ダニエル・ハシュケダル
2016年9月2日 音楽 ノルウェーダ人奏者のニエル・ハシュケダル(チューバ、ベース・トランペット)のトリオを、新宿ピットインで見る。エイオルフ・ダーレ(ピアノ)、ヘルゲ・アンドレアス・ノールバッケン(パーカッション)が添った演奏は、現代ジャズというよりはポスト・ジャズと言った方が適切な聞き味を持つ。ジャズ・マンにしかできないだろうが、かなり構成された部分も持ち、曲の尺も(少なくても、この晩は)長くない。結構、メロディを活かす形でアンサンブルを極め、時にインプロ部を浮き上がらせるという説明もできるか。生楽器で勝負しているわけだが、横にマックを置いており、微妙に音響をつけていたりもしていたのかもしれない。それから、パーカッション奏者の自己流なセットの組み込み方が面白い。先例にとらわれずに思うままやれば、結果や個性はついてくる。それは、そう言っていた。
<今日の、アルバイト>
カウンターには、アルバイトでアルト・サックス奏者のゆうかちゃんがいた。かつてカンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日)→現カルナバケーション(2016年2月11日、2016年5月22日)に在籍し、現在はたをやめオルケスタでアルトを吹いている好プレイヤー。とともに、自らの作曲/編曲能力を問う、たのしい東京というグループをやっている。今年アルバムを出したそう。
▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
▶過去の、カルナバケイション
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
<今日の、アルバイト>
カウンターには、アルバイトでアルト・サックス奏者のゆうかちゃんがいた。かつてカンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日)→現カルナバケーション(2016年2月11日、2016年5月22日)に在籍し、現在はたをやめオルケスタでアルトを吹いている好プレイヤー。とともに、自らの作曲/編曲能力を問う、たのしい東京というグループをやっている。今年アルバムを出したそう。
▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ関連
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アート・リンゼイ+バッファロー・ドーター
2016年9月1日 音楽 代官山・晴れたら空に豆まいてで5日連続で持たれる、リオ在住変調シンガー/ギタリスト(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日)公演の中の1枠。この日は、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日、2015年7月30日)とのギグ。
実は、バッファロー・ドーターのバンド表現を母体にリンゼイが思いつきで無調ギターを重ねるということをやるのかと思っていたら、もっと密な関係を持つ内容だった。リンゼイが歌う曲に絶妙な距離感で寄り添ったり、バッファロー側の曲に一歩踏み込んで両者で表現を作り上げたり。これは、1発でやってみましたではなく、事前の準備ややりとりがちゃんとあったと思わせるがっちり噛み合い表現だ。そして、それを支えたのは、お互いの表現に対するリスペクトと音楽愛ではなかったか。実はシュガー吉永がケガをしていたとかでギターを手にしなかったという話もあり、完全にリンゼイの演奏が前に出たものであったのもプラスな印象を導いたのかもしれない。
それにしても、ちゃんとしたバッファローのバンド音を重なるリンゼイのギターは雄弁にかっ飛ぶ。ここにきて進歩してんじゃん、とも思わされた。この晩の場内は畳敷き。出演者は普段は客席となるフロアの中央部に位置し、それを観客が囲む。満場で、パフォーマンスの様はほぼ見えなかった。
▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/
▶過去の、アート・リンゼイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201506111719463390/
<今日の、とほほ>
この日のライヴは静寂はそれほどないのでOKだが、ライヴや映画を見ていて、不用意に咳が出てしまって、ありゃりゃとなることが昔からある。そして、オレは絶対にクラシックの公演には行けないなという思いを新たにもする。知人と飲んでいて咳が出ると、<労咳>なのと言ったりもするが、今この単語は30代以下の人達にはほぼ通じなくなっている。それを聞くと、皆たぶん<老害>とぼくが言ったと思っているのではないか。
実は、バッファロー・ドーターのバンド表現を母体にリンゼイが思いつきで無調ギターを重ねるということをやるのかと思っていたら、もっと密な関係を持つ内容だった。リンゼイが歌う曲に絶妙な距離感で寄り添ったり、バッファロー側の曲に一歩踏み込んで両者で表現を作り上げたり。これは、1発でやってみましたではなく、事前の準備ややりとりがちゃんとあったと思わせるがっちり噛み合い表現だ。そして、それを支えたのは、お互いの表現に対するリスペクトと音楽愛ではなかったか。実はシュガー吉永がケガをしていたとかでギターを手にしなかったという話もあり、完全にリンゼイの演奏が前に出たものであったのもプラスな印象を導いたのかもしれない。
それにしても、ちゃんとしたバッファローのバンド音を重なるリンゼイのギターは雄弁にかっ飛ぶ。ここにきて進歩してんじゃん、とも思わされた。この晩の場内は畳敷き。出演者は普段は客席となるフロアの中央部に位置し、それを観客が囲む。満場で、パフォーマンスの様はほぼ見えなかった。
▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
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▶過去の、アート・リンゼイ
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http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
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<今日の、とほほ>
この日のライヴは静寂はそれほどないのでOKだが、ライヴや映画を見ていて、不用意に咳が出てしまって、ありゃりゃとなることが昔からある。そして、オレは絶対にクラシックの公演には行けないなという思いを新たにもする。知人と飲んでいて咳が出ると、<労咳>なのと言ったりもするが、今この単語は30代以下の人達にはほぼ通じなくなっている。それを聞くと、皆たぶん<老害>とぼくが言ったと思っているのではないか。
スキヤキ・トーキョー
2016年8月31日 音楽二日目。この晩は、南米からやってきた二組が出演した。
◆アカ・セカ・トリオ
この日はソールド・アウトだそう。それは地方で単独公演も組まれもした、このアルゼンチン人3人組の評判ゆえのよう。ピアノ(多くの場合、左手はピアノの上に置いた小キーボードでベース音を出す)、ギター、打楽器(時に、タブラも叩く)。で、これは腑に落ちますね。とにかく、フォークロア、ライト・クラシック、ジャジー要素などが無理なく溶け合い、優美な表現として溢れ出るていく感じは、まさに今であり、これこそは我々が感じる現代アルゼンチンの素敵だと思わせるから。そして、彼らのそうした音楽で大きく頷かせるのは、インストメンタル主体表現でなく、まずヴォーカル、人力の歌心が表現の中央にあること。3人とも歌い、コーラスもバンバンする。そして熟れているのに、鮮烈さを持つ、ポップ・ミュージックという像を作る。もう、本当にしなやかにして、ハイブリッドなトリオ。最後は鳴り物を手にして、ステージ前面に並び、声を重ねる。こりゃ、アカペラのグループでも売り出せるじゃないか! もし無理に文句をつけるなら、一番リード・ヴォーカルをとるギター君の歌が美声なこと。それ、どこかで嘘くささを捻れ者には与えるかもしれない。
ところで、ニコラス・メルマン(Nicolas Melmann)というアルゼンチン人エレクトニカ系アーティストを少し前に知った。響きや佇まいタタッ住まいがしなやかで、電気音を使っていてもどかか自然志向と感じさせ部分があって、ああアルゼンチンのアーティストだなと思わされるのだ。彼の名前を引けばサウンドクラウドやユーチューブは容易に見つかるはず。
◆セシリア・トッド
一転して、ベネズエラの広角型トラッド歌手、大御所。現在のワーキング・バンド(マンドリン、アコースティック・ギター、ベース、パーカッション)を率い、彼女が上手にクアトロを弾きながら悠然と歌うわけだが、面白いと思わずにいられないのは、彼女は中央に位置せず我々に向かって左端に立って歌うこと。それ、バンドの演奏を横から一目で見て掌握したいという表れだろうか。材料は多彩なリズムや情緒を持つベネズエラ各地のトラッド。それを彼女は拾い上げ、輝きあるトッドの歌唱表現として提出する。アカ・セカ・トリオとはまるっきり違うがともに南米スペイン語の音楽、なり。彼女の1974年録音のファースト・アルバムは二十歳ちょいの時、アルゼンチンに音楽留学していた際に録られたもの。何も分からない状態で録音したもので、彼女自身は出来に満足していないそう。でも、ワクワクさせる若さ、伸びやかさがあって好きデスと、前日にインタヴューした時に声を大にして彼女に言ってしまった。最後には、アカ・セカ・トリオの二人が鳴り物で加わる。それもまた、美しい様であったな。生きるフォークロア。位相を異にしつつ、つながるラテン・アメリカの弧、てな感じ。トッドを聞けてよかった。
<今日の、流れ>
終演後、バー・カウンターの横に昨日出演したヴォードゥー・ゲームのピーター・ソロがいる。それ、不思議はないとして、その後に知人と流れたバーに、ヴォードゥ・ゲームのマネージャーがいた。雑居ビルの3階にあるこのお店をどうして選んだのか? それを尋ねると、タイムアウトを見て知ったという。ま、世間は狭いときもあるものです。
◆アカ・セカ・トリオ
この日はソールド・アウトだそう。それは地方で単独公演も組まれもした、このアルゼンチン人3人組の評判ゆえのよう。ピアノ(多くの場合、左手はピアノの上に置いた小キーボードでベース音を出す)、ギター、打楽器(時に、タブラも叩く)。で、これは腑に落ちますね。とにかく、フォークロア、ライト・クラシック、ジャジー要素などが無理なく溶け合い、優美な表現として溢れ出るていく感じは、まさに今であり、これこそは我々が感じる現代アルゼンチンの素敵だと思わせるから。そして、彼らのそうした音楽で大きく頷かせるのは、インストメンタル主体表現でなく、まずヴォーカル、人力の歌心が表現の中央にあること。3人とも歌い、コーラスもバンバンする。そして熟れているのに、鮮烈さを持つ、ポップ・ミュージックという像を作る。もう、本当にしなやかにして、ハイブリッドなトリオ。最後は鳴り物を手にして、ステージ前面に並び、声を重ねる。こりゃ、アカペラのグループでも売り出せるじゃないか! もし無理に文句をつけるなら、一番リード・ヴォーカルをとるギター君の歌が美声なこと。それ、どこかで嘘くささを捻れ者には与えるかもしれない。
ところで、ニコラス・メルマン(Nicolas Melmann)というアルゼンチン人エレクトニカ系アーティストを少し前に知った。響きや佇まいタタッ住まいがしなやかで、電気音を使っていてもどかか自然志向と感じさせ部分があって、ああアルゼンチンのアーティストだなと思わされるのだ。彼の名前を引けばサウンドクラウドやユーチューブは容易に見つかるはず。
◆セシリア・トッド
一転して、ベネズエラの広角型トラッド歌手、大御所。現在のワーキング・バンド(マンドリン、アコースティック・ギター、ベース、パーカッション)を率い、彼女が上手にクアトロを弾きながら悠然と歌うわけだが、面白いと思わずにいられないのは、彼女は中央に位置せず我々に向かって左端に立って歌うこと。それ、バンドの演奏を横から一目で見て掌握したいという表れだろうか。材料は多彩なリズムや情緒を持つベネズエラ各地のトラッド。それを彼女は拾い上げ、輝きあるトッドの歌唱表現として提出する。アカ・セカ・トリオとはまるっきり違うがともに南米スペイン語の音楽、なり。彼女の1974年録音のファースト・アルバムは二十歳ちょいの時、アルゼンチンに音楽留学していた際に録られたもの。何も分からない状態で録音したもので、彼女自身は出来に満足していないそう。でも、ワクワクさせる若さ、伸びやかさがあって好きデスと、前日にインタヴューした時に声を大にして彼女に言ってしまった。最後には、アカ・セカ・トリオの二人が鳴り物で加わる。それもまた、美しい様であったな。生きるフォークロア。位相を異にしつつ、つながるラテン・アメリカの弧、てな感じ。トッドを聞けてよかった。
<今日の、流れ>
終演後、バー・カウンターの横に昨日出演したヴォードゥー・ゲームのピーター・ソロがいる。それ、不思議はないとして、その後に知人と流れたバーに、ヴォードゥ・ゲームのマネージャーがいた。雑居ビルの3階にあるこのお店をどうして選んだのか? それを尋ねると、タイムアウトを見て知ったという。ま、世間は狭いときもあるものです。
スキヤキ・トーキョー
2016年8月30日 音楽 毎年恒例、8月下旬に持たれる渋谷・wwwで開かれるワールド・ビート系の音楽会。今年は2日間の開催だが、そのラインアップの個人的な興味の惹かれ具合は例年以上。イエイ。初日のこの晩は、アフリカとつながった3組が出演。
◆サハラ・ハルガン・トリオ(ソマリランド/フランス)
ソマリランドの国旗を終始持ちながら、心を込めて歌う。少し汚れたその旗を彼女はロードに出るときに持って出て、いつもそれを手にしてステージに立つのだという。エレクトリック・ギター(あれ、レギュラー・チューニングなのだろうか?)と打楽器/コラを担当する二人のフランス人男性を従えて、悠々。手拍子だけで3人で歌を重ねたりとか、表現に幅をもたせ、見せ方にもいろいろと留意。地声の強そうな歌はまれにアフリカを印象づけるアクロバティックな歌唱を繰り出すときもある。
◆ダミリー(マダガスカル)
男性ヴォーカル、電気ギター、電気ベース、ドラム、女性ヴォーカル(ステージに、出たり入ったり)という5人編成で疾走感のある表現を送る。辛気なスロウなどやらず、弾け系で行くのが良い。構成員は黒のTシャツとパンツで短髪というお揃いの見てくれだが、ドレッド・ロックス頭のギター奏者だけは赤いパンツと黒のジャケットを着用。一人でええ格好しいをアピール。ふふ、西欧ロック文脈的にギタリストっぽい。実際、彼の演奏がグイグイ進む表現総体を引っ張っているところはあったはず。リード・ヴォーカリストはYouTubeで聞くより滑らかでたっぷりした質感をもつ。女性歌手は、声は大きいものの滋味に欠けるが、いた方が当然よろしい。
◆ヴォードゥー・ゲーム(トーゴ/フランス)
トーゴ人シンガー/ギタリスト、ピーター・ソロが仏リヨン組んでいるグループ。エレクトリック・ベース(半分スパニッシュ)、キーボード(チリ出身)、ドラム(チュニジア出身)、アルト・サックス、トロンボーン(ともに仏人でパーカッションも担当)。上半身は裸の彼、格好いい。JB好きと思わせるところは、いろいろ。彼の叔父は1970年初頭にJBモロ調表現をやっていたロジャー・ダマウォザン。ヴォードゥとは、ヴードウのこと。で、アフロ・ビートとエチオピアン歌謡要素が掛け合わされたと説明できそうなことをやるのだが、外野からエチオピア的と指摘されるものこそは、彼らのヴォードゥ音楽要素であるのだという。翌日、彼にインタヴュー(フランスに住む前にロンドンに住んだことがあり英語にて)したが、イメージ通りのやんちゃさん。が、一部オフレコを申し出たりし、細いところも持つ。フランス人を中心とするバンドの面々はなんかお揃いのとっぽいツナギを着ていた。
<今日の、認知>
一番最初に出てきたハルガンさんは、後に続く2組のライヴを熱心にご覧になっていた。スペースシャワー経営のライヴ・ハウスであるwwwの2号店ができるというのはおぼろげに知っていたが、場所は1号店の上階で、この9月から開店するのか。
◆サハラ・ハルガン・トリオ(ソマリランド/フランス)
ソマリランドの国旗を終始持ちながら、心を込めて歌う。少し汚れたその旗を彼女はロードに出るときに持って出て、いつもそれを手にしてステージに立つのだという。エレクトリック・ギター(あれ、レギュラー・チューニングなのだろうか?)と打楽器/コラを担当する二人のフランス人男性を従えて、悠々。手拍子だけで3人で歌を重ねたりとか、表現に幅をもたせ、見せ方にもいろいろと留意。地声の強そうな歌はまれにアフリカを印象づけるアクロバティックな歌唱を繰り出すときもある。
