トーキョー・ライフ、復帰。調子、出ねーだろーなーと思ったら、何はからん。生理的にすいすい。おぉリフレッシュ、爽やかだ。

 ジャック・ジョンソン(2007年4月5、6日、他)の後押しで広くロック界で知られるようになった、著名プロ・サーファー/シンガー・ソングライター(2003年9月30日、2009年1月15日)、昨年のフジ・ロックに続く来日パフォーマンス。渋谷・クラブクアトロ(彼の場合、このぐらいの広さがちょうどいかも)、2日間の初日。ステージの楽器配置は、ドラムとキーボードが両端。普通、ドラマーが位置する中央後方にはデカいマーシャル・アンプが鎮座。とはいえ、もちろん轟音サウンドを出すわけではなく、電気楽器を用いていてもどこかほのぼのオーガニックな質感を持つんだけどね。

 生ギター(ときに、電気ギターも弾く。その際は、左利き用のものを逆さに構える)を弾きながら歌うフランケンレイターにプラスして、電気ギター、キーボード(3曲ほどトランペットを吹いたりも)、ベース、ドラム奏者という陣容。みんな長袖のシャツを着ているのに、フランケンレイターは半袖のTシャツ。さすが、サーファーは寒さに強い? サーファーぽいと言えば、彼の音楽技量はサーフィン後の余暇にギターを爪弾いて磨かれたなんて言われたりもするが、彼はギターを弾くときにピックやカポを用いないのに触れて(あんまし、エフェクターにも凝らないと思う)、なるほど。ほんと、それはちょっとした息抜き/チル・ダウンの時間にひょいっとギターを手にすることで積み上げられたものだろう。電気ギターを持つ際はギター・ソロを取ったりもする(それ、まっとう)が、その際もフィンガー・ピッキングでしていた。

 心優しい、さばけた、滋味表現。前回よりそういうノリは強まっていたのではないか。それと、今回感じたのは、フランケンレイターってけっこうソウル好きなんじゃないか、ということ。彼が持つ円満なメロウネスは、そっち方面の愛好から来ている部分があるような気がした。本編の最後は、子供を得た喜びを綴った人気曲「コール・ミー・パパ」。そしてそれに続いて、デレク&ザ・ドミノスの「レイラ」の中盤以降の著名インスト・パートが演奏され、それが続くなかフランケンレイターはステージを去る。あれれ。他愛ないお膳立てではあるけど、なんか意義深い、気持ちあるショウが終わったとうキブンを覚えちゃったじゃないか。なんか、いい気分。ほんわか。なんか、今年もいい1年になるような気がとってもしちゃった。

<今日のポンポコ>
 年賀状に、趣味良くニンジンをあしらった絵柄のものが。綺麗だけど、何でだろ? 電話する用事があったのでお礼かたがた尋ねると、ウサギの好物でしょとあっさり返される。あっりゃ〜、そんな当たり前のこと、なぜかピンとこなかった。なんか、純真な気持ちをどっかに置いてきているような気になって、少しかなしくなった。杵とか餅つき道具を小さくあしらった賀状もあったが、そっちはなんとなくすぐにウサギに結びついたんだけど。ひゅう〜。

 新年6日が発売日の石橋(2001年9月22日、2008年1月30日、2010年4月15日)のジム・オルーク(2010年11月17日、他)制作の新作『Carapace』をフォロウする公演、六本木・スーパーデラックス。会場に入るときに当日券を求める人が階段のところで少し列になっていたが、じっさい混んでいた。その新作に録音参加している勝井佑二(2009年7月26日、他)も見に来ていたが、こんなに混んでいるスーパーデラックスは久しぶりと言っていたな。てなわけなんで、後のほうに立っていると、あまり演奏者が確認できない。こういう状況だと、ステージの模様をおさえるモニターを所望したくもなるが。

 露払い役で、まず七尾が出てくる。ガット・ギターを爪弾きながら、自分のメロディや息づかいを通して、彼ならではの感受性をさあっと表出して行く。時に加える残響や効果音もふくめ、完全に自分の世界/回路を持っていて、すごい。ディズニー・ソングの「星に願い」を日本語詩で歌ったり、石橋の曲を歌ってみたり。というのは、この晩の特別メニューだったのかな。洋楽にずっと触れてきた人と思うが、MCはもろに邦楽の人という感じで、じっとり長い。最後に1曲、石橋がピアノで加わる。

 休憩を挟んで、マルチな才を発揮している石橋のパフォーマンス。アップライト・ピアノの、たゆたふ弾き語り。なるほど、豊かな造詣や趣味の良さの裏返しといいたくなる、ちょい普通ではない仕掛けや噛み合いを持つ、流れていく感覚も持つ曲を淡々と開いていく。歌の合間の、ピアノ演奏も長め。インプロヴィゼイショナルだとはそんなに感じないが、起伏と啓発とストーリー性に富んでいるとは間違いなく言えるし、彼女ならではの確かな個性を持つ。これで歌が聞き手に訴求するサムシングをさらに持っていたらと、ぼくは生に触れて思ったりもするが、これだけおおらかなのに才気走った曲を書けて、自在に開けるんだもの。何の文句があろうか。

 途中で、石橋を前に見たときも絡んでいたダンサーのタカダアキコ(2008年1月30日、2010年5月22日)が踊りで協調する曲もあり、当然七尾が加わる曲もあり。日本のシンガー・ソングライター水準は高い、二人の実演に触れてそう感じる事しきりの晩でした。

<今日の空>
 17時少し回って家を出たのだが、ちょうど陽が沈む頃で、オレンジ色と藍色がすうっとつながる空の色がなんとも綺麗。でもって、空気が澄んでいるせいか、三日月もくっきり。芸のない言い方をすれば、ちょい“心が洗われる”思い。いやあ、俳句の一つでも作りたくなりました。って、作った事ないけど。基本12月ぐらいから、ほんと晴天の日が続いているのではないか。昼間は日差しが部屋に気持ちよく入り、暖房なんかいらないもんな。それ、生理的にほんと気分がやすらぐ。7日の夜、新年会の一次会が終わって外に出たときは風があって震えたが、この円満な冬の日ができるだけ続いてほしいっ。

 ここのところ、けっこう来日しているニューオーリンズR&Bのメロウな大才人(2006年5月31日、2006年6月1日、2007年10月21日、2009年5月29日)、六本木・ビルボードライブ東京。セカンド・ショウ、

 ソウル・フュージョン期のラムゼイ・ルイス(2010年9月28日、他)がやりそうなインスト曲で、実演はスタート。ピアノを弾きながら歌う本人に加えて、前回来日と同様のギター、電気ベース、ドラム、サックス。さらに、今回はパーカッション奏者も付く。で、ショウに触れているうちに、過去に増して、トゥーサン御大が溌剌なのを確信する。ピアノの指さばきはとても切れがあり、節目のフレイジングはばっちりテンションがこもり、歌声も良く出ている。それは彼がいい状態でロード(ツアー)を続けているためであるだろうし、バンドもよりこなれているのもプラスしているだろう。そういえば、ギターのポーシェさん、今回は曲によってはトロンボーンを吹いたり、サンポーニャみたいな音色の笛を吹いたりも。ジョー・ヘンリー(2010年4月2日、4月4日)制作のインスト・アルバム『ザ・ブライト・ミシシッピー』新作からも、セロニアス・モンク作のタイトル曲や大トラッドの「セイント・ジェイムズ・インファーマリー」やシドニー・ベシエの「エジプシャン・ファンタジー」をやるなど、今回はインスト比率は高かったとも言えるか。当然、編成も違うから、アルバムとはアレンジ/曲趣も異なるわけだが。

