じぇじぇじぇ。という流行り言葉は、こういう場合に用いるのか。ビッグ・Qの特別製公演は2部構成を持ち、休憩をいれてなんと4時間の尺。面々がステージを降りた(最後は出演者全員による「ウィー・アー・ザ・ワールド」)ときは23時10分だった。有楽町・東京国際フォーラムのホールA、この公共施設って、こんなに遅くまで使えるんだァ。ここで2日公演するうちの2日目で、満員。彼の来日公演としては32年ぶりのこととなる。
一部(90分)は亀田誠治仕切りの、日本人たちによるクインシー・トリビュート。14人のハウス・バンド(ドラマーがいいなと、思った。それは第2部のジョン・ロビンソンを聞くと余計に)に、いろんなジャンルの人たちがいれかわり、立ち代わり。1部にフィーチャーされたのは、沖仁(2011年1月21日)、上妻宏光(2007年12月10日、他)、Miyavi、綾香、K、Juju、小野リサ(2011年7月10日)、小曽根真(2012年9月8日、他)、BoA、三浦大知、VERBAL、ゴスペラーズといった面々。で、クインシー絡みの楽曲を主に披露するのだが、シンガー曲だとマイケル・ジャクソン絡み曲の比率は高い。
小曽根真(前日公演後、ジョーンズと午前2時半までお話をした。とMCで言っていた)は自分のビッグ・バンド、ノー・ネーム・ホーセズでの出演で、自分の曲をやる。彼にも、亀田が声をかけたらしい。いろんな部分で、その掌握の様、亀田誠治はすごいな。クインシーはステージ袖でそれらを全部見ており、ステージで彼に挨拶したり、帰り際にハグしたりする人もいる。彼のお眼鏡にかかった人はいたろうか。
2部(2時間)はクインシー・ジョーンズ仕切りのインターナショナル編。グレッグ・フィリンゲインズ他の米国敏腕奏者たちのバンド(打楽器で参加のパウリーニョ・ダ・コスタとは、ジョイス公演があったコットンクラブですれ違った)に、ジェリー・ヘイがまとめる日本人によるホーン・セクションが加わり、ハウス・バンドとなる。冒頭の2曲はビッグ・バンド調で「エア・メイル・ルペシャル」と「キラー・ジョー」のジャズ有名曲を披露。
以下、キュバー出身のアルフレッド・ロドリゲスのトリオ(2011年11月25日)、2001年生まれの米国人ピアニストのエミリー・ベア、1997年生まれスロヴァキア人ギタリストのアンドレアス・ヴァラディ、1994年カナダ生まれ歌手のニッキ・ヤノフスキー(2009年8月3日)、盲目の青年ピアニストのジャスティン・コフリン、アジア5カ国の女性歌手からなるLAベースのユニットのプラッシュ、ナイジェリア出身のR&B歌手のパーカー・イグヒルらが出て来て、演奏や歌を披露する。こちらのほう、随時クインシーはステージ上にニコニコいて、ときに指揮したり、MCをしたりもする。
そして、「愛のコリーダ」からの後半1時間は、パティ・オースティン(2008年2月5日)、ジェイムス・イングラム、サイーダ・ギャレット(彼女はジャクソン曲をいろいろ歌う)というお馴染みの3人の歌手をフィーチャーする、山場パート。さすがに客が湧くし、華々しい。1曲は松田聖子も出て来て、パティ・オースティンとデュエットした。そして、本編最後の曲はジャズ有名曲「マンテカ」をインストでぶち噛ます。
それにしても、出演者は1部と2部すべてあわせると100人近いのではないか。よく滞りなくショウが進んだと思う。80歳になったジョーンズはさすが歳をとったなあという感想を与えるが、彼が好奇心旺盛に、妙な先入観なしに、いろいろな事項に両手を広げてあたっていることがたっぷり伝わる出し物だったのは間違いがない。特に2部前半の世界各国の若手が出てくるパートに触れると、御大は若い子たちとやりとりを持つことが本当に好きであるのを痛感させられる。そういえば、1990年代後半にプロモーション来日したことがあって取材をしたが、その際は、まだハタチ前後であったろうR&B歌手のタミアを同行させていたよなあ。マイケル・ジャクソンをプロデュースしたとき、ジャクソンはすでにエスタブリッシュされていたけど、スタンスとしてはやはり同様であったのか、なんてことも思ってしまった。
なお、この後、彼は第2部の出し物を広島でも披露したはず。
順は逆になるが、昼間は外苑前・ブラジル大使館で、2本の映画を見る。昨日と同じように、秋に持たれるブラジル映画祭上映作品だ。
映画「ゴンザーガ〜父から子へ〜」(ブレノ・シルヴェイラ監督)はブラジルの北東部の土着表現=バイアォンの王様と言われた、故ルイス・ゴンザーガ生誕100年にあわせて(なのかな)2012年に本国で公開された映画だ。ゴンザーガの息子のゴンザギーニャ(1945〜1991年)も人気シンガー・ソングタイターとなったが、父親/継母とそりが合わずに離れ、地力でミュージシャンとして大成したという経歴を息子は持つ。映画はずっと疎遠だった父と子が徐々に気持ちをかよわす課程を軸に、ゴンザーガの歩み/人間を浮かび上がらせる。役者たちはけっこう似ているし、とても達者。アーティストに対するリスペクトもある、よく出来た音楽映画と言える。一部は、仲直り後に親子共演したショウの模様など現実の映像も用い、リアリティをさりげなく持ち込んだりもしている。
そして、映画「ウィルソン・シモナル〜スウィング! ダンス!! ブラジル!!!〜」は、1960年代にブラジルで大スターだった、少し数奇な歩みを持つ黒人歌手のドキュメンタリー。彼は人気絶頂のなか、1972年に軍事政権の諜報機関に協力した(とされた)ことで芸能界から抹殺され、1990年代には名誉回復したものの失意のためにお酒に溺れたことで体をやみ、62歳になった2000年に肝硬変で亡くなった。
愛嬌にもあふれた彼がもっていたテレビ番組、シェル石油のTV-CF、怒濤の客の反応に驚くしかないコンサート映像など、大スターだけあって、映像マテリアルはいろいろ残されているよう。その映画タイトルに示唆されるように、彼はアメリカのジャズやポピュラー・ヴォーカル、ソウルやロックなどをブラジル情緒とクロスさせるとともに、米国のエンターテインメント流儀を最大級に取り入れることで、人気を得た人であるのが明快に伝わる。ダンスも出来るし、なんか1960年代ブラジルのマイケル・ジャクソンというノリもあった? とともに、この映画を見ると、ブラジル人って本当にアメリカ音楽が大好きなんだなとも、思い知らされる。映画には米国の大ジャズ歌手であるサラ・ヴォーンと共演する実演映像も出てくるが、英語で歌う彼に触れると、本当に耳がいい人なのだろうなというのが直裁に伝わって来た。
一方、芸能界から総スカンを喰ったあたりの描写は説明不足。彼はプレスからも鬼のように叩かれたというが、そんなに当時のマスコミや音楽界はリベラルであったのか。軍事政権は検閲も行っていたとも聞くし。とともに、それほどブラジル人は一本気であり、全体主義的なところがあるの?
彼の息子は、溌剌ソウル派のウィルソン・シモーニーニャ(2006年11月25日。そうなのダ、ゲストとはいえ、ブルーノート東京で見ることができたんだよなー)と弟のクラブ電脳派のマックス・ヂ・カストロで、もちろん彼らも思い出話を提供する。2人とも聞き所たっぷりの音楽をトラマ他から出していて、それに触れると逆引き的にシモナルの才の大きさも分るか。それから、シモナルと親しかったバイアグラの大好きなかつての大サッカー選手のペレのインタヴュー映像も出てくる。シモナルが名声をタテにサッカーのブラジル代表チームに帯同したあたりのエピソードは本当にブラジル人ぽい。ふふ。
それにしても、ブラジル人音楽家って、二世が多いな。それに比すと、サッカー選手のほうはそうではもない。それって、運動能力のほうが遺伝しにくいことの証左になるのだろうか?
<今日の、ほう>
昼間は蝉がうるさい。が、夜の帰宅時には、蝉の音とともに、もう秋虫(と、思ふ!)の鳴き声が聞こえるよー。
一部(90分)は亀田誠治仕切りの、日本人たちによるクインシー・トリビュート。14人のハウス・バンド(ドラマーがいいなと、思った。それは第2部のジョン・ロビンソンを聞くと余計に)に、いろんなジャンルの人たちがいれかわり、立ち代わり。1部にフィーチャーされたのは、沖仁(2011年1月21日)、上妻宏光(2007年12月10日、他)、Miyavi、綾香、K、Juju、小野リサ(2011年7月10日)、小曽根真(2012年9月8日、他)、BoA、三浦大知、VERBAL、ゴスペラーズといった面々。で、クインシー絡みの楽曲を主に披露するのだが、シンガー曲だとマイケル・ジャクソン絡み曲の比率は高い。
小曽根真(前日公演後、ジョーンズと午前2時半までお話をした。とMCで言っていた)は自分のビッグ・バンド、ノー・ネーム・ホーセズでの出演で、自分の曲をやる。彼にも、亀田が声をかけたらしい。いろんな部分で、その掌握の様、亀田誠治はすごいな。クインシーはステージ袖でそれらを全部見ており、ステージで彼に挨拶したり、帰り際にハグしたりする人もいる。彼のお眼鏡にかかった人はいたろうか。
2部(2時間)はクインシー・ジョーンズ仕切りのインターナショナル編。グレッグ・フィリンゲインズ他の米国敏腕奏者たちのバンド(打楽器で参加のパウリーニョ・ダ・コスタとは、ジョイス公演があったコットンクラブですれ違った)に、ジェリー・ヘイがまとめる日本人によるホーン・セクションが加わり、ハウス・バンドとなる。冒頭の2曲はビッグ・バンド調で「エア・メイル・ルペシャル」と「キラー・ジョー」のジャズ有名曲を披露。
以下、キュバー出身のアルフレッド・ロドリゲスのトリオ(2011年11月25日)、2001年生まれの米国人ピアニストのエミリー・ベア、1997年生まれスロヴァキア人ギタリストのアンドレアス・ヴァラディ、1994年カナダ生まれ歌手のニッキ・ヤノフスキー(2009年8月3日)、盲目の青年ピアニストのジャスティン・コフリン、アジア5カ国の女性歌手からなるLAベースのユニットのプラッシュ、ナイジェリア出身のR&B歌手のパーカー・イグヒルらが出て来て、演奏や歌を披露する。こちらのほう、随時クインシーはステージ上にニコニコいて、ときに指揮したり、MCをしたりもする。
そして、「愛のコリーダ」からの後半1時間は、パティ・オースティン(2008年2月5日)、ジェイムス・イングラム、サイーダ・ギャレット(彼女はジャクソン曲をいろいろ歌う)というお馴染みの3人の歌手をフィーチャーする、山場パート。さすがに客が湧くし、華々しい。1曲は松田聖子も出て来て、パティ・オースティンとデュエットした。そして、本編最後の曲はジャズ有名曲「マンテカ」をインストでぶち噛ます。
それにしても、出演者は1部と2部すべてあわせると100人近いのではないか。よく滞りなくショウが進んだと思う。80歳になったジョーンズはさすが歳をとったなあという感想を与えるが、彼が好奇心旺盛に、妙な先入観なしに、いろいろな事項に両手を広げてあたっていることがたっぷり伝わる出し物だったのは間違いがない。特に2部前半の世界各国の若手が出てくるパートに触れると、御大は若い子たちとやりとりを持つことが本当に好きであるのを痛感させられる。そういえば、1990年代後半にプロモーション来日したことがあって取材をしたが、その際は、まだハタチ前後であったろうR&B歌手のタミアを同行させていたよなあ。マイケル・ジャクソンをプロデュースしたとき、ジャクソンはすでにエスタブリッシュされていたけど、スタンスとしてはやはり同様であったのか、なんてことも思ってしまった。
なお、この後、彼は第2部の出し物を広島でも披露したはず。
順は逆になるが、昼間は外苑前・ブラジル大使館で、2本の映画を見る。昨日と同じように、秋に持たれるブラジル映画祭上映作品だ。
映画「ゴンザーガ〜父から子へ〜」(ブレノ・シルヴェイラ監督)はブラジルの北東部の土着表現=バイアォンの王様と言われた、故ルイス・ゴンザーガ生誕100年にあわせて(なのかな)2012年に本国で公開された映画だ。ゴンザーガの息子のゴンザギーニャ(1945〜1991年)も人気シンガー・ソングタイターとなったが、父親/継母とそりが合わずに離れ、地力でミュージシャンとして大成したという経歴を息子は持つ。映画はずっと疎遠だった父と子が徐々に気持ちをかよわす課程を軸に、ゴンザーガの歩み/人間を浮かび上がらせる。役者たちはけっこう似ているし、とても達者。アーティストに対するリスペクトもある、よく出来た音楽映画と言える。一部は、仲直り後に親子共演したショウの模様など現実の映像も用い、リアリティをさりげなく持ち込んだりもしている。
そして、映画「ウィルソン・シモナル〜スウィング! ダンス!! ブラジル!!!〜」は、1960年代にブラジルで大スターだった、少し数奇な歩みを持つ黒人歌手のドキュメンタリー。彼は人気絶頂のなか、1972年に軍事政権の諜報機関に協力した(とされた)ことで芸能界から抹殺され、1990年代には名誉回復したものの失意のためにお酒に溺れたことで体をやみ、62歳になった2000年に肝硬変で亡くなった。
愛嬌にもあふれた彼がもっていたテレビ番組、シェル石油のTV-CF、怒濤の客の反応に驚くしかないコンサート映像など、大スターだけあって、映像マテリアルはいろいろ残されているよう。その映画タイトルに示唆されるように、彼はアメリカのジャズやポピュラー・ヴォーカル、ソウルやロックなどをブラジル情緒とクロスさせるとともに、米国のエンターテインメント流儀を最大級に取り入れることで、人気を得た人であるのが明快に伝わる。ダンスも出来るし、なんか1960年代ブラジルのマイケル・ジャクソンというノリもあった? とともに、この映画を見ると、ブラジル人って本当にアメリカ音楽が大好きなんだなとも、思い知らされる。映画には米国の大ジャズ歌手であるサラ・ヴォーンと共演する実演映像も出てくるが、英語で歌う彼に触れると、本当に耳がいい人なのだろうなというのが直裁に伝わって来た。
一方、芸能界から総スカンを喰ったあたりの描写は説明不足。彼はプレスからも鬼のように叩かれたというが、そんなに当時のマスコミや音楽界はリベラルであったのか。軍事政権は検閲も行っていたとも聞くし。とともに、それほどブラジル人は一本気であり、全体主義的なところがあるの?
