午前中の打ち合わせ後、ランチで入った寿司屋が美味しく、気分があがる。日中は30度を越えた晴天の日の午後、まずは映画の試写を2本はしご。そして、日が暮れ後は、キーボード奏者がベース音を出すライヴを二つ続けた。ずっと外出しっ放しだとやはり困憊、帰宅後に外出中に入っていたメールの数に生理的に失神する。クラクラ、ばたっ。ぼく、外ではPCメールを見ることができない。別にいばることでもないが、ネットも一切ひきません。携帯は通話とショート・メールさえできればOK。シンプルなのが、ぼくには合っている。
渋谷・映画美学校試写室で、サミュエル・コラコデという1975年生まれのフランス人が監督する2017年仏映画を見る。舞台は、グリーンランド。監督はグリーランドに魅せられ、2年間北極圏にあるこの国を周り、80人しか住んでいないチニツキラークという村にたどり着き、ここを舞台とする映画を1年間にわたる6回の撮影セッションのもと完成させたという。チニツキラークの小学校に新たに赴任するデンマーク語を教える青年教師と地元の人たちの絡みを題材に置き、デンマーク語とグリーンランド語が用いられる。原題は「Une année polaire」で、英題は「A Polar Year」。
いかにも寒そうな風景に満ちる海沿いのチニツキラークは電気も使われ携帯もつながるが、上下水道はない。生徒はたぶん8人。それ、人口比率から見ると多い? うち、親と一緒にくらしているのは2人で、残りは祖父母に育てられているという。アザラシやシロクマの狩猟を生業にしている人が多いのかな。長い距離の交通手段は犬ぞりで、犬がたくさん映される。
“ドキュフィクション”という言葉があるというのは、初めて知った。ようは、ドキュメンタリーとフィクションをくっつけた造語。現実と作り事が入り組むドキュメンタリー調のフィクションのことを指すようで、実はサミュエル・コラコデ監督はドキュフィクションを得意としており、過去の4作品も同様の仕立てであるという。彼はここで、実際に赴任することになった教師とそこに暮らす地元の子供や大人をそのまま役者として起用し、映画を撮影した。エンドロールのクレジット、役名と演技者が同じ記載が多く出てくる。
北極圏の流儀と西欧圏の流儀の軋轢はとうぜん映画の主題となるが、映画を見ながらどこまでが作られたものなのかと、ぼくは考えてしまったりも。ドキュフィクションということを知らずに、異なる文化を継承する辺境の地と人々の生活を扱った映画として触れた方が楽に見れたような気がするが、多くのことが現実に根ざしているからこそのリアリティもあるだろう。とにかく風景はまったく我々の日常と異なるもので、ぼくだったらもっとそれを大胆に強調しながら見せると思ったが、監督は人間のつながりや所作を前に出そうとしてか、過剰にそうすることはしない。赴任当初は困惑しきりだった教師のアンダース・ヴィーデゴーは、今もその小さな村で子供たちに教えているという。公開は7月からされる。
▶︎過去の、ナヌークなどグリーンランドの担い手
http://43142.diarynote.jp/201503271611494171/ デンマークとグリーンランドの関係の記載も。
http://43142.diarynote.jp/?day=20161106
https://43142.diarynote.jp/201702110915407607/
次は、アップリンク渋谷で、2018年日本映画「メランコリック」を見る。監督・脚本・編集は、これが長編第一作となる田中征爾。彼に加え、主役とプロデュースをしている皆川暢二、準主役とアクション演出をしている磯崎義知は3人とも32歳。彼らは“One Goose”という映画製作チームを組み、クラウド・ファンウンデーションも介し、この自主製作映画を作ったよう。あの「カメラを止めるな!」(2018年10月19日)に新人監督賞を与えたウディネファースト映画祭の次回受賞作ということで、今話題を呼びつつあるよう。
