映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
2014年6月26日 音楽 目黒・ソニー PCL本社試写室で、肉感度高いサザン・ソウル調サウンドのもと数多のシンガーたちの珠玉の録音サポートをしてきたアラバマ州のマッスル・ショールズ界隈の二つの著名レコーディング・スタジオを題材にした映画を見る。2013年、米国制作のドキュメンタリーだ。
二つのスタジオのうち一つは、ミュージシャンもしていたことがあるエンジニア/プロデューサーであるリック・ホール(R&B史に燦然と名を残す名士ですね)が1959年にマッスル・ショールズ(現在の人口は、13.000人)に作ったフェイム・スタジオ(フェイムはフローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの略なので、実際はマッスル・ショールズの隣にあるフローレンスで設立されたのかもしれない)。そして、もう一つは“ザ・スワンパーズ”と呼ばれたフェイム・スタジオの名ハウス・ミュージシャンたちが1969年にフェイムから独立して隣町シェフィールド(現人口9.000人)に作ったマッスル・ショールズ・スタジオ。ちょい、紛らわしいですね。なお、両スタジオともずっと健在(後者は2013年にスタジオ稼働をやめたよう)。長年ツブれずに来たのは、両方ともスタジオ運営/音楽制作や音楽出版に特化し、レコード会社業には手を出さなかったことは関係あるかもしれない。
そして、その動きにはアトランティックの黄金期R&Bを舵取りしたジェリー・ウェクスラーが深く関与していたのには改めてびっくり。映画によれば、なんと彼がフェイム・スタジオ潰しを画策して、側近奏者たちに資金を提供したことでマッスル・ショールズ・スタジオは設立されたそう。だが、ウェクスラーはフェイム・スタジオを広く有名にした人物でもある。彼はアトランティック物件をいろいろと録音委託していたメンフィスのスタックス・レコードとの関係がこじれ、かわりにフェイムを使ったことで、フェイム/リック・ホールの名は上がった。まあ、リック・ホールが最初に扱ったR&Bシンガーであるアーサー・アレクサンダーのデビュー曲「ユー・ベター・ムーヴ・オン」や「アンナ」はともに1962年に米国でヒットし、前者はザ・ローリング・ストーンズに、後者はザ・ビートルズにカヴァーされてもいて、当初からホールは確かな手腕を示していたが。しかし、ウェクスラーって、罪作りな人だよなー。彼がいてこそ、南部ソウル/ミュージシャンの隆盛があったは間違いないけれど。
監督は、これが初めての監督作品となるコロラド州ボールダーで不動産業を営むそうなグレッグ・フレディ・キャリア。彼はこれまで2つの映画にお金を出しプロデューサー・クレジットを得ているというので、本業で潤っているのか。なんでも友人と車で長旅した際、マッスル・ショールズに偶然一泊したことがきっかけで、この伝説の音楽地場に興味を持ち、ここにまつわる映画を作ることにしたのだという。てなわけで、映画好きではあったろうが、監督に関しては経験がないような彼でもあるが、豊富な証言者映像(皆、いいこと言うよなあ。現在は物故者になってしまった人もいるので、そこそこの期間をかけて取材にあたったと考えられる)と何気に残っているいろいろな過去の記録映像のため、なんの文句もない、いい感じの音楽映画に仕上がっている。
インタヴュー映像で出てくるのは、同地録音の恩恵を受けているパーシー・スレッジやクラレンス・カーター(2013年11月14日)やアリサ・フランクリンやキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)、ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日、2014年5月21日)やストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガーとキース・リチャーズなど。その顔ぶれは本当に豪華で、かの地の功績を痛感させられるか。後からできたマッスル・ショールズ・スタジオは当初鳴かず飛ばずだったが、ストーンズが1971年作『スティッキー・フィンガーズ』録音で同スタジオを用いたことが幸いし、軌道に乗ったそうだ。それから、U2(2006年12月4日)のボーノの発言もたびたびインサートされるが、彼のそれは熱く、思い入れたっぷり。そういえば、U2の1988年作『ラトル&ハム』はメンフィスのサン・スタジオでの録音。サン・レコード設立者であるサム・フィリップスはフローレンスの生まれだ。
また、当然のことながら、リック・ホールをはじめフェイム・スタジオの関係者たち、鍵盤のスプーナー・オールダムやソングライターのダン・ペン(2010年8月25日)なども出てくる。フェイム・スタジオの第二期ハウス・バンドであるザ・スワンパーズの面々、ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、ドラムのロジャー・ホウキンス、キーボードのバリー・ベケット(彼のみ、故人)も同様。おお、彼らは皆白人ではないか! そう、歌手は黒人だったが、マッスル・ショールズの裏方関係者は白人だった。差別があり、それが激しかったはずの米国南部田舎での、ちょい不思議な、でも意義たっぷりの白人と黒人の共同作業……。それもまた本映画が伝える重要部で、それにはじわじわと示唆を、ぼくは受けた。ザ・オールマン・ブラザーズのギタリストである故デュエイン・オールマンもフェイム・スタジオのハウス・ミュージシャンだったことがあり、彼の事もいろいろ紹介されるし、証言者には弟のグレッグ・オールマンも出てくる。
ザ・スワンパーズの4人、ジミー・ジョンソン(ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』にはエンジアとして、彼はクレジット)、デイヴィッド・フッド、ロジャー・ホウキンス、バリー・ベケットは後のマッスル・ショールズ・スタジオの設立者でもあり、後半よりフィーチャーされる。彼らはマッスル・ショールズ・リズム・セクションとも、かつて呼称されましたね。
実は、ザ・スワンパーズたちの名前をぼくはロックのアルバムのクレジットで知り、ライナー・ノーツを読んで、普段は米国の地方のスタジオ・ミュージシャンであるのを高校生のころから知っていた。だが、彼らがこれほどまでに田舎に住み、R&B演奏で腕をならしてきたプレイヤーであるとは、当時熱心なロック愛好者であるぼくは思いもしなかった。ハハハ。ボズ・スキャッグス、ドン・ニックス、ポール・サイモンなど、いろいろロック側の人のアルバムにも彼らは貢献している。うち3人はトラフィックの1973年欧州ツアーに参加した(ライヴ盤『オン・ザ・ロード』。インスト部が長く、今の言葉で言うなら、ジャム・バンド的か)が、それはスタジオ暮らしの彼らにとって、初のツアー参加であった(初の外国行きでもあったろう)。映画に出てくるトラフィックを率いたスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)は、彼らを魔法の土地から外に出してしまうことで、その純度が失われるんじゃないかと憂慮したというようなことを、証言している。
なお、映画のエンド・ロールで使われているのは、サザン・ロック・バンドのレイナード・スキナードの1974年全米8位曲「スウィート・ホーム・アラバマ」。「アラバマ」や「サザン・マン」という曲を発表していたニール・ヤング(2001年7月28日)へ他所もんが南部気質にアヤつけてんじゃねえという気持ちをこめたこの曲は、マッスル・ショールズ録音曲ではない(ジョージア州ドラヴィルでの録音)。だが、曲中に<マッスル・ショールズには、ザ・スワンパーズがいる>という歌詞を持つ。
また、本編の最後には、喧嘩別れしたリック・ホールとザ・スワンパーズの面々が邂逅するシーンがあり、さらには、フェイム・スタジオでピアノを弾きながら歌うアリシア・キーズ(2008年8月10日)をジョンソン、フッド、ホウキンスの3人がバッキングし、ホールが卓をいじるシーンも登場。演奏されるのは、ボブ・ディランの「プレッシング」。ディランのゴスペル期『セイヴド』(1980年)に入っており、マッスル・ショールズ・スタジオ録音でジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットがそのアルバムをプロデュースした。そのシーン、やはりグっと来ちゃいます。
それにしても、1932年生まれのリック・ホール(現在は80歳を過ぎている)は、とっても若く見える。映画は彼の発言を元に進んで行く感じもあり、本映画は山あり谷ありの“リック・ホール物語”的な色彩も持っているか。それゆえ、なかばマニアックな側面も持つのだが、少なくてもぼくは小難しくは感じなかった。
ところで、映画ではマッスル・ショールズ界隈の風景もいろいろ映されるが、これが川(テネシー川)と森が鬼のようにある土地に撮られている。だが、そんな田舎からあっと驚く優秀なミュージシャンが続々出て、1960年代中期からR&Bやロック有名人が彼らの手作りサウンドを求めて大挙おしよせた。そこに行けば、人間的かつアーシーな音やソウルネスが得られる、と……。なんか、彼の地が映画「フィールド・オブ・ドリームス」で描かれる“夢の球場”のように、ぼくは映画を見ながら思えて来たりもしちゃい、満たされた南部幻想に包まれもした。ああ、遥かなるマッスル・ショールズ。そんな、この映画は新宿シネマカリテ他、7月12日から順次公開される。
▶過去の、クラレンス・カーター
http://43142.diarynote.jp/201311161311391480/
▶過去の、キャンディ・ステイトン
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
▶過去の、ジミー・クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、ダン・ペン
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
▶︎過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
▶過去の、アリシア・キーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20080810
<今日の、おじいさん>
家から駅に向かうとき、けっこうな頻度ですれ違うおじいさんがいる。今日も会った。杖をついているのに、冬も夏も毎日日中は散歩に出ているとしか、思えない。体力あるなー。そのご老人とはいつごろからか、会釈し合う関係になった。でも、彼はリック・ホールよりは年下かな。ホールさんは農場も持っているようで、がんがん作業をやっている姿も、映画には出てきます。
二つのスタジオのうち一つは、ミュージシャンもしていたことがあるエンジニア/プロデューサーであるリック・ホール(R&B史に燦然と名を残す名士ですね)が1959年にマッスル・ショールズ(現在の人口は、13.000人)に作ったフェイム・スタジオ(フェイムはフローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの略なので、実際はマッスル・ショールズの隣にあるフローレンスで設立されたのかもしれない)。そして、もう一つは“ザ・スワンパーズ”と呼ばれたフェイム・スタジオの名ハウス・ミュージシャンたちが1969年にフェイムから独立して隣町シェフィールド(現人口9.000人)に作ったマッスル・ショールズ・スタジオ。ちょい、紛らわしいですね。なお、両スタジオともずっと健在(後者は2013年にスタジオ稼働をやめたよう)。長年ツブれずに来たのは、両方ともスタジオ運営/音楽制作や音楽出版に特化し、レコード会社業には手を出さなかったことは関係あるかもしれない。
そして、その動きにはアトランティックの黄金期R&Bを舵取りしたジェリー・ウェクスラーが深く関与していたのには改めてびっくり。映画によれば、なんと彼がフェイム・スタジオ潰しを画策して、側近奏者たちに資金を提供したことでマッスル・ショールズ・スタジオは設立されたそう。だが、ウェクスラーはフェイム・スタジオを広く有名にした人物でもある。彼はアトランティック物件をいろいろと録音委託していたメンフィスのスタックス・レコードとの関係がこじれ、かわりにフェイムを使ったことで、フェイム/リック・ホールの名は上がった。まあ、リック・ホールが最初に扱ったR&Bシンガーであるアーサー・アレクサンダーのデビュー曲「ユー・ベター・ムーヴ・オン」や「アンナ」はともに1962年に米国でヒットし、前者はザ・ローリング・ストーンズに、後者はザ・ビートルズにカヴァーされてもいて、当初からホールは確かな手腕を示していたが。しかし、ウェクスラーって、罪作りな人だよなー。彼がいてこそ、南部ソウル/ミュージシャンの隆盛があったは間違いないけれど。
監督は、これが初めての監督作品となるコロラド州ボールダーで不動産業を営むそうなグレッグ・フレディ・キャリア。彼はこれまで2つの映画にお金を出しプロデューサー・クレジットを得ているというので、本業で潤っているのか。なんでも友人と車で長旅した際、マッスル・ショールズに偶然一泊したことがきっかけで、この伝説の音楽地場に興味を持ち、ここにまつわる映画を作ることにしたのだという。てなわけで、映画好きではあったろうが、監督に関しては経験がないような彼でもあるが、豊富な証言者映像(皆、いいこと言うよなあ。現在は物故者になってしまった人もいるので、そこそこの期間をかけて取材にあたったと考えられる)と何気に残っているいろいろな過去の記録映像のため、なんの文句もない、いい感じの音楽映画に仕上がっている。
インタヴュー映像で出てくるのは、同地録音の恩恵を受けているパーシー・スレッジやクラレンス・カーター(2013年11月14日)やアリサ・フランクリンやキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)、ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日、2014年5月21日)やストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガーとキース・リチャーズなど。その顔ぶれは本当に豪華で、かの地の功績を痛感させられるか。後からできたマッスル・ショールズ・スタジオは当初鳴かず飛ばずだったが、ストーンズが1971年作『スティッキー・フィンガーズ』録音で同スタジオを用いたことが幸いし、軌道に乗ったそうだ。それから、U2(2006年12月4日)のボーノの発言もたびたびインサートされるが、彼のそれは熱く、思い入れたっぷり。そういえば、U2の1988年作『ラトル&ハム』はメンフィスのサン・スタジオでの録音。サン・レコード設立者であるサム・フィリップスはフローレンスの生まれだ。
また、当然のことながら、リック・ホールをはじめフェイム・スタジオの関係者たち、鍵盤のスプーナー・オールダムやソングライターのダン・ペン(2010年8月25日)なども出てくる。フェイム・スタジオの第二期ハウス・バンドであるザ・スワンパーズの面々、ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、ドラムのロジャー・ホウキンス、キーボードのバリー・ベケット(彼のみ、故人)も同様。おお、彼らは皆白人ではないか! そう、歌手は黒人だったが、マッスル・ショールズの裏方関係者は白人だった。差別があり、それが激しかったはずの米国南部田舎での、ちょい不思議な、でも意義たっぷりの白人と黒人の共同作業……。それもまた本映画が伝える重要部で、それにはじわじわと示唆を、ぼくは受けた。ザ・オールマン・ブラザーズのギタリストである故デュエイン・オールマンもフェイム・スタジオのハウス・ミュージシャンだったことがあり、彼の事もいろいろ紹介されるし、証言者には弟のグレッグ・オールマンも出てくる。
ザ・スワンパーズの4人、ジミー・ジョンソン(ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』にはエンジアとして、彼はクレジット)、デイヴィッド・フッド、ロジャー・ホウキンス、バリー・ベケットは後のマッスル・ショールズ・スタジオの設立者でもあり、後半よりフィーチャーされる。彼らはマッスル・ショールズ・リズム・セクションとも、かつて呼称されましたね。
実は、ザ・スワンパーズたちの名前をぼくはロックのアルバムのクレジットで知り、ライナー・ノーツを読んで、普段は米国の地方のスタジオ・ミュージシャンであるのを高校生のころから知っていた。だが、彼らがこれほどまでに田舎に住み、R&B演奏で腕をならしてきたプレイヤーであるとは、当時熱心なロック愛好者であるぼくは思いもしなかった。ハハハ。ボズ・スキャッグス、ドン・ニックス、ポール・サイモンなど、いろいろロック側の人のアルバムにも彼らは貢献している。うち3人はトラフィックの1973年欧州ツアーに参加した(ライヴ盤『オン・ザ・ロード』。インスト部が長く、今の言葉で言うなら、ジャム・バンド的か)が、それはスタジオ暮らしの彼らにとって、初のツアー参加であった(初の外国行きでもあったろう)。映画に出てくるトラフィックを率いたスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)は、彼らを魔法の土地から外に出してしまうことで、その純度が失われるんじゃないかと憂慮したというようなことを、証言している。
なお、映画のエンド・ロールで使われているのは、サザン・ロック・バンドのレイナード・スキナードの1974年全米8位曲「スウィート・ホーム・アラバマ」。「アラバマ」や「サザン・マン」という曲を発表していたニール・ヤング(2001年7月28日)へ他所もんが南部気質にアヤつけてんじゃねえという気持ちをこめたこの曲は、マッスル・ショールズ録音曲ではない(ジョージア州ドラヴィルでの録音)。だが、曲中に<マッスル・ショールズには、ザ・スワンパーズがいる>という歌詞を持つ。
また、本編の最後には、喧嘩別れしたリック・ホールとザ・スワンパーズの面々が邂逅するシーンがあり、さらには、フェイム・スタジオでピアノを弾きながら歌うアリシア・キーズ(2008年8月10日)をジョンソン、フッド、ホウキンスの3人がバッキングし、ホールが卓をいじるシーンも登場。演奏されるのは、ボブ・ディランの「プレッシング」。ディランのゴスペル期『セイヴド』(1980年)に入っており、マッスル・ショールズ・スタジオ録音でジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットがそのアルバムをプロデュースした。そのシーン、やはりグっと来ちゃいます。
それにしても、1932年生まれのリック・ホール(現在は80歳を過ぎている)は、とっても若く見える。映画は彼の発言を元に進んで行く感じもあり、本映画は山あり谷ありの“リック・ホール物語”的な色彩も持っているか。それゆえ、なかばマニアックな側面も持つのだが、少なくてもぼくは小難しくは感じなかった。
ところで、映画ではマッスル・ショールズ界隈の風景もいろいろ映されるが、これが川(テネシー川)と森が鬼のようにある土地に撮られている。だが、そんな田舎からあっと驚く優秀なミュージシャンが続々出て、1960年代中期からR&Bやロック有名人が彼らの手作りサウンドを求めて大挙おしよせた。そこに行けば、人間的かつアーシーな音やソウルネスが得られる、と……。なんか、彼の地が映画「フィールド・オブ・ドリームス」で描かれる“夢の球場”のように、ぼくは映画を見ながら思えて来たりもしちゃい、満たされた南部幻想に包まれもした。ああ、遥かなるマッスル・ショールズ。そんな、この映画は新宿シネマカリテ他、7月12日から順次公開される。
▶過去の、クラレンス・カーター
http://43142.diarynote.jp/201311161311391480/
▶過去の、キャンディ・ステイトン
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
▶過去の、ジミー・クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、ダン・ペン
