マルチン・ボシレフスキ・トリオ(2015年9月24日)、ザ・タイム・イズ・ア・ブラインド・ガイド(2015年9月28日)、そして彼らと、ここのところECM所属アーティストの来日が重なっているなー。

 2006年以降、自己クインテットのローニンの4枚のアルバムをECM(一番新しい作品となるライヴ・アルバムは2枚組だ)から出しているスイス人ピアニストのニック・ベルチュ(2006年10月26日、2008年4月27日、2012年12月23日)のリーダー・グループのショウを、代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。長目の曲を4曲やった。

 バス・クラリネットと小さなサックスを吹いたシャー(2012年12月23日)、ドラムのカスパー・ラスト、エレクトリック・ベースのトミー・ヨルディ。新加入となるベーシストは日本在住とか。ベルチェもかつて神戸や京都に住んでいたことがあるので〜その流れで、いまも僧侶くずれのような妙な格好をしていますね〜、そのベーシストの件にもあまり疑問は感じないか。今回はサウンドと照明担当の両名も同行。彼らはこの後、中国8カ所でライヴを持つ。

 演奏を聞いてまず感じたのは音がいい、ということ。相変わらずピアノは弦をいじって色んな音を出すが、それをはじめそれぞれの楽器音がちゃんと聞こえるし、とくにドラムの音には感激。1曲目はちょいドラムの音が大きいかとも思えたが、あの複雑なリズム・テクスチャーを支える楽器の音がこれだけ明瞭に聞きとれるんだもの、これは至福というしかないではないではないか。リム・ショット音に1拍目だけエコーをかけるとか、細かい処理がなされていた。

 リフ、反復の妙がモザイクのように、ときに騙し絵のようにつらねられ、確固としたうねりや色彩感や刺を作り、流れて行く。それらは変拍子の見本会のようなものでもあるわけだが、かつて禅にかぶれた(?)ベルチュの指針はわざとらしさや過度の負荷を排する方向を持つ、集合演奏として完結する。そこらへんのバンドの意志の統一の取りかたは見事だし、ほんと皆さん頼もしい奏者たち。

 一言で言えば、プログ・ジャズ。曲にしても、各人の演奏にしても所謂ジャズの様式からは離れるが、とてもスリリングで、力と美意識をを持っていて、ジャズを通過した奏者の今がここにある。これを現代ジャズの一つの秀逸なカタチというにやぶさかではないし、そういう彼らを送り出すことが似合うECMはやはり秀逸なレーベルなのだと思う。

▶過去の、マルチン・ボシレフスキ・トリオ
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
▶過去の、ザ・タイム・イズ・ア・ブラインド・ガイド
http://43142.diarynote.jp/201510021143165760/
▶過去の、ニック・ベルチェ
http://43142.diarynote.jp/200611020835110000/
http://43142.diarynote.jp/200805031359390000/
http://43142.diarynote.jp/201212240918419016/
▶過去の、シャー
http://43142.diarynote.jp/201212240918419016/

<今日の、真心>
 この日は、ステージ上にはフェンダー・ローズも置かれ、ベルチュはそれも一部で演奏した。実は一昨日、この会場(晴れたら空に豆まいて)にバハグニ・トゥルグチアンを見に来た際、その上階にある山羊にきく? の方に、ローニンは出演していた。トゥルグチアンのライヴ休憩時にのぞいたら、まだ実演開始前。それで、頭の1曲だけ聞いたのだが、この日の演奏と比較すると、けっこうサウンドの噛み合い方に差異があり、生理的な“立ち”の感覚の違いを感じた。やはり、ローニンとしてのちゃんとした公式や流儀はあるものの、実演では即興〜気分で噛み合っていく部分もおおいにアリということなのだろう。まっとうにジャズを知るミュージシャンがやる実演は臨機応変にしてヴィヴィッド、事情が許すなら複数回ライヴを見たほうが有意義なのかと実感した次第。ということを書いていると、ベルチェは尖った気難しい人のように感じる方もいるかもしれないが、12日に少し立ち話したぶんには、柔和ないい人(日本に住んだことも納得できるような、とも書けるか)。この日も、知人のミュージシャンが彼にCDを渡したら、彼女にサインをねだり、もらうと面々の笑み。なんか、音楽に対する純真を垣間みたような気持ちにもなりました。でも、それって、大切かも。で、誘われて、ぼくも一緒に写真を撮ってしまったYO。