◆ダミリー(マダガスカル)
男性ヴォーカル、電気ギター、電気ベース、ドラム、女性ヴォーカル(ステージに、出たり入ったり)という5人編成で疾走感のある表現を送る。辛気なスロウなどやらず、弾け系で行くのが良い。構成員は黒のTシャツとパンツで短髪というお揃いの見てくれだが、ドレッド・ロックス頭のギター奏者だけは赤いパンツと黒のジャケットを着用。一人でええ格好しいをアピール。ふふ、西欧ロック文脈的にギタリストっぽい。実際、彼の演奏がグイグイ進む表現総体を引っ張っているところはあったはず。リード・ヴォーカリストはYouTubeで聞くより滑らかでたっぷりした質感をもつ。女性歌手は、声は大きいものの滋味に欠けるが、いた方が当然よろしい。
◆ヴォードゥー・ゲーム(トーゴ/フランス)
トーゴ人シンガー/ギタリスト、ピーター・ソロが仏リヨン組んでいるグループ。エレクトリック・ベース(半分スパニッシュ)、キーボード(チリ出身)、ドラム(チュニジア出身)、アルト・サックス、トロンボーン(ともに仏人でパーカッションも担当)。上半身は裸の彼、格好いい。JB好きと思わせるところは、いろいろ。彼の叔父は1970年初頭にJBモロ調表現をやっていたロジャー・ダマウォザン。ヴォードゥとは、ヴードウのこと。で、アフロ・ビートとエチオピアン歌謡要素が掛け合わされたと説明できそうなことをやるのだが、外野からエチオピア的と指摘されるものこそは、彼らのヴォードゥ音楽要素であるのだという。翌日、彼にインタヴュー(フランスに住む前にロンドンに住んだことがあり英語にて)したが、イメージ通りのやんちゃさん。が、一部オフレコを申し出たりし、細いところも持つ。フランス人を中心とするバンドの面々はなんかお揃いのとっぽいツナギを着ていた。
<今日の、認知>
一番最初に出てきたハルガンさんは、後に続く2組のライヴを熱心にご覧になっていた。スペースシャワー経営のライヴ・ハウスであるwwwの2号店ができるというのはおぼろげに知っていたが、場所は1号店の上階で、この9月から開店するのか。
自らフィールドワークした映像(それは、非日常的と言えるか)を自分で編集し、元の映像にある音や声や自然音を介しつつ、そこにもう一つの新しいメロディや音の連鎖や色彩感を与えた絵巻的表現を作る。で、映像編集の先にキーボードで付けられた音がなんとも愛らしさと閃きに満ちたメロディを持つ。それは人の心の琴線に入り込む切なさや慈しみを山ほど抱えていて、これはやられる。そして、その総体には、これは他に例を見ないプログ・ポップだと感嘆してしまう。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。昨年公演(2015年5月30日)と同じく、ドラム奏者を伴っての実演を見せる。新作1枚分の映像(プリセット音付き)を流し、それに合わせて鍵盤音とドラム音を適時に重ねていくが、映像を作り変えていたじゃないか。昨年インタヴューした時にものすごい好漢でほっくりしてしまったが、この晩もそういう面はいろいろと現れ、予期せぬ歓声が沸いたりもした。
▶︎過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
<今日の、ニコっ>
欧州のフットボール、2016〜2017年シーズンが次々開幕、スポーツ・チャンネルで色々放映が始まって嬉しい。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。昨年公演(2015年5月30日)と同じく、ドラム奏者を伴っての実演を見せる。新作1枚分の映像(プリセット音付き)を流し、それに合わせて鍵盤音とドラム音を適時に重ねていくが、映像を作り変えていたじゃないか。昨年インタヴューした時にものすごい好漢でほっくりしてしまったが、この晩もそういう面はいろいろと現れ、予期せぬ歓声が沸いたりもした。
▶︎過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
<今日の、ニコっ>
欧州のフットボール、2016〜2017年シーズンが次々開幕、スポーツ・チャンネルで色々放映が始まって嬉しい。
ジョイス・モレーノ&イヴァン・リンス
2016年8月28日 音楽 お得な、聞きどころいっぱいの、ココロにもあふれていた公演だったと思う。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
まず、イヴァン・リンス(2002年5月1日、2009年3月17日、2010年3月9日、2012年4月12日)が先発でパフォーマンス。旧知のウルグアイ人ギタリストのレオナルド・アムエドを伴ってのものだが、彼がかなり腕がたつジャズ系奏者であるのはすぐに了解。リンスも彼を間奏でちゃんとフィーチャーする。コードの押さえやソロを追っていて、ワクワクしたナ。てなわけで、このキーボード+ギターという単位がかなりいい感じ、妙味あり。どうしてこういう編成で今回のショウをやったかは分からぬが(ジョイス編成との兼ね合いもあったのか?)、これはあり。そして、端々から、いい感じのくつろいだパーソナリティが見えてくるのもマル。←3.11後に、彼が気持ちをこめて日本語で歌う「上を向いて歩こう」をネットに載せたことをふと思い出した。それはともかく、リンスさん、やはり力あるな。そういえば、ジョージ・ベンソンに1980年に取り上げられた「ディノラ・ディノラ」も披露。ビッグ・Q(2013年8月1日)をはじめ、むかし彼が米国辣腕ジャズ奏者のアイドルであったのも必然だったな。
35分パフォーマンスした後、ジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日、2015年8月3日)のカルテットも呼び込まれる。2曲一緒にパフォーマンスした。一緒に書いた曲とジョビン曲をやったのかな。
その後は、ジョイスの巻。ドラムのトゥッチ・モレーノ、ベース(アコースティック・ギター型のベースを弾く。そのラインに時に耳奪われたな)のロドルフォ・ストロエーテル、ピアノのエリオ・アルヴェスというワーキング・バンドを従え、悠々、清々しく歌唱し演奏。乱暴に言ってしまえば、ブラジル音楽とジャズ回路のうるわしき交錯の大成功例と言うしかない内容。彼女たち、「ミンガス、マイルズ&コルトレーン」というジャズ巨人憧憬曲もやったな。で、最後にリンスとアムエドが出てきてもう1曲、ジョビンの「想い溢れて」を披露。これも、ビッグ・Qやローランド・カークから渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日。一時はライヴにおける定番曲であった)まで、山ほどのジャズ・マンが取り上げている曲。ボサノヴァ/ブラジル音楽がなかったらジャズは一部では本当に味気ないものになっていたのは疑いがない。最終曲に触れながらそんなことも思ったし、米国ジャズがなかったらボサノヴァは今聞くことができる形にはならなかったろう。音楽の相互影響の幸せな関係をぼくは噛み締めた。
▶︎過去の、イヴァン・リンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200903191857117123/
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
http://43142.diarynote.jp/201204150908588685/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、ジョイス・モレーノ
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
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http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
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http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
<今日の、追記>
終演後、会場で先輩からトゥッチ・モレーノはかつてロック派だったと聞かされてびっくり。今は、ジャズ・マナーぶりぶりで叩いているのになあ。ピアニストのアルヴェスも基本ジャズ奏者然として演奏する御仁だが、ジョイスとやる時はそれほど個性がにじみ出ない。彼のヴィニシウス・カントゥアリア公演(2015年9月10日)でのサポートの際の、絹の手触りを持つ指さばきは蜃気楼だったのか? 相手の音楽性に合わせてのことなのだろうけど。
ところで、9月中旬までいろいろな用事が山ほどで、おそらくこのブログ原稿は半月放置されるのではないかと推測され。。。。。。
▶︎過去の、ヴィニシウス・カントゥアリア
http://43142.diarynote.jp/201509231110566930/
<さらに、追記>
今の米国ポップ・ミュージックの重要人物であるフランク・オーシャンの好きな50曲というリストが発表されていて(http://genius.com/a/frank-ocean-lists-his-favorite-songs-in-boys-don-t-cry-magazine)、そこにジョイス・モレーノの「Jardim Dos Deuses」が入っている。それ、彼女が1976年にパリでナナ・バスコンセロスとモウリシオ・マエストロと3人で録ったもので、米国ファーラウトが数年前に蔵出しリリースした『Visions of Dawm』に入っていた曲。また、そのリストには少し前に亡くなった(8月17日の欄外で触れている)ジャズ・ヴァイブラフォン奏者のボビー・ハッチャーソンの「Prints Tie」もあり。それは彼の1971年ブルーノート盤『サンフランシスコ』に入っていたアブストラクト電化曲(ハンコックの『セクスタント』収録曲と横並びにできるかも)だった。
まず、イヴァン・リンス(2002年5月1日、2009年3月17日、2010年3月9日、2012年4月12日)が先発でパフォーマンス。旧知のウルグアイ人ギタリストのレオナルド・アムエドを伴ってのものだが、彼がかなり腕がたつジャズ系奏者であるのはすぐに了解。リンスも彼を間奏でちゃんとフィーチャーする。コードの押さえやソロを追っていて、ワクワクしたナ。てなわけで、このキーボード+ギターという単位がかなりいい感じ、妙味あり。どうしてこういう編成で今回のショウをやったかは分からぬが(ジョイス編成との兼ね合いもあったのか?)、これはあり。そして、端々から、いい感じのくつろいだパーソナリティが見えてくるのもマル。←3.11後に、彼が気持ちをこめて日本語で歌う「上を向いて歩こう」をネットに載せたことをふと思い出した。それはともかく、リンスさん、やはり力あるな。そういえば、ジョージ・ベンソンに1980年に取り上げられた「ディノラ・ディノラ」も披露。ビッグ・Q(2013年8月1日)をはじめ、むかし彼が米国辣腕ジャズ奏者のアイドルであったのも必然だったな。
35分パフォーマンスした後、ジョイス(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日、2015年8月3日)のカルテットも呼び込まれる。2曲一緒にパフォーマンスした。一緒に書いた曲とジョビン曲をやったのかな。
その後は、ジョイスの巻。ドラムのトゥッチ・モレーノ、ベース(アコースティック・ギター型のベースを弾く。そのラインに時に耳奪われたな)のロドルフォ・ストロエーテル、ピアノのエリオ・アルヴェスというワーキング・バンドを従え、悠々、清々しく歌唱し演奏。乱暴に言ってしまえば、ブラジル音楽とジャズ回路のうるわしき交錯の大成功例と言うしかない内容。彼女たち、「ミンガス、マイルズ&コルトレーン」というジャズ巨人憧憬曲もやったな。で、最後にリンスとアムエドが出てきてもう1曲、ジョビンの「想い溢れて」を披露。これも、ビッグ・Qやローランド・カークから渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日。一時はライヴにおける定番曲であった)まで、山ほどのジャズ・マンが取り上げている曲。ボサノヴァ/ブラジル音楽がなかったらジャズは一部では本当に味気ないものになっていたのは疑いがない。最終曲に触れながらそんなことも思ったし、米国ジャズがなかったらボサノヴァは今聞くことができる形にはならなかったろう。音楽の相互影響の幸せな関係をぼくは噛み締めた。
▶︎過去の、イヴァン・リンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200903191857117123/
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http://43142.diarynote.jp/201204150908588685/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、ジョイス・モレーノ
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▶過去の、渡辺貞夫
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<今日の、追記>
終演後、会場で先輩からトゥッチ・モレーノはかつてロック派だったと聞かされてびっくり。今は、ジャズ・マナーぶりぶりで叩いているのになあ。ピアニストのアルヴェスも基本ジャズ奏者然として演奏する御仁だが、ジョイスとやる時はそれほど個性がにじみ出ない。彼のヴィニシウス・カントゥアリア公演(2015年9月10日)でのサポートの際の、絹の手触りを持つ指さばきは蜃気楼だったのか? 相手の音楽性に合わせてのことなのだろうけど。
ところで、9月中旬までいろいろな用事が山ほどで、おそらくこのブログ原稿は半月放置されるのではないかと推測され。。。。。。
▶︎過去の、ヴィニシウス・カントゥアリア
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<さらに、追記>
今の米国ポップ・ミュージックの重要人物であるフランク・オーシャンの好きな50曲というリストが発表されていて(http://genius.com/a/frank-ocean-lists-his-favorite-songs-in-boys-don-t-cry-magazine)、そこにジョイス・モレーノの「Jardim Dos Deuses」が入っている。それ、彼女が1976年にパリでナナ・バスコンセロスとモウリシオ・マエストロと3人で録ったもので、米国ファーラウトが数年前に蔵出しリリースした『Visions of Dawm』に入っていた曲。また、そのリストには少し前に亡くなった(8月17日の欄外で触れている)ジャズ・ヴァイブラフォン奏者のボビー・ハッチャーソンの「Prints Tie」もあり。それは彼の1971年ブルーノート盤『サンフランシスコ』に入っていたアブストラクト電化曲(ハンコックの『セクスタント』収録曲と横並びにできるかも)だった。
サマーソニック2016
2016年8月21日 音楽 メッセ会場のソニック・ステージでMETAFIVEを見る。高橋幸宏(2009年10月31日、2011年8月7日、2013年8月11日)、小山田圭吾((2009年1月21日、2009年10月31日、2011年8月7日、2012年8月12日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年3月31日、2014年10月26日、2015年6月9日)、砂原良徳、TOWA TEI(2011年8月7日)、ゴンドウトモヒコ(2012年8月12日、2013年8月11日)、LEO今井が構成員で、エッジィなポップ・ミュージックというか、1980年代あたまあたりのトーキング・ヘッズからアフロ・ファンク色を抜き、代わりエレクトロ系の現代感覚を加えたと言えそうなロックを披露していた。
▶︎過去の、高橋幸宏
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、小山田圭吾
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
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http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