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
▶︎過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
▶過去の、アリシア・キーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20080810
<今日の、おじいさん>
家から駅に向かうとき、けっこうな頻度ですれ違うおじいさんがいる。今日も会った。杖をついているのに、冬も夏も毎日日中は散歩に出ているとしか、思えない。体力あるなー。そのご老人とはいつごろからか、会釈し合う関係になった。でも、彼はリック・ホールよりは年下かな。ホールさんは農場も持っているようで、がんがん作業をやっている姿も、映画には出てきます。
グラジーナ・アウグスチク&ポリーニョ・ガルシア
2014年6月24日 音楽 へえ〜。こういうボサ基調の男女デュオ表現もあるんだァ。と、何気に感心。初めて行った国のクラブに行って、偶然この二人のパフォーマンスに触れたなら、わあ文化度が高い国だなあ、なんて感想を持つかもと、ぼくはなんとなく思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。価格が高くない席は満席、なり。
本国で何作ものリーダー作を出しているポーランドの女性ジャジー歌手とシカゴで活動しているというブラジル人ギタリスト/シンガー(彼もリーダー作をいろいろリリースしている)という組み合わせ。どういう経緯で国籍も住む場所も異なる二人が一緒にやるようになったかは知らないが、二人はザ・ビートルズ曲をボッサ調で開いたアルバムを2008年に出していて、それは日本盤もリリースされている。
まず、ガルシアが出て来て、ジェントルにギター弾き語りを2曲。さりげなくも、安定した、いい味。ギターも歌も軽妙にして、まさにそれ風(と書くと、ナンだが)。ベロオリゾンテ出身で過去に複数回来日したこともあるそうだが、ブラジル人にはやっぱしかなわないという、まったく実もフタもない感想を覚える。
その後は、デュオでパフォーマンスはすすめられ、演目は良く知られるボサノヴァ曲(基本、英語詩曲で歌われる)やザ・ビートルズ曲。スティング曲も1曲やったか。何を取り上げるにせよ、女性が歌で男性がギター伴奏という単純にして、よくある構図の表現からは大きく離れる内容はよくぞ。それは、ガルシアも良く歌い、終始デュエットというカタチで曲は披露されたから。しかも、その男女の歌声の重なり方はとても多彩で、終始ハーモニーを取る方向にもあって、よくこれだけ変化に満ちたヴォーカル編曲を施したものだと思わせる。そりゃ、さんざん聞いてきているザ・ビートルズ曲も新鮮に聞こえるし、生ギター1本という簡素な伴奏音でもちゃんとショウは持ちますね。そして、両者のクールな歌の質感もあり、なんとなく生理的には“北の、もう一つのボサノヴァ”という印象をぼくに与えたりもした。
<今日の、了解>
この二人の来日公演は、ポーランドの援助によって実現したよう。東(中)欧についてはあまり知識を持ち合わせていないが、ぼくのなかでは、ポーランドはジャズをはじめとする洗練された音楽を旧共産主義国のなかでは一番送り出しているという印象を持つ。アウグスチクはときに猛烈なスキャットをかましたりした。というのはともかく、ポーランドの音楽事情について、より興味を喚起させられた一夜でもあったか。今日の実演に触れ、どうしようかと決めあぐねていた、7月上旬にあるポーランド人女性ピアノ奏者の同国大使館でのライヴに足を向けることに決めた。
▶過去の、ポーランド絡みの記述
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20091018
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
本国で何作ものリーダー作を出しているポーランドの女性ジャジー歌手とシカゴで活動しているというブラジル人ギタリスト/シンガー(彼もリーダー作をいろいろリリースしている)という組み合わせ。どういう経緯で国籍も住む場所も異なる二人が一緒にやるようになったかは知らないが、二人はザ・ビートルズ曲をボッサ調で開いたアルバムを2008年に出していて、それは日本盤もリリースされている。
まず、ガルシアが出て来て、ジェントルにギター弾き語りを2曲。さりげなくも、安定した、いい味。ギターも歌も軽妙にして、まさにそれ風(と書くと、ナンだが)。ベロオリゾンテ出身で過去に複数回来日したこともあるそうだが、ブラジル人にはやっぱしかなわないという、まったく実もフタもない感想を覚える。
その後は、デュオでパフォーマンスはすすめられ、演目は良く知られるボサノヴァ曲(基本、英語詩曲で歌われる)やザ・ビートルズ曲。スティング曲も1曲やったか。何を取り上げるにせよ、女性が歌で男性がギター伴奏という単純にして、よくある構図の表現からは大きく離れる内容はよくぞ。それは、ガルシアも良く歌い、終始デュエットというカタチで曲は披露されたから。しかも、その男女の歌声の重なり方はとても多彩で、終始ハーモニーを取る方向にもあって、よくこれだけ変化に満ちたヴォーカル編曲を施したものだと思わせる。そりゃ、さんざん聞いてきているザ・ビートルズ曲も新鮮に聞こえるし、生ギター1本という簡素な伴奏音でもちゃんとショウは持ちますね。そして、両者のクールな歌の質感もあり、なんとなく生理的には“北の、もう一つのボサノヴァ”という印象をぼくに与えたりもした。
<今日の、了解>
この二人の来日公演は、ポーランドの援助によって実現したよう。東(中)欧についてはあまり知識を持ち合わせていないが、ぼくのなかでは、ポーランドはジャズをはじめとする洗練された音楽を旧共産主義国のなかでは一番送り出しているという印象を持つ。アウグスチクはときに猛烈なスキャットをかましたりした。というのはともかく、ポーランドの音楽事情について、より興味を喚起させられた一夜でもあったか。今日の実演に触れ、どうしようかと決めあぐねていた、7月上旬にあるポーランド人女性ピアノ奏者の同国大使館でのライヴに足を向けることに決めた。
▶過去の、ポーランド絡みの記述
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
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<音楽の祭日 2014>と題された、飯田橋・アンスティチェ・フランス東京での野外の無料イヴェント。うわあ、人がいっぱい。そして、まあ毎度だが、場が弾んでいる。なんか、フランス型縁日、なんて感想も浮かぶ? ぼくは最後に出た二組の来日アクトを見た。
まず見たジャーズは、現在25歳というマダガスカル人とフランス人の両親を持つミックス。18歳のときに生まれ育ったマダガスカルからパリに出て来て、弾き語りを人前でするようになったという。生ギターを持って、一人で訥々とパフォーマンス。今から25年ほど前にビクター音産からラコトという味のいいマダガスカルのシンガー・ソングライターが紹介されたことがあったなあ、なぞと思い出しつつ、彼女に接する。マイナー・キー基調の曲を枯れた感覚と濡れた感覚が入り交じった情感をたたえ、訥々と披露。彼女はバスキングで鍛え、支持者も獲得したらしいが、室内で見たほうが真価は伝わりやすいかとも思った。
午後一から持たれているイヴェントのトリを飾ったアヨはナイジェリア人とルーマニア系ジプシーの両親のもと、ドイツのケルンに生まれた。そして、現在はパリに住んでいる。そんな彼女は、英語でずっと歌ってきている。
かつてはクリクリしたショート気味アフロ・ヘアがトレードマークだったが(少なくても、2013年発の新作ブックレット写真までは)、現在は伸ばして後で束ねている。だいぶ感じは変わったが、やはりかなりのべっぴんさん。長身であり、格好や髪型もあってか、ステージ上の彼女は威風堂々。アヨのことをなんら知らない人でも彼女を一瞥したなら、何かを表現する人、人の前に出て何かをしている人という印象はきっと持つのではないか。ステージに立つ彼女を見ながら、綺麗なグレイス・ジョーンズみたいとも、ぼくはほんのり思ったか。
ギターを弾き語りする彼女を、いろんなキーボードを弾く(一部、ベース音も担当)男性がサポート。陰影と哀愁と誘いが入り交じる曲をけれんみなく披露して行くが、意外に歌は喉に負担がかかりそうな歌い方をする人なんだな。なんにせよ。アルバムでの模様に生の場ならではの精気を加味する感じで、総体はよりシャープな印象を受けた。
中盤移行、彼女はコール&レスポンスなど、より見る者に働きかける所作を曲の中に入れるようになり、臨機応変に曲の尺を長くする。ああ、ライヴに触れていると実感できるナ。それから、ライヴだと、ボブ・マーリー愛好をいろいろと、その背後に感じさせられた。そういえば、新作『チケット・トゥ・ザ・ワールド』のタイトル・トラックなどは、相当に素敵な、持たざる者の立場を代弁する広がりあるメッセージ・ソング。同作ではスロウなラップ調シンギングも見せ、それはどこかニーナ・チェリー的とも思わせる。この晩は、アルバムでゲスト・ラッパーが担当していた箇所を自分でやったりもしていた。
実はアヨとは、デビューした翌年である2007年に豪州のバイロン・ベイ・ブルース・フェス(2007年4月5〜9日)のバックステージで会って、一緒に写真を撮ったことがあった。そんとき、彼女はフィッシュボーンのアンジェロと親しげに話していたよなー。そのデビュー作『Joyful』はまじに<ユーロ・アフリカンの、ノラ・ジョーンズなるもの>というしなやかさやジューシーさや親しみやすさに溢れていて、ぼくはぞっこんだった。そんな彼女は4作品を仏ユニヴァーサル・ミュージック系列から出している。
▶過去の、バイロン・ベイのブルース・フェス
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
<週明けの、アヨ>
月曜に、取材する。実物は、かわいい〜。昔のまんま。で、彼女はバイロン・ベイで会ったときのことを覚えていた。あのとき、あなたの髪の毛はもっと短かったわよね、なぞとも指摘してくる。逆にこちらも現在の髪型について聞いたら、何もしなければ暴れたアフロなのだそう。それを束ねると、今みたいになるらしい。で、アイフォンのなかに入っている、2週間前に録ったというアフロな写真を、彼女は見せてくれた。アヨがシンガーになりたいと思ったのは、子供のときにダイアナ・ロスのジャケ写を見たとき。それまで、くせ毛でモップ頭といじめられていたが、彼女のような職業につけばアフロな髪型でもおおいばりできるんだと思ったからだそう。新作にはモータウンのロゴも付いているが、やはりロスを売り出した会社と同じロゴが付くのはうれしかったとのこと。でも、今と昔のモータウンは違う会社、と冷静な発言もしていましたが。子供もいる彼女はローラーブレイドなど、スポーツも大好きなよう。
まず見たジャーズは、現在25歳というマダガスカル人とフランス人の両親を持つミックス。18歳のときに生まれ育ったマダガスカルからパリに出て来て、弾き語りを人前でするようになったという。生ギターを持って、一人で訥々とパフォーマンス。今から25年ほど前にビクター音産からラコトという味のいいマダガスカルのシンガー・ソングライターが紹介されたことがあったなあ、なぞと思い出しつつ、彼女に接する。マイナー・キー基調の曲を枯れた感覚と濡れた感覚が入り交じった情感をたたえ、訥々と披露。彼女はバスキングで鍛え、支持者も獲得したらしいが、室内で見たほうが真価は伝わりやすいかとも思った。
午後一から持たれているイヴェントのトリを飾ったアヨはナイジェリア人とルーマニア系ジプシーの両親のもと、ドイツのケルンに生まれた。そして、現在はパリに住んでいる。そんな彼女は、英語でずっと歌ってきている。
かつてはクリクリしたショート気味アフロ・ヘアがトレードマークだったが(少なくても、2013年発の新作ブックレット写真までは)、現在は伸ばして後で束ねている。だいぶ感じは変わったが、やはりかなりのべっぴんさん。長身であり、格好や髪型もあってか、ステージ上の彼女は威風堂々。アヨのことをなんら知らない人でも彼女を一瞥したなら、何かを表現する人、人の前に出て何かをしている人という印象はきっと持つのではないか。ステージに立つ彼女を見ながら、綺麗なグレイス・ジョーンズみたいとも、ぼくはほんのり思ったか。
ギターを弾き語りする彼女を、いろんなキーボードを弾く(一部、ベース音も担当)男性がサポート。陰影と哀愁と誘いが入り交じる曲をけれんみなく披露して行くが、意外に歌は喉に負担がかかりそうな歌い方をする人なんだな。なんにせよ。アルバムでの模様に生の場ならではの精気を加味する感じで、総体はよりシャープな印象を受けた。
中盤移行、彼女はコール&レスポンスなど、より見る者に働きかける所作を曲の中に入れるようになり、臨機応変に曲の尺を長くする。ああ、ライヴに触れていると実感できるナ。それから、ライヴだと、ボブ・マーリー愛好をいろいろと、その背後に感じさせられた。そういえば、新作『チケット・トゥ・ザ・ワールド』のタイトル・トラックなどは、相当に素敵な、持たざる者の立場を代弁する広がりあるメッセージ・ソング。同作ではスロウなラップ調シンギングも見せ、それはどこかニーナ・チェリー的とも思わせる。この晩は、アルバムでゲスト・ラッパーが担当していた箇所を自分でやったりもしていた。
実はアヨとは、デビューした翌年である2007年に豪州のバイロン・ベイ・ブルース・フェス(2007年4月5〜9日)のバックステージで会って、一緒に写真を撮ったことがあった。そんとき、彼女はフィッシュボーンのアンジェロと親しげに話していたよなー。そのデビュー作『Joyful』はまじに<ユーロ・アフリカンの、ノラ・ジョーンズなるもの>というしなやかさやジューシーさや親しみやすさに溢れていて、ぼくはぞっこんだった。そんな彼女は4作品を仏ユニヴァーサル・ミュージック系列から出している。
▶過去の、バイロン・ベイのブルース・フェス
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
<週明けの、アヨ>
月曜に、取材する。実物は、かわいい〜。昔のまんま。で、彼女はバイロン・ベイで会ったときのことを覚えていた。あのとき、あなたの髪の毛はもっと短かったわよね、なぞとも指摘してくる。逆にこちらも現在の髪型について聞いたら、何もしなければ暴れたアフロなのだそう。それを束ねると、今みたいになるらしい。で、アイフォンのなかに入っている、2週間前に録ったというアフロな写真を、彼女は見せてくれた。アヨがシンガーになりたいと思ったのは、子供のときにダイアナ・ロスのジャケ写を見たとき。それまで、くせ毛でモップ頭といじめられていたが、彼女のような職業につけばアフロな髪型でもおおいばりできるんだと思ったからだそう。新作にはモータウンのロゴも付いているが、やはりロスを売り出した会社と同じロゴが付くのはうれしかったとのこと。でも、今と昔のモータウンは違う会社、と冷静な発言もしていましたが。子供もいる彼女はローラーブレイドなど、スポーツも大好きなよう。
ヴィジェイ・アイヤー・トリオ
2014年6月20日 音楽 昨日のパフォーマンスがあまりに良く、アイヤーも違う内容になると言っていたので、予定を少し変えて、2日連続で見ることにする。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
アイヤーが詠唱っぽく指を這わせる調べにあわせリズム・セクションが徐々に重なって行き、それらは次第にあらぬ方向に向かい、という曲の始まり方は往々にして、どの曲も同じ(それは昨日も)。そして、三者演奏になって以降の、想像不可能にして大胆な航路の取り方、起伏ありまくりの重なりの様は、プログ・ロック的手触りを感じさせる場合もある。プログなプログ・ロック愛好者の方々、アイヤーさんを聞いてみてはいかがでしょうか。
確かに演奏する曲は異なり(セロニアス・モンク曲もアタマのほうでやった)、そのため3人の重なり〜インタープレイの取り方も前日とは異なる。ウッド・ベースのクランプスはもう少しジャズ側に寄った演奏をし(でも、アルコ演奏比率は昨日より低い。あれは、効果音的な何かを求める使い方でもあった?)、ドラムのマーカス・ギルモアはブラシを使う部分もあった。彼、何気にバスドラのチューニングを昨日とはかえていなかったか。わりと素直なシャッフル・ビートでブルース〜ゴスペル流れの曲を披露する(ぼくは、寛ぎつつ、いろんな思いを得ました)場合も。とか、総じて昨日よりも、過去の財産との連続を意識させるパフォーマンスであったし、もう少しジャズ色が強かったとも指摘できるだろう。
来週この3人で録音するそうなECM新作用曲も披露。完全に、コットンクラブ公演のトライアングル関係が、そのまま切り取られるものになるのではないのか。「エレクトロ・ミュージックのパイオニアであるロバートなんちゃらに捧げる」みたいなことを言って演奏したアンコール曲は、ダダダダダという単純な同一音/テンポの畳み掛けが延々と続けられる。まるでこの前のマイ・ブラッディ・バレンタイン公演(2013年2月7日)の実演ハイライトの曲みたいな感じのもの。もちろん、その基本の反復パターンは崩さず、全員一丸となって、そこに自らのミュージシャンシップをかけた創意をこれでもかと加えて行くのだが、おもしろすぎる。そして、最後はそんなにアイコンタクトをかわした様子もないのに、パキっと終わる。カッキー。
やはり、アイヤーをとんでもなく支持!
▶過去の、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
http://43142.diarynote.jp/201302091333126442/
<今日の、アイヤーさん>
アイヤーは時折、ちゃんとマイクをもって、ぎこちなく短めのMCをする人、それほど内容が代わる人ではない。MCなぞしなくてもいいとぼくは思うが、受け手に誠実に、言葉をかけたい表れと推測する。しかし……。
これが最後の来日公演にならないことを望む。→また日本に来れるといいなあ。→また、日本に戻ってきたい。
という項目は、ぼくが見た3日のなかでどんどん変化して行った。<ミュージカル・アドヴェンチャー>という言葉は毎回使ったかな。なるほど、それが彼の表現を適切に説目する言葉かもしれぬ。
アイヤーが詠唱っぽく指を這わせる調べにあわせリズム・セクションが徐々に重なって行き、それらは次第にあらぬ方向に向かい、という曲の始まり方は往々にして、どの曲も同じ(それは昨日も)。そして、三者演奏になって以降の、想像不可能にして大胆な航路の取り方、起伏ありまくりの重なりの様は、プログ・ロック的手触りを感じさせる場合もある。プログなプログ・ロック愛好者の方々、アイヤーさんを聞いてみてはいかがでしょうか。
確かに演奏する曲は異なり(セロニアス・モンク曲もアタマのほうでやった)、そのため3人の重なり〜インタープレイの取り方も前日とは異なる。ウッド・ベースのクランプスはもう少しジャズ側に寄った演奏をし(でも、アルコ演奏比率は昨日より低い。あれは、効果音的な何かを求める使い方でもあった?)、ドラムのマーカス・ギルモアはブラシを使う部分もあった。彼、何気にバスドラのチューニングを昨日とはかえていなかったか。わりと素直なシャッフル・ビートでブルース〜ゴスペル流れの曲を披露する(ぼくは、寛ぎつつ、いろんな思いを得ました)場合も。とか、総じて昨日よりも、過去の財産との連続を意識させるパフォーマンスであったし、もう少しジャズ色が強かったとも指摘できるだろう。
来週この3人で録音するそうなECM新作用曲も披露。完全に、コットンクラブ公演のトライアングル関係が、そのまま切り取られるものになるのではないのか。「エレクトロ・ミュージックのパイオニアであるロバートなんちゃらに捧げる」みたいなことを言って演奏したアンコール曲は、ダダダダダという単純な同一音/テンポの畳み掛けが延々と続けられる。まるでこの前のマイ・ブラッディ・バレンタイン公演(2013年2月7日)の実演ハイライトの曲みたいな感じのもの。もちろん、その基本の反復パターンは崩さず、全員一丸となって、そこに自らのミュージシャンシップをかけた創意をこれでもかと加えて行くのだが、おもしろすぎる。そして、最後はそんなにアイコンタクトをかわした様子もないのに、パキっと終わる。カッキー。
やはり、アイヤーをとんでもなく支持!
