メッセ会場のソニック・ステージでMETAFIVEを見る。高橋幸宏(2009年10月31日、2011年8月7日、2013年8月11日)、小山田圭吾((2009年1月21日、2009年10月31日、2011年8月7日、2012年8月12日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年3月31日、2014年10月26日、2015年6月9日)、砂原良徳、TOWA TEI(2011年8月7日)、ゴンドウトモヒコ(2012年8月12日、2013年8月11日)、LEO今井が構成員で、エッジィなポップ・ミュージックというか、1980年代あたまあたりのトーキング・ヘッズからアフロ・ファンク色を抜き、代わりエレクトロ系の現代感覚を加えたと言えそうなロックを披露していた。

▶︎過去の、高橋幸宏
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、小山田圭吾
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
http://43142.diarynote.jp/?page=2&month=201410
http://43142.diarynote.jp/?day=20150609
▶︎過去の、テイ・トウワ
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
▶︎過去の、ゴンドウトモヒコ
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/

 コリーヌ・ベイリー・レイ(2011年3月8日)新曲やロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日)物件作への楽曲参加などの話題もあり。清新R&Bを送り出す存在として注目を浴びているR&B女性コーラス3人組のキングは、大きな会場(ソニック・ステージ)ながら3人だけでパフォーマンス。プリセット音+キーボード音に生理的に自由な歌声を載せる。メロディ感覚はジャジーで、例により一緒には歌いにくいものだが、それが魅力。その3分の1のパリス・ストローザ―はバークリー音楽大学に通っていたので(日本人のBIG YUKIやmonolog、エスペランサや“Wスコット”〜クリスチャン・スコット、ケンドリック・スコット〜らが重なっている模様)、そうなるのも不思議ではない。日本人実力者満載のMETAFIVEから見れば客の入りは控えめだったが、流麗な現代R&Bの真価は存分にアピールしていたのではないか。
▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
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http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
▶過去の、ケンドリック・スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
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http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
http://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
http://43142.diarynote.jp/201511120022503788/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301

 途中から見た、ザ・ジャクソンズのショウ(マウンテン・ステージ)、歌下手くそだなあ(本当、そうなの)と思いつつ、なんか良いなと思えて、予定を変更して最後まで見てしまう。弟(マイケル・ジャクソン)の財産に大きくよりかかるものであったのだが、なんかほんわか高揚、ココロ許せた。途中、ジャクソン5の「ABC」が高らかに始まった際、浮かれた観客が後ろからどばあと前に押し寄せ、その図がとっても愉快。そこには、“ポップ・ミュージックの夢”とも言いたくなる何かがあった。伴奏が素晴らしかったこともあるが(菅音も違和感なく、キーボードで出していた)、なんか米国R&Bの、アメリカの娯楽表現の底力を思い知らせるところもあったか。ブルース好きのギタリストであるティト・ジャクソン(2010年7月15日、2015年12月5日)も格好良く見えました。
▶過去の、ザ・ジャクソンズ
http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/
▶過去の、ティト・ジャクソン
http://43142.diarynote.jp/201007161048008489/
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
▶過去の、映画「THIS IS IT」
http://43142.diarynote.jp/200911010930562162/

 今回のフェスで感じたのは、音響的に万全でないデカい会場でやる場合、DJものは威力を発揮するかもということ。だって、音は無条件に音圧の高いクリアーなものに流せるし、それに同期した照明や映像にも凝ることができるから。バンドでやるよりも、大会場でやるときのアドヴァンテージは高いかもなあ……。それを徹底的に求め、(少人数でやるがゆえに)浮いたお金で鬼のようなステージ美術を施しているのが、ベルギーのトモロウランド(2016年7月8日参照)であるわけだ。なんて、考えていたら、サマーソニックのメッセ内のステージ美術、味気ない建物内にあるんだし3つのステージの差別化を図るためにももっと凝るのは大アリではないかとも思った。
▶︎過去の、トゥモロウランドの記録映画
http://43142.diarynote.jp/201607100831007710/

 オーヴァーグラウンドな位置でも活躍するマーク・ロンソンのマウンテン・ステージの出し物は彼一人によるDJショウ。時々、呼びかけのマイク使いもあり。映像は彼のオペーレーションもよく映し、その立った音使いもあって、とても個の存在が出た肉感的なパフォーマンスと感じる。楽しめたな。

