1949年ローマ生まれの、イタリア人ジャズ・ピアニストの公演は、ラリー・グラナディア(2012年1月25日、他)とジェフ・バラードという、ブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)のリズム隊を引っ張ってきてのもの。大胆、だなー。近年は、ベースだとジョン・パチィトゥッチ(2012年6月13日、他)やスコット・コーリー(2012年3月15日)やマーク・ジョンソン(2006年6月28日)、ドラマーだとジョーイ・バロン(2011年1月30日、他)やアントニオ・サンチェス(2013年5月21日、他)やポール・モーシャンといった米国有名人を起用したアルバムをいろいろ出している御仁ゆえ、それほど驚くにはあたらないのかもしれないが。その三者によるアルバムはあるのかな?

 ピエラヌンツィは伊ソウルノートから日本のレコード会社まで、いろんなところからたくさんのアルバムを出しているものの、ぼくにはちょっと分りづらい音楽家だ。クラシック教育を底に置くのだろう、腕の立つ、奇麗なピアノを弾く(リズムがジャストで、ぼくはどこか味気なさを感じるという意味も含む)人物であるのは間違いないながら、瀟洒な感じからフリーぽいものまで、はてはラテン・カルテットを名乗るものまで、いろんなことをしていたりする。そんななか、ビル・エヴァンス流れの魅力を指摘する聞き手もいるが、それもぼくにはよく分らない。エヴァンスは奇麗な表層を持ちつつ裏でペロリと舌を露骨に出している。だから、奇麗な曲を弾いていても、ソロのパートではフレイズや情緒がぶっこわれているところ、ワケの分らぬところがきっちりある。それゆえ、一般性を持つピアニストのコンピ盤を組もうとして彼を入れると、確実に他曲からは浮いてしまう。←これ、実体験から来る所感。とかなんとか、澄ました顔をしつつエヴァンスは不埒というか、やはり度を超したグルーヴィなジャズ的感性を有しているわけで、その巨人と比すと、ピエラのとっつぁんは真面目で丹精すぎる部分もあるとぼくは感じる。

 1曲,完全にインプロものをやって、それがぼくには一番おもしろかった。欧州人と米国人の噛み合いの妙味も一番でていたかもしれないし、熟達米国人リスム・セクションとのお手合わせをピエラヌンツィは心置きなく楽しんでいるように思えた。客から一番拍手が起きたのは、スタンダードをやったとき。それには、柔和さと張りつめたところを併せ持つ、彼の美的センスがよく表れていた。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ところで、あれれと感じたのは、グラナディアの楽器の音色。なんか汚い、とぼくは思ってしまった。音量もピアノの音と比すと大きく、あれでいいのだろうか。そういうやあ、グラナディアが平然とベースを弾いている、ジョン・ゾーンのレーベルからいろいろリーダー作を出してもいる変人ピアニストのジェイミー・サフトが中心となった、チル・アウトなピアノ・レゲエ・ダブ・トリオであるニュー・ジオン・トリオの2011年作『ファイト・アゲインスト・バビロン』が今ごろ日本盤で出る。そこでの彼の演奏にも感心したが、今日のファースト・ショウのグラナディアは大げさに言えば、ぼくの知らないグラナディアだった。

<今日の、余談>
 そのあと、鎌倉のレーベル/イヴェンターをやっている米国出身のダグラスがニューオーリンズものをDJしますという、渋谷百軒店にある店に顔を出す。普段はブルースのライヴをやっている店で、ぼくも知り合いが出たときに行ったときがあるが、面白いお店。なんでも、世界的な日本人大人気ピアニストのお気に入り店でもあるそうで、彼女が来店したときに偶然パフォーマンスしていた出演者を彼女は気に入ってしまい、後日そこのでのライヴ盤を立ち会い録音して、ポケット・マネーでCDを作ってしまったんだとか。そういえば、ピアノがおいてある代官山のライヴ・ハウスに昼間突然入って来て、ピアノを弾かせてくださいと申し出て、弾いていったという話を聞いたこともある。自由だなー。でも、それはなにより演奏に表れているし、ピュアな音楽家らしい所作というものだろう。

 毎年来ているようだが、ちょっと間を置いて接するマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)の公演はおもしろかった。編成は、エレクトリック・ベースを弾く彼に加え、アルトとトランペット、鍵盤とギター(彼のみ、白人)、ドラム。初来日という鍵盤奏者のブレット・ウィリアムズはなんかおっさんに遠目には見えたが、まだ21歳とか。アルト・サックスのアレックス・ハンも当初バンドに入ったときは音楽大学に通う学生だった←もしや、いまやワーキング・グループの最古参? 

 とくに中盤までは、うひょーって、感じ。もう、グツグツと弾き倒して楽曲の骨格を作るべース音に、ざくざく楔を入れる感覚をとても持つドラマーのルイス・ケイトーががちんこで重なり、その隙間を埋めるようにいい感じでエレクトリック・ピアノ音が入る……。それ、ハードなロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)的表現と言いたくなる風情があって、ぼくはびっくり。要は,ヒップホップがのした時代ならではの跳ねとほつれをおおいに有する。おお、マーカス、変化しているじゃんとも思えたし、ミラーのバンドで何度も来ているケイトーがあんなに颯爽とした叩き口を持つドラマーだとは思いもしなかった。昨年、欧州ツアー中にミラー軍団が交通事故にあったさい、ケイトーだけは怪我を負ったというニュースも流れたが、問題なく回復しているようだ。

 おしむらくは、管の2人にソロを向けるところ。2人とも下手じゃないが、重みのないソロをとるし、ぼくは不要と思う。そのソロ回しに顕われる、旧態依然としたフュージョン様式はぼくが新たにミラー表現に感じた現在的なギザギザの存在をスポイルしちゃう。もともと、彼はベースがサウンド総体の骨格を形作るという奇形というしかない音楽をやっているんだもの(ベースは本来、そういう楽器ではありません)、バランスとか完成度なんか無視して、個人技を前に出して暴走する行き方のほうがずっとぼくはピンと来るし、好ましい刺(それは、ケイトーの鮮やかな叩き口がおおいに貢献する)が露になって格好いいと思う。あーあ、トリオ編成でやれば、数段いいのにとぼくは思った。ミラーさん、もっとクルクルパーになって!

 本編最後は、マイルズ・デイヴィスに提供し、後にセルフ・カヴァーもしているお馴染みの「ツツ」。さすがもう封印しちゃえばいいのにと、思わずにはいられず。ただ、ジョージ・デューク(2013年8月7日、参照)追悼でやった彼の「スウィート・ベイビー」はにっこり聞けた。ミラーさん、義理堅いな。デイヴィスの『ツツ』はA&Rのトミー・リピューマが、プロデュースをデュークとミラーにふったアルバムだった。リード・ヴォーカルはケイトーが叩きながらとり、コーラス部はミラーも歌う。そういえば、ミラーの初期2作のリーダー盤は自ら歌うブラック・ポップ傾向作だった。アンコールの1曲目はピアノを弾くウィリアムズとのデュオで、ミラーはべース・クラリネットを弾く。曲はガーシュインの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」。

 そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックスのデイヴィッド・サンボーン(2012年3月3日、他)、ピアノのボブ・ジェイムズ、アコースティック・ベースのジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 )、ドラムのスティーヴ・ガッド(2012年11月26日、他)からなる4人組を見る。

 1986年にジェイムズとサンボーンは双頭名義作『ダブル・ヴィジョン』を発表し、グラミー賞も獲得。ではあったものの、それをフォロウするライヴを一回たりともすることもなく,続編も作らず、2人は宿題をやり残している気持ちを持っていた。そんな両者が懸案であった再双頭作を作る段階で、今回はフル・アコースティックにて固定少人数メンバーで行くしかないでしょとなり、そして出来たユニットがクァルテット・ヒューマンだ。そこで彼らが求めたのは、作編曲とソロが自在に解け合う方向〜それはある種のモダニズムを抱えると評したくなる〜。そして、その一部は、同じ編成のデイヴ・ブルーベック・カルテット憧憬/追悼を込めた指針が取られた。スタジオにはいっているときに、彼らはブルーベック死去の報を聞いている。

