臭あふれる「すべての若き野郎ども」もやった。

 後ろ向きといえばそうなのだが、ぼくは楽しんだ。これが、もっと思い入れのあるT・レックスだったら。いやはや。

 その後、丸の内・コットンクラブで、LAを拠点とするサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日、2008年3月13日、2012年7月4日)とジョシュ・ネルソン(2006年3月22日、2008年3月13日、2012年7月4日)のデュオを聞く。2人は大学時代からの付き合いで、今回のデュオ公演は2人でレコーディングした『デュオ』(アル・シュミットの制作/録音)をフォロウするもの。

 グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)の影響で少し変なヘア・スタイルをしているガザレククはさすが安定した、テンダーな歌い口を見せる。とともに、改めて、変な澱がついておらず、ある種の澄んだ感覚が魅力のジャズ系シンガーであるとも思った。ジョシュ ・ネルソンの作った曲やポップ曲も取り上げ、ジャズを存分に通ったMOR系シンガーという位置を求めんとする姿勢も自然に伝わるし、それは彼女にあっているとも思わせられる。彼女はボニー・レイット(2007年4月6日)が歌った1991年ヒット曲「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」も原曲を尊重する形でやったが、その際に「カントリー・シンガーの、ボニー・レイットの曲」と彼女は紹介。その括りの雑さには、少し悲しくなった。

 今回、デュオということで、ネルソンのピアノにはより耳が向く。実は、ガザレクのヴォーカル以上に、ぼくはネルソンの驚くほど粒立ちのいいピアノ音に耳を奪われた。今回の彼はけっこう伴奏スタンスの弾き方で、そんなにソロも取らなかったのに……。左右のバランス/噛み合いにたけた、どこか今様でもある品のいい弾き口はもっと注視を受けていいはず。5枚はリーダー作を持っている彼だが、けっこういろんなことをやっているんだよなー。

▶過去の、サラ・ガザレク
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200712291957590000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、ジョシュ・ネルソン
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/

<今日は、七夕>
 ここのところ、梅雨梅雨した天候が続き積極性を奪いがち……。ビルボードライブ東京の実演に触れてそうかと思ったのは、1970年のある時期までは、ロック界はギブソン・ギターの時代であったのか、ということ。だって、2人の電気ギター奏者はともにレス・ポール型のギターを持ち、ヴィスコンティもSGタイプのショート・スケールを弾いていたから。なんか、重そうな感じがして、レス・ポールに興味を持ったことがないためもあるが、げんざい家に残っているギターはフェルナンデスのストラトと初期フェンダー・ジャパンのテレキャス(その品揃えで、あまり楽器にお金をかけない人物であるのが分りますね。まあ、そのぶん、レコードをばかばか買っていたからなー)で全部フェンダー系のそれだよなあ。その後、轟音で少し死んだ耳にて、繊細なデュオ演奏に接するしかなかったのは残念。最後によったバーで、短冊にとんでもないことを書いた気がするが……。

 うわー、驚いた。ドクター・ロニー・スミスのことをなめていたわけではない。何人もいるブルーノート・レーベル育ちのオルガン奏者のなかでは、妙にカっとんだ持ち味の人。という、印象は持っていた。だが、そんな彼も1942年生まれだから、70歳超え。今回の公演もオルガン、ギター、ドラムという普通のオルガン・ジャズ・トリオ編成であるし、割と驚きのないブルース・コード基調のソウル味ありのジャズを聞かせるのではないかと思っても不思議はないではないか。そしたら、あの人は、やっぱり規格外の鬼才。どーにも、こーにも。

 ターバン(風の、帽子だったかな)をまいた格好は、異様。それ、オマール・ソーサ(001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日)を思わせるか。が、どこかお洒落な感じを彼は持っていて、もしかして日替わりで衣装を変えているのかもと思わせるのが要点。まあ、彼はターバンを頭に巻く前(単に、ロニー・スミスと名乗っていたころ)のブルーノート期からお洒落で、『Live at Club Mozambique』(1970年)のジャケット写真はダニー・ハサウェイみたいだったもんな。そんな彼は、杖をついてステージに登場する。とても元気そうで、歩行も達者なのにといぶかっていたら、その理由は終盤に明らかになった。なんにせよ、強い個があるからこその異物感があって、それはドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)を彷彿とさせる、とも書きたくなるか。

 1曲目でぼくは、どっひゃー。やりはじめたのは、ソウルフルでもブルースぽくもない、なんかスピリチュアルな曲。あたまのほうはずっと電波系の音を出していて、なんかそれはサン・ラー(サン・ラー死後の、同アーケストラ;2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日、2014年7月4日)なるものを想起させる。ええええ、あんた変すぎると、冒頭の5分で、ぼくは頭をたれました。

