ANIEKY A GO GO!
2013年3月2日 音楽 渋谷・Li-Po。アコースティック・ピアノがこのお店に入ったことを記念してのライヴで、もともとピアノはアニーキー・ア・ゴーゴー(2011年1月15日、他)こと山浦智生のおばさんのお家にあったものであるとか。木目調のヤマハの古いピアノ、調律は大変だったようだが、なかなかオツな響きで鳴っていたのではないか。そんなピアノを弾きながら歌う彼にプラスして、アルト・サックスの加藤雄一郎が入る。破天荒ジャズ・ロック・バンドのNATSUMENや反復開放系ジャム・バンドのL.E.D.のメンバーでもある加藤は、山浦が当初組んでいたディキシー・タンタス(1999年4月23日、同6月23日、同9月30日)の後期のホーン・セクションに入っていたのだとか。
とにかく、びっくりするほど東京以外でもライヴをやっている彼だが、MCがうまくなっていて、場数を踏んでいるのなあと実感。ちゃんとクスっとできる話をして、次の曲につなげるものなあ。まあ、曲ごとにMCをやるのは、洋楽流儀でライヴに接してしまうぼくにはどうかと思えるが。それはともかく、半数以上の曲は新曲だったはずで、アルト・サックスとのデュオという編成の味の良さもあり、終始興味津々でショウを受け取れた。もちろん、何をやろうと、その本質はグルーヴとメロディがあるロッキン・ソウル表現だ。
<今日の、情報>
ANIEKY A GO GO!(あーあ、本名でやんなかなあ。アーティスト名、打っていて痒くてしょうがねー)の新作『黄金の翼』が5月に出る予定。ちょうど、2年ぶり。ただ今、ミックス、マスタリング作業中byオノセイゲン。
とにかく、びっくりするほど東京以外でもライヴをやっている彼だが、MCがうまくなっていて、場数を踏んでいるのなあと実感。ちゃんとクスっとできる話をして、次の曲につなげるものなあ。まあ、曲ごとにMCをやるのは、洋楽流儀でライヴに接してしまうぼくにはどうかと思えるが。それはともかく、半数以上の曲は新曲だったはずで、アルト・サックスとのデュオという編成の味の良さもあり、終始興味津々でショウを受け取れた。もちろん、何をやろうと、その本質はグルーヴとメロディがあるロッキン・ソウル表現だ。
<今日の、情報>
ANIEKY A GO GO!(あーあ、本名でやんなかなあ。アーティスト名、打っていて痒くてしょうがねー)の新作『黄金の翼』が5月に出る予定。ちょうど、2年ぶり。ただ今、ミックス、マスタリング作業中byオノセイゲン。
ストーケロ・ローゼンバーグ・トリオ+ティム・クリップハウス
2013年3月3日 音楽 都立大学・めぐろパーシモンホール。オランダのジプシーのギタリスト(2010年11月20日)、2度目の来日公演。前回の公演は弟のサイド・ギターと従兄弟のコントラバス奏者でトリオを組んでいたが、今回編成は同じものの、縦ベースは非ジプシーの奏者で、それによりジャズ濃度は高くなっていたんじゃないか。そのトリオに、ステファン・グラッペリ研究でも著名(そのCD付き教則本は翻訳されて日本でも出版されている)なヴァイオリニストのティム・クリップハウスが加わる。クラシック音楽の教育を受けている彼はオランダ人ながら英国の血が半分混じっていることに意義を感じており、そのためもありケルトっぽい演奏にも手を染めているようだ。
ジャンゴ・ラインハルト曲ではじまり、ジャンゴ・ラインハルト曲で終わるという公演。そんな事実を見てもジャンゴを核に置くのは間違いないが、ストーケロ・ローゼンバーグは情緒的な部分とともに並外れたジャンゴの技量にきっちり目を向けている奏者と言えるか。やはり、この手のギタリストの中ではトップ級にうまいと思わされるし、適応力もありそう。彼って、日常の積み重ねにより数カ国語を自由に操れるそうだ。途中と終盤にジャズ・ピアニストの山中千尋(2011年8月6日、他)が加わる。その際は、完全にジャズ系のスタンダードを面々は演奏した。
<今日の、会場>
パーシモンホールは都立大学駅から数分の、一角にある。何度か興味ある公演が開かれている目黒区の施設だが、この日ぼくは初めて行く。なかなか、立派だな。同じ整った敷地内に共同住宅が並んでいたが、それも目黒区営なのだろうか。会場に着いてから、15年強以上前に、このあたりのシーフードのお店に行っていたなと思いだす。そしたら、帰りがけにきょろきょろしたら、なんとここの斜め前。あのときのままなのかな。しかし、お店の好みというか、行く行かないとかいうのは、時間とともに大きく変わると実感。その点、いろんなモノを聞きたがるが、音楽を求めることについちゃ頑固一徹、ワタシはゆるぎないと思えた次第。別に威張ることではないが、卑下することもないよな。
ジャンゴ・ラインハルト曲ではじまり、ジャンゴ・ラインハルト曲で終わるという公演。そんな事実を見てもジャンゴを核に置くのは間違いないが、ストーケロ・ローゼンバーグは情緒的な部分とともに並外れたジャンゴの技量にきっちり目を向けている奏者と言えるか。やはり、この手のギタリストの中ではトップ級にうまいと思わされるし、適応力もありそう。彼って、日常の積み重ねにより数カ国語を自由に操れるそうだ。途中と終盤にジャズ・ピアニストの山中千尋(2011年8月6日、他)が加わる。その際は、完全にジャズ系のスタンダードを面々は演奏した。
<今日の、会場>
パーシモンホールは都立大学駅から数分の、一角にある。何度か興味ある公演が開かれている目黒区の施設だが、この日ぼくは初めて行く。なかなか、立派だな。同じ整った敷地内に共同住宅が並んでいたが、それも目黒区営なのだろうか。会場に着いてから、15年強以上前に、このあたりのシーフードのお店に行っていたなと思いだす。そしたら、帰りがけにきょろきょろしたら、なんとここの斜め前。あのときのままなのかな。しかし、お店の好みというか、行く行かないとかいうのは、時間とともに大きく変わると実感。その点、いろんなモノを聞きたがるが、音楽を求めることについちゃ頑固一徹、ワタシはゆるぎないと思えた次第。別に威張ることではないが、卑下することもないよな。
ジミー・クリフ。越田太郎丸。グレゴリー・ポーター
2013年3月6日 音楽 まず、ボブ・マーリーと重なるように1970年代にインターナショナルな人気を得たヴェテランのレゲエ歌手(2004年9月5日、2006年8月19日)のショウを六本木・ビルボードライブ東京で見る。ファースト・ショウ。赤のTシャツを全員着たバンドは総勢9人。ギター2、キーボード、ベース、ドラム、打楽器、トランペット、サックス、女性コーラス。お、にぎやか。
4月になると、65歳。だが、往年のノリを踏まんかとするかのように、溌剌なショウの進め方。そりゃ、足のステップは少し遅くはなっているかもしれない。歌声も少しでなくなっているかもしれない。だけど、バンドと一体のショウはルーツ・ロック・レゲエの良さ、歌唱やメロディの力を前面に出すレゲエの良さを存分に出し、ジミー・クリフという不世出のレゲエ・シンガー/コンポーザーの素晴らしさを前に出す。そう、「ユー・キャン・ゲット・イット・イフ・ユー・リアリー・ウォント・イット」とか「ヴェトナム」とか「シッティング・イン・ザ・リンボー」とか、「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」はやらなかったものの、いい曲いろいろ書いていることも再確認。彼は様々な“負”と表裏一体の輝きや瞬発力を掲げてきた人物であることも痛感した。
本編最後の曲は、全員太鼓を叩いてのナイヤビンギ調曲(と言っていいのかな)で、それ結構長目にやった。クリフは何曲かでギターを持って歌ったが、彼は左利き、右利き用のレスポールを逆さにして弾いていた。
その後は青山・プラッサオンゼで、ブラジル音楽方面で活躍するギタリストの越田太郎丸のソロ演奏を聞く。頭のほう、少しクラシカルとも言えそうな、静謐な弾き方をしているようにも思え、ブラジル音楽とクラシックの重なりということにちょい思いを巡らすが、あまりにぼくには無理なテーマですね。繊細に、ときに大胆に、6本の弦をいろいろと操る。取り上げる曲はジョビン他のブラジル曲か。「イパネマの娘」は大胆に調を変えていて、頷く。いろんな意味で、クリフ公演で得た感興をクール・ダウン、次に公演へのより良いクッションになった。ところで、ぼく以外は、全てお客さんは女性だった。
そして、南青山・ブルーノート東京で、話題のジャズ・シンガーのグレゴリー・ポーターを見る。そういえば、ジミー・クリフは新作でグラミー賞の<ベスト・レゲエ・アルバム賞>を取り、ポーターの場合、一等賞獲得は叶わなかったものの2枚出したアルバムが同傾向の内容ながら別の年にそれぞれ<ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞>と<ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス賞>にノミネートされた。