 ビーチ・ステージの夕方の時間帯はビルボードライブが仕切っての、ミュージック・ソウルチャイルド(2009年9月26日、2015年2月21日)、SWV(2012年8月21日)、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション(2009年9月29日、2010年9月9日、2012年11月24日、2014年5月4日、2014年5月5日、2015年11月11日)というブラック・アクト3連発だったのだが、見ることができたのはラリーさんだけ。日も落ちたビーチに行くと昨日の昼間の様と異なり場内はガラガラ(と言っていいレヴェル)、唖然。そんななかでも、面々はしっかり誠意のもとパフォーマンス。過去のショウとそれほど変わるものではないがファンクの本懐を次々に繰り出す。あ、女性ヴォーカリストがまた変わり、今度は白人(2012年作に参加していたベイ・エリアをベースとするアシュリング・コール)。性格良さそうな、歌える人でした。今回、無理してでもラリー・グラハムを見なきゃと思ったのは、仲良しのプリンスが亡くなったからであったか。プリンスは彼をメンターと慕っていた。この晩、的確な謝辞と共に、彼はプリンス(2002年11月19日)の「アルファベット・ストリート」を披露。なお、彼らの出演時のPA音、すごいいいなあと感じた。
▶過去の、ミュージック・ソウルチャイルド
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
▶︎過去の、SWV
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
▶過去の、ラリー・グラハム
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201009171755535759/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632/
http://43142.diarynote.jp/201405071010101908/
http://43142.diarynote.jp/201405071013173150/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm

 そして、途中からにはなったが、マリーン球場でレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)を見る。スタンドから見たが、もう満場。アーティスト冥利につきるだろうな。とともに、このぐらいの規模のショウだからこそ、こみ上げてくるものも確かにあると思えた。

 なるほど、これがツイン・ドラム編成のレディオヘッドか。一人はポーティスヘッドのドラマーだというが、二人の重なりは機械も経由しただろう細分化されたリズムの体裁を見事に生の場で開いていて、そこに浮遊し、響く肉声やギター音が散りばめられる様はすごい。訴求力、ありすぎっ。実はいつまでもレディヘッドでもないだろという思いもなくはないが、この晩のショウに触れてそれも至極当然、彼らはフロント・ライナーであり続けると思わずにはいられなかった。しかし、トム・ヨークは妙にハイではなかったか。
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/

<今日の、天候>
 前日までは雲と雨の予報が出されているはずだが、この日は雨は降らず、けっこう陽も差していたのではないか。湿度は高かったので、体感温度は高かった。そして、翌日は台風で、けっこうな大荒れ。これ、1日ずれていたら。少し、ゾっとした。しかし、会場ではけっこう座ったりもしていたのだが、疲労困憊。あまりの体力のなさに、ちょい絶望する。

<そして、付録>
 以下は、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーションの一番新しいアルバムとなる2012年作『レイズ・アップ』(傑作です。プリンスも参加している)のぼくが書いたライナー・ノーツからの、プリンスとの絡みの部分を記した部分の抜粋だ。用いた発言は、2010年にインタヴューしたときのものである。


 ところで、米国ブラック・ミュージック史に残る輝かしい業績を1970年代から1980年代にかけて残しているグラハムだが、1990年代に入ると急に第一線から遠ざかってしまったような印象も受けるが、それは彼がジャマイカに居住したからだ。しかも、それは音楽のためではなく、聖書の普及のためであった。実は、彼は70年代半ば頃から、宗教に向かい合うようになったという。
「7年間、ジャマイカにいた。奥さんと子供と、娘が7歳から14歳になるまでいたよ。そして、12年前に戻ってきてミネアポリスに住んだ。ジャマイカでは教会に勤めていたというよりも、聖書の内容を教えるということをしていた」
 帰国後の彼がミネソタ州ミネアポリスに住むきっかけとなったのが、プリンスとの邂逅だった。ナッシュヴィルで双方が別の会場でギグする機会があり、それを知ったプリンスはグラハムをアフター・パーティに招待。両者はすぐに打ち解け、以後強い親交を持つに至っている。実は、スライ・ストーン(スライ&ザ・ファミリー・ストーンはオークランド周辺のミュージシャンで結成された)の影響を受けるプリンスが、“オークランド・ファンク”フェチであるのはよく知られる。彼は、シーラ・E(打楽器)、エディ・Mやエリック・リーズ(サックス)、ラッド(鍵盤)など同所出身の奏者をいろいろと自己バンドに誘ってきている。
 ミネアポリスに住むようになったグラハムの家は、プリンスの家の隣。実は、2人の家は隣同士なものの、プリンス邸はデカいので山を一つ挟んでいると言われたりしたこともあった。それを問うと、「確かにプリンスん家の隣だよ。でも山は隔ててなく(笑い)、間にあるのは金網だけ。だから、よく会っている」、とのこと。
 プリンスの1998年作『ニュー・パワー・ソウル』(NPG)にグラハムは参加。同じくプリンスの『ザ・レインボウ・チルドレン』(2001年)にも彼は入っているが、同作はプリンスが熱心なエホバの聖人の信者であることが投影された作品であり、同宗にはグラハムを通してハマったと言われている。一方、グラハムは1998年にプリンスのプロデュースで、彼のレーベのNPGから『GCS2000』を出した。