渋谷・シアターオーブで、フランキー・ヴァリ/ザ・フォー・シーズンズの歩みを追うブロードウェイ・ミュージカルの『ジャージー・ボーイズ』を見る。2006年や2007年にトニー賞やブラミー賞も受賞し(劇中には、トニー賞やグラミー賞は金で買えても、ロックの殿堂は買えない、なんて台詞も出てくるか)、クリント・イーストウッド監督により2014年に映画(2014年9月5日)化もされたわけだが、最初のほうは、その映画を見ていなかったら筋をちゃんと理解できたかと、ザ・フォー・シーズンズの愛好者ではないぼくは思った。

 基本の舞台美術設定は終始変えずマイク・スタンドや椅子やテーブルや自動車内を模す椅子等が細かくステージ上に表れては消え、それでテンポ良く、情報量豊かに、ニューシージー出身のコーラス・グループの音楽や人間関係は描かれて行く。ときには、ステージ背後のヴィジョン映像投射が控え目になされる場合も。そこらへん、ものすごく、考え抜かれ、整備されている。ビンボー臭さもない。もちろん、ステージ上にはイタリア系米国人がたくさん。イーストウッドの映画は、ミュージカルを基本まんま追ったものであるのも知らされる。

 映画より、ぐっと来た。とともに、生のミュージカルの良さを堪能。出演者の力量に不満はなし、総じての設定や流れ(休憩を入れて2時間強。結構長いが見せきる)も巧みでテンポがいいし、プロのやり口をいろいろと感じる。そして、そこから、ニュージャージの半パなチンピラ青年たちが音楽をとおして男になっていく様、売れたら売れたで出てくる障害なども絡めつつ、音楽/グループをやっていくことの様々な機微が、映画なんかと比較にならいほど濃く描き出されるのだから、これは引き込まれる。

 通常、ステージの表に出ない付属バンドはまっとう。それほど使われないがホーン・セクションもいて、10人強。うち、ドラマーは動くドラム・セットにのって、ステージのあちこちにけっこう出てくる。どうしてそうすることになったか分らないが、なんかおもしろいし、舞台に活力や動的感覚を与えるのは確か。実はドラムはツイン・ドラムであたるところもあり、舞台に出てくる人は回によっては変わるのかもしれない。ドラム・セットには音楽監督の指揮の様が写るモニターが組み込まれていた。それから、ライヴのシーンで出てくる音のでないキーボードはイタリア製ヴィンテージ・オルガンのファルフィッサ(しかも、状況に合わせて2種類でてくる)を用いていて、わーとなる人もいるかもしれない。

▶過去の、映画「ジャージー・ボーイズ」
http://43142.diarynote.jp/201409091015492136/

<今日の、会場>
 見たのは、13時半からのマチネー公演。雨天だったけど、客はちゃんと入っておりました。ザ・フォー・シーズンズ役の4人はこの日もう一回ステージに上がるとしたら、体力あるなあ。そういえば、出演者の歌やセリフはちゃんとPAから出ているが、その声を拾うシステムは不思議。マイクは用いず、頭髪のなかにシールドさせたセンサーをおいて(発信器は背中に固定)声を拾っていたような、、、。よく、分らない。この日、一番前の列で見ちゃって最初、落ち着かず。小心者であることを、認知しました。

 うわー、驚いた。ドクター・ロニー・スミスのことをなめていたわけではない。何人もいるブルーノート・レーベル育ちのオルガン奏者のなかでは、妙にカっとんだ持ち味の人。という、印象は持っていた。だが、そんな彼も1942年生まれだから、70歳超え。今回の公演もオルガン、ギター、ドラムという普通のオルガン・ジャズ・トリオ編成であるし、割と驚きのないブルース・コード基調のソウル味ありのジャズを聞かせるのではないかと思っても不思議はないではないか。そしたら、あの人は、やっぱり規格外の鬼才。どーにも、こーにも。

 ターバン(風の、帽子だったかな)をまいた格好は、異様。それ、オマール・ソーサ(001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日)を思わせるか。が、どこかお洒落な感じを彼は持っていて、もしかして日替わりで衣装を変えているのかもと思わせるのが要点。まあ、彼はターバンを頭に巻く前(単に、ロニー・スミスと名乗っていたころ)のブルーノート期からお洒落で、『Live at Club Mozambique』(1970年)のジャケット写真はダニー・ハサウェイみたいだったもんな。そんな彼は、杖をついてステージに登場する。とても元気そうで、歩行も達者なのにといぶかっていたら、その理由は終盤に明らかになった。なんにせよ、強い個があるからこその異物感があって、それはドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)を彷彿とさせる、とも書きたくなるか。

 1曲目でぼくは、どっひゃー。やりはじめたのは、ソウルフルでもブルースぽくもない、なんかスピリチュアルな曲。あたまのほうはずっと電波系の音を出していて、なんかそれはサン・ラー(サン・ラー死後の、同アーケストラ;2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日、2014年7月4日)なるものを想起させる。ええええ、あんた変すぎると、冒頭の5分で、ぼくは頭をたれました。

 彼はオルガンの横にパーカッション・パッドを置いていて、それを右手でけっこう鳴らしたりもする。また、脚のペダルの一つもパーカッション音を仕込んでいたように、ぼくは思った。また、足元がちゃんと見えなかったので断言はできないが、ベース音はたぶん足でやっていたのではないか。指はちゃんと動くし、ときにぐわ〜って音量を倍加させたりするダイナミクスは、これぞオルガンの利点じゃと思わせられることしきり。オルガンはゴスペル/教会流れの楽器であるとともに、シンセサイザーと同じような未知の効果を得られる電気楽器として、昔それを採用するジャズ・マンもいたのではないかとその様は思わせるか。スミスさん、いろいろと示唆するところはあったな。

 サイド・マンは、クリス・クロス他から何枚もリーダー作を出している白人中年ギタリストのジョナサン・クライスバーグと、ドナルド・ハリソン(2014年8月25日)の教え子で彼の昨年来日公演にも同行していたニューオーリンズ・ネイティヴのドラマーであるジョー・ダイソン。彼の肌の色と比べると、スミスの顔色はだいぶ薄い。クライスバーグはセミ・アコースティックの電気ギターを手にするが、曲によってはエフェクター経由の音色をあっけらかんと用いる。それは、スミスの指示だろう。蛇足だが、スミスのアルバムにはジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3日、2013年4月1日、2013年6月4日、2014年8月7日、2015年1月22日)が叩いているものもあった。

 2曲目と3曲目はオープナーと比すならブルース・コード崩しっぽい、オルガン・ジャズのイメージに近い曲。ではあるのだが、うまく説明できないが、達人はよくあるような手あかにまみれたオルガン演奏には陥らず。ふむふむ。また終盤には、静かなバラードをフツーに演奏したが、そこにはジャズ・マンの成熟〜年輪が横たわっていたな。

 1曲はドラマーの演奏から始められたのだが、それがちょいセカンド・ラインぽい叩き口。どんな曲をやるのかと思えば、なんとポール・サイモンの有名曲「恋人と別れる50の方法」。おお、そんなん持ってきますか。まあ、ブルーノートの1968 年デビュー作『Think!』でヒュー・マセケラ(2005年7月20日)やアリサ・フランクリン楽曲(タイトル・トラックですね)を取り上げている御仁だから、驚かない。先に触れた1970年ライヴ盤ではコルトレーンやマイルズ曲を取り上げる一方、スライの曲も彼はやっていた。

