夕方にアップリンク渋谷で、不世出のジャズ・ピアニストであるビル・エヴァンス(1929〜80年)の2015年米国ドキュメンタリー映画を見る。小さい会場とはいえ、満席でした。
原題は、「Time Remembered: Life & Music of Bill Evans」。監督はウィントン・マルサリス(2000年3月9日)やヒュー・マセケラ(2005年7月20日)を扱ったドキュメンタリー他、いくつもの音楽ものを作っているというTV畑のブルース・シュピーゲル。彼はこれを作るのに、8年もの年月をかけたという。過去いくつもの映画際に出品されているもののDVDのみで公開され、一般に向けての映画館放映は日本が初だそう。そしたら、望外にずしんと来る作品で驚いた。
それは彼のアルバムはそれなりに持っているものの、あの若い時代の生真面目端正な見かけに生理的に腰がひけ、彼のバイオをちゃんとチェックしたことがないからでもあったろう。くわえて、彼は能書き抜きに音楽だけでいいとぼくが悟ってしまったは、その純粋な音楽性ゆえ。昔(1990年代末かな?)プレスティッジやリヴァーサイドをソースとするコンピレーションを頼まれて組もうとしたとき、ぼくはうひゃあと驚愕。ジャズ・ピアノ中のジャズ・ピアノ、ピアノ・トリオ中のピアノ・トリオという定評を持つ彼だが、(大げさにいえば)それは嘘っぱちであった。超有名曲「ワルツ・フォー・デビィ」でもなんでもいいんだが、一聴繊細瀟洒でピアノ美学に溢れているはずの彼の表現は他のジャズ曲と並べるとなんか収まりが悪い。それは、エヴァンスの演奏がココロに嵐を持つというか、どこかで破綻するところを持っていて、オサレな流れを持つ曲並びのなかに入れると、どうしても浮いてしまうのだ。そこから、王道のピアノ美学を持ってそうでいながら異端、彼は<悪魔のドア>のようなものをしっかり抱えていると察せずにはいられず、なんか深いりすることはやめておこうとぼくは思ってしまったりもした。まあ、それ以上にセロニアス・モンクやアンドリュー・ヒル他、もっと魅力的にすんなりぼくのなかに入ってくるピアニストがいたせいもあるが。
故ポール・モーシャン(プーさん〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日、2015年7月8日、2016年6月11日〜の晩年の最大の理解者だった彼、お洒落に映っているなあ)やマーク・ジョンソン(2006年6月28日、2015年2月8日、2017年6月20日、2018年6月4日)ら共演者(故ジム・ホールの説明、的を射ている)、リヴァーサイド・レコードの故オリン・キープニュースら関係者、義理の肉親などの話とともに、写真や映像なども組み合わせる手法はこの手の伝記映像の常套をふむが、迷いありのオンナ関係の流れもちゃんと伝えるなどもし、一方的に美化することなくエヴァンスの人生や音楽のすごさを映画は語る。エヴァンスの最大の負の面は、ヘロインに溺れ続けたダメ男であったこと。映画では一時抜けて、外見が“ちょい悪オヤジ”になったことにも触れるが、彼は本当にヤクに魂を売り続けた人のよう。なるほど、ぼくが感じた想定外の綻びはそういう部分がもたらしたところもあったのか。
いろいろ考えてしまうし、研ぎ澄まされたピアノ・トリオ表現の恐ろしさをも伝える映画だ。最後に、ここに使った音楽はごく一部で、ちゃんと彼のアルバムを聞いてほしいというクレジットが出てくる。スピーゲル監督、ちゃんと音楽愛がある。
ところで、エヴァンスはニュージャージー州のプレインフィールド生まれ、育ち。わあ、それもこの映画を見るまで知らなかった。プレインフィールドといえば、あのジョージ・クリントン(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日、2019年4月30日)が住んだ街であり、同地で彼は床屋をやりながらそこに集まるバーニー・ウォレル(2007年8月7日、2011年8月12日、2012年7月27日、2013年1月30日、2014年10月28日、2016年6月24日)やエディ・ヘイゼルら若い衆を束ね、P-ファンクの基礎を築いたというのは有名な話じゃないか。そんなエヴァンスのお墓は南部ルイジアナ州バトンルージュにある。その理由は……。映画かDVDを見てください。
▶過去の、ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、マーク・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150208
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
https://43142.diarynote.jp/201806060708363548/
