「ONCE ダブリンの街角で」(2007年アイルランド映画)や「はじまりのうた」(2013年米国映画)など音楽映画を作っている1972年生まれアイルランド人監督ジョン・カーニーの新作(2015年アイルランド/イギリス/アメリカ映画)を見る。

 ダブリンに住む高校生が女目当てにバンドをやり始め……。これが、かなり都合のよい漫画チックな設定やストーリーが並び、オヤジはちとびっくりなのであったのだ。でも、心の中でツっこみを入れつつ見ていたら、最終的には主人公たちに感情移入もしてしまい、自分でもおおいに驚く。結果的に、これは秀でた青春ロック映画と断定するしかない。最後の荒唐無稽な旅立ちの場面には(ここでも、パスポートはどうしたあ?と突っ込む)、1971年英国映画「小さな恋のメロディ」(の最後のトロッコのシーン)に対するオマージュがあるかもしれないとも思った。外苑前・GAGA試写室。7月9日より、公開される。

 監督自身ダブリンで映画「ONCE ダブリンの街角で」に主演していたグレン・ハンサード(2009年5月20日、2009年1月15日)が組んでいたザ・フレイムズでベースを弾いていただけに、当時のダブリンの若者を取り巻く音楽状況はいろいろ投影されているはず。資料は、カーニーの自伝的映画と記している。映画は1985年のダブリンを舞台とするが、ロンドンに行かなきゃ出口なしみたいな描き方には少し驚く。というのも、当時U2は大ブレイクしていて、アイルランドのロックは外から脚光を浴びていたはずだから。ここで、主人公が目標とするのはデュラン・デュラン(劇中で、多くの人はジュラン・ジュランと発音している)のような妖艶ポップなロック。そして、劇中に用いられるのは、ザ・ジャム、ザ・キュアー、ザ・クラッシュ、ジョー・ジャクソン、ホール&オーツ(2005年3月21日、2011年2月28日)などで、U2(2006年12月4日)は影も形もなし。当時、部外者はアイルランド産ロックに実直とか無骨とかいうイメージを持っていたが、そういう流れのザ・ラジエイター・フロム・スペースやザ・アンダートーンズ、少し後のホットハウス・フラワーズ((1999年9月23日、2000年10月3日、2001年7月28日、2009年5月20日、2011年12月6日、2011年12月7日、2011年12月10日、2011年12月12日、2014年12月4日。ザ・フレイムズもそれらの流れに入りますね)などは一切出てこない。外の見方と違い、地元のロッカー予備軍はオサレな方向性のものに胸を焦がす場合が多かったことをカーニーは示したかったのか?

 主人公のバンドはシング・ストリートというが、彼らの劇中曲を作ったのは、1980年代下半期にヴァージンから2枚のアルバムを出していた好ポップ・ロック・バンドのダニー・ウィルソンを率いていたゲイリー・クラーク。彼が作ったデュラン・デュラン風の曲はほんと良くできていて大いにこっくりできる。また、曲作りのシーンやバンド練習/PV作りのシーンなども経験者が作るだけにかったるくない。山場で流される「ゴー・オン」という曲はカーニーとハンサードとマルーン5(2011年5月16日)のアダム・レヴィーン三者の共作曲で、レヴィーンが歌っている。

 これを見て、バンドやりたくならなかったら嘘。でも、今の若い人はどうなんだろ?

▶︎過去の、グレン・ハンサード
http://43142.diarynote.jp/200905221027321644/
http://43142.diarynote.jp/200901161818098587/
▶過去の、ホール&オーツ/ジョン・オーツ
http://43142.diarynote.jp/200503240456350000/
http://43142.diarynote.jp/201103031015296753/
http://43142.diarynote.jp/201204091013123643/
▶︎過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶︎過去の、ホットハウス・フラワーズ/リアム・オメンリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm(フジ・ロック、ホット・ハウス・フラワーズ)
http://43142.diarynote.jp/?month=200905
http://43142.diarynote.jp/201112171632304826/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201112191500441741/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
▶︎過去の、マルーン5
http://43142.diarynote.jp/201105170923444580/

<今日の、訃報>
 かねてから末期癌だと伝えられていた、ファンク・キーボードの魔術師であるバーニー・ウォーレル(2007年8月7日、2011年8月12日、2012年7月27日、2013年1月30日、2014年10月28日)がお亡くなりになった。72歳。P-ファンク好きながら、まだ一番ロックが大好物だった1980年代アタマ、彼へのロック側からの需要が出てきたときは本当に嬉しかった。ちゃんと取材したのは1988年、NYのトライベッカでのグラマヴィジョン・レコードのパーティの前にやったが、軽いゆらゆらしたおじさんだったよなあ。『ファンク・オブ・エイジズ』を出した時だった。その服飾感覚も含めて、アフリカン・アメリカン流儀の美味しい広がりを軽妙に伝えた逸材でした。その、カラフルにしてブっとんだ鍵盤使いにもう一度乾杯!
▶過去の、バーニー・ウォレル
http://43142.diarynote.jp/200708051740450000/
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
http://43142.diarynote.jp/201208091303253665/
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/?day=20141028