アルバム・レコーディングにも参加しているワーキング・バンド(ピアノ、アルト、ウッド・ベース、ドラム)を従えた彼の歌を聞いて、声がたっぷりしているとおおいに思いを新たにする。声量があり、音程も確か。大学入学時はアメリカン・フットボールで将来を嘱望されたというが、なるほど巨体。だが、それが歌手にとってはなんとも美徳であることを、その堂々の歌唱に触れると痛感させられる。
ポーターは自ら曲を書くタイプであるのだが、なかんかいい感じで書かれたそれらの曲のおっとりした佇まいはジャズであるとともに、大人のR&Bリスナーをも相手にできるものだろう。そういう意味では、グラミーのノミネーションには頷ける。「ビー・グッド」とか慈しみの情たっぷりで、万人受けしても不思議はないと思わされます。
実演において、驚かされたのは伴奏陣。シンガーが主役だと、通常では歌手を後からもり立てようとする”従”の演奏をするものだが、4人は親分とずっとやっていてツーカーであるということもあるのだろう、かなり攻めの演奏をする。アルトやピアノはけっこうソロの時間も与えられ、みんな個をきっちり出す方向に出る。そして、それをポーターも度量でっかく許容する。おおいに質量感ある歌とそうした伴奏はときに120%+120%という感じでトゥ・マッチな印象を与えもするが、おおらか和み系のヴォーカルが中央にある表現であるのに、これだけ攻撃的なヴェクトルを持つ伴奏を生で採用しているとは思いもしなかった。とくに、NY在住の日本人アルト・サックス奏者の佐藤洋祐はどの曲でも長いソロ・パートを与えられ、存分に技量を発揮。その演奏は若いときのフィル・ウッズ(2011年3月26日)を思い出させるようなそれで、すごいゾ。そして、そうした総体の意外性こそは生きている音楽の証であり、ジャズという本質の側面を照らし出すものなのだ。「ワーク・ソング」(だったっけ?)などでは、ポーターはけっこうスキャットもかましていた。
<今日の、もろもろ>
通常、ビルボードライブ東京のファースト・ショウは19時から。ではあるものの、クリフのそれは18時半開始。それ、一つのセットのパフォーマンス時間が長いからそう設定したのかと思ったら、やった時間は1時間15分ほど(ぼくが見たのは、4日間公演のなかの3日目)なので、まあ通常並み。クリフがファーストとセカンド・ショウの間を空けてほしいと要求したのか。それゆえ、プラッサ・オンゼ(ここも基本、2ショウ制)でもライヴを見る事ができたのだが。ここでは来場者にしっかりとギター・ソロのCD(1曲入りだが)を無料で配布。サーヴィス、いいな。ま、それと女性客が多いのは無関係だろうけど。それから、ポーターのショウは、90分ぐらいやったか。
というわけで、この晩は3つのライヴをハシゴ。かつてNY なぞに行ったときは、せっかく来ているわけだし、日本で見られないものが見ることができると平気で2つ、3つとハコをハシゴしていて、現地の人に笑われたもんだ。わー今のぼく、ヴィジターのような感じで東京に居住している、な〜んて。一つのものに依拠したくないという気持ちはどこかで常々持っている(それが、音楽の聞き方にも出ている)が、年をとるごとに、ある意味、日本への帰属意識は出て来ているとも思うものナ。この晩、無理な回り方はしていない。まあ、いろんな会場があって、いろんな時間でライヴが見れるというように、東京のライヴ・シーンがおおいに多様になっているということなのだと思う。
4月になると、65歳。だが、往年のノリを踏まんかとするかのように、溌剌なショウの進め方。そりゃ、足のステップは少し遅くはなっているかもしれない。歌声も少しでなくなっているかもしれない。だけど、バンドと一体のショウはルーツ・ロック・レゲエの良さ、歌唱やメロディの力を前面に出すレゲエの良さを存分に出し、ジミー・クリフという不世出のレゲエ・シンガー/コンポーザーの素晴らしさを前に出す。そう、「ユー・キャン・ゲット・イット・イフ・ユー・リアリー・ウォント・イット」とか「ヴェトナム」とか「シッティング・イン・ザ・リンボー」とか、「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」はやらなかったものの、いい曲いろいろ書いていることも再確認。彼は様々な“負”と表裏一体の輝きや瞬発力を掲げてきた人物であることも痛感した。
本編最後の曲は、全員太鼓を叩いてのナイヤビンギ調曲(と言っていいのかな)で、それ結構長目にやった。クリフは何曲かでギターを持って歌ったが、彼は左利き、右利き用のレスポールを逆さにして弾いていた。
その後は青山・プラッサオンゼで、ブラジル音楽方面で活躍するギタリストの越田太郎丸のソロ演奏を聞く。頭のほう、少しクラシカルとも言えそうな、静謐な弾き方をしているようにも思え、ブラジル音楽とクラシックの重なりということにちょい思いを巡らすが、あまりにぼくには無理なテーマですね。繊細に、ときに大胆に、6本の弦をいろいろと操る。取り上げる曲はジョビン他のブラジル曲か。「イパネマの娘」は大胆に調を変えていて、頷く。いろんな意味で、クリフ公演で得た感興をクール・ダウン、次に公演へのより良いクッションになった。ところで、ぼく以外は、全てお客さんは女性だった。
そして、南青山・ブルーノート東京で、話題のジャズ・シンガーのグレゴリー・ポーターを見る。そういえば、ジミー・クリフは新作でグラミー賞の<ベスト・レゲエ・アルバム賞>を取り、ポーターの場合、一等賞獲得は叶わなかったものの2枚出したアルバムが同傾向の内容ながら別の年にそれぞれ<ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞>と<ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス賞>にノミネートされた。
アルバム・レコーディングにも参加しているワーキング・バンド(ピアノ、アルト、ウッド・ベース、ドラム)を従えた彼の歌を聞いて、声がたっぷりしているとおおいに思いを新たにする。声量があり、音程も確か。大学入学時はアメリカン・フットボールで将来を嘱望されたというが、なるほど巨体。だが、それが歌手にとってはなんとも美徳であることを、その堂々の歌唱に触れると痛感させられる。
ポーターは自ら曲を書くタイプであるのだが、なかんかいい感じで書かれたそれらの曲のおっとりした佇まいはジャズであるとともに、大人のR&Bリスナーをも相手にできるものだろう。そういう意味では、グラミーのノミネーションには頷ける。「ビー・グッド」とか慈しみの情たっぷりで、万人受けしても不思議はないと思わされます。
実演において、驚かされたのは伴奏陣。シンガーが主役だと、通常では歌手を後からもり立てようとする”従”の演奏をするものだが、4人は親分とずっとやっていてツーカーであるということもあるのだろう、かなり攻めの演奏をする。アルトやピアノはけっこうソロの時間も与えられ、みんな個をきっちり出す方向に出る。そして、それをポーターも度量でっかく許容する。おおいに質量感ある歌とそうした伴奏はときに120%+120%という感じでトゥ・マッチな印象を与えもするが、おおらか和み系のヴォーカルが中央にある表現であるのに、これだけ攻撃的なヴェクトルを持つ伴奏を生で採用しているとは思いもしなかった。とくに、NY在住の日本人アルト・サックス奏者の佐藤洋祐はどの曲でも長いソロ・パートを与えられ、存分に技量を発揮。その演奏は若いときのフィル・ウッズ(2011年3月26日)を思い出させるようなそれで、すごいゾ。そして、そうした総体の意外性こそは生きている音楽の証であり、ジャズという本質の側面を照らし出すものなのだ。「ワーク・ソング」(だったっけ?)などでは、ポーターはけっこうスキャットもかましていた。
<今日の、もろもろ>
通常、ビルボードライブ東京のファースト・ショウは19時から。ではあるものの、クリフのそれは18時半開始。それ、一つのセットのパフォーマンス時間が長いからそう設定したのかと思ったら、やった時間は1時間15分ほど(ぼくが見たのは、4日間公演のなかの3日目)なので、まあ通常並み。クリフがファーストとセカンド・ショウの間を空けてほしいと要求したのか。それゆえ、プラッサ・オンゼ(ここも基本、2ショウ制)でもライヴを見る事ができたのだが。ここでは来場者にしっかりとギター・ソロのCD(1曲入りだが)を無料で配布。サーヴィス、いいな。ま、それと女性客が多いのは無関係だろうけど。それから、ポーターのショウは、90分ぐらいやったか。