 トータルな意匠にもどこか気を配っている感じもある、もう一つの現代ジャズ。楽曲はアンコール曲をのぞき、今年録られた『クァルテット・ヒューマン』からのもの。かなり、演じている本人たちもうれしそう。これ、期間限定のものという思いが送り手にはあるのか。ある曲のソロでサンボーンは、「マイ・フェイヴァリット・シングス」を引用していた。ところで、電気楽器を用いフュージョン傾向にあった『ダブル・ヴィジョン』でエレクトリック・ベースを弾いていたのはマーカス・ミラー。そして、この晩、4人はアコースティックな新アレンジで『ダブル・ヴィジョン』に入っていた曲を2つ演奏したが、それはともにミラーの作。本人のリーダー公演とは別で、ミラーの作曲能力を再認知するとは思わなかった。ミラーは、80年代はサンボーンと近い奏者でもあったんだよなー。彼は、オマエの曲2つもやったゾとか、報告を受けているかもしれない。

<今日の、ラグビー放映>
 昼さがり、原稿仕事の合間に息抜きに,スポーツ・チャンネルをふとつけると、この土曜日にあったラグビーの日本のトップ・リーグの試合をやっている。すると在京チームの選手によく知る音楽家の弟さんがいるのに気付く。背番号6、すげえ自己滅私のポジションで奮闘していたナ。彼、お兄さんのライヴ(2013年8月24日、他)でも姿を見かける。顔は似ているが、体つきはあっと驚くほど違う。日常の鍛錬が血を凌駕することもある? 兄弟でまったく違うことができるのは、いいこと。って、サトー家も年子の姉はぜんぜん違う道を歩んでいるけど。
 この土曜日に東京ジャズに出演する、米国大御所歌手の記者会見があるというので、昼間に有楽町まで出かける。

 場所は、外国特派員協会の会見場。時の人がよくそこに出来て質疑応答をしている、深青色の布が壇上背後に張ってある、お馴染みの場。有楽町駅に近いビルの20階にある、けっこう年期の入った施設。思っていたより質素とも感じたか。ま、同所にはバーとかいろいろあるらしいが。ぼくは通常、来日ミュージシャンの記者会見には行かない。ま、近年ほとんどないのも事実だが。だけど、今回は彼のフェス出演時とまったく同じ時間にグレゴリー・ポーター(2013年3月6日)の取材をしなければいけなく、御大を見ることは不可能。現在87歳だという彼を一目見ておきたく、この会場にも一度ぐらいは足を運んでもいいだろうと思って、行った。

 開始時間ほぼ定刻に表れた彼はかなり元気そう。今回見れなくても、またライヴを見ることができる機会があるかもと思えた。イタリア系らしくかなり小柄で、でかい顔は血色が良い。その様に触れるだけで、ある種のムードやテンポが振りまかれるという感じ。それには、頷く。壇上横に座った外国人との対話が半分ぐらい(ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイなど、昔の話もいろいろなされる)で、あとは来場者との質疑応答。内容自体はまあ想像の範囲内のもの、米国人記者の福島原発事故の対応不備と東京五輪誘致を絡めた質問にも、暖簾に腕押し的に悠々と答えを返して行く。尽きるところ、わしゃ人間愛に満ちた人間でのう、という主旨であったか。一番意外性があって場内がザワっと来たのは、ピカソ的存在と評価しているというレディ・ガガと来年共演作を出すと発言したときだったか。初めて聞く情報だと思ったが、東京ジャズのパンフレットにはそのことも載せられていたようだ。

 別にどってことなかったけど、やっぱちゃんとライヴを見れないのは残念と思わせた、生トニーさん。←実際、やはり素晴らしかったという声、多数。ここの通路には、記者会見に応じた人の写真が額入りで張ってある。あら、ロベルト・バッジョも今年に入って、ここでしゃべっているのね。

<今日の、衣装>
 ベネットはグレイのジャケット(ポケット・チーフなし)に、黒のパンツ。白のシャツに濃いめの柄のネクタイ。だったかな? わりと、地味な出で立ち。髪はわりとフサフサしているように見えた。
 そのあと、渋谷の文化村のギャラリーでやっている、<50Years of ROCK ビートルズvsローリング・ストーンズ>と名付けられたザ・ビートルスとザ・ローリング・ストーンズ関連アイテムを並べた展示会を見る。最終日。ザ・ビートルズ絡みのものが、多い。一点、一千万円を超えるものが一つ。キース・リチャーズのジージャンが飾ってあったが、あまりに小さいので驚く。キュレイターを務める保科さんが、皆メンバーは小柄で、彼も170センチに満たないらしいですと教えてくれる。ストーンズのなかでちゃんとインタヴューしたことがあるのはチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日)だけだが、キースも側で見たことが一度あった。1989年に、ツアー中のシンシナティのホテル前でのことだった。

 同業先輩の北中正和がずっとコーディネイトしておられる、レクチャーと演奏を組み合わせて広義のワルード・ミュージックを紹介する音楽イヴェント、ジャズ編の巻。前半は相倉久人(2009年7月19日)が話し、後半は佐藤允彦(2013年4月9日)がソロでピアノを弾く。代々木上原・けやきホール。JASRAC主催、無料とはいえ、立派なホールが満員。わー、熱心な音楽愛好家がいっぱい、と思ってしまった。

 相倉さんはもう話がはずみ、途中から立ってお話。接していて、楽しい。音楽もかけるはずが、話に熱がはいり、大分そちらははしょった。佐藤允彦は病気療養中の山下洋輔(2013年7月27日、他)の代役出演、実はヘレン・メリル(2013年4月9日、他)のサポートをしたときの彼の演奏/物腰がなかなかに素敵で、また見てみたいと思っていた。しかし,弁も楽器使いも、立つなあ。で、トルコの曲とか、非ジャズ要素を題材とする曲を次々に1時間ほど演奏する。ショパンだかクラシックの曲をカリプソ調でやりますと言った曲は、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)の「セント・トーマス」を想起させたりも。また、落語好きの彼は、落語家が出てくるときの音楽(偉い人には、それぞれのものがあるよう)をモチーフに2曲弾いたが、それらは「ずいずいずっころばし」をジャズ化したような感じのものだった。

<今日の記憶>
 大昔、ぼくは佐藤允彦のことを、“ワープの達人”というような書き方をしたことがあった。1989年の彼のリーダー作、エピック発『ルナ・クルーズ』の宣材用原稿。現物がないのでどんな書き方をしたか分らないが、間違ってはいないじゃんと思う。フリーになって10年強は完全にロック、そしてジャズをのぞく黒人音楽を中心に書いていたぼくにとって、それはかなり初期のジャズ系原稿となるのだろうかとかもと、ふと思ったりもした。

 まず、南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、グレゴリー・ポーターを見る。今年2度目の、ブルーノート東京公演となる。通算3作目となる新作『リキッド・スピリット』はブルーノート・レーベルに移籍してのアルバム。とはいえ、同様にブルーノート契約アーティストとなったホセ・ジェイムズ(2013年2月15日、他)と異なり、彼の場合はフランスのユニヴァーサル・ミュージックが引っ張った末に、ブルーノートの紋章がつくようになったようだが。だが、そのためもあってか、制作者やバンドを含め旧来の体制で新作は作られ、“変わらなくてもいいもの”を追求した、等身大アルバムになっている。で、新作からの曲を含めたショウもまったくもって、前回(2013年3月6日)感じた魅力をそのまま引き継ぐものなり。胸いっぱい、心弾む。そして、次に来たときもまた見たいと思わせる。

 ある曲のピアノ・ソロのときエルトン・ジョンの「ベニー・アンド・ザ・ジェッツ」(1974年全米総合1位、R&Bチャート15位。米国黒人に受けた最初の英国人の曲とも言われる。なるほど、エルトン・ジョンはこの曲でTV「ソウル・トレイン」に出たりもした)を引用したり、ポーターがスキャットを噛ましている際に「フリーダム・ジャズ・ダンス」を歌い込むときもあり。

 その後、”QUIET DAWN”SESSION♯01と名付けられた出し物を、代官山・山羊に、聞く に見に行く。ギターの藤本一馬(2013年4月19日、他)、ピアノの林正樹、コントラバスの沢田穣治(2012年5月16日、他)、ドラムの田中徳崇という単位で演奏。今の新感覚南米音楽共感も持つ、もう一つの間や広がりを意識する日本人奏者たちが集う、と書けるか。そして、セカンド・ショウには、アントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日)が入り、電気キーボードを弾くとともに、ドラムも1曲で叩く。彼、レギュラー・グリップで叩いていた。

