今回のコステロ公演はソロによるパフォーマンス。会場は、渋谷・文化村オーチャードホール。こういうクラシック音楽用途の会場でのロック・アクト公演はほのかにスペシャル感が増す? ステージ上には8本ぐらいギターが立ててあったかな。ほんの一部の曲ではプリセット音を流す場合もあった。

 いつだって、どこだって、何をやってもオイラはオイラ。自己バンドのジ・インポスターズとやろうと(2002年7月5日、2004年9月19日、2004年12月8日)、アラン・トゥーサン(2007年10 月21日、2009年5月29日、2011年1月11日)とやろうと(2006年5月31日、2006年6月2日)、フル・オーケストラとやろうと(2006年6月2日)、フェスでやろうと(2004年9月19日、2009年9月8日。フェスだと通常の単独公演以上にコステロは青筋立てて気張る、という印象をぼくは持つ)、もうコステロたる濃い無形のものが横溢しちゃう様は彼でしかないよなー。2時間近く、でっかい声で歌い、ギターを鳴らし(けっこう、うまくなったなと思えた。エフェクターを駆使する場合もあり)、オイラを仁王立ちさせる。

 子供のように嬉々として、自分を開く。独演会、という言葉がぴったり合うか。こういうのを見させたら、じっくり対峙しようとする日本人は本当に向きではなのではないか。そして、曲が終わると、割れんばかりの歓声。熱心な聞き手がちゃんとついてるなー。「悲しみをぶっとばせ」や「シーズ・ア・ウーマン」、ザ・ビートルズ曲を自作曲にくっつけて披露したりも。「スマイル」と「シー」のメドレーはサーヴィス? あと、仕草とか、そのお茶目さが手に取るように全開になっていたのも、今回のポイントではなかったか。

<今年のフジ・ロック>
 終演後、知人たちと流れた先で、出演者の第一弾を発表する会場で配られたチラシを元に、フジ・ロックの話で少しもりあがる。イケてる人が少なくないんじゃなーい、と。通受けルーツィ&フォーキィ・バンドのジ・アヴェット・ブラザーズ、ウィルコ(2003年2月9日、2010年4月23日)、ケイク(2006年3月16日)といったように花丸米国勢が充実してるぞーというのがそのときの一番の話題。G・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2008年10月9日、他)も出演が決まっているので、ジ・アヴェット・ブラザーズとの共演(2011年2月11日参照)もおおいに期待できる。あと、アタリ・ティーンエイジ・ライオット、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト、インキュバス、ザ・シスターズ・オブ・マージー、YMOなど再結成/お久しぶりアクトも多そう。一度フェス出演がキャンセルになったことがあるはずのコーナーショップのギグも、ぼくは楽しみ。そして、今のところ一番ワーイなのは、コノノNo.1(2006年8月26日、27日)とカサイ・オールスターズ(2007年10月25日)というコンゴ勢選抜群とディアフーフ(2004年3月18日、2009年2月1日)やファナ・モリーナ(2002年9月7日、2002年9月15日、2003年7月29日)らポップ側にいるオルタナ勢がいろいろ絡む“コンゴロニクスvs.ロッカーズ”という出し物。それ、昨年出たリミックス的発想を経た飛躍盤『コンンゴトロニクス世界選手権』(クラムド・ディスク)をもとに、開かれた場で枠外しをしようとするもの。今年の欧州夏フェス・サーキットの目玉でもある同プロジェクトの実演ははたしてどうなる? そこに、別枠出演者のフォー・テットなんかも重なったらとか、妄想は膨らむ。最低でも2時間半は演奏時間を取ってほしいものだが。

南博トリオ

2011年3月2日 音楽
 ある種のジャズ・マン的美意識を感じさせるピアニスト(2001年10月29日、2005年6月9日、9月11日、2006年10月25日、2007年4月12日、2007年10月17日、2010年3月26日)の、高品質音楽配信用のレコーディングをかねた公演。南に加え、鈴木正人(2009年10月31日、他)&芳垣安洋(2009年9月27、他)というおなじみのリズム・セクションがついてのパフォーマンス。でも、これとは別に録音もするのかな? ベースはアンプを通していたが、ピアノとドラムは生音。ステージ中央前に、録音用マイクが立てられている。素材はビリー・ストレイホーン他のスタンダード曲(すでにこのトリオで同様の指針を持つアルバムを2枚出している)、それをあって然るべきねじれや諧謔やツっぱりを淡々と滲ませつつ披露する。南はけっこう曲間にはボヤキ濃度の高いMCをかまし、苦笑を誘った。南青山・アリストホール。昨年、秋にできたそんなに小さくはないスペースでベーゼンドルファー275(ピアノ)が常備してあり、基本はクラシック用途か。地下2階にあり、天井高がないけど、おそらく音響には気をつかった会場なはず。

<今日のくじ>
 くじ運が悪いためもあり、例年チェックすることはないのだが、2等ぐらい当たっているかもと言われ、遅ればせながら、いただいた年賀ハガキの番号を調べる。我ながら、他人の言葉に左右されやすい。出さないわりにはそこそこの年賀ハガキ数があった(出していただいた方々、本当に申し訳なくも、ありがとうございます)が、切手シートが2枚あたっただけ。ま、こんなもんか。景品は時代とともに変わっているのだろうが、目録を見て、本当にこれらが皆が望む景品なのかと少し首を傾げる。2等のアイテム、ぼくはどれも魅力を感じない。それと、今は民営になったからシノゴ言うものでもないが、景品のメイカーはどういう基準で選んでいるのか、ちょっと気になりました。