 というか、「スニーキング・サリー・スルー・ジ・アリー」(故ロバート・パーマーのヴァージョンでも知られますね)をはじめ耳馴染みのヴォーカル曲でも、自由自在な感じは随所に。本編最後にはニューオーリンズ・スタンダード「ティピティナ」を弾きだしつつ、どんどんフリーフォームでいろんな曲断片〜いくつものクラシック曲やサウンド・オブ・ミュージックの「エーデルワイス」やデイヴ・ブルーベックの「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」や中村八大の「スキヤキ」他〜を差し込む演奏にも、彼らしさは横溢。アンコールは意外にもブルース曲だったが、それも途中からいろいろな差し込みがなされる。
 
 90分の、地域に根ざした、名人芸の余裕の開示……。ぼくが見た彼のショウのなかで、一番力があった。終演後、しっかりと座ってそのパフォーマンスを堪能していたお客さんたちが自然にスタンディング・オヴェイション、いい光景でした。

 <洒脱や一握りのエレガントさ>と<ブラック・ミュージックをそれたらしめるもの>を、一番あわせられる御仁。であるとともに、胸のすくポップネスも無理なく持つ人。だから、ポール・マッカートニーが大ファンであるのもよく解る。彼は自分の大パーティにトゥーサンを呼んだり、『ヴィーナス・アンド・マース』でピアノを弾かせていますね。トゥーサン(38年生まれ)とマッカートニー(42年生まれ)の共演作を切に希望! それはトゥーサンとエルヴィス・コステロ双頭作の6倍は素晴らしい仕上がりになるはずだ。

<今日の着物>
 公演後、例により、流れる。行った先が貸し切りだったりで、なら渋谷に行きましょうとなる。駅には着物姿の若い女性がちらほら。同行者に成人式帰りだよねと言われて、やっと了解。なんか、気張った新年会帰りのおねーちゃんたちかと、ぼくは思ってしまってた。オレ、成人式のときはまだ浪人の身分だったが、それは別として、かったりぃと感じて、成人式に出ていません。親もスクエアなくせにそういう範疇ではクールだったのか、出ればという類いのことは一切いわなかったな。渋谷ではもっとキモノ・レイディを目にする。華やかなことはいいことです。

<今日のTV番組>
 ニューオーリンズ〜TV番組といえば、その名も「トレメ」というのが米国HBOで全10話放映された。大御所ブラス・バンドの名にも冠され(2003年10月15日)、トロンボーン・ショーティ(2010年12月13日、他)も育った、ニューオーリーンズ・ミュージックにとっては重要地区であるトレメを舞台としカトリーナ・ハリケーン後を描く、TV番組(らしい)。トゥーサンとアーマ・トーマスの共演曲も含むサントラも出ていて、その出来も番組への期待を高める。シーズン2も制作されるというので、本国でも好評だったのだろう。見てえ。
 一度、昨年のフジ・ロックの項で引用しているが、またトロンボーン・ショーティの発言を紹介しておく。「そこ(トレメ)は見事に音楽に満ちあふれる場所だったが、ハリケーン後はそうではなくなってしまった。避難した皆が戻ってこようとしたとき、家賃が高騰して戻ってこれなくなってしまったんだ。結果、トレメの文化的継承は切れてしまった」

 渋谷・クラブクアトロ。前座は、今はNYが主拠点となっているらしい、日本人女性4人組バンドのザ・スーザン。曽我部恵一(2009年4月4日)主宰レーベルからのプロダクツをちらり耳にしたことはあったが、ほおおう、こんなん。シザー・シスターズ(2007年1月25日)やジェシー・ハリス(2010年10月10日、他)ほかいろんな人を出している米ダウンタウン・レーベル傘下のフールズ・ゴールド発の新作はピーター・ビョーン・アンド・ジョン(2007年3月7日)のプロデュースとか。歌詞は英語、この日は日本語も混ぜていたが、MCも普段は英語でやってるんだろうな。

 歌/ギター、ベース、キーボード(単音フレイズをリフとして弾いたり、少しコードを押えるぐらいで、踊っているときも少なくない。弾いているときも、左手はシェイカーをふっていたりとか)、ドラムという編成の、弾けた、華やかなビート・ポップ・バンド。<オールディーズっぽい曲調と、ガレージっぽいサウンド>と、その基本は書けるのかもしれないが、そんなに音楽を知る前に感性で素っ頓狂に突っ走っちゃったような“うれしいイビツさ”が随所に見受けられる(たとえば、唐突にコール&レスポンスが出てきたりとか。ベースとドラム音だけで無謀に曲が進んだりとか。ちょいスウィング・ジャズっぽいリフが差し込まれたとか)表現はなるほど脳ミソをとろけさせる一歩手前の珍妙満載。で、屈託のない本人たちの佇まいやステージでの動きもアピール度大。総じて、両手を大きく広げた笑顔と可愛らしさがあり、これは若い女性(20代中盤、少し前?)がやりたいように弾ける美点が集約されたような事をやっていると、とても感心。なお、演奏自体は上手くはないが、リード・シンガーは魅力的な声が良く出ていて、それはポップ・ミュージックの体を超立派に整える。30分のパフォーマンス、もっと見たかった。

 休憩を挟んで、UKバンドのミステリー・ジェッツ(2006年7月31日)のショウ。本来、親子が和気あいあいとバンドをやっているのが売りであったが、今は父親のほうはライヴには参加しなくなっている。オセアニアでの公演を経て途中下車、今回は1回だけの日本公演とか。

 ブライアン・ジョーンズのような髪型をした息子くん=リード・ヴォーカル、ギター、鍵盤、装置を担当するブレイン・ハリソンを中心に、ギター/キーボードとベース/キーボード/生ギターとドラムという編成。ドラマーを除いてみんな正々堂々と歌い、ヴァーカルの歌圧は相当なもん。でもって、ドラマーの叩き口も鮮やかにしてとっても音がでかくて、本当にパワフルなビート・ポップを彼らは送り出す。まっすぐ、という言い方もアリか。対する観客の反応も熱いっ。

 かように出音はまっとうながら、ドラマー以外は、曲によっていろいろ弾く楽器を彼らは変えていく。それ、“曲を編成にあわせる”のではなく、“曲に編成を合わせる”ていますという、健全なノリを出すか。が、そんな彼らも、ザ・スーザンに比べるとロックの枠を守っている、その常識の範囲内で工夫している、と結論付けるほかなくなってしまうが。ザ・スーザン、すげえ。彼女らは本来プロの音楽家が抱える枠や常識から解き放たれたところで、振る舞っている!


<今日のbmr>
 bmr誌の2月号が届く。この号から編集長が代わり、(株)ブルース・インターアクションズのけっこう古参な社員である丸屋九兵衛が新たに就いている。満を持して、と、言えなくもないが、何で今までその座につかずに、後輩に編集長にならせていたのだろ? その分、自社から書き下ろしの単行本を、彼は出してもいるが。アハハなのは、表Ⅳ(裏表紙)に自分の写真をでっかく載せていること。一見ワイルドな外見ながら酒もタバコもコーヒーも駄目な、ある意味“清純派”の丸屋がタトゥーあり、なことを初めて知る。そこで、bmrと彫った腕を披露。そこまでやった編集長は希有だろと、後記でいばってる(笑い)。退路を断って、ガンバっていただきたい。そういえば、SF愛好家でもある彼は早川書房の「SFマガジン」で連載を持っていたはずだが、編集長業に身をコナにするため、当面そっちのほうはお休みすると言っていたっけか。蛇足だが、ベース・マガジンの編集をやっているDも立派なモンモンを持っているな。

 マッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日)はモードと呼ばれる自由闊達なインプロ手法が出てきて以降の、スター・ジャズ・ピアニスト(1938生まれ)の一人と言っていいだろうが、その名や指さばきを広くジャズ界に知らしめたのは、60年代初頭から約5年間在籍したジョン・コルトレーンのグループ時代の演奏。それは取りも直さず、アブストラクトなジャズ表現に突入する前のコルトレーンの黄金期でもあるわけだが、そんな時代の異色作(というか、シンガーと絡んだアルバムはそれだけだ)にして、名ジャズ・ヴォーカル盤として人気が高いのが、粋な夜が似合うクルーナー系ジャズ歌手のジョニー・ハートマンとの連名で大スタンダード曲を取り上げて作った63年作『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』だ。あんな腑抜け演奏とハードなコルトレーン・ファンからは無視される場合もなくはない同作だが、大昔コートニー・バイン(歴代英国人リード奏者のなかで最もコルトレーンに近づきかけた男、と書くと語弊があるか。2004年9月26日、他)は、ジャズが良く解る3作選をお願いしたところ、同作をその1枚として選んだっけ。まあ、コルトレーンの素直な歌心が出た、とっても聞きやすいアルバム。それまではヴォーカルものをあまり聞かなかったのに、同作でジャズ・ヴォーカルに目覚めたというジャズ愛好者もたまにいますね。

 今回のマッコイ公演は、彼が50年近く前に関わった名ヴォーカル作を、テナー奏者のエリック・アレキサンダーとコルトレーン命のシンガーでもあるホセ・ジェイムズ(2008年9月18日、2009年11月11日)を呼んで、今に持ってくるというお題目が立てられていたが、途中まではタイナー・トリオ・ウィズ・アレキサンダーで進む。68年生まれのアレキサンダーはわりと下積みなしで90年代初頭から王道テナー奏者としてピンで活動している白人奏者で、現在まで25枚強のリーダー作を米日のレーベルから出している。1曲目が雄大な曲想を持つタイナー当たり曲の、「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」。70年代初頭の颯爽とした風情を持つ曲で、少し甘酸っぱい気分に。ステージに向かうときのタイナーを見て、少し歩くのが苦手になってきているのかなと思われたが、指さばきは矍鑠。やはり、ヴァーチュオーソ。10分はあるだろう曲を4曲やる。

 そして、ジェイムスが出てきて、全6曲収録の『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』のなかの5曲をやる。こうやって聞くと、ジェイムズってかなりハートマンから影響を受けている事がわかる。彼は1曲目からステージ横でタイナーの演奏を見守ったりと、本当に彼のことを尊敬しているのだな。ジェイムズが出てきてからのマッコイのピアノ演奏は、マイペースに歌伴のそれ。彼、そんな演奏、本当に久しぶりにやったのではないか。最後に、ジェイムズがステージを降りて、もう1曲。彼が歌ったスタンダード曲に引きずられる(?)ように、やはりスタンダードの「イン・ア・メロウ・トーン」、なり。南青山ブルーノート、ファースト・ショウ。


<今日の銀座>
 今年最初のインタヴューで、銀座に行く。で、そのメイン・ストリートたる中央通りを取材場所に向かったら、すれ違う人達から次々に、中国語が聞こえてくる。取材の帰り道で編集者が、駐車してあるバスは中国からのツアー客を乗せてきたもの、と教えてくれる。確かに、複数とまっている。うぬ、今、銀座での中国人観光客による売り上げが低くないのは容易に想像できるな。死活問題、長時間停めはしないので黙認してと、裏で業者と警察の間で話がついているのだろうか。ニュースで触れて認知はしているつもりなものの、なるほど中国の一部層の経済成長はすごいことになっていると、実感。日本人も、20年前はパリで同じことをしていたのかもしれない。そのいっぽう、“人類”とか“電波”とかいろいろ書かれた看板を前後に背負うサンドイッチおばさんがちょい危ない感じで歩いていたり、どこかうさんくさいおっさんが歩道に獲物を狙うようにたたずんでいたり。ユニクロとかの大衆量販店舗がいろいろ出店しているとはいえ、いまだハイソなキブンを持つ目抜き通りだとは思うが、げんざい昼間の中央通りはなかなかファンキーになっておるナと、久しぶりに花の銀座に行って感じました。ぼくの頭の中では、ストーンズ『エグザイル・オン・メインス・トリート』収録の「シェイク・ユア・ヒップス」がけたたましくなっていた。

 磁場と書いてもいいような、強い気持ちの交歓がある空間が出来上がっていたのではないか。アンコールに出てきたとき(だったけか?)、バトラー(2010年3月3日、他)はステージの黒い床に白いペイント(チョーク?)で、でっかく“TOKYO”と書いて、そのうえに“♡”を3つ書く。2階から見ていたのでよく解ったが、なんかいい感じだった。ステージ上で感謝の情を示す際、出演者はいろんな仕草や発言をするが、こういう事する人には初めて触れた。

 赤坂・ブリッツ。昨年3度目の来日となるはずだった10月公演が延期となった、アーシー系オージー・ロッカーの振り替え公演。客層はベン・ハーパー(2007年4月5、6日、他)のそれに、より重なるようになっているかも。ちゃんと見た、新メンバー&新作を携えた昨年3月のときと、そんなにショウの進め方は違わないんだろうなとは思っていたが、いやあ、まだまだ彼には進歩する余地があったんだアと、感慨を持たせる実演。確実に太く、バンドで漲る力を出し、絡み方のヴァリエーションももっと多彩になり、バトラーの歌声もよりまっすぐな感じを増していた。

 電気化した生ギター、電気ギター、バンジョー、ワイゼンボーンなど、いろいろ、バトラーは弦楽器を用いる。ザ・レイ・マン・スリー(2010年5月25日)のベース奏者でもあるバイロン・ルイターズは曲によってはスラッピング多用。何曲かでは黒い色のウッド・ベースも弾いたが、それはエレクトリック・ベースのままでもそんなに変わらないような。バトラーの義理の兄でもあるドラムのニッキー・ボンバは力強くも、なかなか芸達者。小さなスティール・パンもおいていて、2曲で効果的に用いる。3人はそれぞれにソロでのパフォーマンスも披露し、バトラーは電化アコースティック・ギター(ストンプ音をパッドで拾いもする)で延々と(15分ぐらい?)変化に富むインストを披露。ドラム・ソロの際はコール&レスポンスの要求もあり、会場は一層の盛り上がりを見せた。

 会場の背景とキック・ドラムのヘッドには、3本の矢(それで広島を思い出すぼくは、やはりサッカー好きなんだろうナ)をマーク化したような絵柄が。もう、3人がっちり、という風情を何気に醸し出しますね。前見たときもそうだったが、3人一緒にタムの連打をしたりもしました。


<今日の省略回避>
 歳とったなーと思わせられること。単純な略にどうも違和感を覚えるようになっていることかな。あけおめ、とか、言われたり、見たりすると、内心ちょいイラっとしたりして、それを認識しました。それと関係があるのか、ミュージシャン名の略称も近年意識的に用いなくなっている。たとえば、ジミヘン。今は素直に、ジミ・ヘンドリックスと書くか、字数がもったいない場合でもヘンドリックスと書くようにしています。レッチリもちゃんとレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。原稿で繰り返し書くのがアレだなーと感じる際は、ペッパーズとかRHCPとか。

ハーツ

2011年1月14日 音楽
 渋谷・デュオ。パフォーマンスが始る直前の場内で流されていた曲は、ジャパン。お、ミック・カーン追悼? 本名、アンソニー・マイケルデス。1958年7月14日〜2011年1月4日。……そんなふうに思いたくなるのは、このマンチェスターのポップ・ユニットがええカッコしい美学に貫かれた見せ方を標榜していたからだ。

