映画「プリピャチ」。キャンディ・ダルファー。ヘイリー・ロレン
2012年2月13日 音楽 渋谷・アップリンクで、「プリピャチ」という映画の試写を見る。その表題は、チェルノブイリ原子力発電所から約4キロ離れた地名。原発で働く労働者たちや農民が住んでいた街のようで、その中心部はかなり都市な感じ(人口4万人だかという、字幕も出たっけ?)で、観覧車もチラリ画面に映ったりもする。撮影は秋から冬にかけておこなわれたよう。
避難地から戻ってきてプリミティヴに暮らす老夫婦(冬に厚い氷の張った川に水をくみにいくシーンも)、プリピャチに入る道の検問の兵士(被爆をかんがみて、15日勤務すると15日はお休みだそう)、プリピャチにかつては住み今も他地区からの通いで研究所に勤務する女性(彼女がかつて住んでいた荒れたアパートを徒歩で訪ねたりも)、チェルノブイリ発電所の勤務者(驚いたことに、爆発したのは4号機で、その隣にある3号機は発電を続けていて、その地下事務所の様も紹介される。2000年には運転を終えたようだが)、避難したかったのにウクライナ政府に避難させてもらえなかった老女、などなど。1986年の事故いらい立ち入り制限地区となっている、“死のゾーン”で暮らしていたり働いていたりする人たちを淡々と追ったモノクロ映像のドキュメンタリー作。撮影は事故の12年後に行われたようで、1999年に公開された。監督はオーストリア人のニコラウス・ゲイハルター。
3月3日からアップリンクにて上映。また、同所では、3月17日から、福島第一原子力発電所のおひざもとである双葉町(周辺)の“その後”(立ち入り禁止区域の模様。そして、全員退避となったため、最大の受け入れ先となった埼玉県加須市やその他の避難所をリポートしているよう)を伝えるドキュメンタリー「立ち入り禁止区域 双葉〜されど。我が故郷」(佐藤武光監督)、さらに4月上旬からは、内部被爆の真実を訴える自らも広島で被爆経験を持つ95歳になる日本人医師の歩みを追った2006年フランス制作のドキュメンタリー映画「核の傷:肥田舜太郎医師と内部被爆」(マーク・プティジャン監督)も公開される。
その後は、女性のライヴをはしご。重くなったココロがとける。
まずは、南青山・ブルーノート東京で、アルト・サックスと歌のキャンディ・ダルファー(2010年2月16日、他)を見る。今回の来日公演のポイントは新作『クレイジー』でも絡んでいたプリンツ・ボードを同行させていること。彼は2000年ごろからブラック・アイド・ピーズ(2004年2月11日、他)をはじめとする西海岸アーバン表現に関与している制作者/編曲者/プログラマーで、この晩は3曲で一緒に歌ったりする。また、彼はもともとセッション・トランペッターをしていただけに(ジョン・レジェンド;2005年5月8日など、トランペット奏者としてクレジットされたアルバムもいろいろ)、最後のほうはトランペッターとしてパフォーマンスに加わる。
何度見てもうれしくなる、和気あいあいにしてプロなパフォーマンスをきっちり展開。ウルコ・ベッド(ギター)やチャンス・ハワード(鍵盤、歌)らおなじみのメンバーを率いつつ、今回なにげにリズム隊がいいなとも思えた。プリンツ・ボードが関与したダンス・ポップ度を強めた新作曲をやったからかもしれないが、ダルファーが一頃より吹けている、線の太い音を出すようになったと思えたりもした。今回単純なフレイズを多く吹いたためかもしれないが、サンボーン(2010年12月1日、他)的泣き節が得意なことも改めてアピールされましたね。もしかすると彼女のアルトは、カーク・ウェイラム(2011年2月28日)のテナー・サックス(彼は、特にアルバムにおいては軟弱なスムース・ジャズ調サウンドに合わせて、テナーをアルトのように軽く吹くという特技を持つ)よりも、太い音色を持っていた?
