リバティ・シップ

2014年10月24日 音楽
 エサ・ピエティラ(テナー・サックス)、アキ・リッサネン(ピアノ、エフェクト)、アンッティ・ロジェネン(ベース)、オラヴィ・ロウヒヴォリ(ドラムス)からなる、ノルウェーのクインテットを見る。渋谷・elephant studio。

 自力とセンスに秀でた演奏は問答無用のクリエイティヴティありで、ノルウェーのジャズ水準はすごいと、改めて唸らされる。リーダーはテナー・サックス奏者だが、他の奏者もとても立派。そのアドヴァンテージを前提におく、長い尺がとられる曲の動きにまず大きく頷く。譜面もおいてないし、基本は即興の連なりだろうが、どのぐらい決め事はあるのか。とにかく、聞いていて興味深くてしょうがない。曖昧な書き方になるが、その流れに添え木的な違和感覚がなく、有機的にて、ドラマティックで、自然。そして、それは純ジャズ(フリー・ジャズ)要素とジャズ・ビヨンド要素を自在につないでいたりもする。それゆえ、彼らは、先日見たラビット(10月22日)とも無理なく一緒に出来るはず。1部の途中で、菊地雅章(1999年11月3日(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)の「サークル/ライン」の一節のリフとかなり似るベースのフレイズが続くときもあった。ドキドキした。

 4人は、皆いろんな奏法を曲趣とともに見せる。テナー奏者は効果音的なタンギングの使い方も吉。ピアノ(この日は、ノード・エレクトロをピアノ音で使用)奏者はパッドで控え目ながら効果的に電気音干渉も行ったが、彼の鍵盤ソロがほぼパップ的手法を排する(絶対、繰り出そうと思えば出来るはず)散文的なもので印象的。コントラバス奏者も電気音的な効果を兼ねる弓引き音を用いたり、いろいろボディを叩いたり。そして、ドラマーも多様な叩き方(ブラシ、マレット、素手も、スティックとともに用いる。また、弓でシンバルをこすったり)でグループ表現を活性化させる。それらの総体は、ジャズなんだけどジャズ越えの音をきっちりモノにする、というもの。いや、各人の様、見物でした。

 接していて、ウィブティー(2002年5月8日)とアトミック(2005年4月12日、2008年12月7日)の間を行く、という感想ももったか。2部では日本人ペインター、日本人テナー・サックス奏者が1曲づつ加わる。ちゃんと渡り合った後者はかなり実力者だった。

▶過去の、ラビット
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
▶過去の、菊地
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
▶過去の、ウィブティ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
▶過去の、アトミック
http://43142.diarynote.jp/200504151005000000/
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/

<今日の、発想>
 今回のパフォーマンスで電気音をだしていたのはピアニストのリッサネンのみ。事前のパーソネルを見ると他のメンバーも電気音に関与しそうであったがそれはなし。先に触れているようにリッサネンはここではピアノではなくピアノ音色の電気キーボードを弾いたが、それはピアノを置けない会場だったからだろう。数日前にやった彼らの新宿・ピットインでの公演は当然グランド・ピアノを用いたと思われる。また、その際、他のメンバーはもう少し電気音出しに関与したのだろうか。なんにせよ、面々の達者にして臨機応変な演奏に触れていると、当然柱となる<リバティ・ハウス表現回路>というのはあるだろうが、与えられた環境やブツ(楽器)で俺たちはどうにでも行けるし、個性や技量をちゃんと発揮できると、彼らが胸を張っているとしか思えなかった。
 そして、そんな4人を見ていて、さらに思ったことが一つ。しなやかなスタンスをとる奏者で、自分の楽器や機材を持たず、出向いた先々であてがわれたもので悠々と、その一期一会を楽しむように演奏する人はいないか。楽器や設定やPAが違えば、自ずと同じ曲をやっても様相は変わるはずで、新たな変化の種を山ほど加わる。なれない楽器でも、ダメな音響でも、なだめたり、工夫したりして、楽器をモノにし、音楽を奏でる。それ、魅力的ではないか。そういう逆境から生まれる、神経質ではない鷹揚な音楽って、ぼくは好きだなあ。