デイヴィッド・サンボーン
2010年12月1日 音楽 人気アルト・サックス奏者(2003年7月18日、他)、トリオによる公演。ベース音も担当するオルガン奏者のジョーイ・デフランシスコ(まだ10代だった80年代後期に、ジャズ・オルガンの神童登場みたいな紹介のされ方でコロムビアが送り出したっけなー)とスティーヴ・ガッド(2004年1月27日)がサポート。近年ガッドはデフランセスコを擁するカルテットで活動し、インディからライヴ作も出していますね。六本木・ビルボードライブ東京。
オルガン・トリオでカジュアルに突っ走るというお題目があったのか、今回は今回でなかなか新鮮なステージ運びではなかったか。まず、取り上げる曲は基本ブルージーな、アーシー系曲。で、サンボーンと言えば、ひっかかりと歌心がありまくりの焦点が定まったメロディアスなソロを取るというイメージが強いが、この晩はごんごん吹き流し、けっこう生理的に左側にあると言いたくなる吹き口を披露したりも。おお。確か2曲ではデフランセスコがヴォーカルを取り、うち1曲はサンボーンも掛け合いのヴォーカルをうれしそうに入れる。ほお、彼のヴォーカルは初めて聞くな。もう一つの、うれしいサンボーンがこの日はいた。なんだかんだ、ぼくは彼のファンだなーとも再確認。
オルガン・トリオでカジュアルに突っ走るというお題目があったのか、今回は今回でなかなか新鮮なステージ運びではなかったか。まず、取り上げる曲は基本ブルージーな、アーシー系曲。で、サンボーンと言えば、ひっかかりと歌心がありまくりの焦点が定まったメロディアスなソロを取るというイメージが強いが、この晩はごんごん吹き流し、けっこう生理的に左側にあると言いたくなる吹き口を披露したりも。おお。確か2曲ではデフランセスコがヴォーカルを取り、うち1曲はサンボーンも掛け合いのヴォーカルをうれしそうに入れる。ほお、彼のヴォーカルは初めて聞くな。もう一つの、うれしいサンボーンがこの日はいた。なんだかんだ、ぼくは彼のファンだなーとも再確認。
ヴィンセント・ギャロ
2010年12月2日 音楽 俳優、監督、画家しても活動、音楽プロダクツはワープ・レコードを通してリリースしている、いろんな才をアピールする人物。レーザーのジャンパーとパンツを身につけた彼はまあすらり長身、62年生まれというが、格好良さは保っているかな。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ、満席。
フジ・ロックには2度やってきているはずだが、ぼくは今回はじめて彼を見る。なるほど、こんなん。ニコ・ターナーという少年ぽい女性ドラマー(鍵盤をさわるときも。会場で会った知人は、フジの時も同行していたと言っていた)とマニー・マーク(2005年5月25日、他)とも付き合いを持つウッディ・ジャクソン(鍵盤、電気ベース、電気ギター)、二人の奏者を共にするステージ。当人はギターやベースなどを手にし、ゆったりミニマル・ミュージック風の和みインストや漂うヴォーカル曲を淡々と披露。メロトロンを弾く時もあったし、終盤の曲ではドラムを叩いた。
そんな彼、照れ屋であるのか基本は客に背を向け、MCもしない。だが、ブルーノートのような手頃な大きさの会場で、皆着席して落ち着いて見ることができる場だと、それもあり。彼の一挙一動をじっくり見守るという感じもあったし、ある種の風情ある空間がぽっかり浮かび上がるような感じもあったはず。無頼漢のようでいながら歌は中性詠唱的で、チェット・ベイカーを思い出す人もいるだろう。ヴォーカル曲の場合はスタンダードの「ムーン・リヴァー」やキング・クリムゾンの「ムーンチャイルド」も歌った。
感覚派らしいところは、随所に。でも、ツッパった感じや無理な感じは皆無。そんな彼の様に触れながら、90年代後期の年末にプロモ来日したことがあったよなと思い出す。インタヴューの話が来たことがあったが、その日時が12月24日の夕方で、浮事を優先させ、後ろ髪ひかれつつ断ったことがありました。
フジ・ロックには2度やってきているはずだが、ぼくは今回はじめて彼を見る。なるほど、こんなん。ニコ・ターナーという少年ぽい女性ドラマー(鍵盤をさわるときも。会場で会った知人は、フジの時も同行していたと言っていた)とマニー・マーク(2005年5月25日、他)とも付き合いを持つウッディ・ジャクソン(鍵盤、電気ベース、電気ギター)、二人の奏者を共にするステージ。当人はギターやベースなどを手にし、ゆったりミニマル・ミュージック風の和みインストや漂うヴォーカル曲を淡々と披露。メロトロンを弾く時もあったし、終盤の曲ではドラムを叩いた。
そんな彼、照れ屋であるのか基本は客に背を向け、MCもしない。だが、ブルーノートのような手頃な大きさの会場で、皆着席して落ち着いて見ることができる場だと、それもあり。彼の一挙一動をじっくり見守るという感じもあったし、ある種の風情ある空間がぽっかり浮かび上がるような感じもあったはず。無頼漢のようでいながら歌は中性詠唱的で、チェット・ベイカーを思い出す人もいるだろう。ヴォーカル曲の場合はスタンダードの「ムーン・リヴァー」やキング・クリムゾンの「ムーンチャイルド」も歌った。
感覚派らしいところは、随所に。でも、ツッパった感じや無理な感じは皆無。そんな彼の様に触れながら、90年代後期の年末にプロモ来日したことがあったよなと思い出す。インタヴューの話が来たことがあったが、その日時が12月24日の夕方で、浮事を優先させ、後ろ髪ひかれつつ断ったことがありました。
スタンリー・クラーク・トリオ
2010年12月3日 音楽 大笑い。もう、跳ねっ返りまくり。電気エフェクターを通した音を採用し、ブーンブーンぶいぶい弾きまくるクラークにつられ(?)、他の二者もごんごん突っ走る(あ、ドラムはマイペースだったか)。コクはなし、妙なぶっちぎり感とバカバカしさあり。60歳近いクラークではあるが、その歳をものともしないというか、デビュー時の分別のなさをの失わない、暴走の様には笑うしかないではないか。ぼくは、このアコースティック編成によるピアノ・トリオの実演を純ジャズとしては聞けませんったら。
電気/アコースティック両刀の大御所ベーシスト(2008年9月8日)、アルバムがそうであったように、上原ひろみ(2009年9月5日、他)とレニー・ホワイト(2010年9月1日)を伴った編成によるショウ。スターターはセロニアス・モンク曲、なり。レニーはスネアやハイハットを通常とは逆サイドにおくのだな。
そんなわけで、グランド・ピアノに専念する上原も終始弾ける。興が乗ればこれまでもやってきたのだろうが、肘や拳でがんがん鍵盤を叩く姿、ぼくは初めて見たような。終盤、かなり滅茶苦茶というか、Pe’z(2009年10月29日、他)のヒイズミ(2008年4月6日)のような弾き口を見せたが、ミストーンが一切ないように聞こえ、あっち側を行く場合でも完全に全ての音を掌握していると思わせるところが彼女らしい。リズム感の良さも改めて認識させられもしたけど、本当に彼女は見る者に働きかけ、感情移入をべらぼうに誘う美点を有していると思わずにはいられず。書き遅れたが、ソロを取る割合は当然、上原がダントツで長い。ある意味、このトリオはアコースティック・ピアノにおける“やんちゃ上原”を受け取るにはおおいに吉と言えるはず。
本編最後の2曲(うち、1曲はクラークも参画していたリターン・トゥ・フォーエヴァーの「ノー・ミステリー」)は4人の日本人管奏者も加わり、セクション音/ソロもつける。アンコールで初めて、クラークは電気ベースを手にし、まさに力づくの演奏を披露。今回のパフォーマンス、別にずっと電気を弾いていてもそんなに落差はないはずで、そうしたほうがより押し出しは強くなり、よかったのでは。ジャズ表現におけるエレクトリック・ベース使用をおおいに嫌うぼくではありますが、そうしっかり感じた。あ、それは、先に書いたように、純ジャズとしてはこのトリオを聞けなかったからかもしれない。渋谷・オーチャードホール。
電気/アコースティック両刀の大御所ベーシスト(2008年9月8日)、アルバムがそうであったように、上原ひろみ(2009年9月5日、他)とレニー・ホワイト(2010年9月1日)を伴った編成によるショウ。スターターはセロニアス・モンク曲、なり。レニーはスネアやハイハットを通常とは逆サイドにおくのだな。
そんなわけで、グランド・ピアノに専念する上原も終始弾ける。興が乗ればこれまでもやってきたのだろうが、肘や拳でがんがん鍵盤を叩く姿、ぼくは初めて見たような。終盤、かなり滅茶苦茶というか、Pe’z(2009年10月29日、他)のヒイズミ(2008年4月6日)のような弾き口を見せたが、ミストーンが一切ないように聞こえ、あっち側を行く場合でも完全に全ての音を掌握していると思わせるところが彼女らしい。リズム感の良さも改めて認識させられもしたけど、本当に彼女は見る者に働きかけ、感情移入をべらぼうに誘う美点を有していると思わずにはいられず。書き遅れたが、ソロを取る割合は当然、上原がダントツで長い。ある意味、このトリオはアコースティック・ピアノにおける“やんちゃ上原”を受け取るにはおおいに吉と言えるはず。
本編最後の2曲(うち、1曲はクラークも参画していたリターン・トゥ・フォーエヴァーの「ノー・ミステリー」)は4人の日本人管奏者も加わり、セクション音/ソロもつける。アンコールで初めて、クラークは電気ベースを手にし、まさに力づくの演奏を披露。今回のパフォーマンス、別にずっと電気を弾いていてもそんなに落差はないはずで、そうしたほうがより押し出しは強くなり、よかったのでは。ジャズ表現におけるエレクトリック・ベース使用をおおいに嫌うぼくではありますが、そうしっかり感じた。あ、それは、先に書いたように、純ジャズとしてはこのトリオを聞けなかったからかもしれない。渋谷・オーチャードホール。
『宮古島の神歌と古謡2010』
2010年12月4日 音楽 沖縄本島とかとはまた別な言葉やノリを持つらしい宮古島、およびその周辺の島にずっと昔から口承されてきた、途絶えつつもある歌をお聞かせしましょうという、催し。プロデュース/ナヴィゲイトは久保田麻琴(2009年10月12日、他)。内外を問わずいろんなところのフィールドワーク/再構築作品にもいろいろ冴えを見せる彼〜その最初の探索は米国ルーツ系ロックであったと捉えることができるのか〜は、出演者ごとに説明も加える。話には、サラーム海上も加わる。
法政大学市ヶ谷キャンパス内・外濠校舎/薩埵ホール。1000人ぐらいは入りそうな座席は全席階段状となっている、結構立派なホール。その校舎入り口の横のほうには、青色ダイオードによる光ディスプレイが少し小洒落た感じで施されていたりも(いまや、左翼の立て看板はさすがなかったような)。それ、クリスマス・シーズンだけなのかな? この大学の社会学部は労働組合幹部養成のための機関だなんて、大昔は言われていたものだが、今はどうなのか。そういえば、かつて法政大学のある広い教場は一般公開の変テコ音楽イヴェントに良く使われていて(それは学生組織の自主管理?)、ぼくが最初にビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)の演奏に触れたのもそこでだった。84年のことだったっけ?