というわけで、この晩は3つのライヴをハシゴ。かつてNY なぞに行ったときは、せっかく来ているわけだし、日本で見られないものが見ることができると平気で2つ、3つとハコをハシゴしていて、現地の人に笑われたもんだ。わー今のぼく、ヴィジターのような感じで東京に居住している、な〜んて。一つのものに依拠したくないという気持ちはどこかで常々持っている(それが、音楽の聞き方にも出ている)が、年をとるごとに、ある意味、日本への帰属意識は出て来ているとも思うものナ。この晩、無理な回り方はしていない。まあ、いろんな会場があって、いろんな時間でライヴが見れるというように、東京のライヴ・シーンがおおいに多様になっているということなのだと思う。
ラリー・コリエル、他。トライバル・テック
2013年3月8日 音楽 米国東海岸と西海岸の腕に覚えあり奏者がそれぞれに集ったセッションやグループを、六本木・ビルボードライブ東京と南青山・ブルーノート東京で見る。両方の出し物とも、この晩限り。
まず、六本木のほうの出演者はラリー・コリエル(ギター)、ウォレス・ルーニー(トランペット。2004年11月3日)、リック・マルジッツァ(テナー・サックス)、ジョーイ・デフランセスコ(オルガン。2010年12月1日)、ダリル・ジョーンズ(エレクトリック・ベース。2003年3月13日、15日)、オマー・ハキム(ドラム。2010年9月5日、他)という面々。けっこう、年齢も出自も散る。分るような、分らぬような。コリエルはデフランシスコの新作にはいっていたりもする。この顔ぶれで、彼らは今年3月頭のジャカルタの大音楽フェスのジャワ・ジャズ(2012年3月2、3、5日、参照)に出演していて、その際は“マイルズ・スマイルズ”というタイトルが付けられていた。ま、マイルスぶりっこが大得意であるルーニーがいるかぎり、マイルスの財産を踏む事からは逃れられないわけであり……。MCはルーニーがしていた。
1960年代後期に新時代のロック的なギザギザも持つギタリストとして世に出て即ピンのアーティストとしてエスタブリッシュされたコリエルのことは、今回初めて見る。ノリとしてはマイルスのグループから誘われもおかしくないタイプの人材であったが、個人でブイブイ言わせていたことあり、呼ばれたことはないよな。そして、6人はマイルス曲もやったが、過剰にマイルスぽくはない、ソロを判で押したように回すフュージョン・セッションを展開。ながら、只のソロ回しにあまり陥る事がなかったのは、緩急をつけた(ストーリー性豊かな、という言い方もぼくはしたくなる)リズム・セクションの演奏のおかげと見た。以下、Jリーグの新シーズンも始まったし、奏者ごとにサッカー式採点を。10点満点です。
コリエル:7 想像通りの演奏、傍若無人な感じの聞き味には苦笑、もう少し長くソロを聞きたかった。意外に、サポート時のアクセント音がときにいい感じ。じじいらしく、エフェクターはワウ・ペダルと、ディストーション系の2つしか用いず。ソリッッド・タイプとセミ・アコースティック・タイプのギターを1本づつおいていたが、前者のほうしか用いず。彼はこの春で70歳。
ルーニー:3 フレイズも音色(マイクで音を拾っていたが、PAからはエフェクターをかけた音が出てくる)も嫌い。なんか、ジャズ・マンという座にあぐらをかいているような様もびんびんに感じさせて、ヤーな感じ。女房はイケてるのにねー。
デフランセスコ:5 巨体のせいもあってか、もう演奏が軽く感じる。ルーニーと彼の手癖感たっぷりのソロ音が出てくると、音楽のリアルさからどんどん遠のいていくように、ぼくには感じられた。
マルジッツァ:5 ブルーノート他から10作を超えるリーダー作を出しているテナー・サックス奏者で、ちゃんと吹ける。だけど、なんかこみ上げてくるものが少ない。
ダリル・ジョーンズ:7 1980年代前半に、駄目になってからのマイルズ・デイヴィス・バンドに加入し有名になり、さらには1990年代中ばからはザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)に加入している御仁。ながら、ぼくは彼のことに興味を持つ事はあまりなかったが、今回ニュアンス豊かな演奏をする彼を見ておおきくうなずく。
オマー・ハキム:7 かつてのNYスタジオ・シーンの売れっ子も少し大きな仕事が減っていると感じているが、立体的かつタイトな演奏はさすが。見直した(って、偉そうだが)。
もし、コリエル、ジョーンズ、ハキムのトリオでのパフォーマンスだったら、そりゃ高得点になったろう。
その後、見たのは、我が道を行く技巧派ギタリストのスコット・ヘンダーソンがベーシストのゲイリー・ウィリスと1980年代中期から組んでいる、ハード・フュージョン・バンド。休止になっていたのが、近年再スタートした。4分の2であるキーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日)とドラムのカーク・コヴィントンも1990年代前半に加入しているようで、ようは阿吽の呼吸を持つとも言えるのか。
腕に覚えあり、それを隠そうなぞという謙譲の気持ちは持ち会わせておらずという、ズケズケした、生理的に饒舌なフュージョン演奏がなされる。まあ、ヘンダーソンの技や持ち味ありきだが、好意的な書き方をすれば、ジェフ・ベック(2009年2月6日)からジョン・スコフィールド(2012年10月10日、他)までを自在に行き来、という感じか。その様に触れながら、きっちりロックのほうで勝負すればもっともっと支持を得たろうし、まかり間違ってECM(同社は一体、テリエ・リピタル作を何枚だしているのか?)からリーダー作を出したならもっと通受け評価は高くなったのではないか、ヘンダーソンはアンダーレイテットな人という所感も今回初めて彼を見て得た。
とはいえ、場内は満員で熱気もあり、この手の西海岸辣腕フュージョンの愛好者が少なくないことを目の当たりにした。とにもかくにも受けまくっていて、本人たちもとてもうれしそう。アンコールに応え楽屋に戻り場内に電気がつけられBGMが流れた後、彼らはまた出て来て演奏。こんなに受けて出てこずにいられようかという風情、ごっそり出していたな。なんか、ショウ開始時にステージに出て来たときから、米国西海岸のガサツな駄目おやじ臭がぷんぷん。少しぼくは退いたが、そのサーヴィスはそういう率直さゆえと言えるかもしれない。
彼らはこの後、ジャカルタ他を回るよう。以下、同じく各奏者の興味惹かれ度を数値化。
スコット・ヘンダーソン:8 ぜんぶのフレイズをトレモロ・アームを使って弾く。へーえ。それはメロウさや不安定な感覚を無理なく出す。ワン&オンリーかもしれぬ。彼はすべて1本のギターで通したが、さすがチューニングは狂いやすいのだろう、曲間には必ず調弦していた。
ゲイリー・ウィルス:6 フレットレスの5弦のエレクトリック・ベースを弾いていた。彼はウェイン・ショーターの『ファントム・ナヴィゲイター』に参加していたことあり。早く弾く時は魅力を感じないが、スペースをおおらかに埋めて行くような演奏をするときはいいなと思える。
スコット・キンゼイ 5 ソツなく。過剰に出しゃばらず。
マーク・コヴィントン5 音がバシバシ言い過ぎ。ま、タイトであったが。ブルース曲ではヴォーカルも取り、体格に見合う朗々とした歌い口。
<今日の、彼らは巨人に違いない>
我が道を飄々と行く東海岸のしなやか(ゆえに、変な面も持つ)ポップ・ロック集団、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツの新作『Nanobots』に、そんなに変わらないながら悶絶。尽きぬアイデアや豊かなメロデイ・メイカーぶりを示唆するように曲目を多く収録することもある彼らだが、今作は25曲入りだ。ま、30秒以下の曲もいくつかはいっているが。しかし、ずうっと気ままなポッパーぶりを維持しているのもすごい。昔、NYに行ったとき彼らのライヴをザ・ニッティング・ファクトリーで見た事あったような。あと、渋谷・クラブクアトロでも、彼らはやっているよな。楽器をメンバー間で、自在に持ち替えるのが素敵だった。そういえば、知人からリアム・ヘイズ/プラッシュ(2002年6月23日)のロマン・コッポラ監督の2012年作品『A Gimpse Inside the Mind of Charles SwanⅢ』のサントラを教えてもらう。過去曲のリメイク中心ながら、新曲も2曲。彼は近く、ザ・オータム・ディフェンス/ウィルコ(2010年4月23日、他)のパトリック・サンソンのプロデュースで新作を出すという。Aくん、情報ありがとう。そういえば、ザ・オータム・オブ・ディフェンスをかしましく都会的にすると、ゼイ・マイトビー・ジャイアンツになる? あらあら、こじつけ?