そういえば、2月11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンを追悼する言葉のあと、彼女とバンドは坂本龍一の静的で慈しみを持つ曲(映画「パベル」でも印象的に使われていた曲)を粛々と演奏。急遽、やることにしたのだろう。彼女を重用してきたプリンス(2002年11月19日)から送られた曲もやるし、当たり歌「サックス・ア・ゴー・ゴー」(セックス・ア・ゴー・ゴーと聞こえてもイヤらしくも馬鹿っぽくもならないのは、生理的に健全な彼女ならでは)ももちろん披露する。とかなんとか、容色といい人&音楽の虫度数まったく衰えない、華と気持ちを持つ実演は初日のファースト・ショウながら、延々1時間40 分。最初だろうとナンだろうと全力蹴球(野球に興味がもてないサッカー・ファンのぼくはそう書きたくなります。彼女、オランダ人だしね)、出し惜しみしません。南青山・ブルーノート東京。
続いて、丸の内・コットンクラブで、ここ2年でトップ級に日本では売れっ子になってしまった、米国人ジャズ歌手を見る。まだ20代半ばで、まっすぐな奇麗さを持つ白人女性。この晩の格好は、赤のノースリーブのミニのワンピース、なり。そんな彼女の差別化できる点は、人里離れたアラスカに生まれ育ち(ジャズにも親しみ)、10代になると家族とともにオレゴン州ユージーンに引っ越し、一時はナッシュビルに作曲の勉強に行ったものの、まずは自然とともにある生活を送ったりナチュラルに音楽を作ることが肝心であり大都市居住や成功なんか興味がないワという感じで、ずっと田舎街ユージンに住み続け、同地のミュージシャンと活動をともに続けているところ。ユージーンは広域に多めに見積もっても2万5千人ほどの人口だそうだが、アルバムを聞くと、そのミュージシャンの質はけっこうイケる。一番の音楽的な協調者であるピアニストのマット・トレダーの奥さんは日本人だそう。
で、そのユージーン体制のもとセルフ・プロデュースにて録られた新作『ハート・ファースト』はびっくりするぐらい心あるアルバムだ。良く書かれた自作曲、「スマイル」や「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」などのスタンダード、そしてヴァン・モリソンやニール・ヤングやボブ・マーリーのポップ曲を自在に取り上げ、それをアコースティックかつシンプルなジャジー・サウンドでひも解く。と、書くと普通だが、楽曲群はどれも人と結びつくことや再生の尊さをテーマに持つもので、それがあざとさのないリベラルな態度で開かれた結果として、なんともいい感じのデカい像を結んじゃう。で、こんなに音楽の力を信じている人がいて、こんなにまっすぐに盤に移せる人がいたんだと感動できてしまう。
実演はギタリストを擁するカルテットのもと、そのアルバムからの曲を中心に披露。ときに、ほんの少し歌声が不安定な部分もあったが、魅力的な声質やマナーを持つ今の時代のジャズ歌手としての輝きをちゃんと放つ。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。なお、我が道を行く彼女は、既に結婚しています。
<今日の、天候>
だいぶ、夕方の陽が長くなってきた。うれしい。でも、夜はまだまだ寒い。ああ、南国に行きたい。でも、戻ってきてからがきついか。なら、思い切って、極寒の地に行くというのはどうだろう。これだと、東京に戻ってきてからがかなり楽だろう。なんだかんだ、日々の所感に締める気候の割合は高いな。今日は、ブルーノート東京から出たとき、ちょい雨が数滴顔にあたった。その後はなんともなかったが、夜の天気予報は雨だったそう。昨年の3.11後は雨に濡れることにナーバスになっていたが、今は……。あー。
追記;はりきりキャンディ姐さん、風邪ひいて東京公演1日キャンセルしちゃったんだって。
避難地から戻ってきてプリミティヴに暮らす老夫婦(冬に厚い氷の張った川に水をくみにいくシーンも)、プリピャチに入る道の検問の兵士(被爆をかんがみて、15日勤務すると15日はお休みだそう)、プリピャチにかつては住み今も他地区からの通いで研究所に勤務する女性(彼女がかつて住んでいた荒れたアパートを徒歩で訪ねたりも)、チェルノブイリ発電所の勤務者(驚いたことに、爆発したのは4号機で、その隣にある3号機は発電を続けていて、その地下事務所の様も紹介される。2000年には運転を終えたようだが)、避難したかったのにウクライナ政府に避難させてもらえなかった老女、などなど。1986年の事故いらい立ち入り制限地区となっている、“死のゾーン”で暮らしていたり働いていたりする人たちを淡々と追ったモノクロ映像のドキュメンタリー作。撮影は事故の12年後に行われたようで、1999年に公開された。監督はオーストリア人のニコラウス・ゲイハルター。
3月3日からアップリンクにて上映。また、同所では、3月17日から、福島第一原子力発電所のおひざもとである双葉町(周辺)の“その後”(立ち入り禁止区域の模様。そして、全員退避となったため、最大の受け入れ先となった埼玉県加須市やその他の避難所をリポートしているよう)を伝えるドキュメンタリー「立ち入り禁止区域 双葉〜されど。我が故郷」(佐藤武光監督)、さらに4月上旬からは、内部被爆の真実を訴える自らも広島で被爆経験を持つ95歳になる日本人医師の歩みを追った2006年フランス制作のドキュメンタリー映画「核の傷:肥田舜太郎医師と内部被爆」(マーク・プティジャン監督)も公開される。
その後は、女性のライヴをはしご。重くなったココロがとける。
まずは、南青山・ブルーノート東京で、アルト・サックスと歌のキャンディ・ダルファー(2010年2月16日、他)を見る。今回の来日公演のポイントは新作『クレイジー』でも絡んでいたプリンツ・ボードを同行させていること。彼は2000年ごろからブラック・アイド・ピーズ(2004年2月11日、他)をはじめとする西海岸アーバン表現に関与している制作者/編曲者/プログラマーで、この晩は3曲で一緒に歌ったりする。また、彼はもともとセッション・トランペッターをしていただけに(ジョン・レジェンド;2005年5月8日など、トランペット奏者としてクレジットされたアルバムもいろいろ)、最後のほうはトランペッターとしてパフォーマンスに加わる。
何度見てもうれしくなる、和気あいあいにしてプロなパフォーマンスをきっちり展開。ウルコ・ベッド(ギター)やチャンス・ハワード(鍵盤、歌)らおなじみのメンバーを率いつつ、今回なにげにリズム隊がいいなとも思えた。プリンツ・ボードが関与したダンス・ポップ度を強めた新作曲をやったからかもしれないが、ダルファーが一頃より吹けている、線の太い音を出すようになったと思えたりもした。今回単純なフレイズを多く吹いたためかもしれないが、サンボーン(2010年12月1日、他)的泣き節が得意なことも改めてアピールされましたね。もしかすると彼女のアルトは、カーク・ウェイラム(2011年2月28日)のテナー・サックス(彼は、特にアルバムにおいては軟弱なスムース・ジャズ調サウンドに合わせて、テナーをアルトのように軽く吹くという特技を持つ)よりも、太い音色を持っていた?
