ホセ・ジェイムズ&ジェフ・ニーヴ。フィリップ・ベイリー
2010年11月11日 音楽 まずは、丸の内・コットンクラブ。今様ジャズ・シンガーとしてクラブ・ミュージック側からの支持も集めるホセ・ジェイムズ(パナマとアイルランドのミックスで、米ミネアポリス生まれ。2008年9月18日)と、ベルギーのユニバーサルと契約している同国の清新ジャズ・ピアニストであるジェフ・ニーヴ(06年作『Nobody is Illegal』内の1曲に、なんかレディオヘッドぽいなと思ったことがあり。1977年生まれ)のデュオ公演。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
今年出された両者の完全デュオ作『フォー・オール・ウィ・ノウ』に基づく実演。異なる道を歩んできたシンガーとピアニストがジャズという流儀とスタンダード曲という素材を基にすうっと重なり合う。その余裕あるやりとりは丁々発止と言うほど火花を散らすわけではなく、淡白と書くにはいろいろなやりとりの妙あり。ときに、ジェイムズはとっても綺麗にシャウトする。
なるほどと思ったのは、二人とも、ジャズがメインストリーム/ポップ・ミュージックではなくなってから=観賞/芸術音楽の度合いが強くなってからジャズに触れたミュージシャンであるということ。ジャズ・ヴォーカル表現はジャズのヴァリエイションのなかでもっともエンターテインメント性を出す傾向にある表現だが、二人のパフォーマンスは見事にそういう行き方からは離れるものであったのもそれを物語る。これ見よがしな重なり方や客に媚びたり煽ったりするノリは皆無、ジャズはアートだと言わんばかりに、二人は清楚で真摯な重なりを持とうとしていた。
リクエストを受けてと言ってやった「ジョージア・オン・マイ・マインド」のニーヴの演奏には、その個性が明解にあらわれていたような。歌心をなるべくスポイルせずに、見事にコードの置き換えの連続でゆらゆらと演奏していく様は快感。彼はトリオを中心にいろいろプロジェクトを持っているが、グルーヴシングというサックス付きカルテットではハモンド・オルガンやキーボードを弾いて、私の考えるフュージョンをやっている。
ホセ・ジェイムズは、来年1月のブルーノート東京やモーション・ブルー・ヨコハマのマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日)の公演でまたやってくる。……のだが、なんとそれは、ジョン・コルトレーン唯一の歌伴作(だよな?)にして、隠れ名盤&癒し盤である『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』(インパルス、63年)の世界を求めんとする出し物とか。コルトレーンがピアノレス編成になる前にずっとつき合ったタイナーもとうぜん同作で弾いており、コルトレーン役はエリック・アレキサンダーが勤めるという。ジョン・コルトレーンの曲をやるライヴ・プロジェクトを持つなどコルトレーン大好きのジェイムズはそこでどうパフォーマンスするのか。
ついでと言ってはナンだが、この項目の末尾に『フォー・オール・ウィ・ノウ』発表に際し、2010年3月に行った電話インタヴューをのせておく。5,500字ぶん、ノーカット。一誌に短めの原稿を書いた際に抜粋使用しただけで、あとは眠っていたものです。彼の口からも、『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』の名前は出てきますね。
その後、南青山ブルーノート東京に移動、アース・ウィンド&ファイアー(2006年1月19日)のフロント・マンの公演を見る。やっぱり、確か。素晴らしかった。
EW&Fを離れてのリーダー活動も、フィル・コリンズと組んだ一般性の高いものからコンテンポラリー・ゴスペル作まで、80年代以降いろんな形で求めているフィリップ・ベイリーだが、ぼくが頭を垂れたくなるのは、02年にヘッズ・アップから出した『ソウル・オン・ジャズ』というアルバム。そこには、ジャズ曲やジャズ感覚をソウル側から見つめて編み直した、もう一つのアダルトなR&B表現がちゃんと提出されていたから。それで、ぼくが03年に見た彼の単独公演(2003年10月12日)はその路線とEW&Fの代表シンガーとしての姿を両立させた物だったが、今回もそれは同様だ。