まず、六本木のほうの出演者はラリー・コリエル(ギター)、ウォレス・ルーニー(トランペット。2004年11月3日)、リック・マルジッツァ(テナー・サックス)、ジョーイ・デフランセスコ(オルガン。2010年12月1日)、ダリル・ジョーンズ(エレクトリック・ベース。2003年3月13日、15日)、オマー・ハキム(ドラム。2010年9月5日、他)という面々。けっこう、年齢も出自も散る。分るような、分らぬような。コリエルはデフランシスコの新作にはいっていたりもする。この顔ぶれで、彼らは今年3月頭のジャカルタの大音楽フェスのジャワ・ジャズ(2012年3月2、3、5日、参照)に出演していて、その際は“マイルズ・スマイルズ”というタイトルが付けられていた。ま、マイルスぶりっこが大得意であるルーニーがいるかぎり、マイルスの財産を踏む事からは逃れられないわけであり……。MCはルーニーがしていた。
1960年代後期に新時代のロック的なギザギザも持つギタリストとして世に出て即ピンのアーティストとしてエスタブリッシュされたコリエルのことは、今回初めて見る。ノリとしてはマイルスのグループから誘われもおかしくないタイプの人材であったが、個人でブイブイ言わせていたことあり、呼ばれたことはないよな。そして、6人はマイルス曲もやったが、過剰にマイルスぽくはない、ソロを判で押したように回すフュージョン・セッションを展開。ながら、只のソロ回しにあまり陥る事がなかったのは、緩急をつけた(ストーリー性豊かな、という言い方もぼくはしたくなる)リズム・セクションの演奏のおかげと見た。以下、Jリーグの新シーズンも始まったし、奏者ごとにサッカー式採点を。10点満点です。
コリエル:7 想像通りの演奏、傍若無人な感じの聞き味には苦笑、もう少し長くソロを聞きたかった。意外に、サポート時のアクセント音がときにいい感じ。じじいらしく、エフェクターはワウ・ペダルと、ディストーション系の2つしか用いず。ソリッッド・タイプとセミ・アコースティック・タイプのギターを1本づつおいていたが、前者のほうしか用いず。彼はこの春で70歳。
ルーニー:3 フレイズも音色(マイクで音を拾っていたが、PAからはエフェクターをかけた音が出てくる)も嫌い。なんか、ジャズ・マンという座にあぐらをかいているような様もびんびんに感じさせて、ヤーな感じ。女房はイケてるのにねー。
デフランセスコ:5 巨体のせいもあってか、もう演奏が軽く感じる。ルーニーと彼の手癖感たっぷりのソロ音が出てくると、音楽のリアルさからどんどん遠のいていくように、ぼくには感じられた。
マルジッツァ:5 ブルーノート他から10作を超えるリーダー作を出しているテナー・サックス奏者で、ちゃんと吹ける。だけど、なんかこみ上げてくるものが少ない。
ダリル・ジョーンズ:7 1980年代前半に、駄目になってからのマイルズ・デイヴィス・バンドに加入し有名になり、さらには1990年代中ばからはザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)に加入している御仁。ながら、ぼくは彼のことに興味を持つ事はあまりなかったが、今回ニュアンス豊かな演奏をする彼を見ておおきくうなずく。
オマー・ハキム:7 かつてのNYスタジオ・シーンの売れっ子も少し大きな仕事が減っていると感じているが、立体的かつタイトな演奏はさすが。見直した(って、偉そうだが)。
もし、コリエル、ジョーンズ、ハキムのトリオでのパフォーマンスだったら、そりゃ高得点になったろう。
その後、見たのは、我が道を行く技巧派ギタリストのスコット・ヘンダーソンがベーシストのゲイリー・ウィリスと1980年代中期から組んでいる、ハード・フュージョン・バンド。休止になっていたのが、近年再スタートした。4分の2であるキーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日)とドラムのカーク・コヴィントンも1990年代前半に加入しているようで、ようは阿吽の呼吸を持つとも言えるのか。
腕に覚えあり、それを隠そうなぞという謙譲の気持ちは持ち会わせておらずという、ズケズケした、生理的に饒舌なフュージョン演奏がなされる。まあ、ヘンダーソンの技や持ち味ありきだが、好意的な書き方をすれば、ジェフ・ベック(2009年2月6日)からジョン・スコフィールド(2012年10月10日、他)までを自在に行き来、という感じか。その様に触れながら、きっちりロックのほうで勝負すればもっともっと支持を得たろうし、まかり間違ってECM(同社は一体、テリエ・リピタル作を何枚だしているのか?)からリーダー作を出したならもっと通受け評価は高くなったのではないか、ヘンダーソンはアンダーレイテットな人という所感も今回初めて彼を見て得た。
とはいえ、場内は満員で熱気もあり、この手の西海岸辣腕フュージョンの愛好者が少なくないことを目の当たりにした。とにもかくにも受けまくっていて、本人たちもとてもうれしそう。アンコールに応え楽屋に戻り場内に電気がつけられBGMが流れた後、彼らはまた出て来て演奏。こんなに受けて出てこずにいられようかという風情、ごっそり出していたな。なんか、ショウ開始時にステージに出て来たときから、米国西海岸のガサツな駄目おやじ臭がぷんぷん。少しぼくは退いたが、そのサーヴィスはそういう率直さゆえと言えるかもしれない。
彼らはこの後、ジャカルタ他を回るよう。以下、同じく各奏者の興味惹かれ度を数値化。
スコット・ヘンダーソン:8 ぜんぶのフレイズをトレモロ・アームを使って弾く。へーえ。それはメロウさや不安定な感覚を無理なく出す。ワン&オンリーかもしれぬ。彼はすべて1本のギターで通したが、さすがチューニングは狂いやすいのだろう、曲間には必ず調弦していた。
ゲイリー・ウィルス:6 フレットレスの5弦のエレクトリック・ベースを弾いていた。彼はウェイン・ショーターの『ファントム・ナヴィゲイター』に参加していたことあり。早く弾く時は魅力を感じないが、スペースをおおらかに埋めて行くような演奏をするときはいいなと思える。
スコット・キンゼイ 5 ソツなく。過剰に出しゃばらず。
マーク・コヴィントン5 音がバシバシ言い過ぎ。ま、タイトであったが。ブルース曲ではヴォーカルも取り、体格に見合う朗々とした歌い口。
<今日の、彼らは巨人に違いない>
我が道を飄々と行く東海岸のしなやか(ゆえに、変な面も持つ)ポップ・ロック集団、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツの新作『Nanobots』に、そんなに変わらないながら悶絶。尽きぬアイデアや豊かなメロデイ・メイカーぶりを示唆するように曲目を多く収録することもある彼らだが、今作は25曲入りだ。ま、30秒以下の曲もいくつかはいっているが。しかし、ずうっと気ままなポッパーぶりを維持しているのもすごい。昔、NYに行ったとき彼らのライヴをザ・ニッティング・ファクトリーで見た事あったような。あと、渋谷・クラブクアトロでも、彼らはやっているよな。楽器をメンバー間で、自在に持ち替えるのが素敵だった。そういえば、知人からリアム・ヘイズ/プラッシュ(2002年6月23日)のロマン・コッポラ監督の2012年作品『A Gimpse Inside the Mind of Charles SwanⅢ』のサントラを教えてもらう。過去曲のリメイク中心ながら、新曲も2曲。彼は近く、ザ・オータム・ディフェンス/ウィルコ(2010年4月23日、他)のパトリック・サンソンのプロデュースで新作を出すという。Aくん、情報ありがとう。そういえば、ザ・オータム・オブ・ディフェンスをかしましく都会的にすると、ゼイ・マイトビー・ジャイアンツになる? あらあら、こじつけ?
完成度、とても高い。ショウが始まってすぐに了解し、うなずく。プロだな、まったくもって。バンドは当人を含め、11人。ギターやヴォーカルや打楽器や管は2人づつ、カール・ペラッゾ(2013年1月6日、他)やデニス・チェンバース(2008年12月7日)らを含む。そういえば、チェンバースはヘルメットをかぶって演奏。スライ・ダンバー(2011年11月4日)といい、なんでドカチンなドラミングを聞かせる人はヘルメットをかぶって演奏したがるのか。
肉感性たっぷりのラテン・ロック+の表現が成熟したエンターテインメント性を抱えつつ、送り出される。そして、それはいろんな音楽ジャンルを俯瞰し、繋ぐゾという意思に富んだもの。とともに、お馴染みのサンタナ曲(やはり、1970年上半期の曲は起爆力あり)だけでなく、フィフス・ディメンション、ジェイムズ・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー、マイケル・ジャクソン、ジョン・コルトレーン、クリス・コナーなどの有名曲もフルでやったり、部分的に挿入したりもする。そこからも、統合したいというキブンは横溢する。
愛に支えられたユニティこそはすべて、という意思はMCや態度でもいろいろと出していて、それがきっちりとエクレクティックな音楽性と重なる。そんな彼は2010年のツアーで、当時のバンド・メンバーだったシンディ・ブラックマン(2008年12月16日)にステージ上で求婚し結婚したが、中盤にはなんとブラックマン本人を登場させドラムを叩かせる。その際、彼女はチェンバースのセットを使い、彼はお休み。とにかく、ご両人のラヴラヴぶりにはびっくり。俺は愛の人なんだァ的アピールはその際、最高潮に達した。