 そして、最後、彼は前に出て来て例の杖を持ち、ギターの様に持つ。いつのまにか杖のかかとからシールドが出ていて、それはスミスが腰に付けた発信器に繋げられている。杖には弦が1本張ってあるようで、彼は自在に指をスライドさせてペンペンと弾いて音程を操るとともに、音色も自在に変える。杖型の音程操作が容易なテルミンみたいな音の出るカスタム楽器、なんて説明もできようか。もしくは、ゲンブリみたいな民俗楽器の21世紀版? 彼はそれを演奏しながら、ユーモラスに場内を一周。なんじゃ、コレ。もう、最高だな。

 で、そのままファンキー曲に突入。ときに出すうなり声もいい感じで、グルーヴィ。なんか何から何まで、理にかなっているという書き方は変だが、スミスはなんとも腑に落ちるところあり過ぎダと痛感。ちゃんとした音楽家であるところをきっちり持ちつつ、エンターテイナー/トリック・スターたりえたという説明もできるか。こりゃ、スケールの大きな才人。ひいては、米国ジャズの恐ろしさを、ぼくは再確認しました。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

▶過去の、ソーサ
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▶過去の、ドクター・ジョン
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▶過去の、サン・ラー・アーケストラ
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▶過去の、ドナルド・ハリソンとジョー・ダイソン
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▶過去の、ジャマイア・ウィリアムズ
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▶過去の、ヒュー・マセケラ
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<直近の、ロニー>
 繰り返すが、最高。ぼくはまた一人、米国黒人音楽のカっとび傑物を知ってしまったという思いがありあり。うれしいなー。このライヴの後、イケイケになりそうな飲み会が控えていたので、パイント1杯で我慢しようと思ったが、良すぎて、それではオトコがすたるとジャック・ダニエルを追加する……。やっぱ、ライヴは見なきゃ分らないという真理も、いたく再確認。実は彼の出演は明日までの3日間であったが、その後に予定されていた88歳のルー・ドナルドソン(2012年3月7日)の公演が健康上の理由でキャンセルになってしまい、他のオルガン奏者3人と共演するという出し物で、スミオはさらに2日間ブルーノート東京にトリオごと出演する。そのハモンド・オルガン幕の内弁当的企画で、この異才はどうふるまうのか。涼しい顔して我が道を行くか? それとも、他者にあわせていい人になる? どっちも見物ではあるなあ。土日に予定がずっぽり入っていて、それを見るのを考慮に入れてなかったが、うーむこりゃ……。
▶過去の、ルー・ドナルドソン
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 ここに来て、まさかUKロック界の名プロデューサーがアーティストとして前に立ったライヴを見る機会があるとは思わなかった。デイヴィッド・ボウイやT・レックスは、もし彼が手掛けていなかったら? という、“たら”の項目で語れるかもしれないビッグ・ネームですね。そんな偉人ヴィスコンティはなんの気負いもなく一番最初にステージにあがり、エレクトリック・ベースを手にする。おお、フツーに弾くぢゃん。そういえば、ポール・マッカートニーが彼のベースを評価しているという話があったか。1941年、NY生まれ。飄々とした彼は年齢よりも若く感じられるし、パっと見た目は素直そうで、偉そうなところもまったくない。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ヴィスコンティと同等に名前が出されているウッディ・ウッドマンジーは、『スペース・オディティ』(1969年)から『アラジン・セイン』(1973年)あたりにかけてデイヴィッド・ボウイの屋台骨を支えたドラマーだ。溜め(ポケット)はないが、叩き込むパワー・ドラマーですね。今回の彼らの双頭公演はボウイの1970年作『世界を売った男』の楽曲を演奏するというお題目がつけられており、全曲をやるのは今回の日本が最初である由を、ヴィスコンティはMCした。

 リズム・セクションを組むその二人に加え、リード・ヴォーカル、ギター3(うち、一人は12弦アコースティック・ギターを弾き、終盤はテナー・サックスも吹いた)、キーボード(女性)、女性バックグランド・ヴォーカル2という布陣で事にあたる。コーラス隊の2人はヴィスコンティの娘と、ヴィスコンティ関与期+のデイヴィッド・ボウイのバンドでギターを弾き(そのころ、ルー・リードにも重用された)、ソロとしても活動したミック・ロンソン(1993年死去)の娘だそう。

 演目は告知通りに、『世界を売った男』をまんまやる。まず、すぐに合点がいったのは音がデケえ。でも、皆、演奏はちゃんとしていた。リード・ヴォーカルを取ったのは、ヘヴン17のグレン・グレゴリー。おお、出音の大きなバンド音に負けない、朗々とした、確かな歌い口。ボウイの強い残像を内に抱える人以外は、彼の歌に納得がいったのではないか。

 その後、アルバム曲を全部やったあとは、初期ボウイ有名曲を続々と披露。「チェンジズ」、「タイム」、「サフラゲット・シティ」、等々。ヴィスコンティ不関与の曲もやったはずだが、マッケンジーが全部叩いた曲ではあるのか。そういえば、ボウイやミック・ロンソンが関与したイアン・ハンターのモット・フープルのアンセム臭あふれる「すべての若き野郎ども」もやった。

 後ろ向きといえばそうなのだが、ぼくは楽しんだ。これが、もっと思い入れのあるT・レックスだったら。いやはや。

 その後、丸の内・コットンクラブで、LAを拠点とするサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日、2008年3月13日、2012年7月4日)とジョシュ・ネルソン(2006年3月22日、2008年3月13日、2012年7月4日)のデュオを聞く。2人は大学時代からの付き合いで、今回のデュオ公演は2人でレコーディングした『デュオ』(アル・シュミットの制作/録音)をフォロウするもの。

 グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)の影響で少し変なヘア・スタイルをしているガザレククはさすが安定した、テンダーな歌い口を見せる。とともに、改めて、変な澱がついておらず、ある種の澄んだ感覚が魅力のジャズ系シンガーであるとも思った。ジョシュ ・ネルソンの作った曲やポップ曲も取り上げ、ジャズを存分に通ったMOR系シンガーという位置を求めんとする姿勢も自然に伝わるし、それは彼女にあっているとも思わせられる。彼女はボニー・レイット(2007年4月6日)が歌った1991年ヒット曲「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」も原曲を尊重する形でやったが、その際に「カントリー・シンガーの、ボニー・レイットの曲」と彼女は紹介。その括りの雑さには、少し悲しくなった。

 今回、デュオということで、ネルソンのピアノにはより耳が向く。実は、ガザレクのヴォーカル以上に、ぼくはネルソンの驚くほど粒立ちのいいピアノ音に耳を奪われた。今回の彼はけっこう伴奏スタンスの弾き方で、そんなにソロも取らなかったのに……。左右のバランス/噛み合いにたけた、どこか今様でもある品のいい弾き口はもっと注視を受けていいはず。5枚はリーダー作を持っている彼だが、けっこういろんなことをやっているんだよなー。

▶過去の、サラ・ガザレク
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200712291957590000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、ジョシュ・ネルソン
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http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、パーラト
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http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、ボニー・レイット
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http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/