▶過去の、ジョージ・クリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201102081256005311/
http://43142.diarynote.jp/201304150853287353/
http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201905010724461038/
▶過去の、バーニー・ウォレル
http://43142.diarynote.jp/200708051740450000/
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
http://43142.diarynote.jp/201208091303253665/
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/?day=20141028
https://43142.diarynote.jp/201606250931166236/ 訃報
その後は、南青山・ブルーノート東京に行って、ちょい触れる分には一切影のないアーティストの実演に触れる。セカンド・ショウ。
主役のコーズ(2012年3月2日)は1963年LA生まれ、1990年からキャピトルから初リーダー作を出して以降、スムース・ジャズのメインストリームを行くサックス奏者だ。そんな彼についてはトホホなほど興味外だが、アシュフォード&シンプソン(2009年11月20日)のヴァレリー・シンプソン(2009年11月20日)が同行しちゃうというなら、これは行かずにはいられない。ナイス・ガイのベース奏者のクリス・ウォーカー(2003年3月13日、2009年6月15日、2014年11月19日。左利きで、スタインバーガー型のそれを弾く)もいるしね。他の同行者はブランドン・コールマン(2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年2月2日)のサポートで来てそれほどたっていないキーボードのカーネル・ハレル(2019年2月2日)、ギターのアダム・ホーリー、ドラムのジェイ・ウィリアムス。非白人である彼ら、みんな腕がたちますね。
まあ、それはコーズもまったくもって同じ。テナー、アルト、ソプラノ、どの演奏も同じテイストに聞こえるものの実に確か。その様に触れていると、スムース・ジャズという温〜い表現はちゃんと楽器ができる人がやってこそ映えるものだと思ってしまう? また、そんな彼は陽性で、本当にお客思いのエンターテイナーでもあった。日本語と日本語調英語をまぜつつ(ゴールデン・ウィーク、令和、子供の日などの単語も出し、ショウの終盤に日本の曲「鯉のぼり」も演奏した)両手を広げる感覚100%で観客に働きけ、ときにウォーカーやホーリーも借り出してポーズを決めたりもする。実のところ、偏屈なぼくは最初のほう、痒いなあと見ていたんですけどね。
でも、ウォーカーに大スタンダード「モーニン」(それは、かつて故アル・ジャロウが録音したことがあった)をベース弾きながらスキャットさせ、さらに彼は終盤に近く出るらしいアル・ジャロウ(2003年3月13日、2012年3月2日、2014年11月19日)のトリビュート盤収録曲を朗々と歌わせるなど、サイド・マンにもきっちり気遣いを見せ、また件のシンプソンが歌う際には、他の奏者たちとともに一生懸命コーラスをつけたりする様を見るうちに、ぼくのわだかまりは溶けていった。だって、本当に素のミュージック・ラヴァーの姿を出していたんだもの。
そして、肝心のシンプソンだが、やはり素晴らしくも聞き手に入りこむ。実はぼくと同じ誕生日である彼女は72歳(旦那のアシュフォードはすでに鬼籍に入ってしまった)だが、若く見えるし元気いっぱい。ちょい喉が枯れているような気もしたが、それは4日間にわたり全力投球で歌ったからではないかと思わせよう。ぼくが見たのは最終日の最終ショウであった。
どの曲も最初は電気キーボードの弾き語りで始まり、そこにバンド音がつき、途中から彼女は中央に出てきてマイクを持ち大ソングライターでもある自分の曲を歌うという手順を持つものであったが、とにかく覇気あり、かけがえのないソウル・マナーがあり。また、かつて作曲スタッフを務めたモータウン曲のメドレーもあり。最後は(自分の曲ではない)モータウン有名曲の「アイル・ビー・ゼア」を皆んなで決めた。場内、総立ちなり。
▶︎過去の、デイヴ・コーズ
https://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
▶︎過去の、ヴァレリー・シンプソン
https://43142.diarynote.jp/200911241551357922/