 同業者の注目も高かったようで、プロの奏者を散見。あんな人やこんな人も。会場は少し手が入れられたようで、ステージはかつて個室みたいになっていたところにあった。

<今日の、ぎょっ>
 日中、暑かった。在豪エチオピアン歌謡バンドのデレブ・ザ・アンバサダーを昼下がりインタヴューしにいったのだが、場所を間違える。P-ヴァインの新オフィスに行ったら誰もいない。なんと、引っ越しはこの土日で、新しいところは月曜からとか。移転告知はがきやメールが複数届いていて、もう引っ越し済みなのかと思ったYOH。同じ渋谷であり、前の取材が押していて、なんら問題はなかったが、さすが急いで移動したら汗を吹いたっ。月曜まで土日関係なしにインタヴューの予定が毎日入っている。朝まで飲んじゃうことは避けなければ。

 ここのところ毎年、有楽町周辺で9月上旬に開かれている音楽フェス。主要のステージは3つもうけられ、東京国際フォーラムのホールAを会場とする<the HALL>、国際フォーラムの中庭に作られた野外ステージの<the PLAZA>、そしてコットンクラブを会場とする<the CLUB>。うち、<the PLAZA>は無料で、昔から東京ジャズは只のステージにイケてる担い手が出ることで定評を持つ。以下、見た人を箇条書きで記す。

■シモン・ダルメ<the PLAZA>
 ピアノを弾きながら歌う、1981年生まれのフランス人シンガー・ソングライター。どこかザ・ビーチ・ボーイズの幻影も追っているところも持ち、風情ある淡さも持つ人物。最初聞いたとき、初期のプラッシュ(2002年6月23日)もぼくは少し思い出したかな。前半のほうしか見れなかったのが、残念。
■マット・ダスク・ウィズ 八代亜紀<the HALL>
 洒脱エンターテインメント系カナダ人ジャズ歌手(2013年6月26日)、ピアノ・トリオ+二管を擁しての、秀でたマナー全開のパフォーマンス。途中に八代亜紀(2012年11月9日)が出て来て、数曲歌う。
■ダニ&デボラ・グルジェル・クアルテート<the PLAZA>
 注目の在サンパウロのシンガーが、ピアニストの母親と組んでいるカルテット。流儀はジャズ、メロディや情緒はブラジル、てな、乱暴な説明ができるか。ダニ・グルジェルはスキャットも多用。これも前半部だけ見た。
■デレブ・ザ・アンバサダー<the CLUB>
 エチオピア出身歌手を中央に置く、豪州バンド。リーダーシップも取るフロント・マンが本物、いい感じ。
■大江千里サタデイ・ナイト・オーケストラ<the HALL>
 在NY作曲家/ピアニストが率いる、12人編成(指揮者も含む)のグループ。なんと、1928年生まれの大御所ジャズ・シンガーのシーラ・ジョーダンがゲストで少し歌う。わー、彼女ばかり見ちゃったよー。
■リー・コニッツ・カルテット<the HALL>
 1927年生まれ、長年あっち側を飄々と切り取ってきたアルト・サックス奏者。1ホーンのカルテットにてパフォーマンス。比較的常識的な設定が取られていたが、それでもあの人が吹くと清新な綾が表われる。ベース奏者は菊地雅章の2012年トリオ公演(2012年6月24日、25日)で来日したトーマス・モーガンだった。
■ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ<the HALL>
 全12人で登場の、著名企画キューバン・ラテン集団(2001年2月9日)。途中から、オマーラ・ポルトゥオンド(2012年5月1日)が出て来て、一気に場を輝かさせる。彼女は1930年生まれ、いやはや夜のホール公演は枯れぬ老人力が3ステージ続けてアピールされたことになるのだな。
■ニュー・クール・コレクティヴ<the PLAZA>
 オランダの雑食系ジャジー・ファンキー・バンド(2009年9月6日)。いっぱい、人が集まっていた。結構、時間を押してもやっていたが、あの辺なら夜中まで音を出しても問題ないんじゃないか。

<今夏の、落とし物>
 また、暑くなっている。ひええ〜。汗をかいても平気なように、ばくはハンド・タオルを必ず携帯する。夏場外出時の、必需品じゃ。それにしても、今年はたくさん外でハンド・タオルを落としたな。15枚ぐらいは平気で。今日も汗をぬぐおうとしたら、手にしていた上着のポケットに入れていた(通常、バッグのたぐいを持たないもので……)ハンド・タオルがない。また、落としちまったよー。現在家にあるハンド・タオルの在庫数(?)を見るに、自分の不注意さとボケ進行を実感せざるを得ない。

 有楽町・東京国際フォーラム周辺で持たれる音楽フェスティヴァル、2日目。夕方から夜にかけての長めの豪雨で、無料野外ステージ<the PLAZA>の出し物は予定がズタズタになったよう。

■Ai Kuwabara Trio Puroject<the HALL>
 21歳のピアニストで、作曲と即興を織り込む方向にあるフュージョン演奏をトリオで披露。着物と帯をアレンジしたようなスカートを着用していた。
■ヘルゲ・リエン・トリオ<the CLUB>
 新世紀に入ってから、いろいろアルバムを出している1975年生まれのノルウェー人ジャズ・ピアニストのトリオによる公演。で、これには聞き入り静かに高揚、脱帽。ジャズ美学があふれまくり、その現代的でもあるピアノ流儀に魅せられまくり。いやはや、ノルウェー……。それから、ピアノの出音がいつもと違って聞こえ、弾き手によってこんなに音に差異があるのかと驚く。いつもと同じスタンウェイであるのかを広報女史に確かめれば、いつも置いてある物は修理中で、違うピアノであるそう。納得。才気走っているのに、とってもいい奴そうなリエンは、この早朝の決定を受けて、さっそく「東京オリンピック、おめでとう」とも、壇上で言った。

<今日、思うこと>
▶次々回オリンピック開催が、東京に決まったのには、驚いた。首相の原発事故対処についての破廉恥きわまりない大嘘にも驚いたが。いや、怒りを覚える。▶ぼくはオリンピック誘致に反対だった。それは、最初に言い出した元都知事を嫌い、あんな奴が大いばりする姿を見たくない、という心の狭い理由から。▶それに、もっと税金をつかうべきことはいろいろとあるだろとも思う。さらに、借金こさえていいの? ▶でも、決まってしまった以上はしょうがない。お金をかけずに、心のこもった五輪を開いてもらいたいナと思う。▶子供のころ、オリンピックには大層ドキドキしたし、物の見方を広げてくれたはず。世界中のいろんな国の人が来て、一緒に競技をしているなんて、本当に素敵なことと思え、刺激も受けた。次代の子供たちがそういう夢を見る機会があってもいいだろう。▶今後、五輪開催を理由とする、いろんな暴挙がなされようとするだろう。ああ、いやだいやだ。▶また、熱心に誘致したい人の奥には、愛国心発揚/軍国主義復活、さらには利権獲得/泡銭儲け画策があるのだろうが、どっちも勘弁ねがいたい。▶また、メダル数獲得のためのくだらない煽りや強化もナシにしてえ。いいじゃん、無理にメダルとらなくても。▶……でも、もし生きていたなら、不人気競技でいいから、なにか一種目ぐらいは観戦してみたい。それとも、ヴォランティア参加? ▶しかし、なんで真夏の開催なのか。暑いだろうな。スコールにも悩まされ、それらについては大不評だろう。2016年リオ、2020年トウキョウと、(実質)亜熱帯都市での五輪開催が続くことになるわけか。

ルスコーニ

2013年9月9日 音楽
 30代前半のスイス人ピアノ・トリオ。ルスコーニのことを、そう書いていいのか。ピアノはプリペアド・ピアノ手法も用い、べース奏者はギターを弾いたりもし、ドラム奏者もエフェクターをかます。そんな彼らの新作を聞いたときは、完全にE.S.T.(2003年6月17日、2007年1月13日)の影響下にある仕上がりだと思ったが、ライヴだと、彼らならでは妙味が浮かび上がる。まっとうなジャズと現代ロック表現(この日配られた資料には、デッド・ケネディーズ〜2003年2月8日〜や、ソニック・ユース〜2007年4月20日、他〜や、ジェイムズ・ブレイク〜2013年6月4日、他〜らが、彼らお気に入りのミュージシャンとして名が出されていた)を完全に同一線上で捉える音楽観を持つ連中で、1曲やったヴォーカル・ナンバーも味よし。ぼくは、もっとポップになってェと思ってしまった。

