まず、錦糸町に行って、河内音頭に触れる。ぼくが学生のころ、東京でも一時脚光を浴びたことがあって、関西出身の友達に、帰省したついでに河内音頭のレコードを買ってきてもらったことがあった。そして、1983年初夏に東急百貨店渋谷本店屋上のビアホール(昔は、ビアホールがあったのだ。西武百貨店渋谷店A館屋上にも昔はあったっけ?)で河内音頭の担い手が出る催し(仙波清彦〜2012年4月21日、他〜の はにわオールスターズも出た)があって、ほうと唸った。この錦糸町の催しも32回と謳われているので、そのころから持たれているのだナ。ぼくが生の河内音頭に触れるのは、それ以来。それが突然行こうと思ったのは、関西出身の知人が、あれはいい、一人でも行きますと、かなり好意的に言っていたからだ。

 錦糸町を通る高速道路小松川線の下で、現在は催される出し物。その高速道路は川の上に建設されており、川にフタをして公園にしたところが会場となっていた。少し横にはラヴ・ホテルも散見。駅の北側には すみだトリフォーニーホールがあるので毎年降りているが、南側に降りるのは初めてではないか。少し早めに着くようにして、周辺探索。おもしろくてしょうがない。

 細長い会場の奥に、背後にスポンサーを記した提灯を沢山つり下げているステージを設置。ステージでのパフォーマンスを享受する人たちのためのスペースを間において、トラック状の細長いスペースが設けられ、それが踊り用の場。そして、その両端にずらりと屋台が出ている。それらは、音楽フェスに出店しているものとは異なり、祭キブンを高める。パフォーマーは1曲15分ぐらい(だったかな?)で終わり、巧みな司会者の誘導で次のパフォーマーに。この催しは明日もあるが、今日の出演者とは総入れ替えらしい。けっこうな人数で、関西の夏の稼ぎ時シーズンを終え、面々は東京に来ているのだろう。

 音頭担当者に加え、三味線、ギター、太鼓、複数のお囃子がつく。ある女性が歌ったときは、ギタリストを除いて全員女性。ふむ、女性進出比率の高い分野なのか。やはり、へ〜であり、ほ〜。いちいち、目新しく、というか興味深く、頷く。もともと盆踊りとか民謡とかいう日本の古くからの文化にあまり触れてきていないうえに、居住したことがない“西”たるギザギザも入り込んでいるわけだし、ぼくとしては外国のトラッドに触れるのと同じような感興を覚えてしまう。ところで、ぼくは、彼(女)らの歌う言葉がほとんど聞き取れなかった。ぼくは音楽に乗る言葉を感知するのが苦手な人間であると再認識。少し、悲しい。

 1時間半ほど見て、渋谷に移動。そしたら、高木正勝(2004年4月27日)の画像付きパフォーマンスの最後のほう。www内、かなり混んでいる。そして、2番目に出て来たのは、フランスで活動するユーカンダンツ。エチオピア人歌手に、フランス人演奏者(ギター、テナー、ベース音兼任のキーボード、ドラム)がついたバンド。で、コブシのある歌やメロディ/抑揚はもろに、脳みそとろけそうなアチオピアン歌謡の味をたっぷり持つのだが、バンド音はロックその他の硬質な語彙を活かしたもので、その重なりあいの妙がポイント。もう少し後の東京ジャズでやってくるデレブ・ザ・アンバサダーはエチオピア人歌手をフロントに置く豪州のバンドだが、フェラ・クティ流れのアフロ・ビートをやるバンドがいろいろ出たように、今はエチオピア歌謡とつながったいろんな所の担い手が増えてきているのかもしれなない。

<今日は、ダメダメ>
 河内音頭の会場で踊ったりしたわけではないのだが、渋谷に戻った頃には、酔いと疲労でヘロヘロ。休憩時間に会場に来ていた、翌日出演者のアントニオ・ロウレイロを紹介されたのだが、途中から自分でもびっくりするほど英単語が出てこなくて軽くショックを受ける。ともあれ、音楽が与えるイメージ通りの人で、育ち、良さそうな感じだな。今はリオ在住とか。今日6時間リハをやったそうで、一緒にやる日本人奏者との噛み合いもうまくいったようだ。