 音楽の世界/癖あるミュージシャンとの付き合いもいろいろ持つ山本政志監督の新作「スリー・ポイント」試写を、渋谷・アップリック・ファクトリーで見る。そのタイトルは、異なる場所で撮られた異なる様式を持つ、3つの塊を組み合わせていることから来るようだ。一つは京都で撮影したもので、京都で活動するヒップホップの担い手たちの一コマをその音楽性やキャラクターを活かしつつ、ヤヴァくもいい感じでフィクション化して描いたもの。それと、映画中で交錯するように出てくる沖縄編は沖縄の4カ所で出会った、人間臭い人達と(監督と)のやりとりを収めたドキュメンタリー。やっぱ、別な環境があるよな。そして、後半の半分ぐらいを締めているのが、ちゃんと脚本があり役者を立てて撮った通常の映画(って、変な書き方だけど)。居場所のない男女の現代的風景を描く、とでもなるか。

 力ワザというか、見事に定石外し。フィールド・ワーク音と卓録とちゃんとスタジオ・ミュージシャンを雇って録ったものを、勢いで1枚のコンピ盤にしちゃったような映画、とも言えるか。ちょい東京編は他の二つから少し乖離しちゃっているが、行き当たりばったりな先にある、勘や趣味の良さ、なんか引かれる手触りがあるのは確か。とともに、それは、メインストリームの外を自分の足できっちり歩いてきた者ならではの視点ありきな、現代形而上のカットアップとなっているはず。それから、音楽の使い方はやはりセンスがいい。5月7日から京都シネマ、中旬から渋谷・ユーロスペース他で公開される。

<今日の工事>
 道路を挟んだ建物の解体が始っており、うるさい。8時から、きっちり作業しているもんなあ。ザクザクザク、ガタガタガタ、ガーガーガアっ。とか、工事音を書き留めたら、往年の南部ソウルのかけ声/擬音を書き留めているようなキブン? 一瞬だけサイバーソウルマンの気分になりました。と、それは嘘だけど。

 ゴラスゴー。その英国スコットランドの最大都市を、音楽の面では一番代表しているバンド……、ベル&セバスチャンのことをそう書いてもそんなに誇張にはならないんだろうな。とは言いつつ、その淡さがなかなかぼくのココロには入ってこなくて、ぼくの中では大きな場所を占めるバンドではないのだが。ゆえに、今回はじめて見る。新木場・スタジオコースト。

 すげえ、客が入っている。立錐の余地なし、の一歩手前。で、男女がほんわか、和気あいあいとパフォーマンス。生ギターとか用いない曲であっても、こんだけフォーキィに聞こえるバンドも珍しいのでは。草食系、とも言いたくなるか。なんでも、ベース奏者は慶事のため、お休みとか。それも、このバンドらしかったりして。驚いたことに、ヴァイオリン4人(ヴィオラもいたかも知れないが、遠目には良く解らん)とチェロ奏者が同行させてて、曲によっては加わる。過去もそうであったようだが、それでまた柔軟濃度は高まりますね。彼らは容易に客をステージにあげたりもしたが、最初に女の子一人をあげた際にやった、彼らの曲のなかでは比較的ビートの効いた曲では、ギタリストはロビー・ロバートソンを想起させるピッキング・ミュート奏法を少し見せる。ザ・バンドのファンなのだろうか。メンバー間で少し楽器の持ち替えをしたりもするが、それによって、曲の表情が変わることはそれほどない。気負いなく振る舞いつつ、皆が重なる様は、ブロークン・ソーシャル・シーン(2008年3月8日)の様を少し思い出させるところもあったかも。移動のため、最後までは見れず。。。

 そして、今のニュー・ソウル的表現を求めるフランク・マッコム(2004年4月15日、2004年5月10日〜レイラ・ハサウェイのサポート、2006年9月3日〜マーカス・ミラーとの共演、2006年12月7日、2008年11月16日)を丸の内・コットンクラブで見る。今回は電気ベース、ドラム、パーカッションを従えてのもの。パーカスが入るとハサウェイ濃度が増す?

 1曲目からキーボードを弾きながら歌い、今回は歌もの度数が高いかもと思っていたら、途中から、キーボード・ソロのパート(やはり、ハービー・ハンコックのヘッドハンターズ表現期からの影響が強い)が長くなり、インスト曲も披露。まあ、基本の聞き味はそんなに変わりなく、危なげなく。その持ち味だけでお金の取れる人。間違いなくそういうタレントではあるが、何度も実演を見ている者(2009年来日時は見ていないが)にとっては、なんか大胆な変化がほしいナとちょい思えたりもした。それは意外な曲調のものをやるとか、バンド編成を変えるとか、そういうことでもいいんだけど……。丸の内・コットンクラブ。

<今日のブルル>
 昨日もそうだったが、寒いよ〜ん。晴天で、部屋にいるぶんには温かそうなのに、外に出るとけっこう風があり、その風が冷たくて、えーん、となる。日が暮れて、新木場の海風に当たるのは気分的にも辛い。同駅ではディズニーランドのお土産袋を持った人も見かける。東京ディズニーランドもとうぜん近くにあるが、冬場は風が強くはないのかな。