http://43142.diarynote.jp/?page=2&month=201410
http://43142.diarynote.jp/?day=20150609
▶︎過去の、テイ・トウワ
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
▶︎過去の、ゴンドウトモヒコ
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
コリーヌ・ベイリー・レイ(2011年3月8日)新曲やロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日)物件作への楽曲参加などの話題もあり。清新R&Bを送り出す存在として注目を浴びているR&B女性コーラス3人組のキングは、大きな会場(ソニック・ステージ)ながら3人だけでパフォーマンス。プリセット音+キーボード音に生理的に自由な歌声を載せる。メロディ感覚はジャジーで、例により一緒には歌いにくいものだが、それが魅力。その3分の1のパリス・ストローザ―はバークリー音楽大学に通っていたので(日本人のBIG YUKIやmonolog、エスペランサや“Wスコット”〜クリスチャン・スコット、ケンドリック・スコット〜らが重なっている模様)、そうなるのも不思議ではない。日本人実力者満載のMETAFIVEから見れば客の入りは控えめだったが、流麗な現代R&Bの真価は存分にアピールしていたのではないか。
▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
▶過去の、ケンドリック・スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
http://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
http://43142.diarynote.jp/201511120022503788/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
途中から見た、ザ・ジャクソンズのショウ(マウンテン・ステージ)、歌下手くそだなあ(本当、そうなの)と思いつつ、なんか良いなと思えて、予定を変更して最後まで見てしまう。弟(マイケル・ジャクソン)の財産に大きくよりかかるものであったのだが、なんかほんわか高揚、ココロ許せた。途中、ジャクソン5の「ABC」が高らかに始まった際、浮かれた観客が後ろからどばあと前に押し寄せ、その図がとっても愉快。そこには、“ポップ・ミュージックの夢”とも言いたくなる何かがあった。伴奏が素晴らしかったこともあるが(菅音も違和感なく、キーボードで出していた)、なんか米国R&Bの、アメリカの娯楽表現の底力を思い知らせるところもあったか。ブルース好きのギタリストであるティト・ジャクソン(2010年7月15日、2015年12月5日)も格好良く見えました。
▶過去の、ザ・ジャクソンズ
http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/
▶過去の、ティト・ジャクソン
http://43142.diarynote.jp/201007161048008489/
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
▶過去の、映画「THIS IS IT」
http://43142.diarynote.jp/200911010930562162/
今回のフェスで感じたのは、音響的に万全でないデカい会場でやる場合、DJものは威力を発揮するかもということ。だって、音は無条件に音圧の高いクリアーなものに流せるし、それに同期した照明や映像にも凝ることができるから。バンドでやるよりも、大会場でやるときのアドヴァンテージは高いかもなあ……。それを徹底的に求め、(少人数でやるがゆえに)浮いたお金で鬼のようなステージ美術を施しているのが、ベルギーのトモロウランド(2016年7月8日参照)であるわけだ。なんて、考えていたら、サマーソニックのメッセ内のステージ美術、味気ない建物内にあるんだし3つのステージの差別化を図るためにももっと凝るのは大アリではないかとも思った。
▶︎過去の、トゥモロウランドの記録映画
http://43142.diarynote.jp/201607100831007710/
オーヴァーグラウンドな位置でも活躍するマーク・ロンソンのマウンテン・ステージの出し物は彼一人によるDJショウ。時々、呼びかけのマイク使いもあり。映像は彼のオペーレーションもよく映し、その立った音使いもあって、とても個の存在が出た肉感的なパフォーマンスと感じる。楽しめたな。
ビーチ・ステージの夕方の時間帯はビルボードライブが仕切っての、ミュージック・ソウルチャイルド(2009年9月26日、2015年2月21日)、SWV(2012年8月21日)、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション(2009年9月29日、2010年9月9日、2012年11月24日、2014年5月4日、2014年5月5日、2015年11月11日)というブラック・アクト3連発だったのだが、見ることができたのはラリーさんだけ。日も落ちたビーチに行くと昨日の昼間の様と異なり場内はガラガラ(と言っていいレヴェル)、唖然。そんななかでも、面々はしっかり誠意のもとパフォーマンス。過去のショウとそれほど変わるものではないがファンクの本懐を次々に繰り出す。あ、女性ヴォーカリストがまた変わり、今度は白人(2012年作に参加していたベイ・エリアをベースとするアシュリング・コール)。性格良さそうな、歌える人でした。今回、無理してでもラリー・グラハムを見なきゃと思ったのは、仲良しのプリンスが亡くなったからであったか。プリンスは彼をメンターと慕っていた。この晩、的確な謝辞と共に、彼はプリンス(2002年11月19日)の「アルファベット・ストリート」を披露。なお、彼らの出演時のPA音、すごいいいなあと感じた。
▶過去の、ミュージック・ソウルチャイルド
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
▶︎過去の、SWV
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
▶過去の、ラリー・グラハム
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201009171755535759/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632/
http://43142.diarynote.jp/201405071010101908/
http://43142.diarynote.jp/201405071013173150/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
そして、途中からにはなったが、マリーン球場でレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)を見る。スタンドから見たが、もう満場。アーティスト冥利につきるだろうな。とともに、このぐらいの規模のショウだからこそ、こみ上げてくるものも確かにあると思えた。
なるほど、これがツイン・ドラム編成のレディオヘッドか。一人はポーティスヘッドのドラマーだというが、二人の重なりは機械も経由しただろう細分化されたリズムの体裁を見事に生の場で開いていて、そこに浮遊し、響く肉声やギター音が散りばめられる様はすごい。訴求力、ありすぎっ。実はいつまでもレディヘッドでもないだろという思いもなくはないが、この晩のショウに触れてそれも至極当然、彼らはフロント・ライナーであり続けると思わずにはいられなかった。しかし、トム・ヨークは妙にハイではなかったか。
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
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<今日の、天候>
前日までは雲と雨の予報が出されているはずだが、この日は雨は降らず、けっこう陽も差していたのではないか。湿度は高かったので、体感温度は高かった。そして、翌日は台風で、けっこうな大荒れ。これ、1日ずれていたら。少し、ゾっとした。しかし、会場ではけっこう座ったりもしていたのだが、疲労困憊。あまりの体力のなさに、ちょい絶望する。
<そして、付録>
以下は、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーションの一番新しいアルバムとなる2012年作『レイズ・アップ』(傑作です。プリンスも参加している)のぼくが書いたライナー・ノーツからの、プリンスとの絡みの部分を記した部分の抜粋だ。用いた発言は、2010年にインタヴューしたときのものである。
ところで、米国ブラック・ミュージック史に残る輝かしい業績を1970年代から1980年代にかけて残しているグラハムだが、1990年代に入ると急に第一線から遠ざかってしまったような印象も受けるが、それは彼がジャマイカに居住したからだ。しかも、それは音楽のためではなく、聖書の普及のためであった。実は、彼は70年代半ば頃から、宗教に向かい合うようになったという。
「7年間、ジャマイカにいた。奥さんと子供と、娘が7歳から14歳になるまでいたよ。そして、12年前に戻ってきてミネアポリスに住んだ。ジャマイカでは教会に勤めていたというよりも、聖書の内容を教えるということをしていた」
帰国後の彼がミネソタ州ミネアポリスに住むきっかけとなったのが、プリンスとの邂逅だった。ナッシュヴィルで双方が別の会場でギグする機会があり、それを知ったプリンスはグラハムをアフター・パーティに招待。両者はすぐに打ち解け、以後強い親交を持つに至っている。実は、スライ・ストーン(スライ&ザ・ファミリー・ストーンはオークランド周辺のミュージシャンで結成された)の影響を受けるプリンスが、“オークランド・ファンク”フェチであるのはよく知られる。彼は、シーラ・E(打楽器)、エディ・Mやエリック・リーズ(サックス)、ラッド(鍵盤)など同所出身の奏者をいろいろと自己バンドに誘ってきている。
ミネアポリスに住むようになったグラハムの家は、プリンスの家の隣。実は、2人の家は隣同士なものの、プリンス邸はデカいので山を一つ挟んでいると言われたりしたこともあった。それを問うと、「確かにプリンスん家の隣だよ。でも山は隔ててなく(笑い)、間にあるのは金網だけ。だから、よく会っている」、とのこと。
プリンスの1998年作『ニュー・パワー・ソウル』(NPG)にグラハムは参加。同じくプリンスの『ザ・レインボウ・チルドレン』(2001年)にも彼は入っているが、同作はプリンスが熱心なエホバの聖人の信者であることが投影された作品であり、同宗にはグラハムを通してハマったと言われている。一方、グラハムは1998年にプリンスのプロデュースで、彼のレーベのNPGから『GCS2000』を出した。
▶︎過去の、高橋幸宏
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、小山田圭吾
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
http://43142.diarynote.jp/?page=2&month=201410
http://43142.diarynote.jp/?day=20150609
▶︎過去の、テイ・トウワ
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
▶︎過去の、ゴンドウトモヒコ
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
コリーヌ・ベイリー・レイ(2011年3月8日)新曲やロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日)物件作への楽曲参加などの話題もあり。清新R&Bを送り出す存在として注目を浴びているR&B女性コーラス3人組のキングは、大きな会場(ソニック・ステージ)ながら3人だけでパフォーマンス。プリセット音+キーボード音に生理的に自由な歌声を載せる。メロディ感覚はジャジーで、例により一緒には歌いにくいものだが、それが魅力。その3分の1のパリス・ストローザ―はバークリー音楽大学に通っていたので(日本人のBIG YUKIやmonolog、エスペランサや“Wスコット”〜クリスチャン・スコット、ケンドリック・スコット〜らが重なっている模様)、そうなるのも不思議ではない。日本人実力者満載のMETAFIVEから見れば客の入りは控えめだったが、流麗な現代R&Bの真価は存分にアピールしていたのではないか。
▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
▶過去の、ケンドリック・スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
http://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
http://43142.diarynote.jp/201511120022503788/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
途中から見た、ザ・ジャクソンズのショウ(マウンテン・ステージ)、歌下手くそだなあ(本当、そうなの)と思いつつ、なんか良いなと思えて、予定を変更して最後まで見てしまう。弟(マイケル・ジャクソン)の財産に大きくよりかかるものであったのだが、なんかほんわか高揚、ココロ許せた。途中、ジャクソン5の「ABC」が高らかに始まった際、浮かれた観客が後ろからどばあと前に押し寄せ、その図がとっても愉快。そこには、“ポップ・ミュージックの夢”とも言いたくなる何かがあった。伴奏が素晴らしかったこともあるが(菅音も違和感なく、キーボードで出していた)、なんか米国R&Bの、アメリカの娯楽表現の底力を思い知らせるところもあったか。ブルース好きのギタリストであるティト・ジャクソン(2010年7月15日、2015年12月5日)も格好良く見えました。
▶過去の、ザ・ジャクソンズ
http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/
▶過去の、ティト・ジャクソン
http://43142.diarynote.jp/201007161048008489/
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
▶過去の、映画「THIS IS IT」
http://43142.diarynote.jp/200911010930562162/
今回のフェスで感じたのは、音響的に万全でないデカい会場でやる場合、DJものは威力を発揮するかもということ。だって、音は無条件に音圧の高いクリアーなものに流せるし、それに同期した照明や映像にも凝ることができるから。バンドでやるよりも、大会場でやるときのアドヴァンテージは高いかもなあ……。それを徹底的に求め、(少人数でやるがゆえに)浮いたお金で鬼のようなステージ美術を施しているのが、ベルギーのトモロウランド(2016年7月8日参照)であるわけだ。なんて、考えていたら、サマーソニックのメッセ内のステージ美術、味気ない建物内にあるんだし3つのステージの差別化を図るためにももっと凝るのは大アリではないかとも思った。
▶︎過去の、トゥモロウランドの記録映画
http://43142.diarynote.jp/201607100831007710/
オーヴァーグラウンドな位置でも活躍するマーク・ロンソンのマウンテン・ステージの出し物は彼一人によるDJショウ。時々、呼びかけのマイク使いもあり。映像は彼のオペーレーションもよく映し、その立った音使いもあって、とても個の存在が出た肉感的なパフォーマンスと感じる。楽しめたな。