▶過去の、クリス・ウォーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20141119
▶︎過去の、ブランダン・コールマン
https://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
https://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶︎過去の、カーネル・ハレル
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶過去の、アル・ジャロウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201411201009066886/
<2014年の、うれしいヤツ>
同行ベーシストのクリス・ウォーカーは1980年代後期にオーネット・コールマン(2006年3月27日)のエレクトリック・バンド(プライムタイム)に電気ベース奏者として加入したことで、ぼくのなかでは燦然と輝く人物。ながら、1991年にはエレクトラからメロウなR&B歌手として堂々デビューしてしまったというキャリアも彼は持つ。それ以降、彼はセッション・ベーシストとR&B歌手(これまで4作品リリースしている)の二刀流で業界を闊歩。以下は、2014年11月にアル・ジャロウのブルーノート東京公演に同行した際に取ったインタヴューだ。もともとは、ジャズ・ジャパン誌用にしました。
——ヒューストン生まれですよね。
「高校(ロバート・グラスパーやビヨンセ・ノウルズの同窓先輩となる)を出て、40ドルを握りしめて、NYに向かった。ジャズを学ぶために、ニュー・スクール大学に行きたかったんだけどねー。あの頃はアコースティック・ベースもちょっと弾き、パーシー・ヒース(MJQ。ジェイムズ・エムトゥーメの叔父)に半年だけ師事した事もあった。エレクトリック・ベースにしなよと勧めたのは、彼だったんだよ」
——オーネットのプライムタイム・バンドに入ったのは、その頃ですよね。
「18歳だった。本人から直々に、アパートに電話がかかってきた。そりゃ、驚いた。高校2年生のときに彼のリポートを書いたりして知ってはいたけど……」
——加入したら、すぐに弾けたんですか?
「いいや、できるわけないよ(笑い)。だから、鬼のように練習をしたね。プライムタイムの音楽にも一応、楽譜はある。でも、譜面の書き方が特殊。音符を記した後に♯とか♭とか書き足してあって、とにかく普通じゃない。もうすべてが新奇な体験だった」
——ぼくはオーネットに一度インタヴューしたことがあって、プライムタイム・バンドほど進歩的なR&Bバンドを知りませんと言ったら、彼は心底笑顔になったんです。
「ほう、面白い話がある。プライムタイム在籍中も、僕はR&Bソングを書いていた。僕は1年ほど彼の家に居候していたんだけど、彼が部屋に入ってくると、まずいと思い僕は自分が書いたR&Bの楽譜を隠していた。ところが、一度見つかってしまい、それを見たがったので見せたら、とても面白がってくれ、応援してくれたんだ」
——あなたはオーネットの1988年作『ヴァージン・ビューティ』(パスポート/コロムビア)に入っていますよね(またシンガーとしても、オーネット・コールマンの1995年作『トーン・ダイアリング』や1996年作『サウンド・ミュージアム』にも、名を出す)。2年半いたオーネット・バンドの元で教わった一番のことは何でしょう。
「ハーモロディック(オーネット・コールマン独自の音楽理論)の譜面って、音部記号(ト音記号やヘ音記号の類)も入り乱れているんだ。その様はとにかく像像を絶するわけで、“決められた枠から外れた所にこそ、宝はある”ということを、僕は学んだと思う。あのとき、ベース演奏については、ほとんどホーン・セクションと同じ考えでアプローチしたな」
——その後、あなたはエレクトラからポップなR&B歌手としてデビューします。
「レジーナ・ベル(2010年1月28日、2015年2月4日、2016年2月16日)のミュージカル・ディレクターをしていた。それで、彼女のショウでちょいちょい歌っていたのを、エレクトラの人が見て、契約したいと言ってきた」
——では、デビュー作『ファースト・タイム』の曲はオーネットのアパートで書いた曲も入っているんですね。しかし、あのアルバムは当時日本盤も出ましたが、本当に驚きました。尖った冒険音楽の人というイメージがあったのに、穏健なアーバンR&B歌手の姿を前面に出していて。
「そうだろうねえ(笑い)。僕のベース演奏を知っている人たちは僕がR&Bを歌うということを知らなかったし、逆にラジオで僕の歌を知った人は僕がベースを弾く事を知らない(笑い)。でも、その両方があってこそ、僕なんだよ」
——それで、自分で歌う曲はオリジナルでありたいと思っているんですよね。