 ステージ上に表れたのは、イケ面ぽい5人の青年たち。みんな綺麗に整えられた短髪で、品のいいシャツ(にベストやジャケット)を身につける。お、その佇まいは、ロック版イル・ディーボ、とか言いたくなる? シンガーのセオ・ハッチクラフトはときおり、R&Bシンガーのように黄色い声援をあげる客に赤いバラを投げる。ただし、汗をぬぐったタオルを与えたりとか、徐々に服を脱いでいってセクシャリティを出すということはしない。あくまで、UK貴公子ロック文脈のなかで、自分たちの美意識のなかで、ファン・サーヴィスをしようとしていますね。ハーツはシンガーとサウンド担当者の二人組だが、サポートの3人(バッキング歌手、キーボード奏者、ドラマー)も似たような風体をしていて、定められたイメージのもと、彼らが集められたのは明らか。

 音楽的にはニュー・ウェイヴ期派生のエレクトロ・ポップの流れ。そこにたん美性を加えたり、ダンスっぽい跳ねを加えたり。それだけをとると刮目する部分はあまりないが、ちゃんと聞き手に届く堂々とした歌声を中央に置く表現は新進離れした完成度の高さを持っているのは確か。なるほど、昨年英国のプレスがいろいろと彼らをもちあげていたのにも納得しました。


<本日の括弧>
 オレの文章って、カッコが多いときがある。とは、自分で思う。それは、一気呵成に書いた文章に、後からいろいろと情報を詰め込もうとした結果のもの、と、本人は理解しているが。やっぱ、できるだけ情報量の多い文章にしたいぢゃん。サーヴィス精神旺盛なぼくとしては、文章作法として無様とは思っても、そうしちゃう。が、それは文章家として格好は良くない、というのは自覚している。ということで、今年はなるべく文中の()を減らそうと思っている。見やすい文章にできないのなら、情報や能書きを減らす勇気を持とう! 不埒な人間なんで新年にあたって抱負を抱くなんてことをあまりしないが、それは有言実行したいナ。

 日本人アーティストで一番好きな人。そう、ここのところ、彼(2009年3月29日、5月16日、他)のことを紹介していたりもするか。キーボードを弾きながら歌う彼に加え、電気ベース奏者と打楽器奏者が重なってのパフォーマンス。渋谷・Li-Po。

 ココロあるポップネスとグルーヴ感を持つ、男の歌。相変わらず、才あるなー、俺の好みだなー、と深く頷く。けっこう新しい曲もやり、『ミドル・マン』というタイトルになるらしい新作は春にも出るようだ。捨て身で応援、宣伝しなきゃ。皆さんも、ヨロシクね。


<今日の出待ち>
 朝、ちょいスーパーに買い物に出る。お、今日はちょい寒いかも……。と、同じ並びの3軒隣のマンションの前に、報道陣とおぼしき人達がたむろ。「別にィ」の女優さんがスペインから帰ってきたのを受けての“お勤め”のよう。いつからいるのだろうか。いつまでいるのだろうか。深夜もいるのだろうか。何より、トイレはどうするのだろうか。非人間的な所行をしいられている方々を見て、いろんなことを思う。昨年、張り込みしている彼らの一部が、夜中にうちのマンションのロビーに入り込んで、問題になったことがありました。

 スクイーズーーー。70年代後期のニュー・ウェイヴ期に出てきた、いかにも英国的なポップ・センスを誇った黄金のバンドだ。80年ごろのアルバムを聞くと、本当に甘酸っぱくも浮き浮きできる。99年に休止していこう、2007年と昨年に大々的な再結成ツアーを行っているが、その一方、フロント・マンのグレン・ティルブルック(2005年8月8日、2009年7月26日)は、素朴な弾き語りツアーでまたやってきた。吉祥寺・スター・パインズ・カフェ。2部構成で、演奏時間はたっぷり。JB曲のカヴァー等、ルーツをすけさせる部分も、ソロ・パフォーマンスの場合だとあり。

 東京公演から、ティルブルックのソロ作で叩き、再結成スクイーズにも加わっているドラマーのサイモン・ハンソンが加わる。やっぱり、ドラマーが入ると、全然ちがうよな。より、パワー・ポップ濃度が強まるというか。そのハンソンはデス・イン・ヴェガス(2003年2月5日)他、サポートで何度か来日しているらしいが、二人は本当に仲が良さそう。最後の方で、二人はプリセット音にあわせて、おどけた振り/踊りを見せる。こりゃ、二人で一緒に練習したな。ほほえましい。

 英国人でなくては受けることのできないギフトを、溌剌と、気持ちたっぷりに開示。溢れるメロディが精気ある歌声とともに、四方八方に舞って行く。胸高鳴り、これ以上なにを求めるのという充実した気持ちとともに、おおいに満足感を得ました。


<今日のスプリット・エンズ>
 会場に向かうために、吉祥寺駅について外に出たら、息が白い。もっと体感的に寒いと感じた日は他にあったような気もするが、吐く息がちゃんと白く見えたのは、少なくてもぼくにとっては今シーズン、初めてのこと。ああ、真冬の到来? そういえば、出演者の二人はそんなに厚着じゃない。ティルブルックなんか、ステージでも着ていたジャケットだけで、外を歩いていた。彼、汗っかきだそうで、ステージでは彼に向かってファンが3つ回される。それを受け、髪の毛がほわ〜んと舞い、ファラ・フォーセット状態。いや、なんかかつてのスプリット・エンズのメンバーの髪型みたいに見えました。

 スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)のトラフィックにちらっといたりした英国人ロッカーで、70年ごろには米国に渡り、ブルー・サムやCBSからリーダー作をいろいろ出した、ロック顔役の一人と言えなくもない御仁。中野サンプラザ。

 今年もっともオーディエンスの年齢層の高いコンサートになる? 普通じじいの公演であっても若い人がちらほら見受けられるものだが、この日はマジ年長者だけ。だけど、メイソンの外見もすごいもんがあったなー。大昔のアーティスト写真に重なるものは皆無で、ステージに登場したのは、スキンヘッドの太ったおじいちゃん。格好もプア。MCで65歳と言っていたが、もっと年長のようにぼくには思えた。が、歌うと実に朗々、声が出る。それには、感心。ギタリストとしての評価も持つ人だが、ぼくの嫌いなタイプのギター・ソロを取る人で、それにはゲンナリ。表面(おもてづら)は整っているが、スケールに沿って安全パイのフレイズをつなげているだけ。

 電気ギターや生ギターを手に歌う当人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム、打楽器(曲によってはギターや鍵盤も触る)という編成。普段のバンドなのか、良くまとまっている。コーラスもきまる。おもしろいのは、リズム・セクションが黒人であること。右利き用のベースを逆さに構える左利きベーシストは大昔からやっていると紹介されたっけ。なるほど、ソウル感覚を消化したふくよかだったり弾む味も彼は出してきていた。あと、そうかと頷いたのは、トラフィック時代(ウィンウッド曲「ディア・ミスター・ファンタジー」は気持ち悪くブルージィにリアレンジ)の曲を歌うと英国人情緒がさあっと出て、一方では太平楽な米国産業ロック的なテイストも存分に出すこと。自在に、“アトランティック・クロッシング”する持ち味を持つ人であり、その不思議なスケール感がこのヴェテラン・ロッカーの持ち味なのだと納得しました。

