まず、前座で英マンチェスター拠点の新進3人組であるトゥイステッド・ウィールが出てきて、さくっとかます。音はもろにブリティッシュ・ビート調。見た目も、まあスタイリッシュ。普通、この手のビート感覚を持つバンドはベーシストはピック弾きするのが常道だろうが、ここのベーシストは手弾き。だから、どーしたってわけではないけど。彼らならではの個性を書き留めるのは難しいが、勘所はそれなりにおさえており、違和感なく見れる。けっこう、出音が大きかったな。

 その後に、ジェットが登場(2004年2月4日、2009年7月25日)。サポートのキーボード奏者を加えてのパフォーマンス。別に驚きや目新しさは感じなかったが、良質の娯楽性を持つ、好ロックンロールを聞かせる。今日は昨日の同所公演に続く追加日だったらしいが、2階席は締め切っていた。新木場・スタジオコースト。しかし、ここって、こんなにお酒の種類が少なかったっけか。ビールのあと、バーボンを飲みたかったんだけど。価格設定も100円ほど高め。新年そうそう、ちょっぴり悲しくなった。

 会場で会った知人と、そのまま新木場で飲む。そして、ほろ酔い気分で電車を乗り継ぎ、最寄り駅に降りたら、知人に声をかけられる。一瞬、びっくり。そちらは、今日実家から戻ってきて、知り合いと飲んできた帰りだという。すごい、偶然。これはちょい杯を重ねる必要があるでしょと、また流れる。今年も、“引き”は良さそうだ。で、まったく偶然入った店が、なかなかヒット。もろにラムやカシャーサら中南米酒に力を入れている雰囲気のいいバーで、知人とあららと顔を合わせる。

 ところで、昼間にネット・ニュースを見て(ちゃんと新聞も読むくせに、昼間に原稿を書いていて何度かニュースをPCで引いてしまうのはなぜだろう)、自動車雑誌の「ナヴィ」が廃刊になることが報じられていて、いささか衝撃を受ける。この時勢、いろんな雑誌が廃刊になっているが、一番おどろいた? 昔、クルマが大好きだったころはしっかり毎月買っていた雑誌だったから。その影響で、ぼくはずっとマニュアル車に乗り続けているのかもしれない(今の車の選択は、エンジン誌の高評価もあってかな)。かつては広告もかなり入っていた記憶があるのだが、そんな雑誌が採算割れと聞いて、不況を肌で感じたぼくは脳天気すぎるのか。幸運なことにぼくの取り引き関係の廃刊はまだそれほど多くないが、少し覚悟しなければならないのかもしれない。ま、日々楽しんで、おもしろい(お金の取れる)原稿を書くしかないよな。

レデシー

2010年1月8日 音楽
 今年、最初の仕事はbmr誌の09年度のベスト10の選出と選評。優柔不断なところもあるのでけっこうその手のセレクションは迷うのだが、そうしたなか、レデシー(2002年6月12日、2007年11月12日、2009年1月25日)の『ターン・ミー・ルース』はまっさきに該当作として思い浮かぶ傑作だ。ライナーノーツ担当盤なので褒め上げるのも気がひけるが、まったくもって今のR&B王道盤として非の打ち所のない出来をしめす。

 美容院に行ったあと(Boy Uの後藤くん、いつもありがとう)、六本木・ビルボードライブ東京へ。ファースト・ショウ。定時にサクっと出てきたバンドは全9人(キーボード2、ギター、ベース、ドラム、トランペット、テナー・サックス、女性コーラス2)! おお、ホーン・セクションを率いてきたのは初で、どんどん彼女が力を得ているの分かる。MCで新作収録曲の「ゴーイン・スルー・チェンジズ」がグラミー賞(女性R&Bパフォーマンス部門)にノミネートされたと言っていたけど、そうかあ。斜に構えたぼくは米国業界人の身内お祭り会という感じのグラミー賞にそれほど権威を感じておらず、“グラミー賞グラミー賞”と騒ぐ人を見るとバッカじゃねえのと思わなくもないのだが、当初は自己インディからアルバムを出したり、一時は状況の変化を求めてシスコの家や車を処分してNYに勝負しに出たり、と、いろんな苦労を前向きにしている彼女だけに、グラミー賞ノミネートは本当に良かったなぁと思えてしまう。

 ステージに出てきた(ソウル・ショウとしては珍しく、バンドによる前奏はなしで、初っぱなからヴォーカル曲)、レデシーを見てまたびっくり。新作ジャケに載せられているような、ミニのボディコンを着ていて。確か、前々回はロング・ドレスで、前回はジーンズだったはずで、今回が一番派手に弾けますと言う感じが出ていたし、なにより今回が一番若く見えると思った。もちろん、ときにフェイクやスキャットもかましもするが、過去のステージで見せていたジャジー/4ビート調で歌う局面はなし。というわけで、広い素養を持ってはいるが、今回は新作同様に100%R&Bで突き進むレデシーだったのだ。で、抜群の喉力やおいしい余裕などを示しつつ、1時間強のショウを披露。レデシーこそは今最も油がのっていて輝いている女性R&B歌手だと、断言できますね。

 その後に、夕方から行われているはずの、某邸での新年会に。お土産として少し珍しいワインを持っていったので、少し肩が凝った。かつて、乱暴なぼくは移動中にワインの瓶を割ってしまったことがある。この雑さは、もう直らないんだろうな。そういえば、レデシーのショウは50分ぐらいやったあと、一度彼女は引っ込み、コーラス陣がリード・ヴォーカルを取り、奏者たちもそれぞれソロを回す曲をやり、その後にもう1曲だけレデシー出てきて歌って本編はおしまいという構成を取っていた。雑というわけではないが、普通の人間の生理に合わない(?)その流れについては些細な事ながら少し疑問を持ったかな。それとも、このセットだけの進め方だったのだろうか(そういう、感じもします)。

 1枚のアルバムが重みを持つ寡作の音楽家がいる一方、ありあまる創造性をあますことなく表出せんと多作であろうとするアーティストもいる。故フランク・ザッパや一頃のプリンスなどは、その最たる例。そして、トランぺッターの田村夏樹とピアニストの藤井郷子の夫妻(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、他)も多作家ということにかけては、トップに挙げられる存在だろう。それは、二人が自由の音楽家としての特権を思うまま行使しようとする結果として、関与するプロジェクトの数が気が遠くなるほど多い(誇張してますが、生理的には本当にそう)ことと関係もしているわけだが。

 新宿・ピットイン。年明け早々のこの日の出し物は、同時リリースとなる4プロジェクトの実演を一気に披露しようというもの。同ヴェニューの<昼の部>(ここは、昼の部と夜の部と、それぞれライヴが企画される)はなしで、大々的に4時からから10時まで。ふう。基本1時間やって、30分の休憩という設定。休憩時間がもう少し短めのほうが聞くほうにとっては楽だけど、ずっと出っぱなしの田村/藤井にとっては、次の単位にリフレッシュして臨むためには必要な幕間の長さなのだろう。

 まず、4作目となる『シロ』(リブラ・レコーズ。2009年8月に東京で録音とミキシング、10月にNYでマスタリング)を出す、田村、アコーディオン専任の藤井、生ギターの津村和彦、ベースの是安克則という顔ぶれのガトー・リブレ(2005年2月10日)。田村/藤井にとっては“外し”のグループと言えるもので、素朴なメロディを柱におき、それを愛でるように楽器音をシンプルに重ねる。ときに発展を目指す局面はなくはないが、それは過剰なものではない。もう一つの歌心/ペーソス追求のユニット、ですね。そこはかとない、なんちゃってエスノ情緒もあり。田村の吹き口は優しく、子守唄のごとし。ただ、いろんな音楽ジャンルを聞いているぼくには、提出するメロディにもっと輝きを求めたくなるが。ともあれ、普段は“左の即興道”を突き進む両者にとっては新鮮な行き方であり、それが他の活動に跳ね返るりもするのはよく分かる。事実、これ以後の演奏の様との落差は人間って面白いなと思わされ、非常に愉快だった。
 
