1970年代サザン・ソウルの、(ここのところはとんと話を聞くことがなかった)大実力者の来日公演が持たれようとは。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。ハイ・サウンドのシンガー/ソング・ライター、彼の奥さんは同スターのアン・ピープルズですね。

 バック・バンドであるブラザーズ・ブラウンという4人組バンドが出て来て、まずパフォーマンス。ギター/ヴォーカル、キーボード(金ピカ気味。とっても古いロッカー風体)、ベース、ドラムという内訳で、彼らのオリジナルだろうルーツぽいと言えなくもない曲を5つほどやる。曲がけっこうつまらなく、歌もあまりうまくなく、少し聞くのがイヤだった。でも、ぬわんとベーシストはあのリトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日)のケニー・グラッドニーではないか! 彼、フィートの前にはディレイニー&ボニーに関与していた。

 そして、その後に、ブライアント御大が歌いながら出てくるが、どひゃー。こりゃ、歌える。と、すぐに大感激。声質、ちょいとしたシャウトの流儀、どれもココロが潤み、発汗する。声量も十分だし、体形も太ってもおらず、動きや振りもお茶目で、とても元気。これは70代半ばという年齢よりも、若く見える。……つまりは、1日に1時間半のショウを2つやれと言われれば、彼は無理なくこなしたのではないか。ただ、今回バック・バンドを自分が出てくる前にフィーチャーしたのは、サポートをしてくれる白人たちに対する感謝の念からでは? そう思えるほど、彼からは“いい人”臭もただよう。

 なんか、良い老後を持っていそう。格好もいわゆるR&B系担い手然としたものではなく、サファリ・ルックにあいそうな帽子と『サージェント・ペッパーズ〜』のジャケでザ・ビートルズの面々が着ていたようなジャケット(ブライアントの場合は黒色)を彼は身につけている。で、それが別におかしくなく、なんかトっぽいブライアントにあっている。そして、そんな彼が変わらぬ天下一品のソウル歌唱をするのだから、これはうれしさがこみ上げてきちゃうし、万全と言えないバンドの前座パフォーマンスも完全にチャラ、ないものにしちゃえるとぼくは感じた。イエイ。

 バンドもバッキングに回ったときのほうが、うまく感じられて何より。演目はわりとテンション高めの快活曲が多く、比較的スロウ系の苦手なぼくはそれにもにんまり。JB(2000年8月5日)の「トライ・ミー」。もやったか。そして、アンコールはリトル・フィートの一番有名な曲「ディキシー・チキン」。このとき、歌の1番と2番はギタリストとドラマーが順にリード・ヴォーカルを取り、ブライアントはハモりのヴォーカルを入れる。わあ。もしかして、この曲はブライアントが言いだしてやるようにしたのではないかと思わせるほどに、彼はうれしそう。その後は彼がリードを取った。ショウでブライアントが歌ったのは正味40分ぐらいか。そりゃ、もっと歌うことにこしたことはないが、それでもぼくは大満足。まさに、黄金のR&Bヴォーカルの開示があり、尊い人間の歌に浸れることができ、なんの不満があろうか。絶対に、また来てほしいっ。

▶過去の、JB
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/ 映画

<今日の、ケニーさん>
 ブライアントは妻の大ヒット曲「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」も歌う。これ、ブライアントも曲作りに関わっている。実はこの曲を、リトル・フィートの故ロウエル・ジョージも1979年ソロ『Thanks I’ll Eat It Here』(Warner Bros.)でカヴァーしていた。「ディキシー・チキン」にはメンフィスという地名も出てくるが、ブライアントは今も生まれたメンフィスに住んでいるという。そんなに老けた感じもないケニー・グラッドニーはとってもデッドな音(弦を2年間かえていないんじゃないかと思えるほど)を黙々と出していた。彼、何気にスティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9 月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9 月3日、2016年2月19日)と似ている。一緒にリズム・セクションを組んだら、笑えると思った。
▶過去の、リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160219

 マリンバ奏者の山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日、2014年10月19日、2014年11月21日、2015年4月17日、2015年5月2日、2015年5月6日、2015年5月22日、2015年5月28日、2015年6月15日、2015年9月13日)とコントラスバス奏者のパール・アレキサンダー(2014年10月11日、2015年5月6日)のデュオ。四谷三丁目・茶会記、マチネー公演。

 この組み合わせでやるのは、ほぼ1年前の同じ会場でのギグ(2015年5月6日)いらいとか。木を大量に用いた楽器と対峙する女性奏者の二乗による、完全即興。でもって、ノーPA、ノー・エフェクターによる、完全生音によるパフォーマンスなり。
 
 30分と40分くらいの塊を一編づつ。大ぶりな鍵盤打楽器と弦楽器に託した、細心にして大胆な意思疎通の様々な様相が届けられる。お互いの音に入り込み、反応し新たな展開を提示しする作業の、繰り返し。それが一つの模様を描き、繋がり、ある種のストーリーとなり。それぞれの楽器は本来はモノトーン的な楽器音色を持つと書けるだろうが、そこは様々な感情を込め、多様な奏法を駆使し、素養と技量と閃きをときにお茶目にくりだす。山田はいろんな自家製マレットを使い分け、ときに鍵の端っこのほうを叩いたりもし、アレキサンダーは弦を弾く右手使いが多様にしてアルコ弾きも雄弁、さらにときにウィスパー・ヴィオスも重ねた。アレキサンダーは2部の途中で太い、どこか黒っぽい音楽の記憶を引き出す音も出した。そしたら、終演後に彼女、最近R&Bぽいのに凝っているみたいなことを言っていたな。

 現代機材や電気的エフェクトを介した音が一般的には今様という見方がされる傾向にあるが、果たしてそうなのか? そんな問いかけも、この非エレクトリックにして、両者の全感性をかけた共演に触れ、頭をもたげた。また、完全インプロヴィゼーション表現と言うと、なんか尖った攻撃的なものを想起する人も少なくないだろう。でも、即興でもこんなに柔和で、透明度の高いものもあるのだという意思表明に2人の表現はなっている。

 なお、前回共演と同様に、オノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日)がマイクを2本立てて、録音。昨年のデュオ演奏と共に<Saidera Mastering & Live Recording>の名のもと、ハイレゾ配信(e-onkyo musick通し)されるという。

▶過去の、山田あずさ
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/
http://43142.diarynote.jp/201410251052527799/
http://43142.diarynote.jp/201411221353274586/
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/
http://43142.diarynote.jp/201505240923518276/
http://43142.diarynote.jp/201505310957076398/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
▶過去の、パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/

 その後、渋谷・クロコダイルで、カンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日)改め、カルナバケーション(2016年2月11日)のショウを見る。グループの名前を変えて、ちょうど1年。改名して以降、彼らはこまめにシングルCDを出してきていて、この1年間に7枚(14曲)がたまったということで、この晩は1周年を記念してその新曲群はすべてやる。とくに、バイリ・ファンキぽい「週末湘南ボーイ」や「リオ街スレンダー」は気に入った。あとはサンバマシーンズ時代の曲あり(4曲)、新曲もあり。

 歌(一部、ギターやパーカッションも)の村田匠に加え、ギター、キーボード/ヴォーカル、ベース、ドラム、3ブラジリアン・パーカッション、3ホーンという11人編成。11という数字だけでうれしくなるのは、ぼくだけではないはず。今年は東京と浦和の2チームがACLのグループ・リーグを突破したばかりか(先週の味の素スタジアムに行きたかったな)、トーナメントの第1戦をともに勝利していて、少しココロ弾む。

 今のカルナバケーションの裏表をけっこう出していた実演。前身バンドはサザンオールスターズ的日本の新歌謡曲回路と旬の洋楽語彙であるブラジリアン要素を噛み合わせようとしてスタートしたはずだが、豊かに実っていると実感。とっても、大パーティ感覚のもと見せ方もコナれており、初めて見るも者をトリコにする力を持つと思う。この日は、ブラジリアン・ダンサーは一人だった。

▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
▶過去の、カルナバケイション
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211

<今日の、CD>
 最初のハコで、お客さんで来ていたバー・イッッシー店主から、彼が自らベーシストとして参加している『全面照射』を購入。ギターと声の山本精一、エレクトロニクスの日野繭子、エレクトリック・ベースのisshee(2010年9月11日)、ドラムのHIKOからなるTRASPARENTZとアルト主体にクラリネットや肉声の坂田明(2006年8月8日、2008年9月25日、2009年7月19日、010年4月15日、2011年4月1日、2012年10月3日、2013年1月12日、2014年9月7日、2016年1月28日)のタッグ、秋葉原のクラブグッドマンでの2015日7月12日のギグの模様を伝えるライヴ盤。激情ハードコア・ジャズ・ロックとも言うべき疾走&暴走演奏、1曲45分弱なり。坂田さん、よく倒れなかったなー。
▶過去の、山本精一
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm ROVO
http://43142.diarynote.jp/200406080043380000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/200406100011020000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/200406111859060000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/200411231717590000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/200607100307170000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/?day=20060827 ROVO
http://43142.diarynote.jp/200612060136540000/ ROVO
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/ 渋さ知らズ大オーケストラ
▶過去の、isshee
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
▶過去の、坂田明
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090719
http://43142.diarynote.jp/?day=20100415
http://43142.diarynote.jp/201104041101543361/
http://43142.diarynote.jp/201210060945309832/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/

チャカ・カーン

2016年5月20日 音楽
 ぼくのなかではけっこう絶対的な存在である女傑R&B歌手(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日、2014年9月6日、2014年9月10日)の、今回の東京公演の会場は六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。サポートは3人の女性コーラス、ギター(彼がミュージカル・ディレクターかな?)、キーボード2人、ベース、ドラムという陣容。これ、けっこう近年の顔ぶれとなるのかな。

 赤いスティックを持つ、元スイザイダル・テンデンシーのロナルド・ブルーナーJr.が叩き出してバンド演奏は始まったが、彼のストローク一発で、うわ音がデケえと合点し、苦笑。露骨にチューニングの異なるスネアを2つ並べ、シンバルは多いが小さい(と、それは昨日の見たブライアン・ブレイドとの比較ね)。その音量、とても大人のヴォーカル表現のサポートのそれではない。が、チャカならそれも別に疑問はないよな〜。そんなの平気よ、私はデカい声でそれを凌駕しちゃうワ、みたいな気分が彼女には大ありだから。ちょい音程が不安定に感じるところもあるけど、その歌声と流儀ゆえに、すべては正に転化する!