 即売はすでに売り切れです。という、場内アナウンスが終演後にあった。おお、レコード/CDの主購買層を知る思い。


<今日のレトロ>
 中野に行くのは、2003年5月2日いらい、かな。やはりサンプラザでやったジャクソン・ブラウン公演を見たときだ。その公演はブログで罵詈雑言の数々をはいたので、覚えている。夕方の用事があっさり早く済み、昼間あたたかかったこともあり、少し懐かしさを覚え、早めに中野に向かい、北口側を探索。店は大きく様変わりしているんだろうけど、基本的な建物とか、その配置とかはぜんぜん変わっていないような。その再開発のされなさに、逆に驚く。ブロードウェイの横のほうに広がる、店がごんごん連なる飲み屋/飲食店区域をうれしい心持ちを得て探索。そしたら、飲み屋に挟まれるように、昔ながらの、と形容するしかない、小さな“昭和の”レコード屋を発見。まじ、そこだけ時間が止まっているような。○○堂(名前失念。こういうとき、携帯でおさえればいいのだナ)という看板があったが、一体アレは? それを見つけたのは開演時間が近くなっていて、中に入るのは断念したが、とてもノスタルジックな気持ちになった。そういえば、中野に行く時に、JR新宿駅のホームから見える小田急線ホームに、赤色が基調の先端がパノラマ席になっているロマンスカー旧車両が停まっていて、わお。たまに青銀色の味気ない形の新しいロマンスカー車両は見かけていたけど、いまだ生理的に派手な昔の車両も走っていたのか。子供のころ、ハイカラなイメージ満載のロマンスカーに乗ったときは本当にうれしかった。確か、その頃のロマンスカーの車内の食べ物販売(注文すると、座席まで運んでくれた)はミルキーの不二屋が請け負っていたと記憶するが。音楽も目にするもののも、何かとレトロな1日でした。ぽわ〜ん。

 胸を張ったUSラティーノ表現、二つ享受の晩。

 まず、六本木・ビルボード東京で、LAのメキシコ系米国人たちで組まれたロス・ロボス(2004年10月7日、2005年7月31日)を見る。ファースト・ショウ、もう満員。そりゃ、この晩だけだからな。

 思うまま、ひょいひょいと手応えを持つ表現を繰り出す。無理なく腹7分目、でも聞き手への訴求力はかなりマックスに。アタマ数曲はドラムが入らずに、メキシコ民謡で流す。基本は6人でパフォーマンスし、ドラマーのルイ・ペレスが叩く曲も少しはあったが、彼はステージ中央で弦楽器を弾く。で、多くの曲で叩いていたドラマーはロス・ロボス関連(スティーヴ・バーリンが制作したテテ〜2007年9月24日、他〜の2010年作も)やタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)やリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日)作なんかでも叩いているクーガー・エストラーダだった。彼、まだ30代に見えましたが。曲によっては左手にスティックを持たず、手でスネアやハイハットを叩いていた。

 メキシコ文化と繋がった、アーシーでペーソスに富んだ等身大の表現。彼らの10年新作『ティン・キャン・トラスト』はミレニアムになって以降もっともサイバーロック路線を行っていたので、今回の実演はメキシコ色を減らしてハイパーな方向を取るかもとぼくは少し期待したが、それはまったくなし。というか、スティーヴ・バーリンがキーボードを触る時間はより減っているし、より等身大な、肩の凝らない編み上げロックを見せていたのではないか。で、それが味と力がたっぷり持っていて、なんの問題もないんだけど。彼らは現在もっとも、レコーディングの音とライヴの音を分けているグループと言えるかもしれない。あっぱれなジキルとハイドぶり、なり。

 最後は出世カヴァー曲、「ラ・バンバ」を喝采のなか披露。ご近所同志でバンドを組み、約35年。彼らは結成していらい、脱退者はいないんだっけ? 仲良き事は美しき飛躍を生みもするし、同じルーツを持つご近所さん同志、ばんざい。

 一方、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)であったのは、アステカという進歩的ラテン・フュージョン・グループを組んだり、サンタナにいたこともある、西海岸オークランドの名パーカッショニストであるピート・エスコヴェードのリーダー・バンドの公演。彼に加え、娘のシーラ・エスコヴェード(2009 年9月27日、他)と息子のホアン・エスコヴェードの3人がステージ前に位置し、後列には4人の管楽器奏者(トロンボーンが二人)とギタリストとベーシストとキーボード奏者が位置する。ピートはティンバレス、シーラはドラム・セット、ホアンはコンガやボンゴなど手で叩く打楽器を担当する。ベーシストはRAD(2007年9月6日、2008年4月1日)のライヴのときも来日していたオランダ出身奏者で、今やベイ・エリアのファースト・コールになっているようだ。

 とにかく、楽しい。ときにポップだったり、フュージョンぽかったりもする、鷹揚にして、笑顔に富むパフォーマンス。とにかく、楽しい。ココロが弾む。ピートは70代半ばだが、髪の毛もフサフサしていて、それほど老けて見えない。当然,孫もいて、ジェラルド・クレイトン(2009年9月3日、他)をみたいな外見の若者が出てきて、ラップを噛ます場面も後半あった。また、同行の(?)女性達がステージに出てきて、踊る場面も。もちろん、シーラ・Eは一部曲では歌う。なんにせよ、ファミリアなノリが横溢していて,和めることしきり。

 世代の異なる血のつながる同志で、忌憚なく音楽ができるって素晴らしいっ。そんなことも、存分に感じました。

<今日の移動>
 ライヴを見る前に下北沢へ。カメラマン森リョータのエチオピア、ケニア、ジブチで撮った写真を展示した個展を覗く。同時期に撮った写真なのに子供達が裸で水浴びする写真もあれば、上着を重ね着して少し気温が低そうな写真も。それは、標高の違いによるそうな。ビール片手に話がはずむ。で、六本木へ向かい、ロス・ロボス公演終了後は、いったん恵比寿に。某誌編集長退社慰労会をかねての新年会にちょっとだけ顔をだす。一杯だけ飲んで、南青山へ。それでも、ブルーノートには開演10分強前につく。そのあと、また飲みにも行けるし、やっぱ東京って便利だよな。


石塚隆充

2011年1月21日 音楽
 目黒・ブルースアレイ。会場に入ると満員で、立ち見の人もいっぱい。しかも、多くは女性。かなりインパクトを受ける場内光景でした。

 主役の石塚隆充はかつてはスペインのアンダルシア地方に居住していた、フラメンコの歌手。精悍な男っぽいルックスを持つ痩身の男性(73年生まれ)で、女性客が多いのは理解できる。二人のギタリストのうち一人は、スペインでのフラメンコ・ギターのコンテストで優勝する場面を含めたドキュメンタリーが昨年TVで放映され、かなり知名度を得ただろう沖仁。彼らはスペインでもつるんでいて、けっこう一緒に活動しているよう。

 男っぽい、地に足をつけた、情ある歌……。セカンド・ショウから見たが、沖とのデュオから、徐々に伴奏者が増えていって、最終的には、ピアノ、ヴァイオリン、打楽器、電気ベース、ギター2、手拍子/コーラス2という布陣でパフォーマンス。ラテン系の奏者(香月さやか、大儀見元〜2006年8月24日、他〜)がいたり、ブラジルものが得意なベーシスト(コモブチキイチロウ)がいたり。そんな部分に表れているように、本場仕込みのオーセンティックなフラメンコを聞かせるのかと思ったら、当然そいういう曲もあるが、そこから一歩前に出て、より大きく両手を広げたような行き方を見せもする。

 歌う曲の多くは本場のフラメンコ曲なんだろうけど、ときに日本語で歌ったり(歌詞の内容が良くつかめる)、フラメンコの芯を鮮やかにポップ側にもってきた日本語のオリジナルまでやったり。といった具合で、日本人としてのフラメンコをやろうとする姿勢も出ていて、おおきく頷く。本場できっちり活動したからこそ、そして今は日本を拠点に置くからからこその、自負や意義のうれしい発露をぼくは覚えた。そして、そこからは石塚自身の創造性や現代性がくっきり表れる。純フラメンコ奏者から離れたミュージシャンを雇い間口の広いサウンドを採用しているのも、そりゃ当然で正解だろう。一部の終わりにはストーンズの「アンジー」をスペイン語で披露したりもしたそう。それ、彼のアルバムにも入っている。

 MCは訥々、シャイそうな感じ100%。なのに、歌いだすと堂々としていて、言葉や気持ちがきっちりオーディエンスに向かう。酔狂ながらも自分がひかれた道を進むという覚悟の先にある、意欲と息吹を感じる、進行形のフラメンコの歌表現でした。


