クラシックもいけちゃう、スペインの敏腕フラメンコ・ギタリスト(2013年12月18日)の公演。錦糸町・すみだトリフォニーホール。3つのパートに分かれていた。なんと、それは取り上げる楽曲の作者にて分けたものなり。作曲者はみな、スペイン人だ。カニサレスとサイド・ギタリストのファン・カルロス・ゴメスは譜面なしで悠々と演奏して行く。カンテ(歌)は入らず、すべてインストによる。

 一番目のブロックはマヌエル・デ・ファリァ(1876〜1946年)という人の曲をやる。基本、クラシックの側にいた作曲家のようだが、けっこうチャロ・エスピーノ(女性)とアンヘル・ムニョス(男性)というダンサーたちもなんなく加わる。ムニョスはカホンを叩き、エスピーノはカスタネット(←とても、お上手)も叩く。なんか、その二人も質が高いなと思うことしきり。2人は社交ダンスのように、リフトを見せたときもあり。

 二番目はホアキン・ロドリーゴ(1901〜1999年)の巻で、こちらはロドリーゴの有名曲「アランフェス協奏曲」の3つのパート(30分ぐらいだったかな)をオーケストラを伴い(40人弱、であったか。松尾葉子指揮)、開く。このパートには、ダンサー陣は登場しない。オーケストラ音にかんしてはシノゴ言うほど接していないのでよく分らないが、ときに響きにハっとした。

 そして、3つ目はファン・マヌエル・カニサレス(1966年〜)、つまり自作曲をサイド・ギタリストと、2人のダンサー/打楽器音担当者たちとともに披露する。こちらも、かなり普通のフラメンコから飛躍した曲調を持つものを取り上げながらも、ちょっとしたギターの刻みや揺れる感覚やらパルマの入り方やらからフラメンコの軸ときっちり繋がっていると思わせる。そこらへんの、核にあるものと広がる創意のただならぬ関係はうーむと唸らされる。

 とかいった設定のためもあるだろう、なんか前回の来日公演よも広がりがあって、とても面白かった。ギター演奏のことは何も触れていないが、余裕たっぷりのもと、パッションあり。
追記)同行の3人は前回と同じ顔ぶれとか。えっ。今回のほうが上等に思えました。

▶過去の、カニサレス
http://43142.diarynote.jp/201312191824334317/

<今日の、メール>
 <ブラジリアン・オリンピック・トラックス!>と表題されたメールが、ラテン音楽を扱っている英国インディのTumi Musicから送られてきた。レニーニ(2000年6月16日)とジューサ(2005年11月4日、2011年10月3日、2012年6月27日、2013年7月16日、2014年10月28日)が組んだ曲など、全11曲を聞くことができる。生まれたキューバを出て一時はブラジルを経てアルゼンチン勢と音楽作りやライヴをしていたキューバ出身のジューサだが、ここに来てブラジル勢との仕事が復活する? そういえば、キューバと米国の国交が回復したが、それはキューバの音楽や米国のラティーナの音楽にも影響を与えるのだろうか? 来月早々に来日するキューバ人ピアニストのロベルト・フォンセカは、どんな所感をもっているだろう。 以下、フォンセカさんに2013年1月にしたインタヴューを添付します。
▶過去の、レニーニ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm
▶過去の、ジューサ
http://43142.diarynote.jp/200511130412510000/
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
http://43142.diarynote.jp/201307210746577102/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
▶過去の、ロベルト・フォンセカ
http://43142.diarynote.jp/201001291746252351/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/
http://43142.diarynote.jp/201403240917556171/

