風の又三郎—Odyssey of Wind-
2014年10月9日 音楽 小池博史(2005年12月8日、2006年12月21日)演出/脚本/振り付け/構成のパフォーマンスのマチネー公演を見る。そっち方面に滅法うといぼくが見に行ったのは舎弟の工藤玄実ことBANANA ICEこと下町兄弟が、これにライヴ演奏家としてステージに立ったからだ。演劇表題が示すように宮沢賢治の有名作品を下敷きにするもので、これは小池にとって、宮沢賢治のプロダクツを扱う3作目となるよう。
出演者の中心は5人の男性。そして、ときどき静的な感じでふわりと異化作用を出す感じでステージに表われる女性が一人。彼らは複数の役をこなすが、衣装はそれほど変わらないので、まぬけなぼくは場面設定の流れがよく読めなかったりもした。が、風をモチーフとするゆえ、役者たちの動きはなかなかスペクタクル(役者の方々、たいへんだろうなあ)、シンプルな設定のなかいろいろと変化のある見せ方が取られていて、全90分一気に接しちゃう。
役者たちはそれなりに年配の方から若者までいろいろ。年長の人はハマった能ふうの声もだしたが、実際普段は能をやっているのだそう(そんな彼もよく動いていた)。また、一部ガムランのゴング(?)を役者が奏でる場面もあったが、その方はガムランをやっている人とか。といったように、とてもしなやかに、いろんなところから人材を引っ張って来て、この場この時の演劇/パフォーマンスを作ろうとしているのは明らか。もう、随所から様々な送り手の自負と熱意がさあっと吹き流れていったり、渦をまいていたりしたな。ステージ上の重要モチーフである煙突ふうのオブジェは原発を想起させた。
そして、書き遅れたが、ステージ左右に尺八奏者(中村明一)とパーカッカッション/鳴りもの奏者(下町兄弟。2005年12月8日、2006年12月21日)が位置し、リアル・サウンドをつける。また、一部では別のところでオペレイトしているのだろう、控え目に音効も入る。演劇が始まってすぐに、生の奏者を横に置いている意図を納得。だって、役者たちはパーカッション音で動き出す事が多く、アクションやセリフもとても打楽器音と密に関与し合っている。こりゃ、相当一緒に練習時間を持っていろんな行き方が決まっていったのは疑いがなく、繰り返しの作業が嫌いなぼくは気が少し遠くなった。で、人前でやっている段階においても、スポテニアスな部分があると、思わせるわけであり……。いや、まじ、音楽が占める割合、ええっていうぐらい高いナ。下町兄弟は本業のラップも少し披露するとともに、役者たちのラップふう台詞にも関与したよう。
▶過去の、小池博史
http://43142.diarynote.jp/?day=20051208
http://43142.diarynote.jp/200612270253390000/
▶過去の、下町兄弟
http://43142.diarynote.jp/?day=20051208
http://43142.diarynote.jp/200612270253390000/
<今日の、吉祥寺>
おそらく吉祥寺に来るのは、グレン・ティルブルック公演で来た2011年1月16日いらい。ほう、3年半ぶりかとなるのか。井の頭線吉祥寺駅が綺麗になっていて、へえ〜。周辺、きょろきょろ。そしたら、翌日のカインドネス/アダム・ベインブリッジの取材の際に、綺麗な通訳嬢から昨日吉祥寺にいましたよねと言われる。アホ面して、ぼうっと歩いていたのかな。演劇ファンじゃないので、会場となった吉祥寺シアターには初めて行く。新し目の、なかなか立派なホールじゃないか。天井は高く、ステージも十分にスペースがとってあるが、壇になる客席の数はそれほど多くはないもので、とても贅沢な作りという感想もえた。武蔵野市の外郭団体が持っているようだが、確かに私企業営利目的ではこの施設は運営がなりたたないだろう。平日昼間の公演で、客層は見事に散っていた。演劇やクラシック音楽系会場に行くと、いつもしょぼいビニール袋に入れられた山ほどの公演告知のフライヤーをもらうことになるが、それらちらしを会場で見ちゃうと、元に戻すのが困難になってしまったりする。その点、今日はこの公演特製の布製手提げ袋にチラシがいろいろ入れられていて、持ち帰りにも適。資源の無駄遣いとは思わず、細やかな思慮と、ぼくは感じた。帰りの電車内でも、楽々とフライヤーを見ることができました。
