わ、びっくりするぐらい力があったナ。英国ポスト・ニュー・ウェイヴ期の皮切りにあるような兄弟主体のギター・バンドを新木場・スタジオコーストで見る。再結成後の3年前だかの来日公演は見ていないので、スコッドランド出身の彼らを見るのは四半世紀ぶりぐらいになるのではないだろうか。

 開演にすこし遅れて会場に入ると、スモークで場内が霞んでいる。しかも、この時期のUKバンドにありがちな、全体に暗めのトーンのもと前からはライトを当てませんよという照明作法を取っていて、一体何人でやっているのかとか、全貌を掴みにくい。結局、ヴォーカル、2ギター、ベース、ドラムという陣容であった。でも、エフェクターをかけつつ絡むギター音はときにキーボードで出しているのかと思わせる部分があったり、公演を通してベースはベタぁっとした音程のしっかりした低音を出し(なにげに技ありとも思った)、まるで鍵盤ベースで出していても不思議はないような音だった。とはいえ、正々堂々、生音勝負。それ、いい意味での年季を感じさせますね。暗くて、ちゃんとメンバーの表情が見えず、おっさぽくなったとか、そういうのもまったく分からなかった。

 ぐいぐいと進んでいくパフォーマンスは、ルー・リードの983年盤『ライヴ・イン・イタリー』のアップ曲群をなぜか思い出させるところもあり。それをもっと太く、ノイジーにしたというか……。独特の抑揚を持つぶっきらぼうでもある歌は力を持つし、サウンドは太くかなりの剛性感を持つ。今やオールド・スクールなんだけど、そこここに今でも光る種をいろいろ抱え、聞き手をがっつり引っ張る。しっかり、くっきり、歌心あり。あと、曲が終わった後の、ちょっとした響き〜佇まいが良い。マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(2013年2月7日)の同じ会場で持たれたショウを一瞬思い出したが、皆さん敏腕と思わせるとともに疲弊していないな。

 本編は定時きっかりに始まっていたら、70分弱。だが、アンコールは4曲だかじっくりやり、全体の尺の長さを整える作法は、先日のボズ・スキャッグス(2019年5月7日)公演と同じ。客の反応に気持ちをよくして予定した以外の曲もやった感じがあるのも同様。面々、ぶっきらぼうなようでいて、かなりキブン良さそうにやっていたのは間違いない。

 アンコールが終わり、本編と同じくギターのフィードバック音が残響音として場内に流れる。が、しばらくすると、それがザ・ビートルズの「グッド・ナイト」(レノン/マッカートニーの曲中、もっともスタンダード・ソング的滋味を持つララバイ曲)の女性によるカヴァー・ヴァージョンが流される。いい感じだったけど、それ誰が歌っているものだろう?

▶︎過去の、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
https://43142.diarynote.jp/201302091333126442/
▶︎過去の、ボズ・スキャッグス
https://43142.diarynote.jp/201905080904334080/

<今日は、寝起きがいまさん>
 昨日、根を詰めて母親孝行して疲れ切って寝たというのは関係ないと思うが、あけて朝にコツコツと原稿を打っている夢を見ながら起きる。自在しないバンドだが、そのディテールやプロダクツは明確に頭にあって、現況と絡めながら、けっこう丁寧に書き進めつつ、あーこう書いたほうが効果的だよなあ、そういえば来日もするはずだけどちゃんと日程チェックしなきゃなあとか思いつつ、目が覚めちゃった。その音がアタマに残っていたりして、なかななかにリアル。というか、起床してからも一瞬実際のバンドのような気がして、来日情報をチェックしかかる。仕事に対する生真面目さのあらわれと見て取ることもできるかもしれない。だが、起きてかなりな消耗を覚えて、内心機嫌が悪くなった。