「まったくもってそう。僕のアルバムは自作で固めて、自分のプロデュースで作っている」
——チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日、2014年9月6日、2014年9月10日、2016年5月20日)やフォープレイにも、あなたは曲を提供していますよね。
「イエ〜イ、そうだよ」
——ベース奏者として関与したアルバムで、これはいいと思うものは?
「全部だよ。そう、思いたい」
——あなたの根にあるのは、ゴスペルですか。
「うん。だから、(ゴスペルの実力派である)ワイナンス・ファミリーが大好き。彼らを聞いて大きくなったようなものさ」
——今回はアル・ジャロウのサポートで来日しましたが、2009年にはテリ・リン・キャリトン(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、2009年6月15日、2010年9月4日、2014年9月16日)のバンドのベース奏者としても来ていますよね。
「実は、彼女とは新しいブループを結成した。パスワードという名前で、ドゥワイト・シールズ(ギター)、フランク・マッコム(2004年4月15日、2004年5月10日、2006年9月3日、2006年12月7日、2007年12月28日、2011年3月4日 、2012年3月5日、2015年6月26日)、そして僕からなる4人組。ウェザー・リポートがジャズとR&Bに出会ったという感じのことをやるんだ!」
——ベーシストであることと、シンガーであること。それは、あなたのなかでは分けて考えています。それとも、同じものなのでしょうか。
「もともとは、別のものとしてやっていた。でも、自分のバンドではベースを弾きながら歌うので、一心同体かなあ」
——今、ヒューストンに住んでいるんですよね?
「うん。それで、NYやLAに行ったりしている」
——あなたの新作『Zone』(Pendulum ,2011年)についても、一言ください。
「R&B。まさに、それをやりたかった。僕のバックグラウンドにはオーネット・コールマンがありボブ・ジェイムズ(2013年9月3日、2015年3月5日、2015年9月5日、2018年10月12日)があり、レジーナ・ベルがあり、ゴスペルがある。僕はいろんなことをやってきて、いろんな所に言っている。けっこう、それは難しい立ち位置を招くことは知っているんだけど。ぐちゃぐちゃだね」
——でも、それが面白いし、あなたの魅力だと思う。
「僕もそう思う」
——それにしても、あまり老けませんよねえ。
「心が若いもん。今、46歳だけどね。シンガーとして、来日したいなあ。やっぱ、キャリアとしては両方をやっていきたい」
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、レジーナ・ベル
http://43142.diarynote.jp/201001291748093787/
http://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
https://43142.diarynote.jp/201602181207326029/
▶過去の、チャカ・カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
http://43142.diarynote.jp/201409111424501752/
http://43142.diarynote.jp/201605240832424514/
▶過去の、テリ・リン・キャリントン
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200812141259213603/
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
https://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
▶過去の、フランコ・マッコム
http://43142.diarynote.jp/200404150934460000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040510
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200612090150310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071228
http://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
