二日目。この晩は、南米からやってきた二組が出演した。

◆アカ・セカ・トリオ
 この日はソールド・アウトだそう。それは地方で単独公演も組まれもした、このアルゼンチン人3人組の評判ゆえのよう。ピアノ(多くの場合、左手はピアノの上に置いた小キーボードでベース音を出す)、ギター、打楽器(時に、タブラも叩く)。で、これは腑に落ちますね。とにかく、フォークロア、ライト・クラシック、ジャジー要素などが無理なく溶け合い、優美な表現として溢れ出るていく感じは、まさに今であり、これこそは我々が感じる現代アルゼンチンの素敵だと思わせるから。そして、彼らのそうした音楽で大きく頷かせるのは、インストメンタル主体表現でなく、まずヴォーカル、人力の歌心が表現の中央にあること。3人とも歌い、コーラスもバンバンする。そして熟れているのに、鮮烈さを持つ、ポップ・ミュージックという像を作る。もう、本当にしなやかにして、ハイブリッドなトリオ。最後は鳴り物を手にして、ステージ前面に並び、声を重ねる。こりゃ、アカペラのグループでも売り出せるじゃないか! もし無理に文句をつけるなら、一番リード・ヴォーカルをとるギター君の歌が美声なこと。それ、どこかで嘘くささを捻れ者には与えるかもしれない。
 ところで、ニコラス・メルマン(Nicolas Melmann)というアルゼンチン人エレクトニカ系アーティストを少し前に知った。響きや佇まいタタッ住まいがしなやかで、電気音を使っていてもどかか自然志向と感じさせ部分があって、ああアルゼンチンのアーティストだなと思わされるのだ。彼の名前を引けばサウンドクラウドやユーチューブは容易に見つかるはず。

◆セシリア・トッド
 一転して、ベネズエラの広角型トラッド歌手、大御所。現在のワーキング・バンド(マンドリン、アコースティック・ギター、ベース、パーカッション)を率い、彼女が上手にクアトロを弾きながら悠然と歌うわけだが、面白いと思わずにいられないのは、彼女は中央に位置せず我々に向かって左端に立って歌うこと。それ、バンドの演奏を横から一目で見て掌握したいという表れだろうか。材料は多彩なリズムや情緒を持つベネズエラ各地のトラッド。それを彼女は拾い上げ、輝きあるトッドの歌唱表現として提出する。アカ・セカ・トリオとはまるっきり違うがともに南米スペイン語の音楽、なり。彼女の1974年録音のファースト・アルバムは二十歳ちょいの時、アルゼンチンに音楽留学していた際に録られたもの。何も分からない状態で録音したもので、彼女自身は出来に満足していないそう。でも、ワクワクさせる若さ、伸びやかさがあって好きデスと、前日にインタヴューした時に声を大にして彼女に言ってしまった。最後には、アカ・セカ・トリオの二人が鳴り物で加わる。それもまた、美しい様であったな。生きるフォークロア。位相を異にしつつ、つながるラテン・アメリカの弧、てな感じ。トッドを聞けてよかった。

<今日の、流れ>
 終演後、バー・カウンターの横に昨日出演したヴォードゥー・ゲームのピーター・ソロがいる。それ、不思議はないとして、その後に知人と流れたバーに、ヴォードゥ・ゲームのマネージャーがいた。雑居ビルの3階にあるこのお店をどうして選んだのか? それを尋ねると、タイムアウトを見て知ったという。ま、世間は狭いときもあるものです。