前半はしっとり目の大人路線で、後半はイケイケ路線と書くことができようか。なんにせよ、まずおおっと思わせられたのは、バンドの質の高さ。西海岸の敏腕セッション・マンでベイリーの『ソウル・オン・ジャズ』やEW&Fの05年作にも関与しているマイロン・マッキンリー(ピアノ、キーボード)、モリス・オコナー(ギター、バック・ヴォーカル)、EW&Fのミュージック・ディレクターを勤め、西海岸系スムース・ジャズの敏腕プロデューサーでもあるモリス・プレジャー(ベース)、ルイス・ケイト(ドラム、バック・ヴォーカル)、フィリップ・ベイリーJr.(バック・ボーカル、キーボード、打楽器)という布陣。まあ息子はあまりいてもいなくてもという感じだった(03年来日時と比べると、髪型が立派に)が、他は本当に腕利き。ギター奏者とドラマーはそんなに知られる人じゃないが、その演奏には惚れ惚れ。マッキンリーもジャズ的な演奏からファンキーな指さばきまで自由自在。うひょお。そして、EW&Fではキーボードを担当するプレジャー(ヴァーディン・ホワイトがいますからね)はここではベース(電気アップライトと普通の電気ベースを併用)に専念していたのだが、それが非の打ち所なしでびっくり。もしかして、本来はベーシスト? EW&F曲をやったときの彼の指さばきに触れつつ、ヴァーディン・ホワイトは本当にメロディアスかつ妙な技ありベース・ラインで曲趣を盛り上げていたのだなとも、いたく再認識。
前半部は、ジャズ・スタンダードや今年ネット売りしている4曲入りEPからの曲(ボサ調曲もあり)などを流動性と広がりを持つ大人のゆったりソウル・ミュージックを展開。演奏パートもたっぷり取り、その際にベイリーは打楽器を叩いたりもするが、ぼくはそれに触れながら、オルタナティヴな大人のフュージョンといった感じがある演奏部だけでもぼくは満足できると思ったりも。途中に挟まれたEW&F曲「ファンタジー」ももう一つの誘いを新たに得ていた。
実はマジにそのゆったり路線だけでショウを続けてくれたならとぼくはショウを見ていて思いもしたのだが、「シャイニング・スター」や「セプテンバー」などEW&F曲(どうして、どれもこれも起爆力抜群なんだろう)や「チャイニーズ・ウォール」や「イージー・ラヴァー」など80年代のソロ活動曲などが繰り出されると、それはそれで多いに浮かれ、楽しめちゃう。……一粒で、2つぶんおいしいショウでした。
■付録 ホセ・ジェイムズ・インタヴュー(2010年3月)
——現在はロンドンに住んでいるんですか?
「一時的にロンドンに住んでいるけど、ベースがどこかって言ったら何処でもないかな」
——あなたは中学生のころからジャズに親しんでいたようですが、そのきっかけは? 周りの友達でジャズを聞いていた人は少なかったでしょう?
「友達は皆ニルヴァーナとか、ロック、ヒップホップとか、ジャズ以外のものなら何でも聴いていたな。僕は90年代のヒップホップのサンプリングに結構ひかれたんだ。ジャズを初めて聴いたのは14歳の時、デューク・エリントンの<A列車で行こう>だったんだけど、それに魅了されたんだ。そこから自分でチャーリー・パーカーにはじまって、デューク・エリントン、ルイ・アームストロングなんかの巨匠たちの音楽を自分から求めていくようになったんだ。
——あなたはジャズの何にひかれたのでしょう?
「クラシック以外に、ジャズほど感情にあふれていて、複雑なハーモニーをもち、そしていろいろ探究できる音楽はないと思うんだ。深みもあるし、クリエイティヴなエネルギーに満ちている音楽だと思うよ」
——もっとも影響を受けたジャズ歌手というとどういう人が挙げられますか?
「ナット・キング・コール、ジョンとアリス・コルトレーン。あとは実のところ、ホーン奏者に一番影響を受けたかな。チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、そしてジョン・コルトレーンはやっぱり革新者だよね」
——一方で、ポップ・ミュージックにも影響を受けたアーティストはいますか。
「ソウルに結構影響を受けたかな。ディアンジェロも大好きだし、あとはマーヴィン・ゲイ、アル・グリーン。新しい音楽だとラップだね。デ・ラ・ソウルはものすごいクリエイティヴィティだよ。でも僕は正直なところあまり最近の音楽に影響は受けていないんだよね。どちらかというと、ジャズの観点から見ちゃうんだよね。だからディジー・ガレスピーっぽいな、とか、チャーリー・パーカーっぽいな、ってそういうつながりから見てしまうんだ」
——いままで、「転機」と言えるものがあったりしますか?
「2つある。1つは、アーティストとしてレコーディングを初めてしたとき。それは(ジャイルズ・ピーターソンの)ブラウンズウッド・レーベルと契約をして、『ザ・ドリーマー』をレコーディングしたときのこと。アルバムを丸々、しかも質の高いものを作れたことは本当に夢が叶ったことだよね。2つ目は2008年にノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルに参加したときだね。フェスティヴァルに参加した時は、音楽が伝えることのできるメッセージが余りにもパワフルだって言うことに気づいたんだ。それまでオランダに行ったことはなかったんだけど、その時に大観客の前で自分の音楽、コルトレーンがやっていたような音楽ができたことに感激した。音楽って国境がないものだし、皆から敬愛をたっぷり受ける経験ができたっていうのは本当に大きかったね」
——今振り返ると、ブラウンズウッド・レーベルからあなたが発表した『ザ・ドリーマー』や『ブラックマジック』はどういうアルバムだと思いますか?