 次は、第一作『カット・ザ・ロープ』(リブラ。録音などすべて、09年7月に東京で)を出す、ノイズ・インプロ・バンドのファースト・ミーティング。田村、藤井、在日カナダ人ギター奏者のケリー・チュルコ(2008年12月17日)、ドラマーの山本達彦(2008年1月30日)というのが構成員。そして、この日はさらに最初から最後まで米国西海岸をベースとする視野の広いインプロ系ギタリストで近年はウィルコ(2003年2月9日)にも参加しているネルス・クラインも加わる。体形も頭髪も老化していない長身のクラインは56年生まれのようだが若く見え、ステージ中央に堂々位置し、なんか彼が中心となるユニットのようにも思えた? 完全即興による山あり谷ありの丁々発止、いろんな刺激と示唆を孕む手癖が繰り出される。そう、フリー・ジャズ/インプロものって乱暴に書いてしまえば思いつきと手癖の世界、だが、それを興味深く聞かせきるかどうかはそのアーティストの資質次第。実はこの手のものほど、人間性のようなものが価値を決める表現もないのではないのか、な〜んて笑顔で演奏に触れながらふと思う。お母さんが藤井と同じ年頃だという山本の繰り出すアクセントにはただ聞いているぼくも確かな鼓舞を受けた。ミニットメンやファイアーホース他での活動でも知られる米国西海岸オルタナ・ロック界の重鎮マイク・ワットとも付き合いを持つクラインは田村夫妻と欧州のフェスでよく顔を合わせるんだそう。

 3番目は、2作目『Desert Ship』(Not Two。ポーランドのクラクフで09年7月に録音、同じく11月にミックスとマスタリング)を出す、田村、藤井、是安、ドラムの堀越彰からなるカルテットの藤井郷子ma-do。発売元のノット・トゥーはポーランドのレーベルだ。CDリリース数だけでなく、海外楽旅のスケジュールも驚異的に混んでいる二人は昨年だけでも3度ポーランドを訪れているのだという。その日本流通盤には夫妻のライナーノーツが新たに添付されていて、それを読むと、クラクフのカフェにはやたら可愛い女性が多いのだとか。それを知り、ぼくはとってもポーランドに行きたくなった。親日の国だそうで、モテるかな? 話は飛んだが、書かれた素材を基に自在に飛翔する、正義のジャズを鋭意展開。なお、『Desert Ship』はあっと驚くぐらい、このカルテットが抱えた醍醐味や可能性を巧みに盤に押し込んでいて、びっくり。この日の実演よりいい、と書くと語弊があるかもしれないが、濡れてて重厚な風情が野心と表裏一体の関係で横たわっており、コンテンポラリーさも色濃く出ているなど、おおいに感服させられる。それ、ポーランドという風土/関与者がなんらかの+をもたらしているだろうか。

 最後は、米国から帰国後(97年〜)の藤井が一番長く維持しているユニットである藤井郷子オーケストラ東京(12年つづいているよう)。新作『ザコバネ』(リブラ。録音とミキシングは09年9月に東京。マスタリングは10月にNYで)はその4作目となり(ギタリストが入って初)、その他のオーケストラNY、オーケストラ名古屋、オーケストラ神戸も含めると、15作目のビッグ・バンド作品となるようだ。サックス5人、トランペット4、トロンボーン3、ギター、ベース、ドラム、そして指揮の藤井という全16人によるパフォーマンス。かつて同オーケストラ公演(2006年7月3日)のMCで藤井は自分の役割を猛獣使いのようと言っていたと記憶するが、まさしくそう。確かな骨組みと筋道(作曲と編曲)を与えて猛者どもを自由に振る舞わせている様は。で、それに触れていると、オーケストラ東京のアルバムとライヴは別ものだと言いたくなったりも。だって、ライヴだとお互いを信頼しあう構成員たちがこんなに楽しいプレイグラウンドはないという感じでおおいにはしゃぎ、創造性に則って自己を溌剌と解き放っているのが分かるから。その様は本当に歓びに満ちた音楽創造の場という感じで、えも言われぬ気持ちを得てしまうのだ。豊穣にして、高潔なこのファミリーに幸あれ! 見ていて、カーラ・ブレイ(1999年4月3日、2000年3月25日)が歳とともにボケ気味になっている現在、藤井の存在はますます頼もしく思えるなあ。この晩はハネもの中心にやった感じもあり(生の場だと、よち“立ち”度数が高くなる?)、非ジャズの聞き手へ大きく手を広げているようにも感じた。なお、この18日にはディスクユニオンの新宿ジャズ館で、フルのオーケストラ・メンバーでインストア・ライヴをやるのだという! あのスペースに入るのかあというのはともかく、何からなにまで定石はずし。藤井たちの音楽行為者としての正のヴェクトルには頷かされっぱなしで、恐れ入る。行動は美徳なり、なのだ!

 昨日もそうだが、昼間は本当にいい天気。風がないせいもあり、夜もそれほど寒さを感じない。丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ、見事な入り。出演者のアダムスは、ホテルのラウンジでピアノ弾き語りしているところをUK人気ポップ・デュオであるティアーズ・フォー・フィアーズのローランド・オーザバルに見いだされて90年にアルバム・デビューした、アフリカ系のMORぽい味も持つシンガー・ソングライター(62年、シアトル生まれ)だ。過去、何度か来日しているはずだが、ぼくは今回初めて見る。

 ピアノを弾きながら歌う彼女を、ギター、電気ベース、ドラムがサポート。ドラムは黒人(旦那さんだそう)だが、ギターは白人で、ベースはラテン系。その風情を見ても、一般的なソウル系のサポート・バンドとは離れる風情を持ち、アダムスが抱える味を映し出すか。ピアノを弾きながら歌う彼女に寄り添うリズム音はそこそこ強靭。しっとりしたバラード系が得意な人という印象を持っていたので、それには意外な思いを得る。で、ほとんどの曲ではドラマーが横においたラップトップを用い、キーボード音やコーラス音などを同期させて出す。確かに、そのほうが曲表層の完成度は高まるのかもしれない。だが、ぼくはCDを聞きにではなく、生のパフォーマンスに触れにきているのダ……それは、行為者の“顔”を直接に受ける場であるライヴたる美点を消す方向にはつながらないか。ましてや、この日の彼女たちは十分に“あるがまま”なものだけで、受け手の耳をちゃんと引き付ける力を持っていたのだから。彼女の地声の朗々としていて、確かなこと。もう、それは事前の想像を遥かに超えるものであり、お金が取れるものだと思った。曲間でのアダムスのMCやちょっとした仕草はとってもおきゃんというかアメリカン的にサバけていて、へえ〜。同期音も交えたがっつり路線はそんな彼女の風情とは合うものかもしれないが。でも、一曲弾き語りでやったスロウは良かった。それから、フェイクをかましながらしっとり開いた「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」(ビリー・ジョエル曲)や自身のヒット曲「ゲット・ヒア」(ブレンダ・ラッセル作で、いまや準ポップ・スタンダートとなっている?)もひたれました。
 
 実は、奏者紹介を聞いてから、少し落ち着かなくなったりも。ベーシストは西海岸の有名スタジオ系奏者のジョン・ペーニャというのは弾き口で納得だが、端正な顔をした中年ギタリストはポール・ピーターソンと紹介されたのだ。なぬ、ベン・シドラン(2009年5月23日、他)との付き合いでも知られるビリー(ベース)、リッキー(キーボード、プロデュース)の弟か、もしや。知る人ぞ知る音楽兄弟の末弟である彼(基本、マルチ・プレイヤー)は80年代中期に十代にしてザ・タイムに一時加入した後、プリンスのペイズリー・パーク・レーベルからザ・ファミリーという化粧系バンドでデビューし、その後もセイント・ポールという名前で(それは、ピーターソン兄弟の生まれた都市名で、ミネアポリスの双子都市となる)アトランティックやMCAからリーダー作を出していた人。ザ・ファミリーの看板娘のスザンナ・メルヴォアン(ヴォーカル)の双子の姉妹はプリンスのザ・レヴォールーションのメンバーだったウェンディ&リサのウェンディですね。けっこう、バック・コーラスもし器用にギターも弾く優男おっさんは果たして、あのかつての美青年セイント・ポールなのか。そんなギモンが頭のなかで渦巻き、そわそわしちゃった。なんとなく、6割強の可能性でイエスであると、ぼくはふみました。