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▶過去の、ボブ・ジェイムス
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http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
https://43142.diarynote.jp/201810170926249130/
原題は、「Time Remembered: Life & Music of Bill Evans」。監督はウィントン・マルサリス(2000年3月9日)やヒュー・マセケラ(2005年7月20日)を扱ったドキュメンタリー他、いくつもの音楽ものを作っているというTV畑のブルース・シュピーゲル。彼はこれを作るのに、8年もの年月をかけたという。過去いくつもの映画際に出品されているもののDVDのみで公開され、一般に向けての映画館放映は日本が初だそう。そしたら、望外にずしんと来る作品で驚いた。
それは彼のアルバムはそれなりに持っているものの、あの若い時代の生真面目端正な見かけに生理的に腰がひけ、彼のバイオをちゃんとチェックしたことがないからでもあったろう。くわえて、彼は能書き抜きに音楽だけでいいとぼくが悟ってしまったは、その純粋な音楽性ゆえ。昔(1990年代末かな?)プレスティッジやリヴァーサイドをソースとするコンピレーションを頼まれて組もうとしたとき、ぼくはうひゃあと驚愕。ジャズ・ピアノ中のジャズ・ピアノ、ピアノ・トリオ中のピアノ・トリオという定評を持つ彼だが、(大げさにいえば)それは嘘っぱちであった。超有名曲「ワルツ・フォー・デビィ」でもなんでもいいんだが、一聴繊細瀟洒でピアノ美学に溢れているはずの彼の表現は他のジャズ曲と並べるとなんか収まりが悪い。それは、エヴァンスの演奏がココロに嵐を持つというか、どこかで破綻するところを持っていて、オサレな流れを持つ曲並びのなかに入れると、どうしても浮いてしまうのだ。そこから、王道のピアノ美学を持ってそうでいながら異端、彼は<悪魔のドア>のようなものをしっかり抱えていると察せずにはいられず、なんか深いりすることはやめておこうとぼくは思ってしまったりもした。まあ、それ以上にセロニアス・モンクやアンドリュー・ヒル他、もっと魅力的にすんなりぼくのなかに入ってくるピアニストがいたせいもあるが。
故ポール・モーシャン(プーさん〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日、2015年7月8日、2016年6月11日〜の晩年の最大の理解者だった彼、お洒落に映っているなあ)やマーク・ジョンソン(2006年6月28日、2015年2月8日、2017年6月20日、2018年6月4日)ら共演者(故ジム・ホールの説明、的を射ている)、リヴァーサイド・レコードの故オリン・キープニュースら関係者、義理の肉親などの話とともに、写真や映像なども組み合わせる手法はこの手の伝記映像の常套をふむが、迷いありのオンナ関係の流れもちゃんと伝えるなどもし、一方的に美化することなくエヴァンスの人生や音楽のすごさを映画は語る。エヴァンスの最大の負の面は、ヘロインに溺れ続けたダメ男であったこと。映画では一時抜けて、外見が“ちょい悪オヤジ”になったことにも触れるが、彼は本当にヤクに魂を売り続けた人のよう。なるほど、ぼくが感じた想定外の綻びはそういう部分がもたらしたところもあったのか。
いろいろ考えてしまうし、研ぎ澄まされたピアノ・トリオ表現の恐ろしさをも伝える映画だ。最後に、ここに使った音楽はごく一部で、ちゃんと彼のアルバムを聞いてほしいというクレジットが出てくる。スピーゲル監督、ちゃんと音楽愛がある。
ところで、エヴァンスはニュージャージー州のプレインフィールド生まれ、育ち。わあ、それもこの映画を見るまで知らなかった。プレインフィールドといえば、あのジョージ・クリントン(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日、2019年4月30日)が住んだ街であり、同地で彼は床屋をやりながらそこに集まるバーニー・ウォレル(2007年8月7日、2011年8月12日、2012年7月27日、2013年1月30日、2014年10月28日、2016年6月24日)やエディ・ヘイゼルら若い衆を束ね、P-ファンクの基礎を築いたというのは有名な話じゃないか。そんなエヴァンスのお墓は南部ルイジアナ州バトンルージュにある。その理由は……。映画かDVDを見てください。
▶過去の、ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶過去の、ヒュー・マセケラ
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▶過去の、菊地雅章