イーグルス

2011年3月5日 音楽
 見事。とっても、良かった。彼らの熱心なファンではないが、ほとんど馴染みのある曲で、生活レヴェルに溶けたいい曲もちまくりなんだァと痛感もした。それで、見ていて頷かされたのは、ドン・ヘンリーは少し太めになったものの、ちゃんとアンチ・エイジングしているというか、見た目が過剰に老けていないこと。往年のロッカーははげちゃう人も少なくないが、みんな髪もフサフサしていた。で、そんな彼らは、みんな歌がうまかった。コーラスも本当にばっちり。複数歌える人がいるバンドは強いし、今イーグルスはコーラスの綺麗なグループとしてショウではアピールしようとしているのは間違いない。グレン・フライのポライトなしゃべり口にもセレブやなあと思わせられたか。

 大坂、名古屋、東京(2回)、というドーム会場ツアー。そのノリはおそらく海外でも同様なはずで、バンド充実期を過ぎても、こんだけ人気を獲得し続けている例も珍しいはず。客は中年以上だけだけど。

 だが、そういう人気の大きさに見合うように、胸を張って、面々はいろいろと変化をつけながら、イーグルスの曲を聞き手に届けていく。2部構成で、1部は1時間。2部は3曲のアンコールを入れて、2時間強。しかも、4人の現メンバーに加え、9人ものサポート奏者(4人はホーン・セクション)を連れている。うち、ほとんどの表に出るリード・ギター音/重要装飾ギター音を弾いていたサポート奏者のスチュアート・スミスはほぼ完璧に盤音を再現。フレイジングだけでなく音色、その微妙なニュアンスまでばっちり弾いちゃう。こんな名人がいたんだァと、ぼくは舌をまいた。

 そのぶん、ジョー・ウォルッシュの活躍するパートは確実に減っているし、リード・ヴォーカルを取る曲もないしィ、あまりバンドにいる必然性がないなあと感じていたら、1部の終盤に『ロング・ラン』に入っていたずっこけ曲「イン・ザ・シティ」でやっと彼は前に出る。で、2部のほうに入ると、途中からショウの流れを壊すような感じで、ごんごんフィーチャーされる。客とのお茶目なコール&レスポンスも、やんちゃ坊主たる彼の面目躍如。ソロとしても大成功したドン・ヘンリーが歌ったソロ活動曲でやったのは「ボーイズ・オブ・サマー」と「ダーティ・ランドリー」(ジョー・ウォルシュの影響を受けたようなこの曲に、ぼくは望外にグっと来ちゃった)の2曲なのに、ウォルシュがやった非イーグルス曲は「ウォーク・アウェイ」、「ライフズ・ビーン・グッド」、「ファンク#49」、「ロッキー・マウンテン・ウェイ」と4曲も。なんせ、ぼくが人生で一番聞いた回数が多いのがたぶんウォルシュの“ミラー・ボール”(76年ライヴ盤。この後に、彼はイーグルスに入り、ぼくをがっかりさせた)という人だけにそれはそれでうれしかったが、どうせならファンキー・ロックの金字塔的曲とぼくが信じる「タイム・アウト」(←昔、ヌーノ・ベッテンコートに取材したとき、彼もそれに同意)を聞きたかったなー。ただ、彼のパフォーマンスはイーグルスたる大人かつ豊穣な何かをぶち壊すもので、後半のウォルシュの出具合については苦々しく感じる聞き手も少なくなかったのではないか。でも、後から入ったウォルッシュにヘンリーやグレン・フライは好きに振る舞わせている。それ、度量がデカいと取っていいものか。俺でさえ、ティモシー・B・シュミットやフライがもっと前に出た曲があっても良かったと思えたもの。
 
 金持ち喧嘩せず。なんか、そんな言葉も頭に浮かぶ東京公演でした。

<今日の白い屋根>
 久しぶりの東京ドーム。何年か前にレッド・ホット・チリ・ペッパーズを見に来ていらい。あ、そんとき終演後にアリーナで知人女性と立ち話をしていたら、後通った小僧にベロンとお尻さわられたと言っていたな。なんと、大胆な。17時を少し回ってショウは始ったのだが、ドームは少し光を通すため、天井が明るい。日が長くなったんだあと実感。1部の「イン・ザ・シティ」の終わりのとき、ドームの白い屋根が俯瞰映像となってどんどん広がり、最後は地球を映した図になるという、グーグルの映像を拝借したものが背後に映し出される。どうってことないが、そういうのをぼくはうれしく感じる人間。それ、会場ごとに仕込み直して、客を湧かせようとしているんだろう。映像ヴィジョンはスクリーンの後に半円系のものがでっかく設置。曲によって、いろんな仕込み映像/実況映像が流されました。

 当初予定されていたジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)に変わり、DJクラッシュが入っての異種交流のもよおし。2人に、雅楽道友会という雅楽の集団が重なるというもの。三軒茶屋・世田谷パブリックシアター。

 最初はクラッシュ(ターンテーブル、装置)とラズウェル(エレクトリック・ベース)、2人のセッション。クラッシュは雅楽と繋がる音源を用意している。その2人のお手合わせデュオ演奏の間に、綺麗な(観光地的、という感想も得るか)着物をまとった10数人の雅楽の演奏家(おやじもいたが、若目の人が多かったのでは)と一人のダンサーが出てきて、3曲(だったかな?)トラッド曲を演奏。その際は、クラッシュとラズウェルは見守りつつ、少し干渉音を入れるという感じ。当方、ちゃんとした雅楽に触れるのは今回が初めてて、なんと言っていいものやら。ただ、雅楽集団の笛の音などの重なりは面白く、はたしてゾーンだったらどう対処したろうか。なお、ジム・オルーク(2010年11月17日、他)もオン・フィルモア(2010年4月15日)らとこの雅楽道友会と、3月25日に六本木・スーパーデラックスで一緒にやることになっている。

