うれしー。いまだ大好きな、いや齢を重ねるごとにより好きになっている、ザ・バンドのキーボードの魔術師の公演を見ることができようとは。今日は朝からソワソワしちゃったナ。というのは嘘だが、なんかそう書きたくなっちゃう。

 シスター・モード・ハドソンというのは彼の奥さんで、ハドソン夫妻は連名で2005年にアルバムを出しており、それはピアノを弾く夫と歌う女房のワビサビに満ちた実況デュオ作(取り上げる曲はガース・ハドソン曲、ザ・バンドやボブ・ディラン曲、トラッドやスタンダード)であったが、この来日公演はちゃんとしたバンド編成にて行う。そう、実演内容はぼくが予想していたよりもずっと、フツーにロックっぽかった。

 ハドソン夫妻を、ギターとベース兼任、ベースとサックスとキーボード兼任、ドラム、パーカッションという4人がサポート。冒頭、ドラムと打楽器のデュオ演奏が続けられ(それ、たいしたものではないんだけど)、へえ。メンバーが楽器の持ち替えしたり、複数のリズム楽器を用いるあたりは、ザ・バンドの流れの編成を取るとも言えるだろうか。ハドソンはピアノ、キーボード、オルガンなどをコの字型に配置し、ザ・バンド曲「ザ・ウィールズ・オン・ファイアー」の頭の方ではアコーディオンのソロ演奏もした。一応、ピアニカも置いていたっけ? ザ・バンド時代、ガース・ハドソンは他のメンバーと異なり歌うこともなければ、曲も提供しなかった。

 2000年代初頭にリリースされた初ソロ作『The Sea to the North』においてけっこう各種サックスを吹いていたが、今回のライヴにおいて彼は鍵盤演奏に専念。今はあまり吹かなくなっているのかな? そちらも、ちょっち聞きたかった。ともあれ、その鍵盤音はかつての四方八方に広がる鮮やかさや得体の知れなさ〜それはぼくに進歩的な所感を与えた〜は確実に減じているものの、やはり身を焦がして悔いなしと思わせる変テコな流れや引っかかりがあって、身を乗り出させる。そんな彼、30代前半のころから50代みたいな風体を持っていたわけで、立派な白い髭の彼はそんなに過剰に老けたという感じは受けず。ただ、演奏以外の部分では動きがゆっくり、要領が悪そうな所があるゾと思わせもするが、でもそれもらしいかな。

 「ドント・ドゥ・イット」、「チェスト・フィーヴァー」や「イット・メイクス・ノー・デファレンス」らザ・バンド有名曲もやる。その際、ベース/サックス兼任者がリード・ヴォーカルを取るときもあった。それから、再結成後の『ジェリコ』(ピラミッド、1993年)に入っていた「ムーヴ・トゥ・ジャパン」(リヴォン・ヘルムやジョン・サイモンなど、録音関与者5人の共作。もちろん、ハドソンは作曲未関与)も軽快にカマす。キリン・ビール、ソニー、ホンダ、黒澤明、東京、横浜、沖縄、札幌という言葉が織り込まれる、日本憧憬ソング。ふふふ。

 けっこうハドソンが鍵盤のソロを披露してからちゃんと曲が始まるものも多かったのだが、そのソロ演奏が終わるたびに、奥さんやバンド・メンバーたちもうれしそうに拍手する。ハハハ、なんだかな。車椅子に座って歌う奥さんはまっすぐに通る声の持ち主で、ときにブラック・ミュージック愛好を伝える声の張り上げ方を見せたりもした。彼女は横にPCをおいていたが、それは歌詞確認のため? 興が乗るとストンプするように、右手に持つ杖で床をこんごんっと彼女はつつく。

 大学のころ、ぼくは音楽の趣味を同じくする友人と、ガース・ハドソンのことを<こまわり君>と呼んでいた。頭/顔の形が「がきデカ」という漫画の主人公に似ていることで、そうしたんだよナ。また、ロビー・ロバートソンは初期の分厚い眼鏡をかけた写真の顔つきが日本の著名コメディアンの仮装した雰囲気に似ているということで、<加トちゃん>と、親しみを込めて呼んでいたときもあった。改めて文字にして書くとトホホだが、そういうの、どの人にもあるんじゃなか。ザ・バンドの5人のメンバーのうち、一番年長者のハドソンと年下のロバートソンの2人だけが存命であるのか。なんてことも、悠々のガース・ハドソンを見ながら、ふと思った。

<今日は、早退>
 この日は、ハドソンの76歳の誕生日。残念ながら、開演時間がめずらしくおして(その間、スタッフがキーボード機器をいろいろいじっていた)始まったこともあり、最後まで見ることができずに退出。その後、そのまま知人と落ち合い、長野県に、圧倒的な緑に包まれに行く。いっぱい、息抜き〜。なんでも、セカンド・ショウは、ダニエル・ラノワ(同じカナダ人だァ)と佐野元春が最後に出て来たそう。