トータス

2014年5月7日 音楽
 米国シカゴを拠点に置くインストゥメンタル・ロック・バンド(2001年11月7日、2005年1月7日、2011年11月21日)の3年弱ぶりの来日公演、ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)。まず、感じたのは、淡々気まま。そんな面々、アルバムは2009年以降出していなし、そんなにライヴも頻繁にやっている感じもない。試しに、彼らのHPをひいてツアー日程をチェックしたら、“今入れられたショウはありません”と出やがった(笑い)。でも、顔ぶれは悠々(?)、ずっと同じ。そりゃ、なんのしがらみもなく、自分たちのことを理解してくれている聞き手の前で、気負わずに自らのやりたいことを出来る、というものではないか。

 アイソトープ217他もやっていたダン・ビットニー (キーボード、ドラム、ベース、マリンバ)、静かな生活という文字のバック・プリントのTシャツを着つつ一番騒がしいドラムを叩いていたジョン・ヘーンドン (ドラム、キーボード、マリンバ)、ブロークバック他のダグラス・マッカム(ベース、ギター) 、同所のシー・アンド・ケイク(2012年4月7日)公演いらいの来日となりエンジニア業もいまだ盛んなジョン・マッケンタイア(ドラム、キーボード)、2012年デルマーク発の自己トリオの『Bright Light in Winter』は諦観ジャジー好盤なジェフ・パーカー (ギター、キーボード、ベース、マリンバ)という5人による実演。で、とにもかくにも、各奏者の楽器チェンジが頻繁。なだけでなく、1曲の中でも持ち楽器を変えたりもし、その生理的に多彩な持ち場交換の様も含めて我々のギグは完結する、という、彼らの意志を感じたか。

 ステージの楽器設定や曲目や流れは、過去の公演のノリを引き継ぐもの。うわあって驚きはないが、“ポスト・ロック”とか“シカゴ音響派”なんて呼称も与えられた独自のモダニズム/視点を持つ演奏は確かなひっかかりとスタイリッシュさを持つ。あと、このシーンの重要人物であるマッケンタイアって、変人ぽいなと、今回のショウを見て感じた。

 1曲の尺は短めで、インプロヴィゼーションを披露するというよりはアンサンブルを確認し合って行くようなパフォーマンスと言える。譜面を誰も前にしていないのは驚かないが、セット・リストの紙片も前においていなかったのではないか。だが、ショウの流れの筋道はきっかり見えているといった感じ(アンコールのときは、曲目を相談/確認していたかもしれない)で次々に曲を繰り広げて行くのを見て、きっちりリハーサルをやって、ショウにのぞんでいるのはよく分った。その時点で、誰がどう持ち楽器を変えて行くかというフォーメイションもきっちり決めていったのではないか。

▶過去の、トータス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/201111251250189885/
▶過去の、シカゴのあの周辺の人たち(1999年6月6日、2000年3月25日、2000年10月15日、2001年11月7日、2003年1月30日、2004年1月20日、2012年4月7日)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm シカゴ・アンダーグラウンド・デュオ、サム・プレコップ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm  パパM、ジム・オルーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド、アイソトープ217
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm シー・アンド・ケイク
http://43142.diarynote.jp/?day=20040120 ロブ・マズレク、ジェフ・パーカー・トリオ、ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド・カルテット
http://43142.diarynote.jp/201204091014019131/ シー・アンド・ケイク

<この日のことの、追記>
 上にも書いたように、それもまたトータス公演の妙味の一つと言うかのように、過去公演と同じく、面々は楽器の持ち替えをしていた。ところで、楽器の持ち替えが自在になされる音楽って、その根のほうを辿ると民俗音楽になるのかしらん。また、それがなされるには、強固なコミュニティであることも基盤となるだろう。……なんて、つらつら考えていたら、トータスの表現って、現シカゴという北西部都市のトライバル・ミュージックであり、ある種の特殊事項親和性を持つ都会人のコミュニティ・ミュージックであるのではないか。なんて、思いが生まれて来たりもしました。