彼の息子は、溌剌ソウル派のウィルソン・シモーニーニャ(2006年11月25日。そうなのダ、ゲストとはいえ、ブルーノート東京で見ることができたんだよなー)と弟のクラブ電脳派のマックス・ヂ・カストロで、もちろん彼らも思い出話を提供する。2人とも聞き所たっぷりの音楽をトラマ他から出していて、それに触れると逆引き的にシモナルの才の大きさも分るか。それから、シモナルと親しかったバイアグラの大好きなかつての大サッカー選手のペレのインタヴュー映像も出てくる。シモナルが名声をタテにサッカーのブラジル代表チームに帯同したあたりのエピソードは本当にブラジル人ぽい。ふふ。
それにしても、ブラジル人音楽家って、二世が多いな。それに比すと、サッカー選手のほうはそうではもない。それって、運動能力のほうが遺伝しにくいことの証左になるのだろうか?
<今日の、ほう>
昼間は蝉がうるさい。が、夜の帰宅時には、蝉の音とともに、もう秋虫(と、思ふ!)の鳴き声が聞こえるよー。
ガース・ハドソン・フィーチャリング・シスター・モード・ハドソン
2013年8月2日 音楽 うれしー。いまだ大好きな、いや齢を重ねるごとにより好きになっている、ザ・バンドのキーボードの魔術師の公演を見ることができようとは。今日は朝からソワソワしちゃったナ。というのは嘘だが、なんかそう書きたくなっちゃう。
シスター・モード・ハドソンというのは彼の奥さんで、ハドソン夫妻は連名で2005年にアルバムを出しており、それはピアノを弾く夫と歌う女房のワビサビに満ちた実況デュオ作(取り上げる曲はガース・ハドソン曲、ザ・バンドやボブ・ディラン曲、トラッドやスタンダード)であったが、この来日公演はちゃんとしたバンド編成にて行う。そう、実演内容はぼくが予想していたよりもずっと、フツーにロックっぽかった。
ハドソン夫妻を、ギターとベース兼任、ベースとサックスとキーボード兼任、ドラム、パーカッションという4人がサポート。冒頭、ドラムと打楽器のデュオ演奏が続けられ(それ、たいしたものではないんだけど)、へえ。メンバーが楽器の持ち替えしたり、複数のリズム楽器を用いるあたりは、ザ・バンドの流れの編成を取るとも言えるだろうか。ハドソンはピアノ、キーボード、オルガンなどをコの字型に配置し、ザ・バンド曲「ザ・ウィールズ・オン・ファイアー」の頭の方ではアコーディオンのソロ演奏もした。一応、ピアニカも置いていたっけ? ザ・バンド時代、ガース・ハドソンは他のメンバーと異なり歌うこともなければ、曲も提供しなかった。
2000年代初頭にリリースされた初ソロ作『The Sea to the North』においてけっこう各種サックスを吹いていたが、今回のライヴにおいて彼は鍵盤演奏に専念。今はあまり吹かなくなっているのかな? そちらも、ちょっち聞きたかった。ともあれ、その鍵盤音はかつての四方八方に広がる鮮やかさや得体の知れなさ〜それはぼくに進歩的な所感を与えた〜は確実に減じているものの、やはり身を焦がして悔いなしと思わせる変テコな流れや引っかかりがあって、身を乗り出させる。そんな彼、30代前半のころから50代みたいな風体を持っていたわけで、立派な白い髭の彼はそんなに過剰に老けたという感じは受けず。ただ、演奏以外の部分では動きがゆっくり、要領が悪そうな所があるゾと思わせもするが、でもそれもらしいかな。
「ドント・ドゥ・イット」、「チェスト・フィーヴァー」や「イット・メイクス・ノー・デファレンス」らザ・バンド有名曲もやる。その際、ベース/サックス兼任者がリード・ヴォーカルを取るときもあった。それから、再結成後の『ジェリコ』(ピラミッド、1993年)に入っていた「ムーヴ・トゥ・ジャパン」(リヴォン・ヘルムやジョン・サイモンなど、録音関与者5人の共作。もちろん、ハドソンは作曲未関与)も軽快にカマす。キリン・ビール、ソニー、ホンダ、黒澤明、東京、横浜、沖縄、札幌という言葉が織り込まれる、日本憧憬ソング。ふふふ。
けっこうハドソンが鍵盤のソロを披露してからちゃんと曲が始まるものも多かったのだが、そのソロ演奏が終わるたびに、奥さんやバンド・メンバーたちもうれしそうに拍手する。ハハハ、なんだかな。車椅子に座って歌う奥さんはまっすぐに通る声の持ち主で、ときにブラック・ミュージック愛好を伝える声の張り上げ方を見せたりもした。彼女は横にPCをおいていたが、それは歌詞確認のため? 興が乗るとストンプするように、右手に持つ杖で床をこんごんっと彼女はつつく。
大学のころ、ぼくは音楽の趣味を同じくする友人と、ガース・ハドソンのことを<こまわり君>と呼んでいた。頭/顔の形が「がきデカ」という漫画の主人公に似ていることで、そうしたんだよナ。また、ロビー・ロバートソンは初期の分厚い眼鏡をかけた写真の顔つきが日本の著名コメディアンの仮装した雰囲気に似ているということで、<加トちゃん>と、親しみを込めて呼んでいたときもあった。改めて文字にして書くとトホホだが、そういうの、どの人にもあるんじゃなか。ザ・バンドの5人のメンバーのうち、一番年長者のハドソンと年下のロバートソンの2人だけが存命であるのか。なんてことも、悠々のガース・ハドソンを見ながら、ふと思った。
<今日は、早退>
この日は、ハドソンの76歳の誕生日。残念ながら、開演時間がめずらしくおして(その間、スタッフがキーボード機器をいろいろいじっていた)始まったこともあり、最後まで見ることができずに退出。その後、そのまま知人と落ち合い、長野県に、圧倒的な緑に包まれに行く。いっぱい、息抜き〜。なんでも、セカンド・ショウは、ダニエル・ラノワ(同じカナダ人だァ)と佐野元春が最後に出て来たそう。
シスター・モード・ハドソンというのは彼の奥さんで、ハドソン夫妻は連名で2005年にアルバムを出しており、それはピアノを弾く夫と歌う女房のワビサビに満ちた実況デュオ作(取り上げる曲はガース・ハドソン曲、ザ・バンドやボブ・ディラン曲、トラッドやスタンダード)であったが、この来日公演はちゃんとしたバンド編成にて行う。そう、実演内容はぼくが予想していたよりもずっと、フツーにロックっぽかった。
ハドソン夫妻を、ギターとベース兼任、ベースとサックスとキーボード兼任、ドラム、パーカッションという4人がサポート。冒頭、ドラムと打楽器のデュオ演奏が続けられ(それ、たいしたものではないんだけど)、へえ。メンバーが楽器の持ち替えしたり、複数のリズム楽器を用いるあたりは、ザ・バンドの流れの編成を取るとも言えるだろうか。ハドソンはピアノ、キーボード、オルガンなどをコの字型に配置し、ザ・バンド曲「ザ・ウィールズ・オン・ファイアー」の頭の方ではアコーディオンのソロ演奏もした。一応、ピアニカも置いていたっけ? ザ・バンド時代、ガース・ハドソンは他のメンバーと異なり歌うこともなければ、曲も提供しなかった。
2000年代初頭にリリースされた初ソロ作『The Sea to the North』においてけっこう各種サックスを吹いていたが、今回のライヴにおいて彼は鍵盤演奏に専念。今はあまり吹かなくなっているのかな? そちらも、ちょっち聞きたかった。ともあれ、その鍵盤音はかつての四方八方に広がる鮮やかさや得体の知れなさ〜それはぼくに進歩的な所感を与えた〜は確実に減じているものの、やはり身を焦がして悔いなしと思わせる変テコな流れや引っかかりがあって、身を乗り出させる。そんな彼、30代前半のころから50代みたいな風体を持っていたわけで、立派な白い髭の彼はそんなに過剰に老けたという感じは受けず。ただ、演奏以外の部分では動きがゆっくり、要領が悪そうな所があるゾと思わせもするが、でもそれもらしいかな。
「ドント・ドゥ・イット」、「チェスト・フィーヴァー」や「イット・メイクス・ノー・デファレンス」らザ・バンド有名曲もやる。その際、ベース/サックス兼任者がリード・ヴォーカルを取るときもあった。それから、再結成後の『ジェリコ』(ピラミッド、1993年)に入っていた「ムーヴ・トゥ・ジャパン」(リヴォン・ヘルムやジョン・サイモンなど、録音関与者5人の共作。もちろん、ハドソンは作曲未関与)も軽快にカマす。キリン・ビール、ソニー、ホンダ、黒澤明、東京、横浜、沖縄、札幌という言葉が織り込まれる、日本憧憬ソング。ふふふ。
けっこうハドソンが鍵盤のソロを披露してからちゃんと曲が始まるものも多かったのだが、そのソロ演奏が終わるたびに、奥さんやバンド・メンバーたちもうれしそうに拍手する。ハハハ、なんだかな。車椅子に座って歌う奥さんはまっすぐに通る声の持ち主で、ときにブラック・ミュージック愛好を伝える声の張り上げ方を見せたりもした。彼女は横にPCをおいていたが、それは歌詞確認のため? 興が乗るとストンプするように、右手に持つ杖で床をこんごんっと彼女はつつく。
大学のころ、ぼくは音楽の趣味を同じくする友人と、ガース・ハドソンのことを<こまわり君>と呼んでいた。頭/顔の形が「がきデカ」という漫画の主人公に似ていることで、そうしたんだよナ。また、ロビー・ロバートソンは初期の分厚い眼鏡をかけた写真の顔つきが日本の著名コメディアンの仮装した雰囲気に似ているということで、<加トちゃん>と、親しみを込めて呼んでいたときもあった。改めて文字にして書くとトホホだが、そういうの、どの人にもあるんじゃなか。ザ・バンドの5人のメンバーのうち、一番年長者のハドソンと年下のロバートソンの2人だけが存命であるのか。なんてことも、悠々のガース・ハドソンを見ながら、ふと思った。
<今日は、早退>