<今日は、七夕>
 ここのところ、梅雨梅雨した天候が続き積極性を奪いがち……。ビルボードライブ東京の実演に触れてそうかと思ったのは、1970年のある時期までは、ロック界はギブソン・ギターの時代であったのか、ということ。だって、2人の電気ギター奏者はともにレス・ポール型のギターを持ち、ヴィスコンティもSGタイプのショート・スケールを弾いていたから。なんか、重そうな感じがして、レス・ポールに興味を持ったことがないためもあるが、げんざい家に残っているギターはフェルナンデスのストラトと初期フェンダー・ジャパンのテレキャス(その品揃えで、あまり楽器にお金をかけない人物であるのが分りますね。まあ、そのぶん、レコードをばかばか買っていたからなー)で全部フェンダー系のそれだよなあ。その後、轟音で少し死んだ耳にて、繊細なデュオ演奏に接するしかなかったのは残念。最後によったバーで、短冊にとんでもないことを書いた気がするが……。

プーさんが亡くなった。残念だ。でも、彼が残した珠玉のアルバムは永久に輝き続ける。

2012年6月26日、新宿のホテルで行ったインタヴューを以下に載せます。彼にインタヴューするのは3度目(他は、ブギー・バンドの2枚組ライヴ盤を出しただしたときと、『ドリーマシン』をリリースしたときだった)で、ジャズ・ジャパン誌用にとったもの。けっこう、若い語り口を持つ人でした。