広いステージにはマイク・スタンドと楽譜台(置いていた人が多かった)以外は何もなく、みんな独唱。伝えられてきた曲は神事の際に歌われる神歌と、労働歌や生活者の機微を歌ったものがあるらしく、今回はそれら両方を欲張りに聞けてしまうよう。神歌を歌う出演者はそちらだけを歌うようだが、新奇な外国語のようにぼくの耳には滑らかな幾何学的音声のように歌詞も聞こえてしまうし、その区別はぼくにはよく解らない。
出演者は5組。多良間島の浜川春子と宮古島上野地区の宮国マツ、宮古島狩俣地区の狩俣ヒデのお三方はかなりお年を召されているようで、貴重な伝承者のよう。唯一の男性出演者である仲本光正は宮古島西原地区出身で、今は東京在住とか。彼は1曲三線を弾いて歌ったりも。そして、最後に登場したのは、伊良部島佐良浜地区の5人の女性たちによるハーニーズ佐良浜。鳴りものを手にする人もいた彼女たちの表現は一番親しみ易いアピール性も持っていて、最後の方は前は盆踊りノリのダンス大会になった。
本来の楽曲は相当長いものらしく、出演者たちははしょって歌ったよう(といっても、みんな1曲10分は超えていたか)。現地でやるときは、とことん長くやるよう。皆、曲が終わると、「終わりです」と言う。うぬ、とにかく体験。沖縄本島の一部分しか行ったこともないし、まっさらな気持ちで触れるのみ。少し、沖縄民謡の旋律を思い出させる部分もなくはないが、気分はとっても初体験……。あ、あと島で育まれた個性豊かなアカペラ表現ということで、ア・フィレッタ(2010年8月25日、9月4日)のことも少し思い出す。
話は飛ぶが、今年聞いてけっこうびっくりしたのが、久保田麻琴が高円寺の阿波踊りチーム群をホールで録音した2枚組アルバム『ぞめき』。そこには、もうブラジルのサンバ隊やニューオーリンズのセカンド・ラインを想起させる魅惑的な躍動や喧噪や動的感覚/流れがあって、わあ。それから見ると、この晩のパフォーマンスは普通のポップ・ミュージックの耳では対応しきれないところがあるが、それゆえ普段は触れられないものを聞けているという気持ちを増幅させるのは間違いない。そして、それが、海を挟んでけっこう離れているとはいえ、今は同じ国であるという事実にも、不思議な感興をかきたてられはしまいか。なんか、身体の中にある好奇心やセンサーにいろいろ刺激された。やっぱり、人間の生活と音楽のかかわりって、おもしろすぎ。
終わった後に、大人数で流れたが、普段の酒席よりは少しアカデミックだった? こたあ、ないか。民俗学者の谷川健一さん(ゲスト・スピーカーとして途中で出てきた)の話が聞けたのに、とっても感激していた人も。とても、有名な方らしい。
法政大学市ヶ谷キャンパス内・外濠校舎/薩埵ホール。1000人ぐらいは入りそうな座席は全席階段状となっている、結構立派なホール。その校舎入り口の横のほうには、青色ダイオードによる光ディスプレイが少し小洒落た感じで施されていたりも(いまや、左翼の立て看板はさすがなかったような)。それ、クリスマス・シーズンだけなのかな? この大学の社会学部は労働組合幹部養成のための機関だなんて、大昔は言われていたものだが、今はどうなのか。そういえば、かつて法政大学のある広い教場は一般公開の変テコ音楽イヴェントに良く使われていて(それは学生組織の自主管理?)、ぼくが最初にビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)の演奏に触れたのもそこでだった。84年のことだったっけ?
広いステージにはマイク・スタンドと楽譜台(置いていた人が多かった)以外は何もなく、みんな独唱。伝えられてきた曲は神事の際に歌われる神歌と、労働歌や生活者の機微を歌ったものがあるらしく、今回はそれら両方を欲張りに聞けてしまうよう。神歌を歌う出演者はそちらだけを歌うようだが、新奇な外国語のようにぼくの耳には滑らかな幾何学的音声のように歌詞も聞こえてしまうし、その区別はぼくにはよく解らない。
出演者は5組。多良間島の浜川春子と宮古島上野地区の宮国マツ、宮古島狩俣地区の狩俣ヒデのお三方はかなりお年を召されているようで、貴重な伝承者のよう。唯一の男性出演者である仲本光正は宮古島西原地区出身で、今は東京在住とか。彼は1曲三線を弾いて歌ったりも。そして、最後に登場したのは、伊良部島佐良浜地区の5人の女性たちによるハーニーズ佐良浜。鳴りものを手にする人もいた彼女たちの表現は一番親しみ易いアピール性も持っていて、最後の方は前は盆踊りノリのダンス大会になった。
本来の楽曲は相当長いものらしく、出演者たちははしょって歌ったよう(といっても、みんな1曲10分は超えていたか)。現地でやるときは、とことん長くやるよう。皆、曲が終わると、「終わりです」と言う。うぬ、とにかく体験。沖縄本島の一部分しか行ったこともないし、まっさらな気持ちで触れるのみ。少し、沖縄民謡の旋律を思い出させる部分もなくはないが、気分はとっても初体験……。あ、あと島で育まれた個性豊かなアカペラ表現ということで、ア・フィレッタ(2010年8月25日、9月4日)のことも少し思い出す。
話は飛ぶが、今年聞いてけっこうびっくりしたのが、久保田麻琴が高円寺の阿波踊りチーム群をホールで録音した2枚組アルバム『ぞめき』。そこには、もうブラジルのサンバ隊やニューオーリンズのセカンド・ラインを想起させる魅惑的な躍動や喧噪や動的感覚/流れがあって、わあ。それから見ると、この晩のパフォーマンスは普通のポップ・ミュージックの耳では対応しきれないところがあるが、それゆえ普段は触れられないものを聞けているという気持ちを増幅させるのは間違いない。そして、それが、海を挟んでけっこう離れているとはいえ、今は同じ国であるという事実にも、不思議な感興をかきたてられはしまいか。なんか、身体の中にある好奇心やセンサーにいろいろ刺激された。やっぱり、人間の生活と音楽のかかわりって、おもしろすぎ。
終わった後に、大人数で流れたが、普段の酒席よりは少しアカデミックだった? こたあ、ないか。民俗学者の谷川健一さん(ゲスト・スピーカーとして途中で出てきた)の話が聞けたのに、とっても感激していた人も。とても、有名な方らしい。
ケルティック・クリスマス。デイヴィッド・T・ウォーカー
2010年12月11日 音楽 11月に一時期さむくなったなあと思わせたときがあったが、ここんとこ(15日ぐらいは平気で?)、ずっとお日様が基本さしていて、温かい。今日も午前中風が強いかなと思ったものの、やはり夜になってもそんなに寒くない。うぬ、今年はまだ厚めのコートは着ていないな。
ライヴ会場に行くために半蔵門線に乗ると暖房が効いていて、すぐに汗ばむ。長距離列車と違い、都内の電車に乗車した際にコートを脱ぐ乗客はまずいない。ゆえに、暖房なんて本当に迷惑。そこらへん、夏場の冷房とは違いますね。車掌や運転手たちもコートを着て乗車業務にあたってほしい。そして、基本として車両内暖房は必要ない事を理解してほしい。
まず、錦糸町・すみだトリフォニーホールで「ケルティック・クリスマス」。毎年恒例の、北の国の人たちが複数出演する出し物、ナリ。
一番手は、デンマークのフェロー諸島出身のかなりモダン志向のトラッド・グループであるヴァルラウン。構成員は女性シンガーと男性演奏者4人。神秘的なエレクトロ・サウンド+女性ヴォーカルと説明できそうな音を聞かせる5人だが、彼らはライヴ・パフォーマンスを見た方がおもしろいし、本質がよく見える。実演ではラップトップを2台置いていたものの(当然、プリセット音は併用となる)、男性陣は楽器名を出しにくい様々な伝統音楽系楽器を手にしており、また曲ごとにいろいろ楽器を持ち替えたりもする。なんか視覚的に、俺たちは機知に富んだ地に足つけたトラッド・ビヨンドのグループなのだという、彼らの主張が伝わる感じもあるか。意気もより強く感じさせる。性格良さそうなアンナ嬢はCD同様、ビューク(2008年2月22日、他)の影響大と痛感させるとともに、やはりスカンジナヴィア圏でつながる歌唱情緒や歌唱法があるのだろうナと思わせる。この四半世紀のポップ音楽界の重要存在であるビョークを想起しちゃうと分が悪くもあるが、それは仕方がないですね。
続いては、スコットランドの3人組ラウー(2009年10月30日)。2007年からアルバムを出すようになり、3年連続で英BBCのフォーク・アワードを受賞しているらしいが、なるほど、今回はばっちりその真価を受け留めることができました。とにかく、フィドル、アコーディオン、生ギターの音の重なりが実に綺麗。音の放物線がぴたりと重なり、それらはさ〜っと覚醒する。1+1+1が5にも6にもなると書きたくなる音の重なりの醍醐味のようなものをびっくりするぐらい(ヴェニューの音の響きの特性とも合っていたのだろう)持っていて、うなってしまった。あまりに感心して、これはどんな曲調のものをやろうと絶対に聞き手にアピールするだろうし、ポップ音楽の愛好者でも“音響”的な視点を持つ人なら絶対に持って行かれる表現ではないかとも思う。いやあ、音のいいホールって素晴らしい。歌声も実に朗々と響いていたなあ。出演者3組のうち、一番ぼくが感心したのは彼らだった。
そして、3組目。アイルランドの働き盛り敏腕奏者達が集ったルナサ(2003年4月11日、他)を聞くと、これは本場の切磋琢磨された、絵に描いたような今のトラッド・グループだなと思わされる。どの曲も余裕を持って重なり、聞き手を包まんとし、どこを切ってもそこからジュージーな精気やしっとりした深みが溢れ出すという感じ。コドモなぼくとしてはどこか破綻したころがないかとも少し邪気を覚えたりもするが、誠心誠意やっている彼らに触れているうち、誰もがバターやオリーブ・オイルを使って料理しなきゃいけない道理はない、精進料理のようなものがあってもいいだろうと、オトナな見解がぼくの頭の中で生まれた。あ、そういえば、10月頭に鎌倉の公演に行った時に触れた精進料理屋は今年のミシュランで星を得たそうな。俺の車はミシュラン・タイヤを履いているか。でも、オーベルジュには一度しか行ってないっす。
そして、六本木に移動。錦糸町から再び地下鉄半蔵門線に乗ったら、また一気に汗ばむ。ところが、途中で乗り換えた都営地下鉄の大江戸線は暖房ではなく送風にしていて、とても快適。ぼくはあらゆる点で都内地下鉄は営団のほうがマシという印象をなんとなく持っていたが、少し改めることにしようか。六本木で下車し、ミッドタウン内を歩いたら、21時近いのに物凄い人。ひえ〜。普段の平日の具合しか知らないぼくには、ほとんどドッキリだと思うしかないほどの人出。あいや〜。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
米国黒人音楽の得難い襞や綾のようなものを体現するヴェテラン・ギタリスト(2007年12月18日)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ、キーボード。ピアノを弾く方が多い)、バイロン・ミラー(電気ベース)、ンドゥグ・チャンクラー(ドラム)という知己を伴ってのパフォーマンス。レコーディングもこの顔ぶれでやっているし、本当に、あるがままに素のままで、というノリか。演目はドリームズ・カム・トゥルーの傍系レーベルから出ている近3作(特に、出たばかりの『フォー・オール・タイム』は出来がいいと思う。ウォーカーはこの前後のドリカムの新作をフォロウするツアーにも参加)収録曲を中心に、70年代初頭リリースのリーダー作群からも。そちらは、ザ・ジャクソン5の「ネヴァー・セイ・キャン・グッドバイ」(他にも、イントロで「帰ってほしいの」や「アイル・ビー・ゼア」のさわりを弾いたりも)やバリー・ホワイトの「愛のテーマ」だったりするのだが、そういうのがブルージィな曲の間に挟まれると、本当に誘われる。