▶過去の、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
http://43142.diarynote.jp/201302091333126442/
<今日の、アイヤーさん>
アイヤーは時折、ちゃんとマイクをもって、ぎこちなく短めのMCをする人、それほど内容が代わる人ではない。MCなぞしなくてもいいとぼくは思うが、受け手に誠実に、言葉をかけたい表れと推測する。しかし……。
これが最後の来日公演にならないことを望む。→また日本に来れるといいなあ。→また、日本に戻ってきたい。
という項目は、ぼくが見た3日のなかでどんどん変化して行った。<ミュージカル・アドヴェンチャー>という言葉は毎回使ったかな。なるほど、それが彼の表現を適切に説目する言葉かもしれぬ。
ヴィジェイ・アイヤー・トリオ
2014年6月19日 音楽 ソロ・パフォーマンス(2014年6月17日)に続く、敏腕ジャズ・ピアニストのトリオ公演はワーキング・バンドと言える顔ぶれにてなされた。縦ベーシストのステファン・クランプ(アイヤーのMCによれば、15年の付き合いとか)とドラマーのマーカス・ギルモア(2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日)はともに大分前からアイヤーの録音に関わっていて、特にギルモアにとってアイヤー作参加はけっこう初期に名前を出す仕事であったはず。しかし、ギルモアはこの5月にもジョシュア・レッドマン(2003年1月16日、2009年4月21日、2010年9月5日、2012年5月31日、2014年5月15日)とテイラー・マクファーリン(2012年2月18日、2012年3月2日)のサポートで来日していたりもし、ここのところの訪日率はとても高い。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
素晴らしすぎる、現代ピアノ・トリオ表現。聖と俗の間にピンとはられたタイトロープのうえを確信をもってひたひたと突き進むような演奏を、なんと説明したものか。そして、3人が丁々発止した後には、山ほどの美と刺激と創意が舞いまくる。もー、かたずを飲んで、食い入るように見入り、聞き入るのみ。
よくぞ、この3人が集まったナとも痛感。クランプスは立ったシークエンスをぐいぐい押し出し(それから、アルコ弾きもけっこう見せる)、ギルモアは従来の定石から外れた奇怪なのにグルーヴィな鼓動をこれでもかと送り出す。<ジャズなんだけどジャズない>というか、<見事にジャズなんだけど、いろんな現代に享受できる非ジャズ要素を見事に抱えたリズム・セクション音>というべきか。1曲目はいくつかのアイヤー曲をつなげた30分にわたるものだったが、その3人の変幻自在なやりとりの様に驚愕。とっても整備され、約束ごとも踏まえた上で、あくなきインタープレイの先に挑戦や飛躍、そして造型総体としての美を獲得する様(もちろん、みんな譜面なぞおいてませんよー)に、時節柄あんたたちワールドカップのグループ・リーグ戦のなかベストのチームと賞賛するに値するパフォーマンスじゃあと、ココロのなかで喝采。誇張なしに、壮絶。もちろん、今年のぼくが見たジャズの好ライヴの筆頭にリストされるべきと思う。
他は10分ほどの尺の曲を並べていたが、1曲はスティーヴィー・ワンダーの1972年作『トーキング・ブック』のなかに入っていた異色エスノ・フォーキー曲「ビッグ・ブラザー」をカヴァー。自分流に大胆に翻訳していたが、それ、やはり同じ顔ぶれのトリオでやっている2008年作で披露していたりしますね。
ところで、少し不思議な気持ちになったのは、先に見たソロ・パフォーマンスよりも、アイヤーのピアノの味が倍以上良いと思えたこと。より腕がたち、個性にあふれるとも思えた。トリオ演奏の合間に5分弱(?)のソロ演奏も披露したが、それも前々日のものよりはるかにグっと感じられたのはどうしてなのか。実際そうだったのか、ぼくの心持ちの問題も少しは働いているのか。研ぎすまされたソロ演奏って、やる方にしても、受ける側にしても難儀な出し物であると、個人的に認知もしたか。しかし、イビツは美徳なりというタイプの先達の奏法をちゃんと咀嚼したうえで、不整合きわまりない指さばきの連続の先に山ほどの醍醐味を得ているアイヤーはやはり凄い。創意とひかかりと美のあくなき相乗……。いやー、まだまだリアル・ジャズは先に進めます!
▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
▶過去の、ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
▶過去の、レッドマン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100905
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
▶過去の、マクファーリン
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
<今日の、情報>
ゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)とチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)も見に来ていた。少しは、オレら余裕ぶっかましている場合じゃないと感じた? それとも、“戦い、前に進むジャズ”はらつ腕すぎる彼らにまかせると納得? アイヤーの次のECM第二弾は、このトリオによるレコーディング作だそう。楽しみすぎます。
▶過去の、バートン
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
素晴らしすぎる、現代ピアノ・トリオ表現。聖と俗の間にピンとはられたタイトロープのうえを確信をもってひたひたと突き進むような演奏を、なんと説明したものか。そして、3人が丁々発止した後には、山ほどの美と刺激と創意が舞いまくる。もー、かたずを飲んで、食い入るように見入り、聞き入るのみ。
よくぞ、この3人が集まったナとも痛感。クランプスは立ったシークエンスをぐいぐい押し出し(それから、アルコ弾きもけっこう見せる)、ギルモアは従来の定石から外れた奇怪なのにグルーヴィな鼓動をこれでもかと送り出す。<ジャズなんだけどジャズない>というか、<見事にジャズなんだけど、いろんな現代に享受できる非ジャズ要素を見事に抱えたリズム・セクション音>というべきか。1曲目はいくつかのアイヤー曲をつなげた30分にわたるものだったが、その3人の変幻自在なやりとりの様に驚愕。とっても整備され、約束ごとも踏まえた上で、あくなきインタープレイの先に挑戦や飛躍、そして造型総体としての美を獲得する様(もちろん、みんな譜面なぞおいてませんよー)に、時節柄あんたたちワールドカップのグループ・リーグ戦のなかベストのチームと賞賛するに値するパフォーマンスじゃあと、ココロのなかで喝采。誇張なしに、壮絶。もちろん、今年のぼくが見たジャズの好ライヴの筆頭にリストされるべきと思う。
他は10分ほどの尺の曲を並べていたが、1曲はスティーヴィー・ワンダーの1972年作『トーキング・ブック』のなかに入っていた異色エスノ・フォーキー曲「ビッグ・ブラザー」をカヴァー。自分流に大胆に翻訳していたが、それ、やはり同じ顔ぶれのトリオでやっている2008年作で披露していたりしますね。
ところで、少し不思議な気持ちになったのは、先に見たソロ・パフォーマンスよりも、アイヤーのピアノの味が倍以上良いと思えたこと。より腕がたち、個性にあふれるとも思えた。トリオ演奏の合間に5分弱(?)のソロ演奏も披露したが、それも前々日のものよりはるかにグっと感じられたのはどうしてなのか。実際そうだったのか、ぼくの心持ちの問題も少しは働いているのか。研ぎすまされたソロ演奏って、やる方にしても、受ける側にしても難儀な出し物であると、個人的に認知もしたか。しかし、イビツは美徳なりというタイプの先達の奏法をちゃんと咀嚼したうえで、不整合きわまりない指さばきの連続の先に山ほどの醍醐味を得ているアイヤーはやはり凄い。創意とひかかりと美のあくなき相乗……。いやー、まだまだリアル・ジャズは先に進めます!
▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
▶過去の、ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
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▶過去の、レッドマン
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▶過去の、マクファーリン
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<今日の、情報>
ゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)とチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)も見に来ていた。少しは、オレら余裕ぶっかましている場合じゃないと感じた? それとも、“戦い、前に進むジャズ”はらつ腕すぎる彼らにまかせると納得? アイヤーの次のECM第二弾は、このトリオによるレコーディング作だそう。楽しみすぎます。
▶過去の、バートン
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▶過去の、コリア
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ヴァネッサ・ウィリアムズ。アンディ・アロウ
2014年6月18日 音楽 米国のアフリカ系女性アーティスト(うわあ、なんと大ざっぱな括り口)をはしご。六本木・ビルボードライブ東京→→南青山・ブルーノート東京。ともに。“この人”がやるからこそのライヴ・ショウの価値を持っていた。
まず、ウィリアムスのショウ。わあ、ステージ上には、米国TVドラマ「アグリー・ベティ」のファッション雑誌の意地の悪いディレクターがいるう! ほんと、まんま。そんなに同番組を見ていたわけじゃないけど、あの存在感あふれる役者の様には、ヴァネッサ・ウィリアムズやるなあと思わせられたものなあ。女優としても活躍する(というか、いつごろからかそっちのほうが主か?)彼女は過去何度か来日公演を行っているはずだが、ぼくは今回初めて彼女を見る。
ピアノ(音楽監督。デュエットも1曲聞かせる)、キーボード、ギター、ベース、ドラム、女性バックグランド歌手というサポート体制。今回の日本行きのために組まれたバンドのようだが、あらら、ドラマーはJ.T.ルイス(2005年6月8日、2005年6月9日)じゃないか。ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日)のヒップホップ導入バンドである“ロックイット”バンドに参画して知名度を得て、いろんなR&Bセッションとともに、キップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)やブランドン・ロス(2004年9月7日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006 年9月2日、2011年5月5日、2011年12月8日、2011年12月14日)らひねくれ派からも信任を受ける御仁ですね。
ウィリアムスは、エメラルド色の薄地ジャンプ・スーツ調衣装に身を固めてショウを進める。で、こんなに芝居がかって歌う人も(ぼくの経験上)めったにないと思った。と、書くと、なんか悪口みたいだが、それは女優としてもエスタブリシュされた彼女ならではの見事なプロの芸風に他ならず。うへ〜、彼女は見事にヴァネッサ・ウィリアムスを演じていると痛感。いや、なかなかの見物でした。で、件のTV役と違い、時に人の良さが出る感じがしたのも、悪くなかった。
全体的なショウの感じは、MOR目の穏健R&Bという感じか。本人の持ち歌を中心に、チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日)は一番好きな歌手と言って、彼女がルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日、2011年6月22日、2012年9月9日、2012年9月12日)時代に発表した「エヴァーラスティング・ラヴ」を歌ったりもしたが、これ2005年作でもタイトル曲としてカヴァーしている。また、ザ・アイズレー・ブラザース(2001月12月6日、2004年3月1日)の「ワーク・トゥ・ドゥ」も歌ったが、こんなに華々しいこの曲のヴァージョンは初めて聞くかも? その2005年作ではアイズレーズの「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」も取り上げてもいて、彼女は何気にアイズレーズ好きなのか?
4月には、1920〜30年代にハーレムにあったクラブ“コットン・クラブ”の栄華を扱ったミュージカル「アフター・ミッドナイト」にゲスト出演したようで、そこで歌った「ストーミー・ウェザー」も彼女は堂々披露。同クラブでリナ・ホーンが当たり曲とした、ハロルド・アーレンのスタンダードですね。同ミュージカルの楽団を務めるのはリンカーン・ジャズ・オーケストラの面々で、そのプロデューサの一人にはウィントン・マルサリス(2000年3月9 日)も名を連ねている。現在は、パティ・ラベルがゲストで出ているようだ。
▶過去の、ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
▶過去の、ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
▶過去の、ロス
http://43142.diarynote.jp/?day=20040907
http://43142.diarynote.jp/200506120643190000/
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/200609031313220000/
http://43142.diarynote.jp/?month=201105
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201112201158055043/
▶過去の、カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
▶過去の、ルーファス
http://43142.diarynote.jp/200811111147046442/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201106280315179045/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
http://43142.diarynote.jp/201209191235365909/
▶過去の、アイズレーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200403011119270000/
▶過去の、マルサリス/LJO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
一方のアンディ・アロウは25歳で、アルバム2作をリリースしているシンガー/ギタリスト。プリンス(2002年11月19日)のバンドであるザ・ニュー・パワー・ジェネレイションに入ってツアーしたことがあり、自主制作の2作目『Superconductor』(2012年)はプリンスがエグゼクティヴ・プロデューサーに立っていて、楽曲共作や傘下ミュージシャン提供などいろいろ助力している。
ステージに出て来たアロウ嬢は、うわあぁ〜い、綺麗かわいい。アフロな髪型もあって、多くの人はすぐにエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)を思い出すだろう。エスペランサが柔和でシャイな印象を与えるとしたら、彼女はもう少しシャープでワイルド。彼女はカメルーン生まれで2000年に米国に引っ越したという情報を持つが、パっと見た感じ肌の色はそれなりに白い。母親のほうが米国人のようだが、非アフリカ系なのではないか。
キーボード、ベース、ドラムという編成のバンドによる出音のでかいバンド音にのり、彼女は嬉々として歌をのせる。やはり、歌声はかなり可憐。しっとり目の曲だと、ミニー・リパートン的とも言いたくなる? それなりに広がりある曲調やアレンジが施されていたスタジオ録音物の音が頭にあると、もう少し厚い、かつメロウなサウンドを実演でも求めたくなるが、アロウという個体により集中しやすくはなるかも。意外だったのは、ギターを手にせずシンガーに専念する場合が多く、ギターを手にしてもコードを爪弾いたり単純にストロークするぐらい(すぐに、歌だけになったりも)であったこと。彼女、プリンスのバンドでどういう役割をやっていたのだろう。御大はずっと来日していないし、ずばらなぼくは彼のライヴ映像もチェックしていないので、謎は見ていてどんどん深まった。巨漢奏者によるベース音がデカすぎとアタマから感じていたが、彼がギター的な役割も担おうとしているのら、それも分らなくはなく……でも、やはり音デカすぎだな。
曲はオリジナルに加え、マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」やザ・ドゥービー・ブラザースの「ロング・トレイン・カミン」なども披露。アルバムではメイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)とトロンボーン・ショーティ(2010年12月13日、2012年2月2日)が活躍する弾けたファンク曲もあれば、スタンダード的風情を持つ瀟洒曲もあった。まだまだ、これから開ける引き出しはあるという感じか。
何をやろうと、何を歌おうと、この娘がやればOK、すべては光輝く……。実もフタもないない書き方になっちゃうけど、初々しさもいまだ持つ彼女のパフォーマンスに接していて、そう感じずにはいられず。でも、それはポップ・ミュージックにおいては一番重要なことだろう。
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去の、エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、トロンボーン・ショーティ
http://43142.diarynote.jp/201012150816313582/
http://43142.diarynote.jp/201202090942324966/
<今日の、比較>
ウィリアムスとアロウの年齢差は25、6歳。倍なのだな。アロウもだいぶ前に「ザ・ゲーム」というTVコメディ・ドラマに出演したことがあったらしいが、今後はどういうふうに進んで行くのだろう。とか、個ある両者を続けて見て、ふと183秒間かんがえる。
まず、ウィリアムスのショウ。わあ、ステージ上には、米国TVドラマ「アグリー・ベティ」のファッション雑誌の意地の悪いディレクターがいるう! ほんと、まんま。そんなに同番組を見ていたわけじゃないけど、あの存在感あふれる役者の様には、ヴァネッサ・ウィリアムズやるなあと思わせられたものなあ。女優としても活躍する(というか、いつごろからかそっちのほうが主か?)彼女は過去何度か来日公演を行っているはずだが、ぼくは今回初めて彼女を見る。
ピアノ(音楽監督。デュエットも1曲聞かせる)、キーボード、ギター、ベース、ドラム、女性バックグランド歌手というサポート体制。今回の日本行きのために組まれたバンドのようだが、あらら、ドラマーはJ.T.ルイス(2005年6月8日、2005年6月9日)じゃないか。ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日)のヒップホップ導入バンドである“ロックイット”バンドに参画して知名度を得て、いろんなR&Bセッションとともに、キップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)やブランドン・ロス(2004年9月7日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006 年9月2日、2011年5月5日、2011年12月8日、2011年12月14日)らひねくれ派からも信任を受ける御仁ですね。
ウィリアムスは、エメラルド色の薄地ジャンプ・スーツ調衣装に身を固めてショウを進める。で、こんなに芝居がかって歌う人も(ぼくの経験上)めったにないと思った。と、書くと、なんか悪口みたいだが、それは女優としてもエスタブリシュされた彼女ならではの見事なプロの芸風に他ならず。うへ〜、彼女は見事にヴァネッサ・ウィリアムスを演じていると痛感。いや、なかなかの見物でした。で、件のTV役と違い、時に人の良さが出る感じがしたのも、悪くなかった。
全体的なショウの感じは、MOR目の穏健R&Bという感じか。本人の持ち歌を中心に、チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日)は一番好きな歌手と言って、彼女がルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日、2011年6月22日、2012年9月9日、2012年9月12日)時代に発表した「エヴァーラスティング・ラヴ」を歌ったりもしたが、これ2005年作でもタイトル曲としてカヴァーしている。また、ザ・アイズレー・ブラザース(2001月12月6日、2004年3月1日)の「ワーク・トゥ・ドゥ」も歌ったが、こんなに華々しいこの曲のヴァージョンは初めて聞くかも? その2005年作ではアイズレーズの「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」も取り上げてもいて、彼女は何気にアイズレーズ好きなのか?