ビーチ・ステージの夕方の時間帯はビルボードライブが仕切っての、ミュージック・ソウルチャイルド(2009年9月26日、2015年2月21日)、SWV(2012年8月21日)、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーション(2009年9月29日、2010年9月9日、2012年11月24日、2014年5月4日、2014年5月5日、2015年11月11日)というブラック・アクト3連発だったのだが、見ることができたのはラリーさんだけ。日も落ちたビーチに行くと昨日の昼間の様と異なり場内はガラガラ(と言っていいレヴェル)、唖然。そんななかでも、面々はしっかり誠意のもとパフォーマンス。過去のショウとそれほど変わるものではないがファンクの本懐を次々に繰り出す。あ、女性ヴォーカリストがまた変わり、今度は白人(2012年作に参加していたベイ・エリアをベースとするアシュリング・コール)。性格良さそうな、歌える人でした。今回、無理してでもラリー・グラハムを見なきゃと思ったのは、仲良しのプリンスが亡くなったからであったか。プリンスは彼をメンターと慕っていた。この晩、的確な謝辞と共に、彼はプリンス(2002年11月19日)の「アルファベット・ストリート」を披露。なお、彼らの出演時のPA音、すごいいいなあと感じた。
▶過去の、ミュージック・ソウルチャイルド
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
▶︎過去の、SWV
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
▶過去の、ラリー・グラハム
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201009171755535759/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632/
http://43142.diarynote.jp/201405071010101908/
http://43142.diarynote.jp/201405071013173150/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
そして、途中からにはなったが、マリーン球場でレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)を見る。スタンドから見たが、もう満場。アーティスト冥利につきるだろうな。とともに、このぐらいの規模のショウだからこそ、こみ上げてくるものも確かにあると思えた。
なるほど、これがツイン・ドラム編成のレディオヘッドか。一人はポーティスヘッドのドラマーだというが、二人の重なりは機械も経由しただろう細分化されたリズムの体裁を見事に生の場で開いていて、そこに浮遊し、響く肉声やギター音が散りばめられる様はすごい。訴求力、ありすぎっ。実はいつまでもレディヘッドでもないだろという思いもなくはないが、この晩のショウに触れてそれも至極当然、彼らはフロント・ライナーであり続けると思わずにはいられなかった。しかし、トム・ヨークは妙にハイではなかったか。
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
<今日の、天候>
前日までは雲と雨の予報が出されているはずだが、この日は雨は降らず、けっこう陽も差していたのではないか。湿度は高かったので、体感温度は高かった。そして、翌日は台風で、けっこうな大荒れ。これ、1日ずれていたら。少し、ゾっとした。しかし、会場ではけっこう座ったりもしていたのだが、疲労困憊。あまりの体力のなさに、ちょい絶望する。
<そして、付録>
以下は、ラリー・グラハム&グラハム・セントラル・ステーションの一番新しいアルバムとなる2012年作『レイズ・アップ』(傑作です。プリンスも参加している)のぼくが書いたライナー・ノーツからの、プリンスとの絡みの部分を記した部分の抜粋だ。用いた発言は、2010年にインタヴューしたときのものである。
ところで、米国ブラック・ミュージック史に残る輝かしい業績を1970年代から1980年代にかけて残しているグラハムだが、1990年代に入ると急に第一線から遠ざかってしまったような印象も受けるが、それは彼がジャマイカに居住したからだ。しかも、それは音楽のためではなく、聖書の普及のためであった。実は、彼は70年代半ば頃から、宗教に向かい合うようになったという。
「7年間、ジャマイカにいた。奥さんと子供と、娘が7歳から14歳になるまでいたよ。そして、12年前に戻ってきてミネアポリスに住んだ。ジャマイカでは教会に勤めていたというよりも、聖書の内容を教えるということをしていた」
帰国後の彼がミネソタ州ミネアポリスに住むきっかけとなったのが、プリンスとの邂逅だった。ナッシュヴィルで双方が別の会場でギグする機会があり、それを知ったプリンスはグラハムをアフター・パーティに招待。両者はすぐに打ち解け、以後強い親交を持つに至っている。実は、スライ・ストーン(スライ&ザ・ファミリー・ストーンはオークランド周辺のミュージシャンで結成された)の影響を受けるプリンスが、“オークランド・ファンク”フェチであるのはよく知られる。彼は、シーラ・E(打楽器)、エディ・Mやエリック・リーズ(サックス)、ラッド(鍵盤)など同所出身の奏者をいろいろと自己バンドに誘ってきている。
ミネアポリスに住むようになったグラハムの家は、プリンスの家の隣。実は、2人の家は隣同士なものの、プリンス邸はデカいので山を一つ挟んでいると言われたりしたこともあった。それを問うと、「確かにプリンスん家の隣だよ。でも山は隔ててなく(笑い)、間にあるのは金網だけ。だから、よく会っている」、とのこと。
プリンスの1998年作『ニュー・パワー・ソウル』(NPG)にグラハムは参加。同じくプリンスの『ザ・レインボウ・チルドレン』(2001年)にも彼は入っているが、同作はプリンスが熱心なエホバの聖人の信者であることが投影された作品であり、同宗にはグラハムを通してハマったと言われている。一方、グラハムは1998年にプリンスのプロデュースで、彼のレーベのNPGから『GCS2000』を出した。
サマーソニック2016
2016年8月20日 音楽 ときどき、雨が降る空模様。それって、サマーソニックでは珍しいか。傘は持込禁止のようで、幕張メッセ会場入り口にば〜っと傘が柵にかけてある。空模様が怪しいときは、折りたたみ傘必携ですね。まずはメッセ内を一周、勘を取り戻す。
とっても久し振りに見るウィーザー(球場ステージ。2000年8月6日、2001年4月26日)は音楽的にはスリルはないが、なんか和めるものあり。結構、MCに日本語を繰り出し、ゲスト(ギタリスト)も出てきて1曲弾いたが、あれは誰? そのときの「カリフォルニア・キッド」という新曲はぬるくて良かった。彼らって、なにげにフェスの似合うバンドかな。その後、ちらりと出向いた文字通りのビーチ・ステージではヒップホップDJが回していたが、結構な入りだった。
▶︎過去の、ウィーザー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック2日目
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
グリーン・ステージと名付けられたキャンプ場奥にあるステージもかなりな入りで、ハナレグミ(2008年11月14日、2011年5月21日、2011年6月23日)がやっていたが音の小ささに戸惑う。後ろの方で見ていたのだが、MCなんて何言っているかわからない。あれでいいわけないだろ?
▶︎過去の、ハナレグミ
http://43142.diarynote.jp/200811181534455959/
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
メッセに戻り、以下はずっとメッセ周辺をうろうろ。結構なキャリアを持つシスコのサード・アイ・ブラインドは明快にショウを進めていたが、こんなに産業ロックぽかったっけ? 米国の男女白黒混合アカペラ5人組のペンタトニックスはメッセの中で一番広いマウンテン・ステージへの出演。ぼく自身それほどアカペラ・コーラスに惹かれないためか、プリセット音の用いてのショウはまあこんなもんかという感じがあったが、大人数の客を集めていたのには驚く。日本向けのプロダクツとかも出していて、非洋楽ファンからの支持が高いのかな?
隣のソニック・ステージに出ていて偶然見たバレット・フォー・フォー・マイ・ヴァレンタインのショウにはいささか驚く。ぼくには関係ないですよといいたくなるメタル系のバンドなのだが、これがものすごく圧倒的にシャープで、生理的に濃いパフォーマンスを堂々披露していたから。演奏力も半端なく、今の前線にあるメタルはすごいことになっているなと実感しちゃう。いや、マジに。後で写真を見たら、あまりメタルぽさを持たない見てくれで、それにも好印象。
ぼくのこの日のトリは、今年再結成され、ツアーをしているアット・ザ・ドライヴ・イン(2000年5月24日、2000年8月6日)。そして、イエイ。セドリックの喉の不調で6月の米国の公演がキャンセルになったらしいが、問題なし。その後のマーズ・ヴォルタ(2002年4月7日、2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月13日)の怒涛の活動を経てのものだけに、畳み掛け度数はより高くなった。ここには、あまりに魅力的な過剰さや発散が山ほど。なんか心の何かを揺さぶるエモーションだらけ。あと、始まる前はファンク/ソウル曲が流されていたのも良かった。やはり、彼の表現はR&Bにある凹凸の彼らなりの変換表現と思わせるところがあるもの。
▶︎過去の、アット・ザ・ドライヴ・イン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック2日目
▶︎マーズ・ヴォルタ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200401070000000000/
http://43142.diarynote.jp/200611221237530000/
http://43142.diarynote.jp/200806180851080000/
それから、球場の近くにある小さ目のアイランド・ステージでは東南アジアのバンドを帯で紹介していたが、香港のtfvsjsと台湾のElephant Gymは移動のおり少し触れ、けっこう興味惹かれる。ともに、マス・ロックと言うか現代プログ・ロックと言おうか、今様なひしゃげや棘を抱えたインストゥメンタルを披露していて、創意や野心の彼らなりの発露を認めることができた。そして、それはいろんな国や場所に共通する物差しを持てる担い手がいることを伝えてくれる。そんなに見ていないでナンだが、とても有意義なステージだと思う。
<今日の、会場>
英国から来た父と娘(まだ、小学生か)と隣同士になった際、少し言葉を交わす。2週間の滞日で、奈良や京都にも行くという。サマソニは初日だけ見るそうで、ディズニーランドにも行くと言っていた。父親にどんな音楽が好きと問われ、何気に迷い、オルタナティヴととっさにさらりと答える。まあ外れてはいないが、何だかなー。ともあれ、外国人比率はそこそこあると思えた。
とっても久し振りに見るウィーザー(球場ステージ。2000年8月6日、2001年4月26日)は音楽的にはスリルはないが、なんか和めるものあり。結構、MCに日本語を繰り出し、ゲスト(ギタリスト)も出てきて1曲弾いたが、あれは誰? そのときの「カリフォルニア・キッド」という新曲はぬるくて良かった。彼らって、なにげにフェスの似合うバンドかな。その後、ちらりと出向いた文字通りのビーチ・ステージではヒップホップDJが回していたが、結構な入りだった。
▶︎過去の、ウィーザー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック2日目
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
グリーン・ステージと名付けられたキャンプ場奥にあるステージもかなりな入りで、ハナレグミ(2008年11月14日、2011年5月21日、2011年6月23日)がやっていたが音の小ささに戸惑う。後ろの方で見ていたのだが、MCなんて何言っているかわからない。あれでいいわけないだろ?
▶︎過去の、ハナレグミ
http://43142.diarynote.jp/200811181534455959/
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
メッセに戻り、以下はずっとメッセ周辺をうろうろ。結構なキャリアを持つシスコのサード・アイ・ブラインドは明快にショウを進めていたが、こんなに産業ロックぽかったっけ? 米国の男女白黒混合アカペラ5人組のペンタトニックスはメッセの中で一番広いマウンテン・ステージへの出演。ぼく自身それほどアカペラ・コーラスに惹かれないためか、プリセット音の用いてのショウはまあこんなもんかという感じがあったが、大人数の客を集めていたのには驚く。日本向けのプロダクツとかも出していて、非洋楽ファンからの支持が高いのかな?
隣のソニック・ステージに出ていて偶然見たバレット・フォー・フォー・マイ・ヴァレンタインのショウにはいささか驚く。ぼくには関係ないですよといいたくなるメタル系のバンドなのだが、これがものすごく圧倒的にシャープで、生理的に濃いパフォーマンスを堂々披露していたから。演奏力も半端なく、今の前線にあるメタルはすごいことになっているなと実感しちゃう。いや、マジに。後で写真を見たら、あまりメタルぽさを持たない見てくれで、それにも好印象。
ぼくのこの日のトリは、今年再結成され、ツアーをしているアット・ザ・ドライヴ・イン(2000年5月24日、2000年8月6日)。そして、イエイ。セドリックの喉の不調で6月の米国の公演がキャンセルになったらしいが、問題なし。その後のマーズ・ヴォルタ(2002年4月7日、2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月13日)の怒涛の活動を経てのものだけに、畳み掛け度数はより高くなった。ここには、あまりに魅力的な過剰さや発散が山ほど。なんか心の何かを揺さぶるエモーションだらけ。あと、始まる前はファンク/ソウル曲が流されていたのも良かった。やはり、彼の表現はR&Bにある凹凸の彼らなりの変換表現と思わせるところがあるもの。
▶︎過去の、アット・ザ・ドライヴ・イン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック2日目
▶︎マーズ・ヴォルタ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200401070000000000/
http://43142.diarynote.jp/200611221237530000/
http://43142.diarynote.jp/200806180851080000/
それから、球場の近くにある小さ目のアイランド・ステージでは東南アジアのバンドを帯で紹介していたが、香港のtfvsjsと台湾のElephant Gymは移動のおり少し触れ、けっこう興味惹かれる。ともに、マス・ロックと言うか現代プログ・ロックと言おうか、今様なひしゃげや棘を抱えたインストゥメンタルを披露していて、創意や野心の彼らなりの発露を認めることができた。そして、それはいろんな国や場所に共通する物差しを持てる担い手がいることを伝えてくれる。そんなに見ていないでナンだが、とても有意義なステージだと思う。
<今日の、会場>
英国から来た父と娘(まだ、小学生か)と隣同士になった際、少し言葉を交わす。2週間の滞日で、奈良や京都にも行くという。サマソニは初日だけ見るそうで、ディズニーランドにも行くと言っていた。父親にどんな音楽が好きと問われ、何気に迷い、オルタナティヴととっさにさらりと答える。まあ外れてはいないが、何だかなー。ともあれ、外国人比率はそこそこあると思えた。
代官山・晴れたら空に豆まいて の開店10周年を祝うパーティで、ジミセンと名乗るジミ・ヘンドリックスのそっくりさん志向の日本人ミュージシャンを見る。彼のザ・エキスペリエンスと同じく、ベーシストとドラマーを従えてのトリオにてパフォーマンスした。
ヒャハ、笑顔になれた。ヘンドリックスとは逆に左利き用のギターを抱え、ヘンドリックス曲を演奏。うわあいってなギター演奏だけでなく、そこそこヴォーカルも彼流の歌唱(そして、MCも)で攻める。また、格好も往年のヘンドリックスのそれに準ずる。見ている端から、本当にヘンドリックスのことが好きで彼のプロダクツに触れまくり、少しでも近づこうとしてきたんだろうなと思わずにはいられない。髭は白かったので、長年にわたり熱い思いを向けてきたのだろうけど(普段は何をしているんだろうとも。考えは向きますね)、これは一見の価値があると思った。好きこそものの上手なれ。実はちゃんとエフェクターのボードを組んでいたりして現代機材も用いてはいるようなのだが、でも一番目だつのはワウ・ペダルの使用。いろんな端々から、アナログな人間力の魔法が湧き上がり、大好きな対象に献身しまくる素敵がぽっかり浮かび上がっておりました。