かゆいところを本当に無理なく、自然に掻いて行く、なんて、比喩もしたくなるか。気持ちいい。稀にヴァーチュオーソらしくなくミストーンを出す場合もあるのだが、それもまた人間味につながる。彼は基本は椅子に座って弾くが、時には立って弾いたりもし、その際はそれだけで妙に絵になったりも。味とキャラと年季があれば、そういうものなのだ……。複音弾きっぽいのにしろ、単音ぽいのにしろ、やっぱり歌っているよな、とも痛感。とともに、メンバー間でうれしそうにアイコンタクトをかましながら、演奏を進めて行くのも良い。レゲエ調ビートのもと披露したクリスマス・ソングの「サンタが街にやってきた」の際は全員が赤いサンタ帽をかぶる。本編最後となる最新作収録の「ソウル、イン・ライツ&グレイス」ではウォーカーとチャンクラーが歌も歌った。
ライヴ会場に行くために半蔵門線に乗ると暖房が効いていて、すぐに汗ばむ。長距離列車と違い、都内の電車に乗車した際にコートを脱ぐ乗客はまずいない。ゆえに、暖房なんて本当に迷惑。そこらへん、夏場の冷房とは違いますね。車掌や運転手たちもコートを着て乗車業務にあたってほしい。そして、基本として車両内暖房は必要ない事を理解してほしい。
まず、錦糸町・すみだトリフォニーホールで「ケルティック・クリスマス」。毎年恒例の、北の国の人たちが複数出演する出し物、ナリ。
一番手は、デンマークのフェロー諸島出身のかなりモダン志向のトラッド・グループであるヴァルラウン。構成員は女性シンガーと男性演奏者4人。神秘的なエレクトロ・サウンド+女性ヴォーカルと説明できそうな音を聞かせる5人だが、彼らはライヴ・パフォーマンスを見た方がおもしろいし、本質がよく見える。実演ではラップトップを2台置いていたものの(当然、プリセット音は併用となる)、男性陣は楽器名を出しにくい様々な伝統音楽系楽器を手にしており、また曲ごとにいろいろ楽器を持ち替えたりもする。なんか視覚的に、俺たちは機知に富んだ地に足つけたトラッド・ビヨンドのグループなのだという、彼らの主張が伝わる感じもあるか。意気もより強く感じさせる。性格良さそうなアンナ嬢はCD同様、ビューク(2008年2月22日、他)の影響大と痛感させるとともに、やはりスカンジナヴィア圏でつながる歌唱情緒や歌唱法があるのだろうナと思わせる。この四半世紀のポップ音楽界の重要存在であるビョークを想起しちゃうと分が悪くもあるが、それは仕方がないですね。
続いては、スコットランドの3人組ラウー(2009年10月30日)。2007年からアルバムを出すようになり、3年連続で英BBCのフォーク・アワードを受賞しているらしいが、なるほど、今回はばっちりその真価を受け留めることができました。とにかく、フィドル、アコーディオン、生ギターの音の重なりが実に綺麗。音の放物線がぴたりと重なり、それらはさ〜っと覚醒する。1+1+1が5にも6にもなると書きたくなる音の重なりの醍醐味のようなものをびっくりするぐらい(ヴェニューの音の響きの特性とも合っていたのだろう)持っていて、うなってしまった。あまりに感心して、これはどんな曲調のものをやろうと絶対に聞き手にアピールするだろうし、ポップ音楽の愛好者でも“音響”的な視点を持つ人なら絶対に持って行かれる表現ではないかとも思う。いやあ、音のいいホールって素晴らしい。歌声も実に朗々と響いていたなあ。出演者3組のうち、一番ぼくが感心したのは彼らだった。
そして、3組目。アイルランドの働き盛り敏腕奏者達が集ったルナサ(2003年4月11日、他)を聞くと、これは本場の切磋琢磨された、絵に描いたような今のトラッド・グループだなと思わされる。どの曲も余裕を持って重なり、聞き手を包まんとし、どこを切ってもそこからジュージーな精気やしっとりした深みが溢れ出すという感じ。コドモなぼくとしてはどこか破綻したころがないかとも少し邪気を覚えたりもするが、誠心誠意やっている彼らに触れているうち、誰もがバターやオリーブ・オイルを使って料理しなきゃいけない道理はない、精進料理のようなものがあってもいいだろうと、オトナな見解がぼくの頭の中で生まれた。あ、そういえば、10月頭に鎌倉の公演に行った時に触れた精進料理屋は今年のミシュランで星を得たそうな。俺の車はミシュラン・タイヤを履いているか。でも、オーベルジュには一度しか行ってないっす。
そして、六本木に移動。錦糸町から再び地下鉄半蔵門線に乗ったら、また一気に汗ばむ。ところが、途中で乗り換えた都営地下鉄の大江戸線は暖房ではなく送風にしていて、とても快適。ぼくはあらゆる点で都内地下鉄は営団のほうがマシという印象をなんとなく持っていたが、少し改めることにしようか。六本木で下車し、ミッドタウン内を歩いたら、21時近いのに物凄い人。ひえ〜。普段の平日の具合しか知らないぼくには、ほとんどドッキリだと思うしかないほどの人出。あいや〜。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
米国黒人音楽の得難い襞や綾のようなものを体現するヴェテラン・ギタリスト(2007年12月18日)、クラレンス・マクドナルド(ピアノ、キーボード。ピアノを弾く方が多い)、バイロン・ミラー(電気ベース)、ンドゥグ・チャンクラー(ドラム)という知己を伴ってのパフォーマンス。レコーディングもこの顔ぶれでやっているし、本当に、あるがままに素のままで、というノリか。演目はドリームズ・カム・トゥルーの傍系レーベルから出ている近3作(特に、出たばかりの『フォー・オール・タイム』は出来がいいと思う。ウォーカーはこの前後のドリカムの新作をフォロウするツアーにも参加)収録曲を中心に、70年代初頭リリースのリーダー作群からも。そちらは、ザ・ジャクソン5の「ネヴァー・セイ・キャン・グッドバイ」(他にも、イントロで「帰ってほしいの」や「アイル・ビー・ゼア」のさわりを弾いたりも)やバリー・ホワイトの「愛のテーマ」だったりするのだが、そういうのがブルージィな曲の間に挟まれると、本当に誘われる。
かゆいところを本当に無理なく、自然に掻いて行く、なんて、比喩もしたくなるか。気持ちいい。稀にヴァーチュオーソらしくなくミストーンを出す場合もあるのだが、それもまた人間味につながる。彼は基本は椅子に座って弾くが、時には立って弾いたりもし、その際はそれだけで妙に絵になったりも。味とキャラと年季があれば、そういうものなのだ……。複音弾きっぽいのにしろ、単音ぽいのにしろ、やっぱり歌っているよな、とも痛感。とともに、メンバー間でうれしそうにアイコンタクトをかましながら、演奏を進めて行くのも良い。レゲエ調ビートのもと披露したクリスマス・ソングの「サンタが街にやってきた」の際は全員が赤いサンタ帽をかぶる。本編最後となる最新作収録の「ソウル、イン・ライツ&グレイス」ではウォーカーとチャンクラーが歌も歌った。
毎年恒例の“さとがえるコンサート”、マーク・リーボウ(ギター、バンジョー)、ジェニファー・コンドス(電気ベース)、ジェイ・ベラーローズルロウズ(ドラム)という3人の曲者米国人奏者たちによる年末公演(2008年12月14日〜このときのツアーはDVD化されている〜、2009年12年13日)の3年目。この顔ぶれは米国人名制作者T・ボーン・バーネット絡みの奏者たち、というか、バーネットが制作した08年作『akiko』を基とするもの。あのアルバムはベースレス編成での録音で、盤ではリーボウとベルロウズだけが参加し、コンドス姉さんは実演の場で開く際になって新たに加わったわけだが、彼女はバーネットの弟子筋と言えるジョー・ヘンリー(2010年4月2日、4日)の新作となる08年作『ブラッド・フロム・スターズ』に参加してもいる。そこには、ヘンリーが大好きなマーク・リーボウも関与。今年出たレイ・モンターニュ作にもコンドスは参加しているが、そっちにはベルローズが入っていますね。
話はズレるが、2010年のプロデューサー大賞は間違いなくT・ボーン・バーネットだと思う。もう10年ほど大家なノリで米国ロック界に君臨している彼ではあるが、特に今年はプロデュース関与作のリリースが多かった。ざっと挙げても、サントラ『クレイジー・ハート』、ウィリー・ネルソン、ジェイコブ・ディラン(2001年2月11日)、ジョン・メレンキャンプ、ロバート・ランドルフ(2009年7月24日、他)、ライアン・ブリンガム、シークレット・シスターズ、エルトン・ジョン&リオン・ラッセル(2005年11月24日)、エルヴィス・コステロ(2009年8月8日、他)の新作といった案配。今年は活躍したナという気持ちを本人も持ったためか、この10月中旬に彼は“ザ・スピーキング・クロック・リヴュー”というイヴェントを主宰、ボストンとNYで行われたそこには上出の有名人たちがみんな参加した(11年早々にバーネット制作のアルバムをリリースするグレッグ・オールマンも)のだった。その共通のバンドにはリーボーがいたのはもちろんのこと。うーぬ、堂々と自分のホーム頁で『akiko(英語版)』のことも紹介しているだけに、バーネットは同ショウに矢野顕子のことも呼んでほしかった。そこには耳の肥えた聞き手が集まったはずで、矢野顕子というギフトを米国により知らせるには絶好の機会であったと思うが。
渋谷・NHKホール。ミュージシャンシップを共有し合える同士による“4人組”、その第2幕と間違いなく言える行き方を悠然と披露。矢野+バック・バンドという図式はここに来て、完全になくなりましたね。実際、矢野のピアノ・ソロのパートはけっこう減じていたんでは。それと、彼女は少しキーボードも弾いていたが、前2回もそうだったっけか(グランド・ピアノしか置いてなかったような)。アンコール最終曲で、過去の2度のツアーでもやっている「ふなまち唄」のかけ声を皆でうれしそうに重ねる様を見て、3人の米国人達は本当に矢野と1年ぶりにライヴをやるのを心待ちにしていたんだな、ということを、肌で感じることができた。
今回はどう違っていたのか。まず、端的に指摘できるのは、5曲と『akiko』収録曲(うち、1曲はレッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」のカヴァー)披露比率がかなり減じたこと。それで、「House of Desire」(セカンド・ライン調と言える感じ、このバンドのタメはすげえと痛感させるノリで開く。きっとハリーとマックも身を乗り出したろう)とか矢野の旧曲を取り上げるとともに、いろんな属性を持つ他者曲のカヴァーをいろいろと披露したのが今度の要点だ。細野晴臣(「終わりの季節」)、忌野清志郎(「恩赦」。ベルローズとのデュオにて。ソロでやるところが、前日の大阪公演で思いつきでデユオにしたそう)、ジョン・コルトレーン(「ネイマ」。リーボーの生ギター演奏をバックに、センター・マイクのところに出てきて歌う。日本語歌詞を付けていた)、ウィーザー(「セイ・イット・エイント・ソー」)、ルシンダ・ウィリアムズ(「ジョイ」、スタンダードの「フィーヴァー」みたいな癖を持つ曲と感じた)、ランバート・ヘンドリックス&ロス(ハリー・エディソンの器楽曲にジョン・ヘンドリックスが歌詞を乗せた「センターピース」。原曲の雰囲気と男2女1という編成を少しかえて引き継ぎ、ジャジーかつ洒脱に矢野、リーボー、コンドスの3人で歌声を重ねる)……。
どのぐらいリハをやっているのかは知らないが、きっちりこの4人の機微ある表現となって届けられる。MCを聞くにまた来年師走はこの顔ぶれで<さとがえるコンサート>をやる予定のようだし、早くスタジオに入って! 途中のピアノ弾き語りのとき、彼女は自身の名曲「ひとつだけ」をやったが、その歌詞をもじるなら、今回のパフォーマンスにはより<いろんな音楽の輝ける扉 ひらく鍵>が機微たっぷりに息づいていたと思う。もう、ぼくはじーんとしつつ、凄く啓発も受けた。ほんと、うれしいことのテンコ盛り、僕はちょっと潤されつつ、今年も意義あるいい一年であるように思えてきちゃったな。ありがとう、矢野顕子さん!