4月には、1920〜30年代にハーレムにあったクラブ“コットン・クラブ”の栄華を扱ったミュージカル「アフター・ミッドナイト」にゲスト出演したようで、そこで歌った「ストーミー・ウェザー」も彼女は堂々披露。同クラブでリナ・ホーンが当たり曲とした、ハロルド・アーレンのスタンダードですね。同ミュージカルの楽団を務めるのはリンカーン・ジャズ・オーケストラの面々で、そのプロデューサの一人にはウィントン・マルサリス(2000年3月9 日)も名を連ねている。現在は、パティ・ラベルがゲストで出ているようだ。
▶過去の、ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
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▶過去の、ハンラハン
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▶過去の、ロス
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▶過去の、カーン
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▶過去の、ルーファス
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▶過去の、アイズレーズ
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▶過去の、マルサリス/LJO
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一方のアンディ・アロウは25歳で、アルバム2作をリリースしているシンガー/ギタリスト。プリンス(2002年11月19日)のバンドであるザ・ニュー・パワー・ジェネレイションに入ってツアーしたことがあり、自主制作の2作目『Superconductor』(2012年)はプリンスがエグゼクティヴ・プロデューサーに立っていて、楽曲共作や傘下ミュージシャン提供などいろいろ助力している。
ステージに出て来たアロウ嬢は、うわあぁ〜い、綺麗かわいい。アフロな髪型もあって、多くの人はすぐにエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)を思い出すだろう。エスペランサが柔和でシャイな印象を与えるとしたら、彼女はもう少しシャープでワイルド。彼女はカメルーン生まれで2000年に米国に引っ越したという情報を持つが、パっと見た感じ肌の色はそれなりに白い。母親のほうが米国人のようだが、非アフリカ系なのではないか。
キーボード、ベース、ドラムという編成のバンドによる出音のでかいバンド音にのり、彼女は嬉々として歌をのせる。やはり、歌声はかなり可憐。しっとり目の曲だと、ミニー・リパートン的とも言いたくなる? それなりに広がりある曲調やアレンジが施されていたスタジオ録音物の音が頭にあると、もう少し厚い、かつメロウなサウンドを実演でも求めたくなるが、アロウという個体により集中しやすくはなるかも。意外だったのは、ギターを手にせずシンガーに専念する場合が多く、ギターを手にしてもコードを爪弾いたり単純にストロークするぐらい(すぐに、歌だけになったりも)であったこと。彼女、プリンスのバンドでどういう役割をやっていたのだろう。御大はずっと来日していないし、ずばらなぼくは彼のライヴ映像もチェックしていないので、謎は見ていてどんどん深まった。巨漢奏者によるベース音がデカすぎとアタマから感じていたが、彼がギター的な役割も担おうとしているのら、それも分らなくはなく……でも、やはり音デカすぎだな。
曲はオリジナルに加え、マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」やザ・ドゥービー・ブラザースの「ロング・トレイン・カミン」なども披露。アルバムではメイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)とトロンボーン・ショーティ(2010年12月13日、2012年2月2日)が活躍する弾けたファンク曲もあれば、スタンダード的風情を持つ瀟洒曲もあった。まだまだ、これから開ける引き出しはあるという感じか。
何をやろうと、何を歌おうと、この娘がやればOK、すべては光輝く……。実もフタもないない書き方になっちゃうけど、初々しさもいまだ持つ彼女のパフォーマンスに接していて、そう感じずにはいられず。でも、それはポップ・ミュージックにおいては一番重要なことだろう。
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去の、エスペランサ
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▶過去の、パーカー
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http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、トロンボーン・ショーティ
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http://43142.diarynote.jp/201202090942324966/
<今日の、比較>
ウィリアムスとアロウの年齢差は25、6歳。倍なのだな。アロウもだいぶ前に「ザ・ゲーム」というTVコメディ・ドラマに出演したことがあったらしいが、今後はどういうふうに進んで行くのだろう。とか、個ある両者を続けて見て、ふと183秒間かんがえる。
ヴィジェイ・アイヤー
2014年6月17日 音楽 丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。結構なキャリアを持つ御仁であるが、初来日。
よくぞ呼んでくれて、ソロとトリオの二タイプの公演をちゃんと企画してくれたものだと思う。タイプや持ち味は違えど、ぼくはブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日)が今いる位置に、ヴィジェイ・アイヤーがいても不思議はないと思ってきたから。彼らは1歳違い(メルドーは1970年マイアミ州ジャクソンヴィル生まれ。アイヤーは1971年ニューヨーク州オルバニー生まれ)で、アルバム・デビューはともに1995年。弾き味は異なるが(技量はメルドーのほうが上ですね)、感性と視野の広さは甲乙付け難いところであり、現代ジャズ・ピアニストとしての輝きやアドヴァンテージを放つところもいい勝負。アイヤーはインド系だが、もし彼が格好いい白人だったら、また違っていた? という書き方は、誤解を招くな。アイヤーだって別に格好悪くないし、根暗なメルドーだってそんなに美男子ではないし。
当初は、変拍子ファンク・ジャズの雄たるスティーヴ・コールマン(ぼくは、彼が吹いているということで、アイヤーのアルバムを最初買った。というか、コールマンのバンドで電気キーボードを弾いていたこともあるか)など管奏者も擁する、ストロングでありつつ迷宮に遊ぶリアル・ジャズを標榜。暫くして、アルバムではトリオのブツが多くなったが、諸作にはいろんな様相が全開。なかには、現代音楽〜ミニマル色を出す物もあるよな。なんにせよ、ジャズとして必要なほつれや刺やバカヤローの感覚や、それと表裏一体の美感や繊細さを持ち、現在いる場から別の地点へ跳ぼうとする感覚を抱えてもいて……。そんな彼は、ずっと基本はオリジナル曲主義。だが、ソロ・ピアノ作はスタンダードや多大な影響を受けていると思われるアンドリュー・ヒル曲、さらにはマイケル・ジャクソンが歌った曲なども取り上げている。一方、彼はラップや肉声と絡んだアルバムも出しているし(2003年作はディスク・ユニオンが日本盤で出して、それなりに話題を呼んだ)、この手のジャズ・マンが避けがちなギター奏者を擁するアルバムも持っているし、ちょい電気的な音がインサートされるアルバムもあったか。
非メジャーから20作近く出している彼の2014年作『Mutations』は、なんとECM発。彼はそこで弦ユニットと一緒に、美世界を求めている。今回の来日公演はECMレコーディング・アーティストという印籠がもたらしたものと考えられるが、同社のマンフレド・アイヒャーにはじっくりとアイヤーの面倒を見てほしい。アーロン・パークス2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日)も新作はECM発だが、同社の新プロデューサーによるパークス作と違いアイヤーのアルバムはアイヒャー物件のようであるから。
この日は、ソロ・パフォーマンス。1時間20分ほど、ジャズ・ピアニストであることをまっとうする。少し行儀良すぎ、もっと乱暴にあっち側に行ってェと、思わす部分もあったが。ぼくが彼に求めるもの、過剰にデカいっスから。ステージ中央に、観客席に真横になるようにセッティングされたスタンウェイから、いろんな調べが溢れ出る。意外だったのは、アンドリュー・ヒルとかハービー・ニコルズとかケニー・カークランドとかの他人曲を演奏していたこと。とはいえ、自分流に曲を存分に紡いでいて、オリジナルと言われても、そうなのと納得しそうではあるけど。延々フリーフォームでやることも出来たはずだが、そういうのはなかった。
▶過去の、メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
▶過去の、パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年7月3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
<今日の、Mr.ビーン>
おお、アイヤーって狸に似ているな。とともに、やはり優等生っぽい、とは感じさせられる。この手の辣腕タイプにありがちな、鍵盤を押さえながらの“うなり声”も、彼は一切出さない。妙な雑音がないのは、やはりいい。それから、見てくれで、彼はどこかミスター・ビーンが入っているところがある、というのが、ぼくの見解。とか書くと、彼の熱心なファンから、何言っているんですか、彼は飛び級でイェール大学で数学や心理学を学んだ(なんか、そこらへんの音楽外の秀才ぶりはアーロン・パークスと重なる?)んですよと、反駁されそうだけど。そういえば、彼は今年に入ってハーヴァード大学の(音楽の)教授に就任したという話もある。
ともあれ、ほのかなミスター・ビーン臭は愛嬌/抜けている感じにも繋がるように思う。また、それは神経質な印象から彼を遠ざける。よって、ピリピリしておらず、淡々と事にあたっていると感じさせるのは良い。とともに、真面目さは出てしまっても外にストリクトさが出ることはなく、出向いたライヴ会場に多少ボロなピアノが置いてあっても、こんなこともあるサと鷹揚に演奏にのぞんでいそうとも想起させて、それもぼくには頼もしく見えた。18日から3日間はトリオにて、ドラマーはマーカス・ギルモア(2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日)です。さー、どーなるか。
▶過去の、ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867
よくぞ呼んでくれて、ソロとトリオの二タイプの公演をちゃんと企画してくれたものだと思う。タイプや持ち味は違えど、ぼくはブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日)が今いる位置に、ヴィジェイ・アイヤーがいても不思議はないと思ってきたから。彼らは1歳違い(メルドーは1970年マイアミ州ジャクソンヴィル生まれ。アイヤーは1971年ニューヨーク州オルバニー生まれ)で、アルバム・デビューはともに1995年。弾き味は異なるが(技量はメルドーのほうが上ですね)、感性と視野の広さは甲乙付け難いところであり、現代ジャズ・ピアニストとしての輝きやアドヴァンテージを放つところもいい勝負。アイヤーはインド系だが、もし彼が格好いい白人だったら、また違っていた? という書き方は、誤解を招くな。アイヤーだって別に格好悪くないし、根暗なメルドーだってそんなに美男子ではないし。
当初は、変拍子ファンク・ジャズの雄たるスティーヴ・コールマン(ぼくは、彼が吹いているということで、アイヤーのアルバムを最初買った。というか、コールマンのバンドで電気キーボードを弾いていたこともあるか)など管奏者も擁する、ストロングでありつつ迷宮に遊ぶリアル・ジャズを標榜。暫くして、アルバムではトリオのブツが多くなったが、諸作にはいろんな様相が全開。なかには、現代音楽〜ミニマル色を出す物もあるよな。なんにせよ、ジャズとして必要なほつれや刺やバカヤローの感覚や、それと表裏一体の美感や繊細さを持ち、現在いる場から別の地点へ跳ぼうとする感覚を抱えてもいて……。そんな彼は、ずっと基本はオリジナル曲主義。だが、ソロ・ピアノ作はスタンダードや多大な影響を受けていると思われるアンドリュー・ヒル曲、さらにはマイケル・ジャクソンが歌った曲なども取り上げている。一方、彼はラップや肉声と絡んだアルバムも出しているし(2003年作はディスク・ユニオンが日本盤で出して、それなりに話題を呼んだ)、この手のジャズ・マンが避けがちなギター奏者を擁するアルバムも持っているし、ちょい電気的な音がインサートされるアルバムもあったか。
非メジャーから20作近く出している彼の2014年作『Mutations』は、なんとECM発。彼はそこで弦ユニットと一緒に、美世界を求めている。今回の来日公演はECMレコーディング・アーティストという印籠がもたらしたものと考えられるが、同社のマンフレド・アイヒャーにはじっくりとアイヤーの面倒を見てほしい。アーロン・パークス2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日)も新作はECM発だが、同社の新プロデューサーによるパークス作と違いアイヤーのアルバムはアイヒャー物件のようであるから。
この日は、ソロ・パフォーマンス。1時間20分ほど、ジャズ・ピアニストであることをまっとうする。少し行儀良すぎ、もっと乱暴にあっち側に行ってェと、思わす部分もあったが。ぼくが彼に求めるもの、過剰にデカいっスから。ステージ中央に、観客席に真横になるようにセッティングされたスタンウェイから、いろんな調べが溢れ出る。意外だったのは、アンドリュー・ヒルとかハービー・ニコルズとかケニー・カークランドとかの他人曲を演奏していたこと。とはいえ、自分流に曲を存分に紡いでいて、オリジナルと言われても、そうなのと納得しそうではあるけど。延々フリーフォームでやることも出来たはずだが、そういうのはなかった。
▶過去の、メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm
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▶過去の、パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年7月3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
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<今日の、Mr.ビーン>
おお、アイヤーって狸に似ているな。とともに、やはり優等生っぽい、とは感じさせられる。この手の辣腕タイプにありがちな、鍵盤を押さえながらの“うなり声”も、彼は一切出さない。妙な雑音がないのは、やはりいい。それから、見てくれで、彼はどこかミスター・ビーンが入っているところがある、というのが、ぼくの見解。とか書くと、彼の熱心なファンから、何言っているんですか、彼は飛び級でイェール大学で数学や心理学を学んだ(なんか、そこらへんの音楽外の秀才ぶりはアーロン・パークスと重なる?)んですよと、反駁されそうだけど。そういえば、彼は今年に入ってハーヴァード大学の(音楽の)教授に就任したという話もある。
ともあれ、ほのかなミスター・ビーン臭は愛嬌/抜けている感じにも繋がるように思う。また、それは神経質な印象から彼を遠ざける。よって、ピリピリしておらず、淡々と事にあたっていると感じさせるのは良い。とともに、真面目さは出てしまっても外にストリクトさが出ることはなく、出向いたライヴ会場に多少ボロなピアノが置いてあっても、こんなこともあるサと鷹揚に演奏にのぞんでいそうとも想起させて、それもぼくには頼もしく見えた。18日から3日間はトリオにて、ドラマーはマーカス・ギルモア(2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日)です。さー、どーなるか。
▶過去の、ギルモア
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http://43142.diarynote.jp/201405171309186867
フロレンシア・ルイス+ロス・オンゴス・オリエンタレス
2014年6月16日 音楽 アルゼンチンの個性派シンガー・ソングライターであるフロレンシア・ルイス(2008年4月4日)を中央にすえ、そこに、ギターの鬼怒無月(2003年3月6日、2003年6月30日、2004年1月16日、2005年4月11日、2006年1月21日、2009年10月8日 、2010年3月20日、2012年2月10日、2012年6月13日、2012年6月28日、2012年11月21日、2013年2月11日、2014年2月9日、2014年2月22日)、エレクトリック・ベースとチェロを弾く佐野篤(2006年3月24日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日)、パーカッションのヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日)からなるロス・オンゴス・オリエンタレス(2014年2月22日)が重なる公演。渋谷・クラブクアトロ。5月中旬から20カ所を超える日本ツアーを持ちあってきた両者の、これが最終公演。そこにツアー中に急遽カナダからやってきたという(アルゼンチン人?)ヴァイオリン奏者も入る。彼、何気にバッキング・コーラスも良かったな。
ダーク気味迷宮系とも言えるかもしれない、我が道を行く静謐ロック楽曲を作り、悠々と歌う彼女に、ロス・オンゴス・オリエンタレスの面々が“もう一つ”のサウンドをつける。その重なりからは、清々しいまでの両者の信頼がもあもあと湧いてくるわけで、その様にぼくは大きくうなずく。そういうのを目の当たりにすると、ミュージシャンって、音楽って、人間同士のやりとりって、いいナと思っちゃう。にわか、いい人度数が自分のなかで増していることを自覚しちゃう。
途中には、ルイスのエレクトリック・ギター弾き語りのパートもあって、スペイン語と日本語の両方で歌う曲もあった。と書いても、あそうとなってしまうだろうが、随所から彼女の研ぎすまされた才覚とはあまり相容れない純な真心は伝わってくるわけで……。ともあれ、一人パフォーマンスの際は、彼女のソング・ライティングの妙をより直接的に感じることができる。彼女は、「サッカー好きの子供がワールド・カップに出たときのような感激を、私は日本のステージに立つと感じます」みたいな、MCもしていた。
それから、松田美緒(2005年7月11日、2010年4月19日、2010年10月16日、2012年6月13日、2014年2月9日)が出て来て、フロレンシア曲のもと歌声を重ねるときも。ちなみに、松田美緒&ビスコイット・グローポ(2012年6月13日、2014年2月9日)の演奏陣のみの単位が、ロス・オンゴス・オリエンタレスというバンド名になるわけだ。もともとフロレンシアと日本勢のやりとりは松田やヤヒロが昔行ったブエノスアイレス公演に端を発するらしい。
▶過去の、フロレンシア・ルイス
http://43142.diarynote.jp/200804052110160000/
▶過去の、ロス・オンゴス・オリエンタレス
http://43142.diarynote.jp/?day=20140222
▶過去の、鬼怒
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200504151004040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100320
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20120613
http://43142.diarynote.jp/201207031352302181/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、佐野
http://43142.diarynote.jp/200603281333540000/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、ヤヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、松田
http://43142.diarynote.jp/200507161355250000/
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201010191403189326/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
<今日の、まったり>
不思議なもので、日々の郵便物/宅急便の量やメール数はならすと、まあ安定するか? だが、この日はメールの数が少なくて、驚く。しゃかりきに原稿を書いているときに次々にメールが入ると、メイラー を切りたくなるが、今日は本当に少なかったような。スパムも入っていない? ワールドカップ開催期間中であるから、ということにしておこう。なんか、望外にゆったりした心持ちを得てしまった、ぼく。一時つづいていた雨もここのところは、なし。さあ、渋谷まで歩いて出よう……。
ダーク気味迷宮系とも言えるかもしれない、我が道を行く静謐ロック楽曲を作り、悠々と歌う彼女に、ロス・オンゴス・オリエンタレスの面々が“もう一つ”のサウンドをつける。その重なりからは、清々しいまでの両者の信頼がもあもあと湧いてくるわけで、その様にぼくは大きくうなずく。そういうのを目の当たりにすると、ミュージシャンって、音楽って、人間同士のやりとりって、いいナと思っちゃう。にわか、いい人度数が自分のなかで増していることを自覚しちゃう。
途中には、ルイスのエレクトリック・ギター弾き語りのパートもあって、スペイン語と日本語の両方で歌う曲もあった。と書いても、あそうとなってしまうだろうが、随所から彼女の研ぎすまされた才覚とはあまり相容れない純な真心は伝わってくるわけで……。ともあれ、一人パフォーマンスの際は、彼女のソング・ライティングの妙をより直接的に感じることができる。彼女は、「サッカー好きの子供がワールド・カップに出たときのような感激を、私は日本のステージに立つと感じます」みたいな、MCもしていた。
それから、松田美緒(2005年7月11日、2010年4月19日、2010年10月16日、2012年6月13日、2014年2月9日)が出て来て、フロレンシア曲のもと歌声を重ねるときも。ちなみに、松田美緒&ビスコイット・グローポ(2012年6月13日、2014年2月9日)の演奏陣のみの単位が、ロス・オンゴス・オリエンタレスというバンド名になるわけだ。もともとフロレンシアと日本勢のやりとりは松田やヤヒロが昔行ったブエノスアイレス公演に端を発するらしい。
▶過去の、フロレンシア・ルイス
http://43142.diarynote.jp/200804052110160000/
▶過去の、ロス・オンゴス・オリエンタレス
http://43142.diarynote.jp/?day=20140222
▶過去の、鬼怒
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200504151004040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100320
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20120613
http://43142.diarynote.jp/201207031352302181/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、佐野
http://43142.diarynote.jp/200603281333540000/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、ヤヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、松田
http://43142.diarynote.jp/200507161355250000/
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201010191403189326/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
<今日の、まったり>
不思議なもので、日々の郵便物/宅急便の量やメール数はならすと、まあ安定するか? だが、この日はメールの数が少なくて、驚く。しゃかりきに原稿を書いているときに次々にメールが入ると、メイラー を切りたくなるが、今日は本当に少なかったような。スパムも入っていない? ワールドカップ開催期間中であるから、ということにしておこう。なんか、望外にゆったりした心持ちを得てしまった、ぼく。一時つづいていた雨もここのところは、なし。さあ、渋谷まで歩いて出よう……。
カンタス村田とサンバマシーンズ。蝉丸+山田あずさ
2014年6月15日 音楽 モーションブルー・ヨコハマで、賑やかし男女混合13 人編成バンド+ときにサンバー・ダンサー2人(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日)の、セカンド作『OPA』(ハピネス)発表を記念するライヴを見る。客の入り、良好。バンドのノリもなんとなくヨコハマっぽいところも持つし、またここでやらないかな。