日本武道館。ライヴ盤『ロータスの伝説』も作られた初来日公演も同じで、それは1973年だった。
<今日の、勤労者>
会場はフル・ハウス。当然のごとく、ダフ屋が出ている。が、そこで毎度のことだが、疑問が頭をかすめる。あんな感じでだらだらと立っていて、いったい一度やるとどのぐらいアガリがあるものなのか。その手間や拘束時間に見合う額が稼げないのではと、ぼくは見てしまうのだが。どういうものか、実は何気に稼げちゃうものなのか? なんにせよ、彼らの正業なんかかったるくて就いてられるかという気持ちのようなものはなんとなく伝わってくる。が、考えてみたら、音楽の物書きをずっとやっているぼくも彼らと同じようなものではないかとも思えて来て、ひえっという気持ちになった。
ところで、日本武道館には、赤い光の大きなデジタル時計が2カ所に設置されていて、それは客電が落とされる(ショウが始まる)と消される。だが、この日は実演が始まってもつけられたまま。ま、時間を確認する分には有用ではあったのだが。が、1時間近くたって、その時計表示は消された。消し忘れたのは明らか、だな。
肉感性たっぷりのラテン・ロック+の表現が成熟したエンターテインメント性を抱えつつ、送り出される。そして、それはいろんな音楽ジャンルを俯瞰し、繋ぐゾという意思に富んだもの。とともに、お馴染みのサンタナ曲(やはり、1970年上半期の曲は起爆力あり)だけでなく、フィフス・ディメンション、ジェイムズ・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー、マイケル・ジャクソン、ジョン・コルトレーン、クリス・コナーなどの有名曲もフルでやったり、部分的に挿入したりもする。そこからも、統合したいというキブンは横溢する。
愛に支えられたユニティこそはすべて、という意思はMCや態度でもいろいろと出していて、それがきっちりとエクレクティックな音楽性と重なる。そんな彼は2010年のツアーで、当時のバンド・メンバーだったシンディ・ブラックマン(2008年12月16日)にステージ上で求婚し結婚したが、中盤にはなんとブラックマン本人を登場させドラムを叩かせる。その際、彼女はチェンバースのセットを使い、彼はお休み。とにかく、ご両人のラヴラヴぶりにはびっくり。俺は愛の人なんだァ的アピールはその際、最高潮に達した。
日本武道館。ライヴ盤『ロータスの伝説』も作られた初来日公演も同じで、それは1973年だった。
<今日の、勤労者>
会場はフル・ハウス。当然のごとく、ダフ屋が出ている。が、そこで毎度のことだが、疑問が頭をかすめる。あんな感じでだらだらと立っていて、いったい一度やるとどのぐらいアガリがあるものなのか。その手間や拘束時間に見合う額が稼げないのではと、ぼくは見てしまうのだが。どういうものか、実は何気に稼げちゃうものなのか? なんにせよ、彼らの正業なんかかったるくて就いてられるかという気持ちのようなものはなんとなく伝わってくる。が、考えてみたら、音楽の物書きをずっとやっているぼくも彼らと同じようなものではないかとも思えて来て、ひえっという気持ちになった。
ところで、日本武道館には、赤い光の大きなデジタル時計が2カ所に設置されていて、それは客電が落とされる(ショウが始まる)と消される。だが、この日は実演が始まってもつけられたまま。ま、時間を確認する分には有用ではあったのだが。が、1時間近くたって、その時計表示は消された。消し忘れたのは明らか、だな。
ティペットは1947年生まれの、前衛が入った英国ジャズのベテラン・ピアニスト。一般的にはキング・クリムゾンの1970年ごろのレコーディングに参加した項目が大きく取り上げられるようだが、プログ・ロックがあまり好みではないぼくにとっては、それについてはどうでもいいや、という感じ……。代官山・晴れたら空に豆まいて。
完全ソロによるパフォーマンスで、弦をいろいろミュートする設定での演奏。ピアノ弦にはいろんな玩具とかのブツを無造作に置いていたようだ。彼はどこか幾何学的とも言いたくなるフレイズを悠々とつなぐが、それはやはりかなり尖った印象も与える。総じて似たような行き方を取り、表現の幅や発想が広いとは言えない。だが、確固とした持ち味を持つのは疑いがないし、何かをつみあげているという重みのようなものはすくっと仁王立ち。他方、なんか達観している感じも与える人で、終演後の“真心の人”的なノー・マイクによるMCにはへえ〜。
彼は、ブリストル生まれ。後のマーク・スチュアートやトリッキー(2001年7月27日)らのブリストル先鋭系列の先に彼をおいて、考えてみるのもアリかともふと思う。
<今日の、ドレス・コードと渋谷駅>
午前中、某会員性のラウンジで、某大物ミュージシャンに取材。その場所、ドレス・コードがあり、バリっとした格好で出かける。ちゃんとした格好をするなんて、年に1度か2度、マジメだったり、華やかだったりするパテーティのときだけだよな。ともあれ、なんだかんだで、けっこうポケット・チーフを持っているのを再確認。
この日は渋谷地上駅始発の東急東横線の最終営業日。陽が落ちて、代官山に向かう際の渋谷駅は、やじうまで激混み。写メや動画を内外で回している人がいっぱい(ホームを望める歩道橋上にもそれは多数)。その感覚、ぼくには分らない。惜しんだり懐かしんだりするのだったら、完成度の高いその手の書籍やDVD(も発売されるんじゃないか?)を買ったほうが良くないか。自分で撮ることに意義がある? 杜撰なぼくはどうせすぐにそのデーターを行方不明にするだろうし。ともあれ、ライヴ帰りの際には、別に変化がないはずの代官山にも撮影者が多数。駅員、警察官、ガードマン(複数の会社を使っていたよう)も駅構内には多数。かなり、いやはやな喧噪を体験せざるを得なかった。
完全ソロによるパフォーマンスで、弦をいろいろミュートする設定での演奏。ピアノ弦にはいろんな玩具とかのブツを無造作に置いていたようだ。彼はどこか幾何学的とも言いたくなるフレイズを悠々とつなぐが、それはやはりかなり尖った印象も与える。総じて似たような行き方を取り、表現の幅や発想が広いとは言えない。だが、確固とした持ち味を持つのは疑いがないし、何かをつみあげているという重みのようなものはすくっと仁王立ち。他方、なんか達観している感じも与える人で、終演後の“真心の人”的なノー・マイクによるMCにはへえ〜。
彼は、ブリストル生まれ。後のマーク・スチュアートやトリッキー(2001年7月27日)らのブリストル先鋭系列の先に彼をおいて、考えてみるのもアリかともふと思う。
<今日の、ドレス・コードと渋谷駅>
午前中、某会員性のラウンジで、某大物ミュージシャンに取材。その場所、ドレス・コードがあり、バリっとした格好で出かける。ちゃんとした格好をするなんて、年に1度か2度、マジメだったり、華やかだったりするパテーティのときだけだよな。ともあれ、なんだかんだで、けっこうポケット・チーフを持っているのを再確認。
この日は渋谷地上駅始発の東急東横線の最終営業日。陽が落ちて、代官山に向かう際の渋谷駅は、やじうまで激混み。写メや動画を内外で回している人がいっぱい(ホームを望める歩道橋上にもそれは多数)。その感覚、ぼくには分らない。惜しんだり懐かしんだりするのだったら、完成度の高いその手の書籍やDVD(も発売されるんじゃないか?)を買ったほうが良くないか。自分で撮ることに意義がある? 杜撰なぼくはどうせすぐにそのデーターを行方不明にするだろうし。ともあれ、ライヴ帰りの際には、別に変化がないはずの代官山にも撮影者が多数。駅員、警察官、ガードマン(複数の会社を使っていたよう)も駅構内には多数。かなり、いやはやな喧噪を体験せざるを得なかった。
ゲイリー・クラーク・ジュニア
2013年3月18日 音楽 通算6作目となる、メジャー第一作『ブラック&ブルー』でブレイクした、オースティン生まれ/育ちの若手ブルース・マンの初来日公演を見る。代官山・UNIT。1984年生まれだから、まだ20代だ。かつてツアーの前座に抜擢することで新進黒人有望株の啓蒙発掘を行っていたストーンズ(2003年3月15日)が昨年12月に持った50周年のニュー・ジャージーでの特別公演で彼を呼んでいた(他のゲストは、ジョン・メイアー、レディ・ガガ、ザ・ブラック・キーズ、スプリングスティーンなど)し、アリシア・キーズ(2008年8月10日)も新作で彼をよんでいたりする。
一回だけの来日公演、自己バンドを率いてのものなのだろう。声は高め、なかにはファルセットでソウル・バラードっぽい曲を歌う場面も。最新作はブルース・ビヨンド色を強調した仕上がりだったが、それよりはブルース路線をとるショウだったと言えるか。ジミ・ヘンドリックスの「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」ではオープン・チューニングにして、スライド・バーも用いた。
場内は満員、オヤジ率は高め? ブルース系公演につきもの(?)のどこかはた迷惑な乱暴な歓声もあがっていた。なお。この晩の公演はU-ストリームで配信もされたよう。一般の公演で、それは珍しい、と書けるのか。彼は今年のフジ・ロックにも出演する。
<今日の、クラーク・ジュア>
