マイルス・デヴィスが電気バンド全盛時にあった1970年6月のスタジオ・セッションに参加し、“電波”な声や口笛やキーボード音を自分流に垂れ流し、なんなんじゃコイツはと御大がさじを投げた感じが『ライヴ・イヴィル』に記録されている天衣無縫ブラジル人音楽家(2004年11月6日)の公演は、渋谷・WWW Xにて。ぼくは早い方の回を見たが、スタンディングで満場の入りであった。しかし、もう80歳なんだよなあ。見た目には元気そうでありました。あ、外見はガース・ハドソン(2013年8月2日)と故リオン・ラッセル(2005年11月24日)を重ねた感じもあるか。

 キーボードや笛や小物を操る本人に加え、ソプラノやテナーやフルートや横笛や縦笛のショータ・P、ピアノのアンドレ・マルケス、5弦電気ベースのイチベレ・ツヴァルギ、ドラムのアジュリナ・ツヴァルギ、パーカッションのファビオ・パスコアールという面々がサポートでつく。

 皆腕が立つが、演奏が始まっていささか驚く。かなりジャズ・フュージョンに寄りかかった演奏(ソロ回しも、律儀にやっておりました)をしていて。そりゃ、リズムをはじめブラジル属性がきっち入ったものではあるのだが、ぼくの耳にはもっと無勝手流においらなパフォーマンスをしてほしいと思ってしまった。この晩の実演だと、パスコアールという惑星の住人によるものというより、ジャズ・フュージョンという範疇の中でやんちゃする人物のライヴという感想を持ってしまうから。やっぱり、彼はジャズ好きなのか。ぼくにとってのパスコアールはもっと規格外の自由人であるのだと、ショウに触れながら、ぼくは自らのパスコアール像を反芻した。

 とはいえ、奇声をあげたり、ソロのパートが終わるとその演奏者の名前をがなったりとか、随所にとっちらかった側面を出して、ウヒョヒョヒョとなれたのは確かだし、オレはパスコアールのライヴを見ているというれしさを得たのは確か。バンド・メンバー全員が鳴り物を手にしてお茶目に前に集まる場合もあったが、そういうところは全面的に頷いてしまう。それから、途中に飲み物を買いに出て再び場内に戻ったら日本人がステージでフイーチャーされていた。打楽器を叩いていたのは、ケペル木村(2016年9月7日)だった。ミュージック・ラヴァーに国境なしというような、お高くとまらぬしなやかさも、またいいやね。なお、今回の公演は昨年1月に亡くなったブラジル人リード奏者/ピアニストの、ヴィニシウス・ドラン(1962〜2016年)に捧げられたもののよう。

▶︎過去の、エルメート・パスコアール
http://43142.diarynote.jp/200411071407550000/
▶過去の、ガース・ハドソン
http://43142.diarynote.jp/201308110826574632/
▶過去の、リオン・ラッセル
http://43142.diarynote.jp/200511281322500000/
▶︎過去の、ケペル木村
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/

<今日は、高湿度>
 年末年始と風が冷たい日もあったが、昼間は陽光注ぐ晴天で気持ちが良かった。が、本日は雨が降り出し、けっこう激しい。乾燥が緩和されるので、気持ちは曇らない、な。しかし、以前は加湿器を神経質と言えるほど活発に使っていたが、今は個人的には使用しなくなったなー。人間、歳をとると杜撰になる? 昔の加湿器は使用していると、ビニール袋やアナログ盤に白い粉がついたりもした。