 南麻布・スイス大使公邸での、レセプション・パーティ。当初の予定では30分であったが、彼らは結局1時間を超える演奏を披露。で、演奏する当人たちの物腰や大使の気さくさもあり、この手の場で、これほど温かくも熱い空間ができあがるのは珍しいと思った。

<今日の、あせったァ>
 外出するさい、財布(カード類もすべて込み)がどこにあるか分らなくて焦る。もう常規を逸してだらしないもので、時々そういうことがある。一度なんか、にっちもさっちもいかず、マンションの管理人に交通費にあてるお金を借りて、インタヴューの場所に行ったこともあったっけ。鍵も、ときに同様なんだよな。あ〜あ。

 1ヶ月弱前にテレンス・ブランチャード公演(2013年8月18日)で来日したばかりの、テキサス州育ち在NYの俊英ジャズ・ドラマーの、今年2度目になる自己バンド公演は丸の内・コットンクラブにて。ファースト・ショウ。ただ前回公演(2013年2月2日)はトリオ編成によるもの、今回は新作『コンヴィクション』(コンコード)に参加している正メンバーを引き連れてのものだ。

 当人に加え、テナー・サックスやバス・クラリネットのジョン・エリス(2006年4月17日、他)、ピアノのテイラー・アイグスティ(2009年6月24日、2013年2月2日)、ギターのマイク・モレーノ(2008年11月22日)、ベースのジョー・サンダースという面々。ジェラルド・クレイトン(2011年10月6日、他)のお気に入りであるサンダースは電気ベースを弾いたほうが似合うような風体の持ち主だが、とても堅実なアコースティック・ベース演奏を聞かせる。

 そんな顔ぶれゆえ、2月のリーダー公演とはまったく別モノと言えるだろう、新作に準じた、いろんな興味の差し込みを持つ、現代ジャズ表現を披露する。息があいまくる5人の演奏に触れていると、今に生きるジャズ・マンの矜持をじわじわと紡ぐ、という説明もしたくなるか。それからおもしろかったのは、スコットのドラム・ソロがコンサヴァな前回公演のほうが定石外しの演奏を聞かせ、今回は地味であったこと。ただし、今回はPCを横に置き、一部効果をかける部分もあった。

<今日の、関係な〜い>
 今、原価率が低い最たる商品がイアー・フォンなのだそうだ。食事の席での他愛ない話で出たので真偽のほどは知らないが、なるほど、いま広告はよく見かけるような気もする。イアー/ヘッド・フォン嫌い、スピーカーからどすんと音を出さないと気が済まないぼくには、あまり関係のない話なのであるが。ともあれ、現在のイアー・フォンの音の良さを力説する知人が散見されるのも事実ではあるなー。

 まず、渋谷・クラブクアトロで、昨年のフジ・ロック・フェスティヴァルの様々なステージや場所でパフォーマンスし、話題を呼んだ、アルゼンチンのグループを見る。2人のサポートも含め、7人にてステージに登場。カホーン、生ギター、クアトロ、トロンボーン、トランペット、電気ベース、ドラムという構成で、管楽器奏者はパーカッションを手にするときも多く、歌はユニゾンで烏合の衆ぽく、だらだら歌われる。

 アルゼンチンのフォークロア的属性を持つと思いたくなるような素朴なメロディ+αな曲が和気あいあいと披露されるわけだが、その緩〜い感じ、気安い感じにはびっくり。なるほど、旅先のウルグアイの浜辺で自然発生的に組まれたという、グループ結成時の話も頷ける? そして、そこかしこから、手作りパーティのりを感じさせもし、それは敷居の低さにもつながるだろう。

 途中退出して、渋谷・O-nestに。テキサス州出身のブルージーなシンガー・ソングライターのクリス・ウィートリー(2004年9月15日。1960〜2005年、ヒューストンで没)の娘さんを見る。と、書いてしまうのは正確ではないか。父クリスは大々的にNYで活動する前にベルギーに居住したことあがあり、娘はその時代に生まれた子供で、ベルギー在住が長いようであるから。金髪痩身の彼女は現在26歳とのこと。

 ギターを弾きながら歌う本人に、キャリア豊かとも思わせるギター、ベース、ドラム奏者が着く。彼らもベルギー人なのかな(追記;トリクシーの叔父であるベーシスト以外は、彼女が現在住むNYの奏者とか)。最初の曲と最後の曲では、トリクシーは電気キーボードを弾きながら歌う。プリセットのビート音を併用する曲も数曲。ちょい裏声を張り上げる歌い方はぼくの好みからは少し離れるが、聞き手のなかに届く何かを持つ人であり、ロックというスタイルを取ってはいるものの通って来た道は広いとも思わせる、才豊かな人。ギター弾き語りのときはジミ・ヘンドリックス的情念を感じさせたし、一曲はエチオピアン歌謡をもろに参照したような感じだった。

 なお、彼女はダニエル・ラノワ(2013年7月31日、他)のロック・バンドであるブラック・ダブのメンバーでもある。そういえば、父親クリスの実質デビュー作『リヴィング・ウィズ・ザ・ロウ』(コロムビア、1991年)にはやはりラノワが参加しているが、同作がメジャーから出たのは当時すでにプロデューサーとしてエスタブリッシュされていたラノワの口利きがあったためと言われている。なお、クリス・ウィートリーはカサンドラ・ウィルソン(2013年5月31日、他)の幽玄路線作『ブルー・ライト』(ブルーノート、1993年)と『ニュー・ムーン・ドーター』(同、1996年)の陰の立役者であることもぼくには忘れがたい。そして、『ニュー・ムーン・ドーター』に参加していたドラマーのダギー・バウン(ザ・ラウンジ・リザーズ、ワールド・アット・グランス、他)はトリクシーの最初の録音の面倒を見てもいる。そういう些細なつながりにワクワクできる対象がおもしろくないはずがない。

<今日の、親族>
 ウィートリーの初来日公演には彼女のお母さんも同行。まだ40代っぽいな。彼女は客席側にいて、さんざん接しているだろう娘のパフォーマンスにギンギンになって見ていた。彼女は娘の音楽性にけっこうな影響を及ぼしてもいるそうだ。

トライソニーク

2013年9月13日 音楽
 ピアニストのハクエイ・キム(2011年4月10日、他)、ベーシストの杉本智和(2011年7月10日、他)、ドラマーの大槻“kalta”英宣(2013年7月1日、他)からなるトリオが、トライソニーク(2011年4月10日、他)だ。セルフ・タイトルのデビュー作は純アコースティックなジャズ・アルバムだったが、その第2作『ボーダーレス・アワー』はエレクトリック志向にあり、セカンド・アルバムからだけの曲をやったこの晩も完全にその傾向を取る。

 キムはアコースティック・ピアノとネオヴィコードという電気キーボードを用いるが、ピアノにも機材を噛ませており、加工された音を出すときもある。普段ウッド・ベースを弾く杉本は全曲エレクトリック・ベースを弾き、ときに電気効果も奔放にかます。大槻もそれは同様。ようは、今まで単一の音色で(〜厳密にはそうではないが、大雑把に言えば〜)インターブレイし合っていたトライアングルが、電気楽器/効果を介することで、音色や響きやループ音創出でも相乗しあっている、と説明することができるだろう。また、当然リズム/抑揚もより多彩になる。まさに実演はそれを地で行くもので、“戦う”意志を抱えるとも書きたくなる三者の重なりは、体のいいジャズ・ロックにもフュージョンにもなっていないわけで、それにはおおきく頷く。この単位ならではの、迸るもう一つのジャズ的表現が、ここにはあった。

 ショウの最初と最後は少し“和”っぽい感じも持つパーカッシヴな曲で、3人はそれぞれに鳴り物を手にしたりも。そのことを別としても、この電化トライソニークを欧州で披露すると、かなり受けそうとも、ぼくは思った。杉本は電気ベーシストだとポール・ジャクソン(2008年6月12日、他)に強い影響を受けているそうだが、この日のもぐもぐいう弾き口を聞いて、なるほどナと思う。ジャクソンに特徴的な第4弦開放の音はまったく用いないものの。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