銭湯“松の湯”(エンドロールの協力かなんかの項目にその名前が出てくるので、実在する施設かもしれない)に関わる人たちの荒唐無稽なストーリーと人間模様を描く。殺人/死体遺棄というダークな題材を持つが、妙なペーソスを持つ。随所に飄々とした笑い〜諧謔がうめこまれていて、技あり。最終的に安らぎのようなものも与えるか。いろんな部分でよくできてると思った。こちらは、8月からの公開。
上映後、“One Goose”のタッグ3人が出てきて、素朴に挨拶をする。監督は職場が渋谷でちょっと抜けてきて戻ってまた仕事です、みたいなことを言っていたな。土日に、撮ることが多かったよう。金髪での演技が印象的だった磯崎は黒い短髪/筋肉質で映画とは別人。今、医療系だかの学校に通っていると言っていた。小心者(?)のぼくは面々の苦労を垣間見て、少しドギマギ。でも、考えてみたら、スターでない人のライヴ(その担い手たちは少なからず、副業をせざるをえないだろう)でそういう境遇にあるミュージシャンたちには触れているのだよなー。ただ、映画は手間もお金も時間もかかるのでより苦労は多くなるだろうけど。
▶︎過去の、「カメラを止めるな!」
https://43142.diarynote.jp/201810210703189263/
その後は、南青山・ブルーノート東京。2作連続でグラミー賞のベスト・コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を獲得している、ファンタスティック・ネグリート(2017年4月7日)を見る。ファースト・ショウ。
個性的にして派手な格好をしたファンタスティック・ネグリート(ヴォーカル。ときにギター、一部鍵盤)に加え、25年来の友達であるギターのマサ小浜(2017年4月7日、2019年2月2日)、白人ギタリストのポール・マーティン、キーボードのブライアン・シモンズ、ドラムのダリアン・グレイがステージに立つ。前回の来日公演と比べると、小浜以外はバンド員を入れ替え。普通のベース奏者を入れなくなったのは、彼の変テコさを強調するには効果的かもしれない。今回のほうが、小浜の演奏も目立っていた。
新作『プリーズ・ドント・ビー・デッド』(ライナー・ノーツを書いたので聞き込みました)はレッド・ツェッペリンみたいな曲もあるなど剛性感を増しブラック・ロック色を増したと言える内容だったが、バンド編成を変えた今回のショウのほうがブルーズ度は高いとどこか思わせられる。強いブルースの感覚を顕すのに“モーン(moan)”という言葉があるが、ファンタスティック・ネグリートの歌や所作においてモーン度が今回は高いと思わせたのが、その理由。そして、それは当人のアメリカでの、音楽シーンでの自ら望む位置の表出を導く。なお、ベイ・エリアを根城にしていることにはやはり誇りをもっているのね。ちなみに、彼が生まれたは白人だけの小ぎれいな東海岸の街であるマサチューセッツ州のグレート・バーリントン(2000年8月11日、12日、13日)。彼が生まれたとき、看護婦さんがお母さんに「わあ、黒人の赤ちゃんよ」と言ったんだそう。
▶︎過去の、ファンタスティック・ネグリート
https://43142.diarynote.jp/201704130837359192/
▶︎過去の、マサ小浜
https://43142.diarynote.jp/201704130837359192/
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶︎過去の、グレート・バーリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm (バーク・フェス。11日、12日、13日)
そしてもうひとつ、渋谷・チェルシー・ホテルで、仏ブルターニュ出身のロック派シンガー・ソングタイターのクリストフ・ミオセックを見る。ソングライターや俳優としても活動する、1964年生まれの渋めのおじさん。フランス人公演の常で、多くの客がフランス人。なるほど本国では人気者なのねと感じずにはいられず。とともに、子供づれが少なくなかったのが印象的。それ、10歳以下無料の公演であったためもあるか。そんな客層であることもあり、あまり喋る訳ではないが、MCは歌詞と同様にフランス語。