<今日も雪>
 朝からごんごん、雪が降っている。積もりはしなかったが、3月に入ってからも降雪は2度目かな。そして、夕方は雨。しかし、(チケット売り切れじゃない場合)当日券客を少しでも見込みたい公演送り手側は悪天候だったりすると、ブルーになるんだろうな。ところで、雪のせいではないだろうが、なんか会場内が不思議と冷えていた。最初にDJクラッシュとビル・ラズウェルが出てきても、一切拍手も歓声もなし。一瞬拍手しようかと思ったが、ぼくも機を逸しちゃった。その受容の様はその後も続き、曲が終わっても、雅楽の人達が出たり入ったりしても、場内はシーン。長いライヴ享受歴のなか、さすがにこんなことは初めて。なんか、気まずいなあと、見ていた人もは少なかったのではないか。そして、それは出演者も同じはず。終わりの方はさすがに拍手がおくられましたが。

 渋谷・アックス。ダフ屋もでていたけど、混んでいたなー。この会場だと、シガー・ロスんとき(2006年4月6日)の混み方は凄かったが、それと匹敵するんではないか。この褐色のUKシンガー・ソングライターはこれまでも単独公演やフェス出演でやってきているはずだが、過去都合が合わなくて、ぼくが見るのは今回が初めて。去年リリースされたクエストラヴ(2002年12月 29 日、2003年12 月2日、2004年9月19日、2007年1月15日)制作の2作目はとっても好みで、けっこう胸弾んで会場に向かいましたとサ。

 演目の2/3はその新作から。でも、バンドは少し役不足なところがあって、盤での音を思い出すと少しフラストレーションがたまる部分もあった。また、コリーヌの歌もCD上でのいじらしいほどの微妙なニュアンスを生の場ではちゃんと開けてはいなかった。が、それをちゃんと認めた上で、いいショウ、人の心をきっちり引く、好ライヴだったと思う

 まず、なんと言っても、アリガトウゴザイマスというだけのちょっとしたMCとか、ルックスとか、佇まいとかが醸し出す可憐さは、CDだけ聞いていては絶対伝わらないもの。気持ちをこめ、うれしそうにパフォーマンスしている彼女には本当に得難い輝きやしなやかさがあった。嗚呼、これもライヴならではのありがたさ、ですね。澄んだ意思とともにロックとソウルの間を自在に泳いで行く、彼女に乾杯、とか、書きたくなる。

 そして、カヴァーも良かったんだよな。と、そちらの意義、それが彼女にもたらす深みもまたとてもうれし。それを書くと日経新聞の公演評と重なってしまうので、このぐらいにしておこう。

 六本木・ビルボードライブ東京。ファースト・ショウ。やっぱり、妙味あるなあ。過去公演は、2008年2月20日、他。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。エリック宮城がフルでくわわっていた。満員。過去公演は、2010年5月11日、他。
 シンディ姐さんと言えば、この4日にブエノスアイレスの空港にて、女っぷりの良さで株を上げた。なんかフライトが乱れ足止めをくっておこる人達を、その場に居合わせた彼女が空港だか航空会社だかのカウンターのマイクをもって、持ち歌「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」をアカペラで歌って拍手喝采を受け、場を和ませたというもの。秀でた歌手であること、音楽の力を行使したちょっといい話、ではありましたね。

 そんな彼女はメンフィスのハイ・スタジオで録音したブルース・アルバム『メンフィス・ブルース』をフォロウするワールド・ツアー中で、なんでも地震があった当日に日本入りしたらしい。で、日本にいる外国人が本国に戻ったり関西に流れるなか、そのまま滞在して、公演をまっとうする、と発表された。すげえ。見事な生粋ミュージシャンっぷり。マネイジメントは放射能汚染を恐れて帰国なり、次の公演地の豪州に飛べと指示を出さなかったのだろうか。なんにせよ……、私は歌うし、それで日本の人々を力づけられたら! その姐さんの澄んだ心意気に応えなくては、とは思うし、普段のうのうとコンサートに行っている身としては、それをちゃんとリポートするぐらいのことはしなきゃと思った。被災している人がたくさんいる中、また電力が足りなくて計画停電が行われたり、列車ダイヤが乱れるなか、音楽公演などやっていいいのかという、批判はあるだろう。正解は判らない。だが、彼女の行動で力づけられる人は間違いなくいるはずだ(会場で義援金もあつまったはず)。

 と、書きつつ、実は見に行くかどうか直前まで不明だった。その最たる理由は、ぼくの78歳になる母が福島県いわき市の郷ケ丘に住んでいるから。地震の被害にはほとんどあっていないが、水道のとまった(電気とガスは通じている)家にいる。やはり、原発関連で、心配しないわけがない。80年代中期に広瀬隆著作にはビビったので、そういうのには、ぼくは敏感だ。常磐線は不通になっている。車を持っていて、逃げられる人はけっこう逃げているとのこと。今日のお昼に向いの一家に誘われていわきを脱出すると連絡が母からありホっとしたのもつかの間、ガソリンが満足に給油できないのと、道が混んでいて、断念との連絡あり。かといって、迎えに行くといっても、がんとして受け付けない。母のことを思うと、東京は安全かとかいう思考も飛んでしまう。