この日は、ハドソンの76歳の誕生日。残念ながら、開演時間がめずらしくおして(その間、スタッフがキーボード機器をいろいろいじっていた)始まったこともあり、最後まで見ることができずに退出。その後、そのまま知人と落ち合い、長野県に、圧倒的な緑に包まれに行く。いっぱい、息抜き〜。なんでも、セカンド・ショウは、ダニエル・ラノワ(同じカナダ人だァ)と佐野元春が最後に出て来たそう。
青葉市子。リッキー・リー・ジョーンズ
2013年8月7日 音楽 確固とした個を持つ、日米の、新旧の女性シンガー・ソングライターの公演を、青山・CAYと六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)で見る。国籍も年齢も異なるし、重なる所感を得ることはないだろうと思っていたが、ライヴ・パフォーマンスにおける自分の衝動や思いを奔放に出そうとする様、自分の世界を抱えようとするがゆえのスポンテイニアスさの回路の持ち方は意外に距離感が近かも、とほんわか思う。青葉はかなり不思議ちゃんノリを出す人だが、かつてのジョーンズは小悪魔的な感触を与える人物であった。あ、今でも童女っぽい無邪気さは出しているか。
4作目となる新作『ラヂヲ』(コモンズ)は青葉市子と妖精たちというアーティスト名義で送り出されるFM特番がソースとなりもので、坂本龍一(2012年3月21日、他)、小山田圭吾(2012年8月12日、他)、細野晴臣(2013年1月29日)、U-zhaan(2013年6月19日)とのセッション作。発売日当日に持たれたこのギグには、小山田圭吾と細野晴臣が加わる。ぼくは2部の頭まで見たのだが、一部で生ギター弾き語りの青葉を小山田は全曲でサポート、電気ギターであいの手を入れる。まっとうな(シンガー・)ソングライターでありつつ、思うまま場で舞うのを楽しむように青葉は一期一会的な流れるパフォーマンスを志向、小山田はそれを楽しむかのようにいろんなギター音を繰り出す。なるほど、彼女は七尾旅人(2013年6月6日、他)が大好きらしいが、それも分る行き方ナリ。そして、その行間から、もう一つの含みや情緒やストーリー性がぽわーんと広がって行く。それはちょい、えも言われぬ何かを聞き手に与えるな。細野は一部最後の2曲で生ギターを持って加わり、チャプリンの「スマイル」を歌ったりもした。彼が出て来ただけで、場がまた別の手触りをもつのには頷く。
ジョーンズの実演は、前回も同行していたチェロ奏者のエド・ウィレットとのデュオによる。彼は完全に3歩下がった位置で、ピチカートや弓弾きで控え目にサポート。ながら、バッキング・ヴォーカルは朗々とした声質のもと堂々と付ける。協調する奏者が少ないぶん、彼女はより気ままにカっとばす。元歌に親しんでいる人が聞くとわーこんなに興味深い開き方をするのという思いが間違いなく生まれるだろうが、本日初めて聞く人だと曲調が分りづらいと感じるものもあったかもしれない。それぐらい、ジョーンズはワタクシ様で行っていたということですね。
基本アコースティック・ギターを爪弾きなが歌うが、中盤の数曲はグランド・ピアノを弾きながら歌う。1981年セカンド作オープナーの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はほんとすうっと心のなかに入ってくる歌。大昔、徹夜明け、朝日が差し込むなか聞くと途方もなくグっと来る曲だと、ぼくは認定していた。彼女、けっこう初期有名曲を屈託なく、披露してくれたな。
<今日の、R.I.P.>
ジョージ・デューク(1946年、北カリフォルニア生まれ)死去とのニュースが流れている。8月5日に慢性リンパ性白血病という病気で亡くなったようだが、病気であったのは公表されていなかったし、昨年暮れも来日公演をしていた(2012年12月5日)ので、突然の他界という印象を持ってしまう。彼の遺作となった2013年作『ドリーム・ウィーヴァー』(ヘッズ・アップ)はライナーノーツ担当盤なのだが、死をどこか念頭においたアルバムであったのかと、悲報を前に、今にして思う。これまでの歩みを括るようにいろんな人を呼び、なかには「ウィ・アー・ザ・ワールド」的ヴォーカル・リレー曲も収録されている。そして、スライ・ストーン版「ケ・セラ・セラ」のサバけた諦観情緒をもろに引き継ぐ慈愛曲もある。それが、『ドリーム・ウィーヴァー』のクロージング曲だ。また、一方では故ティーナ・マリー(2010年死去)のアウト・テイク曲を遺族の好意で持ってきて手を加えて入れてみたり、故ジェフ・リー・ジョンソン(2013年1月死去。2004年10月28日、2012年9月9日)にも華やかな場を与えていたり。そのなかには、アルバムの統一感を削ぐ、ジョンソンが作曲者クレジットにも入った15分強のファンク・ジャム曲もあった。そして、何より理想主義にも満ちた同作は二人三脚状態だった妻コリーンの昨年7月の死を受け、絶望の縁から立ち直り、万感の思いを込めて制作したアルバムであったのだ。彼は、この作品のことを、ここのところもっとも正直なアルバムだ、とコメントしたという。切ない。知己が多い人だけに、本国での同業者の間ではさぞや大騒ぎであると思う。インドネシアのフェスで呑気にしているのを見かけたとき(2012年3月2日)、声をかけとけば良かった。彼はそのフェス中深夜に宿泊していたホテルで、スティーヴィー・ワンダーともセッションをした。ミスター・デューク、天国には仲間がいっぱいいるさ!
4作目となる新作『ラヂヲ』(コモンズ)は青葉市子と妖精たちというアーティスト名義で送り出されるFM特番がソースとなりもので、坂本龍一(2012年3月21日、他)、小山田圭吾(2012年8月12日、他)、細野晴臣(2013年1月29日)、U-zhaan(2013年6月19日)とのセッション作。発売日当日に持たれたこのギグには、小山田圭吾と細野晴臣が加わる。ぼくは2部の頭まで見たのだが、一部で生ギター弾き語りの青葉を小山田は全曲でサポート、電気ギターであいの手を入れる。まっとうな(シンガー・)ソングライターでありつつ、思うまま場で舞うのを楽しむように青葉は一期一会的な流れるパフォーマンスを志向、小山田はそれを楽しむかのようにいろんなギター音を繰り出す。なるほど、彼女は七尾旅人(2013年6月6日、他)が大好きらしいが、それも分る行き方ナリ。そして、その行間から、もう一つの含みや情緒やストーリー性がぽわーんと広がって行く。それはちょい、えも言われぬ何かを聞き手に与えるな。細野は一部最後の2曲で生ギターを持って加わり、チャプリンの「スマイル」を歌ったりもした。彼が出て来ただけで、場がまた別の手触りをもつのには頷く。
ジョーンズの実演は、前回も同行していたチェロ奏者のエド・ウィレットとのデュオによる。彼は完全に3歩下がった位置で、ピチカートや弓弾きで控え目にサポート。ながら、バッキング・ヴォーカルは朗々とした声質のもと堂々と付ける。協調する奏者が少ないぶん、彼女はより気ままにカっとばす。元歌に親しんでいる人が聞くとわーこんなに興味深い開き方をするのという思いが間違いなく生まれるだろうが、本日初めて聞く人だと曲調が分りづらいと感じるものもあったかもしれない。それぐらい、ジョーンズはワタクシ様で行っていたということですね。
基本アコースティック・ギターを爪弾きなが歌うが、中盤の数曲はグランド・ピアノを弾きながら歌う。1981年セカンド作オープナーの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はほんとすうっと心のなかに入ってくる歌。大昔、徹夜明け、朝日が差し込むなか聞くと途方もなくグっと来る曲だと、ぼくは認定していた。彼女、けっこう初期有名曲を屈託なく、披露してくれたな。
<今日の、R.I.P.>
ジョージ・デューク(1946年、北カリフォルニア生まれ)死去とのニュースが流れている。8月5日に慢性リンパ性白血病という病気で亡くなったようだが、病気であったのは公表されていなかったし、昨年暮れも来日公演をしていた(2012年12月5日)ので、突然の他界という印象を持ってしまう。彼の遺作となった2013年作『ドリーム・ウィーヴァー』(ヘッズ・アップ)はライナーノーツ担当盤なのだが、死をどこか念頭においたアルバムであったのかと、悲報を前に、今にして思う。これまでの歩みを括るようにいろんな人を呼び、なかには「ウィ・アー・ザ・ワールド」的ヴォーカル・リレー曲も収録されている。そして、スライ・ストーン版「ケ・セラ・セラ」のサバけた諦観情緒をもろに引き継ぐ慈愛曲もある。それが、『ドリーム・ウィーヴァー』のクロージング曲だ。また、一方では故ティーナ・マリー(2010年死去)のアウト・テイク曲を遺族の好意で持ってきて手を加えて入れてみたり、故ジェフ・リー・ジョンソン(2013年1月死去。2004年10月28日、2012年9月9日)にも華やかな場を与えていたり。そのなかには、アルバムの統一感を削ぐ、ジョンソンが作曲者クレジットにも入った15分強のファンク・ジャム曲もあった。そして、何より理想主義にも満ちた同作は二人三脚状態だった妻コリーンの昨年7月の死を受け、絶望の縁から立ち直り、万感の思いを込めて制作したアルバムであったのだ。彼は、この作品のことを、ここのところもっとも正直なアルバムだ、とコメントしたという。切ない。知己が多い人だけに、本国での同業者の間ではさぞや大騒ぎであると思う。インドネシアのフェスで呑気にしているのを見かけたとき(2012年3月2日)、声をかけとけば良かった。彼はそのフェス中深夜に宿泊していたホテルで、スティーヴィー・ワンダーともセッションをした。ミスター・デューク、天国には仲間がいっぱいいるさ!