<今日の、困惑>
 陽が暮れるのがだいぶ早くなった。ライヴに出かけるころにはもう真っ暗らだもんな。でも、一方では湿度が高く、暑い。一時、夜は涼しくなったが、今はまた夜ももわもわだ。なんか、汗をかく量が増えていて(?)、洗濯頻度がここにきて、また高くなっている? あれれ、洗剤が切れているゾ。

 1970年代は名パブ・ロック・バンドであるプリンズレー・シュウォルツ流れの名UK奏者たちからなるザ・ルーモアと名乗るバック・バンドにサポートされてもいた(パーカー人気もあり、演奏陣はザ・ルーモアとしても活動する)、自作派英国ロッカー(1950年、ロンドン生まれ)の公演はソロ・パフォーマンスにて。生ギターや電気ギターを弾きながら歌い、ときにハーモニカも吹く。そうか彼はボブ・ディランが好きなのか、と思わせるところもあった。青筋立てたような歌い方は精悍かつシャープな印象を与え、1970年代下半期に彼はけっこうな注目を日本でも集めた。その後も、パーカーはとてもコンスタントにアルバムをだしており、2012年新作はグレアム・パーカー&ザ・ルーモア名義となっている。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。小柄だが、太ってはおらず。ファースト・アルバムのジャケ写の人物が、少しハゲつつ無理なく年を取ったと思わせ、いい感じ。で、気ままにザクっと、自作曲を披露していく。けっこう、セットごとに曲は変わっていたりもするよう。ま、曲はたくさんあるだろうしな。もちろん1970年代曲もやるし、それらを披露すると客もわく。

 バンドできっちりやってきた人の簡素な設定の実演に触れると次はバンドでやってきてほしいと思うものだが、パーカーの場合はそう思わず。別に完璧なソロ・パフォーマンスというわけでもないのに、そういう所感を持ったのはなぜなんだろう? グレアム・パーカーというミュージシャンの今が、しっかり認められたからか。でも、ルーモア単体の公演とかあったら、しびれちゃうな。

<今日の、残念>
 今回やらなかったけど、ぼくがやってくれたらうれしいなあと一番おもったのが、パーカーの初期曲「ソウル・シューズ」。学生のとき、バンドでやったことがあったから。ぼくたちは、後のライヴ盤のヴァージョンを参照したけど。ところで、アーシーな米国ロック・バンドであるボ・ディーンズの『ホーム』(スラッシュ/ロンドン、1989年)のオープナー「ホエン・ザ・ラヴ・イズ・グッド(アイ・ミーン・グッド)」は「ソウル・シューズ」とかなり似ている。まあ、両曲とも(1974年ごろの)ストーンズR&Rを根っこにするということでは同じなのだが。

 キューバ出身の傑物ピアニスト(2001年8月24日、2002年7月22日、2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日、2010年8月3日)の今回の来日公演はカルテットにて。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 ピアノ、キーボード、エフェクター、時々のわめき声の本人に加え、電気ベースのチルド・トーマス(2010年8月3日、他)とアルト・サックスやフルートや歌(その質感は軽い)のレアンドロ・セイント・ヒル、そしてドラマーは2000年代後期にリチャード・ボナ(2012年5月14日、他)のバンドにいたことがあるアーネスト・シンプソンという布陣。その2013年新作『エグン』(オータ)はNY録音作で、含みの存在をいろいろと抱える幽玄路線を行く内容だったが、そこにはマーヴィン・スーウェル(2011年5月5日、他)とリオネル・ルエケ(2012 年3月3日、他)というNYジャズ界きっての個性派ギタリストを呼び、スムース・ジャズ的な演奏をさせていた。

 実演は、このところのそれで聞かせる路線を踏む。それは、どこかフュージョンぽいと思わせるところもあるのだが、それもまた彼なりの一般性や快適性の追求でもあるのだろう。メロディ性も強まっていると言えると思うし、彼はより統括的立場に立たんとしているようにも思える。そのぶん、昔の彼が抱えていた尖った部分、アヴァンギャルドな弾き口やセロニアス・モンク的な手触りを入れる部分は皆無。ヒップホップ的要素も差し込まなくなった。そうした部分には一抹の寂しさを感じたりもするが、イケてる変人たる形容不能のもやもやや愛らしさは随所に存在していて、このおっさんの公演はミスしちゃいけねえと思ってしまうのだ。

<今日の、露店>
 渋谷の宮益坂にある神社がお祭りのようで、坂の片側に、まばらに露天のお店が並んでいる。全部で、10店にも満たない。この前の錦糸町の河内音頭(2013年8月28日)のときのそれと比べると、かなり寂しい。だが、そのなかに外国人がやっているドネル・ケバブのサンドイッチの店も。音楽フェス系の食べ物屋において車両店舗のケバブ屋はずっと前から定番となっているが、テキ屋という言葉を連想させる和調屋台にもドネル・ケバブは進出しているのか。それにしても、日本のケバブ・サンドって、どうしてあんなにプアなのか。ぼくはトルコ移民の多いドイツでしか食べたことがないが、そこで食べたべたものは日本のようにキャベツではなくレタスが用いられ、ソースの味も違っていた。その記憶をたどると、日本のドネル・ケバブのサンドはコスト削減を介した別物であるとぼくは感じるし、日本人は舐められていると思わずにはいられない。
 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。長寿のUKジャジー・ソウル・バンド(1999年8月2日、2010年2月22日)の来日は今年2度目となるが、場内フル・ハウス。とともに、前半からかなりの人が立ってショウを享受。だが、パフォーマンスの内容があっと驚くほど良かったのも事実で、ぼくも身体をおおいに揺らしながら見てしまった。

 オリジナル・メンバー3人(ドラム、ギター、べース)に、キーボード、パーカッション(女性。歌もうまい)、サックス、トランペット奏者を加え、今回からはフロントに、新作『フォーワード』にも部分参加していたドーン・ジョセフが立つ。小柄ながら風貌もアトラクティヴな彼女はなかなか客さばきがうまく、動きも活発。椅子や机の上に上がったり、場内を一周したり。おお、これはいいタレントを見つけたじゃないか。翌日にギタリストのサイモン・バーソロミューにインタヴューしたのだが、彼女(英国領の島の出身。もともと、アスリート系だそう)をシンガーに据えた(かつ、軋轢があったマネイジメントと離れた)ことで、バンドとして新たな出発点に立った気持ちを持っているのだと言う。それ、非常に納得。バンドの風情や音が登り坂にあるバンドのようなエナジーや輝きに満ちている。そりゃ、素直に鼓舞されるナ。

 古い好曲と新作の曲をうまく混ぜつつ、本人たちもおおいに楽しみ、英国ソウル/ファンク・ミュージックたる華やくだけた俯瞰性を無理なく提示。もともとJB流れの曲をいろいろ披露していた彼らだが、旧曲に接し、EW&F(2012年5月17日、他)の影響も強いことを再確認。なお、彼らがギャング・スターやザ・ファーサイドら米国の様々なヒップホッパーと1曲づつ絡んだ『ヘヴィ・ライム・エキスペリエンス Vol.1』(デリシャス・ヴァイナル、1992年。先を行ってもいた、いいアルバムだよな)の続編が出るという情報が流れたことがあったが、バーソロミューにそれを確かめれば、やりたいけど経済的なこともありまだ録っていないとか。「古いラッパーと新しいラッパー、どちらと絡んだ方がいいと思う?」と彼が聞いてきたので、新しい方と答えた。やっぱりそうだよねーと、彼は反応。毎日新聞記事用の取材だが、これに関する項目は使わないと思う。取材終了後、バーソロミューは一緒に写真を撮ろうよと言ってきた。2人で、変テコなポーズをとる。苦笑い。モーフィンのマーク・サンドマン(1952〜1999年)とか、シック(2012年12月28日、他)のバーナード・エドワーズ(1953 〜1996年)とか、一緒に写真を撮ろうと親切にぼくに言ってきて、そうした後に不幸に見舞われる人もいたが、スーダラな好漢たる彼は平気でしょう。。