@まず、聞きたい事が一つ。ポール・モチアンと日本では表記されたりもしますが、あれはモーシャンと読むべきなんでしょう?
 モーシャンだね。英語読みさせている。トルコ系なんだよな。
@ところで、なぜ疎開先が会津若松だったんですか? ぼくは住んだことはないんですが、本籍が近くの喜多方なんですよ。
 両親が会津若松なの。(疎開していた際、)喜多方の病院の院長の奥さんの、ピアノの愛弟子だったんだ。女学校の音楽の先生をしていた。会津若松には若松女子高と会津女子高と女子高が二つあって、若女のほうの音楽の先生だった。それで、ピアノを習っていたの。小学校はいってない頃だよね。ずいぶん古い話しているなあ(笑い)。
@そのころは、クラシックを習っていたんですよね。
 うん。その前、(東京で)最初についた先生はすごい、いい先生だったよ。
@では、スタートラインは恵まれていたんですね。
 いやあ、家がうるさかったからね。親父がうるさかった。最初はピアノじゃなく、音感から入った。聴音から。ピアノはその後。ヴァイオリンもやったよ。最初の(聴音の)先生が進歩的な人だったから、すごいためになっているよね。その後、(疎開先で)若女の先生にちゃんとピアノを習った。彼女はいい人だったんだけど、あまり面白くはなかったよね。でも、俺、家をでるとき、その人から金をかりたんだよ。18か19歳のころかな。
@じゃ、ちょうど芸大の付属高校をでたあたり。
 俺、大学に入学拒否にあったんだ。付属だから本来は入れるはずなのに、行けなくてさあ。寒いので、俺が教室でたき火をしたのがいけなかったのかな。芸大の付属高校の二期生なんだけど、兄貴は一期生だし、弟は四期生か五期生だったのかな。寒かったから、たまたまそこにあった下級生の答案用紙を少しづつ燃やして、暖をとったの。そしたら、答案用紙だったから大問題になった。そういうことが続いていたからなあ。当時の芸大の作曲科というのは、ドイツ学派とフランス学派というのがあって、フランス学派のほうは池内友次郎(1906〜1991年)という、高浜虚子の息子だった。ドイツ派のほうは下総皖一(1898〜1962年)という人で、その弟子の松本民之助(1914〜2004年)っていう人が、俺たち高校の作曲家の先生だったの。当時、高校の同期の作曲科は3人で渋谷(毅)は同期で、俺は入学拒否にあっちゃった。最後の三次試験で落とされちゃったんだけど、俺がベスト・スコアだったんじゃないかな。でも、一番評判よかったのは渋谷だったのかな。
 あのころ、芸大の洋画の主任教授が俺たちの高校の美術の先生として週一で来ていた。俺の親父は日本画の絵描きじゃない、だから子供のころから徹底的にデッサンをやらされていたから、授業で接した俺に才能あると思ったらしく、その先生が洋画のほうに試験なしでいいから来いと言ってきた。当時洋画のほうは競争率700倍だったから、それはうれしかったけどねえ。だけど、音楽に興味を持っていたじゃない、それで1週間まってもらって、結局ありがたいんだけど音楽に進みたいと断った。そしたら、音楽の方からは大学落とされちゃって、不良だっていうので。
@その後、もう絵筆は握らないんですか。
 やっぱり、絵は見ていたほうが楽しいよね。だから、良く見に行っている。俺、シャガールにすごい影響を受けたの。というのは、耳に限界が来ているから、別な音が聞こえないのかなと、どうすればそれは可能なのかと、ずっと何年か悩んでいたわけ。それで、ソロ(演奏)を始めて、ちょうど4年前ぐらい前かな、シャガールの絵にすごいショックを受けた。それから、シャガールの絵をたくさん見始めたんだけど、俺が影響を受けたのは、例えば、あの人の描いている腕があるじゃない、それ途中でねじれているの。本来の腕じゃないわけ。で、俺はそれを見て、突然これでいいんだと思ってさ。既成概念にとらわれる理由はどこにもないんだと思い、それで俺は開眼した。それが、4、5年前だよね。それからだよ、俺が自由になったのは。うれしかったねえ。
@『サンライズ』(ECM、2012年。録音は2009年で、今のところ遺作となる)はそれを経ての録音になりますよね。
 そう。シャガールにはほんと啓発されたよね。あれを見なかったら、もうちょっと違っているはず。 
@シャガールの絵って、NYにいろいろあったりするんですか。
 ところがさあ、それで全集とか集めると、作品数は多いの。ところが、あっちこっち探したんだけど、ないんだよね。確か、アメリカですごい売れたのは15年か20年前。最初メトロポリタンに原画を見たくて行ったんだけど、1点か2点しか飾ってない。それで物足りないから、そのうちロシアでもなんでもいいんだけど、シャガールの絵を集めているところに行って、できるだけ沢山見たいなと思っている。シャガールの絵を見て、ああコレでいいんだと思って、ホントそれからだよね。
@意外な話です。ぼくは、最初から既成概念取っ払った所で、プーさんは音楽し続けているように思っていますから。
 やっぱり音楽っていうのは、倍音の構成を基本にしているじゃない? だから、それにずっと俺は囚われてきたわけ。それを、どう自分なりに踏まえて、超えるか。それができる感覚/方法みたいなものが、シャガールを見て分ったわけ。それからだよ、俺が徹底的に(ピアノを?)さわりだしたの。
@今回、ぼくは日曜と月曜のセカンド・セットを見ましたが。倍音のえも言われぬ新鮮な響きで場内が満たされるようなときがあって、息を飲みました。
 それは、シャガールの影響だね。それ以降、倍音関係の音の処し方が分ったから。それを乗り越えられた。シャガールの影響はすごいと思うね。自分で確信できる、見えだしたと。だから、俺は今すごい自由よ。
@基本は完全にインプロヴィゼーションで事にあたる今は、曲を書いたりしなくなったんですよね。 
 書かない。昔は書いていたけどね。だから、楽よ。
@話はもどるんですが、本人の意には反したかもしれませんが、大学に行かず高校を出た後、わりとすぐにジャズ界で頭角を著したという印象があるんですが。
 最初の仕事は、厚木の将校クラブの演奏。そういうのは、長いよ。
@10代のうちに、すでにレコーディングもやっていませんでした?
 武満(徹。1930〜1996年)さんのが最初。なんて言ったけか、篠田(正浩、1931年生まれ)の最初のほうの映画の仕事で「乾いた湖」(寺山修司脚本、1960年)で、音楽を担当する武満さんが音楽を担当したやつ。武満さんは八木(正夫。1931〜1992年)ちゃんを使うつもりで作ったんだけど、ちょうど八木ちゃんがヘロインで捕まって、それは必要だと正当付けするため東大医学部に入院しちゃったの。それで演奏できなくなって、多分八木ちゃんが俺を推薦したと思うんだけど、武満さんから電話があった。俺20か21歳かな、それで武満さんとはけっこうつきあったの。
@武満さんの理想って、作曲家ではなく、ジャズ演奏家だったらしいですね。
 らしいよね。彼がNYに来ても一緒にハンバーガー屋に行ったりして、楽しかったんだけどね。彼はイエール(大学)に出入りするようになってから、名誉欲が出てきて、おかしくなっちゃった。昔は、あの人のこと大好きだったな。
@もともと、ジャズにはいつ頃から興味を持ちだしたんですか?
 芸大の付属にいるころだよね。1年か2年、渋谷とクラリネットの橋本とかと、水道橋にあったジャズ喫茶に行ってねえ。そこにはマイルスが出て来たころのレコードが入っていたりして、俺と渋谷と橋本と3人でよく授業をさぼって、行っていた。それからだよ、ジャズにひかれたのは。いやあ、あれは不思議な音楽だったよね。それで、ああいうふうに弾きたいなあと思ってね。ちょうどモンクの何が出た頃かな。モンクもあったし、あの印象は強烈だからねえ。
@同じようなことを、ぼくはプーさんの『バット・ノット・フォー・ミー』(1978年)を聞いて感じたような。あれを聞いて、わーなんでこうなるのと思い、感激しまくり、俺はジャズを聞くべきなんだと思いましたからね。
 あー、あれはある種の失敗作だよ。
@えー、ぼくは大好きです。嫌いですか?
 いや、ゲイリー(・ピーコック)がなんか違うんだよね。それがミス・キャストだよね。ドラムはアル・フォスターでしょ。サックスはいなかったよな?
@ええ。バーダル・ロイとか打楽器は複数いましたが。
 あれ、まあまあのアルバムじゃない?
@では、プーさんをして、これはいいというアルバムは?
 『ススト』(1981年)は良くできているよね。
@だって、あれは一番調子のいいときのプリンスを凌駕するような出来ですから。
 いやいや、プリンスは凄いよ。まあ、『ススト』は時間がかかっているからねー。
@やっぱり、『ススト』はお好きですか。
 あれは凄いと思う。あのリハーサルを始めたとき、なんかのセット・アップを川崎僚に頼んだんだけど、あいつがそれをやらなかったから、エレヴェイターのなかでアイツを殴っちゃったんだ。そしたら、俺が手を折っちゃった。それで、1ヶ月以上レコーディングが延期になったりもした。
@あれ、レコーディング参加のミュージシャンの数が多いですよね。
 だから、鯉沼がよくお金を使わせてくれたよね。
@あれは、後から相当編集しているんですよね。
 うん、ずいぶん。それには俺もたちあっている。あれ、伊藤潔がやっている。
@『ススト』って、日野さんの『ダブル・レインボウ』なんかとわりと平行して録っているんですか。
 いや、『ダブル・レインボウ』は少し後だな。あれは100%、俺がコントロール持っていないから。ハービー(・ハンコック)を入れてLAと同時録音したじゃない? ああいうの、俺はあんまり好きじゃない。ドラムが2ドラムだよね。
@『ススト』のテープはソニーのどこかにあるんですかね。まとめて、編集前のものやアウト・テイクを出さないかなと。
 あると思うよ。でも、今レコード業界がないに等しいじゃない。(それを実現させるのは)大変だよね。
@60 年代後半に一時バークリーに行ったり、その前後、ギルとか、ジョー・ヘンダーソンやエルヴィンとか向こうにちゃんと住む前にも米国人とは絡んだりしているんですが、やはり日本にいちゃいけないな、住めないなとか感じていたりしたんですか。もう、来年で40 年になりますよね。
 あ、そうなんだ。移住は1974年じゃなかったかな。俺も思い切って行っちゃったよね。
@行く人は少なくないけど、大抵は戻ってきてしまうじゃないですか。
 いや、最初のころ鯉沼がお金だしてくれていたからだな。
@行ったら行ったで、居心地がいいという感じだったんですか。
 居心地いいというか、音楽がやりやすいよね。いいミュージシャンが簡単に手に入るもの。
@そういえば、今回のライヴにおけるギタリスト、トッド・ニューフェルドはどうやって見つけたんですか。だって、アコースティックな路線でギターなんか入れたことないですよね。どうなるのかなと思ってショウを見たら、ああいう(デレク・ベイリーみたいな感覚派の)ギタリストを見つけたから、このトリオ編成でやる気になったのだと思いました。
 最初はベースを探していたの。なんかポール(・モーシャン)がいいベースがいると言ってきて、それで(ベースの)トーマスに電話して、一緒にやったんだけど、2回目まではハプニングしなかった。それで、3回目でもハプニングしなかったらあきらめようと思ってやったら、そしたらあいつすごいんだよ。それで一緒にやることを決めて、それがもう3年以上前かな。それで、そこに(ギターの)トッドも加わってやったら、最初のレコーディングからすごいのが1トラックできてさ。あ、これでやろうと思ったね。それで、そのトラックをポールに送った。そしたら、電話がかかってきて、プー、ヴァンガードに連絡してすぐに仕事とれ。そのトリオに俺が入るからって。でも、俺が断っちゃったの。だって、それだとポールと俺のカルテットになるんだろ? と。俺、それはいやだ、と。けっこう、ポールは腹黒い所がある(笑い)。
@じゃ、ポール・モーシャンが亡くなっていない時期に、ギタリストのトッド・ニューフェルドとはもうやっていたんですね。
 うん。俺は今、これにアンドリュー・シリルを入れようと思っているもん。あの人、いいドラムだよね。
@そもそも、ニューフェルドとはどうやって知り合ったんでしょう?
 たまたまだよね。若い連中が俺のロフトに出入りしだして、それでセッションしたりして。それでレコーディングしたら、最初のトラックを聞いて、こいつにしようと思った。トーマスもそのときから比べるとすごいよね、あいつ売れてしまったもん。急速に伸びたよね。トーマスとはデュオでもずいぶんレコーディングしているんだけど、1枚のアルバムにしようと思って、けっこうすごいアルバムになった。それと、この3月16日に(今回のライヴのトリオの)3人でレコーディングしたものがあって、それも凄いのよ。
@一時、昔は電気キーボードとか沢山おいていた時代もあったと思うんですが、現在はぜんぜん持っていないんですか。
 コーグのオルガンがあるよ。あそこの会長がすごい俺に良くしてくれた。俺が電通のためにいろいろ作ったとき(1980年代中期、ポリスターからシンセサイザーによるアルバムを7作品出した)、あのときコーグが俺に山ほどシンセザイザーを提供してくれて、それでブルックリンのスタジオを借りたんだよな。
@そのころ録ったエレクトリックものって、沢山音は眠っているんですよね。
 いや、録ったものはほぼ出ているよ。
@1990年代に入って、ハウスぽいものも作っていたりもしたと思うんですが。
 そのあたりの音もないよね。一時そういのに興味を持って、やり始めたことはあるけど。やったんだけど、なかなかいいDJが見つからなくねえ。ワレス・ルーニーと来た時あったじゃない(2004年11月、ブルーノート東京)、あのときはDJロジックが一緒に来たけど、あの人もどうやっていいか分らないんだ。ワレス・ルーニーがディレクションできなくてね。彼の女房のジェリ・アレンもいて一緒にやったけど、2キーボードだと難しいよね。
@でも、あのライヴを見て、ぼくは器用にプーさんの音だけを抜いて聞いて、ブギー・バンドの音みたいだと喜んで聞いてましたよ。あのときの、ルーニーの田舎ヤクザのような格好は凄かったですね。
 あの人は、なんでもマイルスだから。
@去年、震災のすぐあとにピットインで、病に倒れたプーさん支援のコンサートが行われたりもしましたが、こうやって会っていると、元気そうですよね。あのときは、どんだけ具合が悪いのかと思ってしまいました。
 いや、まだ具合が悪いよ。
@だって、食欲もあるみたいじゃないですか。(←取材中、これはうまいよと言って、パンを食べていた。一緒に食べないと、すすめてもくれた)
 だって、お腹はすくもの。良く生きているなという感じ。
@ぼくは今回のブルーノート東京でのライヴを見て、うなり声もいっぱい出るし、椅子から腰を上げてピアノを弾いたりもしたし、わあ元気だと思いました。とともに、これからもいろんなプロダクツを受けることができると、確信しましたね。
 とにかく、肺だからね。今、生きているのが不思議なくらい。だから、怖いものがないよ。いや、俺ほんとよく生き延びたと思うよ。でも、俺は生きているかぎりは音楽をやるから。