エレクトリック・ギターを弾きながら歌う本人を、キーボード、エレクトリック・ギター、パーカッション(ドラム的なセットを置き、足を使わずスティックで叩くという感じ)の3人がサポート。多くの曲ではプリセット音が下敷きされていたかな。人間的だなあと思わせる、ぶっきらぼうなしわがれ気味の歌声で、地に足つけた思いを語っていく、てな風情がミオセックにはあり。やっぱりキャリアを積み重ねてきた説得力が、フランス人らしいもやもやとともにそこにはあった。
本編が終わると、観客はお〜お〜お〜とサッカーのチャントのような歓声をあげて、再登場を促す。結局、彼らは2度アンコールにこたえ、さらに5曲ぐらいはやった。ミオセックさん、2017年大統領の選挙では社会党候補を支持していた。
<今日の、どう取るべきか>
ライヴ会場の移動に際し、合理的にタクシーを使った。ここのところ、急いでいて目的地までの道をちゃんとイメージできる場合は、運転手のプライドを損ねない言い方で、通る道を指定するようにしている。だって、近年道を知らない運転手が増えていて、イラっときたりするから。それ、カーナヴィの普及も関係あるのか? 道に詳しくないくせに、カーナヴィに頼らないドライヴァーが一番始末が悪い。到着地を入れるのに時間がかかる(確かに、急いでいる今回の場合、悠長にカーナヴィ扱われていたらやだよなあ)、面倒っちいとか、あるんだろうけど。ブルーノート前で乗ったタクシー運転手に道順指定をしたら「すみませんねえ。お勤めしていたので、まだ勘が戻っていないのでありがたいです」みたいなことを、運転手が丁寧に言う。え、お勤めって? それ、刑務所に入っていたということ? それとも別な職種についていたということ? どちらとも取れて、少しどぎまぎ。そんなことを思ってしまったのは、20年は前のイヤな記憶が残っているからだ。女の子二人と一緒に深夜にタクシーに乗ったら、ぞんざいな口調で、「お客さん、いいねえ。女の子連れて。私、刑務所から出てきたばかりなんですよ。だから、そういうの離れていて」みたいなことをしれっと言われたことがあった。店をかえるために乗ったが、自宅に向かっていたら怖いよねーと、後から話し合った記憶がある。
渋谷・映画美学校試写室で、サミュエル・コラコデという1975年生まれのフランス人が監督する2017年仏映画を見る。舞台は、グリーンランド。監督はグリーランドに魅せられ、2年間北極圏にあるこの国を周り、80人しか住んでいないチニツキラークという村にたどり着き、ここを舞台とする映画を1年間にわたる6回の撮影セッションのもと完成させたという。チニツキラークの小学校に新たに赴任するデンマーク語を教える青年教師と地元の人たちの絡みを題材に置き、デンマーク語とグリーンランド語が用いられる。原題は「Une année polaire」で、英題は「A Polar Year」。
いかにも寒そうな風景に満ちる海沿いのチニツキラークは電気も使われ携帯もつながるが、上下水道はない。生徒はたぶん8人。それ、人口比率から見ると多い? うち、親と一緒にくらしているのは2人で、残りは祖父母に育てられているという。アザラシやシロクマの狩猟を生業にしている人が多いのかな。長い距離の交通手段は犬ぞりで、犬がたくさん映される。
“ドキュフィクション”という言葉があるというのは、初めて知った。ようは、ドキュメンタリーとフィクションをくっつけた造語。現実と作り事が入り組むドキュメンタリー調のフィクションのことを指すようで、実はサミュエル・コラコデ監督はドキュフィクションを得意としており、過去の4作品も同様の仕立てであるという。彼はここで、実際に赴任することになった教師とそこに暮らす地元の子供や大人をそのまま役者として起用し、映画を撮影した。エンドロールのクレジット、役名と演技者が同じ記載が多く出てくる。