 しかし、ますますB型気質歌唱になっておる。バックグラウンド・シンガーを3人入れているのも皮膚感覚で納得。けっこう彼女たちが主旋律を歌い、チャカは気分の向くまま崩しまくって歌ったり、間の手ヴォーカルを入れたり。いやはや、彼女ってこれほどまでに我がままな歌い方をしていたっけ? でも、その様に触れ、これぞチャカ・カーンと感激できるし、ジャズ界を含めてもこんなに歌を自己崩しする人はそうはいないんじゃないかと思う。もちろん、ポップ・ミュージック界では唯一となりますね。

 全80分のショウ。中盤回って、15分ぐらいはチャカが下がり、バック陣だけでパフォーマンス。なんかこの少しイビツな構成を、彼女は前回来日公演時から取っている。チャカ抜きのさいバンドは前回と同じように「チュニジアの夜」を少しやったあと、ソロを回す。最後のほうは、美声のキーボード奏者が「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を歌い、出て来たチャカもそれを少し歌った。うぬ、もう1枚はジャズ・アルバム(←気のふれたような、笑い)を出してほしいな。さあ、2年後の彼女はどうなっている?

▶過去の、チャカ・カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
http://43142.diarynote.jp/201409111424501752/

<今日の、興味>
 プリンスのカヴァーで秀逸なのは? いろいろあると思うが、チャカの「フィール・フォー・ユー」はかなり上位ではないか。プリンスもそれを気に入り、彼女とは複数かかわっている(って、プリンスのNPGから、チャカのアルバムが出されたこともあった)もんな。今回は2曲目に「フィール・フォー・ユー」はやったが、同曲は毎度やっているわけで、別に謝辞なんかいらないけど、もう1曲ぐらいプリンス絡み曲をやるかと思ったのだが……。途中でチャカが引っ込んだとき、1988年盤『CK』に入っていたプリンス作のファンク曲「Sticky Wicked」をやれば良かったのにとは思った。ソロやヴォーカルも回しやすいだろうし。死去に伴い(ああ、もう1ヶ月もたつのだなあ)いろいろ頼まれたプリンス原稿、残りはベース・マガジンの6000字の歩み原稿か。

 辣腕ベースシトのジョン・パティトゥッチ(2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2006年9月3日、2012年6月13日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日、2015年9月6日)のリーダー・グループで、同じ顔ぶれによる昨年に続く来日公演だ。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 他の構成員は人気ドラマーのブライアン・ブレイド(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2008年9月4日、2009年7月20日、2011年5月12日、2012年1月16日、2012年3月15日 、2012年5月22日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日)、そしてギタリストのアダム・ロジャース(2012年5月28日、2015年5月27日)とスティーヴ・カーディナス(2015年5月27日)。

 やはり、少し妙な編成だな。3本の電気系弦楽器(総弦数は17〜18本)とドラムという編成なんだもの。それゆえに、独自のムードは出やすいとも、しっかり感ずる。実際、統一された流麗にしてある種くすんだムードがあり。もう少し、サウンドの表情のダイナミクスがあってもいいじゃないかと思わすところもあった。

 前回公演の項で、ステォーヴ・カーディガンスがあまりソロを取っていないというようなことを書いているが、今回彼は普通にソロを取っている。そうすると、前回は指や手を痛めていたか、極度の二日酔いだったか。

 ウィルソン・ピケットやアリサ・フランクリンなどが歌っているボビー・ウォマック(2013年5月12日)の「アイム・イン・ラヴ」、ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」など、ポップ曲も(アンニュイに?)取り上げる。また、アンコールはウェイン・ショーター(2001年8月3~5日、2002年8月25日、2004年2月9日、2014年9月7日、2015年9月6日)の「ハウス・オブ・ジェイド」(1965年盤『ジュ・ジュ』収録)を演奏。

▶過去の、ジョン・パティトゥッチ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm 2001年8月3日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm   2002年8月25日
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402140843255048/
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200809071429250000/
http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
▶過去の、アダム・ロジャース
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶過去の、ウェイン・ショーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/

<今日の、ドラマー>
 ブレイドの姿がよく見えるとこで見たので、いつにも増して彼の演奏具合をチェックする。旧来的ジャズ仕様とも言いたくなるシンプルなキット使用だが、シンバル口径がかなりデカい。で、彼は左横を向いて叩くのだが、終始ニコニコしている。彼、本当にうれしそうに叩くのだな。ときどき、声をあげてもいた。演奏自体は細心にして、やわらかく。もう、リストの使い方、ため息が出そう。それはさすが、お見事と思えた。
 まず、渋谷・デュオ・ミュージック・イクスチェンジで、北の手触りを持つ二組を見る。

 最初に、北イングランド生まれのトラッド/フォーク系女性シンガーのビル(ベリンダ)・ジョーンズが出て来て、短い時間パフォーマンス。アコーディオンを弾き語り。素朴に、心をこめて。

 その後は、北アイルランドとイングランドの出身者からなる、トラッド系インストゥルメンタル4人組のフルック(2001年12月11日)。ホイッスル、フルート(少し、アコーディオン)、ギター、バウロンという変則編成だが、それゆえの妙味を介して、個性豊かなケルト経由表現をときにスピード感たっぷり、ときに詩情豊かに開いていて感心する。面々がそれぞれに腕がたつのは、すぐに了解。その4人が自在に絡むと、とても現代感覚を持つというか、時空を柔らかにカっとぶ感覚が表れて、こりゃ存在意義があるナと頷いた。

 アンコールでビル・ジョーンズとフルックが一緒に1曲やり、その後、フルックはまた2曲やったか。全部で2時間半ぐらいやったかな。

▶︎過去の、フルック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm

 その後は、新宿・ピットインに行き、ECMから3作リーダー作を出しているスイス人シンガーのスザンヌ・アビュールを見る。初来日。オランダの音大(ハーグ王立音楽院)時代からの付き合いというピアニスト(オランダ人なのかな?)、まだ20代だろうフランス人クラリネット奏者、スウェーデン人ドラマーという、ワーキング・バンドによるパフォーマンスを披露。また、エンジニアも同行したよう。

 アビュールの歌唱は言葉を大切にしているためか過剰に尖らず、楚楚とした佇まいを持ちつつ、オルタナティヴなアコースティック・サウンドと同化する。アビュールはこのドラマーと最初にやってこの人しかいないと思ったらしいが、なるほどうねりはあるのに絹のような柔和な叩き方にはため息。また、クラリネット奏者も旧来のジャズ文脈から離れ、清新にしてもう一つの情緒とスペースを招く演奏を開いていて降参。いやはや、何気にすごい人たち揃えていると思った。そこには、知的で、創意のある密やかな冒険がいろいろあった。

<先だっての、アビュール>
 スイス大使館で、スザンヌ・アビュールと3人のメンバーたちと会ったのだが、皆好ましいユーロ感覚のようなものを持つ人たち。影響を受けたシンガーはと彼女に尋ねると、「楽器奏者のほうに受けてきた」とのお返事。マイルス・デイヴィスはその最たる奏者と言うので、彼のどの時期がお好みと問うと、『ビッチェズ・ブリュー』より前との答え。これ、エレクトリック期に入る前のマイルスということか。「ジャズ・シンガー然と歌う人ではなく、楽器のように歌を用いる人が、(ECM社主の)マンフレット・アイヒャーの好みなのではないか。だから、私は彼に認められたのだと思う」というような発言も、彼女はしていた。とても、自然体のいい大人、といういう印象を望外に得るとともに、同性からの支持もとても集めそう、そんな感想も得た。確か、彼女は子育ても両立しているんだっけ?
 我が道を行く、フランスの破天荒2人組バンド〜ユニットというより、バンドと言ったほうが適切だろう〜(2009年7月25日、2010年5月7日、2012年10月4日、2014年11月20日)。渋谷・クラブクアトロ。

