富ヶ谷・Hakuju Healthtron。ビル上階にあるホールではなく、Ⅰ階入り口横のスペースにベーゼンドルファが置かれたことで持たれたような公演。マチネをやった後の夜の公演で、二部制。ノーPA(MCも)なり。公演は“玉響(たまゆら)”という名称が付けられていた。
一部はピアノ・ソロを中心とするパフォーマンスで、オリジナル主体。前衛的なことをする人かと思ったら、生理的に優しい、聞き手に安らぎ与えるようなパフォーマンスをする。それ、サロン的なノリ の公演に会わせた部分もあったかもしれない。一音一音を明晰に出し、その隙間や重なりの奥から、もう一つの広がりや世界を示唆せんとする演奏だったとも言いたくなるか。“嵐”を洗練の奥にほんのり息づかせる。2曲では、庸蔵がアルト・サックスで加わる。ここでは静的な演奏をした彼、近く新作(菊地成孔が推薦キャッチを書いている)を出すそう。
二部は、3分2の曲で、ポール・ドロシュという米国人ギタリスト(1曲ではウードを弾く)が加わり、サカタもギリシャ古楽器であるプサルタという楽器を持つ。20何弦かの弦を持つ卓上型の弦楽器で、彼女はそれをボウでシンプルに響かせる。多大な個性を持つ楽器とはぼくは思わなかったが、それにより送り出す音楽の時代性や地域性がより迷宮入りすりうような方向性が与えられたのは確か。こちらの項では、ジャンゴ・ラインハルト、ヘンリー・マンシーニ、パット・メセニー、エグベルト・ジスモンチなどの曲を取り上げた。
<今日の、光景>
公演後にタクシーを拾おうとして山手通りに出ると、なんか警官が散見される。警官運搬用のバスも止まっていた。そういう光景に出くわすと、なんかこの辺り物騒な地区なのかと思えてきちゃう。それとも、要人が住んでいる?
一部はピアノ・ソロを中心とするパフォーマンスで、オリジナル主体。前衛的なことをする人かと思ったら、生理的に優しい、聞き手に安らぎ与えるようなパフォーマンスをする。それ、サロン的なノリ の公演に会わせた部分もあったかもしれない。一音一音を明晰に出し、その隙間や重なりの奥から、もう一つの広がりや世界を示唆せんとする演奏だったとも言いたくなるか。“嵐”を洗練の奥にほんのり息づかせる。2曲では、庸蔵がアルト・サックスで加わる。ここでは静的な演奏をした彼、近く新作(菊地成孔が推薦キャッチを書いている)を出すそう。
二部は、3分2の曲で、ポール・ドロシュという米国人ギタリスト(1曲ではウードを弾く)が加わり、サカタもギリシャ古楽器であるプサルタという楽器を持つ。20何弦かの弦を持つ卓上型の弦楽器で、彼女はそれをボウでシンプルに響かせる。多大な個性を持つ楽器とはぼくは思わなかったが、それにより送り出す音楽の時代性や地域性がより迷宮入りすりうような方向性が与えられたのは確か。こちらの項では、ジャンゴ・ラインハルト、ヘンリー・マンシーニ、パット・メセニー、エグベルト・ジスモンチなどの曲を取り上げた。
<今日の、光景>
公演後にタクシーを拾おうとして山手通りに出ると、なんか警官が散見される。警官運搬用のバスも止まっていた。そういう光景に出くわすと、なんかこの辺り物騒な地区なのかと思えてきちゃう。それとも、要人が住んでいる?