米国ジャズ・ビヨンド表現の才人であるピアニスト/シンガーのベン・シドラン(2010年7月28日、他)のバンドに、彼に傑作アルバム『クール・キャット・ブルース』(ゴー・ジャズ、1991年)を制作/リリースしてもらった英国元祖モッドたるヴォーカル/オルガンのジョージィ・フェイム(2009年9月2日、他)が加わるという実演を見る。その顔合わせ、日本ではこれが3度目となるのかな。主役の2人に加え、シドラン公演ではお馴染みのボブ・マラック(テナー・サックス)、ビリー・ピーターソン(ウッド・べース)、リオ・シドラン(ドラム)の4人がステージに上がる。サウンドは完全にジャズ調だが、すべてヴォーカル付きの曲をやる。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
3曲目からフェイムが出て来て、本編はずっとステージ上に。ヴォーカルを取る曲は、シドランよりフェイムのほうが少し多い。また、フェイムがオルガンを弾かず、マイクの前に立って歌う比率は以前より高くなっているか。で、特に歌に専念する場合に顕著なのだが、大きな曲を張り上げて、フェイムは生理的に熱唱。スキャットもいろいろかます。多くは「ジャンピング・アット・シンフォニー・シッド」を皮切りにジャズ曲。もちろん、マット・ビアンコ(2001年2月5日)のカヴァーでも知られる洒脱ポップ曲「イエー・イエー」も笑顔で披露。って、この曲もジャズ派生だな。
ジャズや米国ブラック・ミュージック愛や影響を柱とする、ヴェテラン趣味人の余裕や滋味やイナセがすんなり渦巻くパフォーマンス。あ、それから、バンド音がきっちり整備されていて、いささか驚く。余韻も残しつつも、カチっとした曲の終わり方には感心。プロの大人たちですじゃ。フフフ。
<今日の、軽い驚き>
なんと、営団地下鉄の初乗り料金が160円もすることに、今日気付いた。パスモ使っていると、いちいち料金を気にせず、よく使う私鉄線と同じ120円あたりが、初乗りの運賃だと思っていた。めでたいな、オレ。なんか都営地下鉄は170円であることは知っていたんだけど。………コットンクラブに行くために永田町駅構内を移動したら、ごーんと食べ物屋街が出来ていてあれえ。今日からオープンしたらしい。
3曲目からフェイムが出て来て、本編はずっとステージ上に。ヴォーカルを取る曲は、シドランよりフェイムのほうが少し多い。また、フェイムがオルガンを弾かず、マイクの前に立って歌う比率は以前より高くなっているか。で、特に歌に専念する場合に顕著なのだが、大きな曲を張り上げて、フェイムは生理的に熱唱。スキャットもいろいろかます。多くは「ジャンピング・アット・シンフォニー・シッド」を皮切りにジャズ曲。もちろん、マット・ビアンコ(2001年2月5日)のカヴァーでも知られる洒脱ポップ曲「イエー・イエー」も笑顔で披露。って、この曲もジャズ派生だな。
ジャズや米国ブラック・ミュージック愛や影響を柱とする、ヴェテラン趣味人の余裕や滋味やイナセがすんなり渦巻くパフォーマンス。あ、それから、バンド音がきっちり整備されていて、いささか驚く。余韻も残しつつも、カチっとした曲の終わり方には感心。プロの大人たちですじゃ。フフフ。
<今日の、軽い驚き>
なんと、営団地下鉄の初乗り料金が160円もすることに、今日気付いた。パスモ使っていると、いちいち料金を気にせず、よく使う私鉄線と同じ120円あたりが、初乗りの運賃だと思っていた。めでたいな、オレ。なんか都営地下鉄は170円であることは知っていたんだけど。………コットンクラブに行くために永田町駅構内を移動したら、ごーんと食べ物屋街が出来ていてあれえ。今日からオープンしたらしい。
ワールドハピネス2013
2013年8月11日 音楽 夢の島・都営陸上球技場で毎夏持たれる、野外フェス。大ステージと小ステージでライヴは交互に持たれ、各出演者に与えられる演奏時間はトリを除いて15〜30分。しかも、一つが終わるとすぐに横で次の出演者の実演が始まるわけで、とってもドライというか、サクっと見るぶんにはストレスがかからないフェスティヴァルと言える。今年は、約8時間の間に切れ目なしに全18組が出たようだ。でもって、今年はなぜかおそ松くんがフェスのキャラクターになっていて、ステージの背後には絵が掲げられている。会場入りすると、矢野顕子(2012年8月21日)と清水ミチコが仲良くパフォーマン中。この前後、矢野顕子はトリオでブルーノート東京に出ているが、この日はこちらに単独で出演なり。
ヒカシューはプログ・ロック仕様バンド音のもと、巻上公一(2004年11月6日)が思うまま肉声をのせる。何気に、客を自らの世界に引き込んでいた。スチャダラパー(2005年8月13日)が出てくると客が立ち、観客の平均年齢が高いと言われるこのフェスだが、結成20年超の彼らもこの世代の担い手となるのか。一昨年のこのフェスで見て2011年最大の発見とぼくをうならせたsalyu×salyu(2011年8月7日)はまた接せてうれしいっ。なかには、デイヴィッド・ボウイの「フェイム」をどこかに置くようなファンキーな曲もあり。小山田圭吾(2013年8月7日、他)らがサポートした。そして、GREAT3はステージから離れたところで世話ばなしをしながら聞いたが、こぼれる音だけで、しっかりやとたいことや歌心が分って感心。それには知人も同様の感想を発する
奥田民生(2010年10月26日、他)は一人、ギター(電気と生、両方を持つ)の弾き語り。力はぬけているんだが、歌声の聞こえ方がすごい。こりゃ、ロックだとも思わせられた。続く、スーパー・バター・ドックのキーボード奏者だった池田貴史のレキシは初めて聞いたのだが、一発でいいじゃんと発汗。とにかく、4人編成のバンドがいい奏者たちぞろい。池田はヴォーカルや煽りを担当、そのMCとかの諧謔のあり方はなじめない部分もぼくはあるのだが、たいしたキャラ。その5人で、ソウル/ディスコをワザありで咀嚼した末、バカバカしくも、イケてて鮮やかなファンキー・エンターテインメント表現に結実させちゃう。やるなあ。歴史や伝統を大切にということで(?)、みんな紋付柄のT-シャツを着ていたナ。ときに池田が弾く、スペイシーなシンセ演奏(その音色はコモドアーズの「タイムマシーン」のそれを思い出させる)も素敵。彼らはラスト2の出演者、疲れていたはずだが、ノリノリで見ちゃった。MCで時間がオーヴァーするとステージ前に置かれた赤色灯が点滅すると言い、ヴィジョン映像でもその様が映されたりもしたが、そうなのか。
このフェス、最後の出演者は例年YMO(2012年8月12日、他)が務めていたが、今回は The おそ松くんズ なる、スペシャル・バンドが出て来た。そしてそのショウはスネークマンショーの小林克也と伊武雅刀が進行役として準備され、ヴィジョン映像に2人は登場する。一気に世界は、1980年代頭のアルファ・レコード、だな
(ぼくは、彼らのラジオ放送は聞いたことがない)。落ちもしない話やしょうもない口調を介し、最初は一人一人バンド員を呼び込み、その後も曲ごとにフィーチャーされる人をきっちり紹介。誰が演奏し、誰が歌っているのかがきっちり分り、これは有り難い設定と思った。
ハウス・バンドは、ドラムの高橋幸宏(2009年10月31日、他)、キーボードのDr.kyOn、ギターの佐橋佳幸と小山田圭吾(このなかの最年少)、ベースの小原礼(2003年3月13日)、ユーフォニウムやフリューゲルホーンのゴンドウトモヒコ。そして、前にでたのは、小坂忠(2001年12月16日)、鈴木茂、矢野顕子、奥田民生(彼はサディスティック・ミカ・バンドの「ダンス・ハ・スンダ」を歌う。おお、そうかここのリズム隊はミカ・バンドのオリジナルのそれじゃあないか。と、ここまでの4曲はとても身を乗り出す感、アリ)、高橋幸宏、鈴木慶一(2011年8月7日、他)、大貫妙子(2010年9月15日、他)……。そして、最後には細野晴臣(2013年8月7日、他)と坂本龍一が出て来て、坂本曲とYMO曲を人力バンド〜新アレンジにて披露する。アンコールは細野作曲のスネークマンショー曲である「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」。
感心したのは、ハウス・バンド音のまっとうさ。ちゃんとアレンジされ、リハをやっている。いいバンド音を送り出していたな。皆で華やかに和気あいあい、というレヴェルを良しせず、ちゃんともう一歩上のところで、日本のロック史を彩って来た実力者たちの積み上げて来たものがふんわか出されていたと思う。
<今日は、真夏>
今週はまたどんどん暑くなってきていて、ここ2、3日は今年1番の暑さで、日中は40度近くなっているんだっけ? 会場入りする前に、午前中から渋谷で人と会い、ご飯を食べたりした(食欲おちないなー)のだが、暑さのせいだろう、人の出が少ない。渋谷の街頭ではウチワを配っていたりもし、こりゃ会場で重宝しそうともらったら、入場時にシートとともにうちわも配っている。苦笑い。なんにせよ、気温自体が高いので、扇いでもぜんぜん涼しくなく、気休めにもならない。
開演2時間後の時間帯に、新木場駅が最寄り駅の会場に。当初は炎天ギラギラであったが、少しすると、どんどん曇り空に。そして、西のほうはけっこう黒い空になり、これは絶対に雨が降ると確信をもたせ……。事実、落雷音は時々聞こえ、ときに雨粒を感じるときもあった。が、結局空模様は持つ。世田谷のほうはすごい降雨があったりもしたそうだ、ラッキー。会場横の林の先にある、緩擂鉢状円形の草地は<多目的コロシアム>と名付けられているようだが、まるでUFOの着陸目的で作られたみたいなカタチと、ぼくは思った。そして、羽田に降りる空路になっているのだろう、その斜め上空を飛行機が次々に飛んで行く。飛行機を見るのも、楽しいなあ。
ヒカシューはプログ・ロック仕様バンド音のもと、巻上公一(2004年11月6日)が思うまま肉声をのせる。何気に、客を自らの世界に引き込んでいた。スチャダラパー(2005年8月13日)が出てくると客が立ち、観客の平均年齢が高いと言われるこのフェスだが、結成20年超の彼らもこの世代の担い手となるのか。一昨年のこのフェスで見て2011年最大の発見とぼくをうならせたsalyu×salyu(2011年8月7日)はまた接せてうれしいっ。なかには、デイヴィッド・ボウイの「フェイム」をどこかに置くようなファンキーな曲もあり。小山田圭吾(2013年8月7日、他)らがサポートした。そして、GREAT3はステージから離れたところで世話ばなしをしながら聞いたが、こぼれる音だけで、しっかりやとたいことや歌心が分って感心。それには知人も同様の感想を発する
奥田民生(2010年10月26日、他)は一人、ギター(電気と生、両方を持つ)の弾き語り。力はぬけているんだが、歌声の聞こえ方がすごい。こりゃ、ロックだとも思わせられた。続く、スーパー・バター・ドックのキーボード奏者だった池田貴史のレキシは初めて聞いたのだが、一発でいいじゃんと発汗。とにかく、4人編成のバンドがいい奏者たちぞろい。池田はヴォーカルや煽りを担当、そのMCとかの諧謔のあり方はなじめない部分もぼくはあるのだが、たいしたキャラ。その5人で、ソウル/ディスコをワザありで咀嚼した末、バカバカしくも、イケてて鮮やかなファンキー・エンターテインメント表現に結実させちゃう。やるなあ。歴史や伝統を大切にということで(?)、みんな紋付柄のT-シャツを着ていたナ。ときに池田が弾く、スペイシーなシンセ演奏(その音色はコモドアーズの「タイムマシーン」のそれを思い出させる)も素敵。彼らはラスト2の出演者、疲れていたはずだが、ノリノリで見ちゃった。MCで時間がオーヴァーするとステージ前に置かれた赤色灯が点滅すると言い、ヴィジョン映像でもその様が映されたりもしたが、そうなのか。
このフェス、最後の出演者は例年YMO(2012年8月12日、他)が務めていたが、今回は The おそ松くんズ なる、スペシャル・バンドが出て来た。そしてそのショウはスネークマンショーの小林克也と伊武雅刀が進行役として準備され、ヴィジョン映像に2人は登場する。一気に世界は、1980年代頭のアルファ・レコード、だな
(ぼくは、彼らのラジオ放送は聞いたことがない)。落ちもしない話やしょうもない口調を介し、最初は一人一人バンド員を呼び込み、その後も曲ごとにフィーチャーされる人をきっちり紹介。誰が演奏し、誰が歌っているのかがきっちり分り、これは有り難い設定と思った。
ハウス・バンドは、ドラムの高橋幸宏(2009年10月31日、他)、キーボードのDr.kyOn、ギターの佐橋佳幸と小山田圭吾(このなかの最年少)、ベースの小原礼(2003年3月13日)、ユーフォニウムやフリューゲルホーンのゴンドウトモヒコ。そして、前にでたのは、小坂忠(2001年12月16日)、鈴木茂、矢野顕子、奥田民生(彼はサディスティック・ミカ・バンドの「ダンス・ハ・スンダ」を歌う。おお、そうかここのリズム隊はミカ・バンドのオリジナルのそれじゃあないか。と、ここまでの4曲はとても身を乗り出す感、アリ)、高橋幸宏、鈴木慶一(2011年8月7日、他)、大貫妙子(2010年9月15日、他)……。そして、最後には細野晴臣(2013年8月7日、他)と坂本龍一が出て来て、坂本曲とYMO曲を人力バンド〜新アレンジにて披露する。アンコールは細野作曲のスネークマンショー曲である「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」。