話はズレるが、2010年のプロデューサー大賞は間違いなくT・ボーン・バーネットだと思う。もう10年ほど大家なノリで米国ロック界に君臨している彼ではあるが、特に今年はプロデュース関与作のリリースが多かった。ざっと挙げても、サントラ『クレイジー・ハート』、ウィリー・ネルソン、ジェイコブ・ディラン(2001年2月11日)、ジョン・メレンキャンプ、ロバート・ランドルフ(2009年7月24日、他)、ライアン・ブリンガム、シークレット・シスターズ、エルトン・ジョン&リオン・ラッセル(2005年11月24日)、エルヴィス・コステロ(2009年8月8日、他)の新作といった案配。今年は活躍したナという気持ちを本人も持ったためか、この10月中旬に彼は“ザ・スピーキング・クロック・リヴュー”というイヴェントを主宰、ボストンとNYで行われたそこには上出の有名人たちがみんな参加した(11年早々にバーネット制作のアルバムをリリースするグレッグ・オールマンも)のだった。その共通のバンドにはリーボーがいたのはもちろんのこと。うーぬ、堂々と自分のホーム頁で『akiko(英語版)』のことも紹介しているだけに、バーネットは同ショウに矢野顕子のことも呼んでほしかった。そこには耳の肥えた聞き手が集まったはずで、矢野顕子というギフトを米国により知らせるには絶好の機会であったと思うが。
渋谷・NHKホール。ミュージシャンシップを共有し合える同士による“4人組”、その第2幕と間違いなく言える行き方を悠然と披露。矢野+バック・バンドという図式はここに来て、完全になくなりましたね。実際、矢野のピアノ・ソロのパートはけっこう減じていたんでは。それと、彼女は少しキーボードも弾いていたが、前2回もそうだったっけか(グランド・ピアノしか置いてなかったような)。アンコール最終曲で、過去の2度のツアーでもやっている「ふなまち唄」のかけ声を皆でうれしそうに重ねる様を見て、3人の米国人達は本当に矢野と1年ぶりにライヴをやるのを心待ちにしていたんだな、ということを、肌で感じることができた。
今回はどう違っていたのか。まず、端的に指摘できるのは、5曲と『akiko』収録曲(うち、1曲はレッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」のカヴァー)披露比率がかなり減じたこと。それで、「House of Desire」(セカンド・ライン調と言える感じ、このバンドのタメはすげえと痛感させるノリで開く。きっとハリーとマックも身を乗り出したろう)とか矢野の旧曲を取り上げるとともに、いろんな属性を持つ他者曲のカヴァーをいろいろと披露したのが今度の要点だ。細野晴臣(「終わりの季節」)、忌野清志郎(「恩赦」。ベルローズとのデュオにて。ソロでやるところが、前日の大阪公演で思いつきでデユオにしたそう)、ジョン・コルトレーン(「ネイマ」。リーボーの生ギター演奏をバックに、センター・マイクのところに出てきて歌う。日本語歌詞を付けていた)、ウィーザー(「セイ・イット・エイント・ソー」)、ルシンダ・ウィリアムズ(「ジョイ」、スタンダードの「フィーヴァー」みたいな癖を持つ曲と感じた)、ランバート・ヘンドリックス&ロス(ハリー・エディソンの器楽曲にジョン・ヘンドリックスが歌詞を乗せた「センターピース」。原曲の雰囲気と男2女1という編成を少しかえて引き継ぎ、ジャジーかつ洒脱に矢野、リーボー、コンドスの3人で歌声を重ねる)……。
どのぐらいリハをやっているのかは知らないが、きっちりこの4人の機微ある表現となって届けられる。MCを聞くにまた来年師走はこの顔ぶれで<さとがえるコンサート>をやる予定のようだし、早くスタジオに入って! 途中のピアノ弾き語りのとき、彼女は自身の名曲「ひとつだけ」をやったが、その歌詞をもじるなら、今回のパフォーマンスにはより<いろんな音楽の輝ける扉 ひらく鍵>が機微たっぷりに息づいていたと思う。もう、ぼくはじーんとしつつ、凄く啓発も受けた。ほんと、うれしいことのテンコ盛り、僕はちょっと潤されつつ、今年も意義あるいい一年であるように思えてきちゃったな。ありがとう、矢野顕子さん!
トロンボーン・ショーティ
2010年12月13日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。7時少し前に会場に入ったら、びっくり。がらーん、50人ぐらいしかいないじゃん。え? 今年のフジ・ロックに出演して大好評だったはずなのに、どうなっているのォと思ったら、この晩は7時半の開演、時間を間違えた。さすが、スタート時にはかなりいい感じの入りになっていましたが。ニューオーリンズの若大将(1986年生まれ)、2010年7月31日の項で書いているように、すぐ来るだろうと何の根拠もなく確信していたら、半年たたずにやってきた。イエイっ。
本人、テナー・サックス、ギター、ベース、ドラムという編成で、驚かされるのは、ギターとテナーとドラムは白人であったこと。彼らは地元のアート・スクールで知り合った仲間たちなはずで、同年代か。確かに、皆若い。どうせなら、女性も一人入っていると、ぼくはもっとうれしくなるけどなー。そんな彼らのパフォーマンスに触れていて、すぐにある意味、マイナスの感想を持ち驚く。とともに、かなり感心もする。そこには、音楽のマジックがあったな。
驚いたポイントは、音楽的には新しさとか、深みとかいったほめるべき美点/アドヴァンテイジがないこと。ファンク、R&B、ロックなどのこれまで出ている音楽的要素を、ガンボして、力づくでやっているという感じ。各人は有名曲の引用をソロで出すときもあるが、既成の曲を参照しながらジャムって一丁上がりといったような感じの曲が散見されたな。作曲というよりは、リフをつないで曲を完成させちゃう、みたいな説明もできるか。だから、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」のようなメロディのある曲をやると、すんごく誘われちゃう。また、彼らはニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いない。まあ、ヴァーヴ・フォアキャスト発の新作もそうであったけど。
だが、そう感じさせる一方、めっぽう鼓舞され、うっひょ〜と浮かれされちゃったんだよなー。もう線が太く、演奏自体に力と気持ちがある。ショーティはトロンボーンを吹くだけでなく、曲によっては高めの声で歌い、トランペットも手にし(ニューオーリンズの花形楽器はトランペット。この夏に、なんでトランペットではなくトロンボーンなのと尋ねたら、兄がトランぺットをやっていたので、一緒にバンドをやるにはトロンボーンを手にするしかなかったと返答)、他の奏者がフィーチャーされるときは応援団長のごとく横でそれを盛り上げ、心の限りオーディエンスに働きかける。客あしらいの、上手い事。まあ、小僧の頃から音楽で稼ぎ、12歳にして親元を離れ自活していたから当然か(だから、トロイ・アンドリュースという本名で出したアルバムもいろいろあります)。そのまったくもって、生理的に澄んだ姿(タンクトップを着ていた)に、ぼくは<今年一番タンクトップが似合う男>という称号を与えたくなった。
先に、ニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いないと書いたが、それはセカンド・ラインとかのビートや揺れにおける部分の事を指す。一方では、出音がでかい扇情的なトロンボーンの音だけでニューオーリンズで育った吹き手であることは一聴瞭然だし、バンドに漲る仲間意識や笑顔も我田引水しちゃうなら、それもまったくそう。そして、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」や「聖者が街にやってくる」(あれ、これやったよな。実は良く覚えていない)なんかのニューオーリンズとつながるようなスタンダードも彼ら流に披露するのだが、それはそれでめっちゃ訴求する。で、結局、伝統を溜めた豊穣な音楽の場で育ち、そこから外に出て行く、心意気たっぷりのイナセな音楽野郎が仁王立ちしていると、感激させられるのだ。さらには、ここには天下一品のパーティ・ミュージックの送り手がいるとも。
アンコールが終わり場内が明るくなり音楽が流され、客が帰りはじめる。2割近く帰ったあたりで、なんと再び出てきて、彼らは演奏をはじめる。そして、その2曲目で、アンドリュースはドラム、ドラムはギター、ギター奏者はサックス、サックスはベース、ベースはトランペットと楽器を全とっかえして、演奏する。客に演奏させてメンバーはダンスを踊ったり(2006年8月8日)、どんどん客に演奏に加わらせたり(2007年2月5日)というニューオーリンズ勢の実演に過去触れているが、ショーティたちの姿もまた同地のシェアしあうノリ(その最たるものが、パレードですね)をおおいに体現するものか。そして、本当の終演時に5人は前に出てきて、肩を組んで満面の笑み、割れるような声援に応える。これまた、美しくも、輝ける、うれしい瞬間。見る者も出演者も、皆幸せ。こういう公演終了時のステージ上でのアーテストの横一線で並ぶ様を集めた写真集とか、誰か出さないかな。結構、満たされていいキブンになれるかも。それだけで、音楽性やショウのノリや構成員間の関係を推し量れたら素敵じゃない?
