レイク・ストリート・ダイヴ。マーキス・ヒル・ブラックテット
2017年1月16日 音楽 2004年にボストンで結成され、2016年新作『サイド・ポニー』はノンサッチからリリースされている、男女混合の白人ポップ・ロック・バンドを南青山・ブルーノート東京で見る。とても声が伸びる女性シンガー、男性ギタリスト(一切ソロを取らないが、3曲ではギターを置いてトランペットを演奏する)、女性ダブル・ベース奏者(音色はけっこう変える)、男性ドラマーという、男女二人づつのグループだ。
<大人のクールなバブルガム・ポップ>、<レトロな手触りもうまく用いた、末広がりビート・ポップ>、そんな言い方もできる? いろいろな音楽知識の蓄積を(ジャニス・ジョプリンの「ピース・オブ・マイ・ハート」をうまくは部分的にはめ込んだような曲もあり)散りばめた、大人の思慮とポップ・ミュージックの敷居の低さを共に抱えるような表現の数々を和気藹々と披露。コーラスが何気に効いていて、いい感じ。初来日のようで、初々しさが溢れ、それは接していて心和む。
移動して、丸の内・コットンクラブへ。出演者は先日、マーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日)のグループで来日したばかりのトランペッターのマーキス・ヒル(2016年9月17日、2017年1月7日)。で、別に舐めていたわけではないのだが(いや御免なさい、舐めていたんだろうな)、当方の想像するところをはるかに超える現代ジャズ表現(フュージョン臭、ゼロ)を提出し、驚いた。これは、今の米国人若手のジャズを云々するならチェックするべきアクトであると、ぼくは痛感してしまった。
ブラックテットと名付けるコンボを率いてのもので、アルト・サックスのジョシュ・ジョンソン、キーボードのジェイムス・フランシース、アコースティック・ベースのジェレミアー・ハント、ドラムのジョン・デイヴィス、という面々。ドラマーを除いては、ヒルが生まれて今も住むシカゴのシーンの奏者のよう。ぼくは彼らの名前を初めて知る。ヒルはファースト・ネームにジャズのJが付く人を擁したかったようだ←嘘。ヒルのコンコード発の2016作『The Way We Play』参加者との顔ぶれは重なっていない。同作はピアノレス編成でジャスティン・トーマスというヴァイブラフォン・プレイヤーがコード楽器の奏者として入っていたが、こちらは一応、通常の二菅のカルテットという編成を取っている。
実のところ『The Way We Play』は日本制作かと思ってしまうようなジャズ・スタンダード集であったが、ステージで彼は3曲ジャズ先達曲(ホレス・シルヴァー、ジジ・グライス、ハービー・ハンコック)を飛躍を盛り込む方で、そして(多分)オリジナルを3曲披露した。
オープナーは、なんかウディ・ショウの1979年人気盤『Stepping Stones : Live at Village Vanguerd』(Columbia)に入っていてもおかしくないような創意と意気が溶け合った曲。おお格好いいじゃねえかと、すぐに身を乗り出す。で、驚いたのは、21歳という鍵盤奏者がずっと(全ての曲で)エレクトリック・ピアノを弾いたこと。ピアノはステージの横に片付けられ、フェンダー・ローズしかステージ上に置いていない。そのフランシースの指さばきは電気ピアノの音を効果的に介するもので、ふむと頷く。これは、実力者。一つはっきりと分かったのは、ヒルはアコースティック・ピアノが規定するジャズの表情から逃れようとしているということ。新作では古臭い主題を取りつつスポークン・ワードを入れたりもしていたが、マジ一筋縄ではいかない人だな。
リズム・セクションは、旧来のアコースティックな音色をばっちり取る。そして、そこにアコースティック・ピアノでなくエレピ音(ときに、エフェクターもかまされる)が乗ると、どこかいつもと違うジャズの表情が間違いなく浮き上がる。ベース奏者やドラマーもちゃんと今の揺れや立ちをしかと持つジャズ・ビートを送り出していて高揚。皆、20代だろうけど、いやはや米国には確かな若いジャズの担い手が育っていると思わずにはいられなかった。ジャズ、全然死んでいないよなあ。
フロントの二菅については、テーマ部におけるハーモニーがクールで、それだけで間違いなくジャズたる深みと輝きを出す。まず、それに感心。そして、ヒルのソロに触れてときにぼくが感じたのは、なぜかフレディ・ハバード。ドナルド・バードの純ジャズ時代の曲「フライ・リトル・バード・フライ」を新作で取り上げていたのでバードも好きなのは間違いないだろうけど。一方、アルト・サックス奏者は結構控えめなノリで演奏するのだが、間違いなく他者と差別化できるようななソロをとっていて○。二人とも、どこか全開にしていないように感じる部分をぼくは得た。だが、その一歩前で踏みとどまっているような風情にも、ぼくは今っぽくも好ましい老成感を感じてしまったんだよなあ。とかなんとか、皆んな良かったし、何よりその総体が才気たっぷり。拍手っ。”我々の演奏流儀”に満ちていた!