 うわ、音でけえ。南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。
 
 その前身である永井隆&ザ・ブルース・ザ・パワーをフジ・ロックで見て(2005年7月30日)感激していらいとなるのかな。ヴォーカルとギターの永井“ホトケ”隆(2005年7月31日)とドラムの沼澤尚(2008年1月30日、他)を軸とするパーマネントなブルース・バンドに、ムッシュかまやつ(ヴォーカル、ギター)を加えたライヴ。両者は昨年晩夏に共演作『ロッキン・ウィズ・ムッシュ』をリリースしている。そのムッシュはといえば、最初から出てきてステージの左端に位置、あたまのほうでは続けてリード・ヴォーカルを取ったが、ならすとホトケのほうが歌う比率は少し高かったか。ともあれ、中条卓(2003年6月22日、他)とコテツ(2008年11月14日)をふくむ5人は、いろんなバンド・ブルース表現/楽曲を俯瞰したうえで、正々堂々と今の輝きを持つブルースを送り出す。

 歌心が、確かなリズムとともに送り出される。ムッシュの歌声がはっきりしているのには、少し驚く。もともとホトケもシンガーだから、ここには専任ギタリストはいない。でも、それもいいと思えた。安全パイのブルーノート・スケールをちんたらなぞるような単音ソロを延々と聞かされることがなくて。ほんと、そういうのがぼくは大嫌いだ。そのぶん、コテツは大張り切りで大活躍。ブルース・ハーピストとして持っているものを全部だしていたな。沼澤は曲に合わせチューニングの異なるスネアを頻繁に変える。シンプルなドラム・セットを前に叩いていた彼、音楽性に合わせているのかと思ったら、それが毎度の設定だという。いつもちゃんと見ていないんだァと、沼澤にいじめられた。

 ところで、ステージ上の面々はみんな黒いスーツに白いシャツ、そして黒いネクタイ(中条のみ、ノー・ネクタイ)。なんか、もろに喪服やん。なんて、書きたくなるのは、ブルースとは悪魔の音楽であり、忌み嫌われるヤクザ、ハンパもんの酔狂な音楽であるから……なーんて、こじつけておきましょうか。

追記)この2日後、仕事部屋で整理をしてたら、CDの山のなかから『ぶるうすを聴け!』(ビクター、07年)というコンピ盤が出てきた。で、なんの気無しに聞いてしまったんだが、これはレコード会社の枠を超えて楽曲が集められている、日本人のブルースを俯瞰する好編集作。コンパイラーのクレジットはないのだが、ホトケが親身なライナーノーツを書いているので、彼が組んだのだろうか。

 ランディは前から、かなり見たかった黒人ジャズ・シンガーだ。

 90 年代はJVCから3枚のリーダー作を出しているのだが、LA出張時に同社プロデューサーの高級アパートに拉致され、契約して間もない彼女の音を聞かされ、コレはいいだろと自慢されたことがあった。じっさい聞いたら、純ジャズを超える広がりを覚えさせられ、その名前をぼくは頭に刻んだ。そしたら、すぐその後にキップ・ハンラハン(2003年8月9日、他)がレコーディングに彼女を呼び、大きく頷いたりもしたっけ。また、ミレニアムに入ってからは、日本のDJ系クリエイターが彼女を起用したことがあったと記憶するが、誰だったか。勘違いかな? ランディの大きなポイントは“ジャズ・シンガー・ソングライター”という活動指針を持つ事だが、そのスタンスをきっちり築いたのは、そのJVC時代だ。

 1954年(マイアミ)生まれだから、カサンドラ・ウィルソン(2008年8月11日、他)やダイアン・リーヴス(2008年9月22日、他)よりは少し年長。でも、早く(アルバム・デビューは30歳少し前)から自作曲を歌いたがり、ピアノができることもありアレンジも手がけ、絵も得意でジャケット・カヴァーを描いたりアート・ディレクションをしたり。てなわけで、ぶっちゃけウィルソンやリーヴスより当初から意思を持って自立し、広がりを持っていたとも言えるだろうし、その資質と比すとアンダーレイテッドな存在であるのは間違いない。その最新作『ソラメンテ』は墨絵のようなキーボード主体のサウンドを一人で作り、そこにワザありの漂う歌を載せた、ジャズを根に置く、オルタナティヴにしてメロウなアダルト・ヴォーカル作になっていて驚かされる。→追記)そのアルバム、彼女がレコーディング用に作ったデモが商品化されたという話もある。さもありなん、ではあるな。

 丸の内・コットンクラブ。ファースト・ショウ。そのパフォーマンスはピアニスト、縦ベース、ドラム、打楽器を伴ってのもので、打楽器奏者のみラテン系(だろう女性)で、他はアフリカ系だ。そんな設定が示すように、パフォーマンスは新作の内容には従わないもので、素直に凛としたジャズ・ヴォーカリスト像を出さんとするもの。年齢より十分に若く見える彼女(なかなか快活そうな人でした)は、伸び伸びとサウンドを乗りこなし、なめらかに歌を泳がせていく。やはり、自作曲を歌うことも大きいのだろうけど、普通のジャズ歌手とは一線を画す心智がある、と書きたくなりますね。後半はスタンダードも取り上げるが、清新さは維持。

 その後、知人に唐突に誘われ、ムーンライダース(2001年7月29日、2004年12月12日)の新年会に顔を出しちゃう。メンバー6人が勢揃い、還暦ぐらいにはなるだろうが、みんな頭髪もふさふさしていて、劣化が少ないのにはびっくり。改めて、充実した活動とともにいい歳の取り方をしているんだナと実感。鈴木博文さんには、大昔に編集者だったころ原稿を何度かお願いしたことがあり(その頃は、ファックスもない時代で、車をころがして原稿を持ってきてくれたりしたな)、お礼をのべる。

 ところで、昨日飛び込んできた、ハイチの大地震のニュースにはびっくり。被害のでかさにおののくとともに、世界でトップ級に貧しいと言われるあの国においての人々の生活の再興にはものすごい困難が伴うんじゃないかと危惧。いろんな災害や事件の報道にふれ、胸を痛めたり悲しくなったりもするが、そうしたなか今回のニュースには自分でもびっくりするぐらいえ〜んという気持ちになっている。自分のできる良なことはなんなのか。少しでも、動かなきゃ。一番古い黒人独立国家に光りあれ。←結局、募金だけ。。。。。。

 ハンソンのテイラー・ハンソン(ヴォーカル)、元スマッシュ・パンプキンズのジェイムズ・イハ(ギター)、ファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャー(ベース、主任コンポーザー)、チープ・トリックのバン・E・カルロス(ドラム)、それぞれファンを持つバンド関与者からなるロック・バンドの初来日公演は、青海のゼップ東京から渋谷のデュオに会場が変更されてのもの。両会場のキャパシティはけっこう違うので、その事実には少し驚く。それぞれのファンが見に来ているのか、けっこう客層は散っているように思えた。

 サポート・ギタリストを伴っての5人で実演されたが、ギタリスト二人は黒いレスポール・タイプのギターを持つ。ぼくがロックを聞き出したころはギブソン・レスポール全盛の時代だったが、今はフェンダーはともかく、ギブソンのギターを手にするロック・ギタリストは少ないんじゃないか。なんか、その図だけで少し甘酸っぱい気持ちを得たワタシであるが、実際パフォーマンスのほうもいい意味で懐かしい気持ちを持たせるものであったのは確か。もう、まっとうな曲に支えられた質をちゃんと持つパワー・ポップ曲のオン・パレード。それは新しさを最初から排するヴェクトルを抱えるが、だからこの無理のない楽しさやワクワク感をしっかり持っているし、聞く者を幸せな気持ちにさせる。そんなショウに触れながら、昔はもっと各バンドの人気者が集った(スーパー・)バンドが多かったんではないか、なんてもふと思う。バズコックス(2006年9月21日)のカヴァーもやったが、アルバム1枚しか出していないので、1時間を少し切る演奏時間。でも、サクっと快活なパフォーマンスはそれでもOKなもの。少なくても、持久力が減じているぼくにとっては。その後の飲みの時間もたっぷり取れるしね。

 フェス出演で来日しているはずだが、カレン・O(音楽映像畑出身のスパイク・ジョーンズ監督の新作映画「かいじゅうたちのいるところ」の音楽にも関与。両者は一時、つきあっていたこともあったんだっけか。昼間に子供たちと見に行ってきましたという知人と会ったが、その映画はけっこう大人向きであるそう)をフロントに置く、このNYの跳ねっ返りロック・バンドの実演をぼくが見るのはアルバム・デビューして間もない頃(2003年10月6日)以来。伸び伸びと活動し(アルバムは3年おきに3作リリース)着実に名をなしているという印象を与えるわけで、その事実をちゃんとライヴでも堂々示していましたね。