 彼はオルガンの横にパーカッション・パッドを置いていて、それを右手でけっこう鳴らしたりもする。また、脚のペダルの一つもパーカッション音を仕込んでいたように、ぼくは思った。また、足元がちゃんと見えなかったので断言はできないが、ベース音はたぶん足でやっていたのではないか。指はちゃんと動くし、ときにぐわ〜って音量を倍加させたりするダイナミクスは、これぞオルガンの利点じゃと思わせられることしきり。オルガンはゴスペル/教会流れの楽器であるとともに、シンセサイザーと同じような未知の効果を得られる電気楽器として、昔それを採用するジャズ・マンもいたのではないかとその様は思わせるか。スミスさん、いろいろと示唆するところはあったな。

 サイド・マンは、クリス・クロス他から何枚もリーダー作を出している白人中年ギタリストのジョナサン・クライスバーグと、ドナルド・ハリソン(2014年8月25日)の教え子で彼の昨年来日公演にも同行していたニューオーリンズ・ネイティヴのドラマーであるジョー・ダイソン。彼の肌の色と比べると、スミスの顔色はだいぶ薄い。クライスバーグはセミ・アコースティックの電気ギターを手にするが、曲によってはエフェクター経由の音色をあっけらかんと用いる。それは、スミスの指示だろう。蛇足だが、スミスのアルバムにはジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3日、2013年4月1日、2013年6月4日、2014年8月7日、2015年1月22日)が叩いているものもあった。

 2曲目と3曲目はオープナーと比すならブルース・コード崩しっぽい、オルガン・ジャズのイメージに近い曲。ではあるのだが、うまく説明できないが、達人はよくあるような手あかにまみれたオルガン演奏には陥らず。ふむふむ。また終盤には、静かなバラードをフツーに演奏したが、そこにはジャズ・マンの成熟〜年輪が横たわっていたな。

 1曲はドラマーの演奏から始められたのだが、それがちょいセカンド・ラインぽい叩き口。どんな曲をやるのかと思えば、なんとポール・サイモンの有名曲「恋人と別れる50の方法」。おお、そんなん持ってきますか。まあ、ブルーノートの1968 年デビュー作『Think!』でヒュー・マセケラ(2005年7月20日)やアリサ・フランクリン楽曲(タイトル・トラックですね)を取り上げている御仁だから、驚かない。先に触れた1970年ライヴ盤ではコルトレーンやマイルズ曲を取り上げる一方、スライの曲も彼はやっていた。

 そして、最後、彼は前に出て来て例の杖を持ち、ギターの様に持つ。いつのまにか杖のかかとからシールドが出ていて、それはスミスが腰に付けた発信器に繋げられている。杖には弦が1本張ってあるようで、彼は自在に指をスライドさせてペンペンと弾いて音程を操るとともに、音色も自在に変える。杖型の音程操作が容易なテルミンみたいな音の出るカスタム楽器、なんて説明もできようか。もしくは、ゲンブリみたいな民俗楽器の21世紀版? 彼はそれを演奏しながら、ユーモラスに場内を一周。なんじゃ、コレ。もう、最高だな。

 で、そのままファンキー曲に突入。ときに出すうなり声もいい感じで、グルーヴィ。なんか何から何まで、理にかなっているという書き方は変だが、スミスはなんとも腑に落ちるところあり過ぎダと痛感。ちゃんとした音楽家であるところをきっちり持ちつつ、エンターテイナー/トリック・スターたりえたという説明もできるか。こりゃ、スケールの大きな才人。ひいては、米国ジャズの恐ろしさを、ぼくは再確認しました。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

▶過去の、ソーサ
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<直近の、ロニー>
 繰り返すが、最高。ぼくはまた一人、米国黒人音楽のカっとび傑物を知ってしまったという思いがありあり。うれしいなー。このライヴの後、イケイケになりそうな飲み会が控えていたので、パイント1杯で我慢しようと思ったが、良すぎて、それではオトコがすたるとジャック・ダニエルを追加する……。やっぱ、ライヴは見なきゃ分らないという真理も、いたく再確認。実は彼の出演は明日までの3日間であったが、その後に予定されていた88歳のルー・ドナルドソン(2012年3月7日)の公演が健康上の理由でキャンセルになってしまい、他のオルガン奏者3人と共演するという出し物で、スミオはさらに2日間ブルーノート東京にトリオごと出演する。そのハモンド・オルガン幕の内弁当的企画で、この異才はどうふるまうのか。涼しい顔して我が道を行くか? それとも、他者にあわせていい人になる? どっちも見物ではあるなあ。土日に予定がずっぽり入っていて、それを見るのを考慮に入れてなかったが、うーむこりゃ……。
▶過去の、ルー・ドナルドソン
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