「『ザ・ドリーマー』で、プロデューサーたちは本当に僕のために大きな冒険をしてくれたと思うね。どんなアルバムになるかは全く分からなかったし、反応がどんなものになるか見当もつかなかったから、生涯たった一枚のアルバムになるつもりで作ったんだ。だからとにかく自分が満足いくもの、後悔しないものにしたかった。自分から見ればとても純粋なアルバム。使いたいミュージシャンは皆使ったし、曲も自分がやりたいって思う曲しか入っていないよ。曲そのものはヒップホップのループが入っていたりして、ジャズっぽいループになっていると思う。そして、『ブラックマジック』はヒップホップ、そしてダンス畑のプロデューサーを起用し、僕自身が新しい世界に入って自分の音楽を広げようとした作品。だから作曲の仕方も違うものだったね。まあ、まとめて言うならば、デビュー作はヒップホップをジャズの世界に引っ張ってくる感じで、2枚目はジャズをヒップホップの世界に持ち込むようなアルバムって言えると思うよ」
——そして、今度出るあなたのアルバムはジェフ・ニーヴとの共演作です。彼とはどうやって知り合ったのでしょう?
「ジェフはブリュッセルのラジオ・クララというラジオ局で番組を持っていて、僕がプロモーションで彼の番組に出たんだ。番組の最後で二人で共演してしめる形だったんだよ。で、番組のリスナーって保守的な人が多いからスタンダードを演奏することになったんだ。<ラッシュ・ライフ>をやったんだけど、とても難しい曲だったにも関わらず、そして準備もしていなかったにも関わらず、完璧な出来だった。その直後に、また違うショーで会って、その時は<エンブレイサブル・ユー>をやったら、それも上出来だった。それで、演奏のあの雰囲気をどうしてもとらえたくなってね。次の日は僕もオフだったからとにかく何かスタジオでやろうよ、ってなんたんだよ」
——ジェフのどんなところが優れていると思っていますか?
「彼は本当に素晴らしい、才能溢れるピアニストだよね。長年やってきたなかで、職人芸を培ってきた人。僕とは違う音楽的繊細さを持ち合わせている。特に彼はもともとクラシック畑出身で、そこからヨーロッパ・ジャズに入っているからね。だから、このアルバムはお互いがお互いを補い合っていると思うんだ。彼は西洋的なクラシック・ジャズで、僕がアフリカ的なアメリカ・ジャズだからね。面白いコントラストになっていると思うよ」
——アルバムはプロデューサーも立てずに一発録りでレコーディングされたとの事ですが、それは、まさにジャズですね。
「そうだね。あのエネルギーをとらえたいって思っていたからね。チコ・ハミルトンとか僕がいろいろ教わってきたミュージシャンたちは、ファースト・テイクが一番気持ちが生きているって教えてくれた。技巧的なものとかそれ以外のものは二の次だとね。だから、全部のトラックでファースト・テイクがいかされているんだ。感情、気持ちこそジャズの意義。その瞬間における表現こそ、自分がどう感じたかこそがジャズなんだ。音楽的技術とかはそれとは異なるレベルの概念だと思うよ」
——実際にレコーディングはどんな感じで進んだのでしょう。
「とにかく自然発生的なアルバムだっていうこと。ラジオ出演した翌日にレコーディングされたわけだからね。僕には10年歌いこんできた曲ばかりだったけれど、ジェフとしては何がくるか分かっていなかったし、準備はしていかなかったからね。だからジェフはその場で曲を覚えながら演奏していたんだ。凄くアレンジされているんじゃないか、って聴く人は思うかもしれないけどね。確かに僕自身が指揮をとってイントロはもっと長く、とか、演奏は続けて、とか指示はしたから、とにかくジェフとしてはどの方向に進んでいるのかを鋭敏に感じ取らなければならなかったんだ。その先で何が起こるか分からないものだったから、とにかく先を読む方向感覚は必須だった」
——デュオ編成のジャズ・アルバムで、あなたが特別に感じている作品はあったりしますか?
「特にないね。ジョニー・ハートマンとジョン・コルトレーンのアルバムは好きだけれど。あまりデュオって好きじゃないんだ。それに、実は他のシンガーのアルバムって滅多に聴かないからね。他のシンガー、聴くとしたら全然違う分野の人。たとえばマリア・カラスとか。音楽って何処か別の場所に連れて行ってくれるべきものだと思うんだよね。だから多分他のアーティストとかもそうだと思うんだけど、自分と同じ楽器のアーティストってどうしても批評しながら聞いちゃうから、リラックスして聞くことができないんだ。聞くとしたらクラシックの歌手とか、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、ボブ・マーリーあたりかな」
——あなたは優れたソングライターでもありますが、今回はジャズのスタンダード・ナンバーを選んでいます。その選曲意図は?
