渋谷・WWWで、アイルランドのダブリン在住のシンガー・ソングライターであるジェイムス・ヴィンセント・マクモローを見る。彼は、弾き語りにてパフォーマンスを遂行した。

 キーボード弾き語りのブロックとエレクトリック・ギター弾き語りの塊を行ったり来たり。曲もジェイムス・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日、2017年2月25日)を思い出させるようなソウル調から実直目のシンガー・ソングライター的な味を持つものまでいろいろあるが、それらはスピリチュアルという言葉に集約されよう。それゆえ、ジェフ・バックリーの愛好者にアピールする余地があるかもしれない。また、どこかに今様さを持っていて、アウスゲイル(2015年1月12日)を思い出したりもする。歌はファルセットが中心だが、地声も高め(その際はかなり大きめの声で飛ばす)で、どっちにせよ、歌える人だなという感想は出てくる。


 キーボードはエレピ音色のノード・エレクトロと鍵盤数の少ないシンセサイザーの2段重ね、それ昨日見た(今日もコットンクラブでやっている)ジョーダン・ラカイ(2017年3月14日)と同じ。マクモローもほんの1部だがプリセットのビート音を使う場合があったものの、素の弾き語り表現という印象は崩れない。

 ギター(その音色、実にそっけない)を爪弾いて歌う場合は、コードづかいがシンプルになる。曲によっては変則チューニングを用いているようであったか。その使用楽器の使い分けは、鍵盤で曲を作ったか、それともギターで曲を作るかに従うのだろうか。キーボードを弾いた曲に何気にスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)ぽいと感じさせるものがあったが、それウィンウッドの「ハイヤー・ラヴ」やったんじゃないのという人がいた。そうかもしれない。

 それから、実演に触れていて感じるのは、朴訥さ、人間臭さのようなもの。それは、アイリッシュぽいなあという感想に結びつく。客は外国人も多かった。

▶過去の、ジェイムス・ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201702261130301434/
▶︎過去の、アウスゲイル
http://43142.diarynote.jp/201501131649383715/
▶︎過去の、ジョーダン・ラカイ
http://43142.diarynote.jp/201703161148366918/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック

<今日の、ぶつぶつ>
 弾き語り公演だと、演奏中の携帯カメラのシャッター音は気になる。また、携帯を構える人の液晶ディスプレイも後ろに立つ身としてはおおいにうざい。どうして心にライヴの模様を刻まずに、機械に刻もうとするのか? 了見の狭い男と思われようが、ぼくは携帯電話によるライヴ撮影否定派。それを知り合いに言ったら、しょっちゅうライヴに行っているぼくと違い、なかには半年ぶりにライヴに来た!と感激している人もいるのだから、おおめに見てよと言われた。入口にある、出演者案内表示を撮るだけじゃダメなの? それに、やっと来たという貴重なライヴならぼくは余計にショウに没入して、その最中に携帯を構える余裕などなくなると思うが。まあオレ、保存も杜撰だし、映像を記念に収めるという思考の回路が希薄。旅に出てもそうだし、インタヴューをした際も決定的に好きなアーティスト以外は対象と一緒に写真を撮ったりしない。先方から申し出たり、媒体の立会いの人がSNS告知用に撮りたいと言ってきた場合はニコリ収まるものの……。