<今日のこだわり>
 きく。音楽の場合、<聞く>ではなく、<聴く>と表記する人が多いようだが、ぼくは、意識的にいつも<聞く>と書いている。理由は、<聴く>とすると、なんかスピーカーの前に鎮座して、もろまじで音楽を享受しているような感じになるような気がするから。それに、<鑑賞>という硬いイメージも付くような感じがしてイヤ。ぼくはもっと、くつろいで楽に聞いているし、ポップ・ミュージックの場合は<聞く>のほうが相応しいような気がしちゃう。ゆえに、<聞く>とぼくは表記する。それを<聴く>に直す媒体/編集者も少なくないが、それを何しとんじゃいと、ただす気もないですけど。まあ、その程度のコダワリ、書く際の儀式のようなものです。同様に、<僕>ではなく<ぼく>と、ワタシは表記する。“僕”だとちょい硬いような気がするからそうしているが、そっちのほうがこだわりは強い。万が一、漢字に直されていたら、抗議します。

 米国黒人音楽史を飾る大ファンク集団〜パーラメント/ファンカデリックの統率者(2002年7月28日、2009年9月15日)、関連者をひきつれての、1年半ぶりの来日公演。六本木、ビルボードライブ東京。ファースト・ショウ。

 おお、やっぱ派手。ぞろぞろ出てきた構成員たちを見て、そう感じ、即うれしくなる。ドラマーがオーディエンスに促す“ウィ・ウォント・ファンク!”連呼にあわせて、ショウは開始。で、残念ながら前回と同様にホーン・セクションはいないものの、塊がすぐに無駄なく押し寄せてきて、前よりまとまってて、ファンク度数が高いとすくに了解する。ギター陣の噛み合いも良好、オムツ姿のギタリストがおらず、ああゲイリー・シャイダーは死んじゃったんだなあと少ししんみりしたものの。同じく、アンドレ・フォックスも今回は来ていないが、かわりにマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンが堂々参加。べリータ・ウッズら複数のシンガーがフィーチャーされ、クリントンの孫娘がラップし、狂言回し的ダンサーもいるというのは、前来日公演と同様だ。人が出たり入ったりし、ステージ上には多いときで15人ぐらいは上がっていたか。ドラムは人が変わりながら、計3人が叩く。中盤以降に出てきたパーカーのフードをかぶっていたのが、フォーリー(2009年9月5日)だったのだろうか。

 無礼講ノリは持ちつつ、ツボを押さえ、現役感&黒人音楽大河の重要部に位置する感がもりもり。全部で1時間15分ぐらいのパフォーマンス、前回の東京ジャズの時より間違いなく良かった。終わってからアララと思ったが、だいぶ横の方から見ていたぼくはステージ上のクリントン翁を確認できなかったナ。とほ(実は、そんなことはない。その件について、2013 年4月12日の項に説明あり)。このショウの直前に御大に取材した知人によれば、トレイドマークの7色ブレイズの付け毛はやめてしまったそうだが。トイレに行って戻ってきたとき、彼の名が連呼されていたので、いるときはいたんだろうけど。ま、“象徴”がどこにいようと、P-ファンクならでは醍醐味はあふれていた。

<ありし日のイラスト>
 昔、P−ファンク重要メンバーをインタヴュー制覇、なんて意気込んでいたことがありました。実際、著名どこは90年前後に一人づつすることができた。でも、まさか、その際はその後に彼らが何度も日本に来るようになるとは、期待はしても確信はしなかった。やはり、来日ライヴに関しては、今のほうがバブル期を凌駕しているように、ぼくには思える。→第一、ヴェニューの数が今の方がかなり多い。というのはともかく、ぼくは、クリントンが描いた小さなイラストを持っている。最初にインタヴューしたとき、取材場所に行ったら、彼はコースターの裏にピンク色のマジックで落書きチックに絵を描いていたのだ。それを見てぼくは、マイルス・デイヴィスのそれを曲線的かつ漫画ぽくしたような感じと思った。いただけませんかと言ったら、笑顔でぼくの名前を聞いてきて、それを添えて署名してくれた。その時は50代半ば前だったはずだが、けっこうじじいに思えたな。わしゃ釣りが好きでのお、と言っていた。その後、また取材する機会があったが、ぼくのことは覚えていない感じだったので、イラストのことには触れなかった。

 歌えるだけじゃなく、ちゃんと曲やサウンドを作れる人を、ぼくは基本好む。←それ、音楽を聞き始めたときに熱心なロック・ファンだったからだろう。だから、歌うだけの人を送り出すアメリカン・アイドルには興味が持てない。あの番組の人気は“カラオケ文化”あればこそとも思えるが、ぼくはカラオケにも馴染めない人間だから、な。それゆえ、やはり同コンテスト出身のファンテイジアもぼくの興味の範疇外のはずなのだが、彼女のことは見てみたかった。だって、新作『バック・トゥ・ミー』(J)を聞いて、ぼくは本当に感心しちゃったんだもの。曲やサウンドは他人まかせながら、ミディアム曲を中心に採用し、堂々と歌いこなして行く姿は熱意と才があふれていて惚れ惚れしちゃう。その歌だけでネガティヴな思いを得ていた聞き手を説き伏せちゃう、本物のR&B歌手の像がきっちりとそこには出ていた。

 そしたら、うわあああああ。すげええええええ。いろんな部分でCDを凌駕する。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。1曲目からすぐにステージ上に出てきた本人に加え(即、裸足になった)、キーボード、ギター、ドラム、3人のバッキング・ヴォーカル、3人の管楽器という布陣。これだけサポートに人数をかけるならベース奏者もおけばいいのにと思ったら、キーボード奏者は主にベース音を担当。ピアノのコード音で導かれる曲があったが、それはプリセット音で、キーボード奏者は弾いていなかった。ともあれ、サポート陣の演奏は確か、さすが本国でプライオリティの高い歌手であるというのが、そういう部分でもちゃんと伝わってきますね。

 で、そんな人達を従えて、彼女は真正面からオーディエンスと対峙し、誠心誠意ソウルフルな歌声を、パワフルに出して行く。その当たり前の所作に、歌えるワと降参。しかも、その端々から、朽ちてはいけない、どすこい捨て身な黒人芸能感覚がもわもあわとわき上がってくるのだから、こりゃこたえられない。その様にルーファスの一員だったころの若き日のチャカ・カーン(2008年6月5日、他)のことを想起したら、有名曲メドレーのときにルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日)の「テル・ミー・サムシング・グッド」もやる。うきっ。
 
 もう、本物の輝きというか、真実のほとばしりがこれでもかと放出されていたショウ。途中で40分ぐらいたったかなと時刻を確認したら、まだその半分の時間しかたっていなくて、びっくり。濃密、生理的な情報量が多大なんだろう。やっぱ、真のR&B歌唱の前では曲やサウンドを作れるか否かなんて、些細な問題。でもって、ぼくは客を無理矢理立たせるアクトに苦い気持ちを覚えたりもする者だが、彼女ならそんな行為も許されるとマジに思った。てなわけなんで、見ながら、今年のブラック・ミュージック系公演のベスト3に入るはずとすぐに確信。終わった頃には、あらゆるジャンルでのベスト3に入るかと、より評価は上がったんだけどね。