 品川プリンス・ステラボール。満員。ステージ上にはでかい目玉のヴィニール玉がつり下げれていて、終盤同様のものがオーディエンスのフロアに出されたりも。そりゃ、湧きます。ギター/キーボード、ドラムに加え、ギター/キーボードのサポート奏者を3分の2ぐらい加えてのパフォーマンス。 カレン・Oは、別に凝ってはないがポンチョみたないのをはおったりとか、一応数回お召しかえしたと言えなくもないのか。途中で、靴を片方だけ脱いで、歌う人は初めて見たかも。また履いたけど。奔放。扇情。過剰。例によって、あたしの発散してて、ポップで、混沌としているロックを聞いてほしい、私の考えるロック観の開示をしたい、という意思は膨大。

 また、水を口に含んで吐き出したり、マイクを口の中に入れたり、シールドを持ってマイクをぶんぶん振り回したり、ステージ下に降りてみたり、最後はマイクを床に叩き付けたり。それぞれの仕草は子供ぽいというか、ロック萌芽期から誰かがやってそうでもあり、ぼくの目には新鮮味に欠ける。だが、彼女が堂々やっているのを見ると、ダサかっこいいとも思えるわけだし、若い聞き手は素直に新奇なステージングをやっていると思わせられるのかもしれない。そんな彼女を見ていてふと思い出したのは、クイーンアドリアーナのケイティ嬢の所作(2008年3月1日)。だが、彼女だとレトロ芸能臭が漂うところ、カレン嬢は今っぽい輝きを感じさせるのは間違いなく、それはアーティストの世代や勢いというものか。

 2階席から見ていたので、よくステージの様が見えたのだが、ドラマーのブライアン・チェイスにはアレレ。だって、彼はマッチド・グリップ(両手とも鷲掴みのような感じで、スティックをつかむ)ではなく、古典的正統派たるレギュラー・グリップ(左手の握りは下側から持つような感じ)で確かなロック・ビートをたたき出していたから。ロック・ドラマーは当然のこと、若いジャズ・ドラマーも今はマッチド・グリップで叩く人が多いなか、これは異端。チェイスさん、大学時代にジャズをやっていたという話におおいに頷けますね。

 ヤー・ヤー・ヤーズのその“変テコ”は、いろんな襞や経験があってこそなりたつ。そんなことをその事実は物語っている……と、我田引水しておきましょうか。

 基本、カヴァー・アルバムはそれほど好きではない。ロック・ミュージックはオリジナル曲を自分が関与するサウンド/色づけで歌ってナンボの表現であると、ぼくは思っているから。だが、アトランタ出身、NYベースのシンガー・ソングライターであるキャット・パワー(2003年1月9日)の08年カヴァー集『ジューク・ボックス』(マタドール。全米12位まで登ったから、大成功作と言えるだろう)にはとても驚いた。そこには、いろんな先達の襞を持つ曲(JB、ビリー・ホリデイ、ジョニ・ミッチェル、ハンク・ウィリアムズ、他)をザクっとしたサウンドともに突きななすように取り上げた内容を持のだが、それはどこか“敗者の視点”を持つ、だからこそ、先達が提出した財産を糧に私は斜めから時代と対峙するというような妙にくすぐる情緒に満ちていたのだ。ぼくはそのアルバムを同年のロック・アルバムのベスト10(クロスビート誌にて)に選んでいるが、そのアルバムでバッキングしていたやさぐれ好奏者たちはザ・ダーティ・デルタ・ブルース・バンドと名乗っていた。

 アルバム発売からはけっこう時間がたったが、なんと、そのザ・ダーティ・デルタ・ブルース・バンドを伴う公演。そのバンドの構成員は、ブルース・エクスプロージョン(2004年12月13日、他)のジュダ・バウアー(ギター)、一時はそのブルース・エクスプロージョンを追う最右翼と言われたザ・デルタ72(今は解散しているかな)のグレッグ・フォアマン(キーボード)、モグワイ(2006年11月11日、他)と横並びで評価されたりもした豪州出身のザ・ダーティ・スリーのジム・ホワイト(ドラム)、そして現在ザ・パパラッチズという壊れたポップ・ロック・バンドを組んでいるエリク・パパラッチ(ベース)という面々だ。

 渋谷・O-イースト。とても、混んでいた。バンドはいろんな知識を得た先にある、シンプルながら、含みとどこか濁った感覚を持つバンド・サウンドを送りだし、キャット・パワーはそれに乗って、どこか病んだ感じもある歌声を淡々と載せていく(スタンドは用いず、マイクを手にゆったりとステージを動きながら歌う)。やさぐれウィスパー・ヴォイスですね。その重なりは、虚無的なダーク・ワールドを提出。ホント、枯れ枯れ。同じようなトーンの曲ばかりで、少し飽きたところはあったが。だが、前回見たときの原稿にも触れているように、その快活運動会系といいたくなるパーソナリティ(今回も暗〜いステージングをしつつ、客に手を振ったりして、その持ち味を維持していると思わされた)とくすんだ色調の歌表現の持ち味の落差はすごすぎ。それも、偉大な個性だよな。もー、驚愕。ああ、人間ていろんなタイプの人がいて、一筋縄ではいかない。そして、そういう部分をあっさりと出す回路として音楽という手段は非常にあっていると、ぼくは思った。

 それから、前日の項のネタの続き。あれれ、ジム・ホワイト(なんか、見かけは大昔のデイヴィッド・クロスビーみたい→cf.CSN&Y)もレギュラー・グリップで叩いていた。実は、いることはいるのかな。

 クリス・コリンウッド(ヴォーカル、ギター)とアダム・シュレシンジャー(ベース)の敏腕作曲チームが率いる、米国東海岸ベースのポップなメロディ命の4人組の実演は渋谷・クラブクアトロにて。“フル・バンドによるアコースティック・ライヴ”という名目が付けられたもので、全面的にアコースティック・ギターが用いられてパフォーマンスは進む。シュレシンガーは時々、ピアノを弾いたりも。まあ、アンプラグド・ライヴとも、言えるものですね。その方策、サウンド的にはかなり単調にはなるが、曲の出来の良さは当然アピールされるな。あと、大人なほんわかしたグループ内の力学も。途中で客を3人あげてシェイカーやタンバリンを与えて演奏に参加させたが、それもバンドのほのぼの感にあっていた。

 三分の一ぐらいはUKパワー・ポップ伯楽たるスクイーズ(そういえば、そのメンバーだったジュールズ・ホーランドが10人越えのバンドを率いて、3月にやってくる! @ブルーノート東京)の曲と重なる感じもあり、その際のコリンウッドの歌い口はスクイーズの誰かの歌声に似ているゾと思う。近い世界を見ていると、歌声も似てくるのだろうか。過去の表現に明るいということは彼らのアルバムを聞けばすぐに了解できるが、過去の有名曲断片を人力サンプリング的に挿入する場面もあった。あれ、コレなんだったけか、とか少し落ち着かなくさせられました。それから、メンバー紹介をする感じで、ピアノはアリシア・キーズ(や坂本龍一)、ベースはロン・カーター(やレヴェル42のマーク・キング)なぞと、2度ほどしょーもないボケをかましたりも。それには、少しいたたまれない気持ちになりました。でも、ほんと音楽好きのバンドなんだろうな。

 作曲する人が同じティンテッド・ウィンドウズ(2009年1月15日)と彼らの違いは? ライヴを見ていて、そんな問いかけが出てきたりも。まあ、リード・シンガーが異なるわけだから、当然持ち味は変わってくるわけだが。サッカーを例に出すなら、ナショナル・チームとよく整備されたクラブ・チームの違いのようなものか。サッカー愛好者にしか分からないかもれないが、これはいい例えじゃん、とお酒を飲みながら思った。ビールとバーボンを摂る。

 その後、南青山・月見ル君想フに移動。北欧サーミの歌唱スタイルであるヨイクのフル・タイム・シンガーであるという(なるほど、ヴォキャブラリーが沢山ある感じではなかったが、フツーに英語でMCをする)インガ・ユーソの歌を聞く。彼女はスタイナー・ラクネスという同じノルウェイ人のジャズ・ベーシストとスカイディというユニットを組んでいて、今回はそのユニットでパフォーマンスをするはずだったが、ラクネスが家庭の事情で急遽これなくなり、かわりにハラール・スクレルーというノルウェイ人打楽器奏者がサポート。