<今日の、東京湾沿い>
 昼間に取材で、ウォーターフロントにあるデカい倉庫に行く。凝った背景がほしいカメラ・ウーマンの選択のようだが、倉庫のなかも屋上からの眺めも、ともに興味深すぎ。何階建てにもなっている倉庫内はどこに重い荷を置いても平気なように頑丈な作りになっていて、中は携帯の電波が届かない。地震があっても揺れないそう。すげえ、要塞だア。一方、屋上からの眺めの良さにはうなる。普段は携帯電話で写真を撮ったりしないのに、うれしくなってパチパチ撮っちゃったよー。とか、けっこう物見遊山きぶん、なり。行き帰りは ゆりかもめ を使用。本当に久しぶりに乗ったが、汐留あたりの景観はすごいし、いまガラス張りというか鏡ばりと言いたくなるビルが多いとも再認識。それらの太陽反射光で夏場の都市の気温は余計に上がるというのは本当だろうか。逆に、冬場の晴天時は少し温かくなるのだろうか。
 わわわ、今年トップ級の好内容公演かもしれぬ。1989年ロンドン生まれ、ギリシャとジャマイカのミックスであるシンガー・ソングライターの実演は、六本木・ビルボードライブ東京にて。通常の入れ替え2ショウ制ではなく、1日1回だけのショウ。それにしても、初夏に来日したローラ・ムブーラ(2013年6月21日)といい、彼女といい、英国の非アングロ・サクソン系の新進女性ミュージシャンの才豊かさは驚かされるな。

 まず、電気ギターの弾き語りで1曲。そして、以後はバンドでパフォーマンス。1曲、キーボードだけの伴奏で(ギターを持たずに)歌う曲もあったが、基本にあるのは<ギターを弾きながら歌う、ワタシ>。公演中盤でも2曲だったかエレクトリック・ギター弾き語りを聞かせる。ギターをぐつぐつ爪弾きながら凛として歌う様は、それだけで接する者を射抜く力あり。ちゃんと地に足を付けているのに、鮮烈に何かが広がり、舞う。結果、今この時代に、こんなホンモノと出会えるなんてと、感激しちゃうことしきり。ギターは興味深いものを複数使い、ギター・ファンはそこにも釘付け? なんにせよ、ギターと同化〜ギターでモノを考える人物であるのは明らか。一瞬、ブルースなるものの21世紀型洗練系、と感じたのはそのためであったか。

 もちろん、そんな彼女に寄り添う、ベース(たまに、ギターも)、キーボード(たまに、ベースも)、ドラム、バックグラウンド・ヴォーカル(女性)という編成のバンドも、ラ・ハヴァスの持ち味ややりたいことを理解しての、しなやか音をつける。その総体は、昨年英ワーナー・ブラザーズ(米国は、ノンサッチ)から出されたデビュー作『Is Your Love Big Enough?』(アクアラング〜2007年6月4日、他〜のマット・ヘイルズがプロデュース関与)を大きく超えるクリエイティヴィティと存在感につながる。

 1曲では、その途中でスティーヴィー・ワンダーのレゲエ・ビート曲「マスター・ブラスター(ジャミン)」(ボブ・マーリー讃歌を根に置く曲なんだっけ?)を嬉々として挿入、ハヴァスの曲はレゲエ調ではないのにしっくり収まる。ときに、充実したコーラス・パートが印象に残る局面もあるが、そのうれしい聞き口は、人間味ある現代ロックの重要要素としてコーラスはおおいに鍵になりえる、とも思わせるか。また、ときに手拍子を噛ます曲があるのは、ザ・ダーティ・プロジェクターズ(2012年10月9日、他)を思い出させもする。ザ・ダーティ・プロジェクターズの場合、いろんな要素の才気ある噛み合わせからまだまだロックでやれることはあるという手応えを導くが、彼女の場合は確固とした個の強さ(と、その意を組むバンドとの重なりの妙)が、十二分に今の輝きを放つのだと言いたくなる。自分の歌を歌いたいという気持ちの強さと、それを人前でちゃんと開ける技量の確かさを併せ持つタレントが初々しくもある24歳の女性なのだから、これは引きつけられないはずがない。

 なんか、そんな実演に触れながら、音楽に関わる仕事をできている幸せ、も感じる。わあー。

 そして、代官山に移動、晴れたら空に豆まいて で、八重山民謡の巨匠である大工哲弘の、久保田麻琴(2013年2月5日、他)+仲間たち(ロケットマツ、伊藤大地)と重なるライヴを見る。サウンドや選曲に広がりを持つ久保田プロデュースの大工新作『Blue Yaima』(タフビーツ)をフォロウするもので、そのレコーディング時に持たれた先の公演(2013年2月5日)と同様のノリで進む。やはり、興味深く、味があり。この晩には、同作にも入っていた大工笛子が曲によってはバッキング・コーラスで入る。髪型や着物など“正装”で出て来た彼女は、奥様だそう。山之内貘の歌詞に高田渡が曲を付けたものを歌った際は、三線を置いて彼は歌う。入れ替え制の2部のほうで、満員。公演が終わったのは、23時10分前だった。

<今日の、隣人>
 ビルボードライブ東京で同テーブル隣の席に座っていたのは、シカゴ在住のリチャードさん。一人でコースを頼みワインを開栓、食事に満足そう。かつて日本に住んだこともあり、奥様が日本人である彼は日本語がとても上手。ぼくの名前に、佐藤栄作と似ているネと言う。最初に日本に来たときは、彼が首相だったとか。野球好きで、ヤクルトのバレンティン選手の記録絡みの勇士を見に来たそう。今日ここに来たのは、音楽大好きの息子さん(やはり、米国在住)の勧めであったとのこと。へえ〜。ハヴァスのことも楽しんだようだ。一方、ぼくの前隣に座っていたのは、若い女性の2人組。i-チューンズで彼女の存在を知り、これはと見に来たのだという。

日野皓正

2013年9月22日 音楽
 渋谷区主催による通常よりも安価な公演(渋谷区民は、2,000円)で、渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール。開演前に渋谷区長がステージに出て来て挨拶をする。日野(2011年7月25日、他)のMCによると、彼の本籍は今も渋谷区であるという。

 年齢が半分の若手奏者をえいやっと擁して、ギグる。というのが、この日の求めるところ。げんざい日野のワーキング・グループ入りしている加藤一平(ギター)にくわえ、菊地太光(ピアノ)、楠井五月(ベース)、福森康(ドラム)という顔ぶれで、皆1980年代半ばの生まれ。ベース奏者は基本アコースティックを弾くが、一部は電気を弾き、その際はアブストラクト・ファンク・ジャズ(今、鋭意求めている傾向ですね)度を増す。その際は打楽器奏者が欲しいゾと思ったら、ソロを終えた日野はジャンベやカウベルを叩く。なんにせよ、あっち側の世界を見せんとする情熱的で詩的でもある日野のトランペット演奏にはヤラれずにはいられず。彼は来月71歳になると言っていたが、その枯れぬ演奏(とルックスと物腰)はまったくもって驚異。いまだ意欲的であり、迸る情緒をだしまくる彼(それゆえ、瞬発力に富んだ逸脱系ギタリストを求めているよう)、さいとうりょうじ(2013年8月19日、他)の演奏を聞いたら、きっと気に入るんじゃないかとも、思わずにはいられず。

 中盤以降、TOKU(2012年6月19日、他。歌、トランペット、フュルーゲルホーン)が入り、落ち着いたジャズ作法に演奏の方向性はシフト。年配の聞き手(成り立ちが成り立ちだけに、少なくなかった)はきっとホっとしたろう。それはともかく、穏健傾向にある場合でも、日野のフレイジングは本当に閃きとともに雄弁に歌っていて、大きく頷く。本当に一級品、素晴らしいっ。

<今日の、渋谷ヒカリエ>
 外見、格好わるっ。夜空に立つごちょごちょしたその姿を見て、改めてそう思った。ぼくには、そのデザインの真価がまったく分らない。中からの眺めはあんなに絶景なのになあ。我々は中身で勝負しますという、東急グループの意思表示が込められている? でも、昨年、このビルディングはグッド・デザイン賞受けたんだってね。