出演者の中心は5人の男性。そして、ときどき静的な感じでふわりと異化作用を出す感じでステージに表われる女性が一人。彼らは複数の役をこなすが、衣装はそれほど変わらないので、まぬけなぼくは場面設定の流れがよく読めなかったりもした。が、風をモチーフとするゆえ、役者たちの動きはなかなかスペクタクル(役者の方々、たいへんだろうなあ)、シンプルな設定のなかいろいろと変化のある見せ方が取られていて、全90分一気に接しちゃう。
役者たちはそれなりに年配の方から若者までいろいろ。年長の人はハマった能ふうの声もだしたが、実際普段は能をやっているのだそう(そんな彼もよく動いていた)。また、一部ガムランのゴング(?)を役者が奏でる場面もあったが、その方はガムランをやっている人とか。といったように、とてもしなやかに、いろんなところから人材を引っ張って来て、この場この時の演劇/パフォーマンスを作ろうとしているのは明らか。もう、随所から様々な送り手の自負と熱意がさあっと吹き流れていったり、渦をまいていたりしたな。ステージ上の重要モチーフである煙突ふうのオブジェは原発を想起させた。
そして、書き遅れたが、ステージ左右に尺八奏者(中村明一)とパーカッカッション/鳴りもの奏者(下町兄弟。2005年12月8日、2006年12月21日)が位置し、リアル・サウンドをつける。また、一部では別のところでオペレイトしているのだろう、控え目に音効も入る。演劇が始まってすぐに、生の奏者を横に置いている意図を納得。だって、役者たちはパーカッション音で動き出す事が多く、アクションやセリフもとても打楽器音と密に関与し合っている。こりゃ、相当一緒に練習時間を持っていろんな行き方が決まっていったのは疑いがなく、繰り返しの作業が嫌いなぼくは気が少し遠くなった。で、人前でやっている段階においても、スポテニアスな部分があると、思わせるわけであり……。いや、まじ、音楽が占める割合、ええっていうぐらい高いナ。下町兄弟は本業のラップも少し披露するとともに、役者たちのラップふう台詞にも関与したよう。
▶過去の、小池博史
http://43142.diarynote.jp/?day=20051208
http://43142.diarynote.jp/200612270253390000/
▶過去の、下町兄弟
http://43142.diarynote.jp/?day=20051208
http://43142.diarynote.jp/200612270253390000/
<今日の、吉祥寺>
おそらく吉祥寺に来るのは、グレン・ティルブルック公演で来た2011年1月16日いらい。ほう、3年半ぶりかとなるのか。井の頭線吉祥寺駅が綺麗になっていて、へえ〜。周辺、きょろきょろ。そしたら、翌日のカインドネス/アダム・ベインブリッジの取材の際に、綺麗な通訳嬢から昨日吉祥寺にいましたよねと言われる。アホ面して、ぼうっと歩いていたのかな。演劇ファンじゃないので、会場となった吉祥寺シアターには初めて行く。新し目の、なかなか立派なホールじゃないか。天井は高く、ステージも十分にスペースがとってあるが、壇になる客席の数はそれほど多くはないもので、とても贅沢な作りという感想もえた。武蔵野市の外郭団体が持っているようだが、確かに私企業営利目的ではこの施設は運営がなりたたないだろう。平日昼間の公演で、客層は見事に散っていた。演劇やクラシック音楽系会場に行くと、いつもしょぼいビニール袋に入れられた山ほどの公演告知のフライヤーをもらうことになるが、それらちらしを会場で見ちゃうと、元に戻すのが困難になってしまったりする。その点、今日はこの公演特製の布製手提げ袋にチラシがいろいろ入れられていて、持ち帰りにも適。資源の無駄遣いとは思わず、細やかな思慮と、ぼくは感じた。帰りの電車内でも、楽々とフライヤーを見ることができました。