——今はどちらにお住まいなのでしょう。
「ハバナだよ。NYやヨーロッパに住んでいるとよく思われるけど、拠点はずっとキューバに置いている」
——でも、英語もお得意ですし……。
「人と通じ合わなきゃいけないから。英語もちゃんとしゃべらないといけないよねえ」
——今、海外には1年のうちどのぐらい出ているのでしょう。
「1年に6ヶ月は出ているよね。半々かなあ」
——さっそく、新作『ジョ』のことをお聞きします。このアルバムから新しい段階に入ったと、ぼくはおおいに感じているのですが。
「うんうん、もう一度生まれ変わった、新しいロベルト・フォンセカが生まれたという思いを、僕も持っている」
——西アフリカのシンガーやコラ奏者たちを複数入れているとう事実に皆おどろくと思います。どういう経緯で、彼らを起用することになったのでしょう。
「特に西アフリカにこだわったわけではないんだけど、今回素晴らしいミュージシャンが集まってくれ、本当にうまくスピリチュアルな協調ができた。これからも、アフリカ音楽とキューバ音楽の架け橋になるようなことをやっていくと思うけど、西限定ではなく、いろんなアフリカの人たちとやっていきたい」
——当然、アフリカの音楽は昔から関心を持っていたわけですよね。
「アフリカのシンガーたちが好きで、ずっと前からやりたいと思っていたんだ。実は子供のころ、サリフ・ケイタのアルバムを聞いたときのショックは忘れられない。それが僕の原体験にあり、以来こういう世界に入っていけたらと思っていた」
——長い間の希望が今回ガツっと形になったのには、何かきっかけがあったのでしょうか? それとも、自然な流れで到達したという感じなのですか。
「自然な流れというよりは、意識的にやった。ただ、どうなるかは、僕も完成するまで分らなくてね。アイデアがどう作品として昇華するかというのは、また別の話。で、今回は本当に期待以上の出来で、完成したときは僕も本当にびっくりし、うれしかった」
——確かにキューバで育ったからこその流儀と、さらにその奥にあるアフリカたる因子が見事に重なっています。かつ、一方ではちゃんとコンテンポラリーな要素も抱えており、実に刺激的で、雄弁な音楽になっていると思います。
「ありがとう。今回やりたかったのはまさにそういう近代的なものとルーツの融合だった。僕がどこから生まれてきたのか、それは絶対に忘れない。その気持ちを、自分たちの”時代の表現”として作りたかった」
——現代的なところも追求したいということで、2曲ではジャイルズ・ピーターソンにプロデュースを頼んだわけですか。
「ジャイルズは僕にとって重要な一角を担ってくれた存在だ。彼のテイストは本当に素晴らしい。一緒に作業をやっていてとても波長が合うし、確かに今作において彼の役割は大きかった」
——昔インタヴューしたとき、キューバではヒップホップのプロダクションもやっていると言っていたと思うのですが、それは今も続けているのでしょうか。
「うん、続けている。やはり、ヒップホップは大好き。ダブ・ステップとかのDJミュージックも好きだよ」
——自分では、MC(ラップ)をしたりしないのですか。
「無理無理(笑い)。昔トライしたことはあったけど、声が酷くて駄目だね」
——でも、2年前のブルーノート東京の公演のときは、けっこうピアノを弾きながら詠唱をしていました。それをつきつめるとミルトン・ナシメントみたいなことができるかなとも、ぼくは感じました。
「歌うのは好き。うん、歌う事はもっと頑張りたい。将来、そういう方向に出るかもしれない」
——今作は『yo(スペイン語で、私の意)』という非常に直裁なタイトルがつけられたわけですが、そこに込めた気持ちは?
「“自分が自分が”という俺様な意味で付けたと勘違いされるけど、そうじゃない。だって、大文字じゃないだろ。小文字で表記されると、そういう意味ではない。最初考えていたのは、“僕の音楽は世界のために〜”みたいな長いタイトル。それじゃ長過ぎるということで、シンプルに“yo”にした。アルバムのカヴァー写真に示唆されているように、<素の僕は音楽しかない人間で、僕が皆に提出できるのは音楽しかない。だから、僕は自分のピュアな音楽を作ろう>という意味を込めたタイトルだ」
——今作を聞くと、ロベルト・フォンセカという人はものすごく様々な音楽を聞いたうえで、ちゃんと地に足をつけて、本当に自分のしたいことをクリエイトしているというのが了解できます。そして、ひいては、自分の文化にプライドを持つ事は外にある文化の良さも受け入れることであると、伝えていると思います。
「おお、君は僕のブラザーかい? それこそはまさに僕の真意だ。説明しなくても、ちゃんと分ってくれているんだね」
——このアルバムから独エンヤから仏ワールド・ヴィレッジに移りました。レコード会社を変わるというのは、新方向に踏み出しやすかったのでしょうか。
「うんうん、エンヤにもとても世話になって感謝しているのだけど、でも次の段階に行くには、そしていろんな人と出会っていくためには、この動きが必要だったと思っている」
——今作はパリで録音されていますが、それはアフリカのミュージシャンを呼びやすかったからですか。
「そうだね。やりたい内容によっていろんな作り方があると思うけど、今回の場合は、呼びやすさゆえだ。僕が住んでいるキューバから欧州は遠いが、アフリカからは渡航しやすいし、フランスに住んでいる人もいるし。やはり、外国のミュージシャンと一緒に重なる時はそういうことを考慮にいれるな」
——でも、住むのはキューバ以外にありえませんか。
「ああ、キューバに住み続けることができる自分は幸福だと思っている。キューバはどこからも遠い位置にあるし、いろんな国に行くのに困難でもある。でも、好きな音楽をやっていて、キューバに住める幸福を僕は噛み締めているんだ。キューバは自分が充電できる場所。将来的には、たとえば映画のサントラを作ってくれと言われて、半年外国に暮らす事があるかもしれない。でも、自宅はやはりキューバしかないと思っている」
——次作は『ジョ』の延長にあります? それとも、また違う大地を求めますか?
「まだ、考え中。次はまた違うことを試してみたいという気もするけど、どうかなあ。今作で新しい手法に望んで予想を超えた成就を得た事を、今はまだ感受したい。僕が自分の音楽で楽しんでもらいたいのは、ピアノとかの技能ではなく、言葉や文化が違っていても分かちあえるスピリチュアルな部分。やはり、僕はそれを追求していきたい」
——ところで、このブレスレット(彼は印象的なそれをしていた)には意味があるんですか?
「僕が信仰しているサンテリアの、シャンゴという神様を象徴している色なんだ。ブレスレットは好きでいろいろ持っているんだけど、これが一番気に入っている。その宗教のなかでは、自分は神の息子である。そして、自分のお父さんは音楽の神であるんだ。やはりいつもスピリチュアルな部分と僕の音楽はつながっている」
——音楽外で一番興味を持っているのは?
「食べ物だね。食は大事。友達とリラックスして、おいしいレストランに行って、2、3時間楽しく過ごすというのが、唯一のリラックスの時間だな。音楽家って休める暇がない。クラブに遊びに行っても、流れている音楽をついつい分析しちゃったりするしね。うっかりすると、レストランでも流れる音楽に気を取られて、オフを台無しにしてしまう(笑い)。まあ、ジャンク・フードを食べちゃうときもあるし、まずいレストランでも、いい友人といれば僕は歓びを感じるな」