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▶過去の、マーク・ジョンソン
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▶過去の、ジョージ・クリントン
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▶過去の、バーニー・ウォレル
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https://43142.diarynote.jp/201606250931166236/ 訃報
その後は、南青山・ブルーノート東京に行って、ちょい触れる分には一切影のないアーティストの実演に触れる。セカンド・ショウ。
主役のコーズ(2012年3月2日)は1963年LA生まれ、1990年からキャピトルから初リーダー作を出して以降、スムース・ジャズのメインストリームを行くサックス奏者だ。そんな彼についてはトホホなほど興味外だが、アシュフォード&シンプソン(2009年11月20日)のヴァレリー・シンプソン(2009年11月20日)が同行しちゃうというなら、これは行かずにはいられない。ナイス・ガイのベース奏者のクリス・ウォーカー(2003年3月13日、2009年6月15日、2014年11月19日。左利きで、スタインバーガー型のそれを弾く)もいるしね。他の同行者はブランドン・コールマン(2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年2月2日)のサポートで来てそれほどたっていないキーボードのカーネル・ハレル(2019年2月2日)、ギターのアダム・ホーリー、ドラムのジェイ・ウィリアムス。非白人である彼ら、みんな腕がたちますね。
まあ、それはコーズもまったくもって同じ。テナー、アルト、ソプラノ、どの演奏も同じテイストに聞こえるものの実に確か。その様に触れていると、スムース・ジャズという温〜い表現はちゃんと楽器ができる人がやってこそ映えるものだと思ってしまう? また、そんな彼は陽性で、本当にお客思いのエンターテイナーでもあった。日本語と日本語調英語をまぜつつ(ゴールデン・ウィーク、令和、子供の日などの単語も出し、ショウの終盤に日本の曲「鯉のぼり」も演奏した)両手を広げる感覚100%で観客に働きけ、ときにウォーカーやホーリーも借り出してポーズを決めたりもする。実のところ、偏屈なぼくは最初のほう、痒いなあと見ていたんですけどね。
でも、ウォーカーに大スタンダード「モーニン」(それは、かつて故アル・ジャロウが録音したことがあった)をベース弾きながらスキャットさせ、さらに彼は終盤に近く出るらしいアル・ジャロウ(2003年3月13日、2012年3月2日、2014年11月19日)のトリビュート盤収録曲を朗々と歌わせるなど、サイド・マンにもきっちり気遣いを見せ、また件のシンプソンが歌う際には、他の奏者たちとともに一生懸命コーラスをつけたりする様を見るうちに、ぼくのわだかまりは溶けていった。だって、本当に素のミュージック・ラヴァーの姿を出していたんだもの。
そして、肝心のシンプソンだが、やはり素晴らしくも聞き手に入りこむ。実はぼくと同じ誕生日である彼女は72歳(旦那のアシュフォードはすでに鬼籍に入ってしまった)だが、若く見えるし元気いっぱい。ちょい喉が枯れているような気もしたが、それは4日間にわたり全力投球で歌ったからではないかと思わせよう。ぼくが見たのは最終日の最終ショウであった。
どの曲も最初は電気キーボードの弾き語りで始まり、そこにバンド音がつき、途中から彼女は中央に出てきてマイクを持ち大ソングライターでもある自分の曲を歌うという手順を持つものであったが、とにかく覇気あり、かけがえのないソウル・マナーがあり。また、かつて作曲スタッフを務めたモータウン曲のメドレーもあり。最後は(自分の曲ではない)モータウン有名曲の「アイル・ビー・ゼア」を皆んなで決めた。場内、総立ちなり。
▶︎過去の、デイヴ・コーズ
https://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
▶︎過去の、ヴァレリー・シンプソン
https://43142.diarynote.jp/200911241551357922/
▶過去の、クリス・ウォーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20141119
▶︎過去の、ブランダン・コールマン
https://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