ミッジ・ユーロ

2013年9月23日 音楽
 エレクトロな音をうまく用いたニュー・ウェイヴ期英国ポップ・ブループであるウルトラヴォックスにジョン・フォックスと入れ替わるように加入しフロントに立った、シンガー/ギタリスト(1953年、スコットランド生まれ)の公演。同バンドって初期はブライアン・イーノ、その後もコニー・プランクが複数プロデュースに関わっていたよな。ユーロはウルトラヴォックス脱退後(いや、まだ在籍していたか)、バンド・エイド(クリスマスの歌)やライヴ・エイドといった1980年代中期のアフリカ救済チャリティ音楽行動の重要裏方としても関与、どかこほのかに顔役みたいな印象を与えるのはそのためか。彼の苗字のスペルは、Ure。なんで、ユーロという日本語表記に当時のレコード会社はしたのかにゃ? 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 ソロになってからの曲もやるが、もちろんウルトラヴォックス時代の曲もたっぷりやるし、客の歓声も大きい。ときどき見栄を切ったポーズも取りつつギターを弾きながら歌う当人(茶色のスーツを着用)に加え,キーボード、ベース、ドラムという編成でパフォーマンス。一部、シークエンス音が挟まれる場合もあり。ユーロの歌声は存在感は大きくないがよく出ていて、ギター演奏も無理なく決まる。さすが、叩き上げ。で、ショウに触れながら、ぼくは一緒に見ていたウルトラヴォックス通(ここのアンケート用紙の希望する出演アーティストの項目に、ジョン・フォックスと書いていた)と共に大笑い。なんか、演歌チックというか、ある種、熟練した芸のようなものがあり、そのケレン味のない出し方がツボだったんだよなー。いい人そうだけど、バックのミュージシャンの名前紹介をしなかった。そういう人も珍しい。

<今日の、夕刊>
 福島第一原子力発電所の事故について、チェルノブイリの事故よりは軽度であると思っている人は少なくないのではないか。だが、今日の毎日新聞夕刊2面特集によれば、チェルノブイリと比較すると福島のほうは事後処理がとても難しいらしい。事故後にチェルノブイリは空冷で燃料が固まり、原子炉内にカメラを入れることが出来たのに対し、福島はいまだ水冷であがいているとともに、調査カメラを入れることもできないため原子炉内の様が一向に把握できておらず、作業がぜんぜん進んでいないのだそう。同じ時間の幅で見ると、チェルノブイリは休火山になったところ、福島はいまだ活火山ということか。………。そういえば、ちょい前の同夕刊2面特集では、30年以内に70%の確率で大地震がおきる東京で本当にオリンピックをやってもいいの、という問いかけを持つ特集をやっていた。確かに競技開催地の多くはもろに液状化くらいそうな埋め立て地でもあるよな。ところで、ライヴ後に流れた先で、すぐ前に北方領土(国後と択捉島)に行った人の話を聞く。親族に北方領土出身者がいると“ツアー”に申し込めるのだという。昔は“ムネオハウス”に泊まったこともあったが、今は船中泊だそう。一時期より、ロシアは冷たい感じだという。今回は担当大臣もツアーに加わったそうだ。
 ミュージシャンズ・ミュージシャンという捉え方もできるだろう、この英国人シンガー/ギタリスト(1948年、英国ウェールズ生まれ)のことは、1991年に東京のホテルのロビーでちらりと見たことがあった。翌年には(その際の)日本録音のライヴ盤もリリースされた“ジョージ・ハリソン&エリック・クラプトン・アンド・ヒズ・バンド”という名目のツアーで来日、ちょうど取材で出向いたホテルのロビーで彼らを見かけたのだ。ぼくの取材の相手は、やはり同バンドに同行していた元アヴェレイジ・ホワイト・バンド(2007年11月26日)のスティーヴ・フェローン。彼が一員だったA&M契約アーティストのイージー・ピーセズの話を聞くためで、そのころA&Mはポニーキャニオンが日本ライセンスしていたっけ。

 当時フェアウェザー・ロウはエリック・クラプトン・バンドの一員に加わったころで、80年代にはストーンズ(2003年3月15日)の変人ビル・ワイマンのバンド(ウィリー&ザ・プアー・ボーイズ、ザ・リズム・キングス)にも入っていたし、シンガーやギタリストとして、デイヴ・エドモンズ、リチャード・トンプソン(2012年4月13日、他)、ロイ・ウッド、ザ・フー(2008年11月17日)、ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)など、英国ロック史を刻む著名アーティストのアルバムに彼はいろいろ参加している。

 とてもしっかりしたバンドを率いての公演。ベーシストは一部でアップライト・エレクトリック・ベースを弾き、リード奏者はテナー、バリトン、クラリネットを吹き分ける。そのニック・ペンテロウはロイ・ウッドのウィザードの出身で、ぼくの大好きなマイク・チャップマン(元ファミリー)をはじめ、英国がちんこロック系でけっこう吹いている。そして、ドラマーはブラック・ミュージック愛好を伝える“ポケット”を持つ叩き方を持っていてにんまり。そして、きれいにスーツを来た本人はギターを弾きながら歌うわけ(ギター演奏を前面に出したインストゥメンタルもいくつか)だが、さすが英国ロック界裏面史を飾ってきた御仁であるなという耳を引くポイントはいろいろ。

 まず、思ったのは、ぼくが了解していたよりも、米国黒人音楽通過の突起を持つ人であるのだナということ。コットンクラブのホームページにはジョージィ・フェイムやベン・シドランたち(ともに、2013年8月8日、他)のコメント映像がのせられているが、それもなるほどという感じ。ブルージィだったり、溜めをきっちり持つロック曲(故ロバート・パーマーの全米1位/グラミー賞受賞曲「アディクテッド・トゥ・ラヴ」みたいな曲もあった)をぼくは堪能。そして、彼の場合、それだけでなく、寛ぎフォーキィ目のしっとり曲も披露するのだが、そちらは枯れた歌の感じともども、エリック・クラプトン(2006年11月20日)の味との重なりを伝えもするか。

 ギターはアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターを併用。ピック弾きをする場合もあるが、ピックを使わない、アルペジオの変形のような引っ掻き奏法にはおおいに目が向く。とかなんとか、堂々落ち着いた演目披露ながら、へえ〜ほお〜となるわけで、ある種の英国人らしさもうれしいし、見れて本当に良かった。ショウは土曜まであるが、けっこうやる曲変わったりするかな? 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

<今日は、いろいろと感心>
 そんななかなかのライヴを見る前に、マルセイユ郊外からやってきたムッスー・テ&レイ・ジューヴェンの中心人物2人にインタヴュー。彼らは一方で、マッシリ・サウンド・システムというレゲエをベースとする“動”のバンドをやっているわけだが、こちらはもっとしなやかでメロディ性も持つ、広角型の手作り音楽バンド。ブルース、カントリー、ブラジル、アフリカ等、港町マルセイユの開放性をえっというぐらい洒脱にだしちゃっていて、めっちゃ良い。そんな彼らの受け答えは実にまっとうにして、とっても格好良く(つまり、どの発言をとっても、いい記事になりそう)、終了後に編集者やカメラマンと頷き合う。明日からツアー開始、福岡と大阪はSaigenji(2013年4月12日、他)が同行し、東京に戻ってきての土日は飯田橋の日仏学院での無料公演だ。
 飯田橋・日仏学院の野外ステージで、フランスの好漢グループを見る。歌、ギター/バンジョー、ベース、ドラム、パーカッションという、アディッショナルの奏者を含めた5人にてパフォーマンス。彼らはサウンドやライティング担当も含めて9人でやってきたらしい。奏者は1人しかいないのにギターとバンジョーの音が共に出ている場合もあったが、あれはどういう仕組みになっていたのか。

 マルセイユ=港町文化圏のバンドであることを謳歌するような(彼らはマルセイユ郊外のラ・シオタを拠点とする)好奇心旺盛にいろんな音楽要素を併せ持つ手作り表現を、ムッスー・テ&レイ・ジューヴェンは味わい深く届ける。アルバムを聞くと軽妙さやしなやかさに耳を奪われたりもするが、実演ではサウンドが厚めになる局面もあり、けっこう堂々濃厚と思わせる、それは、レゲエ系バンドのスピン・オフ活動としてスタートしたという成り立ちを思い出させたか。とともに、それはヴォーカリストのタトゥーの存在感ある歌唱が導くものであるかもしれないが。彼はオック語を交えて歌っているそうだが、それはライヴで酔っぱらって聞くぶんにははよく分らない。だが、面々の心意気が澄み、出自に自負を持っていることは皮膚感覚で了解できる。

 そういえば、小さい頃、ぼくはマルセイユを未知の場所へつながる夢の街のように感じていたことがあった。少なくてもパリという都市名は認知していなくても、マルセイユという名前は頭に刻んでいたことがあった。それは、フランスの「ムスティクの冒険」という童話が大好きだったから。やんちゃな主人公は自分で船乗りと交渉し、マルセイユから船でサハラ砂漠を目指してアルジェリアに渡るというくだりが印象的であり、ぼくの未熟な好奇心はたいそうくすぐられた。そのことをタトゥーらに伝えると、俺もその童話は読んだことがある……。ラ・シオタ、万歳!