 とっても興奮。まあ、それは初めて彼女に触れたことも大きいのだろう。次来たときも、間違いなく同様に質の高い実演を繰り広げるだろうけど、この日の感激を上回ることはないかもしれない。やっぱ、新鮮未知な初モノは強い。それは先日のアラン・トゥーサン公演(2011年1月10日)のときに、初めて彼の実演を見て感激している人の様に接してうらやましく感じつつ、ちらり感じた。確かに過去の来日公演の中で一番いい感じのショウであったが、やはりぼくがトゥーサンの公演で一番感激したのは、最初に見たときであったから。それは非の打ち所のないファンク・ショウを2年連続披露したラリー・グラハムも同じ、久しぶりに彼のことを見た2009年(9月29日)のときのほうが2010年(9月9日)時よりも多大にぼくは感激しちゃったもの。それは、そのときの文章を見れば一目瞭然ですね。ライヴにいっぱい行くのも考えもんか、ふと少しそうも感じた。だけど、音楽を書く仕事してんだから、やっぱ普段から触れてないと話にならないよなあ。ともあれ、ぼくは感嘆し、大満足。

 それから移動して、丸の内・コットンクラブで、リチャード・ボナ(2010年2月5日、他)を見る。トランペット、サックス、キーボード、ギター、ドラム、パーカッションの奏者を擁してのもの。今回はなんとライヴでおなじみのウェザー・リポートのカヴァー(「ティーン・タウン」)を1曲目で片付け、2曲目以降はベースを持つ心温かいシンガー・ソングライターといった感じのショウを進めて行く。ここのところの来日公演で見せていたサンプラーを用いた多重歌声パフォーマンスもなかったから、そういう行き方はけっこう意識的なものであったのかな。2人の管奏者もソロを取る曲もあったが、けっこうセクション音で曲趣を盛り上げる場合も。ただ、カメルーンのトラディッショナルを根に持つボナの弾力ある歌声やメロディ、そして様々な躍動表現を知る多国籍バンドのサウンドの綾や切れの存在で、ただのヴォーカル表現にはならないのだが。それから、ファンテイジアの力全開のショウを見た後だったせいかもしれないが、その総体にある強弱のダイナミクスにはかなり感心。ピアニシモからフォルテシモまで自由自在、こりゃ巧者のライヴ表現だと頷きました。

<今日のマック>
 マックと言ってもハンバーガーではなく、コンピューターのほう。ぼく、マクドナルドにはもう3年は行ってないな。というのはともかく、DJ/クラブ・ミュージック系の人でなくても、かなり前からステージ上にアップル社マッキントッシュ(やはり、音楽家は皆マックを使っているな)を置く人は散見される。ファンテイジアのパフォーマンスでもドラマーが横に置いていた。が、彼は他の人とは異なることが一つ。なんと、彼はラップトップではなく、デスクトップのデカいモニターを置いていた! おいおい、いつもそうしてんの? ぼくの長いライヴ享受歴のなか、それは初めて見る光景。どんなものでも、初めてのことと認知するのはうれしい。

マヌ・カッチェ

2011年1月28日 音楽
 クラシック上がりでパリでセッション・マン活動をはじめ、86 年以降、ピーター・ガブリエル、スティング(2000年10月16日)、ロビー・ロバートソン(元ザ・バンド)、ジョニ・ミッチェルと次々にロック賢人のアルバムに参加し、一躍注目の的となったフランス人辣腕ドラマーがマヌ・カッチェだ。当然、サイド・マンとしてはスティングや坂本龍一をはじめ何度も来日しているが、自己名義公演としては今回が初めてとなるとか。ECMレーベルに所属し、ココロあるソングライターであることを前面に出した、どこかメロディアスでもある“私の考えるジャズ”路線を彼は標榜。我が道を行かんとする姿勢はタイプは違えど、ブライアン・ブレイド(2009年7月20日、他)を思い出させるところもあるかな。

 六本木・スイートベイジル139。新作はピノ・パラディーノ(2010年10月26日、他)やもともとフュージョン調リーダー作をジャズ・レーベルから出していたものの近年はジェフ・ベック(2009年2月6日)のサポートもしている英国人ジェイソン・リベロを擁するカルテットによる録音だったが(求める世界は重なるものの、1作ごとに協調者を彼はがらりとかえる)、パラディーノのような電気ベーシストを擁したこの晩の公演はそのECM3作目『サード・ラウンド』を基調とするもの。純ジャズ系の担い手とは明らかに何かが違う絵画的ジャズ表現をさくっと描く。サポート陣は皆パリ在住のようだが、サックス奏者は北欧出身のよう。

 マッチド・グリップで叩くカッチェは出しゃばることなく、芯と立ちのあるビートを飄々と重ねて行くという風情。それほど長くないセットを二つし、MCをする場合はステージ中央に置かれたマイクのもとに行って控え目にしたが、その風情がいい感じだった。

<今日のアイヒャー>
 カッチェに、ライヴ前に楽屋で取材。90年にインタヴューしていらい。痩身で、なかなか格好いい。人生をオープンに楽しんでいるがゆえの、ある種の賢さも感じさせるかな。ながら、質問に対しての答えはけっこう長め。とりとめがないのではなく、誠実に話を積み上げて、そうなっちゃう、みたいな感じ。TVのタレント発掘番組の審査員をやっているという、カイル・イーストウッド情報(2006年11月3日)も確かめてみたら、数年前までやっていたそうで、フランス版“アメリカン・アイドル”みたいな番組とか。「辛口批評を一手に引き受けるような感じになっていた」、とのこと。
 ところで、ロック界で売れっ子の彼が大々的にジャズ側の人間と絡んだのは、ヤン・ガルバレク(2002年2月13日、2004年2月25日)が最初。92年以降、彼のECM発のアルバムで重用されている。で、ヴォーカル・アルバム(92年BMG発『イッツ・アバウト・タイム』。デビュー作)以外のリーダー作3枚はすべてECMからリリースされているわけで、ECMとのディールはガルバレクとの関係から発展したのかと思いきや、真相はまるで違っていてビックリ。なんと、ECMの社主プロデューサーのマンフレート・アイヒャーから直接電話があって、ガルバレクのアルバムで叩いてみないと言われたのだそう。なんでも、アイヒャーは、ロビー・ロバートソンのセルフ・タイトルの初ソロ作(87年、ゲフィン)を聞いてカチェのドラミングに感銘を受けたとか。おおっ。あのアイヒャーはいろいろ広くアンテナを張り巡らし、引っかかったものを自分が信じるジャズに注ぎ込んでいるという事実が、そこからは浮かび上がるか。ちょっと、いい話。それを聞いて、ブルーノート創始者のアルフレッド・ライオンが晩年はプリンス(2002年11月19日)を愛聴していた、という話を思い出した。そういえば、カッチェのECMの初作はトーマス・スタンコ・バンド(2005年10月26日)を起用、同2作目はECMからリーダー作を出しているデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)も参加していたが、その重なりもアイヒャーの勧めがあったと考えると合点が行きます。

 昨年暮れにネット売りで出したカヴァー中心のコンセプト作『SOIL&"PIMP"SESSIONS presents
 STONED PIRATES RADIO』を出したやんちゃ6人組の、同作をフォロウする公演。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。チャールズ・ミンガスやマイケル・ジャクソンの有名曲のSOILヴァージョン等も披露しての、ジェットコースターのような1時間強。途中で、後藤篤(2004年8月20日)ともう一人トロンボーン奏者が出てきて、さらにメンバーのMC担当の社長もトロンボーンも手にし、3人で演奏するという普段の公演では見られない出し物も。フロントに立つ元晴(サックス)とタブゾンビ(トランペット)が自在のアクションとともに雄弁に音を重ねる様は、管楽器におけるサム&デイヴ、な〜んて言いたくなる? いろんな意味で娯楽性に長けているナと再確認。なお、この日、ドラマーのみどりんは33歳の誕生日であったとか。まだまだ、若いなあ。彼、髪型がクエストラヴ(2007年1月15日、他)みたいなアフロじゃなくなってしまったのは残念だけど、ますます好漢ぶりには磨きがかかってきたような。

 その後は、丸の内・コットンクラブに行って、米国人通受けギタリスト(2009年5月8日、他)の公演に。いつも以上に会場で知り合いと会って、挨拶を交わす。なるほど、ちゃんと支持者を持っているんだナ。