 細かい刺繍がついたコバルト・ブルーの民族衣装を来てステージに出てきたユーソおばさんは貫禄たっぷり。そして、我が道を行かさせたいただきますわ、という感じで声を出す。予想したほど、その歌声は圧倒的な力感とともに空気をふるわせるというものではなかったが、特殊な抑揚とともにうれしい存在感と“北”たる異国情緒を放つ。歌ったのはトラッドなのかな、一部は日本の民謡やケルト系表現を思い出させたりもする。ヨイクは言葉を超えたコミュニケーションの手段、みたいなことを言っていたっけか。彼女は過去にも来日したことがあるという。

 打楽器奏者のスクレルーは彼女の歌にソツなく素朴によりそうわけだが、打楽器演奏から曲が始まるときもあったりして、二人は過去共演を積んでいるのは間違いない。彼はヨン・バルケの06 年ECM作に入っていたりもするが、叩き口はかなり個性的。バス・ドラムみたいな太鼓を横に寝かして、ヘッドの上に小物を置いて、ならしたりする。もう一つの世界観を持っていて、彼がふんわり音を出せば、あたりは“不思議の森”になる……なんて、感想を少し覚えたかも。赤ワインを飲む。

 その後、流れで青山・プラッサオンゼに。演奏は当然終わっていたが、出演者だったギタリストの越田太郎丸さん(彼が中心となってトニーニョ・オルタ耽溺プロジェクトをこの晩やっていたよう)から、彼が参加するグループのプリズマティカの新作『Life Giving Water』(Inpartmaint,09年)をいただく。女性シンガーを擁する、ブラジル要素が活きた流動度の高いアーバン・ポップ作。レニー・クラヴィッツの「イット・エイント・オーヴァー・ティル・イッツ・オーヴァー」も技ありでカヴァーしていて、タイトル・トラックはジャズトロニックによる静謐リミックス・ヴァージョンも収録(というのに表れているように、クラブ・ミュージック的視点も持つと、書けるのかな)。ピンガーをぐびぐび。

 まずは、赤坂・ブリッツで、ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日)を見る。ほのかにアメリカーナな、激シブのシンガー・ソングライター表現をやんわり開いていたな。レコード会社打ちのショーケース公演(新作購入者を抽選招待)ながら、新作収録曲を中心にちょうど1時間ほど。一曲が長くないので、曲数はけっこうあったはず。アンコールではデビュー作の茫洋としたタイトル・トラック(「カム・アウェイ・ウィズ・ミー」)をやる。が、この晩のジョーンズの様に触れた人なら、新しい道を踏み出した彼女はもう「ドント・ノウ・ホワイ」はやらないかもと、肌で悟ったのではないか。

 その新作『ザ・フォール』(大きなシングル・ヒットもないのに全米3位まで入ったようだから、きっちり固定支持者がいるんだろう)はそれまでの人脈と大きく離れ(ボーイ・フレンドで、作曲のパートナーでもあったリー・アレクサンダーとも別れ)、ジャズ的残り香を払拭し、よりポップ・ロック側に踏み出す姿勢を見せたものだったが、かようにライヴは今の実像をしかと知らせるものだった。

 歌とギターのサーシャ・ダブソン(2006年4月22日)、制作者としても活動するドラムのジョーイ・ワロンカー(チャーリー・ヘイデンの子供たちと仲良く、ベックとも関係の深い彼は、往年のワーナー系制作者であるレニー・ワロンカーの息子ね)、ベースのガス・サイファード、キーボードのジョン・カービーという、新作レコーディングに関与しているミュージシャンを伴ってのもの。彼(女)らに囲まれるようにジョーンズ(ミニ目のワンピースを着ていました)はのっけから数曲はギターを持って歌う。キーボードやアップライト・ピアノ(グランド・ピアノではない。当然、ソロも取らない)を弾きながら歌う曲もないではないが、ギターを手にするほうが多かったはず。という設定による実演は、抑制と含みを持つ超オトナなバッキング・サウンドとあいまって、エッジィな何かをはらむ、枯れまくったワビサビ・ロックとして結実する。途中、ギター3本だけで歌ったり、ダブソンとデュオでやったりも。ジョーンズは旅に出たとき気の置けない女友達が横にいるのを好むようで、かつてのダルー・オダ(2008年12月4日、他)役割を今はダブソンがやっているようだ。

 十分に気配りがなされて風情があるショウであり、一人の人気ミュージシャンの自我の行方を伝える公演。ステージ美術/照明も通常公演のごとく練られていたし、わざわざ質の高いバンドも呼んでいるのだから、普通の公演を一回でもしたらいいのに。彼女なら、東京国際フォーラムのホールAでも出来るだろう。まあ、「ドント・ノウ・ホワイ」なるものを頑に求め続ける聞き手には失望を与えるだろうが。

 その後、南青山・ブルーノート東京に移動して、スライ・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日)とルーファス(2008年11月10日)のジョイント・ショウという、ありゃりゃ〜な出し物を見に行く。なんでも、それはルーファスを率いるトニー・メイデンが誘ったところ、実は前回の来日公演で親日/親ブルーノートになったスライ・ストーンが快諾したらしい。

 セカンド・ショウ。10分でも、御大の姿を見られればいいと思って嬉々として行った。だって、自分の名前を冠してやった公演でも、バンドが延々演奏するなか出てきてステージ上にいたのは10分と少しだった御仁なのだから。でも、そうした綻び/ダメさも含めて、あのザ・ビートルズと比肩すべき音楽的大偉業をやった人ならではの闇の部分を感じさせられ、深く頷き、こんな変人=天才を同時代に受けとることができたありがたさに、ぼくは震えてしまうのだ。ファンならではの贔屓がそこにないとは言わないが、スライのやったことの人間離れ具合を認知できているのなら、それは極めてまっとうな見解だとぼくは思うが。

 そしたら、時間はやはり短かったけど、前回見せたのとは違うスライがいて、ぼくはぶっとんだ! 

 ま、まずはステージングの流れに従って、ルーファスのことから。今回のルーファスは、ギターと歌のメイデン(ピックを使わずすべて指で弾くギター演奏は素敵だァ)に加え、キーボード3、ベース、ドラム、女性ヴォーカル5、トランペットとアルト・サックスという布陣。演奏陣については、サポート・ギターと打楽器がいなくなり、ホーン隊がついた形となっているが、それはスライ曲をやることを念頭においての変化もあるのだろう。バンド音は良好、若い白人の二管も悪くない。ヴォーカル陣は3人から5人に増大。前回同様にメイデンの娘もいるが、一番小柄なシンガーはなんと、かつてルーファスで歌っていたチャカ・カーン(2008年6月5日、他)の娘だとういう。基本、おなじみのルーファス曲をリード・シンガーが次々に交代して披露されるわけだが、スティーヴィ・ワンダーがルーファスに74年に送った「テル・ミー・サムシング・グッド」を娘のインディラ・ミリニ・カーンが歌ったときにはなんか妙な感慨がもぞもぞ。そりゃ、母からみれば赤子だが、なんか透かし絵的に若い日の母の像が浮かんでくるような気がして。なんか、音楽ファンでしか得られないだろう、贅沢なトリップ感覚を得ちゃった。シンガー陣はみな歌える(故リック・ジェイムズに気に入られ、モータウンから85年にリーダー作もだしたヴァル・ヤングもいた)が、彼女たちの歌を聞いていて感じたのは、背後霊の如くチャカ・カーンの歌が聞こえてくるような気がしたこと。「何を歌っても、私の歌にする自信がある」とカーンは取材時に言っていたことがあるが、まさに彼女はルーファス曲を自分の色に染めて、確固たる自分の歌として開いていたのだな。

