『宮古島の神歌と古謡2010』
2010年12月4日 音楽 沖縄本島とかとはまた別な言葉やノリを持つらしい宮古島、およびその周辺の島にずっと昔から口承されてきた、途絶えつつもある歌をお聞かせしましょうという、催し。プロデュース/ナヴィゲイトは久保田麻琴(2009年10月12日、他)。内外を問わずいろんなところのフィールドワーク/再構築作品にもいろいろ冴えを見せる彼〜その最初の探索は米国ルーツ系ロックであったと捉えることができるのか〜は、出演者ごとに説明も加える。話には、サラーム海上も加わる。
法政大学市ヶ谷キャンパス内・外濠校舎/薩埵ホール。1000人ぐらいは入りそうな座席は全席階段状となっている、結構立派なホール。その校舎入り口の横のほうには、青色ダイオードによる光ディスプレイが少し小洒落た感じで施されていたりも(いまや、左翼の立て看板はさすがなかったような)。それ、クリスマス・シーズンだけなのかな? この大学の社会学部は労働組合幹部養成のための機関だなんて、大昔は言われていたものだが、今はどうなのか。そういえば、かつて法政大学のある広い教場は一般公開の変テコ音楽イヴェントに良く使われていて(それは学生組織の自主管理?)、ぼくが最初にビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)の演奏に触れたのもそこでだった。84年のことだったっけ?
広いステージにはマイク・スタンドと楽譜台(置いていた人が多かった)以外は何もなく、みんな独唱。伝えられてきた曲は神事の際に歌われる神歌と、労働歌や生活者の機微を歌ったものがあるらしく、今回はそれら両方を欲張りに聞けてしまうよう。神歌を歌う出演者はそちらだけを歌うようだが、新奇な外国語のようにぼくの耳には滑らかな幾何学的音声のように歌詞も聞こえてしまうし、その区別はぼくにはよく解らない。
出演者は5組。多良間島の浜川春子と宮古島上野地区の宮国マツ、宮古島狩俣地区の狩俣ヒデのお三方はかなりお年を召されているようで、貴重な伝承者のよう。唯一の男性出演者である仲本光正は宮古島西原地区出身で、今は東京在住とか。彼は1曲三線を弾いて歌ったりも。そして、最後に登場したのは、伊良部島佐良浜地区の5人の女性たちによるハーニーズ佐良浜。鳴りものを手にする人もいた彼女たちの表現は一番親しみ易いアピール性も持っていて、最後の方は前は盆踊りノリのダンス大会になった。
本来の楽曲は相当長いものらしく、出演者たちははしょって歌ったよう(といっても、みんな1曲10分は超えていたか)。現地でやるときは、とことん長くやるよう。皆、曲が終わると、「終わりです」と言う。うぬ、とにかく体験。沖縄本島の一部分しか行ったこともないし、まっさらな気持ちで触れるのみ。少し、沖縄民謡の旋律を思い出させる部分もなくはないが、気分はとっても初体験……。あ、あと島で育まれた個性豊かなアカペラ表現ということで、ア・フィレッタ(2010年8月25日、9月4日)のことも少し思い出す。
話は飛ぶが、今年聞いてけっこうびっくりしたのが、久保田麻琴が高円寺の阿波踊りチーム群をホールで録音した2枚組アルバム『ぞめき』。そこには、もうブラジルのサンバ隊やニューオーリンズのセカンド・ラインを想起させる魅惑的な躍動や喧噪や動的感覚/流れがあって、わあ。それから見ると、この晩のパフォーマンスは普通のポップ・ミュージックの耳では対応しきれないところがあるが、それゆえ普段は触れられないものを聞けているという気持ちを増幅させるのは間違いない。そして、それが、海を挟んでけっこう離れているとはいえ、今は同じ国であるという事実にも、不思議な感興をかきたてられはしまいか。なんか、身体の中にある好奇心やセンサーにいろいろ刺激された。やっぱり、人間の生活と音楽のかかわりって、おもしろすぎ。
終わった後に、大人数で流れたが、普段の酒席よりは少しアカデミックだった? こたあ、ないか。民俗学者の谷川健一さん(ゲスト・スピーカーとして途中で出てきた)の話が聞けたのに、とっても感激していた人も。とても、有名な方らしい。
法政大学市ヶ谷キャンパス内・外濠校舎/薩埵ホール。1000人ぐらいは入りそうな座席は全席階段状となっている、結構立派なホール。その校舎入り口の横のほうには、青色ダイオードによる光ディスプレイが少し小洒落た感じで施されていたりも(いまや、左翼の立て看板はさすがなかったような)。それ、クリスマス・シーズンだけなのかな? この大学の社会学部は労働組合幹部養成のための機関だなんて、大昔は言われていたものだが、今はどうなのか。そういえば、かつて法政大学のある広い教場は一般公開の変テコ音楽イヴェントに良く使われていて(それは学生組織の自主管理?)、ぼくが最初にビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)の演奏に触れたのもそこでだった。84年のことだったっけ?