 まず、南青山・ブルーノート東京で、インコグニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日)を率いる温故知新派ギタリストのソロ・プロジェクトを見る。前回のブルーイの来日公演も個人名を立てたショウ(2013年6月17日)だったが、今回はインスト中心でラテン的な揺れを介そうともするプロジェクト名を出してのものとなる。そしたら、実際はヴォーカル曲も多く、インコグニートのメンバーを主体とする気の置けない仲間たちといろんなことを屈託なくやろうとしたものなり。

 管楽器はトランペット奏者のみで、全9人にてパフォーマンス。『シトラス・サン』のアルバムにも参加していた元ガリアーノのヴァレリー・エティエンヌ(2008年5月9日)に代わり初来日だそうな女性歌手のスリーン・フレミング以外は、2013年公演と同じ顔ぶれなり。

 ただし、今回はそこにブルーイが現在応援しているポルトガル人ギタリストであるフランシスコ・サレスが加わり、3ギターで表現にあたる。基本ジム・マレン(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2006年3月8日、2007年3月8日、2013年6月17日)がリード・ギターをフィンガー・ピッキング で弾き、ブルーイとサレスは刻みのほうを担う。実際は2人いればOKという音楽構成を持つ表現なので、ブルーイはギターを置いてシェイカーをふったり、リード・ヴォーカルを取ったりもする。2曲だったかのそれ、実に堂々と歌うようになったなと少し驚く。猫なで声でなくなっていて、ちゃんとヴォーカル・トレイニングを受けるようになったのか。それは、性格の良さと相乗するもので、聞いていて悪い気はしない。

▶過去の、インコグニート/ブルーイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/201306190743528192/
▶過去の、ジム・マレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm 5月21日
http://43142.diarynote.jp/200404190049350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050217
http://43142.diarynote.jp/200603100921150000/
http://43142.diarynote.jp/200703101608130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130617
▶過去の、ヴァレリー・エティエンヌ
http://43142.diarynote.jp/200805110825440000/

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、米国人気トランペッターの実演を見る。彼のプロダクツはスティング(2000年10月16日。エスタブリッシュされてから、ボッティはスティングのバンドに一時入ったことがある)やジャキス・モレレンバウム(2005年5月23日、2005年7月24日、2008年8月22日、2014年8月3日)他、才人がいろいろと入っているが、今回のバンドにも名手が入っていて、それがボッティ流のスムース・ジャズ調表現にどう組み込まれるのかというのが、ぼくの一番の興味だった。

 同行奏者やシンガーは出たり入ったりし、いろんな単位のもと、「アランフェス」からジャズ・スタンダード、バカラック曲(「ルック・オブ・ラヴ」だったが、リズム・アレンジが凝ったものだったな)まで、いろんな属性を持つ曲が披露される。本人にくわえ、歌手2、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、キーボード、縦/電気ベース、ドラムという陣容にて。さすが、みんな上手い。仕掛けもいろいろと見られるが、譜面を置いている人は誰もおらず、きっちり準備されたことをやっているのも、すぐに了解した。やっぱ、マジな米国人は腕がたつ。先のブルーイのバンドだってロンドン在住の好奏者を集めているはずだが、続けて聞くと米国音楽界の大きさを思い知らされる。

 事前にぼくが気になった参加者は、ピアノのジェフリー・キーザー(2005年1月18日、2006年9月17日)やドラムのリー・ピアソン(2010年2月22日)やシンガーのサイ・スミス。ピアソンの芸達者で視覚的にも楽しいドラム・ソロにはほう。ぼくが過去みたなかでも、これはトップ級にアトラクティヴかもしれない。3曲は大々的にフィーチャーされたスミスの歌声、技量、物腰にもおおいに魅了される。何枚ものリーダー作を持つR&B歌手で、2000年代上旬に一時ザ・ブラン・ニュー・ヘヴォーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日、2014年10月23日)に入ったりもした人だが、聞き手にしっかりと働きかける力を持っている、こんなに魅力的な歌手とは思わなかった。ぼくの頭のなかにしっかり登録しよう。たっぷりと歌うもう一人のジョージ・コムスキーという男性歌手は、短いオペラ調の曲のためでけに同行させたみたいだ。

 確かボッティは1926年に作られたマーティンのトランペットを大切に使っているはずだが、あんなエコーをかました1本調子の音色なら、ヴィンテージ・モデルが泣くな。うーむ、技量はやはり滅茶長けているという感じはバリバリなのだが、どうして奏者の繊細な息づかいや表情を完全にスポイルする音色を彼は平然と採用するのか。分らなさすぎる。各曲は結構いろんなクォーテイションあり。うち「ソー・ホワット」、「ブラック・サテン」や「ツツ」などマイルズ・デイヴィス絡みのものも少なくなく、ボッティの底にはデイヴィスがいるのを再確認させられもした。

 お子様向けエンターテインメント設定を繰り出す場面はちょっと鼻につくが、米国音楽シーンの豊かな積み重ねを下敷きにする、お金のとれるショウであったのは間違いない。堂々、90分の尺なり。

▶過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
▶過去の、モレレンバウム
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
▶過去の、ジェフ・キーザー
http://43142.diarynote.jp/200501222324430000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060917
▶過去の、リー・ピアソン
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
http://43142.diarynote.jp/201410251056112035/

<今日の、偶然>
 今晩、見た出演者は、ともに9人の編成。割り切れない奇数のほうがグループ表現は引っかかりや予期せぬ深みが出るとインタヴューした際に力説したミューシャンがいたけど、誰だったっけ?