「自分の曲をやっていたら珍妙なアルバムになってしまっただろうから、スタンダードばかりになったんだ。ジャズのスタンダードをクールに、そして新鮮な形でやりたかったし、それこそは僕たちにぴったりじゃないかな、って思った。それにこのレコーディングは、アルバムとして発表される意図はもともと全くなかったんだよ。2人の間で生まれた魔法を、新鮮な形でとらえたいと思っただけ。曲選びの基準って殆どなくって、<テンダリー>とか<ジー・ベイビー>なんかは僕がハイスクール時代から歌っていた曲だったし、お気に入りの曲にしたってくらいかな。本当に何の計画も準備もなく、6時間演奏しただけだったんだ。でも考えてみると昔の人たちなんて1日レコーディングしてアルバム2枚仕上げていたし、何の準備もしなかったよね。そんなやり方でレコーディングしたんだ。
——今回のアルバム『フォー・オール・ウィ・ノウ』は伝統的な素材をシンプルに演奏しつつも、新しい風も感じさせる仕上がりになっています。それは、あなたやジェフ・ニーヴが抱える今を生きるジャズマンとしての持ち味や矜持を伝えるものであると思いますが、いかがでしょう?
「そうだね。このアルバムは1957年に作られたようなアルバムにしようとは全く思っていなかったしね。そもそも、僕たちの使っているハーモニック・ランゲージ、つまりハーモニー的言語って違うからね。ジェフはどちらかというとキース・ジャレットとかハービー・ハンコックっぽいものを使っているし、ストレートアヘッドなものをやってみようなんても思っていなかった。それに、テクニックはクラシックのものだから、僕の中ではこのアルバムはクラシックで言うところのリサイタル、つまりジャズ・リサイタル、ヴォーカル・リサイタルだと思っているよ」
——ところで、今回どのような経緯で、米国のヴァーヴ/ユニヴァーサルと契約することになったのでしょう。
「ジェフがヨーロッパのユニヴァーサルと契約しているんだ。それでレコーディングした後に、彼があまりにも出来を気に入ったものだから、それをユニヴァーサルに渡したらユニヴァーサル側も気に入ってくれて、僕と契約を結んでくれたんだ。その後、ニューヨークのオフィスを通してヴァーヴとも話をしているうちに、ジャザノヴァのこと(08年作はヴァーヴ発で、ジェイムズのゲスト入り)もあって話が進んでいったから、時間の問題だったんだ。自分をアーティストと多くの人に紹介するにあたって、このアルバムはとても良いと思うよ」
——新作は(今はヴァーヴ/ユニヴァーサル内に権利がある)インパルス・レーベルを通してリリースされます。やはり、ジョン・コルトレーン他が在籍した同レーベルに対して思い入れはありますか?
「素晴らしいことだよ。とても光栄だし、夢がかなったよ。だってこのレーベルがまだ活動していると思ってもいなかったし、アリス・コルトレーンが最後にインパルスからアルバムを出したのが6年前だったからね。レーベルの歴史は知っているし、勿論60年代と同じレーベルではないことも理解しているよ。だからこそ、カタログに対しての敬意を、この2010年に払うことができる格好のチャンスだと思っているんだ」
——現在、ジョン・コルトレーンの曲をやるプロジェクトもあなたは持っているとお聞きしていますが、よければ教えてもらえますか?
「ライヴ・シリーズをやっているんだ。ヨーロッパではすでに4回開催していていて、ジェフも入っているよ。このプロジェクトそのものはまだ続いているんだけど、タイミングとオファーの問題でノース・シーでもやったんだ」
——実は、この『フォー・オール・ウィ・ノウ』はあなたにとってアメリカでは初のリリースになるんですよね。やはり、母国でありジャズを生んだ国でちゃんと認められたいという気持ちは持っていたりはしますか?
「正直言うと、あまりそうは感じていないんだ。僕は文化的には自分の文化という地に足をつけているから、特にどこかの国に住んでいるからどうと言うわけじゃないって思うんだよね。業界としては、確かにアメリカが最大の市場だとは思うよ。だけど、アメリカが一番すぐれているっていう考えは正しいって思わないんだ。日本にだってアメリカ人と同じくらい素晴らしいジャズ・ミュージシャンがいるけれど、アメリカ人じゃないからダメって言うわけじゃないだろう。才能は才能。練習と理解さえあれば、その音楽は認められるべきだと思うな」
——これから、どんな方向性で進んで行きたいと考えていますか? ブラウンズウッド・レーベル発の作品はクラブ・ミュージックのリスナーもターゲットにしていましたが、今後はもう少しジャズ側にシフトして活動していくつもりでしょうか? それとも、クラブ・ミュージック側も見た路線と純ジャズの両方向で行くつもりでしょうか?