▶︎過去の、マーキス・ヒル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
<今日の、朗報?>
知人から、セレッソ大阪のオフィシャル・ルマガジン「12th」付録のJ1昇格記念ポスターに、送った我々の写真が採用されました、との連絡あり。昨年11月に試合を見に行った際〜http://43142.diarynote.jp/?day=20161114〜の集合写真。なんか、うれしい。セレッソのサポーターじゃないけど、オレやっぱりサッカー好きなんだな。
<大人のクールなバブルガム・ポップ>、<レトロな手触りもうまく用いた、末広がりビート・ポップ>、そんな言い方もできる? いろいろな音楽知識の蓄積を(ジャニス・ジョプリンの「ピース・オブ・マイ・ハート」をうまくは部分的にはめ込んだような曲もあり)散りばめた、大人の思慮とポップ・ミュージックの敷居の低さを共に抱えるような表現の数々を和気藹々と披露。コーラスが何気に効いていて、いい感じ。初来日のようで、初々しさが溢れ、それは接していて心和む。
移動して、丸の内・コットンクラブへ。出演者は先日、マーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日)のグループで来日したばかりのトランペッターのマーキス・ヒル(2016年9月17日、2017年1月7日)。で、別に舐めていたわけではないのだが(いや御免なさい、舐めていたんだろうな)、当方の想像するところをはるかに超える現代ジャズ表現(フュージョン臭、ゼロ)を提出し、驚いた。これは、今の米国人若手のジャズを云々するならチェックするべきアクトであると、ぼくは痛感してしまった。
ブラックテットと名付けるコンボを率いてのもので、アルト・サックスのジョシュ・ジョンソン、キーボードのジェイムス・フランシース、アコースティック・ベースのジェレミアー・ハント、ドラムのジョン・デイヴィス、という面々。ドラマーを除いては、ヒルが生まれて今も住むシカゴのシーンの奏者のよう。ぼくは彼らの名前を初めて知る。ヒルはファースト・ネームにジャズのJが付く人を擁したかったようだ←嘘。ヒルのコンコード発の2016作『The Way We Play』参加者との顔ぶれは重なっていない。同作はピアノレス編成でジャスティン・トーマスというヴァイブラフォン・プレイヤーがコード楽器の奏者として入っていたが、こちらは一応、通常の二菅のカルテットという編成を取っている。
実のところ『The Way We Play』は日本制作かと思ってしまうようなジャズ・スタンダード集であったが、ステージで彼は3曲ジャズ先達曲(ホレス・シルヴァー、ジジ・グライス、ハービー・ハンコック)を飛躍を盛り込む方で、そして(多分)オリジナルを3曲披露した。
オープナーは、なんかウディ・ショウの1979年人気盤『Stepping Stones : Live at Village Vanguerd』(Columbia)に入っていてもおかしくないような創意と意気が溶け合った曲。おお格好いいじゃねえかと、すぐに身を乗り出す。で、驚いたのは、21歳という鍵盤奏者がずっと(全ての曲で)エレクトリック・ピアノを弾いたこと。ピアノはステージの横に片付けられ、フェンダー・ローズしかステージ上に置いていない。そのフランシースの指さばきは電気ピアノの音を効果的に介するもので、ふむと頷く。これは、実力者。一つはっきりと分かったのは、ヒルはアコースティック・ピアノが規定するジャズの表情から逃れようとしているということ。新作では古臭い主題を取りつつスポークン・ワードを入れたりもしていたが、マジ一筋縄ではいかない人だな。
リズム・セクションは、旧来のアコースティックな音色をばっちり取る。そして、そこにアコースティック・ピアノでなくエレピ音(ときに、エフェクターもかまされる)が乗ると、どこかいつもと違うジャズの表情が間違いなく浮き上がる。ベース奏者やドラマーもちゃんと今の揺れや立ちをしかと持つジャズ・ビートを送り出していて高揚。皆、20代だろうけど、いやはや米国には確かな若いジャズの担い手が育っていると思わずにはいられなかった。ジャズ、全然死んでいないよなあ。
フロントの二菅については、テーマ部におけるハーモニーがクールで、それだけで間違いなくジャズたる深みと輝きを出す。まず、それに感心。そして、ヒルのソロに触れてときにぼくが感じたのは、なぜかフレディ・ハバード。ドナルド・バードの純ジャズ時代の曲「フライ・リトル・バード・フライ」を新作で取り上げていたのでバードも好きなのは間違いないだろうけど。一方、アルト・サックス奏者は結構控えめなノリで演奏するのだが、間違いなく他者と差別化できるようななソロをとっていて○。二人とも、どこか全開にしていないように感じる部分をぼくは得た。だが、その一歩前で踏みとどまっているような風情にも、ぼくは今っぽくも好ましい老成感を感じてしまったんだよなあ。とかなんとか、皆んな良かったし、何よりその総体が才気たっぷり。拍手っ。”我々の演奏流儀”に満ちていた!
▶︎過去の、マーキス・ヒル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
<今日の、朗報?>
知人から、セレッソ大阪のオフィシャル・ルマガジン「12th」付録のJ1昇格記念ポスターに、送った我々の写真が採用されました、との連絡あり。昨年11月に試合を見に行った際〜http://43142.diarynote.jp/?day=20161114〜の集合写真。なんか、うれしい。セレッソのサポーターじゃないけど、オレやっぱりサッカー好きなんだな。