<昨日の、球技>
昼間、汗だくになって卓球しちゃった。五輪の影響ではありません。ラケットを握るの久しぶりだったけど、やっぱ好きだな。小学生のころ、卓球をやるところが近所にあって時々友達とやったりしたことがあって、なんかホっとするところがあるよなあ。小学生のころはボーリングやスケートにも連れて行ってもらったりもしたが、卓球にどこかちかしい思いを持つのは、卓球の場合は親抜きで行っていたためか。そして、中学校に入ると、親と行動するのはマジ勘弁となった。今は、母親だけとなったが、本当に親孝行になったと思いますが。。。。
追記>
ジャズ・ヴァイブラフォン/マリンバ奏者のボビー・ハッチャーソンが、カリフォルニア州の自宅で亡くなった。肺気腫を患っていたという。1941年1月27日〜2016年8月15日。22、3歳で録音参加したエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』、そしてその後にソロとして諸作を発表したブルーノート時代は忘れられないな。もう10年近く前になるが、彼を見ることができて(2007年9月3日)良かった。
▶︎過去のボビー・ハッチャーソン
http://43142.diarynote.jp/200709041845140000/
ヒャハ、笑顔になれた。ヘンドリックスとは逆に左利き用のギターを抱え、ヘンドリックス曲を演奏。うわあいってなギター演奏だけでなく、そこそこヴォーカルも彼流の歌唱(そして、MCも)で攻める。また、格好も往年のヘンドリックスのそれに準ずる。見ている端から、本当にヘンドリックスのことが好きで彼のプロダクツに触れまくり、少しでも近づこうとしてきたんだろうなと思わずにはいられない。髭は白かったので、長年にわたり熱い思いを向けてきたのだろうけど(普段は何をしているんだろうとも。考えは向きますね)、これは一見の価値があると思った。好きこそものの上手なれ。実はちゃんとエフェクターのボードを組んでいたりして現代機材も用いてはいるようなのだが、でも一番目だつのはワウ・ペダルの使用。いろんな端々から、アナログな人間力の魔法が湧き上がり、大好きな対象に献身しまくる素敵がぽっかり浮かび上がっておりました。
<昨日の、球技>
昼間、汗だくになって卓球しちゃった。五輪の影響ではありません。ラケットを握るの久しぶりだったけど、やっぱ好きだな。小学生のころ、卓球をやるところが近所にあって時々友達とやったりしたことがあって、なんかホっとするところがあるよなあ。小学生のころはボーリングやスケートにも連れて行ってもらったりもしたが、卓球にどこかちかしい思いを持つのは、卓球の場合は親抜きで行っていたためか。そして、中学校に入ると、親と行動するのはマジ勘弁となった。今は、母親だけとなったが、本当に親孝行になったと思いますが。。。。
追記>
ジャズ・ヴァイブラフォン/マリンバ奏者のボビー・ハッチャーソンが、カリフォルニア州の自宅で亡くなった。肺気腫を患っていたという。1941年1月27日〜2016年8月15日。22、3歳で録音参加したエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』、そしてその後にソロとして諸作を発表したブルーノート時代は忘れられないな。もう10年近く前になるが、彼を見ることができて(2007年9月3日)良かった。
▶︎過去のボビー・ハッチャーソン
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メイヤー・ホーソーン
2016年8月15日 音楽 昨年はヒップホップ制作者であるジェイク・ワンとのユニット、タキシードで好評を得た米国白人シンガー/クリエイター(2012年3月3日)の公演を六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)で見る。で、ソウル要素を咀嚼した音楽性を持つ、なかなかなショウではなかったか。楽しく、満足度高し。かなり高い評価を呈したいと、ぼくは思った。
サクっと歌う当人に加え(一部は、ギターも手にした)、ギター、キーボード、ベース、ドラム、女性ヴォーカルがサポート。ドラムとコーラスはアフリカ系だ。新作ではレゲエ調曲があったりもしたが、ショウでもそれはそれなりに目立つ。エアロスミス(2011年11月30日)の「ウォーク・ディス・ウェイ」やティアーズ・フォー・フィアーズ(2012年8月19日)の「エヴリバディ・メイク・ルール・ザ・ワールド」もあっけらかんと披露。他にも、カヴァーはあったのかな。
その初期から米国黒人音楽を白人が咀嚼することで、ロックは現在まで訴求力を得て来た。バカみたいに大雑把に書けば。ザ・ビートルズやストーンズの頃から、フェイセズやレッド・ツェッペリンら1970年前後のUK王道系バンドやワムやポール・ウェラーらニュー・ウェイヴ期の多くの担い手などにしてもそれは同様。なんてことを、ホーソンを見ながらポワンと思った? そんな先達との違いを挙げるなら、ホーソーンにはDJ的な風通しの良さがあることか。とともに、過去の人たちが活躍した時期より、現在ソウル・ミュージックがより一般化していることもホーソンの表現の楽さには関係しているも、ぼくは思った。
▶︎過去の、メイヤー・ホーソーン
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
▶︎過去の、エアロスミス
http://43142.diarynote.jp/201112041056176581/
▶︎過去の、ティアーズ・フォー・フィアーズ
http://43142.diarynote.jp/201209121313137885/
<ここのところ一番の、人ごみ>
上野の森美術館でポール・スミス展を見たが、とても混んでいた。え〜、彼って日本でこんなに人気があるのォという感じ。入場料1500円で、ノヴェルティのピンクのイヤフォンを配る。場内は、写真撮影OK。展示品は幅広く、アイテムもそれなりに多く、混んでいなければいろいろと楽しめそう。人ごみがイヤな、そして携帯カメラのシャッター音の重なりに耳触りを感じるぼくは本当にサラっと流してしまったが。ともあれ、彼が英国人であり、もろにロック期のクリエイターであるということはとても了解できた。もちろん買わないが、物販Tシャツは確か6800円だった。
追記:ホーソンはサマーソニックにも出演。また、ポール・スミスもサマーソニックのメッセ会場にブースを出していた。あ、サマーソニックのスタッフ用のTシャツって、ポール・スミスが提供しているのか。そのPSのブース、2日目の18時に横を通ったら、すべてが撤収されていた。もうフェスはおしまいです感が出て、それは良くない。とっても気持ちに欠ける企業であることを、それは明示していたと思う。そんなダメ公務員スタンス取るのだったら、ブースを出さなきゃいいのに。
サクっと歌う当人に加え(一部は、ギターも手にした)、ギター、キーボード、ベース、ドラム、女性ヴォーカルがサポート。ドラムとコーラスはアフリカ系だ。新作ではレゲエ調曲があったりもしたが、ショウでもそれはそれなりに目立つ。エアロスミス(2011年11月30日)の「ウォーク・ディス・ウェイ」やティアーズ・フォー・フィアーズ(2012年8月19日)の「エヴリバディ・メイク・ルール・ザ・ワールド」もあっけらかんと披露。他にも、カヴァーはあったのかな。
その初期から米国黒人音楽を白人が咀嚼することで、ロックは現在まで訴求力を得て来た。バカみたいに大雑把に書けば。ザ・ビートルズやストーンズの頃から、フェイセズやレッド・ツェッペリンら1970年前後のUK王道系バンドやワムやポール・ウェラーらニュー・ウェイヴ期の多くの担い手などにしてもそれは同様。なんてことを、ホーソンを見ながらポワンと思った? そんな先達との違いを挙げるなら、ホーソーンにはDJ的な風通しの良さがあることか。とともに、過去の人たちが活躍した時期より、現在ソウル・ミュージックがより一般化していることもホーソンの表現の楽さには関係しているも、ぼくは思った。
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▶︎過去の、ティアーズ・フォー・フィアーズ
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<ここのところ一番の、人ごみ>
上野の森美術館でポール・スミス展を見たが、とても混んでいた。え〜、彼って日本でこんなに人気があるのォという感じ。入場料1500円で、ノヴェルティのピンクのイヤフォンを配る。場内は、写真撮影OK。展示品は幅広く、アイテムもそれなりに多く、混んでいなければいろいろと楽しめそう。人ごみがイヤな、そして携帯カメラのシャッター音の重なりに耳触りを感じるぼくは本当にサラっと流してしまったが。ともあれ、彼が英国人であり、もろにロック期のクリエイターであるということはとても了解できた。もちろん買わないが、物販Tシャツは確か6800円だった。
追記:ホーソンはサマーソニックにも出演。また、ポール・スミスもサマーソニックのメッセ会場にブースを出していた。あ、サマーソニックのスタッフ用のTシャツって、ポール・スミスが提供しているのか。そのPSのブース、2日目の18時に横を通ったら、すべてが撤収されていた。もうフェスはおしまいです感が出て、それは良くない。とっても気持ちに欠ける企業であることを、それは明示していたと思う。そんなダメ公務員スタンス取るのだったら、ブースを出さなきゃいいのに。
ジャズ要素応用の男女の洒脱ポップ・ユニットの実演を、丸の内・コットンクラブで見る。ファースト・ショウ。ツアーの最終日となるもののよう。興味深かったな、面白かったな。
ヴォーカルの吉田沙良とエレクトリック・ベースを弾く角田隆太(作詞作曲、編曲も彼がやっているよう)の構成員二人に加え、キーボードやピアノの宮川純(2015年10月15日)、リード楽器(と少しギター)の安藤康平、ドラムの西村匠平がサポートする。皆、20 代なんだろうな。
曲が始まって、すぐにふふふ。近年のジャズ経由ポップに散見される、ものすごくライン取りの難しいメロディを取る曲が次々出てくるから。また、吉田はさらにそれに息を吹き込まんとするかのようにひねりを加えたりもする。すると少し音程が不確かに聞こえてしまう部分があるが、難易度高いことやっているのでそれはしょうがない。地声もデカそうだし、いいシンガーだな。演奏陣の絡みは練られていて、織り込まれるソロもいい感じ。全体像は有機的であり、随所に遊びもあり。しかも、そうしたことをやっているにも関わらず、最終的には輝かしいJ-ポップ表現に着地しているんだから、これはうなる。やるじゃん、という感想しか浮かんでこないな。
かように耳の肥えたことをやっているのだが、時々入る角田主導の二人のMCはぼくにとっては辛かった。どうして、そういう部分、ダメな邦楽流儀を踏襲するのだろう? やっている音楽の趣味の良さとの落差、ありすぎ。
▶︎過去の、宮川純
http://43142.diarynote.jp/?day=20151015
<今日の、カヴァー>
アンコールなしで、90分近くパフォーマンス。オリジナルに交え、スタンダードの「雨に歌えば」(英語と日本語のちゃんぽんだったか)も披露。それ、ジェイミー・カラム(2004年6月13日、2006年6月13日、2014年1月30日)の2004年発表ヴァージョンと少し重なるものがあったかも。
▶過去の、ジェイミー・カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/
http://43142.diarynote.jp/201401311458223738/
ヴォーカルの吉田沙良とエレクトリック・ベースを弾く角田隆太(作詞作曲、編曲も彼がやっているよう)の構成員二人に加え、キーボードやピアノの宮川純(2015年10月15日)、リード楽器(と少しギター)の安藤康平、ドラムの西村匠平がサポートする。皆、20 代なんだろうな。
曲が始まって、すぐにふふふ。近年のジャズ経由ポップに散見される、ものすごくライン取りの難しいメロディを取る曲が次々出てくるから。また、吉田はさらにそれに息を吹き込まんとするかのようにひねりを加えたりもする。すると少し音程が不確かに聞こえてしまう部分があるが、難易度高いことやっているのでそれはしょうがない。地声もデカそうだし、いいシンガーだな。演奏陣の絡みは練られていて、織り込まれるソロもいい感じ。全体像は有機的であり、随所に遊びもあり。しかも、そうしたことをやっているにも関わらず、最終的には輝かしいJ-ポップ表現に着地しているんだから、これはうなる。やるじゃん、という感想しか浮かんでこないな。
かように耳の肥えたことをやっているのだが、時々入る角田主導の二人のMCはぼくにとっては辛かった。どうして、そういう部分、ダメな邦楽流儀を踏襲するのだろう? やっている音楽の趣味の良さとの落差、ありすぎ。
▶︎過去の、宮川純
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<今日の、カヴァー>
アンコールなしで、90分近くパフォーマンス。オリジナルに交え、スタンダードの「雨に歌えば」(英語と日本語のちゃんぽんだったか)も披露。それ、ジェイミー・カラム(2004年6月13日、2006年6月13日、2014年1月30日)の2004年発表ヴァージョンと少し重なるものがあったかも。
▶過去の、ジェイミー・カラム
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映画「アイ・ソー・ザ・ライト」
2016年8月8日 音楽 カントリー&ウェスタンの大物、ハンク・ウィリアムス(1923〜53年)を描いた映画を、目黒・ソニーPCL試写室で見る。今年の3月に米国で公開された2015年米国映画で、監督/脚本/制作はマーク・エイブラハム。統括音楽プロデューサーは、カントリー系シンガー・ソングライター/制作者のロドニー・クロウェルがやっている。
映画表題の「アイ・ソー・ザ・ライト」とは、ウィリアムズの曲の名前のよう。数々あるなか、なぜその曲名が選ばれたかは、見方が浅いのかよく分からなかった。まあ、「アイ・ソウ・ザ・ライト」と聞くと、ぼくはすぐにトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)のメロディアス曲を思い出してしまう者ではあるが。なんて、トボけたことを書いていることで察しがつくだろうが、ぼくはこれまでカントリー・ミュージックには基本興味が持てず、あまり聞いきていない。だから、ウィリアムスの名前は知っていても、彼のアルバムは1枚も持っておらず、彼が29歳で亡くなったという事実もこの映画を見るまで知らなかった。その死因は、マイケル・ジャクソン的と言えなくもない。
ドキュメンタリーではなく、役者を使っての映画。主人公役は英国人のトム・ヒドルストン。似ているかどうかは、ぼくは見当がつかず。練習を重ね、映画中の歌は彼のものを使っているという。伝記本をベースにしているようだが、映画は割り切りよく、すでにミュージシャンとなっていた1944年から亡くなるまでの9年間のことを時系列に追う。マジメかつ丁寧には作っている作品ではある。それゆえ、過剰なドラマ性から意識的に逃れようとしているともぼくには思えたが、彼と音楽との距離や人間的な魅力といった部分にはよく合点がいかないままに映画は終わってしまった。カントリーを生む土壌やそれを愛好する層に対する言及も多くない。彼の嫁さんがとっても悪女であったことはイヤになるぐらい描かれているが。まさか、それが主題なの?
不慣れなカントリー&ウェスタンを扱った映画を見ながら思ったことが一つ。ぼくが普段いいと思っている音楽系映画も普通の人にとっては、今回の映画とぼくの関係に近い部分はあったりするのかと……。どーなんだろ? 10月頭からロードショー公開されます。
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
<先週見た、映画試写>
2014年米国映画「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」はメキシコ出身のアレハンドロ・モンテヴェルデが監督した、第2次世界大戦中の米国西海岸の小さな町に住む子供を主人公とするヒューマン・ストーリーもの。それなりに凝ったプロットを持ち、準主人公の日本人役としてTVドラマ「ナッシュ・ブリッジス」にクールな刑事役として一時出演していたヒロユキ・タガワが出ている。広島に落とされた原子爆弾をああいうふうに使われるのは、抵抗があるゾと思う。ちょい、自分が日本人であることを自覚。敏感すぎるかな?