「正直言って分からないね。事前にイメージしてしまうことって、自分を枠組みにあてはめてしまうことだから、そうしないようにしているんだ。僕は常に自分に難題を投げかけていきたい、って思っている。最終的にはどんな曲になるかにかかっているよね。ストレートアヘッドだろうと、スタンダードだろうと、ジャズだろうと、とにかくできるだけクリエイティヴになりたいね。どんな曲を書くのか、ソウルなのかジャズなのか、分からないし、方向性を決めてやっていく音楽のアプローチ方法って限界があるからね」
今年出された両者の完全デュオ作『フォー・オール・ウィ・ノウ』に基づく実演。異なる道を歩んできたシンガーとピアニストがジャズという流儀とスタンダード曲という素材を基にすうっと重なり合う。その余裕あるやりとりは丁々発止と言うほど火花を散らすわけではなく、淡白と書くにはいろいろなやりとりの妙あり。ときに、ジェイムズはとっても綺麗にシャウトする。
なるほどと思ったのは、二人とも、ジャズがメインストリーム/ポップ・ミュージックではなくなってから=観賞/芸術音楽の度合いが強くなってからジャズに触れたミュージシャンであるということ。ジャズ・ヴォーカル表現はジャズのヴァリエイションのなかでもっともエンターテインメント性を出す傾向にある表現だが、二人のパフォーマンスは見事にそういう行き方からは離れるものであったのもそれを物語る。これ見よがしな重なり方や客に媚びたり煽ったりするノリは皆無、ジャズはアートだと言わんばかりに、二人は清楚で真摯な重なりを持とうとしていた。
リクエストを受けてと言ってやった「ジョージア・オン・マイ・マインド」のニーヴの演奏には、その個性が明解にあらわれていたような。歌心をなるべくスポイルせずに、見事にコードの置き換えの連続でゆらゆらと演奏していく様は快感。彼はトリオを中心にいろいろプロジェクトを持っているが、グルーヴシングというサックス付きカルテットではハモンド・オルガンやキーボードを弾いて、私の考えるフュージョンをやっている。
ホセ・ジェイムズは、来年1月のブルーノート東京やモーション・ブルー・ヨコハマのマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日)の公演でまたやってくる。……のだが、なんとそれは、ジョン・コルトレーン唯一の歌伴作(だよな?)にして、隠れ名盤&癒し盤である『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』(インパルス、63年)の世界を求めんとする出し物とか。コルトレーンがピアノレス編成になる前にずっとつき合ったタイナーもとうぜん同作で弾いており、コルトレーン役はエリック・アレキサンダーが勤めるという。ジョン・コルトレーンの曲をやるライヴ・プロジェクトを持つなどコルトレーン大好きのジェイムズはそこでどうパフォーマンスするのか。
ついでと言ってはナンだが、この項目の末尾に『フォー・オール・ウィ・ノウ』発表に際し、2010年3月に行った電話インタヴューをのせておく。5,500字ぶん、ノーカット。一誌に短めの原稿を書いた際に抜粋使用しただけで、あとは眠っていたものです。彼の口からも、『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』の名前は出てきますね。
その後、南青山ブルーノート東京に移動、アース・ウィンド&ファイアー(2006年1月19日)のフロント・マンの公演を見る。やっぱり、確か。素晴らしかった。
EW&Fを離れてのリーダー活動も、フィル・コリンズと組んだ一般性の高いものからコンテンポラリー・ゴスペル作まで、80年代以降いろんな形で求めているフィリップ・ベイリーだが、ぼくが頭を垂れたくなるのは、02年にヘッズ・アップから出した『ソウル・オン・ジャズ』というアルバム。そこには、ジャズ曲やジャズ感覚をソウル側から見つめて編み直した、もう一つのアダルトなR&B表現がちゃんと提出されていたから。それで、ぼくが03年に見た彼の単独公演(2003年10月12日)はその路線とEW&Fの代表シンガーとしての姿を両立させた物だったが、今回もそれは同様だ。
前半はしっとり目の大人路線で、後半はイケイケ路線と書くことができようか。なんにせよ、まずおおっと思わせられたのは、バンドの質の高さ。西海岸の敏腕セッション・マンでベイリーの『ソウル・オン・ジャズ』やEW&Fの05年作にも関与しているマイロン・マッキンリー(ピアノ、キーボード)、モリス・オコナー(ギター、バック・ヴォーカル)、EW&Fのミュージック・ディレクターを勤め、西海岸系スムース・ジャズの敏腕プロデューサーでもあるモリス・プレジャー(ベース)、ルイス・ケイト(ドラム、バック・ヴォーカル)、フィリップ・ベイリーJr.(バック・ボーカル、キーボード、打楽器)という布陣。まあ息子はあまりいてもいなくてもという感じだった(03年来日時と比べると、髪型が立派に)が、他は本当に腕利き。ギター奏者とドラマーはそんなに知られる人じゃないが、その演奏には惚れ惚れ。マッキンリーもジャズ的な演奏からファンキーな指さばきまで自由自在。うひょお。そして、EW&Fではキーボードを担当するプレジャー(ヴァーディン・ホワイトがいますからね)はここではベース(電気アップライトと普通の電気ベースを併用)に専念していたのだが、それが非の打ち所なしでびっくり。もしかして、本来はベーシスト? EW&F曲をやったときの彼の指さばきに触れつつ、ヴァーディン・ホワイトは本当にメロディアスかつ妙な技ありベース・ラインで曲趣を盛り上げていたのだなとも、いたく再認識。