 それで、さらにブルーになり……。でも、18時過ぎに元気な母と電話で話し、少し気が晴れ、渋谷・オーチャードホールに向かうこととした。当日券はすぐに買えた。

 そんな状況で会場入りしたため、ローパーが颯爽と出てきた際には、なんか泪がでそうになった。すぐに一階席は総立ちとなる。一時太ったはずのローパーはなかなかスリム。とっても、若々しい。バッキング・バンド(ギター。キーボード2、ベーズ、ドラム)は多くはメンフィスのミュージシャン。うち、アフリカ系は3名。信頼関係がちゃんとできているのが判る。そして、この晩は(?)5、6曲で、日本人トランぺッターのTOKU(2008年8月19日、他)が加わる。シンガーでもある彼の新作は、スティーヴィー・ワンダー曲集だ。そんな陣容で披露する多くは新作にはいっていたブルージィ&アーシーな曲。が、そのブルーな曲調が、ときにぼくの心を少し逆に曇らせた。やはり、母の事を思い出してしまう。落ち着かなくなる。もともと度量が大きいとは思わないが、こんなに自分がケツの穴が小さな男とは思ってもみなかった。とともに、昔は両親のこと嫌いだったが、今は好きなんだなとも確認できた。

 ときどき、昔のローパーの持ち歌をやると、張りのある声がより生き生きとアピールされる。やはり素晴らしいヴォーカリスト、と実感させられる。実は過去ローパーの公演に行ったことはないので、普段の彼女がどんなパフォーマンスをするのかは知らない。だけど、(これまでもそうだろうけど)ちゃんと自負たっぷり、気合いを入れた“輝く”歌唱を繰り広げたのは間違いない。たいした、タマ。彼女は何度も(1曲目から)何度も、客席側におり、客席の椅子にも立ち、気持ちいっぱいに歌う。彼女を中心に一階席は輪状になる。と、書いてて、すこし感動する。平常心だったら、本当にココロうたれたんだろうな。

 かつての有名曲をやった、アンコールはまた良かった。日本人は強いのよ、という彼女のメッセージを肝に命じます。彼女と鍵盤とTOKUでやった最後の曲(「トゥルー・カラーズ」)の歌詞がうろおぼえだが、胸にしみた……。やはり、一生わすれられないコンサートになると思う。そして、ローパーはぼくの中で大きな位置を占めるシンガーとなった。17、18日と東京公演があり、そのあとは大坂公演もあるはず。

 ついでに、得意のライヴ会場のハシゴを。南青山・プラッサオンゼに回る。母の居住地を知っているお店の方々が心配してくれる。ありがとうございます。ここはできるかぎり、ライヴ/営業を続けるという。この晩の出演者は歌とギターの東輝美、そこにハーモニカのmatsumonicaとギターの前原孝紀が加わる。演奏部になると、けっこうインプロヴィゼーショナルな行き方を見せる。主役は、醒めたテイストで歌を歌う人なのだが、その導く味にはいささか驚く。日本語のオリジナル曲とジョルジ・ベン他のブラジル曲をやるんだけど、自作曲に特に顕著なのだが気怠くもブルージーな情感を持っていて、そういう味わいとブラジル的なニュアンスがこんな風に重なるとは思わなかった。ぼくが見たセカンド・セットはとくにダーク目の曲が多かったよう、ああ今日は青色曲を聞かされる日なのだと、悟りました。

<少し、明るい話も>
 高校の同級生から、状況を問う電話もあり。自分のほうはOKでかけてきたのかと思って、そちらは大丈夫なんだよねと問うたら、実は両親とは連絡とれなくて、半ば覚悟を決めていると言う。実家は海の見える所にあるそう。がーん。そしたら、昨日、無事なのが判ったと、連絡があった。部屋のなかの光度が倍になったような気持ちになった。
 いわき市にはアリオス(2010年10月3日、他)という立派な複合アート文化施設がある。そこのマーケッテイングのスタッフと電話で話したら、今施設は避難場所になっているという。そして、たしか沼津出身の彼はそこで不休で人々のケアにあたっている。現場は腹が据わっていますよ、と、彼は爽やかに言う。オレも前向きにいかなきゃ。
 母は気丈だ。地震があったときは、美容院に行っていて、普通に動いていたバスに乗って帰宅したという。スーパーにはモノが売っていて、買い物にも行っている。本当は屋内にいてほしいのだけど、そうもいかない。もっと大変な境遇にいる人が山ほどいるのに、視野の狭い記述ばかりしてて、ぼくは少し恥ずかしい。

 でも、ぼくは音楽の力を信じる!

いわき

2011年3月18日 音楽
 16日のシンディ・ローパーの項で、いわき在住の母のことに触れたら、いたわりや心配の連絡等をいただいたので、その後のことを書いておきます。もっと酷く、ままらならない状況の方々がいるのに、自分本位の記述で申し訳ない。

 その後、一度脱出を誘ってくれた向かいの家族は(道がすいているだろう)夜中にとにかく行けるところまででも行こうと出発。中途半端なところに連れていかれるときついし、母よりは10歳ほどは年下だそうだがおじいちゃんが少し具合が悪そうなので、母が乗らなければ横になっていけるだろうという判断で、母は誘いを断ったという。が、配給の水を運んでくれる人もいなくなったわけで、17日の夕方には迎えに行くしかあるまいと判断。情報を収集すると、高速は閉鎖となっているものの、上りはいわき中央ICから乗れるようになっているという。

