勅使河原三朗 灰野敬二 MERZBOW
2015年8月21日 音楽 世界的日本人ノイズ音楽家と、大学教授もしている舞踏大家のお手合わせ公演、代官山・晴れたら空に豆まいて。もちろん混んでいて、後からはステージの全貌を捉えるのは困難ナリ。客の外国人比率、高め。
演奏陣は最初のほう、2人とも機材のツマミをいじってノイズの波を出す。濁音の大海だア。20分ぐらいはそうだった? そのうち、MERZBOW/秋田昌美は自作だろう楽器をギターのように抱えて、音を出し始める。一方の灰野敬二(2008年9月25日、2014年1月8日)はマイクを手にとり詠唱をした(←それ、とても存在感あり)り、ギターを弾いたりもする。その際の、エモーショナルな姿は胸を打つな。という感じで、表現総体はどんどんダイナミックに動いていき、ストーリー性を帯びて行く。灰野はダミ声でも肉声を出すが、それに触れ、装置音もギター音も肉声も、併置すべき回路を持っていると思わされる。筋が通っているし、どれにも得難い肉体性があった。
その二人の媒介となる勅使河原三朗の動きについては、ちゃんと見えないこともあり、よく分らず。音楽だと音や音による空気の波動だけでも理解の手助けになるが、舞踏は見えないとお手上げ。静かな場でやると、見えなくても踊り手の“気”のようなものが伝わってくるのかもしれないが。ちゃんと理解できたのは、抑制する作法を取っていて、動きは大きくない、ということ。
一度、灰野のギター音に合わせてエア・ギターもやったが、それには退く。二人の音を受け、自分の感覚と肉体を介して反応し直しているわけで、なにもそんな直接的なことをしなくてもいいじゃないか。ただし、特徴的なノイズ音を受け、それを口から出すのを模すようなパフォーマンスには、これはアリだと頷く。門外漢としては、音と重なりきっていないという感想を得たが(もしくは、演奏者が舞踏に合わせきれなかったという言い方もできるか)、あのアヴァンな大きな音とステージ中央で生身一つで対峙する様には尊いものを感じずにはいられなかった。
パフォーマンス時間は1時間の予定と聞いていたんだが、彼らは切れ目なしにきっちり2時間やった。そして、アンコールにも応える。これはどうしたことか。ノリノリになった? 当人たちも意義を感じたからと、判断したい。コスモスと言えるものをぽっかりと出していたと、ぼくは感じました。
▶過去の、灰野
http://43142.diarynote.jp/201401141413008927/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
<今日の、耳>
会場入りして、ステージ背後にスピーカーが壁のように並べられていて、フフフ。今年一番デカい音の波を受けたな。耳が完全に死にました。出演者は1953年、1952年、1956年の生まれ。3人とも結構な年齢だが、やっていることも含めて、お若い。演奏陣の二人はともに長髪、サングラス。その容貌に触れ、禿げないのはある種のスタンス表明になりえると思った?
演奏陣は最初のほう、2人とも機材のツマミをいじってノイズの波を出す。濁音の大海だア。20分ぐらいはそうだった? そのうち、MERZBOW/秋田昌美は自作だろう楽器をギターのように抱えて、音を出し始める。一方の灰野敬二(2008年9月25日、2014年1月8日)はマイクを手にとり詠唱をした(←それ、とても存在感あり)り、ギターを弾いたりもする。その際の、エモーショナルな姿は胸を打つな。という感じで、表現総体はどんどんダイナミックに動いていき、ストーリー性を帯びて行く。灰野はダミ声でも肉声を出すが、それに触れ、装置音もギター音も肉声も、併置すべき回路を持っていると思わされる。筋が通っているし、どれにも得難い肉体性があった。
その二人の媒介となる勅使河原三朗の動きについては、ちゃんと見えないこともあり、よく分らず。音楽だと音や音による空気の波動だけでも理解の手助けになるが、舞踏は見えないとお手上げ。静かな場でやると、見えなくても踊り手の“気”のようなものが伝わってくるのかもしれないが。ちゃんと理解できたのは、抑制する作法を取っていて、動きは大きくない、ということ。
一度、灰野のギター音に合わせてエア・ギターもやったが、それには退く。二人の音を受け、自分の感覚と肉体を介して反応し直しているわけで、なにもそんな直接的なことをしなくてもいいじゃないか。ただし、特徴的なノイズ音を受け、それを口から出すのを模すようなパフォーマンスには、これはアリだと頷く。門外漢としては、音と重なりきっていないという感想を得たが(もしくは、演奏者が舞踏に合わせきれなかったという言い方もできるか)、あのアヴァンな大きな音とステージ中央で生身一つで対峙する様には尊いものを感じずにはいられなかった。
パフォーマンス時間は1時間の予定と聞いていたんだが、彼らは切れ目なしにきっちり2時間やった。そして、アンコールにも応える。これはどうしたことか。ノリノリになった? 当人たちも意義を感じたからと、判断したい。コスモスと言えるものをぽっかりと出していたと、ぼくは感じました。
▶過去の、灰野
http://43142.diarynote.jp/201401141413008927/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
<今日の、耳>
会場入りして、ステージ背後にスピーカーが壁のように並べられていて、フフフ。今年一番デカい音の波を受けたな。耳が完全に死にました。出演者は1953年、1952年、1956年の生まれ。3人とも結構な年齢だが、やっていることも含めて、お若い。演奏陣の二人はともに長髪、サングラス。その容貌に触れ、禿げないのはある種のスタンス表明になりえると思った?