シカゴ・ブルース&ソウル・ショウダウン
2010年1月25日 音楽 自分の進む道を規定した音楽範疇にいる名手を自ら呼んで、同好の士とともに楽しみたい。音楽ファンだったら、そんな思いを持つ人は少なくないだろう。シカゴから世に出たアーティストをいろいろ呼ぶ“シカゴ・ブルース&ソウル・ショウダウン”は日暮泰文と高地明、ブルース・インターアクションズ(旧ザ・ブルース誌、P-ヴァイン他)の創設者二人が同社をリタイアし身軽になって企画したイヴェント。ま、70年代にもブルース・インターアクションズは渋いブルース・マンを何度もよんでいるので、アタマの頃に戻ったと言えなくもないのだが。品川・よしもとプリンスシアター。円形ぽい会場、普段はお笑いをやっているのか。
ハウス・バンドはサザン・ソウル歌手として日本でも相当な人気をあつめたO.V.ライトのバンドにいたというブルース・マンのジョニー・ロウルズ(ヴォーカル、ギター)率いるバンドで、サックスと電気ベースとドラムとキーボードが付く。彼らはずっと出ずっぱり、もう少しまとまりが良くてもよかったかな。そして、最初はそこに木下航志(2007年8月29日)が加わって、彼はエレピをひきながら、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」とジ・インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」を熱唱。彼は後の、ジョニー・ロウルズとミッティ・コリアが歌う場面でも出てきて各一曲づつ一緒に歌う。まさに、彼らにとって木下は“驚異の子”だろうな。
木下が下がり、その後は数曲ジョニー・ロウルズが歌い(けっこう、歌声が溌剌としている)、さらに今79歳というバイザー・スミス(ヴォーカル、ギター)が出てきて、シカゴ・ブルースの襞を陽性に開く。彼らのブルースに触れながら、かつてのブルース・フェスはたちの悪い酔っぱらいがいたりもしたけど、今日はいないナと思う。土日はどうだったんだろ? 今日は5日開かれるなかの最終日だ。
そして、次はチェス・レコードと契約し、60年代中期が全盛だった女性R&Bシンガーのミッティ・コリアがローブをはおって登場。今は自分の教会をもって牧師をしているそうで、プリーチ込みということもあってか、ここからは白人の通訳がステージ袖について、発言を訳す(それは、最後のザ・フラミンゴズも同様)。その通訳、ときに辛抱たまらんという感じで、一緒に歌っているのが笑えた。なんでも、教会関係者や同地選出の国会議員も同行しているとのこと、一体何人で来たのか。一緒に来日した国会議員(まだ30代だろう、アフリカ系女性)は今回のイヴェントのお礼として、やはり同地選出のオバマ夫妻の親書を携えていて、主催者であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへの授与式が行われる一幕も。彼女のMCによれば、向こうのアーティスト送り出しのまとめ役をやったのは、大昔リヴィング・ブルース誌の編集長をやっていたジム・オニール(今はミシシッピ州クラークスデイルでレーベルやってんだっけ?)のようだ。ともあれ、コリアのステージはゴスペル色強く、両手を広げて聞き手に訴える。客席からはかけ声もいい感じで飛ぶ。「ホールド・ザ・ライト」という曲では皆に携帯電話の画面光をかざせたりも。もう堂々の、流儀を開いていましたね。そう、やっぱり、ブルースとゴスペルは根にあるものなのだ。ここまでで、2時間と少し、やったかな。
そして休憩を入れて、52年結成のドゥ・ワップのビッグ・グループ、ザ・フラミンゴスが登場。今は四人組で美声のテリー・ジョンソンにくわえ、もう一人が黒人で、あとは白人の男女が一人づつ。もともと都会派黒人コーラスの権化のようなグループだがオールディーズ的なノリで米国では興行が求められるのだろう、その人種構成に表れているように、今は肌の色を超えた万人向けのコーラス・グループとして活動しているようだ。だからこそ、黒人色を前面に出した先の出演者たちとはそれなりの表現志向の乖離も出るわけだが(すべてのトラックで、バンドはいるもののカラオケを併用していたことも大きい)、それも黒人芸能のフレキシヴィリティの表れとも取れなくもないし、なにより垣間みられるマナーには洗練や洒脱を介したがゆえの得難い黒人芸を覚えさせる。とくに、最後にやった59年ヒット曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は本当に身がとろけるような名曲。もう、当時の都会派黒人洗練表現の精華と言いたくなる。そんな彼らは、途中で日本の有名曲「川のながれのように」を堂々披露。ちゃんとカラオケもつくってきて、堂々日本語で。お、望外にいいじゃん。候補曲をおくってもらったなか、この曲がいいと本人たちが選んだようだが、心を込めてちゃんと練習したんだろうな。いや、彼らに限らず、日本でパフォーマンスができてうれしいという気持ちがあふれていたのは、他のアクトも同様であったが。みんな初来日だったのかな。それから、ジョンソン氏はけっこう肌がツヤツヤで若々しく見えた。
そして、最後には全員が出てきて、一緒にやる、3時間半ぐらいは全部でかかったろうな。会場では普段会わないような業界関係者といろいろ会い、5人とそのまま流れる。そしたら、うち一人が、マイケル・ジャクソンの『This Is It』発売のカウント・ダウンをタワー・レコードの渋谷店でやるから観に行かないとのたまう。じゃあ、ついでにとお調子者はむかう。もうちょっと派手なものを予想したけどにゃ。その後、また流れで朝方まで。そのイヴェントの関連者も呼び出したりして。そういえば、皆さんツィッターにご執心。みんな店に入ると、すぐに携帯を見る、打つ。失礼な連中だ。一応、舎弟にさそわれてぼくも入っているが、ほとんどやってません。なんて書いていながら、そのうちハマっていそうでこわいが。みんな、あれだけ画面を覗きたくなるのはそれなりの訳があるのだろう。だが、店に入って一斉に携帯を覗き込むのは異様な光景。ぼくはぜったいにすまい。まあ、携帯を腕時計代わりにつかっているので、ぼくも携帯を手にする回数は多いはずだが。それが、他者には失礼にならないように自戒もしたい。