前半部は、ジャズ・スタンダードや今年ネット売りしている4曲入りEPからの曲(ボサ調曲もあり)などを流動性と広がりを持つ大人のゆったりソウル・ミュージックを展開。演奏パートもたっぷり取り、その際にベイリーは打楽器を叩いたりもするが、ぼくはそれに触れながら、オルタナティヴな大人のフュージョンといった感じがある演奏部だけでもぼくは満足できると思ったりも。途中に挟まれたEW&F曲「ファンタジー」ももう一つの誘いを新たに得ていた。
実はマジにそのゆったり路線だけでショウを続けてくれたならとぼくはショウを見ていて思いもしたのだが、「シャイニング・スター」や「セプテンバー」などEW&F曲(どうして、どれもこれも起爆力抜群なんだろう)や「チャイニーズ・ウォール」や「イージー・ラヴァー」など80年代のソロ活動曲などが繰り出されると、それはそれで多いに浮かれ、楽しめちゃう。……一粒で、2つぶんおいしいショウでした。
■付録 ホセ・ジェイムズ・インタヴュー(2010年3月)
——現在はロンドンに住んでいるんですか?
「一時的にロンドンに住んでいるけど、ベースがどこかって言ったら何処でもないかな」
——あなたは中学生のころからジャズに親しんでいたようですが、そのきっかけは? 周りの友達でジャズを聞いていた人は少なかったでしょう?
「友達は皆ニルヴァーナとか、ロック、ヒップホップとか、ジャズ以外のものなら何でも聴いていたな。僕は90年代のヒップホップのサンプリングに結構ひかれたんだ。ジャズを初めて聴いたのは14歳の時、デューク・エリントンの<A列車で行こう>だったんだけど、それに魅了されたんだ。そこから自分でチャーリー・パーカーにはじまって、デューク・エリントン、ルイ・アームストロングなんかの巨匠たちの音楽を自分から求めていくようになったんだ。
——あなたはジャズの何にひかれたのでしょう?
「クラシック以外に、ジャズほど感情にあふれていて、複雑なハーモニーをもち、そしていろいろ探究できる音楽はないと思うんだ。深みもあるし、クリエイティヴなエネルギーに満ちている音楽だと思うよ」
——もっとも影響を受けたジャズ歌手というとどういう人が挙げられますか?
「ナット・キング・コール、ジョンとアリス・コルトレーン。あとは実のところ、ホーン奏者に一番影響を受けたかな。チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、そしてジョン・コルトレーンはやっぱり革新者だよね」
——一方で、ポップ・ミュージックにも影響を受けたアーティストはいますか。
「ソウルに結構影響を受けたかな。ディアンジェロも大好きだし、あとはマーヴィン・ゲイ、アル・グリーン。新しい音楽だとラップだね。デ・ラ・ソウルはものすごいクリエイティヴィティだよ。でも僕は正直なところあまり最近の音楽に影響は受けていないんだよね。どちらかというと、ジャズの観点から見ちゃうんだよね。だからディジー・ガレスピーっぽいな、とか、チャーリー・パーカーっぽいな、ってそういうつながりから見てしまうんだ」
——いままで、「転機」と言えるものがあったりしますか?
「2つある。1つは、アーティストとしてレコーディングを初めてしたとき。それは(ジャイルズ・ピーターソンの)ブラウンズウッド・レーベルと契約をして、『ザ・ドリーマー』をレコーディングしたときのこと。アルバムを丸々、しかも質の高いものを作れたことは本当に夢が叶ったことだよね。2つ目は2008年にノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルに参加したときだね。フェスティヴァルに参加した時は、音楽が伝えることのできるメッセージが余りにもパワフルだって言うことに気づいたんだ。それまでオランダに行ったことはなかったんだけど、その時に大観客の前で自分の音楽、コルトレーンがやっていたような音楽ができたことに感激した。音楽って国境がないものだし、皆から敬愛をたっぷり受ける経験ができたっていうのは本当に大きかったね」
——今振り返ると、ブラウンズウッド・レーベルからあなたが発表した『ザ・ドリーマー』や『ブラックマジック』はどういうアルバムだと思いますか?