 最大の問題は、ガソリン。今、ぼくの車には8割弱の量が入っている。はたして、ちゃんと往復できるか。やはり、満タンで出かけたい。夕方から、ガソリン・スタンドを探すものの、物凄い列になっているか、閉鎖されている。ともあれ、ある給油所の列に並ぶと今日はおしまいです、と言われる。その後、高樹町のデカいスタンドが開いているのを見つけ長い列の末尾にならんだら、やはりもう駄目ですと言われる。ヘコんだなあ。給油所さがしで、余分なガソリンを使ってしまった。夜、電話で話すと、大丈夫だし、夜は絶対に来るなと、母は言う。ここで、彼女の気持ちを乱してもしょうがない。だが、ぼくも心配で心配でたまらない(こんなに、食欲がなくなったの、マジはじめて)し、原発事故は長引くだろうし、明けたらいわきに向かおうと心にきめた。

 明けて、18日。いろいろニュースを見たり、水もなくなってきたらしく、不安になったようで、電話をすると迎えにきてほしいと、初めて母が言う。車に入っているガソリンで東京まで帰れるか不安だが、賭け、だ。母も途中で止まってもいいから、と言う。

 で、7時30分すぎに出発。首都高から常磐道に入る。初めて、ピーター・バラカンさんのFM番組を聞く。知っている人の声を聞いて、少し落ち着く(実は、ぼくもけっこうテンぱってました)。途中のサーヴィス・エリアは給油しようとする車の列が本線にまで伸びようとしている(それは、上りも)。燃費のことを考え、なんの根拠もないが、90キロ走行を取る。往路は、水戸手前の友部(以北は閉鎖)でおろされ、以下は一般道(国道6号)を進むが、けっこう渋滞している。それはあちこちで起きていて、ガソリン・スタンドに並ぶ車の列が引き起こすもの。気がせく。途中、カーナヴィは交通状況が変わりましたのでルート変更しますといって、大きく迂回する道を指示するが、ガソリンの消費量が心配なので無視。一般道では、ぼくはマニュアル車に乗っているので、ニュートラル多用。できるだけ、燃費の良い運転をこころがける。途中の北茨城市あたりで、道の端に津波でやられた廃棄物がつんであったり。いわき市に入ると、ほとんど人は見ない。が、ぼくの通った道すがらは、見た目は地震関係の被害はほとんど目につかない。ずっと、浦安のほうがやられているような気がした。

 普段は2時間ちょいのところを6時間かけて、実家に。ここらへん、いると決めた人はいるし、避難すると決めた人は結構でているよう。一緒に乗せるような人はいない、とか。それで、荷物を乗せ、母と東京に向かう。帰りはすぐに高速に乗れて、いたって順調。後は、ガソリン消費との戦い、のみ。途中から、どんどん緊張がほぐれていく。ガソリンが危なかったら、水戸の知人の家に車を置かせてもらって、駅前からでているという東京駅行きのバスに乗ろう。もし、母が疲労しているようなら、ホテルに泊まってもいいとか、いろいろ考えていた。が、ガソリンのメーターは過剰に減っておらず、このまま行けそう! 途中で、知人にぼくの家の近くのホテルの手配を依頼。そのほうが、母もゆっくり寛げるだろうから(わがままな佐藤家はそういうところ、とても現実的)。結局、無事もどれた。俺、ガサツなくせにエコ走行の達人? 初めて、ルノー車って燃費がいいんだと認識した。とにかく、こんなに運転席に座り続けたのは初めて。家につくと左足にかるくマメっぽいのができていた。クラッチを切るとき、力が入っていたんだろうな。

 車で聞いていたのは、ラジオ放送が主。あと、なぜか車にあった、再結成後の10ccの昔のCDを聞いた。和めた。それから、FM放送で流れたケニー・G、わるくないじゃんと思い、びっくり。ぼくの大好きなタイプの音楽は逆に平穏な時の音楽なんだなと、実感。今回、ぼくが当事者の方に入るのだなと思えたのは、原発の報道に関しての所感。普通だったら、ちゃんと情報開示せんかいとか不満を持つところ、今回はぜんぜん異なる思いを得た。オブラートに包んで、できるだけ希望が持てるように報道してくれ、と。だって、母のような境遇にいる人は家に留まる事をしいられ(母が住む郷ケ丘は第一原発から40キロぐらい)、鉄道が止まっているため自分では逃げる事ができない。だけど、TVは付けっぱなしにしていて、彼女達は唯一と言っていいだろう情報をそこから得る。ゆえに、過剰な安心を与えてはいけないが、絶望ではなく、報道は少しでも希望が持てるものであってほしいではないか。


<今日の、公演>
 上のような顛末なので、見れなかったが、下北沢でUKパブ・ロック系シンガー/ハーピストのルー・ルイスの来日公演があったはず。実は、大学時代に、彼の「ミスター・バーテンダー」という曲をやったことがあります。さぞや、熱いライヴになったんだろなー。

 会場に向かう際に通ったセンター街は、かなりの人出。東北のぶんまで、被害にあってない者はちゃんと経済活動をしなきゃいけない。渋谷・gee-ge。初めて行くが、こんなハコがあったのか。そこそこ広さもあり、音の響きもいい感じ。で、入りは上々、それはホっとさせるものであったな。

 ショウの一部は、比屋定篤子(2007年11月27日)と 笹子重治(2002年3月24日、2007年11月2日、2007年11月27日、他)とのデュオ。2部は比屋定とピアニストの鬼武みゆきのデュオですすみ、途中から笹子も加わり、終盤は3人でパフォーマンスした。