 ルーファスとしてのパフォーマンスを一時間強やったところで、メイデンの「ファンク、行くぞォ」みたいな一声とともに「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しだす。そのリフに合わせて、女性シンガーたちは「スライ・ストーン、スライ・ストーン!」というかけ声をだす。けっこう、それが続いたあと、スライは出てきたわけだが、まず格好におお。今回はもっとキンキラでステージ衣装みたいなのを着ている。イカれたヘア・スタイルの髪の色は薄い紫。そして、前回のブルーノート公演のようにパーカーのフードで頭をおおったりもせず、堂々と彼は顔を出している。すごーく、表情がよくわかる。終始、嬉しそう! 彼がステージにあがると、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」がはじまる(だったよな? 酔っぱらい、うかれているので……はっきり覚えてないところも)。立ちながらワイヤレス・マイクを横にして両手で持って歌い、途中で横に向いているローランドの少し小さめのキーボードの前にすわり歌い、加工ヴォイスと鍵盤フレイズが同化したような事を彼は聞かせる。おお。そんなこと、昨年はやっていない。そして、それを終えると、また立ち、動く。前回は多くはキーボードの前に座って歌ったり、所在なげにしていた彼だが、今回はずっと立っていた。逆に今回は、メインのキーボードとして置かれていたコーグのトリトンはぜんぜん弾かなかった(一回だけ、弾きかかったかもしれないが)。

 そして、「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」が終わると、スライはなんとギター(テレキャスター)を手に取り、メイデンと一緒にギターを弾き始める。曲は、「サンキュー」だあ。ま、スライはすぐに弾くのをやめ、その後はギターを肩にかけたまま歌っていましたが。そのテレキャスターはピカピカ、もしかして日本で買った? 昨年は一切ギターを手にしなかったが、彼の全盛期のショウではギターを弾くことが多々あったはずで、弾かなくても、その絵だけで嬉しい。けっこう一部はシャウトしたりして、これも昨年とは違う。

 「サンキュー」の終盤、スライがワイヤレス・マイクを手にステージを去り、エンディングをバンドが盛り上げ、本編は終了。そして、アンコールはまず「ファミリー・アフェア」。スライはその曲の途中に楽屋から出てきて、会場後方で歌っている。そして、ステージに上がると「ファミリー・アフェア」は終了し、「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」が始まる。それ、二分ぐらいしか歌わない感じで、スライはステージを去っていく。もう帰るの、そんな顔をメイデンが一瞬したような気もしたが、絶頂感のあるなか、ショウは終了。ルーファスの頭からだと、1時間半ほどのパフォーマンス時間だった。

 といった感じで、ところどころハラハラさせつつも、昨年見せていない様相をいろいろ見せて、彼が再生の道を歩んでいるのが実感できた。うれしすぎる。

 ヴォーカルとキーボードを担当するパトリック・ワトソンを中心とするカナダの4人組、初の単独来日公演だ。ペキンやシンガポール公演のあとやってきたようだが、とってもうれしい。原宿・アストロホール。外国人の比率は高め。もともと、いろんな音楽要素を抱えたバンドであり、いろんな顔を見せてくれるフクザツな連中だが、そんな4人組に接したことのない人に明解にその真価を伝えるためには、どこから書いていいのか、どう書いていのか、とても戸惑う。だが、それもまた彼らの素敵……過去の来日の模様(2008年11月12日、2009年8月8日)も読んでくださいナ。

 大絶賛の1.500字、行きます。
 
 パトリック・ワトソンは生ピアノを弾いて歌うだけでなく(本編途中とアンコールの最後の曲で、ピアノ弾き語りを聞かせたりも)、プリペアド・ピアノ的な使い方を見せたり、ヘンな音を出すコントローラーを扱ったり、小さいキーボードを弾いたり、拡声器を用いて歌ったり(それをやる人はたまにいるが、拡声器の先にトランペット用のカップを当ててよりモアモア声を出そうとしたりも。そんなことをした人は初めて見た)。マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月7日、2009年12月13日)に習っていたことがある(!)ギタリストはのっけからギターを弓で弾いたり、ときにはアヴァンキャルドな奏法を次々に繰り出したり、マンドリンみたいな小弦楽器をちんまり弾いたり。ベーシストはずっと同じ楽器を手にしていたものの、奏法は多彩でときに和音も効果的に用いたりもする。そして、ドラマーはなぜロックは貧相な8ビートじゃなきゃいけないのという問いかけを孕む多様なビートを送り出し、ときにはマリンバやベルズほかいろんなパーカッションも器用に扱う。アイデアと引き出し、多すぎ。それらからはロックの定型の味付けを避けて創意工夫をこらした先にある楽園や迷宮を作り出そうとする意思があふれまくる。とうぜん、(サウンド・チェックにも一番時間がかけられたろう)今回がこれまでで一番広がりと強さを持っていたと言え、そうじては、ロックな美意識という枠のなかで音響度数とアヴァンギャルド・ジャズ度数とエスノ度数を増していたと指摘できるはずだ。

 その創造性わき上がりまくるバンド表現の根幹をなすのは、ポップ・ミュージックとして確かなメロディと輝きを持つ、粒ぞろいの楽曲群(シンプルな味付け曲だと、ジェフ・バックリーのような透明感を出すか。基本、彼らの曲はブラック・ミュージック臭は強くない)。もしかすると、もっと保守的な割り切り易いサウンドを付けたほうが彼らは大きな支持を集めることができることと思う。だが、それじゃあロックじゃない!という澄んだ意思とともに、自在に弾けとようとする彼ら、本当に素敵すぎる。ああ、今様アート・ロックの権化!

 最後は、例によって、メンバーたちがフロアーにおりて、手作り感覚に満ちまくるパフォーマンスを披露。そう彼らは、フィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月13日、2007年4月6日、2007年10月8日)みたいな捨て身の心意気をもちゃんと出せる連中なのだ! そんな4人の多面体的ロックに触れ、受け手は音楽を生み出される現場ならではの醍醐味や、彼ら生身の真摯さに触れて、言葉を失う……。少なくても、ぼくは。

 唯一、なんかなあと思うのはMCもするリーダーのワトソンが、けっこうラリった調で話すこと。なんか、これだけイケてるポップ・ミュージックを作り出せるのはドラッグの効用もアリかとか、余計なことを考えたくなってしまいます。すごーくツアーをやっている彼らだが(09年新作『ウドゥン・アームス』はツアーの途中、アイスランドやパリなんかでも録音されている)、もう100%音楽バカみたいに見えるワトソンにもちゃんと扶養家族がいることをMCで知り(それを歌った曲をやっていた)、なんか安心したワタシでした。

 とにかく、今トップ・クラスにいろんな事を考えて、“天然”でもあるとってもイマジネイティヴなロックを作り、それをあまりに見事に生の場で開くことができる人たち。もちろん、今年のロックのライヴNo.1はこの晩の実演になるんじゃないか。こんなに、刺激的で味があって、ココロがあって……そんなライヴがそうあってたまるものか!

 その後、とってもいい気分で某所の新年会に出かけたワタシでした。新年会も明日予定のもので、終了……なはず。コンサートも多いし(ライヴは飲みの前座、デス)、1月はマジ全日おおいに飲酒三昧。でも、なんか元気だな。明日は、新型インフルエンザの注射を打ってもらうことになっている。実は、成人になってインフルエンザ予防の注射を受けたことはゼロ。なんか、ノリでそうしちゃった。。。


 満員。もう、受け受け、大受け。やっている本人たちも、本当に光栄でしょうがなかったんじゃないか。結成して10年のインスト基調のUK4人組ファンク・バンド(2006年8月6日)にアルト・サックス/フルート奏者がゲストで加わったライヴは、いくらでも演奏できるんですという感じで二部制にて。セカンド・セットはそれだけで1時間半を超えていた。

 けっこう、不思議なバンド。だって、そんなにすごいことやっているわけではないし、荒いところもあるのだが、確実に聞き手を高揚させるもの。自然に腰が動くし、イエイとかけ声も出したくなる。一番薫陶を受けているのはザ・ミーターズ(2007年2月3日、2009年7月25日)だろうが、ほんとアップ曲は鼓舞する力を持っている。その反面、ミディアム調は面白くなくて、こんなのやんなくてもいいのにと、ぼくは思った。普段着の構成員のなか、MCもするギタリストだけがモッドなスーツで身を固める。そのソロはプレスティッジ後期の変調ソウル・ジャズ・ギタリストのブーガールー・ジョー・ジョーンズの弾き口がいっぱい。これで、サックスがエディ・チャンブリーに傾倒しているような扇情的なブロウを噛ましていたら、会場はもっと湧きまくったろう。