映画表題の「アイ・ソー・ザ・ライト」とは、ウィリアムズの曲の名前のよう。数々あるなか、なぜその曲名が選ばれたかは、見方が浅いのかよく分からなかった。まあ、「アイ・ソウ・ザ・ライト」と聞くと、ぼくはすぐにトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)のメロディアス曲を思い出してしまう者ではあるが。なんて、トボけたことを書いていることで察しがつくだろうが、ぼくはこれまでカントリー・ミュージックには基本興味が持てず、あまり聞いきていない。だから、ウィリアムスの名前は知っていても、彼のアルバムは1枚も持っておらず、彼が29歳で亡くなったという事実もこの映画を見るまで知らなかった。その死因は、マイケル・ジャクソン的と言えなくもない。
ドキュメンタリーではなく、役者を使っての映画。主人公役は英国人のトム・ヒドルストン。似ているかどうかは、ぼくは見当がつかず。練習を重ね、映画中の歌は彼のものを使っているという。伝記本をベースにしているようだが、映画は割り切りよく、すでにミュージシャンとなっていた1944年から亡くなるまでの9年間のことを時系列に追う。マジメかつ丁寧には作っている作品ではある。それゆえ、過剰なドラマ性から意識的に逃れようとしているともぼくには思えたが、彼と音楽との距離や人間的な魅力といった部分にはよく合点がいかないままに映画は終わってしまった。カントリーを生む土壌やそれを愛好する層に対する言及も多くない。彼の嫁さんがとっても悪女であったことはイヤになるぐらい描かれているが。まさか、それが主題なの?
不慣れなカントリー&ウェスタンを扱った映画を見ながら思ったことが一つ。ぼくが普段いいと思っている音楽系映画も普通の人にとっては、今回の映画とぼくの関係に近い部分はあったりするのかと……。どーなんだろ? 10月頭からロードショー公開されます。
▶過去の、トッド・ラングレン
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http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
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<先週見た、映画試写>
2014年米国映画「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」はメキシコ出身のアレハンドロ・モンテヴェルデが監督した、第2次世界大戦中の米国西海岸の小さな町に住む子供を主人公とするヒューマン・ストーリーもの。それなりに凝ったプロットを持ち、準主人公の日本人役としてTVドラマ「ナッシュ・ブリッジス」にクールな刑事役として一時出演していたヒロユキ・タガワが出ている。広島に落とされた原子爆弾をああいうふうに使われるのは、抵抗があるゾと思う。ちょい、自分が日本人であることを自覚。敏感すぎるかな?
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・メンバーで、脱退後はソロ・アーティストとして(アルバムの数はかなり多いよなあ)、またプロデューサーとしていい感じで活動してきている御仁。この春にパリに行った際にわずかな差で彼の公演が見れなかったりしたので、東京に来たのは本当にうれしい。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
電気キーボードを弾きながら歌う御大(2001年11月4日)はソロとして発表した新旧の曲を中心に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の曲も屈託なく披露。すると、ヴェルヴェッツのファンが多いのだろう、ざわざわっと反応が沸く。
すでに70歳半ばになろうかというケイルだが、髪もフサフサしているし、普通に元気。歌も朗々、ある種のクセやアクセントを持つ天を見上げるような歌(やはりそこらあたり、もともと英国人であるとも思わされる)は風情ありにして妙味あり。サウンドはプリセット音併用で、効果音や肉声など雰囲気音を効果的に活用し、“響き”にも満ちた、いい意味で気取りあるロック表現を存分に開いていた。それ、今の60歳以下のロックの担い手には出せない味だと大きく頷く。
そして、そんな彼がバンド員に実力派を揃えていたのも印象的だった。ケイルをサポートするのは、ギター、ベース、ドラムという陣容のバンド。その3人とも過去のケイル作に関与していた人たちだ。
ギタリストのダスティン・ボイヤーはリーダーとしても数枚リーダー作を出していて、ケールのレコーディングやツアーにも2000年代半ばから関わっている人物、この晩もプリセット音を扱ったり、ケールの歌声にときにエフェクトを加えるなど、音楽監督のような役割を勤めていたのではないか。何曲かで聞かせたギター・ソロも才気走るものがあった。
また、エレクトリック・ベースを黙々と弾いていたジョーイ・マランバ(2005年12月31日)はリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日、2012年9月27日、2013年8月7日)の来日公演に同行したことがあるジャズの心得も持つ奏者。そして、褐色のドラマーであるディーントーニ・パークスは何度も来日経験を持つ、ありゃりゃな経歴を持つ辣腕奏者だ。
パークスは当初、メデスキ・マーティン&ウッド(1999年8月5日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2012年3月2日)との絡みでも知られるDJロジック(2000年8月11〜13日、2004年5月28日、2004年11月3日)の実演バンドで存在感を示し、その後ザ・マーズ・ヴォルタ(2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月13日)のドラマーになり(彼はザ・マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲスのレーベルからリーダー作を出している)、その一方でミシェル・ンデゲオチェロ(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日、2014年7月14日)にとっても気に入られ彼女の諸アルバムにいろいろと録音参加。ンデゲオチェロの2008年と2009年の来日公演(2008年5月7日、2009年5月15日)では間違いなく彼が叩いている。そんなパークスは自ら扱うPC機材音との拮抗ドラミングを自己表現として求めたりもしていて、なるほどフライング・ロータス(2014年12月5日)の一応新作である『You’re Dead!』にも彼の名前が見られますね。
響きや佇まいには気をつかっているものの、ケール表現はリズム的にそんなに立った指針はとっていないので、ここでもパークスは機材を扱う仕草は見せていたものの、その真価をアピールするには程遠いといった感じではあった。だが、そんな奏者を雇っているところに、ケイルの朽ちぬ現代嗅覚は表れていると指摘できるはず。
▶︎過去の、ジョン・ケイル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
▶過去の、リッキー・リー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/200403261054430000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20051231
http://43142.diarynote.jp/201006031536173725/
http://43142.diarynote.jp/201210021332368431/
http://43142.diarynote.jp/201308110827534904/
▶︎過去の、ジョーイ・マランバ
http://43142.diarynote.jp/200512311225410000/
▶︎DJロジック
http://43142.diarynote.jp/200406080043380000/
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/
▶︎ザ・マーズ・ヴォルタ
http://43142.diarynote.jp/200401070000000000/
http://43142.diarynote.jp/200611221237530000/
http://43142.diarynote.jp/200806180851080000/
▶過去の、ミシェル・ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
http://43142.diarynote.jp/201407151135353688/
▶︎過去の、フライング・ロータス
http://43142.diarynote.jp/201412151251045801/
<昨日の、放映>
オリンピックしゃらくせ〜というぼくでも、今回のリオ五輪の開会式は見た。カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)やジルベルト・ジルらが出ると聞けば、それは見たくなるというものだ。一度祖国を追われた身であった二人が、南米初開催となる自国でのオリンピックの開会式で晴れやかに歌う……彼らは何を思ったか。それにしても、全部で4時間とは長いよなー。あのスペクタクルな(やはり音楽財産を活用した)開会式を見ながら思ったのは、いつから五輪の開会式ってあんなてんこ盛りのものになったのかということ。考えてみれば、ぼくがちゃんとオリンピックのそれのTV中継を見るのは何十年ぶりになるのではないか。そして、日本に新設される木とか使うのが強調されたスタジアムはああいう派手なことやりにくいんじゃいとも思った。聖火台があるかないかなんてことは、別としても。
▶過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
電気キーボードを弾きながら歌う御大(2001年11月4日)はソロとして発表した新旧の曲を中心に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の曲も屈託なく披露。すると、ヴェルヴェッツのファンが多いのだろう、ざわざわっと反応が沸く。
すでに70歳半ばになろうかというケイルだが、髪もフサフサしているし、普通に元気。歌も朗々、ある種のクセやアクセントを持つ天を見上げるような歌(やはりそこらあたり、もともと英国人であるとも思わされる)は風情ありにして妙味あり。サウンドはプリセット音併用で、効果音や肉声など雰囲気音を効果的に活用し、“響き”にも満ちた、いい意味で気取りあるロック表現を存分に開いていた。それ、今の60歳以下のロックの担い手には出せない味だと大きく頷く。
そして、そんな彼がバンド員に実力派を揃えていたのも印象的だった。ケイルをサポートするのは、ギター、ベース、ドラムという陣容のバンド。その3人とも過去のケイル作に関与していた人たちだ。
ギタリストのダスティン・ボイヤーはリーダーとしても数枚リーダー作を出していて、ケールのレコーディングやツアーにも2000年代半ばから関わっている人物、この晩もプリセット音を扱ったり、ケールの歌声にときにエフェクトを加えるなど、音楽監督のような役割を勤めていたのではないか。何曲かで聞かせたギター・ソロも才気走るものがあった。
また、エレクトリック・ベースを黙々と弾いていたジョーイ・マランバ(2005年12月31日)はリッキー・リー・ジョーンズ(2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日、2012年9月27日、2013年8月7日)の来日公演に同行したことがあるジャズの心得も持つ奏者。そして、褐色のドラマーであるディーントーニ・パークスは何度も来日経験を持つ、ありゃりゃな経歴を持つ辣腕奏者だ。
パークスは当初、メデスキ・マーティン&ウッド(1999年8月5日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2012年3月2日)との絡みでも知られるDJロジック(2000年8月11〜13日、2004年5月28日、2004年11月3日)の実演バンドで存在感を示し、その後ザ・マーズ・ヴォルタ(2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月13日)のドラマーになり(彼はザ・マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲスのレーベルからリーダー作を出している)、その一方でミシェル・ンデゲオチェロ(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日、2014年7月14日)にとっても気に入られ彼女の諸アルバムにいろいろと録音参加。ンデゲオチェロの2008年と2009年の来日公演(2008年5月7日、2009年5月15日)では間違いなく彼が叩いている。そんなパークスは自ら扱うPC機材音との拮抗ドラミングを自己表現として求めたりもしていて、なるほどフライング・ロータス(2014年12月5日)の一応新作である『You’re Dead!』にも彼の名前が見られますね。
響きや佇まいには気をつかっているものの、ケール表現はリズム的にそんなに立った指針はとっていないので、ここでもパークスは機材を扱う仕草は見せていたものの、その真価をアピールするには程遠いといった感じではあった。だが、そんな奏者を雇っているところに、ケイルの朽ちぬ現代嗅覚は表れていると指摘できるはず。
▶︎過去の、ジョン・ケイル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
▶過去の、リッキー・リー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/200403261054430000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20051231
http://43142.diarynote.jp/201006031536173725/
http://43142.diarynote.jp/201210021332368431/
http://43142.diarynote.jp/201308110827534904/
▶︎過去の、ジョーイ・マランバ
http://43142.diarynote.jp/200512311225410000/
▶︎DJロジック
http://43142.diarynote.jp/200406080043380000/
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/
▶︎ザ・マーズ・ヴォルタ
http://43142.diarynote.jp/200401070000000000/
http://43142.diarynote.jp/200611221237530000/
http://43142.diarynote.jp/200806180851080000/
▶過去の、ミシェル・ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
http://43142.diarynote.jp/201407151135353688/
▶︎過去の、フライング・ロータス
http://43142.diarynote.jp/201412151251045801/
<昨日の、放映>
オリンピックしゃらくせ〜というぼくでも、今回のリオ五輪の開会式は見た。カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)やジルベルト・ジルらが出ると聞けば、それは見たくなるというものだ。一度祖国を追われた身であった二人が、南米初開催となる自国でのオリンピックの開会式で晴れやかに歌う……彼らは何を思ったか。それにしても、全部で4時間とは長いよなー。あのスペクタクルな(やはり音楽財産を活用した)開会式を見ながら思ったのは、いつから五輪の開会式ってあんなてんこ盛りのものになったのかということ。考えてみれば、ぼくがちゃんとオリンピックのそれのTV中継を見るのは何十年ぶりになるのではないか。そして、日本に新設される木とか使うのが強調されたスタジアムはああいう派手なことやりにくいんじゃいとも思った。聖火台があるかないかなんてことは、別としても。
▶過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
ブルーグラス界のレディオヘッド(実際、過去に彼ら「キッドA」をカヴァーしている。2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)なんて言いたくなる、同シーンのレフト・ウィングを颯爽と行く革新派の5人組。なるほどの実演で、よおしって聴後感は山ほど。逆に言うと、旧来のブルーグラス愛好者は何かと感情移入できない出し物であったんではないかなー。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
マンドリン(リード・ヴォーカルはこの楽器担当であるリーダーのクリス・シーリーが取る)、フィドル、バンジョー、アコースティック・ギター、ウッド・ベースという弦楽器奏者がずらりとドラムレスで揃う編成は、まことブルーグラス。そして、時に技巧ひけらかしのインスト・ナンバーを入れたりするのも、ブルーグラス的(ひいては、ケルティック・トラッド的)。マイク一本だけをステージ上に置いて面々がそれを囲むという、とってもアコースティックというか手作り感覚に満ちた設定のもと表現を繰り出すという部分も、ぼくにはロック的というよりやはりブルーグラスの文化に沿ったものであるように思えた。
だが、その一方で、面々の技巧、楽器音の重なり、楽曲のメロディ・センスなどは大きくブルーグラスから飛び出したもの。そんな彼らのパフォーマンスに触れていると、クラシックやジャズやコンテンポラリーなポップ・ミュージックなどとも向き合った、オルタナティヴなアコースティック表現であると痛感してしまう。伝統様式と今様な好奇心と汎用性の高い歌心が綱引きしあうその実演の情報量の多さはちょっとしたものであり、よくぞまあこんなに世間を舐めたとも言いたくなるような我が道を行く俯瞰型飛躍表現を作り上げたと思ってしまう。
なんて分かったようなことを書いているが、T・ボーン・バーネットがプロデュースしたことで、その2015年作から彼らを聞くようになった者ではあるんですけどね。でも、パンチ・ブラザースは2007年以降、ずっとすべてのアルバムを大人な趣味のレーベル“ノンサッチ”から出しているわけで、結成当初からブルーグラスから“ワープ”したことをやろうとしたことは間違いない。シーリーたち、メンバーはそれぞれのプロジェクトもいろいろ求めていて、なんか宿題をもらった気持ちにもなってしまった。
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
<今日の、会場>
入り口に近い方に座っていたら、後から入場してきた知り合いが次々に肩を叩いていく。知人率の高い公演でもあったのだろうな。まあ、ブルーグラスの愛好者よりも、新しい米国の土着系ロックを聞かんとする人の比率が高かったとも言えるのだろうけど。彼らの出演は3日間、場内は立ち見の出る盛況だった。この晩のことは、日経新聞の電子版にじきに出ます。
マンドリン(リード・ヴォーカルはこの楽器担当であるリーダーのクリス・シーリーが取る)、フィドル、バンジョー、アコースティック・ギター、ウッド・ベースという弦楽器奏者がずらりとドラムレスで揃う編成は、まことブルーグラス。そして、時に技巧ひけらかしのインスト・ナンバーを入れたりするのも、ブルーグラス的(ひいては、ケルティック・トラッド的)。マイク一本だけをステージ上に置いて面々がそれを囲むという、とってもアコースティックというか手作り感覚に満ちた設定のもと表現を繰り出すという部分も、ぼくにはロック的というよりやはりブルーグラスの文化に沿ったものであるように思えた。
だが、その一方で、面々の技巧、楽器音の重なり、楽曲のメロディ・センスなどは大きくブルーグラスから飛び出したもの。そんな彼らのパフォーマンスに触れていると、クラシックやジャズやコンテンポラリーなポップ・ミュージックなどとも向き合った、オルタナティヴなアコースティック表現であると痛感してしまう。伝統様式と今様な好奇心と汎用性の高い歌心が綱引きしあうその実演の情報量の多さはちょっとしたものであり、よくぞまあこんなに世間を舐めたとも言いたくなるような我が道を行く俯瞰型飛躍表現を作り上げたと思ってしまう。
なんて分かったようなことを書いているが、T・ボーン・バーネットがプロデュースしたことで、その2015年作から彼らを聞くようになった者ではあるんですけどね。でも、パンチ・ブラザースは2007年以降、ずっとすべてのアルバムを大人な趣味のレーベル“ノンサッチ”から出しているわけで、結成当初からブルーグラスから“ワープ”したことをやろうとしたことは間違いない。シーリーたち、メンバーはそれぞれのプロジェクトもいろいろ求めていて、なんか宿題をもらった気持ちにもなってしまった。
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
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<今日の、会場>
入り口に近い方に座っていたら、後から入場してきた知り合いが次々に肩を叩いていく。知人率の高い公演でもあったのだろうな。まあ、ブルーグラスの愛好者よりも、新しい米国の土着系ロックを聞かんとする人の比率が高かったとも言えるのだろうけど。彼らの出演は3日間、場内は立ち見の出る盛況だった。この晩のことは、日経新聞の電子版にじきに出ます。
ウォルフガング・ムースピール
2016年8月3日 音楽 NYで活動したこともあったオーストリア人ギタリストの公演は、ダブル・ベース奏者のラリー・グラナディア(1999年12月15日、2009年3月1日、2009年3月1日、2012年1月25日、2013年9月2日他)とドラマーのブライアン・ブレイド(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2008年9月4日、2009年7月20日、2011年5月12日、2012年1月16日、2012年3月15日 、2012年5月22日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日、2016年5月18日)という、有名米国人奏者を擁してのもの。それ、ムースピールの『Driftwood』(ECM、2014年)の顔ぶれと同じだ。だが、この晩の演奏は、茫洋としていた同作とけっこう異なることをやっていたのではないか。でも、それもジャズだから、でありますね。現代ジャズ・ギターの襞を抱えるということにおいては同じだが、今回のライヴの方がずっと物分りのいい、また動的感覚を持つことを標榜していたように、ぼくには感じられた。
ときに、ブっ壊れたというか、妙なフレイズを涼しい顔して繰り出す様には頬が緩む。でもって、最後はシンガー・ソングライターの様にギターを弾きながら朗々と歌い始めたのにもにっこり。その際、当然シンガー・ソングライター傾向作を出し、そのライヴ披露(2009年7月20日)もやっているブレイドはデカい声でうれしそうにハーモニー・ヴォーカルをつける。やっぱ、イケてる人は複数方向のこと、嬉々としてやらなきゃなんても思わせられたか?