午前中に、クラーク・ジュニアを取材。長身(185センチはゆうにあるな)痩身で、滅茶カッコ良くて驚く。それから、「ヘイ・メン、ファッツ・アップ」感覚のない、とても静的で、落ち着いた人であるのも、印象に残る。質問にも勢いで対応せず、じっくりと考え、誠実に答えを返してくる。好感度、大アップ。もちろん、当初はR&Bやファンクを愛好、14歳のときにブルースと出会い、一気にコレだとブルース道を選んだ人物。ヒップホップ(もどきも、少し友人とやったことはあるという)の道に進んだら楽にオンナはべらせることができたのに、どうしてブルースなんてイバラの道をえらんでしまったのか、なぞと思うことはないと問うと、面白い質問するなあと言いつつ熟考。そして、彼は、女の子にモテたいと思って音楽はやってきていないから、とも発言。そりゃ、あなただったら、黙っていても女性はよってくるよなと、納得した。
一回だけの来日公演、自己バンドを率いてのものなのだろう。声は高め、なかにはファルセットでソウル・バラードっぽい曲を歌う場面も。最新作はブルース・ビヨンド色を強調した仕上がりだったが、それよりはブルース路線をとるショウだったと言えるか。ジミ・ヘンドリックスの「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」ではオープン・チューニングにして、スライド・バーも用いた。
場内は満員、オヤジ率は高め? ブルース系公演につきもの(?)のどこかはた迷惑な乱暴な歓声もあがっていた。なお。この晩の公演はU-ストリームで配信もされたよう。一般の公演で、それは珍しい、と書けるのか。彼は今年のフジ・ロックにも出演する。
<今日の、クラーク・ジュア>
午前中に、クラーク・ジュニアを取材。長身(185センチはゆうにあるな)痩身で、滅茶カッコ良くて驚く。それから、「ヘイ・メン、ファッツ・アップ」感覚のない、とても静的で、落ち着いた人であるのも、印象に残る。質問にも勢いで対応せず、じっくりと考え、誠実に答えを返してくる。好感度、大アップ。もちろん、当初はR&Bやファンクを愛好、14歳のときにブルースと出会い、一気にコレだとブルース道を選んだ人物。ヒップホップ(もどきも、少し友人とやったことはあるという)の道に進んだら楽にオンナはべらせることができたのに、どうしてブルースなんてイバラの道をえらんでしまったのか、なぞと思うことはないと問うと、面白い質問するなあと言いつつ熟考。そして、彼は、女の子にモテたいと思って音楽はやってきていないから、とも発言。そりゃ、あなただったら、黙っていても女性はよってくるよなと、納得した。
グレッチェン・パーラト
2013年3月19日 音楽 NYの清新現代ジャズ歌手(2012年2月22日、他)のパフォーマンスは、ピアノのテイラー・アイグスティ(2013年2月2日、他)とウッド・ベースと5弦の電気フレットレスを手にするバーニス・トラヴィス(2013年2月8日)、ドラムのジャスティン・ブラウン(2012年2月22日)というトリオをバックにしてのもの。彼女の前回の来日公演から、ベーシストが変わっている。
歌とバンド音の噛み合いの機微、声の小さな彼女の繊細さや陰影をちゃんとPA音が拾っていたこともあり、この3度の来日公演のなかで一番完成度が高いショウだったと言えそう。たとえば、前回も披露したシンプリー・レッドの「ホールディング・バック・ザ・イアーズ」もより大胆に改変されていて、この単位で、思うまま楽曲を今様ジャズ精神に則り育まんとしているのを痛感させられた。また、一部では電気キーボードも左手で弾いたアイグスティンもこれまで彼を見たなかで一番フレッシュ、現代のジャズ・ピアニストだと感じることができた。
南青山・ブルーノート東京。左右比対称の短髪の髪型だったが、今回は普通っぽい短髪に。おばさん度数が高くなったような。失礼っ。
<今日の、桃色>
今日もとっても暖かい。もう、通年この気候が維持されればと思ってしまうほどに快適ぃ。日暮れどき、家から駅に向かう小道脇の桜がそれなりに咲き始めていて、驚く。ここ数年と異なり、今年は花見の時期が早くなるなー。近所の桜の名所の川両岸にもいつの間にか提灯がずらり吊るされていて、スタンバイOKという感じ。先日、4月6日の花見会のお誘いをいただいたが、その頃は完全に花は散っているにゃー。
歌とバンド音の噛み合いの機微、声の小さな彼女の繊細さや陰影をちゃんとPA音が拾っていたこともあり、この3度の来日公演のなかで一番完成度が高いショウだったと言えそう。たとえば、前回も披露したシンプリー・レッドの「ホールディング・バック・ザ・イアーズ」もより大胆に改変されていて、この単位で、思うまま楽曲を今様ジャズ精神に則り育まんとしているのを痛感させられた。また、一部では電気キーボードも左手で弾いたアイグスティンもこれまで彼を見たなかで一番フレッシュ、現代のジャズ・ピアニストだと感じることができた。
南青山・ブルーノート東京。左右比対称の短髪の髪型だったが、今回は普通っぽい短髪に。おばさん度数が高くなったような。失礼っ。
<今日の、桃色>
今日もとっても暖かい。もう、通年この気候が維持されればと思ってしまうほどに快適ぃ。日暮れどき、家から駅に向かう小道脇の桜がそれなりに咲き始めていて、驚く。ここ数年と異なり、今年は花見の時期が早くなるなー。近所の桜の名所の川両岸にもいつの間にか提灯がずらり吊るされていて、スタンバイOKという感じ。先日、4月6日の花見会のお誘いをいただいたが、その頃は完全に花は散っているにゃー。
サナンダ・マイトルーヤ&ザ・ナッジ・ナッジ
2013年3月21日 音楽 サナンダ・マイトルーヤ、元の名はテレンス・トレント・ダービー。21世紀に入るころから名前を抹香くさいものに変え、簡素なお膳立てのアルバムを自主制作的に出していたのは知っていたが、立った個を持つゆえにロック的な手触りも濃かったはみ出しアフリカ系米国人シンガー・ソングライターの公演をまさかここに来て見ることができようとは。
彼のことは英国でデビューするかしないかの1987年初春にロンドンで見て(メイン・アクトはザ・コミュナーズ。当時、彼らは人気者だったので、会場はロイヤル・アルバート・ホールだった)、どこか異形の佇まいに度肝を抜かれ、その後、日本でも人気を獲得し1990年代前半の初来日ツアーの東京公演は確か日本武道館だったと記憶する。2度目の日本ツアーも日本武道館でショウが持たれたはずだが、そのときは渋谷・クラブクアトロでも公演が開かれ、ぼくはそちらでその勇士を見た。
そんな彼には2度インタヴューしたことがあって、その印象がまったく別であったのも印象深い。一度は『シンフォニー・オア・ダム』(1993年)リリースのときで、それはロンドンで。場所はソニーUKが用意した、お洒落なプチ・ホテルのスイートだった。彼は本当にもの静か(声も猫なで声で、ぼくはマイケル・ジャクソンを想起した。その様は、彼の回りだけ時間が止まっているようだった)で、新作をプロモーションする場であるのに、ジャンル分けをする音楽業界に失望し、引退したい、東洋に住みたいなんて話もしていた。そして、これまでと異なる音楽をやりたい意向ももらし、たとえば坂本龍一のような、という発言をしたとも記憶している。先に触れた初来日公演は確かその後で、そのホットな観客の反応に接し、それは彼を力づけると、ぼくはコブシを握ったんじゃなかったか。
そして、2度目の取材はマイトルーヤと改名した2001年で、その名で出したアルバム『ワイルドカード』をライセンスしたエイベックスが彼をプロモ来日させた際。そのときは、かなり吹っ切れた感じもあって、態度も快活。けっこう、ノリがあって盛り上がったことを覚えている。
とかなんとか、けっこうぼくにとってはひっかかりを持つアーティストであると言える。最初に取材したころには米国に戻っていて、2度目の取材のときは米国になじめずまたドイツ(NY生まれの彼は、軍で赴任したドイツで除隊し、そのまま欧州で活動をはじめ、デビューの機会を得た)に住んでいたと記憶する。その後、彼はイタリアに引っ越したとも伝えられ、ネットを中心にいろんな音を出していた。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ザ・ナッジ・ナッジと名付けられたバンドは、とっぽい白人のベーシストとドラマー。つまり、ショウは完全トリオで行われた。MCでサイドの2人は共にミラノ在住と紹介されていたので、マイトルーヤもミラノに住んでいるのだろう。蛇足だが、彼の息子の名はフランチェスコ・ミンガス・マイトルーヤという。闘志的側面とサバけた趣味人の両面を持っていたジャズ巨人であるチャールズ・ミンガスから、その名を取っているのだろうか。
ギターを弾きながら歌う彼とリズム隊の音が重なる(ドラマーはコーラスをつけた)、本当にシンプルな設定によるパフォーマンス。良く言えば、剥き出し感のある、ハダカの歌、ともなるか。曲は新作『Return to Zooathalon』からのものが主。マイトルーヤは現在、自らの表現を“ポスト・ミレニアム・ロック”と称しているよう。本人のなかでは過去とは切れた所にある改名後の新しい表現という意識があるのかもしれないが、ボビー・ブランドがJBと出会ったようなしゃくり上げ歌唱は過去の彼の流れにあるものだし、曲は少し説明ぽくなったという変化はあるかもしれないが、それも新しい佇まいを持つものではない。