今年トップ級のライヴ・バンド、それがトロンボーン・ショーティと彼の仲間たちだ。なお、まだデモ作りの段階だそうだが、米ユニヴァーサル・ミュージックのリリース・リストの6月には彼の名前が載っているそうだ。
終了後、すぐそばのBar Issheeに行く。藤井郷子(2010年8月6日、他)プロデュースの4つの単位の出し物をやっていたはずで、入ると最後の<田村夏樹×大熊ワタル>をやっていた。玩具っぽい小道具/肉声を用いる無邪気なやりとりが続く。終わった後の藤井の締めのMCは、「二人が、こんなにバカだったとは」。藤井にクアトロに行ってから来たらあんまし見れなかったと伝えると、彼女は「私は昨日、クアトロ(二階堂和美)に行きました」。へえ。なお、田村、藤井、松本健一(2008年8月24日、他)、臼井康浩(2009年7月29日、他)、ケリー・チュルコ(2008年12月17日、他)が発起人となって、スペースワンと名付けた自主ライヴ・スペースを来年持つようで、この晩の出し物はその先行企画となるもののよう。それ、ジョン・ゾーンのNYザ・ストーン、大友良英の吉祥寺GRID605のようなものか。期待したい。
本人、テナー・サックス、ギター、ベース、ドラムという編成で、驚かされるのは、ギターとテナーとドラムは白人であったこと。彼らは地元のアート・スクールで知り合った仲間たちなはずで、同年代か。確かに、皆若い。どうせなら、女性も一人入っていると、ぼくはもっとうれしくなるけどなー。そんな彼らのパフォーマンスに触れていて、すぐにある意味、マイナスの感想を持ち驚く。とともに、かなり感心もする。そこには、音楽のマジックがあったな。
驚いたポイントは、音楽的には新しさとか、深みとかいったほめるべき美点/アドヴァンテイジがないこと。ファンク、R&B、ロックなどのこれまで出ている音楽的要素を、ガンボして、力づくでやっているという感じ。各人は有名曲の引用をソロで出すときもあるが、既成の曲を参照しながらジャムって一丁上がりといったような感じの曲が散見されたな。作曲というよりは、リフをつないで曲を完成させちゃう、みたいな説明もできるか。だから、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」のようなメロディのある曲をやると、すんごく誘われちゃう。また、彼らはニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いない。まあ、ヴァーヴ・フォアキャスト発の新作もそうであったけど。
だが、そう感じさせる一方、めっぽう鼓舞され、うっひょ〜と浮かれされちゃったんだよなー。もう線が太く、演奏自体に力と気持ちがある。ショーティはトロンボーンを吹くだけでなく、曲によっては高めの声で歌い、トランペットも手にし(ニューオーリンズの花形楽器はトランペット。この夏に、なんでトランペットではなくトロンボーンなのと尋ねたら、兄がトランぺットをやっていたので、一緒にバンドをやるにはトロンボーンを手にするしかなかったと返答)、他の奏者がフィーチャーされるときは応援団長のごとく横でそれを盛り上げ、心の限りオーディエンスに働きかける。客あしらいの、上手い事。まあ、小僧の頃から音楽で稼ぎ、12歳にして親元を離れ自活していたから当然か(だから、トロイ・アンドリュースという本名で出したアルバムもいろいろあります)。そのまったくもって、生理的に澄んだ姿(タンクトップを着ていた)に、ぼくは<今年一番タンクトップが似合う男>という称号を与えたくなった。
先に、ニューオーリンズの特徴的な音楽的語彙をあまり用いないと書いたが、それはセカンド・ラインとかのビートや揺れにおける部分の事を指す。一方では、出音がでかい扇情的なトロンボーンの音だけでニューオーリンズで育った吹き手であることは一聴瞭然だし、バンドに漲る仲間意識や笑顔も我田引水しちゃうなら、それもまったくそう。そして、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」や「聖者が街にやってくる」(あれ、これやったよな。実は良く覚えていない)なんかのニューオーリンズとつながるようなスタンダードも彼ら流に披露するのだが、それはそれでめっちゃ訴求する。で、結局、伝統を溜めた豊穣な音楽の場で育ち、そこから外に出て行く、心意気たっぷりのイナセな音楽野郎が仁王立ちしていると、感激させられるのだ。さらには、ここには天下一品のパーティ・ミュージックの送り手がいるとも。
アンコールが終わり場内が明るくなり音楽が流され、客が帰りはじめる。2割近く帰ったあたりで、なんと再び出てきて、彼らは演奏をはじめる。そして、その2曲目で、アンドリュースはドラム、ドラムはギター、ギター奏者はサックス、サックスはベース、ベースはトランペットと楽器を全とっかえして、演奏する。客に演奏させてメンバーはダンスを踊ったり(2006年8月8日)、どんどん客に演奏に加わらせたり(2007年2月5日)というニューオーリンズ勢の実演に過去触れているが、ショーティたちの姿もまた同地のシェアしあうノリ(その最たるものが、パレードですね)をおおいに体現するものか。そして、本当の終演時に5人は前に出てきて、肩を組んで満面の笑み、割れるような声援に応える。これまた、美しくも、輝ける、うれしい瞬間。見る者も出演者も、皆幸せ。こういう公演終了時のステージ上でのアーテストの横一線で並ぶ様を集めた写真集とか、誰か出さないかな。結構、満たされていいキブンになれるかも。それだけで、音楽性やショウのノリや構成員間の関係を推し量れたら素敵じゃない?
今年トップ級のライヴ・バンド、それがトロンボーン・ショーティと彼の仲間たちだ。なお、まだデモ作りの段階だそうだが、米ユニヴァーサル・ミュージックのリリース・リストの6月には彼の名前が載っているそうだ。
終了後、すぐそばのBar Issheeに行く。藤井郷子(2010年8月6日、他)プロデュースの4つの単位の出し物をやっていたはずで、入ると最後の<田村夏樹×大熊ワタル>をやっていた。玩具っぽい小道具/肉声を用いる無邪気なやりとりが続く。終わった後の藤井の締めのMCは、「二人が、こんなにバカだったとは」。藤井にクアトロに行ってから来たらあんまし見れなかったと伝えると、彼女は「私は昨日、クアトロ(二階堂和美)に行きました」。へえ。なお、田村、藤井、松本健一(2008年8月24日、他)、臼井康浩(2009年7月29日、他)、ケリー・チュルコ(2008年12月17日、他)が発起人となって、スペースワンと名付けた自主ライヴ・スペースを来年持つようで、この晩の出し物はその先行企画となるもののよう。それ、ジョン・ゾーンのNYザ・ストーン、大友良英の吉祥寺GRID605のようなものか。期待したい。
朝、目が覚めたら、異様に肩が重い。あれれ、昨日はそんなに飲んだはずではないのに。午前中はこんなこともあるサと机に向かっていたが、鼻水や咳も出てきて、風邪をひいたんだと了解。肩の重さは熱ゆえかと思うと、うー腰も重いぞ。午後は横になってテレビを見たり&惰眠をむさぼったり。ち、風邪ひいちゃった。夕方に忘年会行きをあきらめ、サム“ソウル・マン”ムーア(2006年11月14日、2008年8月31日)のセカンド・ショウをさらりと見るために、21時少し前に南青山・ブルーノート東京に向かう。行きがけに買った風邪薬を会場で、ロンドン・プライドで流し込む。
毎度の音楽ディレクターも兼ねるベーシスト、ギタリスト、キーボード奏者、ドラマー、打楽器奏者に3人の女性ヴォーカル、さらに4人のホーン隊(うち、二人はこっちで雇った日本人のよう。問題なく重なる)。例によって、ドラマー以外は肌の白い人達が脇を固める。
やっぱ、情と重量感のあるソウルは管音がなくっちゃねと思わせるサウンドのもと、印象的な甲高い歌声を悠々と乗せる。御大、少し痩せたかな? 彼のライヴに接して思うのは、他のソウル巨人の当たり曲をいろいろ歌ったりと、レパートリーにけっこう広がりを持たせていること。こっちとしてはサム&デイヴの珠玉の持ち歌だけでまとめてもらっても何ら問題はないんだが、彼はそうはしない。だが今回、そのショウに接しつつ、サム&デイヴのサムでは当然あるものの、それを経ての普遍的なソウル歌手なのだという意識を彼は持っているのではないか、とも感ずる。60年代のサム&デイヴはあのオーティス・レディングが共演を嫌がったと言われるほど、全身ゴム毬と化したダイナミックな動き込みの魅力であったわけで、だいぶ老い&成熟した今、あのころとは一線を画したいという気持ちを本人が持ったとしても不思議はないだろう。
1時間半ぐらいのショウ。一瞬かえりかけたあとスタッフから耳打ちを受け、ムーアとコーラス陣はステージに戻ってきて、忌野清志郎の家族へ捧げて「ユー・アー・ソー・ビューティフル」を歌う。そりゃ、じいーんとこないわけがありませんね。
問題なく、良かった。というわけで、元気な時と同様に流れちゃう。食欲はあまりないが、飲欲はそんなには衰えていない。酒は風邪を直すかを実験したくなってしまった。さあ、翌日の私の運命は……?
毎度の音楽ディレクターも兼ねるベーシスト、ギタリスト、キーボード奏者、ドラマー、打楽器奏者に3人の女性ヴォーカル、さらに4人のホーン隊(うち、二人はこっちで雇った日本人のよう。問題なく重なる)。例によって、ドラマー以外は肌の白い人達が脇を固める。
やっぱ、情と重量感のあるソウルは管音がなくっちゃねと思わせるサウンドのもと、印象的な甲高い歌声を悠々と乗せる。御大、少し痩せたかな? 彼のライヴに接して思うのは、他のソウル巨人の当たり曲をいろいろ歌ったりと、レパートリーにけっこう広がりを持たせていること。こっちとしてはサム&デイヴの珠玉の持ち歌だけでまとめてもらっても何ら問題はないんだが、彼はそうはしない。だが今回、そのショウに接しつつ、サム&デイヴのサムでは当然あるものの、それを経ての普遍的なソウル歌手なのだという意識を彼は持っているのではないか、とも感ずる。60年代のサム&デイヴはあのオーティス・レディングが共演を嫌がったと言われるほど、全身ゴム毬と化したダイナミックな動き込みの魅力であったわけで、だいぶ老い&成熟した今、あのころとは一線を画したいという気持ちを本人が持ったとしても不思議はないだろう。
1時間半ぐらいのショウ。一瞬かえりかけたあとスタッフから耳打ちを受け、ムーアとコーラス陣はステージに戻ってきて、忌野清志郎の家族へ捧げて「ユー・アー・ソー・ビューティフル」を歌う。そりゃ、じいーんとこないわけがありませんね。
問題なく、良かった。というわけで、元気な時と同様に流れちゃう。食欲はあまりないが、飲欲はそんなには衰えていない。酒は風邪を直すかを実験したくなってしまった。さあ、翌日の私の運命は……?