▶︎過去の、ラリー・グラナディア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20090301
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201309051240372709/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200809071429250000/
http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
http://43142.diarynote.jp/201605240831421865/
<今日の、流れ>
今週中に出す原稿が重なっていて、ライヴを見る前には、今日はライヴを見たらグダグダ飲まずにまっすぐ家に帰りすぐに寝よう(そして、翌日早起きして、怒涛のデスク・ワークをしよう)と思っていた。だが、会場で心許せる知人たちと会い、流れちゃう。やはり、ぼくにとってライヴは飲みの前座であります。
ときに、ブっ壊れたというか、妙なフレイズを涼しい顔して繰り出す様には頬が緩む。でもって、最後はシンガー・ソングライターの様にギターを弾きながら朗々と歌い始めたのにもにっこり。その際、当然シンガー・ソングライター傾向作を出し、そのライヴ披露(2009年7月20日)もやっているブレイドはデカい声でうれしそうにハーモニー・ヴォーカルをつける。やっぱ、イケてる人は複数方向のこと、嬉々としてやらなきゃなんても思わせられたか?
▶︎過去の、ラリー・グラナディア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20090301
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201309051240372709/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
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<今日の、流れ>
今週中に出す原稿が重なっていて、ライヴを見る前には、今日はライヴを見たらグダグダ飲まずにまっすぐ家に帰りすぐに寝よう(そして、翌日早起きして、怒涛のデスク・ワークをしよう)と思っていた。だが、会場で心許せる知人たちと会い、流れちゃう。やはり、ぼくにとってライヴは飲みの前座であります。
上にある日時/時間で、ブルース・インターアクションズ(P−ヴァイン)のコファウンダーであり、ザ・ブルースやブラック・ミュージック・リヴューの編集長もなさった高地明さんの相手を務めます。題材は、ダニー・ハサウェイ。彼はアトランティックからリーダー表現を発表する傍ら、他アーティストへ楽曲提供やプレイヤー参加などをいろいろしており、それらは様々なインディ・レーベルからシングル盤で世に出ています。実は高地さん、それらドーナツ盤を地道にコレクションなさっておりまして、その成果をインスト物、男性シンガー、女性シンガーというような項目に分けて一気に公開いたします。また、他者ヴァージョンとハサウェイ・ヴァージョンの聞き比べもします。いーぐる のオーディオ装置で、45回転の音がどう聞こえるのかも楽しみです。お盆の一時、ダニーのアララなプロダクツに遊ぶのはいかがでしょうか? 1000円+飲み物代、予約は必要ありません。
四谷 いーぐる http://www.jazz-eagle.com/information.html
四谷 いーぐる http://www.jazz-eagle.com/information.html
リチャード・ボナ & マンデカン・クバーノ
2016年7月31日 音楽 一時かなりラテンぽいサウンドを採用していたリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日、2015年1月9日、2015年1月11日)の今回のショウは、NYのサルサ系列にいる奏者たち(たぶん)を従えてのもの。ピアノのオスマニー・バレデス、パーカッションのルイス・キンテーロとロベルト・キンテーロ、ドラムのルドウィッグ・アルフォンソ、トランペットのデニス・エルナンデス、トロンボーンのレイ・アレハンドロという面々が、歌とエレクトリック・ベースの御大をサポートする。彼ら、本当にラテンの勘所を抱えていた。
その顔ぶれで9月に出る新作『Heritage』を録音し、今年に入って彼らはライヴ・ギグを行っていたりもし、息の合い方は余裕。サイド・マンも譜面無しで、一緒にボナ流ラテンを作り出していく。曲はボナ曲をラテン色濃くしたものを中心に、ラテン有名曲「ビロンゴ」のようなものまで。そのスペイン語曲であっても、ボナは自らのカメルーン現地語で歌っているように聞こえた。ようは、どっちつかずになりそうなところ、ボナの弾みや柔和さや懐の深さを介して、なんとも活きたもう一つのラテン基調表現として浮かび上げる。そして、その奥からは、音楽をする喜びや音楽の属性を超える融和の素敵などが浮かび上がってくるのだから、これは高揚してしまう。
終盤には他のメンバーがひけた中、一人で例のループによるヴォイス多重表現も聞かせる。そして、アンコールはキューバのカーニヴァル曲「ラス・ハルディネーラス」を始め、ラテン・メドレーでしめた。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
なお、協調作『Heritage』は10年強所属したユニヴァーサルから、クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル“クエスト”に移籍してのものとなる。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201501131648401181/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
<今日の、奥行き>
ちょい一泊で東京を離れ、久しぶりに新幹線にも乗った。なんか、改めて高速鉄道のシステムってすごいなと思った。駅レンタカーという存在も便利(車を借りると、列車チケットが割引になるのもありがたい)。だが、今回はレンタカーがまだ新しいにもかかわらず明けての出発時にエンジンがかからないというトラブルに見舞われ、系列店から代わりの車をホテルまで持ってきてもらったり。そしたら、やってきたのはまだ下ろし立ての新車だった。お詫びで、ガソリン満タンで返さなくてもいいと言われた。そういえば、前日ホテルにチェックインした際には、喫煙の部屋があてがわれてびっくり。予約時に禁煙としたはずで、新たな部屋はだいぶ上階となった。なんか、アンラッキーなんだかラッキーなんだかよく分からない2日間。そして、帰京し、ポジティヴィティあふれる弾むライヴを受けて、いろんなこと満載のラッキーな週末であったのだと思うことにした。そのあと、2件流れた飲み屋もいろいろな意味で情報量はあったかもしれぬ……。
その顔ぶれで9月に出る新作『Heritage』を録音し、今年に入って彼らはライヴ・ギグを行っていたりもし、息の合い方は余裕。サイド・マンも譜面無しで、一緒にボナ流ラテンを作り出していく。曲はボナ曲をラテン色濃くしたものを中心に、ラテン有名曲「ビロンゴ」のようなものまで。そのスペイン語曲であっても、ボナは自らのカメルーン現地語で歌っているように聞こえた。ようは、どっちつかずになりそうなところ、ボナの弾みや柔和さや懐の深さを介して、なんとも活きたもう一つのラテン基調表現として浮かび上げる。そして、その奥からは、音楽をする喜びや音楽の属性を超える融和の素敵などが浮かび上がってくるのだから、これは高揚してしまう。
終盤には他のメンバーがひけた中、一人で例のループによるヴォイス多重表現も聞かせる。そして、アンコールはキューバのカーニヴァル曲「ラス・ハルディネーラス」を始め、ラテン・メドレーでしめた。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
なお、協調作『Heritage』は10年強所属したユニヴァーサルから、クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル“クエスト”に移籍してのものとなる。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201501131648401181/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
<今日の、奥行き>
ちょい一泊で東京を離れ、久しぶりに新幹線にも乗った。なんか、改めて高速鉄道のシステムってすごいなと思った。駅レンタカーという存在も便利(車を借りると、列車チケットが割引になるのもありがたい)。だが、今回はレンタカーがまだ新しいにもかかわらず明けての出発時にエンジンがかからないというトラブルに見舞われ、系列店から代わりの車をホテルまで持ってきてもらったり。そしたら、やってきたのはまだ下ろし立ての新車だった。お詫びで、ガソリン満タンで返さなくてもいいと言われた。そういえば、前日ホテルにチェックインした際には、喫煙の部屋があてがわれてびっくり。予約時に禁煙としたはずで、新たな部屋はだいぶ上階となった。なんか、アンラッキーなんだかラッキーなんだかよく分からない2日間。そして、帰京し、ポジティヴィティあふれる弾むライヴを受けて、いろんなこと満載のラッキーな週末であったのだと思うことにした。そのあと、2件流れた飲み屋もいろいろな意味で情報量はあったかもしれぬ……。
映画「スーパーメンチ 時代をプロデュースした男!」
2016年7月29日 音楽 とっても、おもしろかった。なんか、示唆も受けた。これは、お勧めします。
シェップ・ゴードンという人物を扱ったもので、監督をしているのは「ウェインズ・ワールド」や「オースティン・パワーズ」などで知られるカナダ出身のコメディアン/脚本家のマイク・マイヤーズ。2013年米国映画で、現在は音楽だけでなくITや映画を大々的に扱っているテキサス州の“サウス・バイ・サウス・ウェスト”でまず披露された作品であるという。渋谷・ショーゲート試写室、9月下旬からロードショー公開される。
寡聞にして、かなり音楽界に大きな足跡を残しているシェップ・ゴードン(1946年、NYクイーンズ生まれ)のことは知らなかった。だが、アリス・クーパーのマネージャーにつき、ありったけの偽悪主義で突っ走らせ、彼をスターダムに上げて(1970年代上半期、クーパーの黄金期のアルバム群は目を惹く特殊仕様がなされていたが、それを画策したのはゴードンだ)以降、アン・マレーやブロンディ他も扱い音楽界での絶対的な力を保持。実は個人的に好きなのはスウィート・ソウルであったそうで、ゴードンはテディ・ペンダグラスやルーサー・ヴァンドロスのマネージャーも務めた。彼が面倒を見ることで、ペンダーグラスたちはチリトン・サーキット(黒人ショービズの世界。アーティストは不遇な扱いを受ける傾向にあった)から脱し白人ロッカー並みの待遇を得るようになったという。
が、彼がスーパーなメンチ(偉人)と言われるのは、音楽の世界にとどまらず、音楽ビジネスの率直さでもって他の分野にも進出し、多大な実績を得たことだろう。映画プロデューサーとしても成功を収め(1970年代後期にはアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと一緒に映画会社を立ち上げいろんな作品も送り出した)、また食べ物には全く興味がなかったが(「パスタはケチャップがかけてあればいいと思っていた」というような発言もあり)、レストラン業運営でも多大な成功を収め、一流のシェフたちと交流を持ちカリスマ・シェフ・ブームを作り上げた御仁でもあるという。
本人が存命であり、彼と親しいマイヤーズが監督しただけに、シェップ本人の撮り下ろし映像が多種使われるし、アララな写真や映像もいろいろ。証言者はマイケル・ダグラス、シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツネイガー、アリス・クーパー、アン・マレー、サミー・ヘイガー、ウィリー・ネルソン、スティーヴン・タイラー、アリス・クーパーらを手がけたプロデューサーのボブ・エズリン他で、それらの材料を効果的につなぐというのは人物ドキュメンタリーの常道だが、編集がとってもテンポ良く、お茶目。マイヤーズ、才能あるナ。ま、それは取りも直さず、シェップの人間性や内に抱えるテンポから来たものかもしないが。
シェップのドラッグ&セックスもおおらかに語られる。が、本来はうだつのあがらないけっこう真面目な学生で、社会学だかを専攻した東海岸の大学を出た後はLA郊外の少年施設に職を得たもののガキどもからボコられ、施設をやめちゃう。それが、1968年のこと。そして、退職後にたまたまハリウッドのモーテルに泊まったらそこにはジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスが投宿していて(ジャニスが『パール』録音中に亡くなったのはそのモーテルであったという)一緒にヤクを決め、その流れでまだ無名だったアリス・クーパーのマネージャーをすることになったのが、すべての発端。てな感じの”事実は小説よりも奇なり”な事実は次々と出てくるわけで、そりゃ面白くないはずがない。
その成功を導いたのは、本人の真面目なんだか不埒なんだかよくわからない豊かな発想や好奇心の持ち方や人間関係の取り方であったろうが、人間の人生なんかどうなるか分からない、やっぱ好き勝手にGOでしょと語りかけるところが本映画の心地よいところであるか。あと、それほどゴードンが成金っぽい振る舞いをしていないところは精神衛生上よろしい。そういえば、コメディアンのグルーチョ・マルクスの場合は無料でマネージメントをしたという。
が、一方では人生に迷いもあったのだろう、ユタヤ系である彼は仏教にはまってダライ・ラマとけっこうな親交を持ったり、ハーフ・リタイヤしてマウイ島の豪邸で外来友人もてなしの日々を送っていたり(アリス・クーパーのマネージャーだけは今も務めているよう。ま、クーパー自体、活発な活動をしてはいない)、かつて仲良しだった女性の3人の子供達の経済的な面倒をみたり。結局、シャロン・ストーンをはじめ綺麗な女性たちとはあまり長続きせず、望んだ子宝にも恵まれなかったという事実も語られ、成功とはなんなのか、幸せとはなんなのかということも照らし出すような部分もこの映画にはある。で、人生なんてそんなもの、やっぱり好きに行くっきゃないよね〜と思わされるのだ。
<今日の、災難>