 音楽的なことについては、過去の来日時の文章のまま。新作『ロックファーマーズ』は柔らか、しなやか目の曲が多く入っている気がしたが(て、解説担当盤なのに無責任な書き方してるなー)、ライヴにおいてはほぼ剛の方向性(それは、ファルセットのメロウ・ソウル調であっても)で攻める。見せること(おバカさんをやること)をちゃんと知っており、それゆえの娯楽性の開き方が素晴らしく良いと、改めて痛感。シニカルさが顔を出す部分も含めて、それがとってもロック的であるとも、ぼくは感じてしまう。けっこう、今のロック界でその様は貴重なものではないかとも思っちゃったなー。新作収録の親日曲「ウィ・アー・ジャパニーズ・マウンテン」は最終曲として披露。このとぼけ具合も凄いっ。

▶過去の、ザ・インスペクター・クルーゾ
http://43142.diarynote.jp/201005091451244918/
http://43142.diarynote.jp/201210061012387869/
http://43142.diarynote.jp/201411211148399707/

<今日も、好漢>
 MC、「次は最後の曲で……」。客、「え〜っ」。MC、「ウチら、1曲で30分やるんだよっ」。まあ、実際は10分ぐらいではあったけど、そういう部分も大好き。新作のタイトルも導いた、正義を貫く農場経営(有機農法追求&反モンサント社の姿勢徹底)は軌道に載っているよいうでなにより。参考映像→https://www.youtube.com/watch?v=CLfYz9dalvM

 錦糸町・すみだトリフォニーホール。1日2回しで、遅い方(といっても、17時開演だが)を見る。チャールズ・チャップリン(1989〜1977年)の1936年映画『モダン・タイムス』を流し、映画で使われていたオーケストラ音楽を画面に合わせてリアルで付けるという出し物だ。ほぼ、セリフのない映画だからこそ、ありがたみが増す。と、いうことですね。

 その音楽の多くはチャップリン自身が作り、口頭で説明したものが映画のためにハリウッド系編曲者の手によりオーケストレーションがされたよう。この日の指揮は、米国生まれ英国在住のカール・デイヴィス。今年80歳で(つまり、「モダン・タイムス」発表の年に生まれた)、ポール・マッカートニーの1991年クラシック作『リヴァプール・オラトリオ』は、彼が指揮している。オケは、トリフォニーホール付きの新日本フォルハーモニー交響楽団(2012年10月2日、2012年11月30日、2015年9月26日)だ。本編が始まる前に、狂言回し役で、チャップリンを模したパフォーマー(山本光洋)が客席を回る。

 当然、名前は頭のなかに登録してある(米国からレッド・パージされた、ヒューマニズムに溢れた人とまず出てくるか)ものの、ぼくはチャップリンの映画をほとんど見たことがない。代表作の一つと言われる「モダン・タイムス」も有名な“歯車のシーン”などはスチール写真かなんかで知っているものの、ちゃんと見るのは初めてではないのか。ゆえに、普通に映画館で見るように画面に入り込み、楽しんじゃう。来る前は、肩のこらない状況で生のオーケストラ演奏の妙を楽しみたいと考えていたのだが、大きなスクリーンに映画が映し出されると、そちらに入り込んでしまい、せっかくの生の音楽はその奥にある普通の映画伴奏音になってしまった。それは、映像にきっちりズレることなく、オーケストラ音がちゃんと付けられていた証左となるものだろう。

 名曲「スマイル」(このときは、インストゥルメンタル)はヒロイン女性との微笑ましい場面で、数度使われていたのか。へえ。なかなかに、目が点。それから、映画が終わり、チャップリンの若いころの写真がスクリーンに映し出されたが、けっこう優男なハンサムさんだった。

 その後、一緒に飲みに流れたとても博識なA田君から、いろいろな情報を得る。とっても女好き&女にだらしない御仁であったそうで子供は沢山いたらしいが、うちユージン・チャップマンはかつてレコーディング・エンジニアをしていたそう。ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」でフランク・ザッパが録音してたら火事になったと歌われるレマン湖ほとりのスタジオで働いたこともあったそうで(なるほど、米国追放になったチャップリンはスイスに住んだ)、確かにデイヴィッド・ボウイの『ロウ』や『ヒーローズ』にはアシスタント・エンジニオアとして、彼の名がクレジットされている。なんでも、チャップリンの音楽を司っていいと容認された指揮者は3人で、カール・デイヴィスはその一人であるらしい。

▶過去の、新日本フィルハーモニー交響楽団
http://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/

<今日の、付録>
 以下は、ぼくがライヴで過去に触れた、「スマイル」の抜粋。→→→細野晴臣(2009年10月12日,2013年8月7日)、エルヴィス・コステロ(2011年3月1日 )、アンア・サリー(2011年7月24日)、ヘイリー・ロレン(2012年2月13日)、ウィル・リー(2013年12月5日)、青葉市子と細野晴臣(2013年8月7日 )、クリス・ターナー(2014年5月28日)、渡辺貞夫(2014年7月8日)。あと、2011年12月13日 に代々木球技場第一体育館で持たれた<マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ>〜http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/でも、誰か『スマイル』を歌ったはず。
▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/?day=20091012
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
▶過去の、エルヴィス・コステロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110301
▶過去の、アン・サリー
http://43142.diarynote.jp/?day=20110724
▶過去の、ヘイリー・ロレン
http://43142.diarynote.jp/?day=20120213
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
▶過去の、クリス・ターナー
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
▶過去の、渡辺貞夫
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
 六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)、デイヴィッド・ボウイ・トリビュート企画なり。ボウイの複数期に関与した米国人ギタリストのアール・スリック(彼は、ジョン・レノン表現にも関与したミュージシャンである)がリーダーシップを取る公演で、彼が関与した 1976年作『ステイション・トゥ・ステイション』を大々的に再演しちゃいますよというもの也。ボウイ役にはビル・ラズウェル関連ブツに長年(1983年〜)関わり、2000年代に入るとストーンズ(2003年3月15日)のバックグランド・シンガーの座にもついているアフリカ系シンガーのバーナード・ファウラー(2003年3月13日、2003年3月15日、2005年7月3日)が担う。

 他に、ギター、キーボード、ベース、ドラム、サックス/パーカッション/ギター、バックグランド・シンガーがサポート。サックス+奏者は元スパンダー・バレエのスティーヴ・ノーマンで、女性コーラスは昨年のトニー・ヴィスコンティ公演(2015年7月7日)に同行したミック・ロンソンの娘のリサ・ロンソンだ。
 
 アルバム通りの列車の音のSEとともに始まったショウは、まず『ステイション・トゥ・ステイション』をアルバムのままの曲順でやる。バンド・サウンドはこんなものでしょう、問題ない。笑っちゃったのはファウラーのヴォーカル。もうボウイの歌唱にきっちり沿い、こりゃ滅茶器用。さすが、長年セッション・シンガーの第一線にいる人物の実力を思い知らされた。というわけで、意固地な聞き手じゃないかぎり(そういう人はここに来ないか)、これはふふふと接することができたのではないかな。加えて、数曲ボウイ曲をやり、最後は「ヒーローズ」なり。1952年ブルックリン生まれのスリックはけっこうロックンローラーな外見をキープ。それにしても、キース・リチャーズ以後のある傾向のギタリストは似た風情を持つ人が少なくないなあ。

▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、バーナード・ファウラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
あと、文章では触れていないが、2004年のフジ・ロックにスティーヴィ・サラス・バンドの一員として来日。全員アフリカ系ミュージシャンで固めたそれは、ブラック・ロック志向でなかなか良かった。
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
▶過去のトニー・ヴィスコンティ/リサ・ロンソン
http://43142.diarynote.jp/201507090944439091/

 その後、六本木・VARITに行く。お目当ては、アシッド・アラブ。普段はアルジェリア人のキーボードを入れたライヴ・セットでやることも多いようだが、今回は2人でのDJセットによる。ユニット名にあるように、アラブ音楽の語彙とアシッド・ハウスを重ねたようなことをやるが、それはチュニジアの島であったフェスに2人別々にが呼ばれたのがきっかけ。そのさい彼らはアラブ文化/音楽にやられ、その要素を取りこんだ DJ表現を志向するようになる。自らの文化にないものを持ってくるゆえ、ぼったくりにならないように気をつけるとともに、かような彼らのDJミュージックはワールド・ビートの発信地となったフランスならではのものであるとも、彼らは自認している。

 実際、好奇心に溢れたパリの裏道のビート表現という感じはあったか。なんか、ショウが終わる前に事故で電源が落ちてストップしてしまったのは残念。でも、そんなこともあるさと、メンバーは悠然としているように思えた。二分の一、ギド・ミニスキーは以前にルイ・ヴィトンの東京のパーティに呼ばれたことがあるという。

<今日の、体調>
 風邪で、変わらず熱っぽいでーす。鼻水がバカみたいに出てまーす。ゆえに、ずっと味覚も落ちてまーす。ところで、VARITの入り口で沼澤尚とすれ違う。彼も、変なとこ(では、ぜんぜんないが)に出入りしているなー。

三共江 其の弐

2016年4月30日 音楽
 渋さ知らズ(2004年9月1日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日)の不破大輔(2005年12月22日、2007年6月3日、2015年11月23日)のワークショップを受けたのことを始点し、その後有志で活動を維持している3つの市民大所帯グループが集合しての公演。江古田・バディ。