北極圏の流儀と西欧圏の流儀の軋轢はとうぜん映画の主題となるが、映画を見ながらどこまでが作られたものなのかと、ぼくは考えてしまったりも。ドキュフィクションということを知らずに、異なる文化を継承する辺境の地と人々の生活を扱った映画として触れた方が楽に見れたような気がするが、多くのことが現実に根ざしているからこそのリアリティもあるだろう。とにかく風景はまったく我々の日常と異なるもので、ぼくだったらもっとそれを大胆に強調しながら見せると思ったが、監督は人間のつながりや所作を前に出そうとしてか、過剰にそうすることはしない。赴任当初は困惑しきりだった教師のアンダース・ヴィーデゴーは、今もその小さな村で子供たちに教えているという。公開は7月からされる。
▶︎過去の、ナヌークなどグリーンランドの担い手
http://43142.diarynote.jp/201503271611494171/ デンマークとグリーンランドの関係の記載も。
http://43142.diarynote.jp/?day=20161106
https://43142.diarynote.jp/201702110915407607/
次は、アップリンク渋谷で、2018年日本映画「メランコリック」を見る。監督・脚本・編集は、これが長編第一作となる田中征爾。彼に加え、主役とプロデュースをしている皆川暢二、準主役とアクション演出をしている磯崎義知は3人とも32歳。彼らは“One Goose”という映画製作チームを組み、クラウド・ファンウンデーションも介し、この自主製作映画を作ったよう。あの「カメラを止めるな!」(2018年10月19日)に新人監督賞を与えたウディネファースト映画祭の次回受賞作ということで、今話題を呼びつつあるよう。
銭湯“松の湯”(エンドロールの協力かなんかの項目にその名前が出てくるので、実在する施設かもしれない)に関わる人たちの荒唐無稽なストーリーと人間模様を描く。殺人/死体遺棄というダークな題材を持つが、妙なペーソスを持つ。随所に飄々とした笑い〜諧謔がうめこまれていて、技あり。最終的に安らぎのようなものも与えるか。いろんな部分でよくできてると思った。こちらは、8月からの公開。
上映後、“One Goose”のタッグ3人が出てきて、素朴に挨拶をする。監督は職場が渋谷でちょっと抜けてきて戻ってまた仕事です、みたいなことを言っていたな。土日に、撮ることが多かったよう。金髪での演技が印象的だった磯崎は黒い短髪/筋肉質で映画とは別人。今、医療系だかの学校に通っていると言っていた。小心者(?)のぼくは面々の苦労を垣間見て、少しドギマギ。でも、考えてみたら、スターでない人のライヴ(その担い手たちは少なからず、副業をせざるをえないだろう)でそういう境遇にあるミュージシャンたちには触れているのだよなー。ただ、映画は手間もお金も時間もかかるのでより苦労は多くなるだろうけど。
▶︎過去の、「カメラを止めるな!」
https://43142.diarynote.jp/201810210703189263/
その後は、南青山・ブルーノート東京。2作連続でグラミー賞のベスト・コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を獲得している、ファンタスティック・ネグリート(2017年4月7日)を見る。ファースト・ショウ。
個性的にして派手な格好をしたファンタスティック・ネグリート(ヴォーカル。ときにギター、一部鍵盤)に加え、25年来の友達であるギターのマサ小浜(2017年4月7日、2019年2月2日)、白人ギタリストのポール・マーティン、キーボードのブライアン・シモンズ、ドラムのダリアン・グレイがステージに立つ。前回の来日公演と比べると、小浜以外はバンド員を入れ替え。普通のベース奏者を入れなくなったのは、彼の変テコさを強調するには効果的かもしれない。今回のほうが、小浜の演奏も目立っていた。