18時からの試写会のあと、恵比寿に行く。駅前で毎年、盆踊りをやっているというので。駅に降りたら、ターミナルにどっかんと櫓が作られ、提灯が無数に下げられている。浴衣姿の人もたくさん。外国人を連れて行くにはとっても手軽なアトラクションだあ、とすぐに思う。飲み物や食べ物は地元のお店が運営しているのだろう、フェス価格よりはだいぶ安い。お酒類は350円、焼鳥は一本100円、かき氷も100円で販売していたようだ。まあ、側にお店やコンビニはたくさんあるわけだしね。流れる音楽はあれれ、ぼくがイメージする盆踊り曲よりテンポが速く、和ではあるがそれほど民謡(?)ぽくはないものがかかったりもしていた。それ、知人が言うには、恵比寿盆踊りのオリジナル・ソングなのだとか。「東京音頭」などもかけられていたが、それにしても流れる音楽の音質が度を越してひどい。無理に音量を上げ音が潰れまくっていて、ぼくはすぐに気分が悪くなった。こんなにまで酷い音を聞くのは、これが人生最後であってほしいと願わずにはいられず。まるで、拷問盆踊り大会、ナリ。知人が言うには過去はそれほどひどくなく、こんなのは初めてと言っていたが。早々に、飲み屋に流れました。あ、それを狙っての、あの音か? それともべらぼうな人出を裁くため、早く観覧者が入れ替わるようにあのしょうもない音を流しているとか。
シェップ・ゴードンという人物を扱ったもので、監督をしているのは「ウェインズ・ワールド」や「オースティン・パワーズ」などで知られるカナダ出身のコメディアン/脚本家のマイク・マイヤーズ。2013年米国映画で、現在は音楽だけでなくITや映画を大々的に扱っているテキサス州の“サウス・バイ・サウス・ウェスト”でまず披露された作品であるという。渋谷・ショーゲート試写室、9月下旬からロードショー公開される。
寡聞にして、かなり音楽界に大きな足跡を残しているシェップ・ゴードン(1946年、NYクイーンズ生まれ)のことは知らなかった。だが、アリス・クーパーのマネージャーにつき、ありったけの偽悪主義で突っ走らせ、彼をスターダムに上げて(1970年代上半期、クーパーの黄金期のアルバム群は目を惹く特殊仕様がなされていたが、それを画策したのはゴードンだ)以降、アン・マレーやブロンディ他も扱い音楽界での絶対的な力を保持。実は個人的に好きなのはスウィート・ソウルであったそうで、ゴードンはテディ・ペンダグラスやルーサー・ヴァンドロスのマネージャーも務めた。彼が面倒を見ることで、ペンダーグラスたちはチリトン・サーキット(黒人ショービズの世界。アーティストは不遇な扱いを受ける傾向にあった)から脱し白人ロッカー並みの待遇を得るようになったという。
が、彼がスーパーなメンチ(偉人)と言われるのは、音楽の世界にとどまらず、音楽ビジネスの率直さでもって他の分野にも進出し、多大な実績を得たことだろう。映画プロデューサーとしても成功を収め(1970年代後期にはアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと一緒に映画会社を立ち上げいろんな作品も送り出した)、また食べ物には全く興味がなかったが(「パスタはケチャップがかけてあればいいと思っていた」というような発言もあり)、レストラン業運営でも多大な成功を収め、一流のシェフたちと交流を持ちカリスマ・シェフ・ブームを作り上げた御仁でもあるという。
本人が存命であり、彼と親しいマイヤーズが監督しただけに、シェップ本人の撮り下ろし映像が多種使われるし、アララな写真や映像もいろいろ。証言者はマイケル・ダグラス、シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツネイガー、アリス・クーパー、アン・マレー、サミー・ヘイガー、ウィリー・ネルソン、スティーヴン・タイラー、アリス・クーパーらを手がけたプロデューサーのボブ・エズリン他で、それらの材料を効果的につなぐというのは人物ドキュメンタリーの常道だが、編集がとってもテンポ良く、お茶目。マイヤーズ、才能あるナ。ま、それは取りも直さず、シェップの人間性や内に抱えるテンポから来たものかもしないが。
シェップのドラッグ&セックスもおおらかに語られる。が、本来はうだつのあがらないけっこう真面目な学生で、社会学だかを専攻した東海岸の大学を出た後はLA郊外の少年施設に職を得たもののガキどもからボコられ、施設をやめちゃう。それが、1968年のこと。そして、退職後にたまたまハリウッドのモーテルに泊まったらそこにはジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスが投宿していて(ジャニスが『パール』録音中に亡くなったのはそのモーテルであったという)一緒にヤクを決め、その流れでまだ無名だったアリス・クーパーのマネージャーをすることになったのが、すべての発端。てな感じの”事実は小説よりも奇なり”な事実は次々と出てくるわけで、そりゃ面白くないはずがない。
その成功を導いたのは、本人の真面目なんだか不埒なんだかよくわからない豊かな発想や好奇心の持ち方や人間関係の取り方であったろうが、人間の人生なんかどうなるか分からない、やっぱ好き勝手にGOでしょと語りかけるところが本映画の心地よいところであるか。あと、それほどゴードンが成金っぽい振る舞いをしていないところは精神衛生上よろしい。そういえば、コメディアンのグルーチョ・マルクスの場合は無料でマネージメントをしたという。
が、一方では人生に迷いもあったのだろう、ユタヤ系である彼は仏教にはまってダライ・ラマとけっこうな親交を持ったり、ハーフ・リタイヤしてマウイ島の豪邸で外来友人もてなしの日々を送っていたり(アリス・クーパーのマネージャーだけは今も務めているよう。ま、クーパー自体、活発な活動をしてはいない)、かつて仲良しだった女性の3人の子供達の経済的な面倒をみたり。結局、シャロン・ストーンをはじめ綺麗な女性たちとはあまり長続きせず、望んだ子宝にも恵まれなかったという事実も語られ、成功とはなんなのか、幸せとはなんなのかということも照らし出すような部分もこの映画にはある。で、人生なんてそんなもの、やっぱり好きに行くっきゃないよね〜と思わされるのだ。
<今日の、災難>
18時からの試写会のあと、恵比寿に行く。駅前で毎年、盆踊りをやっているというので。駅に降りたら、ターミナルにどっかんと櫓が作られ、提灯が無数に下げられている。浴衣姿の人もたくさん。外国人を連れて行くにはとっても手軽なアトラクションだあ、とすぐに思う。飲み物や食べ物は地元のお店が運営しているのだろう、フェス価格よりはだいぶ安い。お酒類は350円、焼鳥は一本100円、かき氷も100円で販売していたようだ。まあ、側にお店やコンビニはたくさんあるわけだしね。流れる音楽はあれれ、ぼくがイメージする盆踊り曲よりテンポが速く、和ではあるがそれほど民謡(?)ぽくはないものがかかったりもしていた。それ、知人が言うには、恵比寿盆踊りのオリジナル・ソングなのだとか。「東京音頭」などもかけられていたが、それにしても流れる音楽の音質が度を越してひどい。無理に音量を上げ音が潰れまくっていて、ぼくはすぐに気分が悪くなった。こんなにまで酷い音を聞くのは、これが人生最後であってほしいと願わずにはいられず。まるで、拷問盆踊り大会、ナリ。知人が言うには過去はそれほどひどくなく、こんなのは初めてと言っていたが。早々に、飲み屋に流れました。あ、それを狙っての、あの音か? それともべらぼうな人出を裁くため、早く観覧者が入れ替わるようにあのしょうもない音を流しているとか。
フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ
2016年7月28日 音楽 ブルー・アイド・ソウルの第一人者的な名バンドであるザ・(ヤング・)ラスカルズのフロント・マンだったフェリックス・キャヴァリエ(2010年9月10日)の今回の来日公演は、その名グループの名前を冠してのもの。ヴォーカルとオルガンを担当する本人に加え、50絡みのギター、キーボード、ベース、ドラムがサポート。当然、キャヴァリエ(1942年生まれ。とても元気でした)の歌とオルガン裁きは触れることができて良かったと思わせる味と力を持つものだが、サポート陣も演奏力は確か。バックの彼らが皆、コーラスをちゃんととるのも良かった。
とうぜん、曲は代表曲がすらり。あ、今年はザ・ヤング・ラスカルズ結成50周年にあたり、今回の出し物はそれを祝うという名目があったよう。そして、どの曲にもPV調(けっこうちゃんとしたものから、簡素なものまでいろいろ)の映像が背後やモニターに流される。そこには曲名や歌詞の一部が入れられることもあって、知らない曲でもだいたい曲名が分かったりする。けっこう、このパッケージで回っているんだろうな。キング牧師らの姿を出した「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」の映像は少し臭いかもしれないが、彼らのソウル・ミュージック愛好はリベラルな心持ちから発していると語るようなところがあって、なんか良かった。それから。キャヴァリエさんは他人の曲をクォーテイションするのがとても好き。スライ(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)曲は2つ用いたし、ウィルソン・ピケット曲やオーティス・レディング曲やザ・テンプテーションズ(2009年11月8日、2013年8月18日)曲はまんま歌った。あ、ファレル・ウィリアムス(2006年4月2日)の「ハッピー」もやりました。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ関連
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、ファレル・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
<ここのところの、反応>
先週、髪をけっこう短くした。夏だし、ね。耳を出したのは、久しぶりなような。ゆえに、知人の反応がとても楽しい。相手が女性の場合は、今と前、どっちが好きと問い返したりもしちゃう。整っているためか、短い方と言う人が多い。が、なかには長い方が良かったという方や、如才なくどっちも♡と答える方もいらっしゃる。
とうぜん、曲は代表曲がすらり。あ、今年はザ・ヤング・ラスカルズ結成50周年にあたり、今回の出し物はそれを祝うという名目があったよう。そして、どの曲にもPV調(けっこうちゃんとしたものから、簡素なものまでいろいろ)の映像が背後やモニターに流される。そこには曲名や歌詞の一部が入れられることもあって、知らない曲でもだいたい曲名が分かったりする。けっこう、このパッケージで回っているんだろうな。キング牧師らの姿を出した「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」の映像は少し臭いかもしれないが、彼らのソウル・ミュージック愛好はリベラルな心持ちから発していると語るようなところがあって、なんか良かった。それから。キャヴァリエさんは他人の曲をクォーテイションするのがとても好き。スライ(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)曲は2つ用いたし、ウィルソン・ピケット曲やオーティス・レディング曲やザ・テンプテーションズ(2009年11月8日、2013年8月18日)曲はまんま歌った。あ、ファレル・ウィリアムス(2006年4月2日)の「ハッピー」もやりました。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
▶過去の、スライ・ストーン
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▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ関連
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
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▶︎過去の、ファレル・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
<ここのところの、反応>
先週、髪をけっこう短くした。夏だし、ね。耳を出したのは、久しぶりなような。ゆえに、知人の反応がとても楽しい。相手が女性の場合は、今と前、どっちが好きと問い返したりもしちゃう。整っているためか、短い方と言う人が多い。が、なかには長い方が良かったという方や、如才なくどっちも♡と答える方もいらっしゃる。
オノ セイゲン×パール・アレキサンダー
2016年7月26日 音楽 御茶ノ水・Café 104.5。オノ セイゲンの1984年デビュー作『Seigen』(ビクター)、オノセイゲンとパール・エレキサンダー連名による最新作『Memories of Primitive Man』(ソニー)をフォロウする催しで、二人が演奏。オノ セイゲンが新たに作ったトラックを下敷きにし、オノ(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日)はエレクトリック・ギターを、アレキサンダー(2014年10月11日、2015年5月6日、2016年5月22日)はコントラバスの音を思うまま重ね、何気に奇想天外で、雄弁なサウンド・タペストリーを描く。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
▶過去の、パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
<今日の、感謝>
25分ものライヴに続き、オノセイゲンの過去のプロダクツや現在の活動を括るトーク・ショウが1時間半強持たれる。相手役は、不肖ワタクシが務めた。形になるぐらい人が入ればいいなあと思っていたが、これがフル・ハウスでほんの少し驚く。まあ、軽い気持ちで来ていただけるようにと、1ドリンク付き1500円というリーズナブルな価格にしたわけだが。事前の軽いうちあわせのもと、オノが選曲/編集(実は長めの曲を短くまとめたりもした)、未発表のものを含め、音楽はハイレゾにて流し、その音質も好評だったよう。セイゲンとはすでに30年以上の付き合いとなる。普段のようにセイゲン、エイスケと呼び合いながら、普段着な感じでトークを進めさせてもらった。来てくれた方々、ありがとうございました。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
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http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
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▶過去の、パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
<今日の、感謝>
25分ものライヴに続き、オノセイゲンの過去のプロダクツや現在の活動を括るトーク・ショウが1時間半強持たれる。相手役は、不肖ワタクシが務めた。形になるぐらい人が入ればいいなあと思っていたが、これがフル・ハウスでほんの少し驚く。まあ、軽い気持ちで来ていただけるようにと、1ドリンク付き1500円というリーズナブルな価格にしたわけだが。事前の軽いうちあわせのもと、オノが選曲/編集(実は長めの曲を短くまとめたりもした)、未発表のものを含め、音楽はハイレゾにて流し、その音質も好評だったよう。セイゲンとはすでに30年以上の付き合いとなる。普段のようにセイゲン、エイスケと呼び合いながら、普段着な感じでトークを進めさせてもらった。来てくれた方々、ありがとうございました。