 会場入りすると、一番目の出演者、マンマゴートは終わっていた。不破/渋さという根っこから、どんな樹木になっているのか? 3つのバンドを比較聴取したかったのだが。残念。
 
 次に出て来たのは、マンマゴートと同様に東京拠点で活動していると思われる青鯖。けっこう本格的にフリーっぽい方向に出る局面もあって、へえ。昨年見た十中八九(2015年11月23日)の公演にゲスト参加していたトランペッターの池谷恵司が指揮。もちろん、シンガーやダンサーもいて、それはやはり渋さビヨンドだ。

 そして、最後はいわき市からやってきた十中八九。ここには不破大輔がダンドリスト(指揮者)として入る。改めて触れて感じたのは、彼らの場合は曲がいい。いや。マジでそう思う。いろんな音楽要素と興味と地元に対する自負が無理なく娯楽性を持って開かれていて、改めて感心した。

 そして、その後は3グループの構成員が一緒になってパフォーマンス。ゆうに50人をこえていたろうな。不破大輔の指揮のもと3曲をやったが、それは各グループのオリジナルを一つづつ取り上げたようだ。あ、そういえば、青鯖と十中八九のステージには渋さのバリトン・サックス奏者の鬼頭哲が加わっていた。なお、この三者が一緒に公演を持つのは、公演タイトルにあるように2度目のよう。“三”つの兄弟集団が、“共”に“江”古田で共演するということから来ているらしい。

 不破大輔は例によりお酒がすすんでいて、青鯖のときは外野から汚くヤジったりもしていたのだが、十中八九の時はやはり例により、(ノー・マイクで)平身低頭に客にMCで働きかける。そのさい、彼は音楽の素敵をアピールし、皆下手でもいいから楽器を手にしようよと呼びかけ、本当に今日は来てくれてありがとうを、素朴に連呼する。すると、さっきまでの狼藉はチャラになり、音楽愛を山ほど持つ只のいい人になっちゃう(爆笑)。

 でも、そんな不破のMCの伝えんとすることは、この不破ワークショップ派生のオーケストラ群の演奏を聞けば、“一聴瞭然”ではないか。楽器を手にすることの楽しさ、音楽の自由な掛け替えのなさが、面々からは溢れ出ていたもの。そして、欧州に行って来てそれほど日がたっていないためか、たとえばふらりと寄ったフランスのライヴ・クラブでこれと同様の出し物をやっていたら、ぼくはべらぼうに感激、フランスすげえとなっちゃうのではないか。そうも、しっかり思った。でも、渋さは日本だからこそのもの、それゆえ欧州から引っ張りだこにもなるのだ。今年も、彼らは6月下旬に渡欧、英グラストンベリー・フェスティヴァル他にする。

▶過去の、十中八九
http://43142.diarynote.jp/201511250531202253/
▶過去の、渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/200611190320370000/
http://43142.diarynote.jp/200612060135390000/
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
http://43142.diarynote.jp/200706162321180000/
http://43142.diarynote.jp/200807081247190000/
http://43142.diarynote.jp/200908180046187200/
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/
http://43142.diarynote.jp/201004231559516550/
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
▶過去の、渋さ以外の不破大輔
http://43142.diarynote.jp/200512231
http://43142.diarynote.jp/200706061351450000/
http://43142.diarynote.jp/201511250531202253/

<今日の、ふわふわ>
 久しぶりに、江古田駅で降りる。ここに来るのはバディのライヴを見るときだけだが、前来た時とだいぶイメージが異なり、あらら。駅は建て替えられ綺麗になったのかな。駅前が前より狭く感じられ、ちょっとしたモーロク気分というか、浦島太郎キブンというか、合法トリップ感というか。
 最初に丸の内・コットンクラブで、多文化をいろいろと受けているジャズ+アルファのしなやか歌手であるシェリル・エイメー(2013年8月22日)のショウを見る。ギター2、ウッド・ベース、ドラムがサポート。現在はマヌーシュ・スウィングを根に置いての、親しみやすくもあるジャジー路線を取っているが、アルバム上では2作続いたこの路線は今回で打ち止め。次はまっさらに新しい路線に進みたいと、インタヴューしたら言っていた。目の前にすると、やはり魅力的な娘だよなあ。今回もループ・マシンを用いた一人パフォーマンスを1曲見せたがより巧みなものになっていた。

▶︎過去の、シェリル・エイメー
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/

 続いては、ジェシー・ハリスと喉自慢ペトラ・ヘイデン(2009年1月21日)。両者連名の2016年作『Seemed Like A Good News』(Sunnyside)を受けてのものだろう。2人とも憎からず思う者だが、そのアルバムは未聴。まっさらな感じ(?)でショウに接したら、ちょいえええええという気持ちになった。

 アレレその1は、ペトラとジェシーがけっこう一緒に歌うのかと思ったら、ペトラだけが歌う曲が多かったこと。ジェシーはアコースティック・ギターをニコニコ爪弾く役どころ。書き遅れたが、バンドによるパフォーマンスで、ウィル・グラフェ(ギター)、ベン・デイヴィス(ベース)、ジェレミー・ガスティン(ドラム)というサポート奏者陣はかなり良質だった。各曲はけっこう短くまとめられ、通して20曲ぐらいは披露したはず。

 アレレその2は、ペトラが歌う曲の多くがなんかパっとしない聞き味であると感じてしまったこと。ヘイデンは曲を書かない人なのでハリスの作った曲なのだろうけど、途中でハリスが単独で歌った「ドント・ノウ・ホワイ」の心地良さ&誘いと比べると、その落差は大きい。まあ、あの曲は特別ではあるが。ハリスには何度もインタヴューしていて(今回もぼくを目ざとく見つけてくれ、声をかけてくれた)、こんなこと書きたくないが、彼の作曲能力は落ちている? 変わらず、風情はいいんだがなあ。それとも、今彼はぼくの想像のつかない哲学のもと曲作りをしているのか。

 ヘイデンはときにヴァイオリンを弾いたりもしながらのマイ・ペースぶり。一番近作はベタな選曲によるヴォーカル多重録音アルバムだったが、その流れのベタ曲も彼女は歌った。そういえば、彼女はビル・フリゼール(2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日)との連名アルバムを出したことがあったよな?

▶過去の、ジェシー・ハリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130315380000/
http://43142.diarynote.jp/200601271859050000/
http://43142.diarynote.jp/200604251252010000/
http://43142.diarynote.jp/200703130418360000/
http://43142.diarynote.jp/200904040640421651/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201305280925006733/
▶過去の、ペトラ・ヘイデン
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121
▶過去の、ビル・フリゼール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200605160543260000/
http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/

<今日の、蛮行>
 風邪でボロボロなのに、今日も深酒、ハシゴ二乗酒。やっぱ、愛いと思える人と会うと(そうじゃなくても?)、笑顔で流れちゃう。仕事たまっているのに大丈夫なのと注意を促す内なる“リトル・サトー”があっという間に雲散霧消。苦笑。

スクイーズ

2016年4月25日 音楽
 再結成し(何度目?)昨年新作『Cradle to the Grave』(Virgin)を出した、ひねくれ英国ビート・ポップ大御所バンドがやってきた。と、思ったら、2トップの2分の1であるクリス・ディフォードは同行せず。これじゃ、“なんちゃってスクイーズ”ぢゃんと言いたくなるところだが、4人の同行奏者はすべてその新作レコーディングに関与していた人たち。とくにキーボードのステファン・ラージはとても佇まいがUKぽく、いい感じ。

 グレン・ティルブルック(2005年8月8日、2009年7月26日、2011年1月16日、2015年4月4日)を中央に置き、突っ走る。やはり、何度も見ているティルブルックのソロ公演とは違うな。ナツメロ一直線かと思ったら、けっこう新作からの曲をやっていて驚く。あと、披露した残り半分はオールタイムのベスト曲という感じ。なんにせよ、覇気ある、ウィットに満ちた大人の英国ロックの妙味は存分に送り出されていた。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

▶過去の、グレン・ティルブルック
http://43142.diarynote.jp/200508122041470000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090726
http://43142.diarynote.jp/201101171220553139/
http://43142.diarynote.jp/201504051102041347/

<今日は、……>
 やること一杯、いまいちやる気も退き気味で内心やさぐれています。ま、そういうこともあるサ。それが外に出ていませんように。あとは、やっぱりプリンスの逝去……。

 飯田橋のアンスティチュ・フランセ日本のホールで、仏ノー・フォーマ!と契約する、現在パリを拠点に置く2組が出演する出し物を見る。ぐうぜん、ぼくは先週にパリやブールジュで取材した人たち。だったら、東京でやっても同じぢゃん。とは、言うまい。現地でしか得ることが出来ない機微があるのだよと、なんの根拠もなく言っておく。ヒヒヒ。

 まず、ステージに登場したのは、クラシックからテクノまでを俯瞰するピアニストの中野公揮とあらゆる音楽に清新に適応するチェリストのヴァンサン・セガール(2016年4月13日)。実のところ、ベルリンはあっても、中野にとってパリという地は住む場所として頭の中になかったという。だが、ヴァーチュオーソたるヴァンサンと一緒に出来ることになったこと、ノー・フォーマ!とのディールが取れたことで、パリに住むようになったという。