51歳になっちゃったと言っていたが、外見にそれほど劣化はない。身体はまだスリムだし、ブレイズ頭も禿げていないし。なんか、人懐こいチャーミングさが出て来ている部分はいいナと思える。彼は数曲でピアノを弾きながら歌ったが、ぼくの好みではこちらの方が澄んだ手触りと芯の強さが出るような感じがして、ずっといいと思った。というか、彼の半端にディストーションがかかったギター演奏がイマイチだったとも言えるのだが。当初、リズム隊は平均的な腕の人たちと感じて接していたが、マイトルーヤの単純な弾き語りに幅を加えているあたり、けっこう実力者かもと思えて来たりも。2人とも、ファンキーなノリのものをやるほうが光る。
久しぶりに接した彼の実演、想像を超えるものではなかった。だって、才能ある人だからね。でも、アーティストの業とかいろいろ考えさせられ、またマイトルーヤたる掛け替えのない何かが溢れる部分もあって、胸が一杯になってしまったのは確か。忙しいので、明日早起きして原稿にかかれるようにと素直に帰ろうと思っていたのだが、どうしても気持ちをチルさせたくて、途中下車しバーに寄ってしまう。
<今日の、もろもろ>
ステージに出てきた彼はマスクをしていた。おお、外国人でマスクをする人はめずらしい。そして、ステージに上がると、マスクをとる。そして、上出のごとし。ブルーノート東京は出演者に合わせて、出し物ごとに特製のカクテルを用意するのが常だが、1日限りの公演にもかかわらず、この日は2種類の特製カクテルをメニューに記載。なんと、マイトルーヤ自身が用意したレシピによるものだという。彼、そういう趣味、あるの? 偏屈なぼくはオトコがカクテルを頼むのはなんだかあと感じる人間であまり頼んだことないが(ドライな、ドライ・マティーニは例外。あと、メキシコ料理のときのフローズン・タイキリ、そしてカイピリーニャは別か。カイピリーニャは砂糖少な目と言って、ブラジル音楽関連のお店ではよくオーダーしている)、知人が頼んだものを一口いただく。それ、ジンジャエールやシナモン・スティックを用いたものだった。
パフォーマンスは歌詞を見ながらなされた。普段はあまり、ライヴをしていないのかな。ステージ裏や両端のヴィジョンにも、多くの曲で歌詞が映し出される。それ、日本人に向けてのサーヴィスか、それとも歌詞を大切にしたいことからくる所作なのか。ただし、彼の実演での歌と画面に映される歌詞がズレて、そんなに見ていたわけではないがイラっと来た。
演奏時間は90分をゆうに超えたはず。とにもかくにも、本人はとってもうれしそう。最後の曲はファンキーなリズム隊の演奏するリフにマイトルーヤが声を詠唱ぽく奔放にのせるものだったが、たまらずという感じで、テレンス・トレント・ダービー時代を彷彿とさせるようなコール&レスポンスを観客としたりもした。本編のショウの終わりのときとアンコールの行き来の際は、握手やハグを望まれるまま応える彼はほとんどピーボ・ブライソン(2012年1月30日、他)状態。この来日が、彼にいっそうの力を与えんことを。
彼のことは英国でデビューするかしないかの1987年初春にロンドンで見て(メイン・アクトはザ・コミュナーズ。当時、彼らは人気者だったので、会場はロイヤル・アルバート・ホールだった)、どこか異形の佇まいに度肝を抜かれ、その後、日本でも人気を獲得し1990年代前半の初来日ツアーの東京公演は確か日本武道館だったと記憶する。2度目の日本ツアーも日本武道館でショウが持たれたはずだが、そのときは渋谷・クラブクアトロでも公演が開かれ、ぼくはそちらでその勇士を見た。
そんな彼には2度インタヴューしたことがあって、その印象がまったく別であったのも印象深い。一度は『シンフォニー・オア・ダム』(1993年)リリースのときで、それはロンドンで。場所はソニーUKが用意した、お洒落なプチ・ホテルのスイートだった。彼は本当にもの静か(声も猫なで声で、ぼくはマイケル・ジャクソンを想起した。その様は、彼の回りだけ時間が止まっているようだった)で、新作をプロモーションする場であるのに、ジャンル分けをする音楽業界に失望し、引退したい、東洋に住みたいなんて話もしていた。そして、これまでと異なる音楽をやりたい意向ももらし、たとえば坂本龍一のような、という発言をしたとも記憶している。先に触れた初来日公演は確かその後で、そのホットな観客の反応に接し、それは彼を力づけると、ぼくはコブシを握ったんじゃなかったか。
そして、2度目の取材はマイトルーヤと改名した2001年で、その名で出したアルバム『ワイルドカード』をライセンスしたエイベックスが彼をプロモ来日させた際。そのときは、かなり吹っ切れた感じもあって、態度も快活。けっこう、ノリがあって盛り上がったことを覚えている。
とかなんとか、けっこうぼくにとってはひっかかりを持つアーティストであると言える。最初に取材したころには米国に戻っていて、2度目の取材のときは米国になじめずまたドイツ(NY生まれの彼は、軍で赴任したドイツで除隊し、そのまま欧州で活動をはじめ、デビューの機会を得た)に住んでいたと記憶する。その後、彼はイタリアに引っ越したとも伝えられ、ネットを中心にいろんな音を出していた。
南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ザ・ナッジ・ナッジと名付けられたバンドは、とっぽい白人のベーシストとドラマー。つまり、ショウは完全トリオで行われた。MCでサイドの2人は共にミラノ在住と紹介されていたので、マイトルーヤもミラノに住んでいるのだろう。蛇足だが、彼の息子の名はフランチェスコ・ミンガス・マイトルーヤという。闘志的側面とサバけた趣味人の両面を持っていたジャズ巨人であるチャールズ・ミンガスから、その名を取っているのだろうか。
ギターを弾きながら歌う彼とリズム隊の音が重なる(ドラマーはコーラスをつけた)、本当にシンプルな設定によるパフォーマンス。良く言えば、剥き出し感のある、ハダカの歌、ともなるか。曲は新作『Return to Zooathalon』からのものが主。マイトルーヤは現在、自らの表現を“ポスト・ミレニアム・ロック”と称しているよう。本人のなかでは過去とは切れた所にある改名後の新しい表現という意識があるのかもしれないが、ボビー・ブランドがJBと出会ったようなしゃくり上げ歌唱は過去の彼の流れにあるものだし、曲は少し説明ぽくなったという変化はあるかもしれないが、それも新しい佇まいを持つものではない。
51歳になっちゃったと言っていたが、外見にそれほど劣化はない。身体はまだスリムだし、ブレイズ頭も禿げていないし。なんか、人懐こいチャーミングさが出て来ている部分はいいナと思える。彼は数曲でピアノを弾きながら歌ったが、ぼくの好みではこちらの方が澄んだ手触りと芯の強さが出るような感じがして、ずっといいと思った。というか、彼の半端にディストーションがかかったギター演奏がイマイチだったとも言えるのだが。当初、リズム隊は平均的な腕の人たちと感じて接していたが、マイトルーヤの単純な弾き語りに幅を加えているあたり、けっこう実力者かもと思えて来たりも。2人とも、ファンキーなノリのものをやるほうが光る。
久しぶりに接した彼の実演、想像を超えるものではなかった。だって、才能ある人だからね。でも、アーティストの業とかいろいろ考えさせられ、またマイトルーヤたる掛け替えのない何かが溢れる部分もあって、胸が一杯になってしまったのは確か。忙しいので、明日早起きして原稿にかかれるようにと素直に帰ろうと思っていたのだが、どうしても気持ちをチルさせたくて、途中下車しバーに寄ってしまう。
<今日の、もろもろ>
ステージに出てきた彼はマスクをしていた。おお、外国人でマスクをする人はめずらしい。そして、ステージに上がると、マスクをとる。そして、上出のごとし。ブルーノート東京は出演者に合わせて、出し物ごとに特製のカクテルを用意するのが常だが、1日限りの公演にもかかわらず、この日は2種類の特製カクテルをメニューに記載。なんと、マイトルーヤ自身が用意したレシピによるものだという。彼、そういう趣味、あるの? 偏屈なぼくはオトコがカクテルを頼むのはなんだかあと感じる人間であまり頼んだことないが(ドライな、ドライ・マティーニは例外。あと、メキシコ料理のときのフローズン・タイキリ、そしてカイピリーニャは別か。カイピリーニャは砂糖少な目と言って、ブラジル音楽関連のお店ではよくオーダーしている)、知人が頼んだものを一口いただく。それ、ジンジャエールやシナモン・スティックを用いたものだった。
パフォーマンスは歌詞を見ながらなされた。普段はあまり、ライヴをしていないのかな。ステージ裏や両端のヴィジョンにも、多くの曲で歌詞が映し出される。それ、日本人に向けてのサーヴィスか、それとも歌詞を大切にしたいことからくる所作なのか。ただし、彼の実演での歌と画面に映される歌詞がズレて、そんなに見ていたわけではないがイラっと来た。
演奏時間は90分をゆうに超えたはず。とにもかくにも、本人はとってもうれしそう。最後の曲はファンキーなリズム隊の演奏するリフにマイトルーヤが声を詠唱ぽく奔放にのせるものだったが、たまらずという感じで、テレンス・トレント・ダービー時代を彷彿とさせるようなコール&レスポンスを観客としたりもした。本編のショウの終わりのときとアンコールの行き来の際は、握手やハグを望まれるまま応える彼はほとんどピーボ・ブライソン(2012年1月30日、他)状態。この来日が、彼にいっそうの力を与えんことを。