華があり、楽しい。娯楽精神の発露で、バカバカしくもある。で、一皮むくと、いろんな知識や思慮や知性が垣間見えたりもする。横浜市民であるカンタス村田は余興で横浜市歌というのを、うれしそうに弾き語る。どーでもいい時代錯誤な歌詞を持つ曲だが、何気に田舎くさい内容で、横浜=洗練というイメージを崩させる破壊力ある楽曲だな。横浜市は校歌いがいにもこんな妙ちくりんな歌をコドモたちに歌わせるのだろうか。
▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
そのファースト・ショウを見て、近くにあるBankART Studio NYKという施設で、舞踏とマリンバ演奏のデュオを見る。広いスペースの2辺横に観客(若目の人が多い)がオープン・スペースを囲むように座る。
踊りを見せる蝉丸という方は、山海塾の創設者の一人とのこと。演劇やパフォーマンスに疎いぼくでも山海塾というと白塗りハダカの人の……というイメージを想起するが、まあそれに遠からず。坊主頭の白塗り姿で登場。白いコスチュームを身につけていて、その姿はなるほど風情あり。途中から片方の肩をはだけたりし、どんどん裸に近づいていくのかと思ったら、それは上半身だけでした。
伴奏を付けたのは、渋さ知らズオーケストラやWUJA BIN BINにも入っているマリンバ/ヴァイブラフォン系奏者の山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日)。置かれたマリンバに、でけえと少し驚く。出る限りの低音が出るようにした特注品だそうだが。で、音が出始めたとたん(ノーPAでした)、プリセット音併用かと一瞬思う。それは2本のマレットを両手に持って演奏しているが故の音の重なり方と、音の響き(とくに低い方の音)ゆえ。おお、マリンバはなるほど音響楽器だと思わされるとともに、マリンバという楽器の面白さや個性を目の当たりにした思い。その響きがもたらす音の佇まいは、何気にクラブ・ミュージック的とも思った。
基本ゆるやかな約50分の、厳かでもある出し物。マリンバの所には譜面も置いてあったが、一応決まり事や流れはありつつ、臨機応変に流れていたのか。両者は、初顔合わせのよう。今回のパフォーマンスに蝉丸は昨年亡くなった母親への思いを下敷きに置いていることが、ちらしに記されていた。ぼくにとっては普段あまり接しないタイプの肉体パフォーマンスと楽器演奏だったのだが、ほうという感じで見れました。
古い倉庫をリノヴェーションして使っているここは横浜市の運営のようだが、とっても眺めの良いカフェみたいな場もある。23時までやっているそうで、バス・ペールエールの生は450円。近所に来たさい、利用してもいいな。
▶過去の、山田
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
<今日の、レプリカ>
16時すぎに横浜に向かう電車内で、サッカー日本代表のレプリカ・ユニフォームを着た人たちを散見する。おお。皆さん、どこでW杯試合放映観戦していたのでしょうか。日本チームは見事に試合には負けたが、皆グレた風情は一切出していなくて、偉い。対コートジボアール戦が終わったばかりの、正午過ぎの渋谷のスクランブル交差点はやはり勝敗抜きで、“え〜じゃないか”狂騒状態だったのだろうか。とともに、ぼくが見た半数以上のユニフォーム姿の人が赤いアクセントが入れられた2014年型新版デザインのそれを身につけていて、その熱心さ&従順さにも驚く。今日の新聞記事によれば、レプリカ・ユニフォームの売り上げは、南アW杯時の4倍だそう。ところで、来年に日本サッカー協会とアディダスの間に結ばれている代表ユニフォームのサプライヤー契約が切れるという話があるが、ぼくはそれを切望したい。同社の売りであるユニフォームの首元から腕にかけての、あの3本線、ダサい&萎える。1980年代じゃあるまいし(ランDMC〜2000年7月29日〜をはじめ、アディダスのジャージとゴールドのチェーンがNYラッパー御用達でした。彼らの1986年作には「マイ・アディダス」という曲も収録され、シングル・カットもされた)、あの無神経なアディダス3本ラインの存在のため、デザイン的には自由度も減じ、もう鈍臭くなることこのうえなし! ぼくは、そう思います。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
華があり、楽しい。娯楽精神の発露で、バカバカしくもある。で、一皮むくと、いろんな知識や思慮や知性が垣間見えたりもする。横浜市民であるカンタス村田は余興で横浜市歌というのを、うれしそうに弾き語る。どーでもいい時代錯誤な歌詞を持つ曲だが、何気に田舎くさい内容で、横浜=洗練というイメージを崩させる破壊力ある楽曲だな。横浜市は校歌いがいにもこんな妙ちくりんな歌をコドモたちに歌わせるのだろうか。
▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
そのファースト・ショウを見て、近くにあるBankART Studio NYKという施設で、舞踏とマリンバ演奏のデュオを見る。広いスペースの2辺横に観客(若目の人が多い)がオープン・スペースを囲むように座る。
踊りを見せる蝉丸という方は、山海塾の創設者の一人とのこと。演劇やパフォーマンスに疎いぼくでも山海塾というと白塗りハダカの人の……というイメージを想起するが、まあそれに遠からず。坊主頭の白塗り姿で登場。白いコスチュームを身につけていて、その姿はなるほど風情あり。途中から片方の肩をはだけたりし、どんどん裸に近づいていくのかと思ったら、それは上半身だけでした。
伴奏を付けたのは、渋さ知らズオーケストラやWUJA BIN BINにも入っているマリンバ/ヴァイブラフォン系奏者の山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日)。置かれたマリンバに、でけえと少し驚く。出る限りの低音が出るようにした特注品だそうだが。で、音が出始めたとたん(ノーPAでした)、プリセット音併用かと一瞬思う。それは2本のマレットを両手に持って演奏しているが故の音の重なり方と、音の響き(とくに低い方の音)ゆえ。おお、マリンバはなるほど音響楽器だと思わされるとともに、マリンバという楽器の面白さや個性を目の当たりにした思い。その響きがもたらす音の佇まいは、何気にクラブ・ミュージック的とも思った。
基本ゆるやかな約50分の、厳かでもある出し物。マリンバの所には譜面も置いてあったが、一応決まり事や流れはありつつ、臨機応変に流れていたのか。両者は、初顔合わせのよう。今回のパフォーマンスに蝉丸は昨年亡くなった母親への思いを下敷きに置いていることが、ちらしに記されていた。ぼくにとっては普段あまり接しないタイプの肉体パフォーマンスと楽器演奏だったのだが、ほうという感じで見れました。
古い倉庫をリノヴェーションして使っているここは横浜市の運営のようだが、とっても眺めの良いカフェみたいな場もある。23時までやっているそうで、バス・ペールエールの生は450円。近所に来たさい、利用してもいいな。
▶過去の、山田
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
<今日の、レプリカ>
16時すぎに横浜に向かう電車内で、サッカー日本代表のレプリカ・ユニフォームを着た人たちを散見する。おお。皆さん、どこでW杯試合放映観戦していたのでしょうか。日本チームは見事に試合には負けたが、皆グレた風情は一切出していなくて、偉い。対コートジボアール戦が終わったばかりの、正午過ぎの渋谷のスクランブル交差点はやはり勝敗抜きで、“え〜じゃないか”狂騒状態だったのだろうか。とともに、ぼくが見た半数以上のユニフォーム姿の人が赤いアクセントが入れられた2014年型新版デザインのそれを身につけていて、その熱心さ&従順さにも驚く。今日の新聞記事によれば、レプリカ・ユニフォームの売り上げは、南アW杯時の4倍だそう。ところで、来年に日本サッカー協会とアディダスの間に結ばれている代表ユニフォームのサプライヤー契約が切れるという話があるが、ぼくはそれを切望したい。同社の売りであるユニフォームの首元から腕にかけての、あの3本線、ダサい&萎える。1980年代じゃあるまいし(ランDMC〜2000年7月29日〜をはじめ、アディダスのジャージとゴールドのチェーンがNYラッパー御用達でした。彼らの1986年作には「マイ・アディダス」という曲も収録され、シングル・カットもされた)、あの無神経なアディダス3本ラインの存在のため、デザイン的には自由度も減じ、もう鈍臭くなることこのうえなし! ぼくは、そう思います。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
WUJA BIN BIN
2014年6月13日 音楽 いろんなバンド/場で活動している、働き盛りミュージシャンが集まったインスト主体の大所帯バンド。セカンド作『Inaka Jazz』をリリースを記念するもので、13人編成にて、渋谷・O-nest。フル・ハウス。
管楽器4、5人(会場の後側からは良く見えないので、正確な人数は分らなかった。すぐ音を聞いただけで、編成を言い当てられる耳は持っておりません。類家心平なんていう今トップ級に注目を浴びるジャズ・トランペット奏者も一員としていた)を擁する、(スタインバーガー・タイプのベースを持つ)ベース奏者のケイタイモが率いる、専任シンガーも男女一人づつ抱えた集団。歌手の二人は歌詞のないテーマ部を担うスキャット歌唱に専念、ときにその際は少し渋さ知らずオーケストラ的風情がふわーんと出るときもある。
また、いろんな楽器奏者がいるにも関わらず、ギター奏者はいなかったりして、そこらへん、微妙にして強いこだわりがあったりもするのだろう。その一方、マリンバ系奏者もいて、その音がちゃんと利いている事もあり、いろんな音楽要素が入り込んでいるものの、その一つのインスピレーションにフランク・ザッパの魑魅魍魎表現があるのは間違いないか。彼らほど、毒や変拍子や子供っぽい変態を散りばめるわけではなく、もっとおおらかに皆で楽器音を出そうとしているように、僕には思えた。だから、聞きやすいというか、聞いていて楽な部分が彼らにはある。ライヴをやっている面々、楽しそうだしね。シンガーたちが歌わない時間は長いのだが、袖に引っ込まずずっとステージ上にいるのもなんとなく良い。
管奏者の間で長めにソロを回す曲もあったが、それは例外なほう。本編最後の曲はかなりウェザー・リポートというかジャコ・パストリアス・ビッグ・バンド的というか、それを元に曲を作った感じのものをやる。そういえば、WUJA BIN BINにはスティール・パンも叩く打楽器奏者もいるけど、パストリアス・ビッグ・バンドにはスティール・パン奏者が入っていましたね。それから、今後のライヴ予定を紹介する際に一緒に出る出演者も案内していたのだが、「7月25 日はフジ・ロックで、対バンはフランツ・フェルディナンド……」と言っていたのに、笑う。そういうユーモアも大切にしているバンドなのだと思う。
<今日の、フッチボール>
”フッチボール”の国で、ワールドカップがはじまった。彼の地の景気が悪くなっているとはいえ、いろいろ反対運動/反対意志表明が出ていることには改めて驚く。まあ、昨年の同国フェデレイションズ・カップのときも同様のことが報じられたが、時代は動いているんだろう。さあて、今年のW杯のTV観戦はどーしたものか。我が家は地上波TV放送が映らないので、外に出ないと、試合の放映を見ることができないのダ。それは、前回のW杯の際もそうであったのだが、いろんなとこに出向いてて、なんか2010年南アときはいろいろと燃えていたよなー。以下は、そのもろもろに触れた項。
http://43142.diarynote.jp/201006171603353982/
http://43142.diarynote.jp/201006181522574502/
http://43142.diarynote.jp/201006181524353169/
http://43142.diarynote.jp/201006281505525045/
http://43142.diarynote.jp/201007061026579306/
http://43142.diarynote.jp/201007081547497212/
http://43142.diarynote.jp/201007081548327436/
今年は開幕前の時期に、珍しく体調を崩したりし(マジ、そうなの。すぐ近くの大学病院に急患でかけこむ。そんなの初めて)、なにもW杯TV観戦対策も考えていなかったのだが(ワンセグUSBをくっつければPCで見れるよと教えられもし一瞬対応しかけたが、画質悪いと聞いて、ヤメる)、開幕直前に10分間ぐらいネットであれやこれやひいたら、ちゃんとどの試合もストリーミングで見れることが分り、前回のようなW杯映像観戦ジプシーになるのはやめようと、思っている次第。4月のアタマにPCをもう1台買った(http://43142.diarynote.jp/?page=2)のは、またジプシー生活になったさい一つを外持ち出し用に使ってもいかと思ったからでもあったのだが。ライヴのあとに少しだけ寄った馴染みのブラジル音楽の店はワールドカップ絡みでTVや雑誌で紹介されてもいて、お客さんが絶えないよう。
帰宅後、スペインとオランダの試合(ともに、セカンド・ユニフォームを着ていて違和感あり。日本チームはグループ・リーグではすべて青色を着ることが発表されているよう)ライヴ・ストリーミングで見たのだが、セカンド・ハーフの展開にはびっくり。なんか、ボール保有率の高さを背景とするパス・サッカー優勢の終わりを見た思い? なんて、大げさに書きたくなったりして。ちゃんと守備に人数をかけ、相手のフォーメーションのほつれを見てロング・ボールを前線に出し、2、3人のスピードと決定力で確実に点を取る。それが、今のハイエンドにあるサッカー戦術であり、旧来の守備重視戦術とも少し趣を異にするのではないのか。な〜んて、思わせるものが、今回の鮮やかなオランダの戦い方にはあった(でも、予選リーグでああいう大勝試合をやってしまうと、決勝トーナメントに入ってコロっと負けちゃう場合も多々あるが)し、オランダのようなチームがそいういう戦い方をしたことが、本当に印象に残った。まあ、スペイン対策でそういう戦術を取ったところはあるのだろうが、全蘭の監督は来年マンチェスター・ユナイテッドの監督になるので、その指揮の取りようが楽しみにもなった。今の日本代表チームはこれまでになく攻撃的な布陣で試合にのぞんでいて、それゆえに、まあ見ていてつまらなくはない出入りの激しい試合をここのところ繰り返しているわけだが、あの攻撃的なサッカー指針は実は理想主義のオールド・スクール作法? とはいえ、強力なストライカーとセンター・フォワードがいない日本においては組織で前がかりになって相手に対していくというのは理には適っているとは思うが。
ちなみに、2006年のドイツ大会のときはあまりブログで触れた記憶はないが、2002年のときはやはりけっこうのぼせた記載アリ。
▶2002年6月1日、4日、5日、11日、12日、18日、25日、26日、
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
管楽器4、5人(会場の後側からは良く見えないので、正確な人数は分らなかった。すぐ音を聞いただけで、編成を言い当てられる耳は持っておりません。類家心平なんていう今トップ級に注目を浴びるジャズ・トランペット奏者も一員としていた)を擁する、(スタインバーガー・タイプのベースを持つ)ベース奏者のケイタイモが率いる、専任シンガーも男女一人づつ抱えた集団。歌手の二人は歌詞のないテーマ部を担うスキャット歌唱に専念、ときにその際は少し渋さ知らずオーケストラ的風情がふわーんと出るときもある。
また、いろんな楽器奏者がいるにも関わらず、ギター奏者はいなかったりして、そこらへん、微妙にして強いこだわりがあったりもするのだろう。その一方、マリンバ系奏者もいて、その音がちゃんと利いている事もあり、いろんな音楽要素が入り込んでいるものの、その一つのインスピレーションにフランク・ザッパの魑魅魍魎表現があるのは間違いないか。彼らほど、毒や変拍子や子供っぽい変態を散りばめるわけではなく、もっとおおらかに皆で楽器音を出そうとしているように、僕には思えた。だから、聞きやすいというか、聞いていて楽な部分が彼らにはある。ライヴをやっている面々、楽しそうだしね。シンガーたちが歌わない時間は長いのだが、袖に引っ込まずずっとステージ上にいるのもなんとなく良い。
管奏者の間で長めにソロを回す曲もあったが、それは例外なほう。本編最後の曲はかなりウェザー・リポートというかジャコ・パストリアス・ビッグ・バンド的というか、それを元に曲を作った感じのものをやる。そういえば、WUJA BIN BINにはスティール・パンも叩く打楽器奏者もいるけど、パストリアス・ビッグ・バンドにはスティール・パン奏者が入っていましたね。それから、今後のライヴ予定を紹介する際に一緒に出る出演者も案内していたのだが、「7月25 日はフジ・ロックで、対バンはフランツ・フェルディナンド……」と言っていたのに、笑う。そういうユーモアも大切にしているバンドなのだと思う。
<今日の、フッチボール>
”フッチボール”の国で、ワールドカップがはじまった。彼の地の景気が悪くなっているとはいえ、いろいろ反対運動/反対意志表明が出ていることには改めて驚く。まあ、昨年の同国フェデレイションズ・カップのときも同様のことが報じられたが、時代は動いているんだろう。さあて、今年のW杯のTV観戦はどーしたものか。我が家は地上波TV放送が映らないので、外に出ないと、試合の放映を見ることができないのダ。それは、前回のW杯の際もそうであったのだが、いろんなとこに出向いてて、なんか2010年南アときはいろいろと燃えていたよなー。以下は、そのもろもろに触れた項。
http://43142.diarynote.jp/201006171603353982/
http://43142.diarynote.jp/201006181522574502/
http://43142.diarynote.jp/201006181524353169/
http://43142.diarynote.jp/201006281505525045/
http://43142.diarynote.jp/201007061026579306/
http://43142.diarynote.jp/201007081547497212/
http://43142.diarynote.jp/201007081548327436/
今年は開幕前の時期に、珍しく体調を崩したりし(マジ、そうなの。すぐ近くの大学病院に急患でかけこむ。そんなの初めて)、なにもW杯TV観戦対策も考えていなかったのだが(ワンセグUSBをくっつければPCで見れるよと教えられもし一瞬対応しかけたが、画質悪いと聞いて、ヤメる)、開幕直前に10分間ぐらいネットであれやこれやひいたら、ちゃんとどの試合もストリーミングで見れることが分り、前回のようなW杯映像観戦ジプシーになるのはやめようと、思っている次第。4月のアタマにPCをもう1台買った(http://43142.diarynote.jp/?page=2)のは、またジプシー生活になったさい一つを外持ち出し用に使ってもいかと思ったからでもあったのだが。ライヴのあとに少しだけ寄った馴染みのブラジル音楽の店はワールドカップ絡みでTVや雑誌で紹介されてもいて、お客さんが絶えないよう。
帰宅後、スペインとオランダの試合(ともに、セカンド・ユニフォームを着ていて違和感あり。日本チームはグループ・リーグではすべて青色を着ることが発表されているよう)ライヴ・ストリーミングで見たのだが、セカンド・ハーフの展開にはびっくり。なんか、ボール保有率の高さを背景とするパス・サッカー優勢の終わりを見た思い? なんて、大げさに書きたくなったりして。ちゃんと守備に人数をかけ、相手のフォーメーションのほつれを見てロング・ボールを前線に出し、2、3人のスピードと決定力で確実に点を取る。それが、今のハイエンドにあるサッカー戦術であり、旧来の守備重視戦術とも少し趣を異にするのではないのか。な〜んて、思わせるものが、今回の鮮やかなオランダの戦い方にはあった(でも、予選リーグでああいう大勝試合をやってしまうと、決勝トーナメントに入ってコロっと負けちゃう場合も多々あるが)し、オランダのようなチームがそいういう戦い方をしたことが、本当に印象に残った。まあ、スペイン対策でそういう戦術を取ったところはあるのだろうが、全蘭の監督は来年マンチェスター・ユナイテッドの監督になるので、その指揮の取りようが楽しみにもなった。今の日本代表チームはこれまでになく攻撃的な布陣で試合にのぞんでいて、それゆえに、まあ見ていてつまらなくはない出入りの激しい試合をここのところ繰り返しているわけだが、あの攻撃的なサッカー指針は実は理想主義のオールド・スクール作法? とはいえ、強力なストライカーとセンター・フォワードがいない日本においては組織で前がかりになって相手に対していくというのは理には適っているとは思うが。
ちなみに、2006年のドイツ大会のときはあまりブログで触れた記憶はないが、2002年のときはやはりけっこうのぼせた記載アリ。
▶2002年6月1日、4日、5日、11日、12日、18日、25日、26日、
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
アイルランド系米国人たちで結成された、四半世紀近いキャリアを持つ今を生きるトラッド音楽グループの、個人的ルーツを求める気持ちをトリガーとする、自ら制作している映画を伴う新作『シャムロック・シティ』(2012年6月14日、参照のこと。通常いろいろトラッド曲をやっていこともあり、リーダーのシェイマス・イーガンはこんなにオリジナル曲を作ったのは初めて、と言っていた)をフォロウする公演を、渋谷・duo MUSIC EXCHANGEで見る。
当初来日が予定されていたシンガーがご懐妊で来日できなくなり、ソーラスの初代シンガーであるアイルランド人のカラン・ケイシー(2003年12月20日)が今回の来日ツアーに加わるという、うれしい変更つき。もともとジャズ・シンガーに憧れて米国に渡ったことが縁でソーラスに加入(1999年まで)し、その後アイルランドに戻ってリーダー作もいろいろ出している彼女だが、外見の劣化も少ないし、さすがの美声を披露する。しかし、きっちりとメロディを捉えた透明度の高い彼女の歌い方にジャズの要素を見るのは困難ではあるよな。
本場で積み重ねられてきた表現を見て、そして憧れ、それを対岸の環境で暮らす自分たちのものとして胸を張って出す。そうした回路は、米国ソウルを仰ぎ見るUKソウルの担い手にある構図と重なるものがある? そういえば、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日)にしろインコグニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日)にしろ、シンガーだけは米国人を雇いたいという意志をかつて持っていたよな。
2部制でやり、2部のほうには、2年前に共演してソーラス側がその歌い口の良さに驚いたという中村まり(2012年6月14日)も加わる。声の高いケイシーに対して、少しくぐもった低目の声の中村という対比もあり、シンガー間のコンビネーションも良好。ソーラスと中村は今後も時間をかけてコラボっていただきたいと、思わずにはいられず。それから、ヴァイオリン奏者のホラン嬢は昔のミック・ジャガーかカーリー・サイモンかというワイルドな外見の持ち主。だが、その強気なルックスにたがわぬ切れと濃い情緒を持つ演奏が“新天地アイリッシュ・トラッド”の芯を担っているとも、今回再確認した。
▶過去の、ソーラス
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、カラン・ケイシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
▶過去の、中村まり
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
▶過去の、インコグニート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
<今日の、珍盤>
ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)の2000年リーダー作に『Emerald Aether: Shape Shifting/Reconstructions Of Irish Music』(Shanachie)というブツがある。それタイトルにあるように、ケルティック・トラッドを電化処理した内容で、ラズウェルはソーラス(彼らもまたシャナチーから何作もリーダー・アルバムを出していた)、カラン・ケイシー、ザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日)のマット・モロイら、その手の人たちによる曲をいじくっている。“リヴァーダンス”流行後にそれをやっているというのはダサい(ラズウェルはアイリッシュの血もひいていないはず)が、それを聞くと、ケイシーの歌が入る2曲のうちの一つは歌はブリストル系シンガーのようにも聞こえるか。
▶過去の、ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶過去の、ザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
当初来日が予定されていたシンガーがご懐妊で来日できなくなり、ソーラスの初代シンガーであるアイルランド人のカラン・ケイシー(2003年12月20日)が今回の来日ツアーに加わるという、うれしい変更つき。もともとジャズ・シンガーに憧れて米国に渡ったことが縁でソーラスに加入(1999年まで)し、その後アイルランドに戻ってリーダー作もいろいろ出している彼女だが、外見の劣化も少ないし、さすがの美声を披露する。しかし、きっちりとメロディを捉えた透明度の高い彼女の歌い方にジャズの要素を見るのは困難ではあるよな。
本場で積み重ねられてきた表現を見て、そして憧れ、それを対岸の環境で暮らす自分たちのものとして胸を張って出す。そうした回路は、米国ソウルを仰ぎ見るUKソウルの担い手にある構図と重なるものがある? そういえば、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日)にしろインコグニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日)にしろ、シンガーだけは米国人を雇いたいという意志をかつて持っていたよな。