感心したのは、ハウス・バンド音のまっとうさ。ちゃんとアレンジされ、リハをやっている。いいバンド音を送り出していたな。皆で華やかに和気あいあい、というレヴェルを良しせず、ちゃんともう一歩上のところで、日本のロック史を彩って来た実力者たちの積み上げて来たものがふんわか出されていたと思う。
<今日は、真夏>
今週はまたどんどん暑くなってきていて、ここ2、3日は今年1番の暑さで、日中は40度近くなっているんだっけ? 会場入りする前に、午前中から渋谷で人と会い、ご飯を食べたりした(食欲おちないなー)のだが、暑さのせいだろう、人の出が少ない。渋谷の街頭ではウチワを配っていたりもし、こりゃ会場で重宝しそうともらったら、入場時にシートとともにうちわも配っている。苦笑い。なんにせよ、気温自体が高いので、扇いでもぜんぜん涼しくなく、気休めにもならない。
開演2時間後の時間帯に、新木場駅が最寄り駅の会場に。当初は炎天ギラギラであったが、少しすると、どんどん曇り空に。そして、西のほうはけっこう黒い空になり、これは絶対に雨が降ると確信をもたせ……。事実、落雷音は時々聞こえ、ときに雨粒を感じるときもあった。が、結局空模様は持つ。世田谷のほうはすごい降雨があったりもしたそうだ、ラッキー。会場横の林の先にある、緩擂鉢状円形の草地は<多目的コロシアム>と名付けられているようだが、まるでUFOの着陸目的で作られたみたいなカタチと、ぼくは思った。そして、羽田に降りる空路になっているのだろう、その斜め上空を飛行機が次々に飛んで行く。飛行機を見るのも、楽しいなあ。
テレンス・ブランチャード。ザ・テンプテーションズ(・レヴュー)
2013年8月18日 音楽 まず、ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、現代ジャズの最たる担い手であるトランペッター/バンド・リーダー(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日)の、ワーキング・グループによる公演を見る。ブライス・ウィンストン(テナー・サックス。唯一の白人)、ファビアン・アルマザン(ピアノ)、ジョシュア・クランブリー(ベース)、ケンドリック・スコット(ドラムス)。皆、ブランチャードの新作『マグネティック』(ブルーノート)に参加していた人たち。ジュリアード出でまだ21歳のクランブリー以外は、その過去作にもいろいろと参加。特に、ウィンストンとスコットはかなり付き合いが長い。
本来そこに、やはりブランチャードのコンボ歴の長いギタリストのリオネル・ルエケ(2012年3月3日、他)が入る予定だったが、それはキャンセルとなり、かわりにラヴィ・コルトレーン(テナーとソプラノ。もちろん。ジョン・コルトレーンの息子ですね)が同行。彼も『マグネティック』にゲスト入りしている。だが、アンコール曲(スタンダードの「朝日のようにさわやかに」。他の演奏曲はブランチャードかアルマザンのオリジナルだったはず)以外に、その両テナー・サックス奏者は一緒にステージにあがることはなく、主にコルトレーンがステージに立った。その際、ウィンストンは完全にステージから去っていて生理的にかわいそうな感じがしたが、オレの表現にテナー2本はいらないというブランチャードの堅い意志は伝わったな。
サポートの奏者で一番耳を引いたのは、スコット(2013年2月2日、他)。4ビートじゃないけど、ちゃんとジャズとなるオルタナティヴな抑揚を叩き出していて、マル。今年の彼の自己グループ表現での叩き口より、ずっとぼくは興味をひかれた。彼はこの9月上旬にギター付き自己グループでコットンクラブに出演するが、楽しみだ。アルマザンは中盤以降、どんどんソロのパートを与えられ(部分的にピアノ・ソロとなる局面もあった)、ブランチャードの信任が厚いことがよく分る。彼はほんの一部、コルトレーンのソロのとき、電気キーボードを押さえたりもする。
ルエケが不参加になった時点で、サウンドが少し穏健フツーになることは多分に想像され、事実そういう部分もあったかもしれない。だが、そのぶん、ブランチャードのトランペット・ソロにはより耳を傾けたりもしたわけで、なるほど素晴らしい演奏能力の持ち主であると再認識。ただし、新作でも一部そうだったが、トランペット音にエフェクトをかける場合があるのは、個人的には痛し痒し。それ、トータルなサウンドを俯瞰しての方策であることが分っても……。
その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日)を見る。デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーらフロントに立つ5人のシンガーは同じ人たち(今回の衣装は鮮やかな緑色基調)、また、ホーンを除く5人編のバンドもキーボード奏者の一人をのぞいては前回見たときと同様。アフリカ系トロンボーン奏者が括り役を勤めていたホーン・セクションの3人は日本で調達されたよう。2人のトランペッターは日本人、サックス奏者はHPを見たら、なんとスティーヴ・サックス(2013年7月10日)となっている。
かなり満足できちゃうショウを見ての所感は、前回かいたことと大筋で重なる。けっこう興行はなされているのだろう、質を落とさず、この時代に聞けてうれしいっと実感できるソウル・ショウを堂々、サーヴィス満点に展開。ここにある、“お宝”ができるだけ今後も残りますように。
<昨日の、なーんも言えねえ>
土曜にJ1の東京vs.横浜の試合を、飛田給・味の素スタジアムに見に行った。スタジアムは風が吹き抜けて、けっこう快適。ほのかにではあるが、秋も感じる。マリノスも昔から憎からず思って来たチームだが、一応都民として試合に接する。体温の低い観戦者であり、かつ全体主義を嫌う者としては、やはり、両チームの応援の鳴りモノ音や声がうるさすぎる。自分本位な書き方をすれば、迷惑だ。有名選手がいろいろいるわりにはFC東京、なんかパっとしないよなあ。どこか鬱憤を抱えて見ていたが、試合の最後の中村俊輔( 2002年7月21日)の驚愕玉さばきの末のゴールには感嘆。あれれあれれれ、という感じで、なんか彼の周りだけ時間が止まっているようだった。げ。今後、これを超える印象的なパフォーマンスを彼は出せるかと思えたほど。マリノスの前半のゴールもとっても美しい1、2を経てのゴールであったし、花火大会ではなくサッカーをとって良かった、と思えた。
ところで電車賃、家から国立球技場までは5駅で380円(家から徒歩5分の駅を使用)。味の素スタジアムまでは、17駅で230円(家から徒歩10分の別の私鉄線を使う)。とうぜん、乗車時間もぜんぜん違う。世のなか、いろいろだよなー。もう一つ、サッカーねた。テンプスのエディ・ケンドリックスやデイヴィッド・シーが生まれたアラバマ州バーミングハムは1996年アトランタ・オリンピック時のサッカーの会場となった。日本の代表チームもブラジル戦で奇跡的勝利(@マイアミ)をあげたあと、バーミングハムで試合をしたのだった。今はそうか知らないが(たぶん、現在も居住しているんじゃないかなー)、そのとき、テンプス加入前のシーはバーミングハムに住んでいた。バーミングハムと記したのは、エドワーズがシーの出身地を紹介するときに、バーミンガムよりもバーミングハムに近い発音していたような気がしたためだ。少なくても、グ は聞こえた。
本来そこに、やはりブランチャードのコンボ歴の長いギタリストのリオネル・ルエケ(2012年3月3日、他)が入る予定だったが、それはキャンセルとなり、かわりにラヴィ・コルトレーン(テナーとソプラノ。もちろん。ジョン・コルトレーンの息子ですね)が同行。彼も『マグネティック』にゲスト入りしている。だが、アンコール曲(スタンダードの「朝日のようにさわやかに」。他の演奏曲はブランチャードかアルマザンのオリジナルだったはず)以外に、その両テナー・サックス奏者は一緒にステージにあがることはなく、主にコルトレーンがステージに立った。その際、ウィンストンは完全にステージから去っていて生理的にかわいそうな感じがしたが、オレの表現にテナー2本はいらないというブランチャードの堅い意志は伝わったな。
サポートの奏者で一番耳を引いたのは、スコット(2013年2月2日、他)。4ビートじゃないけど、ちゃんとジャズとなるオルタナティヴな抑揚を叩き出していて、マル。今年の彼の自己グループ表現での叩き口より、ずっとぼくは興味をひかれた。彼はこの9月上旬にギター付き自己グループでコットンクラブに出演するが、楽しみだ。アルマザンは中盤以降、どんどんソロのパートを与えられ(部分的にピアノ・ソロとなる局面もあった)、ブランチャードの信任が厚いことがよく分る。彼はほんの一部、コルトレーンのソロのとき、電気キーボードを押さえたりもする。
ルエケが不参加になった時点で、サウンドが少し穏健フツーになることは多分に想像され、事実そういう部分もあったかもしれない。だが、そのぶん、ブランチャードのトランペット・ソロにはより耳を傾けたりもしたわけで、なるほど素晴らしい演奏能力の持ち主であると再認識。ただし、新作でも一部そうだったが、トランペット音にエフェクトをかける場合があるのは、個人的には痛し痒し。それ、トータルなサウンドを俯瞰しての方策であることが分っても……。
その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日)を見る。デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーらフロントに立つ5人のシンガーは同じ人たち(今回の衣装は鮮やかな緑色基調)、また、ホーンを除く5人編のバンドもキーボード奏者の一人をのぞいては前回見たときと同様。アフリカ系トロンボーン奏者が括り役を勤めていたホーン・セクションの3人は日本で調達されたよう。2人のトランペッターは日本人、サックス奏者はHPを見たら、なんとスティーヴ・サックス(2013年7月10日)となっている。
かなり満足できちゃうショウを見ての所感は、前回かいたことと大筋で重なる。けっこう興行はなされているのだろう、質を落とさず、この時代に聞けてうれしいっと実感できるソウル・ショウを堂々、サーヴィス満点に展開。ここにある、“お宝”ができるだけ今後も残りますように。
<昨日の、なーんも言えねえ>
土曜にJ1の東京vs.横浜の試合を、飛田給・味の素スタジアムに見に行った。スタジアムは風が吹き抜けて、けっこう快適。ほのかにではあるが、秋も感じる。マリノスも昔から憎からず思って来たチームだが、一応都民として試合に接する。体温の低い観戦者であり、かつ全体主義を嫌う者としては、やはり、両チームの応援の鳴りモノ音や声がうるさすぎる。自分本位な書き方をすれば、迷惑だ。有名選手がいろいろいるわりにはFC東京、なんかパっとしないよなあ。どこか鬱憤を抱えて見ていたが、試合の最後の中村俊輔( 2002年7月21日)の驚愕玉さばきの末のゴールには感嘆。あれれあれれれ、という感じで、なんか彼の周りだけ時間が止まっているようだった。げ。今後、これを超える印象的なパフォーマンスを彼は出せるかと思えたほど。マリノスの前半のゴールもとっても美しい1、2を経てのゴールであったし、花火大会ではなくサッカーをとって良かった、と思えた。
ところで電車賃、家から国立球技場までは5駅で380円(家から徒歩5分の駅を使用)。味の素スタジアムまでは、17駅で230円(家から徒歩10分の別の私鉄線を使う)。とうぜん、乗車時間もぜんぜん違う。世のなか、いろいろだよなー。もう一つ、サッカーねた。テンプスのエディ・ケンドリックスやデイヴィッド・シーが生まれたアラバマ州バーミングハムは1996年アトランタ・オリンピック時のサッカーの会場となった。日本の代表チームもブラジル戦で奇跡的勝利(@マイアミ)をあげたあと、バーミングハムで試合をしたのだった。今はそうか知らないが(たぶん、現在も居住しているんじゃないかなー)、そのとき、テンプス加入前のシーはバーミングハムに住んでいた。バーミングハムと記したのは、エドワーズがシーの出身地を紹介するときに、バーミンガムよりもバーミングハムに近い発音していたような気がしたためだ。少なくても、グ は聞こえた。
さいとうりょうじ×ヤマザキタケル
2013年8月19日 音楽 この節分にぐうぜん見て、<今年最大の出会い>とぼくを驚嘆させた、ギタリストの さいようりょうじ(2013年2月3日)のパフォーマンスを見に行く。ピアニストのヤマザキタケルとのデュオ、青山・月見ル君想フ。5組出るイヴェントのなかの1組目としての出演で、2人で5曲をパフォーマンス。頭と終わりが穏健ソウル曲カヴァー(1曲目はザ・スタイリスティックスの「ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー」だった)をインストで披露し、あとの3曲ではヴォーカルもさいとうは堂々取る。
2曲目は、自作で自らの育った環境を歌ったろう「川崎」というフォーク調の曲で、この際はほとんどギターを弾かない。あと、ぼくの知らない日本語の曲とジェイムズ・テイラーの「ドント・レット・ミー・ビー・ロンリー・トゥナイト」も歌う。後者に触れて、ものすごくメロディアスなスタンダードを<さいとう崩し>のもとぶっこわれギター演奏込みで取り上げると面白そう、と思う。