https://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶︎過去の、カーネル・ハレル
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶過去の、アル・ジャロウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201411201009066886/
<2014年の、うれしいヤツ>
同行ベーシストのクリス・ウォーカーは1980年代後期にオーネット・コールマン(2006年3月27日)のエレクトリック・バンド(プライムタイム)に電気ベース奏者として加入したことで、ぼくのなかでは燦然と輝く人物。ながら、1991年にはエレクトラからメロウなR&B歌手として堂々デビューしてしまったというキャリアも彼は持つ。それ以降、彼はセッション・ベーシストとR&B歌手(これまで4作品リリースしている)の二刀流で業界を闊歩。以下は、2014年11月にアル・ジャロウのブルーノート東京公演に同行した際に取ったインタヴューだ。もともとは、ジャズ・ジャパン誌用にしました。
——ヒューストン生まれですよね。
「高校(ロバート・グラスパーやビヨンセ・ノウルズの同窓先輩となる)を出て、40ドルを握りしめて、NYに向かった。ジャズを学ぶために、ニュー・スクール大学に行きたかったんだけどねー。あの頃はアコースティック・ベースもちょっと弾き、パーシー・ヒース(MJQ。ジェイムズ・エムトゥーメの叔父)に半年だけ師事した事もあった。エレクトリック・ベースにしなよと勧めたのは、彼だったんだよ」
——オーネットのプライムタイム・バンドに入ったのは、その頃ですよね。
「18歳だった。本人から直々に、アパートに電話がかかってきた。そりゃ、驚いた。高校2年生のときに彼のリポートを書いたりして知ってはいたけど……」
——加入したら、すぐに弾けたんですか?
「いいや、できるわけないよ(笑い)。だから、鬼のように練習をしたね。プライムタイムの音楽にも一応、楽譜はある。でも、譜面の書き方が特殊。音符を記した後に♯とか♭とか書き足してあって、とにかく普通じゃない。もうすべてが新奇な体験だった」
——ぼくはオーネットに一度インタヴューしたことがあって、プライムタイム・バンドほど進歩的なR&Bバンドを知りませんと言ったら、彼は心底笑顔になったんです。
「ほう、面白い話がある。プライムタイム在籍中も、僕はR&Bソングを書いていた。僕は1年ほど彼の家に居候していたんだけど、彼が部屋に入ってくると、まずいと思い僕は自分が書いたR&Bの楽譜を隠していた。ところが、一度見つかってしまい、それを見たがったので見せたら、とても面白がってくれ、応援してくれたんだ」
——あなたはオーネットの1988年作『ヴァージン・ビューティ』(パスポート/コロムビア)に入っていますよね(またシンガーとしても、オーネット・コールマンの1995年作『トーン・ダイアリング』や1996年作『サウンド・ミュージアム』にも、名を出す)。2年半いたオーネット・バンドの元で教わった一番のことは何でしょう。
「ハーモロディック(オーネット・コールマン独自の音楽理論)の譜面って、音部記号(ト音記号やヘ音記号の類)も入り乱れているんだ。その様はとにかく像像を絶するわけで、“決められた枠から外れた所にこそ、宝はある”ということを、僕は学んだと思う。あのとき、ベース演奏については、ほとんどホーン・セクションと同じ考えでアプローチしたな」
——その後、あなたはエレクトラからポップなR&B歌手としてデビューします。
「レジーナ・ベル(2010年1月28日、2015年2月4日、2016年2月16日)のミュージカル・ディレクターをしていた。それで、彼女のショウでちょいちょい歌っていたのを、エレクトラの人が見て、契約したいと言ってきた」
——では、デビュー作『ファースト・タイム』の曲はオーネットのアパートで書いた曲も入っているんですね。しかし、あのアルバムは当時日本盤も出ましたが、本当に驚きました。尖った冒険音楽の人というイメージがあったのに、穏健なアーバンR&B歌手の姿を前面に出していて。
「そうだろうねえ(笑い)。僕のベース演奏を知っている人たちは僕がR&Bを歌うということを知らなかったし、逆にラジオで僕の歌を知った人は僕がベースを弾く事を知らない(笑い)。でも、その両方があってこそ、僕なんだよ」
——それで、自分で歌う曲はオリジナルでありたいと思っているんですよね。
「まったくもってそう。僕のアルバムは自作で固めて、自分のプロデュースで作っている」
——チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日、2014年9月6日、2014年9月10日、2016年5月20日)やフォープレイにも、あなたは曲を提供していますよね。