→で、まあ楽しくよっぱらい家に帰り、シャワーも浴びずに(冬でも、基本ぼくはシャワー派なんです)、眠りこける。6時間後に目が覚めた(もう少し寝ていたかったが)ら、やはり風邪ぽくはあるが、肩はそんなにダルくないので熱はけっこう下がったよう。うぬ、風邪をひいたときは静養とかせずに笑顔で酒をかっくらうというのは、アリかもしれぬ。
で、昨日の遅れを取り戻すのだと猛烈な勢いでキー・ボードに向かったあと、丸の内・コットンクラブへ。ファースト・ショウ。ヒップホップ時代のジャズ・マン像を謳歌するロバート・グラスパー(2009 年4月13日、他)のキャラ立ちサイド・マンをそろえたカルテット(2009年12月19日)のパフォーマンスは不動のメンバーにて。ただし、今回は現代R&B界ピカ一のセルフ・コンテインド・グループと言っても誇張にはならないだろうミント・コンディション(2009年7月10日、他)のフロント・マンであるストークリーを伴っているのがポイント。その興味深い組み合わせは向こうでもやっているんだろうか。ともに、帰国しての年末は別々のギグの予定が入っているよう。
デリック・ホッジとクリス・デイヴのリズム隊はやっぱりおもしろい。ヴォコーダー/アルト・サックスのケイシー・ベンジャミンは相変わらずフィーチャーされる。グラスパーがソロを取る長さはより減じていて、リーダーとしてコードを押えながら全体の行き方を掌握するという傾向はより強まっているか。そして、中盤を折り返すと、ストークリーが出てきて、約30分中央に立って、歌う。結構、スキャットかましまくり。太い声で音程も正確、この前のブライアン・マクナイト(2010年11月24日)と比べても、ストークリーのほうがジャズ・ビッグ・バンドと合いそうとの思いが頭をかすめる。ステージ横には彼用のパーカッション類が置かれていたが、ストークリーはそちらを触らず延々、気分で流す歌に専念、いや、さすが彼、実力者でした。会場には、ソイル(2009年6月12日、他)のメンバーもいたな。
続いて、南青山・月見ル君想フで、60年代後期に世に出た英国人シンガー・ソングライターであるブリジット・セイント・ジョンを見る。会場入りすると、ちょうど彼女のソロによるパフォーマンスが始まるところ。アコースティック・ギターを手にステージ中央にすくっと立ち、アルペジオでギターを爪弾きながら悠々と歌を紡いで行く。その様だけで、自分の進べき道を等身大で歩んでいる人という印象を受け手に与えるか。同様にカルト的評価を受けるヴァシュティ・バニヤン(2010年3月15日)とも持ち味は重なるだろうが、彼女のほうが(一人で事を運んでいる事もあり)毅然とした感じは強い。MCによると、ディヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日。他)の曲もやったのかな。途中で、ボウで奏でる欧州的な民俗楽器を弾く日本人奏者が音をつけたりもしたが、きっちりと一人で場の空気を整え直せる人、なり。
途中退座して、渋谷・Bar Issheeへ。百戦錬磨リード奏者の田中邦和(2010年7月1日、他)とスーパー・ジャンキー・モンキーのかわいしのぶ(2007年7月22日、他)によるデュオ・パフォーマンスの投げ銭ライヴの日。まだやっているかなーと思ったら、始まるのが遅れたため2部が始まっばかりで、1時間ぐらいは見れた。基本、河合のすっとぼけたエレクトリック・ベースの弾き語りに田中が多彩なあいの手を入れるという感じか。他愛のない話のかけあいも全体の5分の1(で、その際に、次にやる曲も相談する。その提案は田中主導で行われる)。お客も一緒にやる、しりとりの歌は楽しかった。この店に来ると、興味深い音をかけられたり、DVDを見せらたりして、帰りがたくなる。が、時節柄、ココロを鬼にして、なんとか電車で帰る。
<追記>ロバート・グラスパーのバンド・サウンドを聞いていて、ぼくはスティーヴ・カーン(ギター)のアイウィットネスのことを思い出したりも。強靭かつしなやかなビートのもとぐいぐいと突き進んでいく様が重なるからか。アイウィットネスのドラマーはスティーヴ・ジョーダン(2010年10月26日、他)だった。書くの忘れたので、書き足しておく。なお、来年4月にアイウィットネスの流れを汲むスティーヴ・カーンの新作が出る見込みのようだ。
で、昨日の遅れを取り戻すのだと猛烈な勢いでキー・ボードに向かったあと、丸の内・コットンクラブへ。ファースト・ショウ。ヒップホップ時代のジャズ・マン像を謳歌するロバート・グラスパー(2009 年4月13日、他)のキャラ立ちサイド・マンをそろえたカルテット(2009年12月19日)のパフォーマンスは不動のメンバーにて。ただし、今回は現代R&B界ピカ一のセルフ・コンテインド・グループと言っても誇張にはならないだろうミント・コンディション(2009年7月10日、他)のフロント・マンであるストークリーを伴っているのがポイント。その興味深い組み合わせは向こうでもやっているんだろうか。ともに、帰国しての年末は別々のギグの予定が入っているよう。
デリック・ホッジとクリス・デイヴのリズム隊はやっぱりおもしろい。ヴォコーダー/アルト・サックスのケイシー・ベンジャミンは相変わらずフィーチャーされる。グラスパーがソロを取る長さはより減じていて、リーダーとしてコードを押えながら全体の行き方を掌握するという傾向はより強まっているか。そして、中盤を折り返すと、ストークリーが出てきて、約30分中央に立って、歌う。結構、スキャットかましまくり。太い声で音程も正確、この前のブライアン・マクナイト(2010年11月24日)と比べても、ストークリーのほうがジャズ・ビッグ・バンドと合いそうとの思いが頭をかすめる。ステージ横には彼用のパーカッション類が置かれていたが、ストークリーはそちらを触らず延々、気分で流す歌に専念、いや、さすが彼、実力者でした。会場には、ソイル(2009年6月12日、他)のメンバーもいたな。
続いて、南青山・月見ル君想フで、60年代後期に世に出た英国人シンガー・ソングライターであるブリジット・セイント・ジョンを見る。会場入りすると、ちょうど彼女のソロによるパフォーマンスが始まるところ。アコースティック・ギターを手にステージ中央にすくっと立ち、アルペジオでギターを爪弾きながら悠々と歌を紡いで行く。その様だけで、自分の進べき道を等身大で歩んでいる人という印象を受け手に与えるか。同様にカルト的評価を受けるヴァシュティ・バニヤン(2010年3月15日)とも持ち味は重なるだろうが、彼女のほうが(一人で事を運んでいる事もあり)毅然とした感じは強い。MCによると、ディヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日。他)の曲もやったのかな。途中で、ボウで奏でる欧州的な民俗楽器を弾く日本人奏者が音をつけたりもしたが、きっちりと一人で場の空気を整え直せる人、なり。
途中退座して、渋谷・Bar Issheeへ。百戦錬磨リード奏者の田中邦和(2010年7月1日、他)とスーパー・ジャンキー・モンキーのかわいしのぶ(2007年7月22日、他)によるデュオ・パフォーマンスの投げ銭ライヴの日。まだやっているかなーと思ったら、始まるのが遅れたため2部が始まっばかりで、1時間ぐらいは見れた。基本、河合のすっとぼけたエレクトリック・ベースの弾き語りに田中が多彩なあいの手を入れるという感じか。他愛のない話のかけあいも全体の5分の1(で、その際に、次にやる曲も相談する。その提案は田中主導で行われる)。お客も一緒にやる、しりとりの歌は楽しかった。この店に来ると、興味深い音をかけられたり、DVDを見せらたりして、帰りがたくなる。が、時節柄、ココロを鬼にして、なんとか電車で帰る。
<追記>ロバート・グラスパーのバンド・サウンドを聞いていて、ぼくはスティーヴ・カーン(ギター)のアイウィットネスのことを思い出したりも。強靭かつしなやかなビートのもとぐいぐいと突き進んでいく様が重なるからか。アイウィットネスのドラマーはスティーヴ・ジョーダン(2010年10月26日、他)だった。書くの忘れたので、書き足しておく。なお、来年4月にアイウィットネスの流れを汲むスティーヴ・カーンの新作が出る見込みのようだ。
70年代に熱心な支持者を集めたUKプログ(レッシヴ)・ロック・バンドであるジェントル・ジャイアントの残党たちによるバンドで、そのバンド名はその72年作のタイトルから。とともに、オリジナル・メンバーが3人いたことで、つけもしたのか。昨年に続く来日で、旧メンバーは2人となったようが、そのバンド名は引き継いでいる。南青山・月見ル君想フ、13時からのマチネー公演。柔和な日差しが気持ちいい、穏やかな昼下がり。陽が落ちると、それなりに冷えたが。
ヴォーカル、ギター/コーラス、キーボード、ベース/コーラス、ドラムという布陣で、構成員はヤレた英国人たち。60代から40代にかけての人達か。昨年は7人編成だったそうだが、今年は5人にてパフォーマンス。昨年のギグは見ていないので比較はできないが、何ら過不足は感じない。楽器が重ならない分、楽器音の噛み合わせが明解に受け取り易い部分はあるだろう。で、やはり皆、腕はたつ。変テコな旋律を滑らか高音ヴォイスで悠々と追う歌うシンガーは相当な実力者だし、他の楽器担当者も本当にそう。べース奏者の弦を爪弾く方の右手はいろんな使い方をしていたな。ドラマーは“グルーヴ・ポリス”たるぼく(かつて、T.M.スティーヴンス;2001年10月31日、がそう名付けてくれました)にとっては“溜め”が足りないが、技術はある。パンク・ロック期以前の英国人ミュージシャンは上手い、とは言われるが、本当にそう思う。
乱調は美に収束する……。いろんな仕掛けに富んだ、捉えどころのなさ/意外性がうれしい長尺ぎみ楽曲群はジェントル・ジャイアントの既発曲だったのだろうか。おそらく、それがすぐに解る人達がここには来ているのだろうナ。ともあれ、プログ・ロックを崇めないぼくでも、その真価、おもしろさは十二分に認知できた。なるほどと思ったのは、具体的なソロ・パートをあまり作ることなしに、アンサンブルの発展〜構成の妙で機微と機知と意欲に満ちた曲を紡いでいたこと。その確かな楽器音の噛み合いはカチっと定まりつつ、ちゃんと流動感を作り出してもいた。
感心。レトロなところもゼロ。今、20代のバンドが同様のことをやったら、とんでもない新鋭とおおいに話題を呼ぶのは間違いない。でもって、同傾向のバンドが同地域から3つ4つ相次いだとしたら、いわゆる“ブルックリン派”のごとく、新たな切り口を与えて、ロック界は大騒ぎとなるのではないか。
(追記)がーん。ドン・ヴァン・ヴリートことドン・グレン・ヴリート、あのキャプテン・ビーフハートが、17日に、ずっと患っていたという多発性硬化症のために死去(1941年1月15日〜2010年12月17日)。80年代にはいると画家に専念、その音楽からは離れて以降の仕事はちゃんとチェックしたことがなかったけど、けっこうショック。人は必ず死ぬ、それゆえ、鬼籍入りしても過剰に悲しまない(ようにする)ワタシではあるが、彼に関してはなんか……。ああ、イケてたカリフォルニアン。16日の最後の店で朋友の故フランク・ザッパのサタデイ・ナイト・ライヴ出演時の映像を見ながら、(変拍子&仕掛けありまくりの)サッパはもう生理的にキツくて聞けないけどキャプテン・ビーフハートはいまだ聞けるなんて、会話をしたばかりだった。比較的ポップなヴァージン期あたりの音楽性と重なるようなバンドをやってみたい、ナ。まあ、そんなぼくの願望とは別に、オルタナ人力ヒップホップのありかたの物凄い正解の一つとして、キャプテン・ビーフハートの行き方はおおいに参照されるべきもののはず。
ヴォーカル、ギター/コーラス、キーボード、ベース/コーラス、ドラムという布陣で、構成員はヤレた英国人たち。60代から40代にかけての人達か。昨年は7人編成だったそうだが、今年は5人にてパフォーマンス。昨年のギグは見ていないので比較はできないが、何ら過不足は感じない。楽器が重ならない分、楽器音の噛み合わせが明解に受け取り易い部分はあるだろう。で、やはり皆、腕はたつ。変テコな旋律を滑らか高音ヴォイスで悠々と追う歌うシンガーは相当な実力者だし、他の楽器担当者も本当にそう。べース奏者の弦を爪弾く方の右手はいろんな使い方をしていたな。ドラマーは“グルーヴ・ポリス”たるぼく(かつて、T.M.スティーヴンス;2001年10月31日、がそう名付けてくれました)にとっては“溜め”が足りないが、技術はある。パンク・ロック期以前の英国人ミュージシャンは上手い、とは言われるが、本当にそう思う。
乱調は美に収束する……。いろんな仕掛けに富んだ、捉えどころのなさ/意外性がうれしい長尺ぎみ楽曲群はジェントル・ジャイアントの既発曲だったのだろうか。おそらく、それがすぐに解る人達がここには来ているのだろうナ。ともあれ、プログ・ロックを崇めないぼくでも、その真価、おもしろさは十二分に認知できた。なるほどと思ったのは、具体的なソロ・パートをあまり作ることなしに、アンサンブルの発展〜構成の妙で機微と機知と意欲に満ちた曲を紡いでいたこと。その確かな楽器音の噛み合いはカチっと定まりつつ、ちゃんと流動感を作り出してもいた。
感心。レトロなところもゼロ。今、20代のバンドが同様のことをやったら、とんでもない新鋭とおおいに話題を呼ぶのは間違いない。でもって、同傾向のバンドが同地域から3つ4つ相次いだとしたら、いわゆる“ブルックリン派”のごとく、新たな切り口を与えて、ロック界は大騒ぎとなるのではないか。
(追記)がーん。ドン・ヴァン・ヴリートことドン・グレン・ヴリート、あのキャプテン・ビーフハートが、17日に、ずっと患っていたという多発性硬化症のために死去(1941年1月15日〜2010年12月17日)。80年代にはいると画家に専念、その音楽からは離れて以降の仕事はちゃんとチェックしたことがなかったけど、けっこうショック。人は必ず死ぬ、それゆえ、鬼籍入りしても過剰に悲しまない(ようにする)ワタシではあるが、彼に関してはなんか……。ああ、イケてたカリフォルニアン。16日の最後の店で朋友の故フランク・ザッパのサタデイ・ナイト・ライヴ出演時の映像を見ながら、(変拍子&仕掛けありまくりの)サッパはもう生理的にキツくて聞けないけどキャプテン・ビーフハートはいまだ聞けるなんて、会話をしたばかりだった。比較的ポップなヴァージン期あたりの音楽性と重なるようなバンドをやってみたい、ナ。まあ、そんなぼくの願望とは別に、オルタナ人力ヒップホップのありかたの物凄い正解の一つとして、キャプテン・ビーフハートの行き方はおおいに参照されるべきもののはず。
TOYONO、他。夜ジャズ
2010年12月22日 音楽 早朝かなり降雨し、昼は相当な晴天。もうびっくりするぐらい温度も上がり、昼間は窓を全開にして、仕事をする。夕方、六本木で打ち合わせをこなし、朝青龍や海老像紛争地点に近い(時事ネタ。数年後に読むと、何の事?となりそう)西麻布の知人の事務所に。オフィスでシャンパンをいただいたあと、少し流れる。周辺、とてもにぎわっている。なんか綺麗な女の子、いっぱい歩いていたような。
その後、青山・プラッサオンゼに向かったが、タクシーが基本料金で済んでありゃ。近いんだな。昨年も見た(2009年12月18日)、ブラジル音楽に魅せられた女性シンガーたち、統率者のTOYONO(2010年2月3日、他)、月路奏、Nobie(2010月10月7日、他)、yuki……昨年と同じ4人がにこやかにフロントに立つクリスマスにちなんだ特別出し物。第2部から見る。今回はギター、ベース、打楽器がサポート。イヴァン・リンスやダニー・ハサウェイやザ・ジャクソン5が歌ったクリスマス・ソングをブラジル的属性を通ったバッキング・サウンドで披露。
背の順に横一線に並ぶシンガー陣は4人でハモったり、一人がコーラスの上で即興的に歌ったりする場合もあるが、けっこう1コーラスごとに歌い繋いで行く様式をとることが多い。それに触れつつ思ったのだが、皆キーが同じわけはないので(でも、どちらかというと低めの声を持つ人がそろっていると思った)、その部分の調整は大変なのではないか。また、歌い継ぐというスタイルはもろにシンガー間の比較がし易いわけで、やっている側はやりづらくないのかなととかも思ったり。趣味の重なりや友情はそれを超える、か。
ほんわか。いい気持ちになり、カイピリーニャぐびぐび。この時期だけサーヴしているバネットーネとアイスクリームからなるブラジアン・デザートもパクリ。やー、ホリディ・シーズンよのお。で、またタクシーに飛び乗り(すぐに拾えてびっくり。さすが、このあと深夜に乗ろうとした時は捕まえにくかったが)、渋谷・Jzブラットに。須永辰緒が主宰するイヴェント“夜ジャズ”が開かれていて、こちらもクリスマス特別ヴァージョンを謳う。ちょうど、ザ・ファイヴ・コーナー・クインテットのユッカ・エスコラ(トランペット)のクインテットのライヴが始る。サックス奏者との二管で、スピード観溢れるハード・バップ演奏を披露。ジャズに燃える、若きフライング・フィンたち、なり。ユッカはちょいジェイミー・カラム(2006年6月13日、他)に似るトっぽさを持つ?