 2人は一見淡々と、だが密接かつ緊張感の高いアンサンブルを、生理的に尖り、かつ広がる楽曲のもと披露する。驚いたことに、その協調演奏は完全に中野の楽譜下にあり、セガールはプロの演奏家として、その状況を心から楽しんでいるという。ハイセンスなモダン・クリエイティヴ、なり。まだ20代だろう優男の中野だが、これからどんなふうに動いて行くのか、その行方への期待も、2人の重なりに触れつつふくらんだ。

 アラ・ニ(2016年4月16日)はギター奏者を従えて、パフォーマンスをする。そりゃ、フランスで先日見たようにチェロ奏者がいたほうが幽玄さは出る訳だが、デュオでもその浮世離れした、しなやか柔和世界は味わえる。四季をテーマにした彼女のデビュー作『ユー・アンド・アイ』には「チェリー・ブロッサム」という曲が収められているが、親日家の彼女はそれに日本語歌詞をつけた「サクラ」を新たに録音し、PVも制作。この日は、それもしっとり披露する。実はそれ、日本語歌詞を新たに付けた洋楽曲としてはトップ級の出来となっているのではないか。

 先に見た時よりもっと近くでショウに接したせいもあるかもしれないが、彼女がとてもくつろいでパフォーマンスしているように感じる。そんな彼女はいくつかカヴァーも披露。リッチー・ヘイヴンスやジミー・ウェッブなど。渋い。でも、インタヴューで言っていたが、一方で彼女はエイドリアン・ヤング(2016年3月21日)も大好きだったりするんだよね。今後どう広がって行くのか、興味はつきない。しかし、ノー・フォーマ!っておもしろいレーベルだと、再認識もしました。

▶過去の、中野公揮とヴァンサン・セガール
http://43142.diarynote.jp/201604271334589018/
▶過去の、アラ・ニ
http://43142.diarynote.jp/201605111552577552/
▶過去の、エイドリアン・やング
http://43142.diarynote.jp/201603230835051084/

<今日も、しんどい>
 帰国後、風邪をひいてしまった。東京がフランスやルクセンブルグよりも暖かく油断したのと、やはり疲れの蓄積からか。10日間も海外に出たのは久しぶりだしな。とにかく、しんどい。だけど、頑固に医者には行かない。薬の類も摂らない。ポンコツだけど、まだ自然治癒を信じている。というわけで、少し周りから同情を買っておる。……ライヴ後、自重することなく知人たちと2軒はしご。それは体調とは別腹(?)か。
 まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)。出演者は、ベルリン生まれ、米国育ちのジャズ・ピアニトであるベニー・ラックナーのトリオ。サイドは電気ベース(一部、コントラバスも弾く)のジェローム・ルガールとドラムのマチューシャ・ザレンク。彼はスネア、ハイハット、ベース・ドラム、シンバル2、タム2というシンプルなジャズ仕様セッティングながら、マレットや素手で叩いたりといろいろ工夫をする叩き方を見せる。2人とも欧州的な名前だが、面々はどこを拠点としているのか。

 詩的な指さばきを見せつつ、一部エフェクターをかましたエレクトリック・ピアノも弾くラックナーは、今様な響きに留意するピアニストと言えるか。とともに、ポップ・ミュージックとの接点を求めるように、彼はロック曲を取り上げたりもする。その様、ちょい小賢しい? この晩も、デイヴィッド・ボウイ、コールドプレイ(2006年7月18日)、ジミ・ヘンドリックスらのカヴァーを披露した。

 その演奏に触れて、リーダーの死去でとっくに解散したE.S.T.(2003年6月17日、2007年1月13日)のことを少し思い出す。基本的には1990年代の価値観のもと大飛躍し新境地を闊歩していた彼らの尻尾をなでる感じで今をうろうろしているピアノ・トリオが散見できるわけで……。先日、インタヴューしたルクセンブルグ人俊英ピアニストのミシェル・ライス(彼、7月に来日するはず。バークリー音大時代に知り合った日本人奏者たちとギグをする)もアコースティックながらトリオ表現はE.S.T.から薫陶を受けていることを隠さなかった。

▶過去の、コールドプレイ
http://43142.diarynote.jp/200607191428180000/
▶過去の、E.S.T.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/

 次は南青山・ブルーノート東京で、マット・ビアンコ(2001年2月5日、2013年8月24日)のシンガーのマイク・ライリーとオランダのラテン・ジャズ・ファンク・バンドのニュー・クール・コレクティヴ(2009年9月6日、2013年9月7日)の協調ライヴを見る。フェスで何度か両者は重なることがあり、一緒にやってみないかというライリーの申し出から、双頭アルバム『ザ・シングス・ユー・ラヴ』へと実を結んだ。

 8人編成のニュー・クール・コレクティヴによるインスト曲のあと、ライリーが入る。曲はアルバムに入っていた共作曲を披露。『ザ・シングス・ユー・ラヴ』はマット・ビアンコの人気曲「ドント・ブレイム・イット・オン・ミー」もカヴァーしていたが、ライヴではさらにマット・ビアンコの「フーズ・サイド・アー・ユー・オン?」や「イエー・イエー」(もともとは、ジョージィ・フェイム:2008年3月17日、2009年9月2日、2013年8月8日の曲)などもやり、素直にうれしい。

▶過去の、マット・ビアンコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
▶過去の、ニュー・クール・コレクティヴ
http://43142.diarynote.jp/200909120649284792/
http://43142.diarynote.jp/201309161507226186/
▶過去の、ジージィ・フェイム
http://43142.diarynote.jp/200803201208100000/
http://43142.diarynote.jp/200909120645492039/
http://43142.diarynote.jp/201308110828525647/

 締めは、代官山・晴れたら空に豆まいてで、トロント在住のクリス・A・カミングスによる一人弾き語りユニットであるマーカー・スターリングを見る。彼、かつてはマントラーという個人ユニット名で活動していた。

 前座が2つあってもショウは始まっていて、ステージ上には太り気味で禿げたおじさんがいる。で、ピアノを弾きながら、移ろいやすいと形容できなくけもない歌を乗せている。曲によっては乱暴に原始的なリズム・ボックス音も用いる。総じて、はかなく、ポップな味わい。そして、ぼくはなんか『サムシング・エニシング』のころのトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)のテイストを思い出す。杜撰なリズム・ボックス音に杜撰な重なり方を見せるところなども、そう。なにげに、カヴァーもやっていて、それはカヴァー・アルバムを出したこと繋がっているよう。ニール・ヤング(2001年7月28日)の「ライク・ア・ハリケーン」は良かった。

▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm

<今日の、無茶>
 帰国した翌日から、ライヴをはしご。最後の会場であった知人に、元気ですねーと驚かれる。いやー帰国後のリハビリですと、このときは余裕であったのだが。馴染みの店の開店七周年のパーティが金曜にあるのだけど所用があって行けないので、ほんとはこの後にちょい顔を出しておこうと思っていたのだが、それはさすがに自重したんだけどお………。

 このフェスティヴァルでも、昨年のパリのテロを受けての危険物チェックはなかなかに厳重。バッグのなかの検査とおさわりボディ・チェックの2つがデフォルト。基本、クローズドされたハコに入る場合はその都度チェックを受けると考えていい。が、フェス期間が後半になってくるとチェックは少し甘くなっていたような。また、客に東洋人はほとんどいないから、セキュリティ係員もぼくの事を覚える人もいて(ぼくは人の顔や名前を覚えるのが苦手で、逆に覚えるまで行かなかったが……)、またお前かという感じで軽いチェックですませる場合もありました。

 まず、ルディトリウムというクラシック用途も可能そうな立派なホール(定員480人)で、在仏英国人シンガー・ソングライターのアラ・ニのショウを見る。ソールド・アウト(このフェスは、会場ごとのブロック売りにてチケット販売をしている)でパス保有者の入場をはじいていたが、取材やったばかりで日本でレポートしなきゃいけないとゴリ押しして、中に入り込む。ジャズ流れな弾き方をするギタリストとチェロ奏者を従え、見事に蜃気楼のようなレトロ&ジャジーな世界をぽっかりと、彼女は浮かびあがらせる。途中、客席におりてノー・マイクで歌ったりと、見せ方にも留意していた。

 この後、たっぷり夕食タイムを取った後(カロリー高そうな、食事系ガレットをがっつり食す。前菜やデザートは何を食べたっけ?)、まずは6500人収容の大テント(ル・W)で、ラ・ファムを見る。生理的にグラマラスかも。天井からいろんなつり下げ者がヅロアに降りて来て驚く。それから、2400人収容アリーナのル・パレ・ドロンでエレクトロニカのティラシン。マルチ・プレイヤーと言われる彼は装置を扱うだけでなく、サックスも吹く。ル・Wに戻って、UKバンドのブロック・パーティ(2006年11月2日)も見た。わあ、こんなデカい所でやっちゃうの? フツーに、ブロック・パーティだった。

▶過去の、ブロック・パーティ
http://43142.diarynote.jp/200611071308560000/

 ル・22(西)のほうに行って、仏白人ラッパーのトークン。ときに、DJと一緒のパフォーマンスはとっても早口。続いてル・22(東)ではアフリカ系ラッパーのMHD。こちらはフランス語で、ときにエスノなスパイスあり。トークンより、こっちのほうが客は燃えている。