 優しい思いやりのある音楽が、アット・ホームななかで流れた夕べ。浸れた。ボサっぽい爪弾きギターの日本人大家と、グラストン・ガリッツァ(2009年10月12日、2010年7月22日)と昨年一緒にツアーをやり一緒にアルバムを作る予定もあるという鬼竹みゆきの、おいしい間やメロディ感を持つ演奏を受けて、比屋定が生理的に天真爛漫に振る舞う。確かな音程のもと、言葉の乗せかたが綺麗だなと感じた。大貫妙子の曲なども歌ったが、披露した曲の多くはオリジナル。もちろん、日本語。で、それらが一般性の高い所謂“シティ・ポップ”的手触りをどれも持っていて、ほう。が、それらは通り一遍のポップスにはらない、広がりやアダルトさをほんのり持っているわけで、そうさせるのは南米の音楽に対する心得なのだと思う。あ、それと、比屋定の沖縄育ちという属性も同様か。

<今日の、心持ち>
 本能を信じて、いい人で行こうと思う。自分のできることを、ちゃんとやろう。

 まず、渋谷・O-WESTで、ソウル・フラワー・ユニオン主宰のイヴェントを見る。27日も同所であるが、この日はカーネーション(2009年12月23日、他)が共演者。まず、ソウル・フラワーの中川敬が出てきて一声かまして(ちょっとしたことでも、頼もしさが出る人だな)、そしてカーネーション(2009年8月9日、他)が登場。今回、ドラムは宮田繁男が叩き、含蓄たっぷりの歌心あるシャープなおやじロックを颯爽と披露。前半からソウル・フラワーの奥野真哉が出てきて、キーボードでずっと加わる。聞き手をいろんなところに持って行く力もあって、やはり支持したいバンドですね。

 そして、休憩を挟んで、主役のソウル・フラワー・ユニオン(1999年12月16日、2005年7月31日)。ロックからより広い大衆音楽へという気持ちが判る、知が転じた心意気をたっぷり抱えたバンド。こってり。じわじわ。ざっくり。やっぱり、彼らならではの、味/佇まいをしこたま持つなあと実感。が、時間切れで、ライヴ評を頼まれている次の公演に向かう。もうしわけないです、という気持ちがたっぷり。

 タクシーに飛び乗ったら、普段は混んでいるはずの道玄坂も青山通りもすいていて、あという間に、会場前に。少し、フクザツ。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。出演者は、フィル・ウッズのグループだ。そのウッズ(1931年生まれ)はいまだアルト・サックスのNo.1インプロヴァイザーとたたえられるチャーリー・パーカー直系の、まさに“吹ける”アルト奏者で、きっちりとジャズ史に名を残す白人大御所ですね。

 3.11後、多くの外国人アーティストの公演がキャンセルされているが、そうしたなか日本にやってきて、ちゃんと公演を行おうとする人もいる。すぐに思い浮かぶのはシンディ・ローパー(2011年3月16日)やNE-YO(2006年6月7日、2009年8月9日)だが、ジャズ界にもそういう人はいて、それがフィル・ウッズだ。同行奏者はすでに35年も活動を共にしているリズム隊と、はやり20年近くの付き合いを持つトランぺッターのブライアン・リンチ。56年生まれと一番若い彼はラテン・ジャズの世界でも活躍していますね。そして、さらにコンコード他にたくさんのリーダー作を持つ西海岸派ピアニストのビル・メイズ(44年生まれ)がそこに加わっていて、彼がバンドの流れを取り仕切ってたかな。なんでも、サイドマンの人達が拒否っても来日し、日本人プレイヤーと演奏すればいいと、思っていたそう。

 ほぼ満席。前の会場からの流れの所感で、少なくない人がそれぞれに好みの音楽分野における実演享受を求めていると、思わずにはいられない。熱い拍手のなか始ったパフォーマンスは粛々、ウッズはメンバー紹介はするが、震災に関しての話は一切しない。俺たちはバンド・マン、何があろうとブッキングされているギグをまっとうする……そんなプロ意識を見たような。御大は椅子に座って演奏、そんなにぶりぶり吹きまくるわけではなく、やはり老いてきているんだなと実感。でも、今年で80歳だから、それは自然だ。実際、その吹き口はいろんな栄光を下敷きにするという“正なるもの”があったのではないか。ちょっとした音色やフレイズにお茶目さを滲ませるあたりも、好印象。たっぷりソロをフィーチャーするので1曲の長さはかなり長め、アンコールなしで彼らは90分ぐらい演奏した。

 そのあとは青山・プラッサ・オンゼに行って、DEN(ヴォーカル、カヴァキーニョ) & COKKY(タンタン;ベース的な太鼓)を見る。3セットのうちの最後のが見れた。ブラジルでも認められている日本人有数のサンバ/パゴージの担い手ということは知っていたが、初めて彼らを見る。そして、うなった。2人にパンデイロなど3人の打楽器奏者が加わってのパフォーマンスだったのだが、DENの歌とカヴァキーニョの達者で、存在感のあること! <下手の横好き>ではなく、<上手の縦好き>って、感じィ? 何だ、その言い方……。日本語歌詞を挟むときもあったが、そういうのももっと聞いてみたいと思った。お客さんも踊っていて、いいヴァイヴがありました。