盛況。かなりの入りで、知り合いにもいろいろ会う。混んでいるためか、そんなにタバコを吸う人が見受けられるわけではないが、煙がきつい。やっぱ、そういう部分で、オレ、クラブ駄目だァ。DJ をはさんで、その後は大西順子トリオの登場。今回のリズム隊は井上陽介(2009年4月1日)とジーン・ジャクソン。この顔ぶれは大西の09年復帰作『楽興の時』と同じで、リズム隊はそれぞれ六本木アルファーとモーション・ブルー・ヨコハマのギグを終えて駆けつけたという。ハンコックやデイヴ・ホランド他いろんな人達のアルバムで叩いているジャクソンは奥様が日本人とのことでけっこう東京にいる時も少なくないよう。
大西がこの手のクラブ・イヴェントに出るのは初めてのよう。普段とは異なる客層/場内環境に、彼女が困惑&高揚している感じもあったか否か。43歳のおばさんですがよろしくお願いします、みたいなMCも。で、乱暴なところはそれでアリにして行っちゃおうというノリで1時間。エスコラ・クインテットのピアニストはグランド・ビアノと電気ピアノを併用していて、そのまま楽器が置かれていたためか、ときに大西はエレクトリック・ピアノを弾いたり(98年作『フライジャル』で示されているように、それも彼女は嫌いではない)、右手エレピ/左手は生ピアノ、という時があったりも。ジョー・ザヴィヌル曲もやった? ま、もう一つの奔放な、ある夜の大西……。彼女渾身の10年新作『バロック』は夏から秋にかけて米国や欧州各国でリリースされたはずだが、評判はどうなんだろう。
その後、青山・プラッサオンゼに向かったが、タクシーが基本料金で済んでありゃ。近いんだな。昨年も見た(2009年12月18日)、ブラジル音楽に魅せられた女性シンガーたち、統率者のTOYONO(2010年2月3日、他)、月路奏、Nobie(2010月10月7日、他)、yuki……昨年と同じ4人がにこやかにフロントに立つクリスマスにちなんだ特別出し物。第2部から見る。今回はギター、ベース、打楽器がサポート。イヴァン・リンスやダニー・ハサウェイやザ・ジャクソン5が歌ったクリスマス・ソングをブラジル的属性を通ったバッキング・サウンドで披露。
背の順に横一線に並ぶシンガー陣は4人でハモったり、一人がコーラスの上で即興的に歌ったりする場合もあるが、けっこう1コーラスごとに歌い繋いで行く様式をとることが多い。それに触れつつ思ったのだが、皆キーが同じわけはないので(でも、どちらかというと低めの声を持つ人がそろっていると思った)、その部分の調整は大変なのではないか。また、歌い継ぐというスタイルはもろにシンガー間の比較がし易いわけで、やっている側はやりづらくないのかなととかも思ったり。趣味の重なりや友情はそれを超える、か。
ほんわか。いい気持ちになり、カイピリーニャぐびぐび。この時期だけサーヴしているバネットーネとアイスクリームからなるブラジアン・デザートもパクリ。やー、ホリディ・シーズンよのお。で、またタクシーに飛び乗り(すぐに拾えてびっくり。さすが、このあと深夜に乗ろうとした時は捕まえにくかったが)、渋谷・Jzブラットに。須永辰緒が主宰するイヴェント“夜ジャズ”が開かれていて、こちらもクリスマス特別ヴァージョンを謳う。ちょうど、ザ・ファイヴ・コーナー・クインテットのユッカ・エスコラ(トランペット)のクインテットのライヴが始る。サックス奏者との二管で、スピード観溢れるハード・バップ演奏を披露。ジャズに燃える、若きフライング・フィンたち、なり。ユッカはちょいジェイミー・カラム(2006年6月13日、他)に似るトっぽさを持つ?
盛況。かなりの入りで、知り合いにもいろいろ会う。混んでいるためか、そんなにタバコを吸う人が見受けられるわけではないが、煙がきつい。やっぱ、そういう部分で、オレ、クラブ駄目だァ。DJ をはさんで、その後は大西順子トリオの登場。今回のリズム隊は井上陽介(2009年4月1日)とジーン・ジャクソン。この顔ぶれは大西の09年復帰作『楽興の時』と同じで、リズム隊はそれぞれ六本木アルファーとモーション・ブルー・ヨコハマのギグを終えて駆けつけたという。ハンコックやデイヴ・ホランド他いろんな人達のアルバムで叩いているジャクソンは奥様が日本人とのことでけっこう東京にいる時も少なくないよう。
大西がこの手のクラブ・イヴェントに出るのは初めてのよう。普段とは異なる客層/場内環境に、彼女が困惑&高揚している感じもあったか否か。43歳のおばさんですがよろしくお願いします、みたいなMCも。で、乱暴なところはそれでアリにして行っちゃおうというノリで1時間。エスコラ・クインテットのピアニストはグランド・ビアノと電気ピアノを併用していて、そのまま楽器が置かれていたためか、ときに大西はエレクトリック・ピアノを弾いたり(98年作『フライジャル』で示されているように、それも彼女は嫌いではない)、右手エレピ/左手は生ピアノ、という時があったりも。ジョー・ザヴィヌル曲もやった? ま、もう一つの奔放な、ある夜の大西……。彼女渾身の10年新作『バロック』は夏から秋にかけて米国や欧州各国でリリースされたはずだが、評判はどうなんだろう。
本日今年最後のインタヴュー(急遽、きまった)を六本木でし、その後、ちょい飲み会を経たりし、南青山・月見ル君想フに。わー、混んでるじゃん。TROPというイヴェント名は、Trip+Tropicalとチラシで説明されている。ここは食べ物をサーヴする店だが、この日はブラジル音楽つながり出演者の夕べということで、ラモスのお店がブラジリアン・フードを仕出ししていた。
会場入りすると、カンタス村田とサンバマシーンがパフォーマンス中。ブラジル系溌剌感/快楽性と広がりある日本語のポップスを巧みに噛み合わせたことをやる、ブラス奏者や打楽器奏者が複数いるバンド。皆かなり若そうだが、おお、これはポップ・ミュージックとしてこなれていて、華がある。親しみやすくも、ウキウキさせる。で、思い出したのは、(実は、そんなに聞いてはいないんだけど)サザン・オールスターズ。……70年代後期にサザンはリトル・フィートへの傾倒を経て間口の広い自分たちの賑やかしの表現を作ったのに対し、いま青春まっただ中という風情を持つカンタス村田たちはブラジル音楽への憧憬を触媒にエンターテインメント性豊かなポップ表現を浮き上がらせている、と、言いたくなる。識者の方々、一見一聴をおすすめします。なんでも、明けて3月にアルバムが出るようだ。ショウの最後に、サンバの女性ダンサーも一人出てきた。客の盛り上がりも派手で、ちゃんと固定ファンもついているよう。
中原仁(敬称略。2010年、飲み屋遭遇率が一番高かった知り合いは、間違いなく彼か)が出演者間をつなぐDJを勤め、客席フロアにはmocidad samba systemという大所帯打楽器隊が登場、怒濤のパフォーマンス。みんな笑顔で、どっか〜ん。リーダーのお兄さんの交通整理のもと、ごんごんとブラジル系打楽器の波が連なる。見せマス、鼓舞しマス、てな、なるほどイヴェント/パーティ向きの集団。サンバマシーン同様、彼らも男女混合で和気あいあいとやっているのがいいなあ。
そして、贔屓にしているバーでバイトをしているゆうこちゃんが打楽器奏者として入って(パンデイロ使い、堂にいっていたな)いる、キウイとパパイヤ、マンゴーズ が出てくる。うわあ、一体コレは。ぼくの想像超える、珍妙な折衷塩梅。中央にいる着物を来た女性は完全“和”な歌を聞かせ(←それは、バンドの全体のトーンを規定する)、三味線も弾く。リーダーらしきベース奏者はもろにレゲエの空間感覚を持つハマった演奏(右手遣いが素敵)をしつつ曲によっては打楽器に専念したりもし、ギター奏者はカヴァキーニョも手にし、さらにヴァイオリン/シタール奏者もいる。ドラマーは在日ファンク(2010年9月25日)で叩いている人だそう。と書いていても、???ですね。そんな彼らを見ながら、このバンドは日本マーケットをすっ飛ばして、海外で活動すべき(海外公演の経験もあるようだが)と思わずにはいられなかった。
その途中で、今年最後の忘年会にゴー。乗ったタクシーの運転手がやたらおしゃべりな人。というか、妙な抑揚&筋道で語りまくり、オヤっと思わせる人。普段はタクシーに乗ったときとか髪をカットしてもらっているときとか、従事者と話をするのをぼくは好まない。が、このときは、気持ちが弾んでいたこともあってか、あわせてペラおじさんになり、マシンガン・ダイアロ〜グ。目的地到着、「お客さん、話合うねえ。楽しいわあ。ねえ、もうちょっと乗って、話つづけません?」。おいおい。
会場入りすると、カンタス村田とサンバマシーンがパフォーマンス中。ブラジル系溌剌感/快楽性と広がりある日本語のポップスを巧みに噛み合わせたことをやる、ブラス奏者や打楽器奏者が複数いるバンド。皆かなり若そうだが、おお、これはポップ・ミュージックとしてこなれていて、華がある。親しみやすくも、ウキウキさせる。で、思い出したのは、(実は、そんなに聞いてはいないんだけど)サザン・オールスターズ。……70年代後期にサザンはリトル・フィートへの傾倒を経て間口の広い自分たちの賑やかしの表現を作ったのに対し、いま青春まっただ中という風情を持つカンタス村田たちはブラジル音楽への憧憬を触媒にエンターテインメント性豊かなポップ表現を浮き上がらせている、と、言いたくなる。識者の方々、一見一聴をおすすめします。なんでも、明けて3月にアルバムが出るようだ。ショウの最後に、サンバの女性ダンサーも一人出てきた。客の盛り上がりも派手で、ちゃんと固定ファンもついているよう。
中原仁(敬称略。2010年、飲み屋遭遇率が一番高かった知り合いは、間違いなく彼か)が出演者間をつなぐDJを勤め、客席フロアにはmocidad samba systemという大所帯打楽器隊が登場、怒濤のパフォーマンス。みんな笑顔で、どっか〜ん。リーダーのお兄さんの交通整理のもと、ごんごんとブラジル系打楽器の波が連なる。見せマス、鼓舞しマス、てな、なるほどイヴェント/パーティ向きの集団。サンバマシーン同様、彼らも男女混合で和気あいあいとやっているのがいいなあ。