 ル・パレ・ドロンで、仏エレクトロ・ポップ・ユニットのザ・シューズを見る。デュオという情報であったが、3人でパフォーマンス。まず、彼らの場合、背後に映し出される映像がしっかりと目を引く。また、その後にル・Wで見たウォラタクルは装置を扱うだけでなく、要所要所ではキーボードを弾いて自らのハウス表現を一人で形作る。彼も映像や照明は凝っていて、とても魅せる。

<今日の、仕事>
 インタヴューは、この日も2本。▶アラ・ニ:英国人ながら(デイモーン・アルバーン:2003年5月31日らとの交流もあり)、私の個性はフランスのほうが受けると感じ、事実ノー・フォーマ!との契約を得て、1年前からパリに住んでいる褐色の女性シンガー・ソングライター。取材場所に表れた彼女の魅力的なこと。ルックス、佇まい、私服、どれもがキラキラ。あんただったら、何をやろうと応援するゾと思ってしまったではないか。豪バイロン・ベイで会って同様の所感を得た、アヨ(2014年6月21日)の輝きを思い出す。▶ラ・ファム;『Psycho Tropical Berlin』というインディ発の2013年作1枚でスターダムに乗ってしまった、レトロでエレクトロなポップ・ロック・バンド。自らは、“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・ミーツ・クラフトワーク”と語る。かなりカラフルな格好をオフのときからしているのだな。
 ブールジュに移っていらい、ホテルのワイファイが弱くてネットに繋ぎにくく、悲しい。とともに、メールが受信できても送信できないアクシデントに見舞われ、慌てる(帰国間際の、シャルル・ドゴール空港でも同様。だが、帰国後は何もしないのに元に戻る)。なので、Facebookと繋がっている方にはそれで返信する。なるほど、こういうこともあるから、Facebookの繋がりは持っていたほうがいいのか。ブログは書いてもFacebookは書き込んだりしないので、ぼくは友達申請を自分から出すことはない。知人から申請がきたときには、笑顔で応えるものの。うーむ。これは、危機管理として、Facebookの友達充実を考えたほうがいいのだろうか。もしかして、忘れたころに、大量に友達申請を出したりしてなー。
▶過去の、ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶過去の、アヨ
http://43142.diarynote.jp/201406231449024018/

 フェスティヴァルの会場の近くには、世界遺産に登録されているブールジュの大聖堂があって、なるほどそれは荘厳。昔見たケルンの大聖堂の立派さを、ふと思い出した。というのはともかく、思わずカメラを手にしたくなる。その周辺の町並みも石畳をはじめ、とっても古そうで、風情あり。ブールジュ通(?)の人に案内していただいたが、フェスのついでに、食事ともどもここらあたりを散策しないとウソだと思った。

 一番デカいテント会場(ル・W)で見たジェネラル・エレクトリクスは、キーボードを弾きながら歌うエルヴェ・サルターのユニットで、ちゃんとしたバンド編成のもと、娯楽性あるダンス・ポップを聞かせる。やんやの喝采で、その人気の高さを認知。シャツにネクタイがトレードマークのような彼が知られるようになったのは2000年代に入ってからだそうだが、デカいヴィジョンに映し出される顔はけっこう皺がある(40半ばはゆうにいっていそう)。何気に、苦労人?

 その後、プレス向けのクローズな場で、テレキャスターを弾きながら歌う褐色スリムなお姉さんのショウを見たが、名前は失念。ドラマーがサポートしていた。フェスティヴァルで伸び盛りの担い手が出てくるのは、ル・22というハコでそれは隣り合わせに東館と西館に分かれていて、ライヴは交互になされる。ともに、スタンディングでキャパは350なり。その東と西を行き来して、ちゃんとバンドでしなやかさと芯を併せ持つ実演を披露したパプーズ、いかにもUKロックな英国カンタベリー出身の5人組バンドであるブロークン・ハンズ、まだ20代前半の仏ロック・バンドのラスト・トレインらを見る。とくに、ガレージぽいロックンロール・バンドであるラスト・トレインの質量感あるステージにはびっくり、興奮。ルックスも良いし、若いのにも関わらず見せ方の妙もよく知っていて、もう花マル。大推奨!!! 

 その後、再び大テント会場のほうに向かったのだが、手前で大渋滞。いやあ、待機しているのがしんどかった。このころには、地元の若い衆(?)が集団であっちこちで思うままやんちゃしていて、それをはた迷惑と感じたことに歳を感じたか。キャパ6000人超えのル・Wで見たキャラヴァン・パレスはいかにもフランスの集団らしいと感じずにはいられない音楽性とステージ運び。エレクトロ・スウィングという面々のキャッチを見たような気がするが、なるほどそういうこと(マヌーシュ味もあり)を、コテコテの見せます精神のもと展開。プリセット音併用ながら、ウッド・ベースやヴァイブラフォンやクラリネットやトロンボーン奏者たちも活躍。中央にいる女性歌手ほか、シンガーも複数いたか。キャヴァレー文化を受けているとも、感じる?

 夜も深まると、場内は見事に草くさい。売店ではアルコールもじゃんじゃん売っている。シンガーとMC(トゥースティング)を両方やるナーマンは2500人規模ホール(ル・パレ・ドロン)への出演でもう激混み。なんで、もっと広いテントのほうでやらないのかと思う。ちゃんとレゲエを愛するハンサム君(ときに、声がボブ・マーリーぽいと思わせるときあり)のとってもココロと技のあるパフォーマンスは良い。ジャマイカンでも英国人ではない、フランス白人レゲエは日本では受けにくいのかなとほんの少し考えたが、すぐにショウに戻り入り込んだ。

<今日の、仕事>
 例により、夕方に二組にインタヴューする。▶青年2人、フォーキー・ポップ・ユニットのパプーズ。ルックスも良く、日本人が考えるところのフランスぽさを多大に彼らは与える、と書いても語弊はないだろう。昨年来日し、新作『グリーン・ジュース』の日本盤も出たばかりで、話もはずむ。そこで、彼らはアート・リンゼー(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日、2015年6月9日)曲もカヴァー。どうして? 答えは、好きなんだもん。▶フレンチ・レゲエ界の大スターの、ナーマン。彼はツアー中で、立派なツアー・バスの中でインタヴューする。さすが売れっ子は立派なバスで回るんですねと振ると、「いや、これはやっと借りることができて、今日から使っている。これまではヴァン2台で動いていたんだ」と、見栄を張らない好漢なり。いや、ほんとナイス・ガイでした。
▶過去の、アート・リンジー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201506111719463390/

 パリから列車や車で2時間半の、フランスのちょうど中央にある小都市のブールジュで開かれる“春のブールジュ”と名付けられた音楽フェスティヴァルを見に来た。フェス自体は12日(火)から17日(日)にかけて持たれるが、初日と最終日は小規模設定で、水曜日から土曜にかけての4日間が大々的なフェス開催となる。平日が3日間も入っているが、昼間にあるのは新人系の小さめの出し物と(ゲリラ的?)無料ライヴで、その多くのプログラムは夕方から夜中にかけて持たれる。深夜になってもおかまないなしにドンドコ状態で、会場からけっこう離れたホテルに深夜に帰ってもDJ音は聞こえた。なんでも、ブールジュがこのフェスで得る経済的効果はフジ・ロックにおける湯沢町のごとしのようで、かような迷惑も自治体/住民は許容しているように思える。

 サマー・シーズンに仏各地で山ほど行われる音楽フェスのなかではもっとも早い時期に行われる大フェスとして広く知られているようで、今年で40回目をむかえるようであり、その規模はデカい。同地の公園や既成のホールやアリーナを用いて行われ、一番デカい会場はテントが設営され、それはフジのレッド・マーキーを二周りほど大きくしたようなもので(一応、定員6500人と記されていた)、後部にはスロープ上の座席も設けられている。有料のステージは全部で10個以上ある感じで、そこにロック、ヒップホップ、エレクロト系アクトが次々に出る。各種売店の出店も多く、他のいろいろなフェスと同様、お祭り状態ですね。

 昼間ブールジュ駅前で、ルクセンブルグで取材したばかりのノー・メタル・イン・ザ・バトルのベース君とばったり。彼、観客として見に来たという。駅近くのホテルを彼は取っていたようだが、一切キャンプ・スペースのようなものはなく(寒目で、けっこう雨も降るとなれば、キャンプは無理とも思えるが)、街の規模からいってもホテルが数多くあるはずもなく、宿泊できる人の数は限られそう。すると、層の広い観客はどこから来ていたのか。

 基本、フランス人の担い手が多いが、海外アーティストも出演する。前日には米国南部ソウルの新星、リオン・ブリッジズのライヴもあったようで、それは見たかった。下にあるように取材おえてから、会場内を少し研究(?)し、和み、21時近くになってから、ライヴ・ショウを享受。

 スタジオコーストをデカくしたみたいな常設会場(普段はスポーツなどもやる場のよう)で、ぼくの大好きなカナダのパトリック・ワトソン(2008年11月12日、2009年8月8日、2010年1月21日)をまず見る。おおデカい会場に合うステージ美術がうれしいじゃないか。ライヴの人員が多くなったなかで“響くロック”を、彼らは堂々展開する。それから、モザンビーク・ルーツの自作派ヒップホップ・ソウル歌手のトカイ・マイーザやダンス調ポップを趣味良く聞かせるランペラトリースらを見る。マイーザはかなり一般層にアピールしそうなことをしている女性だが、ライヴを見て、なんか妙に癖になりそうな引きを持つかも。あれ、後は何を見たっけか?

