JIMISEN

2016年8月17日 音楽
 代官山・晴れたら空に豆まいて の開店10周年を祝うパーティで、ジミセンと名乗るジミ・ヘンドリックスのそっくりさん志向の日本人ミュージシャンを見る。彼のザ・エキスペリエンスと同じく、ベーシストとドラマーを従えてのトリオにてパフォーマンスした。

 ヒャハ、笑顔になれた。ヘンドリックスとは逆に左利き用のギターを抱え、ヘンドリックス曲を演奏。うわあいってなギター演奏だけでなく、そこそこヴォーカルも彼流の歌唱(そして、MCも)で攻める。また、格好も往年のヘンドリックスのそれに準ずる。見ている端から、本当にヘンドリックスのことが好きで彼のプロダクツに触れまくり、少しでも近づこうとしてきたんだろうなと思わずにはいられない。髭は白かったので、長年にわたり熱い思いを向けてきたのだろうけど(普段は何をしているんだろうとも。考えは向きますね)、これは一見の価値があると思った。好きこそものの上手なれ。実はちゃんとエフェクターのボードを組んでいたりして現代機材も用いてはいるようなのだが、でも一番目だつのはワウ・ペダルの使用。いろんな端々から、アナログな人間力の魔法が湧き上がり、大好きな対象に献身しまくる素敵がぽっかり浮かび上がっておりました。

<昨日の、球技>
 昼間、汗だくになって卓球しちゃった。五輪の影響ではありません。ラケットを握るの久しぶりだったけど、やっぱ好きだな。小学生のころ、卓球をやるところが近所にあって時々友達とやったりしたことがあって、なんかホっとするところがあるよなあ。小学生のころはボーリングやスケートにも連れて行ってもらったりもしたが、卓球にどこかちかしい思いを持つのは、卓球の場合は親抜きで行っていたためか。そして、中学校に入ると、親と行動するのはマジ勘弁となった。今は、母親だけとなったが、本当に親孝行になったと思いますが。。。。

追記>
 ジャズ・ヴァイブラフォン/マリンバ奏者のボビー・ハッチャーソンが、カリフォルニア州の自宅で亡くなった。肺気腫を患っていたという。1941年1月27日〜2016年8月15日。22、3歳で録音参加したエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』、そしてその後にソロとして諸作を発表したブルーノート時代は忘れられないな。もう10年近く前になるが、彼を見ることができて(2007年9月3日)良かった。
▶︎過去のボビー・ハッチャーソン
http://43142.diarynote.jp/200709041845140000/