 渋谷・クラブクアトロ。それにしても、やはりここのお酒販売の流儀はおかしい。演奏中はいくら飲み物を買う人がウェイティングしていても、カウンター内には一人しか立たない決まりになっているようで、他の販売員はしらんぷりという感じで、奥の控え処に引っ込んでいる。この晩も買い求める人で、物凄い列。ありえねー。絶対、要改善と思う。

ユニバーサル・ミュージックとジャズをはじめとする自国音楽プロモートに力を入れるノルウェー大使館が組んだ、“ノルウェー音楽リスニング・パーティ”というイヴェントに夕方行く。渋谷・J‘zブラット。共演作を作ったakiko(2007年5月21日、他)とブッゲ・ベッセルトフト(2008年9月21日、他)が出てきて、少しパフォーマンス。ベッセルトフトは生ピアノ中心の伴奏、そこにakikoがすうっと歌を広げていく。ベッセルトフトの誘いでノルウェーのどこかの街で開かれたジャズ祭に二人でで出た際の映像も途中で紹介されたが、ベッセルトフトのエレクトロニクス音の上で日本の曲「さくら」を低い声でウィスパリングする様はなかなかいい感じだった。ベッセルトフトはソロで1曲やったりも。それを聞くと、また新しい、淡い電気音利用のネタを得ているナという印象を得たか。帰り際にベッセルトフトに挨拶したら、人当たりがよくなっている。主宰するジャズランド・レーベルも続いているし、自信がどんどん溜まっている部分もあるんだろうな。会場で白ワイン飲んで、次に台湾料理屋で紹興酒を飲んで、そのあと場所を変えて焼酎を飲んで……。まだまだ、正月だァということにしておく。
 自分の進む道を規定した音楽範疇にいる名手を自ら呼んで、同好の士とともに楽しみたい。音楽ファンだったら、そんな思いを持つ人は少なくないだろう。シカゴから世に出たアーティストをいろいろ呼ぶ“シカゴ・ブルース&ソウル・ショウダウン”は日暮泰文と高地明、ブルース・インターアクションズ(旧ザ・ブルース誌、P-ヴァイン他)の創設者二人が同社をリタイアし身軽になって企画したイヴェント。ま、70年代にもブルース・インターアクションズは渋いブルース・マンを何度もよんでいるので、アタマの頃に戻ったと言えなくもないのだが。品川・よしもとプリンスシアター。円形ぽい会場、普段はお笑いをやっているのか。

 ハウス・バンドはサザン・ソウル歌手として日本でも相当な人気をあつめたO.V.ライトのバンドにいたというブルース・マンのジョニー・ロウルズ(ヴォーカル、ギター)率いるバンドで、サックスと電気ベースとドラムとキーボードが付く。彼らはずっと出ずっぱり、もう少しまとまりが良くてもよかったかな。そして、最初はそこに木下航志(2007年8月29日)が加わって、彼はエレピをひきながら、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」とジ・インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」を熱唱。彼は後の、ジョニー・ロウルズとミッティ・コリアが歌う場面でも出てきて各一曲づつ一緒に歌う。まさに、彼らにとって木下は“驚異の子”だろうな。

 木下が下がり、その後は数曲ジョニー・ロウルズが歌い(けっこう、歌声が溌剌としている)、さらに今79歳というバイザー・スミス(ヴォーカル、ギター)が出てきて、シカゴ・ブルースの襞を陽性に開く。彼らのブルースに触れながら、かつてのブルース・フェスはたちの悪い酔っぱらいがいたりもしたけど、今日はいないナと思う。土日はどうだったんだろ? 今日は5日開かれるなかの最終日だ。

 そして、次はチェス・レコードと契約し、60年代中期が全盛だった女性R&Bシンガーのミッティ・コリアがローブをはおって登場。今は自分の教会をもって牧師をしているそうで、プリーチ込みということもあってか、ここからは白人の通訳がステージ袖について、発言を訳す(それは、最後のザ・フラミンゴズも同様)。その通訳、ときに辛抱たまらんという感じで、一緒に歌っているのが笑えた。なんでも、教会関係者や同地選出の国会議員も同行しているとのこと、一体何人で来たのか。一緒に来日した国会議員(まだ30代だろう、アフリカ系女性)は今回のイヴェントのお礼として、やはり同地選出のオバマ夫妻の親書を携えていて、主催者であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへの授与式が行われる一幕も。彼女のMCによれば、向こうのアーティスト送り出しのまとめ役をやったのは、大昔リヴィング・ブルース誌の編集長をやっていたジム・オニール(今はミシシッピ州クラークスデイルでレーベルやってんだっけ?)のようだ。ともあれ、コリアのステージはゴスペル色強く、両手を広げて聞き手に訴える。客席からはかけ声もいい感じで飛ぶ。「ホールド・ザ・ライト」という曲では皆に携帯電話の画面光をかざせたりも。もう堂々の、流儀を開いていましたね。そう、やっぱり、ブルースとゴスペルは根にあるものなのだ。ここまでで、2時間と少し、やったかな。

 そして休憩を入れて、52年結成のドゥ・ワップのビッグ・グループ、ザ・フラミンゴスが登場。今は四人組で美声のテリー・ジョンソンにくわえ、もう一人が黒人で、あとは白人の男女が一人づつ。もともと都会派黒人コーラスの権化のようなグループだがオールディーズ的なノリで米国では興行が求められるのだろう、その人種構成に表れているように、今は肌の色を超えた万人向けのコーラス・グループとして活動しているようだ。だからこそ、黒人色を前面に出した先の出演者たちとはそれなりの表現志向の乖離も出るわけだが(すべてのトラックで、バンドはいるもののカラオケを併用していたことも大きい)、それも黒人芸能のフレキシヴィリティの表れとも取れなくもないし、なにより垣間みられるマナーには洗練や洒脱を介したがゆえの得難い黒人芸を覚えさせる。とくに、最後にやった59年ヒット曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は本当に身がとろけるような名曲。もう、当時の都会派黒人洗練表現の精華と言いたくなる。そんな彼らは、途中で日本の有名曲「川のながれのように」を堂々披露。ちゃんとカラオケもつくってきて、堂々日本語で。お、望外にいいじゃん。候補曲をおくってもらったなか、この曲がいいと本人たちが選んだようだが、心を込めてちゃんと練習したんだろうな。いや、彼らに限らず、日本でパフォーマンスができてうれしいという気持ちがあふれていたのは、他のアクトも同様であったが。みんな初来日だったのかな。それから、ジョンソン氏はけっこう肌がツヤツヤで若々しく見えた。

 そして、最後には全員が出てきて、一緒にやる、3時間半ぐらいは全部でかかったろうな。会場では普段会わないような業界関係者といろいろ会い、5人とそのまま流れる。そしたら、うち一人が、マイケル・ジャクソンの『This Is It』発売のカウント・ダウンをタワー・レコードの渋谷店でやるから観に行かないとのたまう。じゃあ、ついでにとお調子者はむかう。もうちょっと派手なものを予想したけどにゃ。その後、また流れで朝方まで。そのイヴェントの関連者も呼び出したりして。そういえば、皆さんツィッターにご執心。みんな店に入ると、すぐに携帯を見る、打つ。失礼な連中だ。一応、舎弟にさそわれてぼくも入っているが、ほとんどやってません。なんて書いていながら、そのうちハマっていそうでこわいが。みんな、あれだけ画面を覗きたくなるのはそれなりの訳があるのだろう。だが、店に入って一斉に携帯を覗き込むのは異様な光景。ぼくはぜったいにすまい。まあ、携帯を腕時計代わりにつかっているので、ぼくも携帯を手にする回数は多いはずだが。それが、他者には失礼にならないように自戒もしたい。

 好青年のロベルト・フォンセカ(2003年10月14日)には、2001年のころだったか、インタヴューしたことがあった。ちょうど、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)がもりあがり、そこにでていたイブラヒム・フェレールやオマール・モルトゥオンドらの覚えもめでたく、バッキングもしている新進ピアニストというのが触れ込みだったとおもう。そしたら、かなり米国のジャズに精通していて、ジャズの影響力を痛感さられたりもし、一方で、ジャズが好きだからこそ、奔放に自分のジャズを求めたいんだとも語っていたことが、好印象につながっている。