▶過去の、パトリック・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200811131201183307/
http://43142.diarynote.jp/200908181435528052/
http://43142.diarynote.jp/201001241245595036/

<今日の、仕事>
 夕方に会場の取材用にあてられた建物で、フェス出演者3組にインタヴュー。それは全部このフェスの広報部門のようなところが仕切っていて、前日にならないと(ある程度の候補は聞き、こちらの意向も出していたが)取材アーティストが判明しないのには少しまいった。ひゃはースリル満点、まさに知識の蓄積と融通の効くジャーナリスト資質が問われる状況、なり。取材したのは、▶ランペラトリース;アルバムを聴くとエレ・ポップ調だが、皇后という意味を持つ大所帯の20代グループで、リーダーはなんと細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2015年10月25日)が大好きとか。▶J.C.サターン。歌手とベーシストはイタリア人女性の(男性陣はフランス人)、ある意味オールド・スクールなロックンロール・バンドで、面々はお酒のボトルを回し飲みしながら、平和&友好的に取材を受ける。でもって、メンバーは汚い刺青だらけ。長身のキーボード奏者だけ、俺は彫らねえと頑な態度を見せる(笑い)。大昔のフランスにテレフォンという男女混合のイケているロックロール・バンドがいたことをふと思い出した。彼ら、けっこうT・レックスみたいな聞き味もあり。▶トカイ・マイーザ;モザンビーク出身(その出自は今の表現にも活きているはずと、彼女は言う)、現在はオーストラリアに住む、まだ二十歳のシンガー/ラッパー。米カートゥーン・ネットワーク流れのアニメを用いるPVは魅力的、仏キツネ・レーベルの女性がついていた。

ガッツ

2016年4月13日 音楽
 パリに戻る。ラ・マロキネリという東京で言うならリキッド・ルームみたいなハコになるかも(かどうかはいまいち分らない。あ、ちゃんとしたレストランも併設しているよう。少し前にはザ・インスペクター・クルーゾ〜2010年5月7日、2012年10月4日、2014年11月20日〜もここで公演をやっている)というヴェニューで、フランス人トラック・メイカーのガッツのショウを見る。満員、その人気ぶりに驚く。本人が出すトラック音を下敷きとするものの、フルのバンドで精力的に事にあたっていた。ラッパー、女性シンガー、トランペッター&ヴォーカル(レオン・トーマスという人で、彼も人気者のよう)、テナー・サックス、トロンボーン、キーボード、ベース、ドラムという布陣で、総花的なダンス・ミュージックを送り出す。うきうき。うぬ、客もえていたよなー。

▶過去の、ザ・インスペクター・クルーゾ
http://43142.diarynote.jp/201005091451244918/
http://43142.diarynote.jp/201210061012387869/
http://43142.diarynote.jp/201411211148399707/

<今日の、仕事>
 昼間、パリ各所で4組にインタヴュー。▶アシッド・アラブ:アラブ、北アフリカ要素を介する2人組DJチーム。▶マヌ・カチェ(2011年1月28日、2012年1月13日)。▶ソフィアン・サイディ:アルジェリア移民の、ロック味も持つ自作派シンガー。ナイス・ガイ。▶コウキナカノ+ヴァンサン・セガール:ノー・フォーマ!から近くデュオ・アルバムを出す彼らはリハの演奏も少し見させていただく。セガール(2011年6月6日)ん家のすぐ近くに、三宅純(2012年6月30日)は住んでいるそう。なお、カチェ指定の取材場所はサンジェルマン・デ・プレの著名カフェであるカフェ・ド・フロールの2階。ひょんなところから、観光ができました。しかし、そこに仕立ての良いシャツとジャケ(下はジーンズ)でふらりと表れたたカチェさんは自然体で格好よかったなー。フランスの音楽を海外に紹介するビューロー・エクスポートという仏政府外郭団体のパリのオフィスに行ったら、ベルリン、ロンドン、ニューヨーク、東京、サンパウロにある支部の人たちが集まり統合ミーティング期間中で、沢山人がいた。けっこう、規模を持つナ。
▶過去の、マヌ・カチェ
http://43142.diarynote.jp/201102081259129769/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
▶過去の、ヴァンサン・セガール
http://43142.diarynote.jp/201106131249004038/
▶過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/

ロッカル

2016年4月12日 音楽
 ルクセンブルグの、ルクセンブルグに来ている。パリ東駅から特急で2時間半ほどの所。人口50万人にも満たない欧州小国の首都(ほのぼの、田舎の感じあり)にまさか来るとは思わなかった。実は、産業誘致なども成功していて、同国は欧州一裕福な国と言われている。それゆえか、酒税や煙草にかかる税率は低く、実際バーの価格は安かった(入ったレストランはパリと同じぐらいか)し、近隣の国からは酒や煙草を買いにくるという話も聞いたような。当然、日本で隣県に通勤するように、ルクセンブルグに毎日働きにくる人も少なくないようだ。そこらへんは通貨が同じで、行き来がまったく自由な欧州の地の利が幸いしている。

 いろんな取材のかたわら、ルクセンブルクの郊外にある(車や電車で30分ほど。昼間15分間隔ぐらいで走っている2階建て列車は、ルクセンブルグ間が2ユーロ。パリの地下鉄が1.8ユーロであるので安目と言えるか)ロッカル/Rockhalという国営の音楽総合施設に行って来た。音楽ヴェニュー好きとしては、チェックしても損はないと思っていたら、これが想像を遥かに超えて規模が大きいもので驚く。広大な製錬工場跡地(その一部はリノヴェイションされ、工場博物館となっている)に持たれたもので、わざわざロッカルを作ったときに鉄道の駅も作ってしまったそうな。コンサートのチケットを持っていると、電車代は無料になるそうだ。

 同所にはいくつもの音楽ヴェニュー(一番でかいのは、スタジオコースト以上。それゆえ、そこは頻繁にスケジュールが入っているわけではない)、音楽図書館、レコーディング・スタジオ、練習スタジオ、ダンス用スタジオなどが持たれている。とともに、30人ほどのスタッフがいて、コンサートを持つとともに、有名人らワークショップや細分化されたイヴェントを企画するとともに、アマチュアの面々を懇切丁寧に指導し、練習スタジオを無料で貸し、立派な録音用スタジオも抱えレコーディングのやり方も手ほどきし、さらにはマネージメントとの契約の仕方や公演の打ち方までを手助けしている。とうぜん、ここにあるライヴ会場も貸し、そのあがりは出演者がとっていいことになっているという。いわば、同国の若者に娯楽を提供(それは近隣外国の人間を集めることにも繋がるだろう)するとともに、国際競争力を持つポップ・ミュージックの担い手を育成しようという意図を、大々的にロッカルは持っている。

 規模の大きな、国営の“スクール・オブ・ロック”なるもの? ロックやヒップホップをお上から教えてもらっていいのという素朴な疑問はともかく、それはリッチで人口の少ないルクセンブルグだから出来ることであり、そういう小回りの利き具合こそは同国の今の繁栄を導いているとも言えるかもしれない。同国のポップ・ミュージックを介しての中央ヨーロッパにおけるイニチアシヴの行方は、とっても興味をひかれるところではある。

 ロッカル地区はホテルやショッピング施設や飲食施設も持ち、今は国内唯一の大学であるルクセングルグ大学もここに引っ越してきてしまった。大学に進む人は日本で他県の大学に進学するように他国の大学に進む人も多いそうだが、それはルクセンブルク人が何カ国語も覚えてしまうからでもある。TVのニュースなどはルクセンブルグ語でなされるそうだがフランス語とドイツ語、そして少し遅れる形で英語は覚えてしまうそう。そこらへんは他の一カ国語でも覚えるのにきゅうきゅうとしてしまう日本人の感覚とはまったく位相を別にするものと言うしかない。そのぶん、日本にはワビサビがある、日本食がある。あ、違うか? ともあれ、そんな多国語が併置される環境はポップ・ミュージックのありかたにも影響しないはずはないだろう。ルクセンブルグらしさ、それは国境のない現在のユーロ感覚の最大公約要素の抱え方にあるのではないか。なお、同国のバンドは英語で歌う担い手が多い。

<昨日と今日の、仕事>
 そのロッカルのディレクターのサムさんや、ルクセンブルグの音楽を海外に紹介しようとする政府がお金を出している団体であるミュージックLXの皆さんに話をうかがうほか、7組のミュージシャン/バンドにインタヴュー。▶ホエン・エアリー・ミーツ・フェアリー:アイスランド人女性歌手を擁する3人組(取材は鍵盤ベーシストにする)。ケイト・ブッシュ・ミーツ・エレクトロニカ、てな聞き味。▶ミシェル・ライス:日本盤も出ている、俊英ジャズ・ピアニト。▶ノー・メタル・イン・ザ・バトル:ポスト・ロック・バンド。アフロ・ビート要素あり、トータスやフェラ・クティ愛好をもとに、自らのインストを展開。▶スカーレッド:ルクセンブルグはメタル・バンドが少なくなく、同国のトップ・バンド。シンガーが超カッコ良くてびっくり。▶ポル・ベラルディ:ベースシト、ヴァイブラフォンなど。いくつかのバンドを率い、視野の広い現代ジャズを見事に創出。▶パスカル・シューマッハ:何度も来日経験ありのヴァイブラフォン奏者(2014年3月11日、2015年12月4日)。▶ドリーム・キャッチャー:カントリーやケルトやジプシー要素も入れた同国の異色アコースティックなポップ・ロック・バンド。シンガーにインタヴューしたが、結構な顔役で、自らフリーの音楽フェスを主催したりもしている。
▶過去の、パスカル・シューマッハ
http://43142.diarynote.jp/201403131302543532/
http://43142.diarynote.jp/201512051303541884/