2部制でやり、2部のほうには、2年前に共演してソーラス側がその歌い口の良さに驚いたという中村まり(2012年6月14日)も加わる。声の高いケイシーに対して、少しくぐもった低目の声の中村という対比もあり、シンガー間のコンビネーションも良好。ソーラスと中村は今後も時間をかけてコラボっていただきたいと、思わずにはいられず。それから、ヴァイオリン奏者のホラン嬢は昔のミック・ジャガーかカーリー・サイモンかというワイルドな外見の持ち主。だが、その強気なルックスにたがわぬ切れと濃い情緒を持つ演奏が“新天地アイリッシュ・トラッド”の芯を担っているとも、今回再確認した。
▶過去の、ソーラス
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、カラン・ケイシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
▶過去の、中村まり
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
▶過去の、インコグニート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
<今日の、珍盤>
ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)の2000年リーダー作に『Emerald Aether: Shape Shifting/Reconstructions Of Irish Music』(Shanachie)というブツがある。それタイトルにあるように、ケルティック・トラッドを電化処理した内容で、ラズウェルはソーラス(彼らもまたシャナチーから何作もリーダー・アルバムを出していた)、カラン・ケイシー、ザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日)のマット・モロイら、その手の人たちによる曲をいじくっている。“リヴァーダンス”流行後にそれをやっているというのはダサい(ラズウェルはアイリッシュの血もひいていないはず)が、それを聞くと、ケイシーの歌が入る2曲のうちの一つは歌はブリストル系シンガーのようにも聞こえるか。
▶過去の、ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶過去の、ザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
憂歌団。Schroeder-Headz
2014年6月1日 音楽 昨日に続き、まさに初夏という感じの、気持ちいい一日。野外会場公演日和じゃ。で、まず日比谷野音で、昨年からまた活動を再開している、ヴェテラン・グループの単独ライヴを見る。歌とギターの木村充揮、ギターの内田勘太郎(2002年12月15日、2009年10月12日)、ベースの花岡献治のオリジナル・メンバーに加え、ドラマーはRCサクセションで叩いていた新井田耕造が現メンバーとして加わっている。場内、満員。客の年齢層は高く、アーティストにかけられる声も頻繁。木村とお客のやりとりは、なかなか独特なものがあるナ。
滋味に富み、ときに起爆力もある、日本語のブルース+アルファ。非ブルース曲をやるときは、余裕とオトナな広がり、あり。結成は40年も前に遡るが、彼らならではの個性と訴求力を持つ、親しみやすくもオルタナティヴな、日本語による表現を作り上げていたのはすごすぎ。で、そうしたもとからある核に、その後の蓄積がいい塩梅で加わっていると思った。
▶過去の、内田(←でたばかりの一人ギター演奏のアルバム。気合いと味、たっぷり)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
この日は、もう一つライヴを見る。キーボード奏者の渡辺シュンスケ(2012年6月1日)のトリオ・ユニット、Schroeder-Headzの新作『Synesthesia』発売記念の単独ライヴで、会場は渋谷・www。昔からの顔ぶれというトリオ(ベースは須藤優。ドラムは鈴木浩之)で表現にあたり、パーカッション奏者(朝倉真司)が加わったときも。今回は電気キーボードとともに、グランド・ピアノも渡辺は演奏する。終盤、PCが壊れたアと彼が言っていたが(“どうしたんだヘイ・ヘイ・ベイビー”とRCサクセションの「雨上がりの夜空に」の一節を、アドリブで歌ったりも)この晩の演奏はライヴ・アルバム化する予定もあるようだ。
メロディアスさとひたひたしたと書きたくなる美意識と確かな見識から来るひねりや創意工夫が、今様音像/ビートと噛み合いながらあふれ出る。そう、書けそうなパフォーマンス。途中、土岐麻子が出て来て2曲歌う。彼女のこと、初めて見るんだなあ。けっこう、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日)を想起させる歌い方をするんだと、ぼくは思った。というのはともかく、過去にも共演経験を持つ両者の噛み合いは良好。しなやかさや鮮やかさや、洒脱がすうっと舞う。この夏にはジャズ・フェス(江戸川ジャズ・ナイト、8月23日)にも、両者連名で出演するという。背後ヴィジョンには、気の利いた映像(土井昌徳による)が流されていた。
▶過去の、渡辺
http://43142.diarynote.jp/?day=20120328
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
<今日の、リンゴ>
日比谷野音に一番近い丸ノ内線の霞ヶ関駅の構内に、なんとリンゴの自動販売機があった。田園都市線渋谷駅にバナナ販売機があるのは知っていたが、リンゴ販売機もあったんだア。どういう人を顧客に設定してのものか。試しに買ってみたら、200円で、4切れ入っていている。リンゴは青森産。業者は神戸市、なり。
滋味に富み、ときに起爆力もある、日本語のブルース+アルファ。非ブルース曲をやるときは、余裕とオトナな広がり、あり。結成は40年も前に遡るが、彼らならではの個性と訴求力を持つ、親しみやすくもオルタナティヴな、日本語による表現を作り上げていたのはすごすぎ。で、そうしたもとからある核に、その後の蓄積がいい塩梅で加わっていると思った。
▶過去の、内田(←でたばかりの一人ギター演奏のアルバム。気合いと味、たっぷり)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
この日は、もう一つライヴを見る。キーボード奏者の渡辺シュンスケ(2012年6月1日)のトリオ・ユニット、Schroeder-Headzの新作『Synesthesia』発売記念の単独ライヴで、会場は渋谷・www。昔からの顔ぶれというトリオ(ベースは須藤優。ドラムは鈴木浩之)で表現にあたり、パーカッション奏者(朝倉真司)が加わったときも。今回は電気キーボードとともに、グランド・ピアノも渡辺は演奏する。終盤、PCが壊れたアと彼が言っていたが(“どうしたんだヘイ・ヘイ・ベイビー”とRCサクセションの「雨上がりの夜空に」の一節を、アドリブで歌ったりも)この晩の演奏はライヴ・アルバム化する予定もあるようだ。
メロディアスさとひたひたしたと書きたくなる美意識と確かな見識から来るひねりや創意工夫が、今様音像/ビートと噛み合いながらあふれ出る。そう、書けそうなパフォーマンス。途中、土岐麻子が出て来て2曲歌う。彼女のこと、初めて見るんだなあ。けっこう、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日)を想起させる歌い方をするんだと、ぼくは思った。というのはともかく、過去にも共演経験を持つ両者の噛み合いは良好。しなやかさや鮮やかさや、洒脱がすうっと舞う。この夏にはジャズ・フェス(江戸川ジャズ・ナイト、8月23日)にも、両者連名で出演するという。背後ヴィジョンには、気の利いた映像(土井昌徳による)が流されていた。
▶過去の、渡辺
http://43142.diarynote.jp/?day=20120328
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
<今日の、リンゴ>
日比谷野音に一番近い丸ノ内線の霞ヶ関駅の構内に、なんとリンゴの自動販売機があった。田園都市線渋谷駅にバナナ販売機があるのは知っていたが、リンゴ販売機もあったんだア。どういう人を顧客に設定してのものか。試しに買ってみたら、200円で、4切れ入っていている。リンゴは青森産。業者は神戸市、なり。
オーストラリア音楽ショーケース
2014年5月31日 音楽 豪州の担い手を紹介しましょう、という催し。恵比寿・リキッドルーム。ソウルやグルーヴと繋がった担い手を集めた、という指摘も可能なのかな。
ショーケースと名乗るイヴェントだが、45分から1時間半まで出演者たちの演奏時間はたっぷりと取る。で、ぼくは2番目の出演者であるジョーンズJnrから拝見。ちなみに、1番目の出演者であるオスカー・キー・サングの鍵盤を弾きながらのソロ・パフォーマンスはジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)的なものだったと言う人がおりました。
ジョーンズJNRはソウルフルに歌う白人シンガーとパッドなども用いるDJの組み合わせのユニットで、無理のない現代ブルー・アイド・ソウルを送り出す。ゴスペル的な語彙も上手く用いる曲もあったりし、そんなに年はいっていないと思うが手練と思わせるところもアリ。なのに、一方では初々しいと感じさられたりもしたのは、彼らが持つ真心ゆえか。
次に出たのは、ザ・シャオリン・アフロノーツという三管(バリトン、トランペット、トロンボーン)を擁する8人組。皆変テコな民族調(?)衣装を身にまとい、アフロビート流れのインストをぐいぐいっと披露していく。そして、最後の出演者は今回モーションブルー・ヨコハマの単独公演も組まれているザ・バンブーズ。彼らも三管を擁するバンドだが、最初に出て来て歌ったおばさんのときはR&B流儀で突き進み、シンガーが金髪の若目のおねーちゃんに代わるともっとキャッチーなビート・ポップ調の曲をやる。けっこう、感じが違う。最後まで見ることができなかったのだが、その二人のシンガーが一緒に歌うこともあったのだろうか。
▶過去の、ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
<今日の、飛行機雲>
昼間はこれいじょう望むべくもないという、晴天。ライヴに向かう前に、知人による野外飲み会に参加し、とっても気分が良い。で、ほろ酔いキブンでライヴ会場に向かうとき、ちょうど渋谷で1964年の東京オリンピック開会式のアトラクションを再現するという、航空自衛隊の曲乗り飛行隊5機の飛行を見る。なんか、得したキブン。お、飛行機雲って、すぐに消えるんだな。
ショーケースと名乗るイヴェントだが、45分から1時間半まで出演者たちの演奏時間はたっぷりと取る。で、ぼくは2番目の出演者であるジョーンズJnrから拝見。ちなみに、1番目の出演者であるオスカー・キー・サングの鍵盤を弾きながらのソロ・パフォーマンスはジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)的なものだったと言う人がおりました。
ジョーンズJNRはソウルフルに歌う白人シンガーとパッドなども用いるDJの組み合わせのユニットで、無理のない現代ブルー・アイド・ソウルを送り出す。ゴスペル的な語彙も上手く用いる曲もあったりし、そんなに年はいっていないと思うが手練と思わせるところもアリ。なのに、一方では初々しいと感じさられたりもしたのは、彼らが持つ真心ゆえか。
次に出たのは、ザ・シャオリン・アフロノーツという三管(バリトン、トランペット、トロンボーン)を擁する8人組。皆変テコな民族調(?)衣装を身にまとい、アフロビート流れのインストをぐいぐいっと披露していく。そして、最後の出演者は今回モーションブルー・ヨコハマの単独公演も組まれているザ・バンブーズ。彼らも三管を擁するバンドだが、最初に出て来て歌ったおばさんのときはR&B流儀で突き進み、シンガーが金髪の若目のおねーちゃんに代わるともっとキャッチーなビート・ポップ調の曲をやる。けっこう、感じが違う。最後まで見ることができなかったのだが、その二人のシンガーが一緒に歌うこともあったのだろうか。
▶過去の、ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
<今日の、飛行機雲>
昼間はこれいじょう望むべくもないという、晴天。ライヴに向かう前に、知人による野外飲み会に参加し、とっても気分が良い。で、ほろ酔いキブンでライヴ会場に向かうとき、ちょうど渋谷で1964年の東京オリンピック開会式のアトラクションを再現するという、航空自衛隊の曲乗り飛行隊5機の飛行を見る。なんか、得したキブン。お、飛行機雲って、すぐに消えるんだな。
映画「ア・ドラマーズ・ドリーム」。ハーヴィ・メイソン“カメレオン”
2014年5月28日 音楽 今日は、ドラマーの日?
まず、赤坂・カナダ大使館のオスカー・ピータソン・シアターで、ドラム奏者を扱った2010年映画を見る。カナダ人ドキュメンタリー映画監督のジョン・ウォーカーの作品、なんでも現在カナダの映画の作り手は世界的に脚光を浴びているらしい。
映画の素材/成り立ちは、わりとシンプル。かつてディジー・ガレスピーのバンドに入っていたことがあり、今はドラム講師を生業にしているカナダ人ドラマーであるナシル・アブダル・アルカビールが主宰する、カナダの自然豊かな田舎で1週間持たれたドラマーを志す青少年対象のサマー・キャンプの様を追っている。出てくるドラマー(講師)は、要塞のようなセットを採用するドリーム・シアターのマイク・マンジーニ、キューバン・ニューヨーカーのオラシオ”エル・ネグロ”エルナンデス(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年10月3日、2003年8月9日、2004年4月5日、2009年11月12日、2011年12月8日、2014年1月10日)、今年エルナンデスと一緒に来日もしているラテン・パーカッションの匠であるプエルトリコ出身のジョヴァンニ・イダルゴ(2012年5月11日、2014年1月10日)、現在サンタナ・バンドでの同僚でもあるドラマーのデニス・チェンバース(2013年3月12日。元は、P-ファンク出身)と打楽器奏者のラウル・リコウ(2013年3月12日。見た目は“ぽい”が、フィリピンとアメリカ南部の両親を持ち、ラテンの血は入っていないと発言)、NYジャズ・フュージョン界で活動するケンウッド・デナードという面々。
基本、彼らの生徒を前にするソロ演奏が映され、インタヴュー発言が並んでいる。また、同業奏者間のやりとりや、少し生徒の様や発言も入れられる。みんな純度の高いソロを披露するが、ケンウッド・デナードは片手でキーボードも扱い、またラップをしながら叩く。へえ、そんなことする人なのか。自然のもとでのゆったりした環境も手伝って、皆伸び伸び、発言は何気に金言もあり。最後は講師陣全員による合同演奏だが、その際はキーボード奏者やベース奏者やサックス奏者が入るのは残念。最後まで、ドラマーとパーカッション奏者だけの演奏で通してほしかった。
見た後のキブンは、すこぶる良し。というのも、そこには、いい意味で“きれいごと”しか、ないから。ショーバイや打算抜きのドラム愛やパーカッション愛、またその楽器の素敵が、ここには明解に切り取られている。本作は2011年の東京映画祭での<エコ部門>で上映されたというが、ふむ、人間力は何にも負けぬエコでもあるか。監督のジョン・ウォーカーは青年期にカメラマン修行をするとともに、バンドでドラムを叩いたことがあったのだとか。この映画、海外ではDVD化もされているようだ。
▶過去の、エル・ネグロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/200404050925340000/
http://43142.diarynote.jp/200911141111322146/
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、イダルゴ
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、チェンバースとリコウ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130312
そして、南青山・ブルーノート東京に向かい、敏腕ドラマーであるハーヴィ・メイソンのリーダー・バンドの実演(セカンド・ショウ)を見る。
多くの人の記憶に焼き付けられた印象深い曲「カメレオン」が入っていたハービ−・ハンコックの『ヘッドハンターズ』(コロムビア、1973年)に新進ドラマーとして加わり、同作の大ヒットもあり、その後スター・ドラマーの道を歩んだメイソンの“カメレオン”を名乗る公演(2010年7月9日)はこれで2度目のもの。この間に彼は「カメレオン」をタイトルに据えたリーダー・アルバムを作り、前回とは電気ベースのジミー・ハスリップ(2004年3月24日、2004年12月17日、2010年7月9日、2010年10月1日)以外はすべて異なる顔ぶれのもと、今回のショウを持った。
とはいえ、レコーディング参加し得難い今っぽい浮遊感/情緒を与えていたクリス・バワーズやマーク・ド・クライヴ-ロウ(2006年3月9日)ら鍵盤奏者が未同行なのは少し残念。ながら、アルバムにも参加していた新進メロウR&B歌手のクリス・ターナーは一緒にやってきた。クリス・バワーズやエリマージ(2013年6月4日)のアルバムなどでもフィーチャーされている、このしなやか歌手にまず触れるのが今公演のぼくの目的なり。クインシー・ジョーンズ/リオン・ウェアの「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」、ドナルド・バード/ザ・マイゼル・ブラザースの「プレイセズ・アンド・スペイセズ」、チャーリー・チャップリンの「スマイル」の3曲で彼は美声を聞かせる。
他に奏者は、ピアノ/キーボードのジョン・ビーズリー(2011年12月8日)、キーボードのフィリップ・ウー(2007年6月6日、2009年5月26日、2012年9月9日)、リード奏者のカマシ・ワシントン。アルバム『カメレオン』にも参加していた、なかなか迫力のある外見を持つワシントン(1981年、LA生まれ)は青筋たてた真面ジャズからヒップホップ系レコーディングまでいろいろと臨機応変に吹いている人物だが、そのブロウはヘヴィにして、滅茶本格派。彼の威風堂々なソロは今回の設定の場合、浮き気味とも感じる。
90分ぐらいはやったろう公演、なんとアンコールはメイソン一人が出て来て、ドラム・ソロを披露する。一瞬ロバート・グラスパーもライヴでよく披露しているハンコック曲「アクチャル・プルーフ」の印象的なリズム・パターンを叩いたりもしたが、基本的に哲学的すぎて、その面白さがぼくにはいまいち分らなかった。
▶過去の、メイソン
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
▶過去の、ハスリップ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040324
http://43142.diarynote.jp/?day=20041217
http://43142.diarynote.jp/?day=20100709
http://43142.diarynote.jp/201010030954188035/
▶過去の、ビースリー
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
▶過去の、ウー
http://43142.diarynote.jp/200706131357530000/
http://43142.diarynote.jp/200905271738046764/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
▶過去の、クライヴ・ロウ
http://43142.diarynote.jp/200603100922500000/
▶過去の、エリマージ
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
<今日の、新聞>
夕刊一面に、キューバが自国野球選手の米国球団以外のプロ選手化容認する由の記事がのせられていた。すでに、東京ジャイアンツにはセペダという打者が加入しているのか。へえ。記事では、彼らがキューバの新たな外貨獲得手段になっているとも指摘されている。野球選手と比較にならないぐらい、キューバ在住でも国外に出ている音楽家は多いが、彼らの場合も同様なのだろうか。
まず、赤坂・カナダ大使館のオスカー・ピータソン・シアターで、ドラム奏者を扱った2010年映画を見る。カナダ人ドキュメンタリー映画監督のジョン・ウォーカーの作品、なんでも現在カナダの映画の作り手は世界的に脚光を浴びているらしい。
映画の素材/成り立ちは、わりとシンプル。かつてディジー・ガレスピーのバンドに入っていたことがあり、今はドラム講師を生業にしているカナダ人ドラマーであるナシル・アブダル・アルカビールが主宰する、カナダの自然豊かな田舎で1週間持たれたドラマーを志す青少年対象のサマー・キャンプの様を追っている。出てくるドラマー(講師)は、要塞のようなセットを採用するドリーム・シアターのマイク・マンジーニ、キューバン・ニューヨーカーのオラシオ”エル・ネグロ”エルナンデス(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年10月3日、2003年8月9日、2004年4月5日、2009年11月12日、2011年12月8日、2014年1月10日)、今年エルナンデスと一緒に来日もしているラテン・パーカッションの匠であるプエルトリコ出身のジョヴァンニ・イダルゴ(2012年5月11日、2014年1月10日)、現在サンタナ・バンドでの同僚でもあるドラマーのデニス・チェンバース(2013年3月12日。元は、P-ファンク出身)と打楽器奏者のラウル・リコウ(2013年3月12日。見た目は“ぽい”が、フィリピンとアメリカ南部の両親を持ち、ラテンの血は入っていないと発言)、NYジャズ・フュージョン界で活動するケンウッド・デナードという面々。
基本、彼らの生徒を前にするソロ演奏が映され、インタヴュー発言が並んでいる。また、同業奏者間のやりとりや、少し生徒の様や発言も入れられる。みんな純度の高いソロを披露するが、ケンウッド・デナードは片手でキーボードも扱い、またラップをしながら叩く。へえ、そんなことする人なのか。自然のもとでのゆったりした環境も手伝って、皆伸び伸び、発言は何気に金言もあり。最後は講師陣全員による合同演奏だが、その際はキーボード奏者やベース奏者やサックス奏者が入るのは残念。最後まで、ドラマーとパーカッション奏者だけの演奏で通してほしかった。
見た後のキブンは、すこぶる良し。というのも、そこには、いい意味で“きれいごと”しか、ないから。ショーバイや打算抜きのドラム愛やパーカッション愛、またその楽器の素敵が、ここには明解に切り取られている。本作は2011年の東京映画祭での<エコ部門>で上映されたというが、ふむ、人間力は何にも負けぬエコでもあるか。監督のジョン・ウォーカーは青年期にカメラマン修行をするとともに、バンドでドラムを叩いたことがあったのだとか。この映画、海外ではDVD化もされているようだ。
▶過去の、エル・ネグロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/200404050925340000/
http://43142.diarynote.jp/200911141111322146/
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、イダルゴ
http://43142.diarynote.jp/201205131715485366/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、チェンバースとリコウ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130312
そして、南青山・ブルーノート東京に向かい、敏腕ドラマーであるハーヴィ・メイソンのリーダー・バンドの実演(セカンド・ショウ)を見る。
多くの人の記憶に焼き付けられた印象深い曲「カメレオン」が入っていたハービ−・ハンコックの『ヘッドハンターズ』(コロムビア、1973年)に新進ドラマーとして加わり、同作の大ヒットもあり、その後スター・ドラマーの道を歩んだメイソンの“カメレオン”を名乗る公演(2010年7月9日)はこれで2度目のもの。この間に彼は「カメレオン」をタイトルに据えたリーダー・アルバムを作り、前回とは電気ベースのジミー・ハスリップ(2004年3月24日、2004年12月17日、2010年7月9日、2010年10月1日)以外はすべて異なる顔ぶれのもと、今回のショウを持った。
とはいえ、レコーディング参加し得難い今っぽい浮遊感/情緒を与えていたクリス・バワーズやマーク・ド・クライヴ-ロウ(2006年3月9日)ら鍵盤奏者が未同行なのは少し残念。ながら、アルバムにも参加していた新進メロウR&B歌手のクリス・ターナーは一緒にやってきた。クリス・バワーズやエリマージ(2013年6月4日)のアルバムなどでもフィーチャーされている、このしなやか歌手にまず触れるのが今公演のぼくの目的なり。クインシー・ジョーンズ/リオン・ウェアの「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」、ドナルド・バード/ザ・マイゼル・ブラザースの「プレイセズ・アンド・スペイセズ」、チャーリー・チャップリンの「スマイル」の3曲で彼は美声を聞かせる。
他に奏者は、ピアノ/キーボードのジョン・ビーズリー(2011年12月8日)、キーボードのフィリップ・ウー(2007年6月6日、2009年5月26日、2012年9月9日)、リード奏者のカマシ・ワシントン。アルバム『カメレオン』にも参加していた、なかなか迫力のある外見を持つワシントン(1981年、LA生まれ)は青筋たてた真面ジャズからヒップホップ系レコーディングまでいろいろと臨機応変に吹いている人物だが、そのブロウはヘヴィにして、滅茶本格派。彼の威風堂々なソロは今回の設定の場合、浮き気味とも感じる。