そういえば、2月11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンを追悼する言葉のあと、彼女とバンドは坂本龍一の静的で慈しみを持つ曲(映画「パベル」でも印象的に使われていた曲)を粛々と演奏。急遽、やることにしたのだろう。彼女を重用してきたプリンス(2002年11月19日)から送られた曲もやるし、当たり歌「サックス・ア・ゴー・ゴー」(セックス・ア・ゴー・ゴーと聞こえてもイヤらしくも馬鹿っぽくもならないのは、生理的に健全な彼女ならでは)ももちろん披露する。とかなんとか、容色といい人&音楽の虫度数まったく衰えない、華と気持ちを持つ実演は初日のファースト・ショウながら、延々1時間40 分。最初だろうとナンだろうと全力蹴球(野球に興味がもてないサッカー・ファンのぼくはそう書きたくなります。彼女、オランダ人だしね)、出し惜しみしません。南青山・ブルーノート東京。
続いて、丸の内・コットンクラブで、ここ2年でトップ級に日本では売れっ子になってしまった、米国人ジャズ歌手を見る。まだ20代半ばで、まっすぐな奇麗さを持つ白人女性。この晩の格好は、赤のノースリーブのミニのワンピース、なり。そんな彼女の差別化できる点は、人里離れたアラスカに生まれ育ち(ジャズにも親しみ)、10代になると家族とともにオレゴン州ユージーンに引っ越し、一時はナッシュビルに作曲の勉強に行ったものの、まずは自然とともにある生活を送ったりナチュラルに音楽を作ることが肝心であり大都市居住や成功なんか興味がないワという感じで、ずっと田舎街ユージンに住み続け、同地のミュージシャンと活動をともに続けているところ。ユージーンは広域に多めに見積もっても2万5千人ほどの人口だそうだが、アルバムを聞くと、そのミュージシャンの質はけっこうイケる。一番の音楽的な協調者であるピアニストのマット・トレダーの奥さんは日本人だそう。
で、そのユージーン体制のもとセルフ・プロデュースにて録られた新作『ハート・ファースト』はびっくりするぐらい心あるアルバムだ。良く書かれた自作曲、「スマイル」や「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」などのスタンダード、そしてヴァン・モリソンやニール・ヤングやボブ・マーリーのポップ曲を自在に取り上げ、それをアコースティックかつシンプルなジャジー・サウンドでひも解く。と、書くと普通だが、楽曲群はどれも人と結びつくことや再生の尊さをテーマに持つもので、それがあざとさのないリベラルな態度で開かれた結果として、なんともいい感じのデカい像を結んじゃう。で、こんなに音楽の力を信じている人がいて、こんなにまっすぐに盤に移せる人がいたんだと感動できてしまう。
実演はギタリストを擁するカルテットのもと、そのアルバムからの曲を中心に披露。ときに、ほんの少し歌声が不安定な部分もあったが、魅力的な声質やマナーを持つ今の時代のジャズ歌手としての輝きをちゃんと放つ。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。なお、我が道を行く彼女は、既に結婚しています。
<今日の、天候>
だいぶ、夕方の陽が長くなってきた。うれしい。でも、夜はまだまだ寒い。ああ、南国に行きたい。でも、戻ってきてからがきついか。なら、思い切って、極寒の地に行くというのはどうだろう。これだと、東京に戻ってきてからがかなり楽だろう。なんだかんだ、日々の所感に締める気候の割合は高いな。今日は、ブルーノート東京から出たとき、ちょい雨が数滴顔にあたった。その後はなんともなかったが、夜の天気予報は雨だったそう。昨年の3.11後は雨に濡れることにナーバスになっていたが、今は……。あー。
追記;はりきりキャンディ姐さん、風邪ひいて東京公演1日キャンセルしちゃったんだって。