ヴォーカルとキーボードを担当するパトリック・ワトソンを中心とするカナダの4人組、初の単独来日公演だ。ペキンやシンガポール公演のあとやってきたようだが、とってもうれしい。原宿・アストロホール。外国人の比率は高め。もともと、いろんな音楽要素を抱えたバンドであり、いろんな顔を見せてくれるフクザツな連中だが、そんな4人組に接したことのない人に明解にその真価を伝えるためには、どこから書いていいのか、どう書いていのか、とても戸惑う。だが、それもまた彼らの素敵……過去の来日の模様(2008年11月12日、2009年8月8日)も読んでくださいナ。

 大絶賛の1.500字、行きます。
 
 パトリック・ワトソンは生ピアノを弾いて歌うだけでなく(本編途中とアンコールの最後の曲で、ピアノ弾き語りを聞かせたりも)、プリペアド・ピアノ的な使い方を見せたり、ヘンな音を出すコントローラーを扱ったり、小さいキーボードを弾いたり、拡声器を用いて歌ったり(それをやる人はたまにいるが、拡声器の先にトランペット用のカップを当ててよりモアモア声を出そうとしたりも。そんなことをした人は初めて見た)。マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月7日、2009年12月13日)に習っていたことがある(!)ギタリストはのっけからギターを弓で弾いたり、ときにはアヴァンキャルドな奏法を次々に繰り出したり、マンドリンみたいな小弦楽器をちんまり弾いたり。ベーシストはずっと同じ楽器を手にしていたものの、奏法は多彩でときに和音も効果的に用いたりもする。そして、ドラマーはなぜロックは貧相な8ビートじゃなきゃいけないのという問いかけを孕む多様なビートを送り出し、ときにはマリンバやベルズほかいろんなパーカッションも器用に扱う。アイデアと引き出し、多すぎ。それらからはロックの定型の味付けを避けて創意工夫をこらした先にある楽園や迷宮を作り出そうとする意思があふれまくる。とうぜん、(サウンド・チェックにも一番時間がかけられたろう)今回がこれまでで一番広がりと強さを持っていたと言え、そうじては、ロックな美意識という枠のなかで音響度数とアヴァンギャルド・ジャズ度数とエスノ度数を増していたと指摘できるはずだ。

 その創造性わき上がりまくるバンド表現の根幹をなすのは、ポップ・ミュージックとして確かなメロディと輝きを持つ、粒ぞろいの楽曲群(シンプルな味付け曲だと、ジェフ・バックリーのような透明感を出すか。基本、彼らの曲はブラック・ミュージック臭は強くない)。もしかすると、もっと保守的な割り切り易いサウンドを付けたほうが彼らは大きな支持を集めることができることと思う。だが、それじゃあロックじゃない!という澄んだ意思とともに、自在に弾けとようとする彼ら、本当に素敵すぎる。ああ、今様アート・ロックの権化!

 最後は、例によって、メンバーたちがフロアーにおりて、手作り感覚に満ちまくるパフォーマンスを披露。そう彼らは、フィッシュボーン(2000年7月28日、2000年10月30日、2007年4月6日)やオゾマトリ(2001年10月13日、2002年3月13日、2007年4月6日、2007年10月8日)みたいな捨て身の心意気をもちゃんと出せる連中なのだ! そんな4人の多面体的ロックに触れ、受け手は音楽を生み出される現場ならではの醍醐味や、彼ら生身の真摯さに触れて、言葉を失う……。少なくても、ぼくは。

 唯一、なんかなあと思うのはMCもするリーダーのワトソンが、けっこうラリった調で話すこと。なんか、これだけイケてるポップ・ミュージックを作り出せるのはドラッグの効用もアリかとか、余計なことを考えたくなってしまいます。すごーくツアーをやっている彼らだが(09年新作『ウドゥン・アームス』はツアーの途中、アイスランドやパリなんかでも録音されている)、もう100%音楽バカみたいに見えるワトソンにもちゃんと扶養家族がいることをMCで知り(それを歌った曲をやっていた)、なんか安心したワタシでした。

 とにかく、今トップ・クラスにいろんな事を考えて、“天然”でもあるとってもイマジネイティヴなロックを作り、それをあまりに見事に生の場で開くことができる人たち。もちろん、今年のロックのライヴNo.1はこの晩の実演になるんじゃないか。こんなに、刺激的で味があって、ココロがあって……そんなライヴがそうあってたまるものか!

 その後、とってもいい気分で某所の新年会に出かけたワタシでした。新年会も明日予定のもので、終了……なはず。コンサートも多いし(ライヴは飲みの前座、デス)、1月はマジ全日おおいに飲酒三昧。でも、なんか元気だな。明日は、新型インフルエンザの注射を打ってもらうことになっている。実は、成人になってインフルエンザ予防の注射を受けたことはゼロ。なんか、ノリでそうしちゃった。。。