 洗足音楽大学ジャズ科を母体とする若手ビッグ・バンドの公演を少しだけ、見させていただく。話には聞いていたが、なるほどぉ。新宿・ピットイン。多くの客は若い。

 女性アレンジャー/指揮者が率いる、全22人のジャズ・オーケストラ。シンガーやヴァイオリン奏者がいたり、エレクトリック・ギター奏者が2人いたりという編成、なり。ベースは電気と縦の両刀、にて。お、今はカルナバケーションと名前を変えたサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日)の管セクションをやっていたゆうかちゃん(今、たおやめオルケスタ〜2011年4月8日〜にも入っている)や一徳くん、在日ファンク(2010年9月25日)やWUJA BIN BIN(2014年6月13日)でサックスを吹いている後関好宏も構成員にいるな。

 そのバンド名はジミ・ヘンドリックスの著名曲から来るのだろうか? でも、ギター奏者たちや音の重なりに(ぼくが接した曲においては)ヘンドリックスぽさはなし。まあ、その必要はまったくないが。菅の重なりは多少ギル・エヴァンス流れと思わせる部分もなくはないが、エヴァンスの1975年ヘンドリックス曲集への憧憬から来ているのではないよな。あのアルバムに「パープル・ヘイズ」は入っていなかったし、ぼくはあのレコードをエヴァンス作品のなかでは出来が良くないと判断している。ま、廣瀬の世代だとエヴァンス御大よりも、弟子筋のマリア・シュナイダー(2012年12月17日、2013年12月17日)により刺激を受けているかな。

 即、聞いていてフフフフとなっちゃった。もう私のビッグ・バンド表現を、保守本流とは一線を画した私のアレンジを、という強い意欲がいろいろと出た音であったから。オリジナルに交えチャールズ・ミンガス曲(「フォーバス知事の寓話」)を取り上げる根性も良し。その曲が入った『ミンガス・アー・アム』(コロムビア、1959年)の濃くも奔放な菅の絡みは永遠。秋吉敏子(2013年4月30日)にせよカーラ・ブレイ(1999年4月13日、2000年3月25日)にせよ、イケてる女性編曲者/バンド・リーダーはミンガス薫陶の色が強いと言えたりするか。まだ20代半ばだろう廣瀬の内に取り込まれた音楽ヴァリエーションの蓄積量が才気についていっていない部分もある〜それゆえ、陳腐に聞こえるところも、ぼくにはある〜が、その気概に満ちた総体には大きく頷く。ただ、実演奏のアンサンブルが整っておらず、(バンドの方向性に沿い、ありきたりじゃない方向のものを取ろうとしている伝わるものの)ソロも強くない。

 文句無しに感心したのは、歌の使い方。テーマ部とソロ部の両方に女性ヴォーカリストはフィーチャーされたが、その使い方は臭くなく、秀逸。それは、どこか旧ジャズ文脈からもう一つの土壌に表現を動かす力を持っていて、ほうこれはと思わせられる。確かな音程のもと、その重責をになった大塚望というシンガーも秀でた歌い手と思った。他のソリストも彼女ぐらい輝きを持たなきゃ!

▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
▶過去の、たをやめオルケスタ
http://43142.diarynote.jp/201104101221012622/
▶過去の、在日ファンク
http://43142.diarynote.jp/201009261258386231/
▶過去の、WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
▶過去の、マリア・シュナイダー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201212190844487864/
http://43142.diarynote.jp/201312181034409673/
▶過去の、秋吉敏子
http://43142.diarynote.jp/201305071422511328/
▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm

<今日の、陽光>
 ちょい梅雨期を思わせる天候を経て、なんか夏の日差し。早朝から出歩いたりしたら、陽光の魅力を感じつつも、早々と夏は疲れるなあという気になっている。はあ。夏にドキドキ、なんていう所感を、昔ぼくは持っていたっけ? いたか。夏休み(と、その開放感)込みの思いであったと思う。
 わっとなり、ええっと感じ、いろいろと思いが頭のなかをまわり……。

 ジョン・コルトレーンへの人気作『史上の愛』(インパルス!、1965年)をやっちゃいますよという公演で、テナー・サックス奏者のジョー・ロバーノ(2005年6月2日、2008年10月8日)、アルト・サックスの寺久保エレナ(2013年7月27日)、ピアニストの山下洋輔(1999年11月10日、2004年7月27日、2006年3月27日、2013年7月10日2009年7月19日、2013年7月27日)、ベース奏者のジェラルド・キャノン(2008年9月10日)、ドラマーのフランシスコ・メラ(2009年1月7日。タム類のヘッドを少し客席側に向けるセッティングを取っていた)という、面々による。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アフリカ系米国人リズム・セクションは木曜から日曜にかけて同所に出演するマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)の演奏もサポートし、そこにはロバーノも加わる。

 約1時間、切れ目なしに『至上の愛』の全4部パートが披露される。ロバーノ(一応、リーダーシップを取っていたか)は譜面なしで事にあたっていたが、その様を見ると、ぼくが感じていた以上にコルトレーンへの思慕は強そうだし、バリバリと吹いていた。だが、個人プレイとグループ総体の持ち味はまた別。他の奏者も巧者なはずだが、なんかギスギスしているというか、効果的にピントがあわないというか、生理的なもどかしさをなんか感じさせる。で、それがはっきりしたのは、スピリチュアルなという形容もありの『至上の愛』曲の彼らなりの披露を終え、コルトレーンも『ソウル・トレーン』(プレスティッジ、1958年)で取り上げたりもしている、ビリー・エクスタインのいかにも歌ものっぽいおおらかさを持つ「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」の寛いだ、いい感じの5人の演奏に触れたとき。

 なるほど、合点がいった。やっぱり、アブストラクトな手触りも介して、尋常ならぬ奥行きや伸縮性などを出すようになったこの頃のコルトレーン(1967年に死去)は規格外であり、イっちゃってて、共有するのが困難なものであるという事実を、ぼくは痛感。うーぬ、後期コルトーレーンはただ者じゃなさすぎて、スペシャルすぎるもの、也。ある意味、ロバーノたちの演奏は、コルトーレンのイブツ感、独自すぎる世界のようなものを、ひりひりと(本人たちは望まなかったかもしれないが)出していた!

 そういえば、実演に接しながら、ぼくは20年ほど前にしたインタヴューをふと思い出した。それは、当時UKトーキング・ラウドから音を出していた、日本のDJクリエイター集団、ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイションとのもの。当時かなりインターナショナルなスタンスで活動していた彼らは、そうそうたる顔ぶれが集まった『ストールン・モーメンツ レッド・ホット+クール』(GRP、1994年)に楽曲(オリヴァー・ネルソン作曲の「ストールン・モーメンツ」)を提供したことがあった。彼らは、その際に同作発売元のGRPやコルトレーンが在籍したインパルス!や彼らが所属したトーキング・ラウド/フォノグラムらを持っていたポリグラムにコルトレーンの曲をサンプリングしたいとオファーを出したのだという。そしたら、答えは「コルトレーンは一切だめ。他のアーティストは誰をサンプリングしてもいいが」というものだったそう。
 
 その是非はともかく、ジャズを大切にしない米国でも、ジョン・コルトレーンはアンタッチャブル、聖域に置かれた存在だったのだ……。

▶過去の、ジョー・ロバーノ
http://43142.diarynote.jp/200506021851060000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
▶過去の、寺久保エレナ
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
▶過去の、山下洋輔
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040727
http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
▶過去の、ジェラルド・キャノン
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
▶過去の、フランシコ・メラ
http://43142.diarynote.jp/200901080850146753/
▶過去の、マッコイ・タイナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/

