ホール&オーツの来日は、6年ぶり。有楽町・東京国際フォーラム/ホールA。今回のツアーは<Do What You Want, Be What You Are 2011 Tour>と名付けられており、それは09年リリースのボックス・セットのタイトルを持ってきたもの。ステージ背景にはそのジャケ絵柄が一時映されもした。バンドは6人編成、前回の来日(2005年3月21日)の際より、一人(打楽器奏者)が増えている。基本、”ロックン・ソウル”なノリは変わらないが、今回の方がバンド・サウンドの剛性感は少し高かったかも。で、驚いたのは、披露した15曲すべてが70〜80年代のものだったこと。1曲ぐらい新曲をやってもいいのでは、とは、やっぱ思いますね。とはいえ、誠心誠意やっていたし、年寄り多しのオーディエンスも嬉しや〜とのっけから立つ人が多かった。ぼくも変な馴染みのない駄曲をやられるんだったら、その方が良い。彼らには新しさではなく、懐かしさや普遍性を求めちゃうんだろうな。って、そういう書き方は、一時はモダン・ポップの先鋒的な位置も得ていた彼らにとって好ましい見解かどうかは微妙だけど。今回、ダリル・ホールはずっとギターを持って歌っていて、後半の5曲ぐらいはキーボードを弾きながら歌った。なお、2階席の前の方で見ていたが、客がよりわいた後半はぐわんぐわんとフロアが揺れて気持ち悪いことこの上なし。少し恐怖も覚えた。本当に、あれで、いいの? 施設管理者はあの状態をちゃんと知っているのだろうか。

 そして、通りを挟んで向かい側に位置する、丸の内・コットンクラブに行って、テナー・サックス奏者のカーク・ウェイラムを見る。ジャンル的にはスムース・ジャズに属する人だが、今回はゴスペルをやるライヴという触れ込み、なり。そしたら、そんなにやらなかったけど。58年メンフィス生まれの彼は牧師の息子で、ゴスペル伴奏で腕を磨いたというキャリアを持つ御仁、「メンフィスをコットンクラブにもってくるよ」というようなMCには少し萌えた。

 ところで、ぼくはスムース・ジャズが基本苦手だが、それについては山岸潤史(2010年8月4日、他)から優しく諭されことがあった。彼のニューオーリンズの自宅に遊びに行ったときに、“スムース・ジャズもまたブラックネス表出の回路の一つ。俺は好きだぞ”、みたいなことを、彼は言った。なるほど、彼が東京時代にやっていたチキン・シャックはそれとかぶるよな。黒人アクトでも、ファンキー曲にまじり、スムース・ジャズ的表現をチル・アウトなノリでいれるのは、よくあるわけで……。でも、ぼくの耳には痒く聞こえるものが少なくないのは事実だ。

 ウェイラムは朝顔のところに付けたマイクで音を拾い、それを飛ばして、PAから音を出す。だから、どこでも吹けるというわけで、最初に一人で吹きながら出てきて、ステージ上で独奏。しばらくして、ドラマーがそれに合わせるように重ったが、なんかいい感じ。このドラマーがもうどかすかアグレッシヴに叩く(レギュラー・グリップにて)人で、それにはニヤリ。これじゃ、スムース・ジャズになりません、って。とかなんとか、思った以上にスピード感を持つ行き方ででショウは進められるとともに、ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」なんかをやるとかなりジャズ性が高いし、一方ではキーボード奏者や本人やベーシストが歌ったり声を重ねて、歌濃度を全開にする部分もある。雄弁、という言葉も、ぼくは思い浮かべたかな。アンコールでやった「フォーリング・イン・ラヴ・ウィズ・ジーザス」というジョナサン・バトラー作のコンテンポラリー・ゴスペル曲は特にいい感じだった。彼は昨年に、ダニー・ハサウェイのカヴァー盤をだしていて、中盤ではハサウェイの「ラヴ、ラヴ、ラヴ」と「サムデイ・ウィール・オール・ビー・フリー」をやったりもし、なるほど、この時が一番スムース・ジャズ色が高ったか。で、先の山岸発言を思い出したりもした次第。
 
<今日の投函ブツ>
 日課の一つが、正午すぎに郵便受けを覗くこと。今日ポストの中を見ると、郵便物や宅急メール便とともに、政権党をバッシングする、政治的怪文書が3枚いれられている。わお。けっこう文字数も多く、それなりに手間がかかっている感じ。そこには、一介の主婦が義憤にかられて作りました、みたいな記載も。地域によってはよくあることなのかもしれないが、こんなの配布されたの、ぼくはあんまし記憶なし。選挙、近付いているのかな……と、感じたりして。その生理的に下品なフライヤー、読む気は全然しなかった→好奇心、落ちているのかな〜?