ハウス・バンドはサザン・ソウル歌手として日本でも相当な人気をあつめたO.V.ライトのバンドにいたというブルース・マンのジョニー・ロウルズ(ヴォーカル、ギター)率いるバンドで、サックスと電気ベースとドラムとキーボードが付く。彼らはずっと出ずっぱり、もう少しまとまりが良くてもよかったかな。そして、最初はそこに木下航志(2007年8月29日)が加わって、彼はエレピをひきながら、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」とジ・インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」を熱唱。彼は後の、ジョニー・ロウルズとミッティ・コリアが歌う場面でも出てきて各一曲づつ一緒に歌う。まさに、彼らにとって木下は“驚異の子”だろうな。
木下が下がり、その後は数曲ジョニー・ロウルズが歌い(けっこう、歌声が溌剌としている)、さらに今79歳というバイザー・スミス(ヴォーカル、ギター)が出てきて、シカゴ・ブルースの襞を陽性に開く。彼らのブルースに触れながら、かつてのブルース・フェスはたちの悪い酔っぱらいがいたりもしたけど、今日はいないナと思う。土日はどうだったんだろ? 今日は5日開かれるなかの最終日だ。
そして、次はチェス・レコードと契約し、60年代中期が全盛だった女性R&Bシンガーのミッティ・コリアがローブをはおって登場。今は自分の教会をもって牧師をしているそうで、プリーチ込みということもあってか、ここからは白人の通訳がステージ袖について、発言を訳す(それは、最後のザ・フラミンゴズも同様)。その通訳、ときに辛抱たまらんという感じで、一緒に歌っているのが笑えた。なんでも、教会関係者や同地選出の国会議員も同行しているとのこと、一体何人で来たのか。一緒に来日した国会議員(まだ30代だろう、アフリカ系女性)は今回のイヴェントのお礼として、やはり同地選出のオバマ夫妻の親書を携えていて、主催者であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへの授与式が行われる一幕も。彼女のMCによれば、向こうのアーティスト送り出しのまとめ役をやったのは、大昔リヴィング・ブルース誌の編集長をやっていたジム・オニール(今はミシシッピ州クラークスデイルでレーベルやってんだっけ?)のようだ。ともあれ、コリアのステージはゴスペル色強く、両手を広げて聞き手に訴える。客席からはかけ声もいい感じで飛ぶ。「ホールド・ザ・ライト」という曲では皆に携帯電話の画面光をかざせたりも。もう堂々の、流儀を開いていましたね。そう、やっぱり、ブルースとゴスペルは根にあるものなのだ。ここまでで、2時間と少し、やったかな。
そして休憩を入れて、52年結成のドゥ・ワップのビッグ・グループ、ザ・フラミンゴスが登場。今は四人組で美声のテリー・ジョンソンにくわえ、もう一人が黒人で、あとは白人の男女が一人づつ。もともと都会派黒人コーラスの権化のようなグループだがオールディーズ的なノリで米国では興行が求められるのだろう、その人種構成に表れているように、今は肌の色を超えた万人向けのコーラス・グループとして活動しているようだ。だからこそ、黒人色を前面に出した先の出演者たちとはそれなりの表現志向の乖離も出るわけだが(すべてのトラックで、バンドはいるもののカラオケを併用していたことも大きい)、それも黒人芸能のフレキシヴィリティの表れとも取れなくもないし、なにより垣間みられるマナーには洗練や洒脱を介したがゆえの得難い黒人芸を覚えさせる。とくに、最後にやった59年ヒット曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は本当に身がとろけるような名曲。もう、当時の都会派黒人洗練表現の精華と言いたくなる。そんな彼らは、途中で日本の有名曲「川のながれのように」を堂々披露。ちゃんとカラオケもつくってきて、堂々日本語で。お、望外にいいじゃん。候補曲をおくってもらったなか、この曲がいいと本人たちが選んだようだが、心を込めてちゃんと練習したんだろうな。いや、彼らに限らず、日本でパフォーマンスができてうれしいという気持ちがあふれていたのは、他のアクトも同様であったが。みんな初来日だったのかな。それから、ジョンソン氏はけっこう肌がツヤツヤで若々しく見えた。
そして、最後には全員が出てきて、一緒にやる、3時間半ぐらいは全部でかかったろうな。会場では普段会わないような業界関係者といろいろ会い、5人とそのまま流れる。そしたら、うち一人が、マイケル・ジャクソンの『This Is It』発売のカウント・ダウンをタワー・レコードの渋谷店でやるから観に行かないとのたまう。じゃあ、ついでにとお調子者はむかう。もうちょっと派手なものを予想したけどにゃ。その後、また流れで朝方まで。そのイヴェントの関連者も呼び出したりして。そういえば、皆さんツィッターにご執心。みんな店に入ると、すぐに携帯を見る、打つ。失礼な連中だ。一応、舎弟にさそわれてぼくも入っているが、ほとんどやってません。なんて書いていながら、そのうちハマっていそうでこわいが。みんな、あれだけ画面を覗きたくなるのはそれなりの訳があるのだろう。だが、店に入って一斉に携帯を覗き込むのは異様な光景。ぼくはぜったいにすまい。まあ、携帯を腕時計代わりにつかっているので、ぼくも携帯を手にする回数は多いはずだが。それが、他者には失礼にならないように自戒もしたい。