「『ザ・ドリーマー』で、プロデューサーたちは本当に僕のために大きな冒険をしてくれたと思うね。どんなアルバムになるかは全く分からなかったし、反応がどんなものになるか見当もつかなかったから、生涯たった一枚のアルバムになるつもりで作ったんだ。だからとにかく自分が満足いくもの、後悔しないものにしたかった。自分から見ればとても純粋なアルバム。使いたいミュージシャンは皆使ったし、曲も自分がやりたいって思う曲しか入っていないよ。曲そのものはヒップホップのループが入っていたりして、ジャズっぽいループになっていると思う。そして、『ブラックマジック』はヒップホップ、そしてダンス畑のプロデューサーを起用し、僕自身が新しい世界に入って自分の音楽を広げようとした作品。だから作曲の仕方も違うものだったね。まあ、まとめて言うならば、デビュー作はヒップホップをジャズの世界に引っ張ってくる感じで、2枚目はジャズをヒップホップの世界に持ち込むようなアルバムって言えると思うよ」
——そして、今度出るあなたのアルバムはジェフ・ニーヴとの共演作です。彼とはどうやって知り合ったのでしょう?
「ジェフはブリュッセルのラジオ・クララというラジオ局で番組を持っていて、僕がプロモーションで彼の番組に出たんだ。番組の最後で二人で共演してしめる形だったんだよ。で、番組のリスナーって保守的な人が多いからスタンダードを演奏することになったんだ。<ラッシュ・ライフ>をやったんだけど、とても難しい曲だったにも関わらず、そして準備もしていなかったにも関わらず、完璧な出来だった。その直後に、また違うショーで会って、その時は<エンブレイサブル・ユー>をやったら、それも上出来だった。それで、演奏のあの雰囲気をどうしてもとらえたくなってね。次の日は僕もオフだったからとにかく何かスタジオでやろうよ、ってなんたんだよ」
——ジェフのどんなところが優れていると思っていますか?
「彼は本当に素晴らしい、才能溢れるピアニストだよね。長年やってきたなかで、職人芸を培ってきた人。僕とは違う音楽的繊細さを持ち合わせている。特に彼はもともとクラシック畑出身で、そこからヨーロッパ・ジャズに入っているからね。だから、このアルバムはお互いがお互いを補い合っていると思うんだ。彼は西洋的なクラシック・ジャズで、僕がアフリカ的なアメリカ・ジャズだからね。面白いコントラストになっていると思うよ」
——アルバムはプロデューサーも立てずに一発録りでレコーディングされたとの事ですが、それは、まさにジャズですね。
「そうだね。あのエネルギーをとらえたいって思っていたからね。チコ・ハミルトンとか僕がいろいろ教わってきたミュージシャンたちは、ファースト・テイクが一番気持ちが生きているって教えてくれた。技巧的なものとかそれ以外のものは二の次だとね。だから、全部のトラックでファースト・テイクがいかされているんだ。感情、気持ちこそジャズの意義。その瞬間における表現こそ、自分がどう感じたかこそがジャズなんだ。音楽的技術とかはそれとは異なるレベルの概念だと思うよ」
——実際にレコーディングはどんな感じで進んだのでしょう。
「とにかく自然発生的なアルバムだっていうこと。ラジオ出演した翌日にレコーディングされたわけだからね。僕には10年歌いこんできた曲ばかりだったけれど、ジェフとしては何がくるか分かっていなかったし、準備はしていかなかったからね。だからジェフはその場で曲を覚えながら演奏していたんだ。凄くアレンジされているんじゃないか、って聴く人は思うかもしれないけどね。確かに僕自身が指揮をとってイントロはもっと長く、とか、演奏は続けて、とか指示はしたから、とにかくジェフとしてはどの方向に進んでいるのかを鋭敏に感じ取らなければならなかったんだ。その先で何が起こるか分からないものだったから、とにかく先を読む方向感覚は必須だった」
——デュオ編成のジャズ・アルバムで、あなたが特別に感じている作品はあったりしますか?
「特にないね。ジョニー・ハートマンとジョン・コルトレーンのアルバムは好きだけれど。あまりデュオって好きじゃないんだ。それに、実は他のシンガーのアルバムって滅多に聴かないからね。他のシンガー、聴くとしたら全然違う分野の人。たとえばマリア・カラスとか。音楽って何処か別の場所に連れて行ってくれるべきものだと思うんだよね。だから多分他のアーティストとかもそうだと思うんだけど、自分と同じ楽器のアーティストってどうしても批評しながら聞いちゃうから、リラックスして聞くことができないんだ。聞くとしたらクラシックの歌手とか、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、ボブ・マーリーあたりかな」
——あなたは優れたソングライターでもありますが、今回はジャズのスタンダード・ナンバーを選んでいます。その選曲意図は?