 音楽っていいなあ。……ぼくにとっての音楽にあたるものが、それぞれの人にありますように。そして、享受できますように。

<ここのところの、変化>
 3.11以降、携帯電話を普段の10倍は使っている、と思う。また、ここ10年強しなくなっていた家飲みをするようになってしまった。かつては、どんなに深酒して帰ってきてもまた家で飲まないと気がすまなかった。昼間も、筆の滑りが悪いと言って、飲むこともあった。だけど、なんかあっさり、その習慣が消えちゃっていた。資源ゴミを出す日に大量の瓶や缶を出さずにすんで、精神衛生上よいなあと思った事は、家飲みをやめる理由には少しつながっているはずだが。外で飲む機会が減っているということももちろんあるが、やはりストレスがたまっているんだろう。ちょっと、いいワインを買ってきたりして……。また、ワイン熱がぶり返すか。

 東京在住の名のあるジャズ・ミュージシャンが大勢参加しての、有志イヴェント。この前のタワー・オブ・パワー公演にも加わっていたトランぺッターのエリック宮城(2011年3月10日、他)の呼びかけで、急遽実現した(ミュージシャンに打診したのは、24日であったよう)ものだという。南青山・ブルーノート東京、この晩と翌日の2日間。一日一回のショウ(2時間強)、発表になるとすぐに完売となったという。

 基本となるのは、エリック宮城が普段もっているビッグ・バンド(17人)。そして、曲代わりで、次々にゲストが加わって、ソロをとる。そちらは、トランぺッターの日野皓正(2006年11月3日、他)、シンガーの伊藤君子(2005年8月19日)。ドラマーの海老沢一博、ピアニストの小曽根真(2006年8月6日)、ヴァイオリン奏者の寺井尚子、ギタリストの小沼ようすけ(2010年10月12日、他)、サックスの本田雅人、トロンボーン奏者の中川英一郎と言った面々。当然の事ながら、皆さん力の入ったパフォーマンスだったな。

 演目はエリントンの「昔は良かったね」から、ワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」まで。伊藤は「ブラック・コーヒー」とともに、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を歌ったが、さすが日本を代表するジャズ歌手という説得力があった。小曽根はピアノ・ソロでも1曲、「パンドラ」という暗〜い自作曲をやった。日野はいるだけで……。

 出し物自体はけっこうセッションぽいノリになるのかと思ったら、さにあらず。根っ子となるビッグ・バンド音がちゃんと整備され&質の高いものであるため、そこにポっと加わるソリストたちも違和感なく重なることができ、冗長ではない華やかな総体がちゃんと出来上がる。進行役&指揮は宮城が行うが、秀でた統率者ぶりを見せていたと思う。ソロを取った人たちは、それぞれにコメントを発しもした。それを聞くと、ミュージシャンとして何かができて良かった、同志で重なれてうれしいという思いを皆もっているのが判りました。

<今日の出演者>
 ショウの途中、トイレに行くために後の方に行くと、ゲスト出演者たちがみんな楽屋から出てきていて、会場後方端でパフォーマンスの模様を見守っている。なるほど、それぞれに気合いや思いがこもった出演であるのだな。そんなふうに、とても思える光景でした。そして、翌日にやったインタヴューで聞いたのだが、30日からここに出演するインコグニート(2006年9月3日、他)のブルーイもこの日に東京に着いて、顔を見せていたのだとう。なんか、すげえ出し物だったなあ、と、彼は素の感想をもらしておりました。テルマサ・ヒノのダンスはすげえ、とも。

インコグニート

2011年3月31日 音楽
 毎年来日している、ジャン・ポール“ブルーイ”・モーニック率いる成熟ジャジー・ソウル・バンド(2006年9月3日、他)の今年恒例となる来日公演。その新作でゲスト入りしていたイタリア人ヴェテラン情緒派歌手のマリオ・ビオンディ(ブルーイは彼の新作をプロデュースすることになっている)の同行はキャンセルになったが、ロンドン組はちゃんと来日し、ショウを遂行している。ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 男女歌手と、三管を含む7人の演奏陣。今回はシンガーが2人だけなので、80年ファースト作収録のインスト曲もやるなど、いつも以上にインスト部も聞かせようとしたショウとも言えるか。みんな上手いし、有機的に重なる。譜面を前にするものはおらず、リハーサルも万全であるのが判りますね。でもって、人気インスト主体曲「コリブリ」では28日に見てブルーイが気に入った小沼ようすけ(2011年3月28日、他)が出てきてジャジーなソロを披露したりも。一方、ヴォーカル曲はもちろんキャラが立っているし、やはり存分に楽しめる。あと、今回ブルーイの演奏が良く見えたのだが、刻み中心のギター演奏はでしゃばらないがかなり勘所を押えた効果的なものであるのが確認できた。終盤、アンコール的な曲の前後に、ブルーイは本当にとても心のこもった、日本の復興を信じるという主旨の発言をする。「ワン・ネイション・アンダー・ア・ブルーヴ」とか「ワン・ラヴ」とか、そういう言葉(それぞれ、ファンカデリックとボブ・マーリーの曲名ですが)を最後に置いたが、それらが望外にフィットする。場内が明るくなると、泣いている人が散見された。やはり、スペシャルな気持ちが出ていたショウだったのだと思う。

<今日のブルーイ>
 MCでもちらり触れていたが、インコグニートはこの深夜にスタジオに入って、「ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ」というチャリティ曲を録音する。その曲を彼が完成させたのは、東京についた28日の晩とか。そのレコーディングには、日本人の歌手/奏者(この晩に出た小沼ようすけも)もいろいろ参加するはずだ。現在の奥さんが日本人というためもあり、ただでさえいい人なのに、彼は本当に親日家だ。