 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。サックス、縦ベース、ドラム、パーカッションを擁してのもの。まさに俊英というに相応しい、ピアノの弾き口を飄々と披露。ときに饒舌に行く場合もあるが、曲趣にのっとって、バンド音とともに自分の絵をときにメロディアスに描いて行く様はそうとう秀逸なピアノの使い手と言えるだろう。が、ぼくがまず彼の今回のパフォーマンスのことを書き留めたくなるポイントは、テーマ部を演奏しているときに、彼がサックス奏者の演奏に合わせるように半数以上の曲で詠唱していたことかな。それ、かなり褒めていうなら、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)のそれに通ずる? ともあれ、声を出す、歌うという行為をあんなにピアノを達者に弾ける人が臆面もなくやってしまっているのが生理的にうつくしい。とともに、それは過剰にジャズでもラテンでもない、<私が感じる、即興を通したロマンティックな音楽>の結実につながっていた。


 4時すぎ、新作を出す渋さ知らズの不破大輔をCD発売会社で取材。ビールをのみながら取材を受けていた彼にならい、ぼくもビールをいただく。そしたら、次々に飲み物や食べ物が出てきて。取材が終わったあともうだうだと飲んでいて、盛り上がって一緒に丸の内・コットンクラブに行く。電車のなかで二人で酎ハイの缶を飲んでいたんだが、ぼくたちの回りだけ空いていたような。ソニー〜コンコードと花形レーベルと契約してきているサンチェス(2003年8月1〜2日)はギターを擁するワン・ホーンのカルテットでの出演。ピアノではなくギターを起用する時点で一つの意思表出になっているが、マーヴィン・スーウェル(2008年8月11日、他)やリオネル・ルエケ(2007年7月24日、他)のような変調奏者ではなく、けっこう普通に弾くギタリストをやとっていることには、少しあてがあずれたけど。そういう面にも表れているように、端正なストレート・ジャズ。とうぜん、不破さんの耳にはあわない(笑い)。

 その後、知人と楽しく飲み、すごーくベロベロとなり、記憶も飛び気味に帰宅。ながら、シャワーをちゃんと(?)浴び、メールとかもチェックしていたら、飲み物を倒してしまい、少ししかかからなかったのに一年間使用のPCがこわれちゃう。あーあ。この原稿はキーのこわれた、反応の薄い別のPCですこしストレスを感じつつ書いている(平仮名が多くなるはず)。修理するか、一年分の原稿をすてて、きれいさっぱり新しいPCを買うか。マックは修理代が高い(2009年8月8日の項を参照)のでそれほどかかる金額は変わらないだろうし、そのほうが生理的には晴れやかな(?)気分になれるだろうけど、、、。ちょいヘコみつつ、思案してマス。


 やっぱ、いろんなスタイルがあって、いろんな逸材がいますね。アメリカの黒人音楽界には。

 まず、六本木・ビルボードライブ東京で、昨年結成20周年をむかえたヒップホップ・チームのデ・ラ・ソウルを見る。うーん、懐かしい。89年だったのだよなあ。あの年、ぼくはNY、シンシナティ、DC、LAとアメリカを旅したことがあって、その際いちばんうれしかったことは『スティール・ホイールズ』・ツアーをしていたザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)を見れたことだったのだが、もう一つとても印象に残っているのは、NYのビーコン・シアターでデビューしたばかりのデ・ラ・ソウルの実演に触れたことだった(ファイン・ヤング・カニバルズの前座でした)。どんどん新しい態度や視点を持つアフリカ系アメリカ人が出ていることを肌で感じたっけ。黄色+青=緑みたいなカラフルな飛躍を持つ彼らの新世代ラップは当時もっとも鮮やかなポップ表現だったとも思う。

 ステージ上にはDJセットだけ。お、潔い。そして、3人が登場し(一人はDJを兼務)、余裕で肉声を重ねる。なんか、姿勢が太いというか、オールドウェイヴじゃ。当時最先端の感覚派ヒップホップ・チームは時代の流れとともに肉感性とまろやかさをましつつ、“人力のヒップホップ”をまっとう。場内の持ち上げ方もときにお茶目にして堂にいったもので、満席の会場もおお盛り上がりだった。

 つづいて、南青山・ブルーノート東京。ブライソンのショウのバンドは前回(2008年一月28日)と同じ編成ながら、よりタイトで整備されているという印象を受ける。そんな演奏のもと出てきた彼はまず会場をくまなく回り、客ひとりひとりと握手。そうなんだよな、この人は。ステージに上がって歌い始めるまでに10分ぐらいかかります。そして、歌ったとたんに、そうなんだよな、この人は……と、また痛感させられる。もうたっぷりした声量で確かな音程、本当に歌える。そして、もてなしの心全開(日本語も効果的に使おうとする)で、客に向かう。長目の生ギター・ソロも2曲で彼は聞かせた。

 そして、一時間ぐらいして、赤い衣服に身を包んだ、レジーナ・ベルが登場。うわああああ、こんなに歌える人だったの! 歌えるだけでなく、彼女はテンションにあふれ、全身全霊を歌に込めるという風情がなんともきっちり外に表れる人だった。ゴスペル色や痛快な野卑さもあり。87年にソニーからデビューしたときは、メロウな“クワイエット・ストーム”路線で行った人だけに、やはり人間にはいろんな顔がありますね。それから、彼女は大学でジャズやクラシックをやっていた人で曲も書く人(弟は、テディ・ライリーの側近にいたバーナード・ベルですね)だが、ちゃんとバンドを掌握し、音を導く感じがあったのも大マル。身体が丸くなり、とっても大歌手っぽいヘア・スタイルをしていた彼女だが、それも違和感がないような。なんか、R&B界のディー・ディー・ブリッジウォーター(2009年11月27日、他)なんて、言いたくもなる私でした。彼女だけで3〜4曲やり、それから、ブライソンとのデュオ曲を歌い20分強勇士を見せてくれただけだが、ぜひぜひぜひ彼女の単独出演を希望。ほんと、ヴァリューありすぎ。ぶっちゃけ、ブライソンより熱い反応を受けていた(彼女も反応にとても感激していた)ように思えたが、それは贔屓の所感だろうか。

 デ・ラ・ソウルもブライソンも、MJやテディ・ペンダーグラスへの追悼を表明していた。


ママズ・ガン

2010年1月29日 音楽
 ママズ・ガン(エリカ・バドゥのアルバム名ですね)は英国人の父親とフィリピン人の母親のもと香港で生まれ育つという属性を持つ英国在住青年である、アンディ・プラッツのリーダー・プロジェクト。昨年デビュー作が出た後、雑誌記事用に質問をださなきゃいけないことがあって、いろいろ調べたのだが、YouTubeを見るとけっこう音楽を知っている奏者たちでアトラクティヴにバンド・サウンドを開いていて、実演には興味大であったのだ。あ、そのさいは、なんとなくスコットランドを拠点とするエル・プレジデンテ(2005年11月21日)を思い出したりもしたか。うぬ、今やそのバンドのことを覚えている人は少ないか。結果は、期待以上(エル・プレジデンテとはあまり重ならないとも思ったけど)。最初はニヤニヤと冷静に見ていたのだが、途中からどんどん高揚してきて、けっこうイエイとか声を出しちゃった。で、うかれて、そのあと深く飲んじゃった。忙しい時期なのに。

 ときにギターを弾きながら歌うプラットに加え、ギター、キーボード、ベース、ドラムという布陣にてのパフォーマンス。とくに、豪州出身らしい痩身/お洒落なベーシストはそのルックスもふくめ、とても秀逸なお方。ぼくが望外に興奮しちゃったのは、そのぐつぐついうベース演奏も活きたバンド・サウンド(コーラスもマル)が良かったことが第一。アルバムだとソウル・ポップという感じだが、生だとメロディアスなロッキン・ファンクと言う感じになるんだもの。そして、アルバムだと少し脆弱に思えるところもあるヴォーカルももっといい感じに聞こえたし、次々送り出される曲に触れていると、やはりプラットはソウル/ファンクへの傾倒を下敷きにする広がりある良い曲を書くナと実感できる。

 アンコールの2曲目はザ・ポインター・シスターズの73年曲「イエス・ウィ・キャン・キャン」(作曲はアラン・トゥーサン)。うれしい。弾けさせていただきました。この曲の有名リフを用いた曲を00年に発表したジョン・スコフィールドは「スリー・シスターズ」と、その曲を名付けましたね。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。今週はけっこう暖かかった。