「自分の曲をやっていたら珍妙なアルバムになってしまっただろうから、スタンダードばかりになったんだ。ジャズのスタンダードをクールに、そして新鮮な形でやりたかったし、それこそは僕たちにぴったりじゃないかな、って思った。それにこのレコーディングは、アルバムとして発表される意図はもともと全くなかったんだよ。2人の間で生まれた魔法を、新鮮な形でとらえたいと思っただけ。曲選びの基準って殆どなくって、<テンダリー>とか<ジー・ベイビー>なんかは僕がハイスクール時代から歌っていた曲だったし、お気に入りの曲にしたってくらいかな。本当に何の計画も準備もなく、6時間演奏しただけだったんだ。でも考えてみると昔の人たちなんて1日レコーディングしてアルバム2枚仕上げていたし、何の準備もしなかったよね。そんなやり方でレコーディングしたんだ。
——今回のアルバム『フォー・オール・ウィ・ノウ』は伝統的な素材をシンプルに演奏しつつも、新しい風も感じさせる仕上がりになっています。それは、あなたやジェフ・ニーヴが抱える今を生きるジャズマンとしての持ち味や矜持を伝えるものであると思いますが、いかがでしょう?
「そうだね。このアルバムは1957年に作られたようなアルバムにしようとは全く思っていなかったしね。そもそも、僕たちの使っているハーモニック・ランゲージ、つまりハーモニー的言語って違うからね。ジェフはどちらかというとキース・ジャレットとかハービー・ハンコックっぽいものを使っているし、ストレートアヘッドなものをやってみようなんても思っていなかった。それに、テクニックはクラシックのものだから、僕の中ではこのアルバムはクラシックで言うところのリサイタル、つまりジャズ・リサイタル、ヴォーカル・リサイタルだと思っているよ」
——ところで、今回どのような経緯で、米国のヴァーヴ/ユニヴァーサルと契約することになったのでしょう。
「ジェフがヨーロッパのユニヴァーサルと契約しているんだ。それでレコーディングした後に、彼があまりにも出来を気に入ったものだから、それをユニヴァーサルに渡したらユニヴァーサル側も気に入ってくれて、僕と契約を結んでくれたんだ。その後、ニューヨークのオフィスを通してヴァーヴとも話をしているうちに、ジャザノヴァのこと(08年作はヴァーヴ発で、ジェイムズのゲスト入り)もあって話が進んでいったから、時間の問題だったんだ。自分をアーティストと多くの人に紹介するにあたって、このアルバムはとても良いと思うよ」
——新作は(今はヴァーヴ/ユニヴァーサル内に権利がある)インパルス・レーベルを通してリリースされます。やはり、ジョン・コルトレーン他が在籍した同レーベルに対して思い入れはありますか?
「素晴らしいことだよ。とても光栄だし、夢がかなったよ。だってこのレーベルがまだ活動していると思ってもいなかったし、アリス・コルトレーンが最後にインパルスからアルバムを出したのが6年前だったからね。レーベルの歴史は知っているし、勿論60年代と同じレーベルではないことも理解しているよ。だからこそ、カタログに対しての敬意を、この2010年に払うことができる格好のチャンスだと思っているんだ」
——現在、ジョン・コルトレーンの曲をやるプロジェクトもあなたは持っているとお聞きしていますが、よければ教えてもらえますか?
「ライヴ・シリーズをやっているんだ。ヨーロッパではすでに4回開催していていて、ジェフも入っているよ。このプロジェクトそのものはまだ続いているんだけど、タイミングとオファーの問題でノース・シーでもやったんだ」
——実は、この『フォー・オール・ウィ・ノウ』はあなたにとってアメリカでは初のリリースになるんですよね。やはり、母国でありジャズを生んだ国でちゃんと認められたいという気持ちは持っていたりはしますか?
「正直言うと、あまりそうは感じていないんだ。僕は文化的には自分の文化という地に足をつけているから、特にどこかの国に住んでいるからどうと言うわけじゃないって思うんだよね。業界としては、確かにアメリカが最大の市場だとは思うよ。だけど、アメリカが一番すぐれているっていう考えは正しいって思わないんだ。日本にだってアメリカ人と同じくらい素晴らしいジャズ・ミュージシャンがいるけれど、アメリカ人じゃないからダメって言うわけじゃないだろう。才能は才能。練習と理解さえあれば、その音楽は認められるべきだと思うな」
——これから、どんな方向性で進んで行きたいと考えていますか? ブラウンズウッド・レーベル発の作品はクラブ・ミュージックのリスナーもターゲットにしていましたが、今後はもう少しジャズ側にシフトして活動していくつもりでしょうか? それとも、クラブ・ミュージック側も見た路線と純ジャズの両方向で行くつもりでしょうか?
「正直言って分からないね。事前にイメージしてしまうことって、自分を枠組みにあてはめてしまうことだから、そうしないようにしているんだ。僕は常に自分に難題を投げかけていきたい、って思っている。最終的にはどんな曲になるかにかかっているよね。ストレートアヘッドだろうと、スタンダードだろうと、ジャズだろうと、とにかくできるだけクリエイティヴになりたいね。どんな曲を書くのか、ソウルなのかジャズなのか、分からないし、方向性を決めてやっていく音楽のアプローチ方法って限界があるからね」