新作『プリーズ・ドント・ビー・デッド』(ライナー・ノーツを書いたので聞き込みました)はレッド・ツェッペリンみたいな曲もあるなど剛性感を増しブラック・ロック色を増したと言える内容だったが、バンド編成を変えた今回のショウのほうがブルーズ度は高いとどこか思わせられる。強いブルースの感覚を顕すのに“モーン(moan)”という言葉があるが、ファンタスティック・ネグリートの歌や所作においてモーン度が今回は高いと思わせたのが、その理由。そして、それは当人のアメリカでの、音楽シーンでの自ら望む位置の表出を導く。なお、ベイ・エリアを根城にしていることにはやはり誇りをもっているのね。ちなみに、彼が生まれたは白人だけの小ぎれいな東海岸の街であるマサチューセッツ州のグレート・バーリントン(2000年8月11日、12日、13日)。彼が生まれたとき、看護婦さんがお母さんに「わあ、黒人の赤ちゃんよ」と言ったんだそう。
▶︎過去の、ファンタスティック・ネグリート
https://43142.diarynote.jp/201704130837359192/
▶︎過去の、マサ小浜
https://43142.diarynote.jp/201704130837359192/
https://43142.diarynote.jp/201902030943337762/
▶︎過去の、グレート・バーリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm (バーク・フェス。11日、12日、13日)
そしてもうひとつ、渋谷・チェルシー・ホテルで、仏ブルターニュ出身のロック派シンガー・ソングタイターのクリストフ・ミオセックを見る。ソングライターや俳優としても活動する、1964年生まれの渋めのおじさん。フランス人公演の常で、多くの客がフランス人。なるほど本国では人気者なのねと感じずにはいられず。とともに、子供づれが少なくなかったのが印象的。それ、10歳以下無料の公演であったためもあるか。そんな客層であることもあり、あまり喋る訳ではないが、MCは歌詞と同様にフランス語。
エレクトリック・ギターを弾きながら歌う本人を、キーボード、エレクトリック・ギター、パーカッション(ドラム的なセットを置き、足を使わずスティックで叩くという感じ)の3人がサポート。多くの曲ではプリセット音が下敷きされていたかな。人間的だなあと思わせる、ぶっきらぼうなしわがれ気味の歌声で、地に足つけた思いを語っていく、てな風情がミオセックにはあり。やっぱりキャリアを積み重ねてきた説得力が、フランス人らしいもやもやとともにそこにはあった。
本編が終わると、観客はお〜お〜お〜とサッカーのチャントのような歓声をあげて、再登場を促す。結局、彼らは2度アンコールにこたえ、さらに5曲ぐらいはやった。ミオセックさん、2017年大統領の選挙では社会党候補を支持していた。
<今日の、どう取るべきか>
ライヴ会場の移動に際し、合理的にタクシーを使った。ここのところ、急いでいて目的地までの道をちゃんとイメージできる場合は、運転手のプライドを損ねない言い方で、通る道を指定するようにしている。だって、近年道を知らない運転手が増えていて、イラっときたりするから。それ、カーナヴィの普及も関係あるのか? 道に詳しくないくせに、カーナヴィに頼らないドライヴァーが一番始末が悪い。到着地を入れるのに時間がかかる(確かに、急いでいる今回の場合、悠長にカーナヴィ扱われていたらやだよなあ)、面倒っちいとか、あるんだろうけど。ブルーノート前で乗ったタクシー運転手に道順指定をしたら「すみませんねえ。お勤めしていたので、まだ勘が戻っていないのでありがたいです」みたいなことを、運転手が丁寧に言う。え、お勤めって? それ、刑務所に入っていたということ? それとも別な職種についていたということ? どちらとも取れて、少しどぎまぎ。そんなことを思ってしまったのは、20年は前のイヤな記憶が残っているからだ。女の子二人と一緒に深夜にタクシーに乗ったら、ぞんざいな口調で、「お客さん、いいねえ。女の子連れて。私、刑務所から出てきたばかりなんですよ。だから、そういうの離れていて」みたいなことをしれっと言われたことがあった。店をかえるために乗ったが、自宅に向かっていたら怖いよねーと、後から話し合った記憶がある。