90分ぐらいはやったろう公演、なんとアンコールはメイソン一人が出て来て、ドラム・ソロを披露する。一瞬ロバート・グラスパーもライヴでよく披露しているハンコック曲「アクチャル・プルーフ」の印象的なリズム・パターンを叩いたりもしたが、基本的に哲学的すぎて、その面白さがぼくにはいまいち分らなかった。
▶過去の、メイソン
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
▶過去の、ハスリップ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040324
http://43142.diarynote.jp/?day=20041217
http://43142.diarynote.jp/?day=20100709
http://43142.diarynote.jp/201010030954188035/
▶過去の、ビースリー
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
▶過去の、ウー
http://43142.diarynote.jp/200706131357530000/
http://43142.diarynote.jp/200905271738046764/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
▶過去の、クライヴ・ロウ
http://43142.diarynote.jp/200603100922500000/
▶過去の、エリマージ
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
<今日の、新聞>
夕刊一面に、キューバが自国野球選手の米国球団以外のプロ選手化容認する由の記事がのせられていた。すでに、東京ジャイアンツにはセペダという打者が加入しているのか。へえ。記事では、彼らがキューバの新たな外貨獲得手段になっているとも指摘されている。野球選手と比較にならないぐらい、キューバ在住でも国外に出ている音楽家は多いが、彼らの場合も同様なのだろうか。
ホセ・ジェイムス(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日)の現行バンドのトランペッターで、そのジェイムスのプロデュースでブルーノートから新作『ライジング・サン』をだした黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日)のショウは、六本木・ビルボードライブ東京で。ファースト・ショウ。同行奏者は黒田と同じくNYに住む人たちで、大林武司(キーボード、ピアノ)、コーリー・キング(トロンボーン、少し歌。2013年2月15日、2013年6月4日)、ラシャーン・カーター(4弦のエレクトリック・ベース)、アダム・ジャクソン(ドラム)という面々で、実は彼らはみんな黒田の2012年作に入っていた人たち。彼らこそが黒田のワーキング・バンドの面々で、新作はジェイムス人脈の人も録音に駆り出されたと考えていいだろう。
ショウが始まって、まず思ったのはリズム・セクションがいける、ということ。きっちり立ったアクセントを付けることができるドラマーとペラペラではなくぐつぐつと低音部を埋めて行くベーシスト(しいて言うなら、ミシェル・ンデゲオチェロ〜2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日〜のタイプ。ソロは凡庸でやらなくていいと思ったが)の噛み合いが抜群。これは、今のビートだと思わせられる。商社マンのような風情の大林はそういう設定もあり、ピアノより電気ピアノを弾いたときのほうが映える。ただ、基本はピアニストのようで、近くスパイス・オブ・ライフから純ジャズのリーダー作を出すようだ。→追記。大林のアルバムではなく、彼が参画する二管の米日クインテットであるニュー・センチュリー・ジャズ・クインテットの『タイム・イズ・ナウ』。もろジャズ作品です。
そして、そんな土台のもと、黒田とコーリーの二管がのせられるわけだが、リード系楽器を入れずに、マウスピース系の金管をならべる方策は、並を排したいというキブンもなんとなく感じさせ、意志を持つと感じさせられもするか。その2人によるテーマ部の曲調や重なり、またちゃんと尺を取るソロは、きっちり伝統とつながったもの。伝統と今が無理なく出会う、実のあるジャズ・カルテット演奏はアンコールを含め1時間45分なされた。
▶過去の、黒田
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
▶過去の、キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
▶過去の、ジェイムズ
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
▶過去の、ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
<今日の、宣伝>
四谷の いーぐる(新宿区四谷1-8。03-3357-9857)で、いいオーディオ装置のもとレコードをかけて、おしゃべりをします。6月7日(土)午後3時半から、たっぷりと。料金は600円と飲み物代。予約はいりません。どうぞ、お気軽においでくさい。http://www.jazz-eagle.com/information.html
<4月にもった、ジェイムズ・ブラッド・ウルマーを筆頭とする壊れたブラック・ミュージックの担い手たちを追う特集の第二弾です。場が“いーぐる”ということでジャズの動向に気を配る流れで前回は話を進めましたが、異端ジャズ側出身者のポップ側に位置せんとする音群が何気に好評でしたので、今回は1980年代後期に盛り上がったブラック・ロック・ムーヴメントの動きにも目を向けつつ、今にいたるウルマー流れのぶっこわれ黒人ギタリストたちのプロダクツを俯瞰します。ヴァーノン・リード、ジャン・ポール・ブレリー、ブランドン・ロス、ジェフ・リー・ジョンソン、などなど。美は乱調にあり……ギターという楽器をとっかかりとする、アフリカン・アメリカン音楽に流れ続ける素敵の意味を問い直します>
ショウが始まって、まず思ったのはリズム・セクションがいける、ということ。きっちり立ったアクセントを付けることができるドラマーとペラペラではなくぐつぐつと低音部を埋めて行くベーシスト(しいて言うなら、ミシェル・ンデゲオチェロ〜2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日〜のタイプ。ソロは凡庸でやらなくていいと思ったが)の噛み合いが抜群。これは、今のビートだと思わせられる。商社マンのような風情の大林はそういう設定もあり、ピアノより電気ピアノを弾いたときのほうが映える。ただ、基本はピアニストのようで、近くスパイス・オブ・ライフから純ジャズのリーダー作を出すようだ。→追記。大林のアルバムではなく、彼が参画する二管の米日クインテットであるニュー・センチュリー・ジャズ・クインテットの『タイム・イズ・ナウ』。もろジャズ作品です。
そして、そんな土台のもと、黒田とコーリーの二管がのせられるわけだが、リード系楽器を入れずに、マウスピース系の金管をならべる方策は、並を排したいというキブンもなんとなく感じさせ、意志を持つと感じさせられもするか。その2人によるテーマ部の曲調や重なり、またちゃんと尺を取るソロは、きっちり伝統とつながったもの。伝統と今が無理なく出会う、実のあるジャズ・カルテット演奏はアンコールを含め1時間45分なされた。
▶過去の、黒田
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
▶過去の、キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
▶過去の、ジェイムズ
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
▶過去の、ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
<今日の、宣伝>
四谷の いーぐる(新宿区四谷1-8。03-3357-9857)で、いいオーディオ装置のもとレコードをかけて、おしゃべりをします。6月7日(土)午後3時半から、たっぷりと。料金は600円と飲み物代。予約はいりません。どうぞ、お気軽においでくさい。http://www.jazz-eagle.com/information.html
<4月にもった、ジェイムズ・ブラッド・ウルマーを筆頭とする壊れたブラック・ミュージックの担い手たちを追う特集の第二弾です。場が“いーぐる”ということでジャズの動向に気を配る流れで前回は話を進めましたが、異端ジャズ側出身者のポップ側に位置せんとする音群が何気に好評でしたので、今回は1980年代後期に盛り上がったブラック・ロック・ムーヴメントの動きにも目を向けつつ、今にいたるウルマー流れのぶっこわれ黒人ギタリストたちのプロダクツを俯瞰します。ヴァーノン・リード、ジャン・ポール・ブレリー、ブランドン・ロス、ジェフ・リー・ジョンソン、などなど。美は乱調にあり……ギターという楽器をとっかかりとする、アフリカン・アメリカン音楽に流れ続ける素敵の意味を問い直します>
笹久保伸&イルマ・オスノ
2014年5月24日 音楽 『アヤクーチョの雨』(2013年、チチブ/ビーンズ)は、昨年ぼくがトップ級に衝撃を受けたアルバムと躊躇なく言える。ペルー南部山岳地帯の女性歌手であるイルマ・オスノと、ペルーでの刮目すべき活動歴も持つ現代フォークロア・ギターの名手である笹久保伸の双頭名義作なのだが、現地伝統文化をたっぷり受け継いだオスノの喉力〜声質/抑揚〜メロディ感覚が無条件に凄すぎるっ! とともに、ペルーに育まれるギター流儀を抑えつつも、笹久保があっと驚くコンテンポラリーなサウンド・クリエイターであることをそこで示していることも、ぼくにはうれしい驚きだった。ああ、ここには全く異なる文化や環境があり、一方では今の風を受けてもいる……。そう、実感できるのって、なんと素敵なことなんだろう! ぼくは、パット・メセニーに取材したとき、今の彼なら絶対に刺激を受けるハズと、『アヤクーチョの雨』を渡した。
下北沢・Com. Cafe音倉、2部制にて。ともに、1曲目は笹久保のソロ演奏。ストロークするほうの右手は優美な動きをしているのに、左手も介して出てくる音はとっても複雑でひっかかりもあり、うわあ。その魔法のような様に、彼の実力者ぶりを再認識。そして以下は、バンド(?)にてパフォーマンス。オスノ(ヴォーカル)、笹久保(ギター。けっこう、曲ごとにチューニングを変えていた)、木村美保(ヴォーカル)、高木大輔(ギター)、横澤龍太郎(パーカッション)という面々。
けっこう、アルバムで提示されていた世界をなぞる形で、実演はすすめられる。スタジオ技術も駆使しただろうあの世界を実際に浮かび上がらせるのは、容易なことではないだろう。とくにコーラスをつけていた木村美保の存在にはびっくり。譜面を見っぱなしではあったが、彼女はあの独特なメロディ流れや発声の感じ〜アルバムにおけるオスノの歌のダブル・トラックの片方のほう〜を見事に担当する。木村さん、あなたすごいっ。ギターの高橋と一緒にユニットを組んだり、在日ファンク(2010年9月25日)他の人たちが集ったビッグ・バンドに入ったりしているようだが、名前を頭に刻んでおこう。イルマと彼女は、無伴奏でも1曲やったか。日本に7年間住んでいるというオスノは日本語でMCをしていた。
▶過去の、在日ファンク
http://43142.diarynote.jp/201009261258386231/
<今日の、あいーん>
笹久保伸&イルマ・オスノの公演の終わりのほう、後ろ髪を引かれる思いで会場を出る。そして、渋谷に。次のライヴの出演者とある人の間をつなぐため……。次のショウは10時半までやっていると思っていたら、9時半に会場についたら、ちょうど終わってしまった。ええっ。某氏があげた同公演のフェイスブック記事にはぼくの名前ものせられていますが、ほぼ見てませんからっ。かなしいなあ。
下北沢・Com. Cafe音倉、2部制にて。ともに、1曲目は笹久保のソロ演奏。ストロークするほうの右手は優美な動きをしているのに、左手も介して出てくる音はとっても複雑でひっかかりもあり、うわあ。その魔法のような様に、彼の実力者ぶりを再認識。そして以下は、バンド(?)にてパフォーマンス。オスノ(ヴォーカル)、笹久保(ギター。けっこう、曲ごとにチューニングを変えていた)、木村美保(ヴォーカル)、高木大輔(ギター)、横澤龍太郎(パーカッション)という面々。
けっこう、アルバムで提示されていた世界をなぞる形で、実演はすすめられる。スタジオ技術も駆使しただろうあの世界を実際に浮かび上がらせるのは、容易なことではないだろう。とくにコーラスをつけていた木村美保の存在にはびっくり。譜面を見っぱなしではあったが、彼女はあの独特なメロディ流れや発声の感じ〜アルバムにおけるオスノの歌のダブル・トラックの片方のほう〜を見事に担当する。木村さん、あなたすごいっ。ギターの高橋と一緒にユニットを組んだり、在日ファンク(2010年9月25日)他の人たちが集ったビッグ・バンドに入ったりしているようだが、名前を頭に刻んでおこう。イルマと彼女は、無伴奏でも1曲やったか。日本に7年間住んでいるというオスノは日本語でMCをしていた。
▶過去の、在日ファンク
http://43142.diarynote.jp/201009261258386231/
<今日の、あいーん>
笹久保伸&イルマ・オスノの公演の終わりのほう、後ろ髪を引かれる思いで会場を出る。そして、渋谷に。次のライヴの出演者とある人の間をつなぐため……。次のショウは10時半までやっていると思っていたら、9時半に会場についたら、ちょうど終わってしまった。ええっ。某氏があげた同公演のフェイスブック記事にはぼくの名前ものせられていますが、ほぼ見てませんからっ。かなしいなあ。
ウーター・ヘメル。フローラ
2014年5月23日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。うひょう、女性客多し。そういえば、彼のようなルックスは、アジアの女性にとってもっとも魅力的に見える白人男性の系統という話を聞いたことがある。でも、ステージ上でのポーズの取り方は同性にとっては一部照れを覚えさせるか。そんなヘメル(2009年9月4日)はユニヴァーサル/デッカから離れ、自主盤『ポンパドール』を出したばかりだが、才人ベニー・シングス(2011年8月9日)との二人三脚体制を復活させた同作は、かなりなポップ・ミュージック好盤。これポール・マッカートニーの新作だよと言われて聞いたら、いまだ、こんなに和めるメロディアス曲が書け、懐かしさと現代性をはかりにかけたラヴリーなサウンド作りが出来るんだと、ぼくは大感激してしまうかもしれない。
キーボード、ギター(ときにジャジーな弾き方を見せる)、電気ベース、ドラム、パーカッションの面々は皆『ポンパドール』に参加していた面々。横の関係も抜群といった感じの彼らはアルバムで示したやんわり電気的サウンドをもっと生っぽく開く、という感じ。そして、そこにヘメルは嬉々として歌をのせていく。音楽院ではジャズを学び、世に出たきっかけはジャズ歌手競争会優勝ということもありジャジー・ポップ歌手ともされるヘメルだが、全体的にジャズ要素はあまりない(でも、珠玉の広がるポップ要素は山ほどある)ものの、ちょっとした歌のラインの取り方にはジャズ素養をうかがわせるところがあり。そこらあたりは、渋いナと思えた。
▶過去の、ヘメル
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771
▶過去の、ベニー・シングス
http://43142.diarynote.jp/201108101640579465/
ほんわかした気分で、青山・月見ル君想フに回る。ぼくが見に行ったのは、フローラというイスラエル人シンガー・ソングライター。すらりとした人で、見た目は20代後半といった感じか。英米のポップ・ミュージックのエッセンスをたっぷりと受けたタレントという認識を持っていたが、これが想定外の良さ。驚いた。機材をうまく用いる彼女一人によるパフォーマンスはまさに<イスラエル音響派>と言うべき輝きや醍醐味を抱えているのではないか。
プリセット音や自分の演奏音をリアルタイムに重ねたサウンドを介して自分の歌世界を開く様は、ここのところ見た人だと、ファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日)やマイア・ヴィダル(2012年2月23日、2014年3月29日)を思い出させる。キーボード版ファナ・モリーナ、もしくはもう少し大人で静謐なマイア・ヴィダル……。お金と人材をちゃんと使えたなら、ビューク(2001年12月5日、2008 年2月22日)ぽいものを作れたりもするのではないかとも、彼女の実のあるパフォーマンスは思わせる。
そうしたサウンド作法のため、反復的なリフを多用しがちにはなるのだが、そうであっても的確な長さでまとめられた各曲はフックや歌心アリ。そして、英語で歌っているものの、どこかにイスラエルの欠片を感じさせる何かも少しはあるかも。2曲はアコースティック・ギターを持って歌い、その場合の電化処理はなし。うち、1曲はヘブライ語で歌った。
▶過去の、モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801
▶過去の、ヴィダル
http://43142.diarynote.jp/201203061821277995/
http://43142.diarynote.jp/201404031659169928/
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
▶過去の、ビューク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
2001年12月5日、2008 年2月22日
<今日の、情報>
な〜んとヘメル君、アジアに住みたいのだとか。マネージメントが許せば来年にはぜひに、とか、のたまう。へ〜え。アジアではモテまくるよと言うと、(うれしそうに笑いながら)でも、ぼくには決まった人がいるからと返す。ヘメルの新作には、彼の大好きな楽器的な歌唱方が得意な冒険心と洒脱心を無理なく持つジャズ・シンガーのマーク・マーフィー(1932年生まれ。2006年1月18日、2008年4月28日)の語りが入る曲があるが、過去ヘメルはマーフィーに個人レッスンを受けたこともあったそう。聞けば、なんとマーフィは現在ニュージャージーの老人ホームに入っているそうだ。見た目はサバけた若作りな人であったのだが……。今、親が東京に引っ越しかけていて、対老人問題は本当に身近であります。
▶過去の、マーフィー
http://43142.diarynote.jp/200601191505200000/
http://43142.diarynote.jp/200805031401060000/
キーボード、ギター(ときにジャジーな弾き方を見せる)、電気ベース、ドラム、パーカッションの面々は皆『ポンパドール』に参加していた面々。横の関係も抜群といった感じの彼らはアルバムで示したやんわり電気的サウンドをもっと生っぽく開く、という感じ。そして、そこにヘメルは嬉々として歌をのせていく。音楽院ではジャズを学び、世に出たきっかけはジャズ歌手競争会優勝ということもありジャジー・ポップ歌手ともされるヘメルだが、全体的にジャズ要素はあまりない(でも、珠玉の広がるポップ要素は山ほどある)ものの、ちょっとした歌のラインの取り方にはジャズ素養をうかがわせるところがあり。そこらあたりは、渋いナと思えた。
▶過去の、ヘメル
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771
▶過去の、ベニー・シングス
http://43142.diarynote.jp/201108101640579465/
ほんわかした気分で、青山・月見ル君想フに回る。ぼくが見に行ったのは、フローラというイスラエル人シンガー・ソングライター。すらりとした人で、見た目は20代後半といった感じか。英米のポップ・ミュージックのエッセンスをたっぷりと受けたタレントという認識を持っていたが、これが想定外の良さ。驚いた。機材をうまく用いる彼女一人によるパフォーマンスはまさに<イスラエル音響派>と言うべき輝きや醍醐味を抱えているのではないか。
プリセット音や自分の演奏音をリアルタイムに重ねたサウンドを介して自分の歌世界を開く様は、ここのところ見た人だと、ファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日)やマイア・ヴィダル(2012年2月23日、2014年3月29日)を思い出させる。キーボード版ファナ・モリーナ、もしくはもう少し大人で静謐なマイア・ヴィダル……。お金と人材をちゃんと使えたなら、ビューク(2001年12月5日、2008 年2月22日)ぽいものを作れたりもするのではないかとも、彼女の実のあるパフォーマンスは思わせる。
そうしたサウンド作法のため、反復的なリフを多用しがちにはなるのだが、そうであっても的確な長さでまとめられた各曲はフックや歌心アリ。そして、英語で歌っているものの、どこかにイスラエルの欠片を感じさせる何かも少しはあるかも。2曲はアコースティック・ギターを持って歌い、その場合の電化処理はなし。うち、1曲はヘブライ語で歌った。
▶過去の、モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
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▶過去の、ヴィダル
http://43142.diarynote.jp/201203061821277995/
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▶過去の、ビューク
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2001年12月5日、2008 年2月22日
<今日の、情報>
な〜んとヘメル君、アジアに住みたいのだとか。マネージメントが許せば来年にはぜひに、とか、のたまう。へ〜え。アジアではモテまくるよと言うと、(うれしそうに笑いながら)でも、ぼくには決まった人がいるからと返す。ヘメルの新作には、彼の大好きな楽器的な歌唱方が得意な冒険心と洒脱心を無理なく持つジャズ・シンガーのマーク・マーフィー(1932年生まれ。2006年1月18日、2008年4月28日)の語りが入る曲があるが、過去ヘメルはマーフィーに個人レッスンを受けたこともあったそう。聞けば、なんとマーフィは現在ニュージャージーの老人ホームに入っているそうだ。見た目はサバけた若作りな人であったのだが……。今、親が東京に引っ越しかけていて、対老人問題は本当に身近であります。
▶過去の、マーフィー
http://43142.diarynote.jp/200601191505200000/
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ジャック・ディジョネット・トリオ
2014年5月22日 音楽 ジャズ界の“特別銘柄”と言っても語弊はないだろう、視点もワザも大いに持つ大御所ドラマー(2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日)の、トリオ編成による公演。南青山・ブルーノート、ファースト・ショウ。
サイド・マンはジョン・コルトレーンの息子(2013年8月18日)と、そのコルトレーンの黄金期を支えたベーシストのジミー・ギャリソンの息子(1999年5月11日、2001年12月27日、2009年11月12日)、ようはコルトレーン流れの奏者を擁する二人を起用してのもの。しかし、そのラヴィとマシューのお二人、名をなした父親たちと同じ持ち楽器……わあ。まあマシュー・ギャリソンはウッドとエレクトリックという事以上に持ち味は異なるが、ラヴィのほうはここのところ外見も父親と似て来ているか。彼の一番新しい2012年発表作はブルーノート発で、ドン・ウォズ(2013年2月15日)物件だ。
かつて丸顔が印象的だったディジョネットだが、痩せた。でも、演奏(マッチド・グリップで叩いていたような。かなり横からみていたので、よく分らなかったが)は闊達なり。で、なるほど、この変則(?)トリオであることを謳歌せん、フツーのジャズをやってもしょうがないぢゃん的な意志も滲ませるような演奏を鋭意披露。かなり長めの尺を持った1曲目はフレイズや局面を気ままに繋ぎつつ、アブストラクトな世界に遊ぶといった感じのもので、1部ギャリソンはPCで遊び音を入れたりもした。5弦フレットレスをペラペラ弾く彼の演奏をぼくは好きではないが、今回は複音弾き多用していて、それは良かった。コルトレーン曲をやったさいは、客席がわく。
ピアノ・アルバムも出している彼、1曲はドラム・セットから離れて、ピアノを弾く。そのヴォイシングが(40年来の付き合いの)キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)と同じと後の飲み会で指摘する人がいたが、それはぼくにはよく分らない。ともあれ、なんだかんだやはり面白い人であり、まだまだ刮目すべきものを出す御仁。ディジョネットの演奏やリーダーシップの取り方の随所から、ジャズの何かを照らし出す得体のしれない何かが露になっていたのは間違いのない事実であったから。
▶過去の、ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、コルトレーン
http://43142.diarynote.jp/?day=20130818
▶過去の、ギャリソン
http://43142.diarynote.jp/200911141111322146/
▶過去の、ウォズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
<今日の、いいかげん>
長年アップル社PCを使っているのに、ワン・クリックでいいものとダブル・クリックを必要とするものの区別を、ぜんぜん認知していない。ぜっかちなためもあるけど、ぼくはなんとなく多くをダブル・クリックで処理しちゃっているが、ワン・クリックでOKなのもありそう……。そんなヤツに、更に左右の区別があるウィンドウズ機種を扱えというのは無理か。20年前はオアシス流れで富士通機種を使っていたこともあるのだが、あー遥か遠い昔。あのころ、オレどーしてたんだろ?