 その後、六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)へ。ロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)のバンドに参画して多大な注目を浴びた〜10年前はミシェル・ンデゲオチェロ(2009年5月15日、他)のバンドで叩いていたんだよな〜アフリカ系現代米国人ドラマーのリーダー・バンドを見る。

 前回のトリオによる公演(2012年9月21日)では一緒にディアンジェロのツアーを回ったピノ・パラディーノ(2010年10月26日、他)が同行したが、今回はニック・マクナックというベーシストが来日。ギタリストのアイザイア・シャーキー(ロナルド・アイズリーのソロ新作にも入っている!)は前回公演の際も同行し、今回はそこに実力派テナー・サックス奏者のマーカス・ストリックランド(2007年12月18日、2012年1月13日)が加わるという布陣。

 いくつもの曲やフレイズをどんどんつなげつつ、インタープレイ演奏を披露するというスタイルは前回とほぼ同じ。ハービー・ハンコック「アクチュアル・プーフ」、ジョン・コルトレーン「ジャイアント・ステップス」、ジミ・ヘンドリックスのヴァージョンで知られる「ヘイ・ジョー」なんかをやったのはよく分った。

 変則セッティングのドラム・キットを変調というか、イビツに叩くデイヴの演奏はヒップホップ時代の何かとつながるほつれを有するのだが、その総体には、なんだかんだあんたってジャズ好きなんじゃんと思わせる。ま、それはストリックランドを起用したことでも明らかではであろうが。彼なりの癖や主張で正統なそれからは離れるのだが、今のグラスパーの表現よりは間違いなく即興度が高かった。

<今日の、暴言>
 きのう知人と飲んでいて、なぜか歌詞の話になる。そこで、再確認したのは、ロックは歌詞がださいもの、歌詞なんか基本気にしちゃいけない、といこと。かつて、すげえいい曲だと思って歌詞をチェックしたら愚にもつかないものだったり、訳詞を見ても何を言っているんだか不明で超ガッカリとかいうことが続くと、そう悟るようになるわけですね。たとえば、ポール・サイモンは素晴らしい歌詞作りの才を持つ人だと思うが、上手すぎて逆にワザとならしい、なんて感じるときもぼくはある。あ、ジョン・レノンに関しては全面的に支持なワタシではありますが。でも、やっぱり、ぼくは耳に入る総体重視主義者であり、基本歌詞に重きを置こうとは思わない。というか、言葉よりも重要なものがポップ・ミュージックにはあると、ぼくは思う。日本語の曲を聞いても、ぼくはほとんど歌詞は頭のなかに入ってこないんだよなー。

 彼がお茶の級の人気を集め、米国でも一番セールスを獲得したフュージョン期〜1970年代後期から1990年代あたまにかけて〜の好曲を、現行の日本人主体ワーキング・バンドとともに、今のノリで提供しましょうという公演。で、それをまっとう。やはり、いい曲いろいろモノにしているな。丸の内・コットンクラブ、2ショウ制入れ替えなしで持たれた。

 5曲において、渡辺貞夫のアルバムにヴォーカル参加したことがある、ヴァニース・トーマスが加わる。彼女はスタックスを代表するの売れっ子の一人であるルーファス・トーマスの娘、つまり10代半ばでスタックスからデビューした人気歌手のカーラ・トーマスや1960年代後期〜1970年代前半のスタックス・サウンドを支えた鍵盤奏者であるマーヴェル・トーマスは歳の離れた姉や兄ということになる。いまだメンフィスに住む(たぶん)カーラと異なり彼女はニューヨーク州在住のようで、エリック・クラプトン(2006年11月20日)やガーランド・ジェフリーズ(遠くないうちに来日の可能性、あり?)やドクター・ジョン(2012年2月15日、他)ら有名ロック・ミュージシャンのアルバムにもいろいろと参加。作曲能力も持ち、複数リーダー作も出している。知性と、性格の良さから来るだろう気安さを併せ持つ人で、特別上手いとは感じなかったが、その生に触れられてはやりニンマリ。それにしても、彼女が歌った渡辺貞夫の有名曲「マイ・ディア・ライフ」とスクイーズの人気曲「テンプテッド」は似た感じを持つ曲だ。ゴスペル的滋味感覚をどこか内に持つ広がりあるメロディアス曲ということで、この2つの美曲は重なる。


<今日の、設定>
 公演はプリフィクスの食事つき、という仕立て。実は、渡辺貞夫は見所あるミュージシャンを呼んで、食事や飲み物をちゃんとサーヴする設定を持つクラブ公演を、1980年代中期から毎年のようにやっている。ブルーノート東京とか、できる前ですね。<ブラバス・クラブ>とか<キリン・ザ・クラブ>とか、いろいろ名称は変わっているが、彼は個人の力で長年、その手の帯となるクラブ公演を鋭意企画してきた。アフリカ・バンバータからカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)まで、渡辺貞夫が自ら持ったクラブ出演のために呼んでしまったアーティストは本当に山ほどいる。
 ちゃんとお客が食事も摂るライヴの場を持ちたいという彼の思いは、最初の渡米時代の見聞が根っこあるのかもしれない。演奏を楽しむだけでなく食事やお酒を楽しむ、あちらのジャズ・ライヴ享受の様に触れ、彼は米国の豊かさや大人の音楽の楽しみ方におおいに共感し、いずれは日本もそうなってほしいと強く願ったのではないか……。言質を取ったわけではないが、ぼくはそんなふうに推測している。

 以下の発言は、今年春にインタヴューしたさい、バークリー音楽院在学時の終盤のもろもろを語った部分。1965年のことである。
「ゲイリー・マクファーランドという素晴らしいヴァイブ奏者/アレンジャー(スカイ・レーベルの創設者でもある。1933〜1971年)の『ソフト・サンバ』(ヴァーヴ)というアルバムがヒットしたんですよ。それで、アメリカを10週間ほど回るツアーがあって、それにテナー・サックスとフルートで声をかけてもらった。もちろん当時もアルトを吹いていたんだけど、テナーで声をかけてもらって、楽器を借りてツアー加わりました。
 それと同時に、チコ・ハミルトン(西海岸ジャズ界を代表するドラマー/バンド・リーダー。進歩的審美眼を持つそのアルバム群は聞き直す必要ありか。なぜか、リトル・フィート〜2012年5月22日〜をバンド起用したリーダー作も持つ。1921生まれ)もテナー奏者がいなくなって、マクファーランドとハミルトンのギタリストが共にガボール・ザボ(ハンガリー出身の、ジプシー音楽やインド音楽要素も取り入れた、ニュー・ロック期気分にも合致した変調ジャズ・ギタリスト。彼はボビー・ウーマック〜2013年5月12日〜とも親交を持った。1936〜1982年)で、その流れでチコのほうからもバンド参加の声をかけてもらった。ですから、うまい具合にゲイリーの仕事がオフになったときに、チコの仕事が入ったみたいな感じでやりましたね。チコのほうではアルトも吹けるからと言って、アルトも吹いたりした。
 とにかく、ゲイリーのバンドに参加した時はブラジル音楽も知らないし、ぜんぜん興味もなかった。ハード・バップを追い求めていましたから。ゲイリーのところでボサノヴァやらされたときはダルな音楽だと、最初は思った。ただ、サンフランシスコのクラブにゲイリーのバンドで出演しているときに、向かいのクラブではセルジオ・メンデス(2012年5月1日、他)がブラジル65で出演していて、お互いに演奏を聞きに行ったりしたんですよ。そこでは、ワンダー・サーという可愛い女の子が歌っていたりして、親しくなった。それで、ブラジルの生の音を聞かせてもらって、そういうことにも興味を持った強いきっかけになっていますね。そして、ゲイリーの人柄……。僕はそれまで白人のミュージシャンの音楽なんて、興味もなかったし、聞かなかった。でも、ゲイリーの人柄と彼のミュージシャンシップにすっかり惚れ込んでしまって、それ以降、喰わず嫌いじゃなくなりました」
——セルジオ・メンデスとも交流があったわけですか。
「ありました。それで、日本に戻ってきてから、日本の奏者は暗いので、少し明るくなってもらおうかなと、ボサノヴァもやったわけです」