音がデカい&演奏時間が長い、というのは、事前に聞いていた。そしたら、ほんとそう。ウォルデンはもうどかすか叩き(スティックの握りはレギュラー・グリップで、ベース・ドラムは二つセッティング)、サーヴィス満点にいろいろ見せようとするためにパフォーマンスの時間は平然と長くなる。1時間40分ぐらいやったんじゃないかな? 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 主役のウォルデンはけっこう珍しいキャリアを持つ人である。スタートラインはジャズ・ロック。74年ごろにマハビシュヌ・オーケストラのドラマーとなり、ウェザー・リポートの録音にも参加し、さらにジェフ・ベックの『ワイアード』(76年)に関与したことで、大々的な知名度を得た。そして、セッション活動の傍ら、曲作りやサウンド作りの才も持っていた彼はリーダー作をリリースするようにもなる。でもって、彼の音楽テイストはそのころからブラック・コンテンポラリー・ミュージックなんて言われた都会型洗練ブラック・ポップ路線を濃く踏むようになり、80年に入る頃からそっち系の売れっ子プロデューサーとしてまじ大車輪。85年のアリサ・フランクリンのシングル「フリーウェイ・オブ・ラヴ」や87年のホイットニー・ヒューストンの2作目制作で、彼はグラミー賞も獲得している。……ながら、90年代に入ると、リーダー作を出す事もなくなり、プロデュース仕事も激減。ミレニアム以降は、名前が出る事もなくなった(と思う)。まあ、移り変わりの激しい業界ではあるが、これほど極端な人も珍しい(かも)。

 インディアンの羽飾りを頭につけて出てきたウォルデン(茶色の肌の色を持つ彼はネイティヴ・アメリカンの血を引いているのだろうか)は溌剌、元気そう。1952年生まれだから過剰にじじいではないし、どうやら健康的な理由で表舞台から去ったのではないと感じる。バンドはずっと一緒に活動してきているらしい年配の白人キーボーディスト、30歳前後の女性白人ベーシスト(ボディコン着用)、白人男性ギタリスト。で、先に触れた経歴を括るようなことをやる。本人が叩きながら歌うほか、先に触れたフランクリン曲ほかアフリカ系女性歌手がリードを取る曲も披露する。“いなたい”とも形容したくなるドラミングのせいもあってか、過剰な洗練はなく、なんかロックっぽさを感じさせもして、なるほどと思う。ぼくの見立てでは、サイドマンのなかではギタリストが一番優秀かな。そして、バンマスともども皆うれしそうで、それぞれに張り切っているのが分かり、そういうのを見るのは生理的に楽しい。

 後半には、ウォルデンの制作でアルバムを作ったことがあり、一緒に横浜スタジアムで公演も持ったことがあるという高中正義(昨年でプロ・ギタリスト歴40年。老けないなー)が出てきて、和気あいあいなノリで、それ以降はずっと高中がフィーチャーされる。ぼくが思っていた以上に、彼はエッジィなギター演奏をしていた。

 その後、移動して、ライヴをもう一つ。三軒茶屋・オブサウンズというジャズ・クラブで、Trombone Shochan’ Treasure BOXというクインテットを見る。洗足音楽大学のジャズ・コースの仲間たちで組まれたコンボなようで、全員25歳前のようだ。リーダーはトロンボーン奏者の山田翔一がつとめ、彼のアレンジ曲や自作曲をやっているようだが、そんな彼はカンタス村田とサンバマシーンズのメンバー(2011年5月8日、他)でもあり、テナー・サックス奏者の高木沙耶もサンバマシーンズの一員。このカルテットはピアニストとドラマーも女性、ドラマーはたをやめOrquesta!!(2011年4月8日)で叩いているようだ。おお、女性数優勢ジャズ・バンドだあ。

 フロントの二管がサンバマシーンズ絡みということで、ジャズ・クインテットの体裁を取りつつ、けっこう他音楽要素を横目に見たはみ出し型のジャズをやるのかと思ったら、表層上はかなりオーソドックス、アコースティックで4ビート基調。逆に清々しい。だが、やはり構成などは何気にウィットが効いているところもあり、ある曲にはマーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」の著名フレーズを巧みに編み込んでいたりもして、そういうことは他にもしていそう。山田は一部トランペットを吹いたりもしたが、それは大好きなトロンボーン・ショーティ(2012年2月2日、他)が二刀流なのを真似て、1年前から始めたという。彼は昨日のトロンボーン・ショーティ公演を最前列で楽しんだとか。だが、そのリーダー・グループはもっとジャズ様式に敬意をはらった、ジャズ愛あふれる流麗ジャズをしなやかに求めようとする。一筋縄でないのは、美徳である。

<昔の、ナラダ>
 人の良い、善人。もう四半世紀もこの仕事をしていると間違いなく1000人を超えるミュージシャンにインタヴューしているわけだが、そのなかで、その三指に入る“いい人”と自信を持って言えるのが、ナラダさんだ。彼は95年に、その辣腕プロデューサー的側面に光を当てた公演を日本武道館でやっているのだが、その前宣伝で来日した際に、インタヴューをしたことがあった。ブルータス誌だったかな。で、会ったら、異常にハート・ウォームな、心からの善人で、よくぞこんな私欲ゼロのような人が音楽界の頂点まで上り詰めることができたなと思わずにはいられなかった。業界七不思議の一つ、とまで思ったかも。確か弟さんのマネージャーがついていて、そういう人が横でビジネスを締めているので、やっていけるのだろうなとも思ったな。