サイド・マンはジョン・コルトレーンの息子(2013年8月18日)と、そのコルトレーンの黄金期を支えたベーシストのジミー・ギャリソンの息子(1999年5月11日、2001年12月27日、2009年11月12日)、ようはコルトレーン流れの奏者を擁する二人を起用してのもの。しかし、そのラヴィとマシューのお二人、名をなした父親たちと同じ持ち楽器……わあ。まあマシュー・ギャリソンはウッドとエレクトリックという事以上に持ち味は異なるが、ラヴィのほうはここのところ外見も父親と似て来ているか。彼の一番新しい2012年発表作はブルーノート発で、ドン・ウォズ(2013年2月15日)物件だ。
かつて丸顔が印象的だったディジョネットだが、痩せた。でも、演奏(マッチド・グリップで叩いていたような。かなり横からみていたので、よく分らなかったが)は闊達なり。で、なるほど、この変則(?)トリオであることを謳歌せん、フツーのジャズをやってもしょうがないぢゃん的な意志も滲ませるような演奏を鋭意披露。かなり長めの尺を持った1曲目はフレイズや局面を気ままに繋ぎつつ、アブストラクトな世界に遊ぶといった感じのもので、1部ギャリソンはPCで遊び音を入れたりもした。5弦フレットレスをペラペラ弾く彼の演奏をぼくは好きではないが、今回は複音弾き多用していて、それは良かった。コルトレーン曲をやったさいは、客席がわく。
ピアノ・アルバムも出している彼、1曲はドラム・セットから離れて、ピアノを弾く。そのヴォイシングが(40年来の付き合いの)キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)と同じと後の飲み会で指摘する人がいたが、それはぼくにはよく分らない。ともあれ、なんだかんだやはり面白い人であり、まだまだ刮目すべきものを出す御仁。ディジョネットの演奏やリーダーシップの取り方の随所から、ジャズの何かを照らし出す得体のしれない何かが露になっていたのは間違いのない事実であったから。
▶過去の、ディジョネット
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▶過去の、コルトレーン
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▶過去の、ギャリソン
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▶過去の、ウォズ
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<今日の、いいかげん>
長年アップル社PCを使っているのに、ワン・クリックでいいものとダブル・クリックを必要とするものの区別を、ぜんぜん認知していない。ぜっかちなためもあるけど、ぼくはなんとなく多くをダブル・クリックで処理しちゃっているが、ワン・クリックでOKなのもありそう……。そんなヤツに、更に左右の区別があるウィンドウズ機種を扱えというのは無理か。20年前はオアシス流れで富士通機種を使っていたこともあるのだが、あー遥か遠い昔。あのころ、オレどーしてたんだろ?
映画「ハーダー・ゼイ・カム」。ジミー・クリフ
2014年5月21日 音楽 シネマート六本木試写室で、1972年ジャマイカ映画の「ハーダー・ゼイ・カム」を見る。この夏にニュー・マスター版が上映されるのを、受けてのもの。名高い、好音楽映画(ながら、ちゃんとストーりーのある、非ドキュメンタリー映画)の一つ。とともに、そのサントラもレゲエ入門編としてよく知られますね。
ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日)主演、ジャマイカ生まれの白人で最初は英国で映像業界入りしたペリー・ヘンゼル監督/脚本。ジャマイカ初の劇場用映画となるそうだが、ジャマイカ〜レゲエを生んだ過酷な現場を伝える映画として、おやじ&おばはん世代の音楽ファンには必須科目のような映画だったとも言えるだろうか。そんなわけなので、ぼくは大昔米国に行ったさい真っ先に購入したVHS商品でもあったか。そのヴィデオはレコーダー廃棄とともに処分してしまったが、それは今、某ソウル焼き鳥バーにあるか。
そんなわけなんで、久しぶりに見たが、新鮮に見れたし、あれえこんなだったっけという部分もあり。教会のシーンはまんま、米国の黒人教会のようでへ〜え。で、様々な風景とレゲエ曲が合う。トゥーツ&ザ・メイタルズ(2004年9月17日)のスタジオ・シーンもうれし。
その後、六本木・ビルボードライブ東京で、現在のジミー・クリフのライヴを見る。なんというタイミングの合致。こういうとき、オレ様のぼくは日頃の行いがいいからだと、思ってしまう。←目出たい、バカ。
あの精悍でワイルドな若き日の様を見たすぐ後でも、ギャップを感じずに楽しめるのだから、これは素晴らしいな。バンドの格好やノリは前回(2013年3月6日)と同じ(全8人、打楽器奏者がいなくなった)だが、構成は結構変えていて、偉い。前回クロージングで見せたパーカッション&チャントのスピリチュアル調パートが今回のオープナーで、途中にスカ〜ロック・ステディというジャマイカン・ミュージックの流れを伝える小唄パートを置き、また前回はやらなかった「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」を滅茶感動的に披露! 映画を見た後だと、いっそう感慨深し。また、映画「ハーダー・セイ・カム」出演を依頼された際の話を、「ハーダー・ゼイ・カム」を歌う前に今回彼はMCでした。さらに昨年との比較を記すなら、疾走ポーズは少なくなり、ギターを持って歌う曲が増えた。また、「ワイルド・ワールド」のときだけ、なぜかかなり音程が狂う。それを認知し、本人もびびっていた感じあり。客は満員、去年よりも反応は熱かった。
アイヴァン(クリフの映画中の役名)っと、ぼくは心のなかで呼びました。
▶過去の、クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
▶過去の、トゥーツ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
<今日の、資料>
映画「ハーダー・ゼイ・カム」にお金を出したのは、クリス・ブラックウェル率いるアイランド・レコード。同映画はアイランド・レコードがレゲエを世界に向かって売り出すプロパガンダ用として作ったはず。そして、80年代中期にアイランド・レコードがワシントンD.C.のローカル・ファンクであるワシントン・ゴー・ゴーを広く売り出す際にも同じ手法を用い、D.C.が舞台の映画「グッド・トゥ・ゴー」を同社は制作したわけだ。と、ずっと、ぼくはそう認知していた。ところが、試写場でもらった資料には一切そういうことが書かれていない。あれれ、 記憶違いじゃないよな?
ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日)主演、ジャマイカ生まれの白人で最初は英国で映像業界入りしたペリー・ヘンゼル監督/脚本。ジャマイカ初の劇場用映画となるそうだが、ジャマイカ〜レゲエを生んだ過酷な現場を伝える映画として、おやじ&おばはん世代の音楽ファンには必須科目のような映画だったとも言えるだろうか。そんなわけなので、ぼくは大昔米国に行ったさい真っ先に購入したVHS商品でもあったか。そのヴィデオはレコーダー廃棄とともに処分してしまったが、それは今、某ソウル焼き鳥バーにあるか。
そんなわけなんで、久しぶりに見たが、新鮮に見れたし、あれえこんなだったっけという部分もあり。教会のシーンはまんま、米国の黒人教会のようでへ〜え。で、様々な風景とレゲエ曲が合う。トゥーツ&ザ・メイタルズ(2004年9月17日)のスタジオ・シーンもうれし。
その後、六本木・ビルボードライブ東京で、現在のジミー・クリフのライヴを見る。なんというタイミングの合致。こういうとき、オレ様のぼくは日頃の行いがいいからだと、思ってしまう。←目出たい、バカ。
あの精悍でワイルドな若き日の様を見たすぐ後でも、ギャップを感じずに楽しめるのだから、これは素晴らしいな。バンドの格好やノリは前回(2013年3月6日)と同じ(全8人、打楽器奏者がいなくなった)だが、構成は結構変えていて、偉い。前回クロージングで見せたパーカッション&チャントのスピリチュアル調パートが今回のオープナーで、途中にスカ〜ロック・ステディというジャマイカン・ミュージックの流れを伝える小唄パートを置き、また前回はやらなかった「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」を滅茶感動的に披露! 映画を見た後だと、いっそう感慨深し。また、映画「ハーダー・セイ・カム」出演を依頼された際の話を、「ハーダー・ゼイ・カム」を歌う前に今回彼はMCでした。さらに昨年との比較を記すなら、疾走ポーズは少なくなり、ギターを持って歌う曲が増えた。また、「ワイルド・ワールド」のときだけ、なぜかかなり音程が狂う。それを認知し、本人もびびっていた感じあり。客は満員、去年よりも反応は熱かった。
アイヴァン(クリフの映画中の役名)っと、ぼくは心のなかで呼びました。
▶過去の、クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
▶過去の、トゥーツ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
<今日の、資料>
映画「ハーダー・ゼイ・カム」にお金を出したのは、クリス・ブラックウェル率いるアイランド・レコード。同映画はアイランド・レコードがレゲエを世界に向かって売り出すプロパガンダ用として作ったはず。そして、80年代中期にアイランド・レコードがワシントンD.C.のローカル・ファンクであるワシントン・ゴー・ゴーを広く売り出す際にも同じ手法を用い、D.C.が舞台の映画「グッド・トゥ・ゴー」を同社は制作したわけだ。と、ずっと、ぼくはそう認知していた。ところが、試写場でもらった資料には一切そういうことが書かれていない。あれれ、 記憶違いじゃないよな?
メアリー・ブラックはアイルランドの国民的歌手で、1990年代に6度も来日するなどしていた美声の実力派。彼女がいなかったら、今のような日本におけるアイルランドのトラッド音楽受容状況はここまで裾野が開いた状況にはなっていないのではないか。1955年5月生まれ(もうすぐ、誕生日)で今回は15年ぶりの来日。歳だしいということもあってか、遠征ライヴをやめることを彼女は明言しているようで、今回が最後の来日公演になると公言されている。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
ギター、アコーディオン/キーボード、ウッド・ベース、アルト/ソプラノ・サックスという面々とともにステージに上がった彼女(ときにタンバリンやバウロンを手にする)はまさに悠々。来日をきに新たに組まれたベスト盤を聞いたときにも感じたが、その味は生理的にニュートラル。無理がなく、殻に閉じている感じがなく、かわりに開かれ、流れていく情緒があり。そして、やはり歌声は適切な質量感とともに、澄んでいて、潤いに満ちる。とともに、なにげにリズム感もちゃんとしてもいるのだな。いろんな点で、広い支持を受けるべき能力を持つ人であるのはすぐに分る。
現在凛としたシンガー・ソングライターとして活動中の娘のロシーン・オー(兄は人気バンド、コロナーズの中心人物)も途中で出てきて、いくつかの曲でコーラスを付けるとともに、自ら生ギターを手にしてジョニ・ミッチェル曲を歌った。その際、もちろん母も一緒に歌う。そういえば、メアリー・ブラックはミッチェルの旦那だったラリー・クラインのプロデュースでアルバムを作ったこともありましたね。
キャリアを俯瞰するようにいろんな曲を披露したが、アコーディオンが入った曲のほうがぼくにはいい感じで、なかにはザ・バンドぽいと感じられる方向性の曲もあり。ザ・バンドもケルティック・トラッド要素を持っていたということなのだろうけど。もうちょっとトラッド色の強い味付けでやってくれたならと感じるところもあったが、それは贅沢な“アイルランド音楽耳”をこちらも持つようになったということか。彼女が日本でまいた種は、いろいろとあるはずだ。
少しは体格が豊かになったかもしれないが、そんなに老けた感じも受けないし、実力が落ちているわけでもない。とても光栄という感じで、彼女はうれしそうにパフォーマンスしていた。でも、もっと悠々自適、晴耕雨読なスタンスで音楽を楽しみたいということなのだろう。
<今日の、最後>
ずっとぼくの髪の毛をカットし、色を染めたりしてきてくれたGくんが表参道のお店を5月で辞すというので、最後にはさみをいれてもらう。腕がたち、波長もなんとなくあった。彼ほど長く担当してもらった人は過去いない。感謝、です。次の人を紹介してくれたけど、彼の勧めならば……。
ギター、アコーディオン/キーボード、ウッド・ベース、アルト/ソプラノ・サックスという面々とともにステージに上がった彼女(ときにタンバリンやバウロンを手にする)はまさに悠々。来日をきに新たに組まれたベスト盤を聞いたときにも感じたが、その味は生理的にニュートラル。無理がなく、殻に閉じている感じがなく、かわりに開かれ、流れていく情緒があり。そして、やはり歌声は適切な質量感とともに、澄んでいて、潤いに満ちる。とともに、なにげにリズム感もちゃんとしてもいるのだな。いろんな点で、広い支持を受けるべき能力を持つ人であるのはすぐに分る。
現在凛としたシンガー・ソングライターとして活動中の娘のロシーン・オー(兄は人気バンド、コロナーズの中心人物)も途中で出てきて、いくつかの曲でコーラスを付けるとともに、自ら生ギターを手にしてジョニ・ミッチェル曲を歌った。その際、もちろん母も一緒に歌う。そういえば、メアリー・ブラックはミッチェルの旦那だったラリー・クラインのプロデュースでアルバムを作ったこともありましたね。
キャリアを俯瞰するようにいろんな曲を披露したが、アコーディオンが入った曲のほうがぼくにはいい感じで、なかにはザ・バンドぽいと感じられる方向性の曲もあり。ザ・バンドもケルティック・トラッド要素を持っていたということなのだろうけど。もうちょっとトラッド色の強い味付けでやってくれたならと感じるところもあったが、それは贅沢な“アイルランド音楽耳”をこちらも持つようになったということか。彼女が日本でまいた種は、いろいろとあるはずだ。
少しは体格が豊かになったかもしれないが、そんなに老けた感じも受けないし、実力が落ちているわけでもない。とても光栄という感じで、彼女はうれしそうにパフォーマンスしていた。でも、もっと悠々自適、晴耕雨読なスタンスで音楽を楽しみたいということなのだろう。
<今日の、最後>
ずっとぼくの髪の毛をカットし、色を染めたりしてきてくれたGくんが表参道のお店を5月で辞すというので、最後にはさみをいれてもらう。腕がたち、波長もなんとなくあった。彼ほど長く担当してもらった人は過去いない。感謝、です。次の人を紹介してくれたけど、彼の勧めならば……。