そして、贔屓にしているバーでバイトをしているゆうこちゃんが打楽器奏者として入って(パンデイロ使い、堂にいっていたな)いる、キウイとパパイヤ、マンゴーズ が出てくる。うわあ、一体コレは。ぼくの想像超える、珍妙な折衷塩梅。中央にいる着物を来た女性は完全“和”な歌を聞かせ(←それは、バンドの全体のトーンを規定する)、三味線も弾く。リーダーらしきベース奏者はもろにレゲエの空間感覚を持つハマった演奏(右手遣いが素敵)をしつつ曲によっては打楽器に専念したりもし、ギター奏者はカヴァキーニョも手にし、さらにヴァイオリン/シタール奏者もいる。ドラマーは在日ファンク(2010年9月25日)で叩いている人だそう。と書いていても、???ですね。そんな彼らを見ながら、このバンドは日本マーケットをすっ飛ばして、海外で活動すべき(海外公演の経験もあるようだが)と思わずにはいられなかった。
その途中で、今年最後の忘年会にゴー。乗ったタクシーの運転手がやたらおしゃべりな人。というか、妙な抑揚&筋道で語りまくり、オヤっと思わせる人。普段はタクシーに乗ったときとか髪をカットしてもらっているときとか、従事者と話をするのをぼくは好まない。が、このときは、気持ちが弾んでいたこともあってか、あわせてペラおじさんになり、マシンガン・ダイアロ〜グ。目的地到着、「お客さん、話合うねえ。楽しいわあ。ねえ、もうちょっと乗って、話つづけません?」。おいおい。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。年末時間割で18時スタート、満席だった。出演者は、米国ジャズ史にばっちり名を残す大御所バンド・リーダー/ピアニストの名を継ぐ、著名ビッグ・バンド。学生っぽい女子がけっこういて、それはビッグ・バンドをやっている人達だろうか。楽団奏者の総勢は17人、現在の指揮者を勤めるのは、ドラマーとして最初はベイシー・オーケストラに入ったデニス・マクレル。そこそこ歳も行っているのかと思ったら、そんなにじじいではない。すらりと長身で、かなり見栄えのする人。MCは長くはやらないがお茶目で、客に対してのアピール度は低くない。で、テンポを決めて曲をスタートさせるとすうっとステージ袖にひっこむ(そして、また決めのときにステージ上に表れたりする)。まあ、手慣れたレパートリー、それで大丈夫なんだろうし、鬼気迫ることやろうとしているわけではないので、スーダラでも違和感は感じない。サックス、トロンボーン、トランペット・セクションと3列に並ぶ管楽器奏者たちは余裕ある感じで座っていたような気がし、もしかするとステージの前後をいつもより広げていたかもしれない。
ハレの場の、輝かしい娯楽の表現。もう少し、管楽器群がいさましく咆哮してもいいかもとは感じたが、随所からそういうノリは出ていたか。彼らは大晦日のカウントダウン公演、および元旦のニュー・イアー公演もやるようだが、それは合うだろうな。トランペットの方々は暇なときウェイヴをしたり、ちょっと仕草におどけたところを見せたりも。俺たちの演奏を楽しんでくれてありがとうといった感じが奏者たちからは出ていて、みんなうれしそうに振る舞っていた。
そして、中盤を折り返すと、普段はピンのR&B歌手として来日している、レディシー(2010年1月8日、他)が楽団付きシンガーとして登場。彼女は黒のぴったり気味の膝上丈のドレスを着用する。驚いたのは、別のコンダクターを伴って登場し、レディシーが歌うときはデニス・マクレルは下がり、一緒に出てきた人が指揮をしたこと。奏者には白人も何人かいたが、彼らはアフリカンだ。そのもう一人のコンダクターはマイケルなんとかと紹介されていたが、彼も普段はバンド・リーダーとかアレンジャーとかやっているようで、CDもリリースしているよう。会場でインディ・レーベルをやっている人と会ったが、彼のCDを出しませんかという話があって見に来たというから。
もともと、度外れてジャジーな歌い方が得意な人だけに、レディシーははまりまくるんだろうなと想像したが、水を得た魚……という感じではなかった。と、書くと誤解を生むかな。嬉々として彼女はジャズ・ナンバーを歌い、ときにスキャットを噛ました。だが、その風情、バンドとの重なり方は正統派ジャズ・シンガーど真ん中というものではなかったから。どこか、そこからは離れる、何かをぼくは覚えた。とともに、レディシーの持ち味や我の強さのようなものも、再認識したか。やっぱり、彼女は広がりがある、スケールのでかいR&B歌手……ソツなくジャズ流儀/ビッグ・バンド付きシンガー流儀に合わせた姿を見せるよりはよほど彼女っぽいとも、ぼくは思った。
そして、渋谷に一度戻って用事を片付けたあとに、青山・プラッサ・オンゼに行く。21 時半ぐらいからの2部から見て、こちらの出演者はピカイア・パンデイロ・スペシャル(E4)。渡辺隆雄(トランペット、打楽器、歌。2010年1月9日、他)と小澤敏也(打楽器)の二人に、ギターの臼井康浩(2009年7月9日、他)と打楽器の岡部洋一(2008年1月31日、他)が加わった単位でのもの。ブラジル音楽のいろんなビートを活用しつつ、ジャズや形容に困るポップネスなんかも織り込んだ事を颯爽とやる。不思議な折衷性、あり。心意気に富んだというか、澄んだ音楽愛なんかもすうっと出しちゃいもするかな。それは、フロント中央に立ち、MCもする渡辺が醸し出す部分も大きいか。彼は梅津和時(2003年3月20日、他)関連のギグにも加わったりもする人だが、清志郎バンド(2005年7月25日)にも入っていたらしい。ふむふむ。あと、藤井郷子オーケストラ東京のメンバーでもありますね。藤井オーケストラ名古屋(2006年7月3日)の世話人が臼井だったりするが、この晩のような音楽を聞かせるギグだと、彼のストラトキャスターを用いての変調ギター奏法は目立つ。実は彼、フォークがスタート・ラインだそうで、生ギターを爪弾くのも未だ嫌いではないそう。
そこで、めでたい話を聞く。Kちゃん、おめでとう! きっと、君を知る者は皆、誰よりもあなたに幸せになってほしいと心底思っているはず。で、ぐびぐび。ぐび。うー、まだ仕事終わってねー。30日から一週間はすべてをふっとばします。
ハレの場の、輝かしい娯楽の表現。もう少し、管楽器群がいさましく咆哮してもいいかもとは感じたが、随所からそういうノリは出ていたか。彼らは大晦日のカウントダウン公演、および元旦のニュー・イアー公演もやるようだが、それは合うだろうな。トランペットの方々は暇なときウェイヴをしたり、ちょっと仕草におどけたところを見せたりも。俺たちの演奏を楽しんでくれてありがとうといった感じが奏者たちからは出ていて、みんなうれしそうに振る舞っていた。
そして、中盤を折り返すと、普段はピンのR&B歌手として来日している、レディシー(2010年1月8日、他)が楽団付きシンガーとして登場。彼女は黒のぴったり気味の膝上丈のドレスを着用する。驚いたのは、別のコンダクターを伴って登場し、レディシーが歌うときはデニス・マクレルは下がり、一緒に出てきた人が指揮をしたこと。奏者には白人も何人かいたが、彼らはアフリカンだ。そのもう一人のコンダクターはマイケルなんとかと紹介されていたが、彼も普段はバンド・リーダーとかアレンジャーとかやっているようで、CDもリリースしているよう。会場でインディ・レーベルをやっている人と会ったが、彼のCDを出しませんかという話があって見に来たというから。
もともと、度外れてジャジーな歌い方が得意な人だけに、レディシーははまりまくるんだろうなと想像したが、水を得た魚……という感じではなかった。と、書くと誤解を生むかな。嬉々として彼女はジャズ・ナンバーを歌い、ときにスキャットを噛ました。だが、その風情、バンドとの重なり方は正統派ジャズ・シンガーど真ん中というものではなかったから。どこか、そこからは離れる、何かをぼくは覚えた。とともに、レディシーの持ち味や我の強さのようなものも、再認識したか。やっぱり、彼女は広がりがある、スケールのでかいR&B歌手……ソツなくジャズ流儀/ビッグ・バンド付きシンガー流儀に合わせた姿を見せるよりはよほど彼女っぽいとも、ぼくは思った。
そして、渋谷に一度戻って用事を片付けたあとに、青山・プラッサ・オンゼに行く。21 時半ぐらいからの2部から見て、こちらの出演者はピカイア・パンデイロ・スペシャル(E4)。渡辺隆雄(トランペット、打楽器、歌。2010年1月9日、他)と小澤敏也(打楽器)の二人に、ギターの臼井康浩(2009年7月9日、他)と打楽器の岡部洋一(2008年1月31日、他)が加わった単位でのもの。ブラジル音楽のいろんなビートを活用しつつ、ジャズや形容に困るポップネスなんかも織り込んだ事を颯爽とやる。不思議な折衷性、あり。心意気に富んだというか、澄んだ音楽愛なんかもすうっと出しちゃいもするかな。それは、フロント中央に立ち、MCもする渡辺が醸し出す部分も大きいか。彼は梅津和時(2003年3月20日、他)関連のギグにも加わったりもする人だが、清志郎バンド(2005年7月25日)にも入っていたらしい。ふむふむ。あと、藤井郷子オーケストラ東京のメンバーでもありますね。藤井オーケストラ名古屋(2006年7月3日)の世話人が臼井だったりするが、この晩のような音楽を聞かせるギグだと、彼のストラトキャスターを用いての変調ギター奏法は目立つ。実は彼、フォークがスタート・ラインだそうで、生ギターを爪弾くのも未だ嫌いではないそう。
そこで、めでたい話を聞く。Kちゃん、おめでとう! きっと、君を知る者は皆、誰よりもあなたに幸せになってほしいと心底思っているはず。で、ぐびぐび。ぐび。うー、まだ仕事終わってねー。30日から一週間はすべてをふっとばします。