やはり、すんごいギタリスト。今回聞いて、その飛躍のヴァリエーションは何気に狭いところもあるかもと感じもしたが、やはり超怒級のイマジネーションと歌心と起爆力を持っていて、ぼくはとっても生理的に発汗。その楽器に向かう姿勢の強さの鮮やかな発露に接し、ジャズ・ピアニストの板橋文夫(2009年1月22日、他)と一緒にやったらすこぶる感銘を受けるのではないかと、感じたもした。両者は常人離れした重なる回路を抱えているところがあるのではないのか。うぬ、やっぱり今なら、ぼくはビル・フリゼール(2011年1月30日、他)よりもさいとうりょうじを取る。ドンっ。
この日、ピアノで相手役をしたヤマザキはバークリー音楽大学に行っていた関係もあるのだろう、デイヴィッド・フュージンスキ(2012年2月10日)の変てこ迷宮作『デイヴィッド・フュージンスキズ・プラネット・ミクロジャム』(Rarenoise、2012年)にジャック・ディジョネット(2007年5月8日、他)なんからとともに、キーボード奏者として名を連ねている。
<今日の、新作>
アイヴァン・ネヴィル率いるニューオーリンズの力づくファンク・バンド、ダンプスタファンク(2012年7月30日)の新作『Dirty Word』(Louisiana Red Hot)を朝起きて、大音量でかける。快感。やはり力づくではあるが、きちんと練ってあたっただろうスタジオ録音作だ。なんか、グレッグ・エリコ(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)制作のベティ・デイヴィス(マイルズ・デイヴィスの元嫁)の1973年ハード・ファンク曲みたいなのも入っている。イエイっと、聞きながら終始かけ声あげっぱなし。知らない人に見られたら、けっこうまずいシチュエーションだな。新作と言えば、トゥール(2007年2月9日)のドラマーのダニー・キャリーが中心となったハイパーなインストゥルメンタル・バンドのヴォルト!の第一作はファンタジー/コンコード発だ。なんか、聞いた事のあるバンド名だと思って買っちゃったのだが、LAに住む知人が、今年の晩冬に知り合いがいる彼らのライヴを日本でできないかなあとメールしてきたことがあったのだ。そこには、ギャラも書いてあったなー。
2曲目は、自作で自らの育った環境を歌ったろう「川崎」というフォーク調の曲で、この際はほとんどギターを弾かない。あと、ぼくの知らない日本語の曲とジェイムズ・テイラーの「ドント・レット・ミー・ビー・ロンリー・トゥナイト」も歌う。後者に触れて、ものすごくメロディアスなスタンダードを<さいとう崩し>のもとぶっこわれギター演奏込みで取り上げると面白そう、と思う。
やはり、すんごいギタリスト。今回聞いて、その飛躍のヴァリエーションは何気に狭いところもあるかもと感じもしたが、やはり超怒級のイマジネーションと歌心と起爆力を持っていて、ぼくはとっても生理的に発汗。その楽器に向かう姿勢の強さの鮮やかな発露に接し、ジャズ・ピアニストの板橋文夫(2009年1月22日、他)と一緒にやったらすこぶる感銘を受けるのではないかと、感じたもした。両者は常人離れした重なる回路を抱えているところがあるのではないのか。うぬ、やっぱり今なら、ぼくはビル・フリゼール(2011年1月30日、他)よりもさいとうりょうじを取る。ドンっ。
この日、ピアノで相手役をしたヤマザキはバークリー音楽大学に行っていた関係もあるのだろう、デイヴィッド・フュージンスキ(2012年2月10日)の変てこ迷宮作『デイヴィッド・フュージンスキズ・プラネット・ミクロジャム』(Rarenoise、2012年)にジャック・ディジョネット(2007年5月8日、他)なんからとともに、キーボード奏者として名を連ねている。
<今日の、新作>
アイヴァン・ネヴィル率いるニューオーリンズの力づくファンク・バンド、ダンプスタファンク(2012年7月30日)の新作『Dirty Word』(Louisiana Red Hot)を朝起きて、大音量でかける。快感。やはり力づくではあるが、きちんと練ってあたっただろうスタジオ録音作だ。なんか、グレッグ・エリコ(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)制作のベティ・デイヴィス(マイルズ・デイヴィスの元嫁)の1973年ハード・ファンク曲みたいなのも入っている。イエイっと、聞きながら終始かけ声あげっぱなし。知らない人に見られたら、けっこうまずいシチュエーションだな。新作と言えば、トゥール(2007年2月9日)のドラマーのダニー・キャリーが中心となったハイパーなインストゥルメンタル・バンドのヴォルト!の第一作はファンタジー/コンコード発だ。なんか、聞いた事のあるバンド名だと思って買っちゃったのだが、LAに住む知人が、今年の晩冬に知り合いがいる彼らのライヴを日本でできないかなあとメールしてきたことがあったのだ。そこには、ギャラも書いてあったなー。
シリル・エイメー。ヤセイ・コレクティヴ、ニーボディ
2013年8月22日 音楽 まず、丸の内・コットンクラブで、フランス人とドミニカ人のミックスである在NYの女性シンガーのショウケースのライヴを見る。父親がなかなかの変人、いやボヘミアン気質を持つ人のようで、彼女は過去親について、米国、ナイジェリア、東南アジア他いろんなところで暮らしてきている。なんでも、いろんな所に住みたい父親は現地についてから、仕事を探したとか。多感な時期は、パリ郊外のロマのコミューンがあるところで暮らし、そこでマヌーシュ・スウィングを直に体験し、彼女はそのコミュニティで歌うようになり、歌手になりたいとも思うようにもなった。そのころ、ジャンゴ・ラインハルトの孫のダヴィッド・ラインハルト(2010年9月5日、他)も顔見知りであった。
彼女はワーキング・バンドの2人のギタリストを伴い(現在のバンドはギタリストが3人いて、もう一人のギターはブラジル人であるとも、MCで言っていた)、日本人の縦ベーシストとドラマーが加わる形でパフォーマンス。彼女の10月に出る新作『グッド・デイ』はマヌーシュ・スウィング要素を巧みに介した闊達なジャジー・ポップ作だが、実演ではスキャットもいろいろかまし、よりジャズっぽい。まだ20代だと思うが、過去に5作もアルバムを出していて、それらはストレートなジャズ・ヴォーカル盤であるようだ。
ショウの途中、自分の声をループしいくつも重ねる、リチャード・ボナ(2012年5月14日、他)的ソロ・パフォーマンスもソツなく披露。好印象な、おきゃんなおねえさん。彼女、マイケル・ジャクソンが大好きだった時代もあるようだし、ジャジーでありつつ、いろんなことを今後出してくれるのではないか。同行したほうの一人の優男ギタリストが彼氏で、オフではベタベタしているらしい。外国人はそういうところ、遠慮ないからなー。←でも、別れるときはほんとあっさりそうしちゃう。
その後、青山・CAYに。会場に入ると、日本人4人組のヤセイ・コレクティヴが演奏中。少しTVゲームを想起させるような鍵盤音(ギターもそういう音をだしているのかな)が中央にあるビート・インストをずずずと演奏中。場内はスタンディング、けっこう混んでいる。ギター奏者も座って演奏していて、立って演奏するのはベーシストだけ。あまり、パフォーマンスの様は見えない。2曲聞くことができた。
そして、ネイト・ウッド(ドラム)他がいる、米国ジャズ・バンドのニーボディが出てくる。キーボード、トランペット、テナー・サックス、電気ベース、ドラムという5人組。過去、自主制作ものからデイヴ・ダグラス(1999年9月24日)のグリーンリーフやドイツのウィンター&ウィンターからなど、いろいろとアルバムを出している在NYのジャズの広がりを体現するグループだ。
頭の方、ストロングな立ったビートのもとテナーが炸裂演奏する様にふれ、一瞬オーディアン・ポープの音みたいだと思う。けっこう、ジャズっぽいとも思った。だが、テナーとトランペットでぐいぐいと行く様もあり、総体的には、<打算と甘さのない、切れた現代版ザ・ブレッカー・ブラザーズ>という所感を得る。シャープかつ歪んだ=ヒップホップ以降の感性を持つビートのもと、ガチな楽器音が自在にのる。もう、聞きながらぐいぐい身体をゆらしちゃったナ。
<今日の、組み合わせ>
CAYのライヴは、2つのバンドともにレコード発売記念という名目を持つ。ヤセイ・コレクティヴは2作目『Conditioner』を発表。彼ら9月以降、同作をフォロウする20カ所に渡るツアーを行うようだ。一方の、ニーボディの新作『The Line』はなんとコンコードと契約してのもの。おお。次は単独でコットンクラブに出演しても不思議はないかもしれぬ。この顔合わせはヤセイ・コレクティヴがニーボディを個人的に呼んで実現したもののようで、素晴らしい。会場でひょっこりエミ・マイヤーと会う。ネイト・ウッドらと知り合いで、偶然街角で会って、誘われて、来たのだそう。
彼女はワーキング・バンドの2人のギタリストを伴い(現在のバンドはギタリストが3人いて、もう一人のギターはブラジル人であるとも、MCで言っていた)、日本人の縦ベーシストとドラマーが加わる形でパフォーマンス。彼女の10月に出る新作『グッド・デイ』はマヌーシュ・スウィング要素を巧みに介した闊達なジャジー・ポップ作だが、実演ではスキャットもいろいろかまし、よりジャズっぽい。まだ20代だと思うが、過去に5作もアルバムを出していて、それらはストレートなジャズ・ヴォーカル盤であるようだ。
ショウの途中、自分の声をループしいくつも重ねる、リチャード・ボナ(2012年5月14日、他)的ソロ・パフォーマンスもソツなく披露。好印象な、おきゃんなおねえさん。彼女、マイケル・ジャクソンが大好きだった時代もあるようだし、ジャジーでありつつ、いろんなことを今後出してくれるのではないか。同行したほうの一人の優男ギタリストが彼氏で、オフではベタベタしているらしい。外国人はそういうところ、遠慮ないからなー。←でも、別れるときはほんとあっさりそうしちゃう。
その後、青山・CAYに。会場に入ると、日本人4人組のヤセイ・コレクティヴが演奏中。少しTVゲームを想起させるような鍵盤音(ギターもそういう音をだしているのかな)が中央にあるビート・インストをずずずと演奏中。場内はスタンディング、けっこう混んでいる。ギター奏者も座って演奏していて、立って演奏するのはベーシストだけ。あまり、パフォーマンスの様は見えない。2曲聞くことができた。
そして、ネイト・ウッド(ドラム)他がいる、米国ジャズ・バンドのニーボディが出てくる。キーボード、トランペット、テナー・サックス、電気ベース、ドラムという5人組。過去、自主制作ものからデイヴ・ダグラス(1999年9月24日)のグリーンリーフやドイツのウィンター&ウィンターからなど、いろいろとアルバムを出している在NYのジャズの広がりを体現するグループだ。
頭の方、ストロングな立ったビートのもとテナーが炸裂演奏する様にふれ、一瞬オーディアン・ポープの音みたいだと思う。けっこう、ジャズっぽいとも思った。だが、テナーとトランペットでぐいぐいと行く様もあり、総体的には、<打算と甘さのない、切れた現代版ザ・ブレッカー・ブラザーズ>という所感を得る。シャープかつ歪んだ=ヒップホップ以降の感性を持つビートのもと、ガチな楽器音が自在にのる。もう、聞きながらぐいぐい身体をゆらしちゃったナ。
<今日の、組み合わせ>
CAYのライヴは、2つのバンドともにレコード発売記念という名目を持つ。ヤセイ・コレクティヴは2作目『Conditioner』を発表。彼ら9月以降、同作をフォロウする20カ所に渡るツアーを行うようだ。一方の、ニーボディの新作『The Line』はなんとコンコードと契約してのもの。おお。次は単独でコットンクラブに出演しても不思議はないかもしれぬ。この顔合わせはヤセイ・コレクティヴがニーボディを個人的に呼んで実現したもののようで、素晴らしい。会場でひょっこりエミ・マイヤーと会う。ネイト・ウッドらと知り合いで、偶然街角で会って、誘われて、来たのだそう。
アンジェラ・ガルッポ
2013年8月23日 音楽 「アイ・フィール・フォー・ユー」という楽曲は、プリンス(2002年11月19日)が1979年発表のセカンド作『プリンス』に入れていた曲だ。その8曲目に収められていたシンセ・ポップ曲で(って、当時の彼の楽曲は皆そう形容できるが)シングル・カットはされていない。そして、その曲を5年後に鋭意カヴァーしてみせたのが、チャカ・カーン(2012年1月10日、他)。ラップのグランドマスター・メリ・メルとハーモニカのスティーヴィー・ワンダー(2012年3月5日、他)を一緒に起用したカーンのヴァージョンはアルバム名にも冠されて、まっさきにシングル・カットされ(同作からは3曲、切られた)、総合3位チャート/R&Bチャート1位と大ヒットした。プロデュースはアリフ・マーディン、ここでの歯切れある当時のメインストリーム先端にあるデジタル音色の響きは翌年、やはりマーディン制作のスクリッティ・ポリッティの『キューピッド&サイケ85』で完全に花開くこととなる。
レビー・ジャクソンやザ・ポインター・シスターズなど、この曲をカヴァーしたアーティストもいなくはないものの、カーン・ヴァージョンが印象的すぎるためか、有名曲のわりにはこの胸高鳴るような気分を持つ曲はその後それほど取り上げられていない(はず)。
ところが、ここに来て、なんとも見目麗しい新たな「フィール・フォー・ユー」が発表されて、ぼくはちょっと驚いている。アンジェラ・ガルッポというカナダのモントリーオールに住むジャズ(とポップの両刀で、来ているよう)歌手のヴァージョンがそう。ゆっくりジャジーに崩されたそれはなんとも巧みで曲の持つ綾のようなものを広げ、また彼女の清楚な歌い口はそのラヴ・ソングにある純な思慕の情に鮮やかに焦点を当てるものとなり……。こんなに味わい深くていいの?
