代官山・晴れたら空に豆まいて で、アルメルア系アメリカ人ギタリストであるバハグニ・トゥルグチアンの公演を見る。CDを聞いてもその真価は伝わるが、いろいろと感心するところありました。

 スペインに渡りフラメンコ・ギターの研鑽にあたったという経歴もすんなり納得できる、ガット・ギターを手にしてのフラメンコ・ギター表現がパフォーマンスの柱にある。が、そこは30歳のイケ面くん、年齢相応のいろんな差し込みがナチュラルになされ、結果として、繊細にして大胆な、パッション性にも富むスケールの大きなギター・インスト表現という像を結ぶのだからこっくりさせられる。

 何気にハーモニックス音を効果的に用い、機を見るに敏といった感じで、エフェクター音やループ音も用い、現代的濃淡や光彩を抱えたギター表現を提出する様は鮮やかにして、クール。それに接すると、とてもアンダーレイテットな人であるとも思わされるわけで……。いやはや、実力者でありました。

 単身の来日であるが、LAではバンドでの活動が主となるようで、ヴァイオリン奏者の定村史朗と打楽器奏者のヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日、2014年6月16日、2015年8月31日)が曲によっては加わる。その協調も無理がなかった。

 システム・オブ・ア・ダウンがオルタナ・ロック界の天下をとっていたころ、彼らがLAのアルメニア・コミュニティの出身であることもけっこう報じられた。そのため、同地にアルメニア系の人々が集まる地区があるのは知っていたが、彼のような人に触れると、LAのアルメニア地区にいかばかりかの幻想を持ちたくなるな。現在はアルメニアに居住している(んだよな?)才人ティグラン・ハマシアン(2014年9月26日)もそこの育ちで、トゥルグチアンとは一緒に音を出し合う関係にあったという。
 
▶過去の、ヤヒロトモヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
http://43142.diarynote.jp/201406180852131370/
http://43142.diarynote.jp/201509021103292742/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/

<今日の、湘南>
 辻堂に葬式に来ていた、大阪在住の大学時代の友達に会うために鎌倉に出かける。渋谷から1本で鎌倉駅まで行ける湘南新宿ラインに乗ったつもりだったが、事故の影響で大船(だったかな?)止まりになってしまい、ぎゃふん。なんか、そういうこと少なくなさそうで、毎日使っている人はストレスたまりそう。三連休の最後の昼さがり。にぎわっていたな。海の見えるところで、歓談。なるほど、一度うるさいバイクの集団が通ったのがいやだったのと、休日や夏場に人が多そうなのはナンだが、ゆったりと時間が流れているような気がして、東京に出るのに時間がかかっても、こっちに住む人がいるのも分るような気がしたかも。そして、東横線で戻って来て、代官山で下車して、ライヴを見た。