「イエ〜イ、そうだよ」
——ベース奏者として関与したアルバムで、これはいいと思うものは?
「全部だよ。そう、思いたい」
——あなたの根にあるのは、ゴスペルですか。
「うん。だから、(ゴスペルの実力派である)ワイナンス・ファミリーが大好き。彼らを聞いて大きくなったようなものさ」
——今回はアル・ジャロウのサポートで来日しましたが、2009年にはテリ・リン・キャリトン(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、2009年6月15日、2010年9月4日、2014年9月16日)のバンドのベース奏者としても来ていますよね。
「実は、彼女とは新しいブループを結成した。パスワードという名前で、ドゥワイト・シールズ(ギター)、フランク・マッコム(2004年4月15日、2004年5月10日、2006年9月3日、2006年12月7日、2007年12月28日、2011年3月4日 、2012年3月5日、2015年6月26日)、そして僕からなる4人組。ウェザー・リポートがジャズとR&Bに出会ったという感じのことをやるんだ!」
——ベーシストであることと、シンガーであること。それは、あなたのなかでは分けて考えています。それとも、同じものなのでしょうか。
「もともとは、別のものとしてやっていた。でも、自分のバンドではベースを弾きながら歌うので、一心同体かなあ」
——今、ヒューストンに住んでいるんですよね?
「うん。それで、NYやLAに行ったりしている」
——あなたの新作『Zone』(Pendulum ,2011年)についても、一言ください。
「R&B。まさに、それをやりたかった。僕のバックグラウンドにはオーネット・コールマンがありボブ・ジェイムズ(2013年9月3日、2015年3月5日、2015年9月5日、2018年10月12日)があり、レジーナ・ベルがあり、ゴスペルがある。僕はいろんなことをやってきて、いろんな所に言っている。けっこう、それは難しい立ち位置を招くことは知っているんだけど。ぐちゃぐちゃだね」
——でも、それが面白いし、あなたの魅力だと思う。
「僕もそう思う」
——それにしても、あまり老けませんよねえ。
「心が若いもん。今、46歳だけどね。シンガーとして、来日したいなあ。やっぱ、キャリアとしては両方をやっていきたい」
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、レジーナ・ベル
http://43142.diarynote.jp/201001291748093787/
http://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
https://43142.diarynote.jp/201602181207326029/
▶過去の、チャカ・カーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200806121525370000/
http://43142.diarynote.jp/201201131546344144/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
http://43142.diarynote.jp/201409111424501752/
http://43142.diarynote.jp/201605240832424514/
▶過去の、テリ・リン・キャリントン
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200812141259213603/
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
https://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
▶過去の、フランコ・マッコム
http://43142.diarynote.jp/200404150934460000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040510
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200612090150310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071228
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▶過去の、ボブ・ジェイムス
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