そんな彼女の、生の「アイ・フィール・フォー・ユー」は馬鹿みたいにグっと来た。よくもまあ、こんな秀逸しっとりアレンジを編み出し、それと合致する歌声/節回しを載せたものだ。赤のワンピースを来た当のガルッポ嬢はびっくりするほど、性格が良さそうな人。それは、MCやちょっとした態度の端々から伝わる。でもって、ジャケ写よりもずっとキュート、足首も奇麗。ときに音程が少し不安定になるときもあり、純ジャズ・シンガーとしてきっちり見れば個性ある歌い手としての要件を満たすものではないがが、そうであっても、気持ちと品のあるショウに触れたという満足感をぼくは得た。アルバムはスタンダード(「ティー・フォー・トゥ」や「スワンダフル」他)を中心に、ザ・ビートルズやウィルコ(2013年4月13日、他)などのポップ曲も取り上げる。ショウでは、ロジャー/ハマースタインの著名曲「マイ・フェイヴァリット・シングス」も複数のテンポが混在する凝ったアレンジで披露していた。
なんか、もっといろんな音楽を感じたい……。この晩の「フィール・フォー・ユー」を聞きながら、そんなこともふと思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。書き遅れたが、ピアノ・トリオがサポートした。
<今日の、もわあ〜>
とにもかくにも、バカみたいに蒸し暑い日。今日は、ライヴを見る前に、2つのインタヴューをこなしたのだが、一つ目のそれの場となる建物に入ったとたん、豪雨。後から来た女性編集者は気の毒なぐらいびしょびしょ。極悪な罰ゲームを受けた、という感じィ? しかし、間違いなく、今日の湿度の高さは東南アジアのそれを超えていたはずで、ちょうど来日している外国人は這々の体ではなかったか。10月まで気温が高めという長期予報も、出されている。いやはや、ニッポン……。
レビー・ジャクソンやザ・ポインター・シスターズなど、この曲をカヴァーしたアーティストもいなくはないものの、カーン・ヴァージョンが印象的すぎるためか、有名曲のわりにはこの胸高鳴るような気分を持つ曲はその後それほど取り上げられていない(はず)。
ところが、ここに来て、なんとも見目麗しい新たな「フィール・フォー・ユー」が発表されて、ぼくはちょっと驚いている。アンジェラ・ガルッポというカナダのモントリーオールに住むジャズ(とポップの両刀で、来ているよう)歌手のヴァージョンがそう。ゆっくりジャジーに崩されたそれはなんとも巧みで曲の持つ綾のようなものを広げ、また彼女の清楚な歌い口はそのラヴ・ソングにある純な思慕の情に鮮やかに焦点を当てるものとなり……。こんなに味わい深くていいの?
そんな彼女の、生の「アイ・フィール・フォー・ユー」は馬鹿みたいにグっと来た。よくもまあ、こんな秀逸しっとりアレンジを編み出し、それと合致する歌声/節回しを載せたものだ。赤のワンピースを来た当のガルッポ嬢はびっくりするほど、性格が良さそうな人。それは、MCやちょっとした態度の端々から伝わる。でもって、ジャケ写よりもずっとキュート、足首も奇麗。ときに音程が少し不安定になるときもあり、純ジャズ・シンガーとしてきっちり見れば個性ある歌い手としての要件を満たすものではないがが、そうであっても、気持ちと品のあるショウに触れたという満足感をぼくは得た。アルバムはスタンダード(「ティー・フォー・トゥ」や「スワンダフル」他)を中心に、ザ・ビートルズやウィルコ(2013年4月13日、他)などのポップ曲も取り上げる。ショウでは、ロジャー/ハマースタインの著名曲「マイ・フェイヴァリット・シングス」も複数のテンポが混在する凝ったアレンジで披露していた。
なんか、もっといろんな音楽を感じたい……。この晩の「フィール・フォー・ユー」を聞きながら、そんなこともふと思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。書き遅れたが、ピアノ・トリオがサポートした。
<今日の、もわあ〜>
とにもかくにも、バカみたいに蒸し暑い日。今日は、ライヴを見る前に、2つのインタヴューをこなしたのだが、一つ目のそれの場となる建物に入ったとたん、豪雨。後から来た女性編集者は気の毒なぐらいびしょびしょ。極悪な罰ゲームを受けた、という感じィ? しかし、間違いなく、今日の湿度の高さは東南アジアのそれを超えていたはずで、ちょうど来日している外国人は這々の体ではなかったか。10月まで気温が高めという長期予報も、出されている。いやはや、ニッポン……。
マット・ビアンコ。カンタス村田とサンバマシーンズ
2013年8月24日 音楽 いま渋谷の片隅で、マット・ビアンコ(2001年2月5日)の再評価がなされている。なんて書くと、大げさだなあ。ブラジル音楽を流すお店の店主がひねり&息抜きの楽曲という感じで、彼らの曲をかけて、店にいた何人かの客に大好評。その後、その店に行くたびに何気にかかったりもし、ぼくもマット・ビアンコってやっぱ技ありでいいじゃんとなっていて、ちょうど12年ぶりに彼らの公演に出かけた。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。あまりに見事に、フル・ハウス。すげーな。オリジナル・メンバーのマーク・ライリー(歌)とマーク・フィッシャー(鍵盤)を中心に、英国セッション系奏者で固めるというのは、旧来どおり。ギターはUKジャズ/アシッド・ジャズが話題になった流れで、米国GRPから1994年にリーダー作をだしたこともある、インコグニートとも近いトニー・レミー。テナーやフルートをソツなく演奏するギウレアム・プレヴィンスはフェイル・コリンズほか英国のポップ・セッションで名が見られる。そして、若い、髪型が派手な2人の黒人女性を2人やとっているのがうれしい。
「イエー・イエー」ではじまるショウは彼らの耳馴染み曲と新作曲をうまく噛み合わせて。コンサヴァな感じをより強めていたが、もう場内の発情度はかなり高めでした。
そして、渋谷・クロコダイルで、ブラジル音楽要素と華のあるポップ・ミュージック要素をおいしく掛け合わせる賑やかし大所帯ビート・バンドのカンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、他)を途中から見る。山あり谷ありの進行具合は堂にいり、サンバの女性ダンサーは2人登場。新曲もどんどん増えているようだが、それらはより大胆な広がりを抱えているか。なんかエンターテインメントとして、音楽として、とっても健全。と、書くと語弊があるかもしれないが、とても正のヴェクトルを抱えていると、技と熱意と歓びに満ちたショウを見て感じずにはいられない。
<今日の、朝>
派手な飲み方もしてないし、朝がた寝たわけでもないのに、なかなか起きられず。だ〜らだらと惰眠をむさぼる。普段、あまりしないことが出来たのは、良しとするべきなのだろう。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。あまりに見事に、フル・ハウス。すげーな。オリジナル・メンバーのマーク・ライリー(歌)とマーク・フィッシャー(鍵盤)を中心に、英国セッション系奏者で固めるというのは、旧来どおり。ギターはUKジャズ/アシッド・ジャズが話題になった流れで、米国GRPから1994年にリーダー作をだしたこともある、インコグニートとも近いトニー・レミー。テナーやフルートをソツなく演奏するギウレアム・プレヴィンスはフェイル・コリンズほか英国のポップ・セッションで名が見られる。そして、若い、髪型が派手な2人の黒人女性を2人やとっているのがうれしい。
「イエー・イエー」ではじまるショウは彼らの耳馴染み曲と新作曲をうまく噛み合わせて。コンサヴァな感じをより強めていたが、もう場内の発情度はかなり高めでした。
そして、渋谷・クロコダイルで、ブラジル音楽要素と華のあるポップ・ミュージック要素をおいしく掛け合わせる賑やかし大所帯ビート・バンドのカンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、他)を途中から見る。山あり谷ありの進行具合は堂にいり、サンバの女性ダンサーは2人登場。新曲もどんどん増えているようだが、それらはより大胆な広がりを抱えているか。なんかエンターテインメントとして、音楽として、とっても健全。と、書くと語弊があるかもしれないが、とても正のヴェクトルを抱えていると、技と熱意と歓びに満ちたショウを見て感じずにはいられない。
<今日の、朝>
派手な飲み方もしてないし、朝がた寝たわけでもないのに、なかなか起きられず。だ〜らだらと惰眠をむさぼる。普段、あまりしないことが出来たのは、良しとするべきなのだろう。
スキヤキ・トーキョー
2013年8月27日 音楽 富山県南砺市で行われているワールド・ミュージック系フェス<スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド>の東京版、今年で3年目となる。渋谷・www。
まず、モザンビーク人のマチュメ・ザンゴ(機材音、打楽器)、歌と親指ピアノのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日)、オーストリア人のヴェルナー・プンティガム(トロンボーン、ホラ貝)、という3人によるセッション。先の南砺市での演奏に続いて、2度目のパフォーマンスだそう。ザンゴが電気音や生音によるビート音を出し、そこに2人も加わり広がって行く、単一コードによるパフォーマンス。凄い大雑把な書き方をすれば。音を出していないときも多いプティンガムは、小さなホラ貝を手にもする。NYの傑物ジャズ・トロンボーン奏者のスティーヴ・ターレをはじめ、トロンボーンとホラ貝をペアで持ち楽器とする人は散見されますね。
その後に、ジンバブエからやってきたオリヴァー・ムトゥクジ&ザ・ブラック・スピリッツが登場。ムトゥクジは目茶スーパー・スターであるというが、ギター(アンプリファイドされるガット・ギターを使用)をリズミックに爪弾きながら歌う彼はとっても気安い雰囲気を持っていた。で、椅子に座ってギターを持つその宣伝用写真はもろにブルース・マンのようだが、立ってパフォーマンスする様は初老ソウル・マンという感じ。電気ベース、ドラム、パーカッション、2人の女性コーラスが一緒にステージに立つ。ビートはけっこう南アを想起させ、そこにじんわり来る旋律や肉声を、彼は悠々とのせてくれた。MCに触れてジンバブエは英語圏なのだなと、納得。でも、歌は現地語でも歌っていたと思う。
<今日の、ほのかな危惧>
(神田)神保町のことをJinbo-cyoではなくJimbo-choと英字の場合は表記する建物やお店もあるのだそうだ。そ、そりゃ、いかん。神保町に行く機会はほぼないのだが、そのあたりに縁があったとしたら、オレそわそわしちゃう。Jimbo-cyo→Gimbo-cho→Gumbo-cyoという感じで思いは飛んでしまい……。ココロは、カーニヴァル状態に?!
まず、モザンビーク人のマチュメ・ザンゴ(機材音、打楽器)、歌と親指ピアノのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日)、オーストリア人のヴェルナー・プンティガム(トロンボーン、ホラ貝)、という3人によるセッション。先の南砺市での演奏に続いて、2度目のパフォーマンスだそう。ザンゴが電気音や生音によるビート音を出し、そこに2人も加わり広がって行く、単一コードによるパフォーマンス。凄い大雑把な書き方をすれば。音を出していないときも多いプティンガムは、小さなホラ貝を手にもする。NYの傑物ジャズ・トロンボーン奏者のスティーヴ・ターレをはじめ、トロンボーンとホラ貝をペアで持ち楽器とする人は散見されますね。
その後に、ジンバブエからやってきたオリヴァー・ムトゥクジ&ザ・ブラック・スピリッツが登場。ムトゥクジは目茶スーパー・スターであるというが、ギター(アンプリファイドされるガット・ギターを使用)をリズミックに爪弾きながら歌う彼はとっても気安い雰囲気を持っていた。で、椅子に座ってギターを持つその宣伝用写真はもろにブルース・マンのようだが、立ってパフォーマンスする様は初老ソウル・マンという感じ。電気ベース、ドラム、パーカッション、2人の女性コーラスが一緒にステージに立つ。ビートはけっこう南アを想起させ、そこにじんわり来る旋律や肉声を、彼は悠々とのせてくれた。MCに触れてジンバブエは英語圏なのだなと、納得。でも、歌は現地語でも歌っていたと思う。
<今日の、ほのかな危惧>
(神田)神保町のことをJinbo-cyoではなくJimbo-choと英字の場合は表記する建物やお店もあるのだそうだ。そ、そりゃ、いかん。神保町に行く機会はほぼないのだが、そのあたりに縁があったとしたら、オレそわそわしちゃう。Jimbo-cyo→Gimbo-cho→Gumbo-cyoという感じで思いは飛んでしまい……。ココロは、カーニヴァル状態に?!
すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り。スキヤキ・トーキョー
2013年8月28日 音楽 まず、錦糸町に行って、河内音頭に触れる。ぼくが学生のころ、東京でも一時脚光を浴びたことがあって、関西出身の友達に、帰省したついでに河内音頭のレコードを買ってきてもらったことがあった。そして、1983年初夏に東急百貨店渋谷本店屋上のビアホール(昔は、ビアホールがあったのだ。西武百貨店渋谷店A館屋上にも昔はあったっけ?)で河内音頭の担い手が出る催し(仙波清彦〜2012年4月21日、他〜の はにわオールスターズも出た)があって、ほうと唸った。この錦糸町の催しも32回と謳われているので、そのころから持たれているのだナ。ぼくが生の河内音頭に触れるのは、それ以来。それが突然行こうと思ったのは、関西出身の知人が、あれはいい、一人でも行きますと、かなり好意的に言っていたからだ。
錦糸町を通る高速道路小松川線の下で、現在は催される出し物。その高速道路は川の上に建設されており、川にフタをして公園にしたところが会場となっていた。少し横にはラヴ・ホテルも散見。駅の北側には すみだトリフォーニーホールがあるので毎年降りているが、南側に降りるのは初めてではないか。少し早めに着くようにして、周辺探索。おもしろくてしょうがない。
細長い会場の奥に、背後にスポンサーを記した提灯を沢山つり下げているステージを設置。ステージでのパフォーマンスを享受する人たちのためのスペースを間において、トラック状の細長いスペースが設けられ、それが踊り用の場。そして、その両端にずらりと屋台が出ている。それらは、音楽フェスに出店しているものとは異なり、祭キブンを高める。パフォーマーは1曲15分ぐらい(だったかな?)で終わり、巧みな司会者の誘導で次のパフォーマーに。この催しは明日もあるが、今日の出演者とは総入れ替えらしい。けっこうな人数で、関西の夏の稼ぎ時シーズンを終え、面々は東京に来ているのだろう。
音頭担当者に加え、三味線、ギター、太鼓、複数のお囃子がつく。ある女性が歌ったときは、ギタリストを除いて全員女性。ふむ、女性進出比率の高い分野なのか。やはり、へ〜であり、ほ〜。いちいち、目新しく、というか興味深く、頷く。もともと盆踊りとか民謡とかいう日本の古くからの文化にあまり触れてきていないうえに、居住したことがない“西”たるギザギザも入り込んでいるわけだし、ぼくとしては外国のトラッドに触れるのと同じような感興を覚えてしまう。ところで、ぼくは、彼(女)らの歌う言葉がほとんど聞き取れなかった。ぼくは音楽に乗る言葉を感知するのが苦手な人間であると再認識。少し、悲しい。
1時間半ほど見て、渋谷に移動。そしたら、高木正勝(2004年4月27日)の画像付きパフォーマンスの最後のほう。www内、かなり混んでいる。そして、2番目に出て来たのは、フランスで活動するユーカンダンツ。エチオピア人歌手に、フランス人演奏者(ギター、テナー、ベース音兼任のキーボード、ドラム)がついたバンド。で、コブシのある歌やメロディ/抑揚はもろに、脳みそとろけそうなアチオピアン歌謡の味をたっぷり持つのだが、バンド音はロックその他の硬質な語彙を活かしたもので、その重なりあいの妙がポイント。もう少し後の東京ジャズでやってくるデレブ・ザ・アンバサダーはエチオピア人歌手をフロントに置く豪州のバンドだが、フェラ・クティ流れのアフロ・ビートをやるバンドがいろいろ出たように、今はエチオピア歌謡とつながったいろんな所の担い手が増えてきているのかもしれなない。
<今日は、ダメダメ>
河内音頭の会場で踊ったりしたわけではないのだが、渋谷に戻った頃には、酔いと疲労でヘロヘロ。休憩時間に会場に来ていた、翌日出演者のアントニオ・ロウレイロを紹介されたのだが、途中から自分でもびっくりするほど英単語が出てこなくて軽くショックを受ける。ともあれ、音楽が与えるイメージ通りの人で、育ち、良さそうな感じだな。今はリオ在住とか。今日6時間リハをやったそうで、一緒にやる日本人奏者との噛み合いもうまくいったようだ。
錦糸町を通る高速道路小松川線の下で、現在は催される出し物。その高速道路は川の上に建設されており、川にフタをして公園にしたところが会場となっていた。少し横にはラヴ・ホテルも散見。駅の北側には すみだトリフォーニーホールがあるので毎年降りているが、南側に降りるのは初めてではないか。少し早めに着くようにして、周辺探索。おもしろくてしょうがない。
細長い会場の奥に、背後にスポンサーを記した提灯を沢山つり下げているステージを設置。ステージでのパフォーマンスを享受する人たちのためのスペースを間において、トラック状の細長いスペースが設けられ、それが踊り用の場。そして、その両端にずらりと屋台が出ている。それらは、音楽フェスに出店しているものとは異なり、祭キブンを高める。パフォーマーは1曲15分ぐらい(だったかな?)で終わり、巧みな司会者の誘導で次のパフォーマーに。この催しは明日もあるが、今日の出演者とは総入れ替えらしい。けっこうな人数で、関西の夏の稼ぎ時シーズンを終え、面々は東京に来ているのだろう。
音頭担当者に加え、三味線、ギター、太鼓、複数のお囃子がつく。ある女性が歌ったときは、ギタリストを除いて全員女性。ふむ、女性進出比率の高い分野なのか。やはり、へ〜であり、ほ〜。いちいち、目新しく、というか興味深く、頷く。もともと盆踊りとか民謡とかいう日本の古くからの文化にあまり触れてきていないうえに、居住したことがない“西”たるギザギザも入り込んでいるわけだし、ぼくとしては外国のトラッドに触れるのと同じような感興を覚えてしまう。ところで、ぼくは、彼(女)らの歌う言葉がほとんど聞き取れなかった。ぼくは音楽に乗る言葉を感知するのが苦手な人間であると再認識。少し、悲しい。
1時間半ほど見て、渋谷に移動。そしたら、高木正勝(2004年4月27日)の画像付きパフォーマンスの最後のほう。www内、かなり混んでいる。そして、2番目に出て来たのは、フランスで活動するユーカンダンツ。エチオピア人歌手に、フランス人演奏者(ギター、テナー、ベース音兼任のキーボード、ドラム)がついたバンド。で、コブシのある歌やメロディ/抑揚はもろに、脳みそとろけそうなアチオピアン歌謡の味をたっぷり持つのだが、バンド音はロックその他の硬質な語彙を活かしたもので、その重なりあいの妙がポイント。もう少し後の東京ジャズでやってくるデレブ・ザ・アンバサダーはエチオピア人歌手をフロントに置く豪州のバンドだが、フェラ・クティ流れのアフロ・ビートをやるバンドがいろいろ出たように、今はエチオピア歌謡とつながったいろんな所の担い手が増えてきているのかもしれなない。
<今日は、ダメダメ>
河内音頭の会場で踊ったりしたわけではないのだが、渋谷に戻った頃には、酔いと疲労でヘロヘロ。休憩時間に会場に来ていた、翌日出演者のアントニオ・ロウレイロを紹介されたのだが、途中から自分でもびっくりするほど英単語が出てこなくて軽くショックを受ける。ともあれ、音楽が与えるイメージ通りの人で、育ち、良さそうな感じだな。今はリオ在住とか。今日6時間リハをやったそうで、一緒にやる日本人奏者との噛み合いもうまくいったようだ。
スキヤキ・トーキョー
2013年8月29日 音楽 今や、好奇心おう盛な音楽ファンにとって、東京晩夏の定番イヴェントになるつつある“スキヤキ・トーキョー”の最終日。渋谷・www。3日目となるこの晩は、アルゼンチンとブラジルの我が道を行く美味しい感覚派の一挙一動を受け取れる、お得な1日と言えるか。
まず、アルゼンチンのマリアナ・バラフ(2010年8月24日)。前回公演の項でも書いているが、もう彼女には誰もかなわない、と思わずにはいられないよなー。澄んだ自分をまっすぐに出す正々堂々のパフォーマンスに圧倒されつつ、感じ入ることしきり。タマが違う、才が凄い。
基本ソロにて、太鼓を叩きながら歌う。チャランゴだかを手にして歌ったものも1曲。また、ペダルをつかって、歌声に効果をかけながら進めた曲も1曲。そんなにアルゼンチン音楽に触れていなくても、しっかりと同国の音楽の豊かな伝統を山ほど受け継いでいるのが分るとともに、そこに規格外の個を投影し、大きく飛躍していることも痛感させるのだから、ほんとうに凄い。途中2曲には、ギタリストの笹久保伸が出て来て共演、それも味わい深し。バラフ曲とともに、先達アタウアルバ・ユパンキの曲もやったよう←栗本斉さん、情報。
そして、今のブラジルのミナスの不思議や味わい深さや新しさを存分に体現するアントニオ・ロウレイロが登場。1曲目はピアノの弾き語り、ピアノもかなりいけることがすぐに分る。喋る声と異なり、歌声は大きめでなかなか通る。そこから、彼の歌にこめる気持ちの大きさは感じずにはいられないな。
そんな彼はえっアレレという感じの不思議なコード感覚を持つ、べらぼうに瑞々しいのに素人耳には相当に難しい伸縮性たっぷりの漂う曲をやるのだが、2曲目以降はベース(縦/電気)の鈴木正人(2013年2月19日、他)とドラムの芳垣安洋(2013年2月19日、他)がつく。本人たちドキドキだったところもあるもかもしれないが、2人は無理なくサポート。さらに途中からは、アコーディオンの佐藤芳明(2012年2月10日、他)も加わったが、これまたうまく調和する。音楽の素敵が悠々と溢れ出ていた、1時間半(は、やったよな?)、ふう。ロウレイロさん、実演能力も存分にあり過ぎだな。アンコールにはバラフと一緒にパフォーマンス。バラフ曲をやったようだが、それも素敵すぎた。
<今日の、流れ>
“ミナスのキース・ジャレット”とか下品なキャッチがついてもいいから、ロウレイロにはピアノ・アルバムも作ってほしいところ。そういえば、この日の会場には録音用マイクが立てられていたが。……会場でおおいにできあがり、その後2軒を回るが、ともにスキヤキ帰りの人たちと会う。2軒目は出演者も一人おりました。
まず、アルゼンチンのマリアナ・バラフ(2010年8月24日)。前回公演の項でも書いているが、もう彼女には誰もかなわない、と思わずにはいられないよなー。澄んだ自分をまっすぐに出す正々堂々のパフォーマンスに圧倒されつつ、感じ入ることしきり。タマが違う、才が凄い。
基本ソロにて、太鼓を叩きながら歌う。チャランゴだかを手にして歌ったものも1曲。また、ペダルをつかって、歌声に効果をかけながら進めた曲も1曲。そんなにアルゼンチン音楽に触れていなくても、しっかりと同国の音楽の豊かな伝統を山ほど受け継いでいるのが分るとともに、そこに規格外の個を投影し、大きく飛躍していることも痛感させるのだから、ほんとうに凄い。途中2曲には、ギタリストの笹久保伸が出て来て共演、それも味わい深し。バラフ曲とともに、先達アタウアルバ・ユパンキの曲もやったよう←栗本斉さん、情報。
そして、今のブラジルのミナスの不思議や味わい深さや新しさを存分に体現するアントニオ・ロウレイロが登場。1曲目はピアノの弾き語り、ピアノもかなりいけることがすぐに分る。喋る声と異なり、歌声は大きめでなかなか通る。そこから、彼の歌にこめる気持ちの大きさは感じずにはいられないな。
そんな彼はえっアレレという感じの不思議なコード感覚を持つ、べらぼうに瑞々しいのに素人耳には相当に難しい伸縮性たっぷりの漂う曲をやるのだが、2曲目以降はベース(縦/電気)の鈴木正人(2013年2月19日、他)とドラムの芳垣安洋(2013年2月19日、他)がつく。本人たちドキドキだったところもあるもかもしれないが、2人は無理なくサポート。さらに途中からは、アコーディオンの佐藤芳明(2012年2月10日、他)も加わったが、これまたうまく調和する。音楽の素敵が悠々と溢れ出ていた、1時間半(は、やったよな?)、ふう。ロウレイロさん、実演能力も存分にあり過ぎだな。アンコールにはバラフと一緒にパフォーマンス。バラフ曲をやったようだが、それも素敵すぎた。
<今日の、流れ>
“ミナスのキース・ジャレット”とか下品なキャッチがついてもいいから、ロウレイロにはピアノ・アルバムも作ってほしいところ。そういえば、この日の会場には録音用マイクが立てられていたが。……会場でおおいにできあがり、その後2軒を回るが、ともにスキヤキ帰りの人たちと会う。2軒目は出演者も一人おりました。