やっぱ、いろんなスタイルがあって、いろんな逸材がいますね。アメリカの黒人音楽界には。

 まず、六本木・ビルボードライブ東京で、昨年結成20周年をむかえたヒップホップ・チームのデ・ラ・ソウルを見る。うーん、懐かしい。89年だったのだよなあ。あの年、ぼくはNY、シンシナティ、DC、LAとアメリカを旅したことがあって、その際いちばんうれしかったことは『スティール・ホイールズ』・ツアーをしていたザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)を見れたことだったのだが、もう一つとても印象に残っているのは、NYのビーコン・シアターでデビューしたばかりのデ・ラ・ソウルの実演に触れたことだった(ファイン・ヤング・カニバルズの前座でした)。どんどん新しい態度や視点を持つアフリカ系アメリカ人が出ていることを肌で感じたっけ。黄色+青=緑みたいなカラフルな飛躍を持つ彼らの新世代ラップは当時もっとも鮮やかなポップ表現だったとも思う。

 ステージ上にはDJセットだけ。お、潔い。そして、3人が登場し(一人はDJを兼務)、余裕で肉声を重ねる。なんか、姿勢が太いというか、オールドウェイヴじゃ。当時最先端の感覚派ヒップホップ・チームは時代の流れとともに肉感性とまろやかさをましつつ、“人力のヒップホップ”をまっとう。場内の持ち上げ方もときにお茶目にして堂にいったもので、満席の会場もおお盛り上がりだった。

 つづいて、南青山・ブルーノート東京。ブライソンのショウのバンドは前回(2008年一月28日)と同じ編成ながら、よりタイトで整備されているという印象を受ける。そんな演奏のもと出てきた彼はまず会場をくまなく回り、客ひとりひとりと握手。そうなんだよな、この人は。ステージに上がって歌い始めるまでに10分ぐらいかかります。そして、歌ったとたんに、そうなんだよな、この人は……と、また痛感させられる。もうたっぷりした声量で確かな音程、本当に歌える。そして、もてなしの心全開(日本語も効果的に使おうとする)で、客に向かう。長目の生ギター・ソロも2曲で彼は聞かせた。

 そして、一時間ぐらいして、赤い衣服に身を包んだ、レジーナ・ベルが登場。うわああああ、こんなに歌える人だったの! 歌えるだけでなく、彼女はテンションにあふれ、全身全霊を歌に込めるという風情がなんともきっちり外に表れる人だった。ゴスペル色や痛快な野卑さもあり。87年にソニーからデビューしたときは、メロウな“クワイエット・ストーム”路線で行った人だけに、やはり人間にはいろんな顔がありますね。それから、彼女は大学でジャズやクラシックをやっていた人で曲も書く人(弟は、テディ・ライリーの側近にいたバーナード・ベルですね)だが、ちゃんとバンドを掌握し、音を導く感じがあったのも大マル。身体が丸くなり、とっても大歌手っぽいヘア・スタイルをしていた彼女だが、それも違和感がないような。なんか、R&B界のディー・ディー・ブリッジウォーター(2009年11月27日、他)なんて、言いたくもなる私でした。彼女だけで3〜4曲やり、それから、ブライソンとのデュオ曲を歌い20分強勇士を見せてくれただけだが、ぜひぜひぜひ彼女の単独出演を希望。ほんと、ヴァリューありすぎ。ぶっちゃけ、ブライソンより熱い反応を受けていた(彼女も反応にとても感激していた)ように思えたが、それは贔屓の所感だろうか。

 デ・ラ・ソウルもブライソンも、MJやテディ・ペンダーグラスへの追悼を表明していた。