 2日前から、パリに来ている。気ままに出歩く日々。東京より寒く、ときに雨が降るのは普通のことらしい。ところどころで、ちょうど咲いている桜の木を認める。どこも1本だけで日本の桜ほど大きくないが、かつてあちこちに植樹されたのだろうな。3月下旬から夏時間が採用されたようで、午後9時でも明るい(逆に、朝の7時は暗い)のはうれしい。

 この日は夕方、10区にあるニュー・モーニングというジャズ箱へ行く。看板は出ておらず、黒い鉄板ドアの奥にあるので、分かりづらい。マヌ・カチェ(2011年1月28日、2012年1月13日)の2014年の独アクト発のライヴ盤はここで録られていますね。天井は低いがけっこう広い会場で、汚い。飲み物のみのサーヴのみで、食べ物はいっさいなし。パイントの量のビールはプラケース提供で(確か)9ユーロ。椅子をステージに向かい半円形に並べ、200人強は入っていたはず。グランド・ピアノは置かれておらず、この日はフェンダー・ローズが設置してあった。

 故ミシェル・ペトルチアーニ(2012年8月7日、参照)の兄であるギタリストのフィリップ・ペトルチアーニがリーダーシップを取る公演で、彼が過去にも共演作を出している女性シンガーのナタリー・ブランとの双頭作『Remember Petrucciani』(Jazz Village,2016)を題材とするショウと言えるか。2部制、入場料は25ユーロぐらいだったのではなかったか。なんか、そういうことってすぐに忘れちゃう。

 最初はフィリップとナタリー・ブランとのデュオ。けっこういい歳の彼女はフランス語でスタンダードっぽい曲をうたっていた。2曲目いこう、そこにベース(ウッド・ベースと電気ベースの2人。2人一緒に演奏する曲も多かった)、3管、ドラムが入る。つまりピアノレス編成にて、管セクション音などはそこそこ練られたセッション風演奏は進められた。

 2部はまず、なんと真性ブルース・マンのラッキー・ピーターソンが出て来てソロで延々弾き語り。それ、ゴスペル調くずし。ちょい、ダニー・ハサウェイ的と思わせるところもあり。実は、ここに来ようと決めたのは、ゲストで彼の名前が入っていたから。かつて、仏ヴァーヴ/ジタン・ブルース・シリーズからアルバムを出していた彼(そのときに発表したジャッキー・ミトゥ曲カヴァーの「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥゲザー」は、『クール・バラード』というユニバーサル2006年発のコンピ盤にも入れさせてもらいました)だが、今パリに住んでいるのかな? 彼は今年、『Long Nights』(JSP)という新作を出したばかりだ。

 オルガン奏者としてもギタリストとしても知られる彼だが、この日はエレクトリック・ピアノを弾く。次の曲から1部の出演者が出てきて、わりとステディなビートのもと、ラッキー・ピーターソン主導と言える曲をやる。ふふ。また、ヴァイオリン奏者としてインターナショナルな知名度を持つディディエ・ロックウッドも演奏するが、彼のそれにはほう。やっぱりうまいし、彼は生ヴァイオリオンにエフェクターを通すときもあるのだが、表現力豊かで、それはバーニー・ウォレル(2007年8月7日、2011年8月12日、2012年7月27日、2013年1月30日、2014年10月28日)のシンセ演奏みたいと思わせられもした。彼はソロの際、ループ音を作る場合もあった。

 最後はやっとリズムが4ビートに戻っての、ブルース。ラッキー・ピーターソンの指裁きは完全なジャズ・マナーではないが、これにも彼は無理なく合わせる。なお、開演前には客席にはちょこんとミシェルの息子のアンソニー・ペチルチアーニも座っていた。でも、彼はすぐにいなくなった。

▶過去の、ミシェル・ペトルチアーニ
http://43142.diarynote.jp/201208091509447159/
▶過去の、バーニー・ウォレル
http://43142.diarynote.jp/200708051740450000/
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
http://43142.diarynote.jp/201208091303253665/
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/?day=20141028

<今日の、セキュリティ>
 会場の入り口で、危険物携帯がないかのチェックあり。それは博物館とか人の集まる施設に入るときも同様。それ、昨年秋のテロ以降に行われるようになったそう。フットボール・シーズン期に欧州に来た場合、ぼくはなるたけサッカーの試合を見に行くことにしているが、昨日の土曜サッカー日にパリ・サンジェルマンはアウェイ試合。残念。もし、ホームで試合があってサンドニに行ったとしたら、昨年のテロの決行場所にもなっただけに入場チェックは相当ものものしかったと思われる。今、警備業界は人手不足になっているだろうとも思った。
 “カメレオン”とは、ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日)の1973年転換作『ヘッド・ハンターズ』に収録されていたファンク・アンセム。そして、LA在住大御所ドラマーのハーヴィー・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2013年5月10日、2014年5月28日)は無名の時代に同作に参加し、一気に注目を浴びた。結局、ハンコックのヘッドハンターズ(アルバム名は“ナカグロ”が入り、ブループ名の場合は“ナカグロ”なしとなる)には1作しか関わらなかったものの、その黄金曲をネタにしようとする出し物をここのとろやっていて、今回が3回目となる。しかし、そこはマンネリ〜レトロになるのを避けようと、メイソンは今の勢いや輝きを持つサイド・マンを擁する。メイソンと同じLA居住者が中心で、かつてウェスト・ロンドン派として名をはせたマーク・ド・クライヴ・ロウ(ピアノ、キーボード、装置)、カマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日)一派ににいるテナー・サックスのキース・マッケリーとウッド・ベースのマイルス・モズレー(2015年10月31日)、そしてフランス人DJのDJゴーストというのが、今回の同行者だ。

 というわけで、大人気作『ヘッド・ハンターズ』というフックを借りた、メイソンの若手をまとめての現況報告会と言うこともいえるか。考えてみれば、ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』もリード奏者のベニー・モウピン以外の面々は新進だったわけで、そのあり方をここでメイソンは流用していると言えないこともない。

 途中からどんどん、おもしろくなる。ああ、今っぽいジャズ演奏のあり方だとも思わせられたな。クライヴ・ロウはピアノにもエフェクターをとおし、EWIもときに吹くマッケリーは確かな吹き口をみせ、変な色のアコースティック・ベースを持つモズレーは音質は少しちゃらいがアルコ弾きも達者にこなしつつ表現をささえ、DJゴーストは全然かったるくなくジャズ・セッションの一員であることをまっとうする。ヴェテランとの今の流儀を持つジャズ奏者との、笑顔の、ときに意気をもってのやりとり。肝心のメイソンのドラミングはぶっちゃけ、少し古くさい。だが、アイコン的な人がいてこそなりたつ妙味やおいしい回路のようなものもあっただろう。

 見事に“ヘッドハンターズ”を通らない内容の実演、とも言えた。実はヘッドハンターズがらみの好スロウ「バタフライ」(『スラスト』収録なので、メイソンはオリジナルには不関与)と「カメレオン」は演奏したことはしたのだが、ちゃんと5人のやりとりや工夫を経た結果のオリジナルから相当に変質させたものになっていて、おおいにうなずく。原曲再演を求めた人がいたなら、さぞ寂しかったろう(笑い)。アンコールのマイルス・デイヴィス曲「ソー・ホワット」もあの有名リフをほぼスルーする行き方でクール! DJゴーストはマイルスの肉声を差し込んでいた。あ、ミルト・ジャクソンやボビー・ハッチャーソンからマーカス・ミラーまでけっこうジャズ系奏者に人気のザ・スタイリスティックス(2015年12月27日)の名曲「ピープル・メイク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」も演奏したが、わりとそれは素直にやった。

▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
▶過去の、ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150906
▶過去の、マーク・ド・クライヴ・ロウ
http://43142.diarynote.jp/200603100922500000/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
▶過去の、マイク・モズレー
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
▶︎過去の、ザ・スタイリスティックス
http://43142.diarynote.jp/201601041735456365/

<今日の、記憶>
 ものすごく前に一度、マーク-ド・クライヴ・ロウにインタヴューしたことがある。まだ、ロンドンに行く前(もうすぐロンドンに拠点を移すと言っていた)で、そのころは東京で活動をしていた。お母さんが日本人の彼、日本語も普通に話したんじゃなかったか。その質疑応答を出した雑誌をはなんだったけなー?  ぜんぜん覚えていない。思うまま拠点を移しつつ、ちゃんと自分を出せる活動を維持していて、うれしく思いました。

< 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 >