<今日の、空白>
 かなり、久しぶりにライヴに行く。東京にいたのに、なぜ、こんなに空いたか。スライ&ザ・ファミリー・ストーン『暴動』の「暴動」なる(無音の空白部分に、クスリにはまっていてもクールだったスライはそうなずけ、曲番号も取った)もの、なーんて。そういえば、今出ているレコード・コレクターズ誌にアルバム『暴動』、そしてその因子を継ぐアルバムのことをいろいろ書いている。書いていて、楽しい原稿だったな。……しかし、こんな為政者のもとで暮らす日が来ようとは。
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/
 ピアニス/レンジャーのクリヤ・マコト( 2010年2月17日、2010年4月15日、2013年7月12日)のリーダー・ライヴ。彼に加えて演奏陣は、縦と電気ベースの納浩一(2010年2月17日、2010年9月1日、2011年12月20日)、ギターの吉田次郎(4月にソニーから出したアルバムと違い、子供っぽいエフェクト音によるロッキッシュな演奏を主にしていた)、アルト・サックスの本田雅人(2011年3月28日)、トロンボーンの中川英二郎( 2011年3月28日、2011年4月21日)、トランペットの中村恵介、ドラムの大槻"kalta"英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年2月17日、2010年11月26日、2013年7月1日、2013年9月13日)。編成はいろいろで、管楽器奏者やギタリストは出たり、入ったりする。目黒・ブルースアレイ・ジャパン。とっても、混んでいた

 各ソロもたくさん組み込まれるし(ある曲でのひねくれた本田のソロに頷く)一言で説明するならジャズとなるのだろうが、自作や他人曲(ポップやジャズの有名曲)を立ったビートといろいろ仕掛け/構成のもと整合性高く披露していく様はフュージョン的であるとも言えるか。いろいろなアイデアや遊びを入れつつ破綻や軋轢のない明晰な表現総体に持って行く手腕を、クリヤは存分にアピール。出音は小さくなかったが、意思統一された各奏者の音がちゃんと聞こえたのは、その理解を助けた。

 そうした指針は意識的にポップ・ミュージック的な明快さを存分に入れているとも説明できるだろうし、もちろんヴォーカル曲もあり。1部にはSHANTIが、2部にはMARU(2010年2月22日)が出て来て2曲づつ歌い、2部の最後には2人で一緒にスティーヴィー・ワンダー曲を歌う。そして、アンコールにはショウを見に来ていたマリーン(2013年7月12日)も加わり「ルート66」を3人で歌う。その際の、3人の女性シンガーの掛け合いは見ていて、おもしろかった。

▶過去の、クリヤマコト
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
http://43142.diarynote.jp/201307160734103127/
▶過去の、本田雅人
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
▶過去の、中川英二郎
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
http://43142.diarynote.jp/201104220822547067/
▶過去の、納浩一
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201112261516311523/
▶過去の、大槻英宣
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
▶過去の、MARU
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
▶過去の、マリーン
http://43142.diarynote.jp/201307160734103127/

<今日の、情報>
 8月に入ると、クリヤはこの晩の納、大槻、吉田、さらにパーカッション奏者の安井源之新(1999年6月3日、2014年9月27日)を入れたクインテットで、ブラジル4都市公演を行うとか。その際は、もうすぐ(夏場の恒例で)来日するジョイス・モレーノ(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日)も加わるそう。彼女が滞日中にミーティングするそうだ。
▶過去の、安井源之新
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
▶過去の、ジョイス
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
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 アルト・サックス、そしてバリトン・サックスがリーダーの実演をハシゴする。六本木・ビルボードライブ東京と下北沢・THREE。

 まず、メイシオ(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)。ぼくが見た2013年公演と、同行するメンバーは一人をのぞいて同じ。前回参加の甥のマーカス・パーカー(ドラム)だけが抜けて、今度の新ドラマーはニッキー・グラスピーというブレイズ頭の女性。もしかして、彼女を除く演奏陣はもう20年ぐらい不動かも知れぬ? マーサ・ハイ(2005年9月6日、2007年9月13日、2013年2月2日、2014年12月30日)とダーリン・パーカーという女性コーラス陣も前回と同じだ。マーサ・ハイと比べると歌唱力が見劣りするダーリン・パーカーは性格が良さそうだが、メイシオと血縁ありかなしか。

 で、始まってしばらくはおなじみの行き方と思ったが、徐々に、今回は構成をいろいろシフトしていると思えたりも。一つは、オレがバンマスというところは出す一方、メイシオ・パーカーがかなり他のメンバーをフィーチャーするパートを与えていたこと。近年、そんなことなかった。結果、元P-ファンクのトロンボーン奏者のグレッグ・ボイヤーってそんなに上手くないことを確認させられたりもしたわけだが。逆に、ごんごんソロを取る曲もあったギターのブルーノ・スペイトは刻み以外の味も良い事を知る。彼ぜんぜんエフェクターは繋いでいないが、いい感じの濁った音を単音主体ソロで出していたな。キーボードのウィル・ブールウェアもいろいろと前に出る場面もある。それ、メイシオ・パーカーの負担軽減という部分もあったろいうが、それ以上に同じ顔ぶれでやっているがゆえマンネリにならないための変化希求と、ぼくには思えた。

 そうした末広がり指針(曲もアップ目主体とは言えなくなったと指摘できるだろう)は散漫という印象も導くが、それはドラマーの味も左右したかもしれない。ニッキー・グラスピーはちゃんとJB系ビートを出していたが、女性ゆえのダイナミズム/瞬発力の少なさは全体の強度や密度に影響を与えていたと思う。

 なんにせよ、ブラック・ファンクに欠かせない重要な種や癖、そしてエンターテインメント精神にあふれるショウ。よりスリムになりどこか精悍さをましたところもあるようなメイシオはステージ上で陽性の限りをつくしても、どこか陰影を感じさせる部分がある。だから、そんな彼は、スライの「イン・タイム」のカヴァーも似合うのだ。そういえば、彼はレイ・チャールズの真似をして歌うものもあった。

▶過去の、パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
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http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、マーサ・ハイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070913
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
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 そして、下北沢に向かい、初めてのハコへ。だいぶ駅から三軒茶屋のほうに降りた所にあるハコで、安売り酒屋の地下にあり、その地階にはもう一ライヴ・ハウスが入っている。

 浦朋恵はクレツマー音楽に傾倒もし、一時はラリーパパ&カーネギーママ(2005年9月10日)にも在籍したことがあるという、バリトン・サックス奏者。おおらかな佇まいと好奇心旺盛さとどこかポワーンとトボけた諧謔が同居していて、それはバリトン・サックスの超然とした音色と繋がりもするか。この晩は、新作『なつめやしの指』(P—ヴァイン)リリースを受けてのもの。同作のプロデュースをしたオルガンのエマーソン北村(2005年2月15日、2006年8月24日、2010年9月19日) 、ギターの秋廣真一郎と八木橋恒治、 電気ベースの服部将典、ドラムの伊藤大地(2013年2月5日、2013年9月20日) 、パーカッションの宮本仁がサポート。部分的に、モッチェ永井もヴォーカルで加わる。