 一緒にやるのは、大御所ベーシストのロン・カーター(2010年5月6日、他)と、作/編曲の才にも恵まれたNY前衛/ボーダーレス音楽界を代表するドラマーのジョーイ・バロン(1999年9月24日)。フリゼールとバロンはジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)のネイキッド・シティでの同僚であるほか、かつてはいろいろ顔を合わせた仲だが、ロン・カーターの参加には?となる人がいるかもしれない。が、バロンの97年作『Down Home』(Intuition)はアーサー・ブライス、カーター、フリゼールによるカルテット録音作だし、フリゼールの方はカーターとポール・モーシャンとのトリオ作を出していたよな。そのモーシャンは、フリゼールとジョー・ロバーノ(2008年10 月8日、他)とチャーリー・ヘイデン(2009年9月10 日、他)でワーキング・カルテットをやっていたことがある。

 そんな3人による演奏は、現在のフリゼール流儀による、あっさりと淡い音を流し合うような方向にて進む。と、書いていいかな。演目は彼のECM時代の曲(「スルーアウト」)やロン・カーターのマイルス期時代の曲(「81」)から、サム・クック曲(「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」)やハンク・ウィリアムズ曲(「アイム・ソー・ロンサム・アイ・クッド・クライ」)まで。セットによってはスタンダードが多めになった日もあったようだが、なんにせよ、狼藉の先にある墨絵的紋様描きがあったのは間違いない。余裕こきすぎ、という感想も聞き、それも判らなくはないが、こんなことできるのはフリゼールしかいませんね。

 ステージ中央に位置するバロンは終始、うれしそう。向かって左手に立つカーターはいつものようにバシっとスーツを着ていて、マイ・ペース。ながら、実は今回、一番ぼくの心をとらえたのは彼。なんか、ジャズ・マンたる威厳とともに、悠々と長い指で楽器を奏でて行く様は文句なく格好いい。そして、世代もバックグラウンドも異なる人達とのお手合わせだと、そのまっとうさが逆に新鮮でもあり、頼もしくあり。かつては、やれ音程が甘いだの、エフェクター使用の加工音色はコントラバスの音じゃねえとか、けっこう陰口をたたかれた彼だが、いやあ、超然としつつ、しっかりとジャズたる何かを彼は全身/佇まいで語っていて、ぼくはうなった。そういえば、フリゼールは2001年ノンサッチ盤で、その名も「ロン・カーター」という自作曲を演奏していますね。きっと、彼も同じような心持ちを得たのではないか。

<節分の、タブゾンビと社長>
 2月3日夜に、故ジョン・カサヴェテスの命日に企画された、彼と朋友ピーター・フォークが出演した76年映画「マイキー&ニッキー」のプレミアム試写会に行く。映画冒頭に、パラマウント/ガルフ+ウェスタンの表示が……G+Wはアトランティックから切られたスタックスを一時買った企業ですね。現在アルツハイマーであるそうなフォークは「刑事コロンボ」でエスタブリッシュされた後もこんなチンピラおやじ役もやっていたのか。そういえば、この後に飲みに流れた際、「刑事コロンボ」は嫌いで「刑事マクロード」が大好きだったと言ったら、賛同者あり。まあ、歳がバレる会話ですね。と、そいうことを書きたいのではなく、映画上映後に、SOILの社長とタブゾンビが前に出てきて、数曲パフォーマンスをした。そのユニットは、ブルータル・リップスというらしい。タブゾンビは基本エフェクト付きトランペットを吹き(キーボードも少し)、社長はサンプラーを扱いフレキシブルに基本トラック出しを担当。巧みに映画中の印象的なセリフをサンプリングした流麗ジャジー・サウンドにトランペット音が響く。イメージは、ミレニアム版『死刑台のエレベーター』?

 シングル・ヒットは79年から83年の間に集中している、オハイオ州出身の9人組セルフ・コンテインド・バンド。3年ぶりの来日となる。面々は黒のキャップ、シャツ、パンツで、カジュアルに身を固める。おや、前回みたと見たとき(2007年5月16日)より、少しルックスが若くなっているような。

 ちゃんとチェックしていないが、前回と顔ぶれは変わっていないんじゃないだろうか。リード歌手のマーク・ウッズが中央に位置し、その両側にはヴォーカル補佐担当。その3人はとくに前半部、一緒にいろいろと動いて、客を湧かせる。そして、演奏陣は6人。おもしろいのは、打楽器もときに担当する鍵盤ベーシストと普通のベーシストがそれぞれいること。それもまた、バンドの“腰”を出す? ギタリストのスティーヴン・ショックリーは背中にかけた装置でギター信号を飛ばす。ようはコードレスなので、弾きながら、自在に客席におりていけますね。まあ、常軌を逸した長さのコードを使い、演奏中に会場の後まで行って演奏することを是としたアルバート・コリンズのようなブルース・ギタリストもいたけど。いろいろ見せ場ありの、ばっちり楽しめるファンキー・ショウ。ヒット曲の一つ、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」のカヴァーもこってり決まる。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 その後は、ジャズ歌手のケイコ・リー(1999年8月29日。読み返すと、あの頃はブルーノートは禁煙じゃなかったんだな)を、南青山・ブルーノート東京で聞く。もともと声とフィーリングが飛び抜けている人だが、本当に力を抜いて素直に(崩さず)歌うようになっており、ちょっとした歌の隙間のようなところから、自分のジャズ観をおおいに出そうとしているのが、ここのところの彼女のポイントだ。昨年出た新作『Smooth』(ソニー)もその線で、行っていますね。

 リーは最初、かなり背中の出た妖艶なドレスで登場。中盤で一度ステージを降りて、黒のパンツ・スーツに着替えて、また出てくる。抑えて歌い、そこから香り立つ味で勝負という行き方は、ここでも存分になされる。MJ曲(「ヒューマン・ネイチャー」)、イヴァン・リンス曲(「ヴェラス」)、バカラック曲(「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」、クイーン曲(「ウィ・ウィル・ロック・ユー」。かつて、彼女の静謐ヴァージョンがタイアのTV-CFに使われたことあり)、ストーンズもライヴでやっていたスタンダード曲(「ニアレス・オブ・ユー」や同じくマリン・ガールズ(トレイシー・ソーン)が取り上げてもいたスタンダード(「フィーヴァー」)など、メロディアスな曲を主体に取り上げていたこともあり、彼女の歌は聞き手に優しく入り、余韻を残すものではなかったか。聞いていて、気持ちのいい癒し味があるなあとも、ぼくには思えた。伴奏は、実はリチャード・ティーのような弾き方をさせたら日本人で一番上手い野力奏一(キーボード、ピアノ)、そして岡沢章(電気ベース)渡嘉敷祐一(ドラム)という、ずっとやっているヴェテランたち。ただ、今の行き方なら、ギターでもキーボードでもサックスでもいいが、もう一つは楽器音がほしいとも思えた。それから、野力にはもう少しピアノを弾いてほしかった。というか、キーボードの音色がぼくの好みと合わなくて辛かった。なかには、リーがピアノを弾きながら歌う曲もありました。


<今日の神楽坂>
 二つライヴを見た後に、ぴゅうっと神楽坂に行っちゃう。むかし渋谷のミリバールで働いていたタイチくんが銀座のお店を経て、新たに出したお店“MANVAR”(マンワール)に、いろいろ知り合いが集まっているというので。おお、神楽坂のタイル地の小道を歩くなんて何時以来だろう。遅く行ったためワインを飲むだけで食べてはいないが、地中海バルを名乗り、シェフが二人もいる。今、一番忙しい時期だろうに、某誌の編集長もいて、びっくり。その後、さらに飲みたくて、渋谷で途中下車。そしたら、え〜ん。ぼくの人生、まだまだいろいろありそう。