広いステージにはマイク・スタンドと楽譜台(置いていた人が多かった)以外は何もなく、みんな独唱。伝えられてきた曲は神事の際に歌われる神歌と、労働歌や生活者の機微を歌ったものがあるらしく、今回はそれら両方を欲張りに聞けてしまうよう。神歌を歌う出演者はそちらだけを歌うようだが、新奇な外国語のようにぼくの耳には滑らかな幾何学的音声のように歌詞も聞こえてしまうし、その区別はぼくにはよく解らない。
出演者は5組。多良間島の浜川春子と宮古島上野地区の宮国マツ、宮古島狩俣地区の狩俣ヒデのお三方はかなりお年を召されているようで、貴重な伝承者のよう。唯一の男性出演者である仲本光正は宮古島西原地区出身で、今は東京在住とか。彼は1曲三線を弾いて歌ったりも。そして、最後に登場したのは、伊良部島佐良浜地区の5人の女性たちによるハーニーズ佐良浜。鳴りものを手にする人もいた彼女たちの表現は一番親しみ易いアピール性も持っていて、最後の方は前は盆踊りノリのダンス大会になった。
本来の楽曲は相当長いものらしく、出演者たちははしょって歌ったよう(といっても、みんな1曲10分は超えていたか)。現地でやるときは、とことん長くやるよう。皆、曲が終わると、「終わりです」と言う。うぬ、とにかく体験。沖縄本島の一部分しか行ったこともないし、まっさらな気持ちで触れるのみ。少し、沖縄民謡の旋律を思い出させる部分もなくはないが、気分はとっても初体験……。あ、あと島で育まれた個性豊かなアカペラ表現ということで、ア・フィレッタ(2010年8月25日、9月4日)のことも少し思い出す。
話は飛ぶが、今年聞いてけっこうびっくりしたのが、久保田麻琴が高円寺の阿波踊りチーム群をホールで録音した2枚組アルバム『ぞめき』。そこには、もうブラジルのサンバ隊やニューオーリンズのセカンド・ラインを想起させる魅惑的な躍動や喧噪や動的感覚/流れがあって、わあ。それから見ると、この晩のパフォーマンスは普通のポップ・ミュージックの耳では対応しきれないところがあるが、それゆえ普段は触れられないものを聞けているという気持ちを増幅させるのは間違いない。そして、それが、海を挟んでけっこう離れているとはいえ、今は同じ国であるという事実にも、不思議な感興をかきたてられはしまいか。なんか、身体の中にある好奇心やセンサーにいろいろ刺激された。やっぱり、人間の生活と音楽のかかわりって、おもしろすぎ。
終わった後に、大人数で流れたが、普段の酒席よりは少しアカデミックだった? こたあ、ないか。民俗学者の谷川健一さん(ゲスト・スピーカーとして途中で出てきた)の話が聞けたのに、とっても感激していた人も。とても、有名な方らしい。