 彼女は、メロディを素直に吹き、曲によってはほんわか歌も披露する。演奏する曲調は主に、イ)マーティン・ディニー系エキゾ和み表現、ロ)スカ、ハ)ホンクなR&B、の3つと指摘できるか。伴奏陣は手堅く、確かな蓄積を感じさせ、そこには、もう一つの趣味性の高い日本の音楽シーンの積み重ねがあるとも思えたかも。他人曲もほのぼの取り上げているようだが、原曲を知らなくてもちゃんと彼女化されているのだろうなと思わせるのがポイント。確かな、キャラクター・ミュージックを送り出していると思った。

▶過去の、ラリーパパ&カーネギーママ
http://43142.diarynote.jp/200509130317590000/
▶過去の、エマーソン北村
http://43142.diarynote.jp/200502161844550000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100919
▶過去の、伊藤大地
http://43142.diarynote.jp/201302091324078636/
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/

<今日の、街頭>
 ライヴを見る前に髪の毛をカラー/カット。いつもの店に行くために表参道を少し歩いたら、かなり夏リゾートっぽい感覚にあふれていて、あららー。浴衣もちらほら。ところで、どうしてアップルストアの横を通ると(表参道にもあります)少しイヤな気分になるのだろう? その後、二つ目のライヴを見るために、下北沢の通りを歩いたら、飲み屋やカラオケの客引きが多くて驚く。ずっと、こうだった? なんか感じ悪ぃ〜。
 フジ・ロック・フェスティヴァルに出演した熟達米国黒人音楽家の出るショウをはしごする。両会場ともかなりな入り。そして、お客さんが皆うれしそうで、いやーなによりなにより。

 まず、シカゴ・ブルース界の2人の重鎮をフロントに置いたライヴを南青山・ブルーノート東京で見る。前半はエディ・ショウ(ヴォーカル、テナー・サックス)が歌い、中盤以降は90歳らしいヘンリー・グレイ(ヴォーカル、ピアノ音色のキーボード)がフィーチャーされる。サポートはギターのシュン・キクタ、6弦エレクトリック・ベースのフェルトン・クルーズ、昨年はシル・ジョンソンのサポートでフジに出たというドラムのデリック・マーティン(2014年7月29日)。リズム・セクションは今のブルーズ・バンドとしては上位にあると言えるだろう。マーティンは視覚的にも見せようとする人で、曲の最後にいつもジャンプをする。ハハ。

 ショウもグレイも巨匠ハウリン・ウルフのバンドに関与していたということで、“・ウルフ・トリビュート”のお題目がつけられていたが、グレイのほうは「スタッガ・リー」とかいろんな曲をやって、我が流儀を突き進んだという感じか。ショウの歌は濁りがあり、グレイのほうはほつれの感覚がぐいぐい体内に入ってくる。濁りもほつれも、ブルースの重要要素であると思わされることしきり。ぼくはグレイのほつれのほうがより魅力的に感じられて、グっと来た。

▶過去の、デリック・マーティン
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/

 そして、渋谷・クラブクアトロで、日本の好ジャンプ・バンドとデキサス州ヒューストン生まれ/在住の個性派女性ヴォーカリストの共演を見る。ぼくが会場入りしたのは、ブラウンが出て来てブラッデスト・サキソフォンに重なった少し後だったようだが、ものすご〜く良かった昨年の両者の共演ステージ(2014年6月28日)をばっちり超えるもの。もうジュエルの剛毅な歌の味、ブラッデスト・サキソフォン(+ピアノの伊東ミキオ)の伴奏、その両者の信頼関係ある重なり、もう完璧と言いたくなる出来ではなかったか。で、去年より両者が一緒にやる時間が3倍になっていたのではないか。イエイ。とにもかくにも、ジャズ←→ブルースの醍醐味をがぶりっと鷲掴みし、精気と歓びに満ちたものとして送り出されたものを受け止める興奮と幸福感たるや。米国黒人音楽として重要なものがただただ横溢、素晴らしすぎました。

▶過去の、ブラッデスト・サキソフォンとジュエル・ブラウン
http://43142.diarynote.jp/201406291238493838/

<翌日の、宝石>
 ジュエル・ブラウンのさよならパーティ会場で、彼女とブラッデスト・サキソフォンを率いる甲田伸太郎(彼はパーティのシェフとしても活躍)にインタヴューする。ブラウンさん、もうステージで見せる様と同じ、ガハハな好おばあちゃん。ほんと、いい味を持っている。なんと、今回は単身で来日したという。1960年代のルイ・アームストロング楽団にいたときの映像を見ると可愛らしくキラキラ輝いていてなるほど“ジュエル”だと思わされるが、それはお母さんからつけられた愛称であるという。
追記)インタヴューのテープを起こしたら、ジュエルさんの声のデカいこと! うひゃあ。8月売りのジャズ・ジャパン誌に掲載、なり。
 米国ブラック・ミュージックの娯楽性を、秀でたポップネスとともに提示する元クール&ザ・ギャング(2014年12月26日)の滑らかシンガー(2006年11月27日、2014年3月4日)のショウを六本木・ビルボードライブ東京で見る。

 基本のサポート奏者はキーボード、ギター、ベース、ドラム、そしてアルト・サックス(女性)とトランペット奏者。テイラーが管楽器奏者を連れてきたのは初めてではないか。それゆえ、「ジャングルー・ブギー」他テイラー加入前のクール&ザ・ギャングのファンク曲を披露するかと期待したら、それはなし。ピックアップで拾っていた二管の音は精気に欠けており鍵盤で代行してもそれほど違わないかという感じ。アルト奏者は2カ所でソロ・パートを与えられたがその際は完全にスムース・ジャズ調の演奏を見せる。そして、さらに歌よりも動きや雰囲気重視の女性ダンサー/シンガーが2人、いろいろと、主役と絡む。

 ショウの運びは昨年のそれと重なるのかと思ったら、曲や構成をけっこう変えていたのはプロ。ラガ調の部分は前回よりも長かった。途中で1曲、デュエット役のおばさんが出て来たが誰だったのか。また、最終曲「セレブレイション」でザビエル・テイラーというギタリストが出て来たが、彼はJ.T. テイラーとお揃いのキラキラのスニーカーをはいていたりもし、息子なのかな。起伏に富むショウはやはり満足度、高し。

▶過去の、J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/
▶過去の、クール&ザ・ギャング
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/

 その後は、代官山・晴れたら空に豆まいて へ。途中からとはなったが、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)の単独公演を見る。全面的に打楽器やサンプラーのASA-CHANG(2013年6月20日)が加わってのもの。彼、MCで女性陣から弄られっぱなし。すっかり溶け込んでいて、メンバーみたい。

 久しぶりにこのインターナショナル派のユニットを見たが、色あせておらず、まったく“今”だなと頷く。現代的な肉感性/躍動とオツなミニマル性と一握り洒脱がかっこ良く絡まり、音圧豊かな塊となる様にこりゃうれしい、となった。

▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
▶過去の、ASA-CHANG
http://43142.diarynote.jp/201306241438288191/

<今日の、自動車>
 最近、家の近くで、アウディA1をよく見る。VWのポロと土台を同じく持つ、発売されてそれなりにたつ車だが、なんとなくいいナと思えた。ぼく、歳とって、趣味がつまらなくなっているかな。そういえば、先日ホンダのフィットを運転したのだが、信号待ちアイドリング時にエンジンが自動で停止し、ブレーキから足を離すと再スタートした。おお、今の新しいクルマって、エコでそうなっているの? ちょい、浦島太郎気分なり。