6年ぶりにリリースした新作『ひつじ雲』(朝日蓄音)をフォロウする、女性シンガー・ソングライターの単独ライヴ。渋谷・サラヴァ東京。2部制にて持たれ、新作収録曲はすべてやったよう。会場はびしっと椅子が並べられ、フル・ハウス。趣味の良い洋楽享受を日本語のポップスに昇華させる、この才人のパフォーマンスを見るのはいつ以来か。オネストで見たのは15年ぐらい前? でも、そんなに昔の印象はないかな。それは、シーンにおいて、もう一つのところに無理なく位置しているというイメージがあるためか。
ピアノやキーボードを弾きながら歌う彼女に加え、新作をプロデュースもしている高橋健太郎(ギター)ほか、レコーディングにも参加している人たちがサポート。バンドネオンの北村聡(2012年6月17日、他)、ベースの千ヶ崎学、ドラムの楠均という面々がつき、北村以外はときにコーラスも取る。このリズム隊、2人でキリンジのサポートをしているそうだが、心地いい質量感を持っていて、うなずく。一方、かなりうまくポップ・ミュージック傾向のバンド・サウンドと重なり、濡れた温もりを与えていた北村聡は半数強の曲で加わり、その際の朝日はすべてグランド・ピアノを弾く。北村とのデュオ曲もあれば、ピアノ弾き語り曲もあった。
コード使い/メロディの妙と日常への閃きある視点を有した詩作が、豊かな音楽享受を下敷きとするサウンドのもと、瑞々しく浮き上がる。生理的に、輝いていると思わせる部分もいろいろ。でもって、ライヴだとスティーリー・ダンぽい曲調と思わせられものもあり、それは高橋のギター演奏が時にそれっぽいことも一因か。それを認知し、<スティーリー・ダン+キュートな女性ポップ=朝日美穂>という説明もアリかとふと思って見ていたが、セカンド・ショウのほうは、あまりスティーリー・ダンぽいとは感じず。随所で耳をひく部分がある、しなやかなのに個を持つポップ表現であるのは変わりがないが。
音楽をする歓びが、きっちりあった公演。そして、その端々から、音楽を作る日常の正の機微も透けてみえるような気がした。別な言い方をすれば、自然で実のある音楽献身、音楽愛好に満ちる。そして、それはアルバムにもまぎれもなく流れるものだろう。現在ネットののみで販売されている『ひつじ雲』(ここ数年の間に作られ、録られた曲群が磨かれ、収められている)は、春が終わるとちゃんと店頭販売もされるようだ。
<今日、という日>
あったかい、満開。花見最適日。
ピアノやキーボードを弾きながら歌う彼女に加え、新作をプロデュースもしている高橋健太郎(ギター)ほか、レコーディングにも参加している人たちがサポート。バンドネオンの北村聡(2012年6月17日、他)、ベースの千ヶ崎学、ドラムの楠均という面々がつき、北村以外はときにコーラスも取る。このリズム隊、2人でキリンジのサポートをしているそうだが、心地いい質量感を持っていて、うなずく。一方、かなりうまくポップ・ミュージック傾向のバンド・サウンドと重なり、濡れた温もりを与えていた北村聡は半数強の曲で加わり、その際の朝日はすべてグランド・ピアノを弾く。北村とのデュオ曲もあれば、ピアノ弾き語り曲もあった。
コード使い/メロディの妙と日常への閃きある視点を有した詩作が、豊かな音楽享受を下敷きとするサウンドのもと、瑞々しく浮き上がる。生理的に、輝いていると思わせる部分もいろいろ。でもって、ライヴだとスティーリー・ダンぽい曲調と思わせられものもあり、それは高橋のギター演奏が時にそれっぽいことも一因か。それを認知し、<スティーリー・ダン+キュートな女性ポップ=朝日美穂>という説明もアリかとふと思って見ていたが、セカンド・ショウのほうは、あまりスティーリー・ダンぽいとは感じず。随所で耳をひく部分がある、しなやかなのに個を持つポップ表現であるのは変わりがないが。
音楽をする歓びが、きっちりあった公演。そして、その端々から、音楽を作る日常の正の機微も透けてみえるような気がした。別な言い方をすれば、自然で実のある音楽献身、音楽愛好に満ちる。そして、それはアルバムにもまぎれもなく流れるものだろう。現在ネットののみで販売されている『ひつじ雲』(ここ数年の間に作られ、録られた曲群が磨かれ、収められている)は、春が終わるとちゃんと店頭販売もされるようだ。
<今日、という日>
あったかい、満開。花見最適日。
菊地成孔pepe tormento azucarar
2013年3月26日 音楽 旧東急文化会館跡地にできた商業ビルの渋谷ヒカリエ内作られた東急シアターオーブで<JAZZ WEEK TOKYO 2013>という帯のジャズ系イヴェントが先週金曜日から開かれていて、これは5番目の出演者となる。
会場はクラシック用途も考慮した、2000人弱収容のそれ。11階から数階ぶんのスペースをとって贅沢に作られており、けっこうガラスばりの会場のホワイエなどからは、とっても魅惑的な夜景が広がる。あ、オレは高い所と夜景が好きなんだと、再認識した。ぼくの隣席に座っていたポーランド人青年がここの夜景は素晴らしい、NYのリンカー・センターもびっくり、と言っていた。六本木のビルボードライブ東京というハコはリンカーン・センターのザ・アレン・ルームと似たを作りだよと、教えてあげる。ここにも、そういう会場を併設したら良かったのにナ。入り口階はとっても広いスペースをとるなど、相当に余裕ある作りを取っているだけに。蛇足だが、ここの場内のバーは、ビールはハートランドを瓶で販売。グラスは配らず(要求されたら、出すのだろうけど)、乱暴に瓶のラッパ飲みすることを推奨しているよう。それには、好感を持つ。
菊地成孔(2011年5月5日、他)の、デカダンとか官能とか洗練とかをたっぷり抱えるこの大所帯ユニットを見るのは、8年ぶり(2005年6月9日)。大儀見元(2011年1月21日、他)と田中倫明の2人のラテン打楽器、ピアノやウッド・ベース(鳥越啓介。2003年3月6日、他)やハープやバンドネオン、ストリング・カルテットという内訳の10人に、各種サックスをときに吹いて、指揮(CDJも少し扱う)をする菊地が加わる。また、曲によってはオペラ歌手の林正子、さらにヒップホップ・ユニットのSIMI LABの中心メンバーであるOMSBとDyyPRIDEがラップや語りで重なる。
といった、参加ミュージシャンの羅列だけでも、キューバン・ラテン、タンゴ、ジャズ、クラシック、ヒップホップなどいろいろな音楽要素を、菊地は編集感覚を介した行き方で執拗に交錯させていく。その多彩さは、ときに子供っぽいと感じもするが、なかなかに壮絶。そして、クラシック的歌唱(ほとんど触れたことはないが、ぼくはかなり苦手意識を持っている)をなんら違和感なく重ねているのには驚く。スケールあるなと思った。
しかしながら、公演中にぼくが一番いいと感じたのは、後半に菊地が披露した歌唱。かつて持っていたスパンク・ハッピー(2002年11月30日)をはじめ、彼の歌には何度か触れ、それは“外しの感覚を持つ余芸”と感じていたが、この晩の彼の澄んだ情緒をおおいに持つヴォーカルにはマジな歌としてグっと来た。自分は歌いたいという意思、歌いたいことがあるという必然性を持つ、いい歌い手じゃないか! なんか、それ以降、ぼくの目には中央に立つ彼が70%増しでカッコ良く見えるようになったし、この晩のパフォーマンスが魅力的に思えたのはまぎれもない事実なのだ。もっと、彼の歌を聞きたいっ。やはり、まっすぐな歌やダンスの力は偉大なのである。
<今日の、郵便物>
家のポストを覗くと、ドイツからの郵便物あり。現在ベルリンにも拠点を置いている藤井郷子さんから、彼女がいろいろと持っているユニットのなかの一つであるカルテット、MA-DO(2010年1月9日)の新作『time stands still』(Nottwo)が封入されている。メンバーの是安則克(べース)は2011年9月に亡くなってしまったので、これが同バンドの最終作になるのかな。あっち側を真摯に見つめる、嵐と詩情をいろいろ抱えた集団表現作だ。パッケージに張ってあるスタンプを見ると、郵送料は3,45ユーロ。ありゃ、日本国内宅急便と変わらない。で、発売元は前作と同様に、ポーランドのレーベル。上でちらりと触れた、初来日のトルケイヴィッチ君はポーランドのジャズ・フェス“jazztopad”のディレクターを勤めていて、知識と見識を持ち、英語が上手い。知人のお誘いで、公演を見た後に一緒にお寿司を食べたりもしたのだが(彼があちらで作っている巻モノや握りの写真を見て、その完成度の高さにびっくり)、ポーランドのジャズ界にとても興味をひかれた1日でもあった。
会場はクラシック用途も考慮した、2000人弱収容のそれ。11階から数階ぶんのスペースをとって贅沢に作られており、けっこうガラスばりの会場のホワイエなどからは、とっても魅惑的な夜景が広がる。あ、オレは高い所と夜景が好きなんだと、再認識した。ぼくの隣席に座っていたポーランド人青年がここの夜景は素晴らしい、NYのリンカー・センターもびっくり、と言っていた。六本木のビルボードライブ東京というハコはリンカーン・センターのザ・アレン・ルームと似たを作りだよと、教えてあげる。ここにも、そういう会場を併設したら良かったのにナ。入り口階はとっても広いスペースをとるなど、相当に余裕ある作りを取っているだけに。蛇足だが、ここの場内のバーは、ビールはハートランドを瓶で販売。グラスは配らず(要求されたら、出すのだろうけど)、乱暴に瓶のラッパ飲みすることを推奨しているよう。それには、好感を持つ。
菊地成孔(2011年5月5日、他)の、デカダンとか官能とか洗練とかをたっぷり抱えるこの大所帯ユニットを見るのは、8年ぶり(2005年6月9日)。大儀見元(2011年1月21日、他)と田中倫明の2人のラテン打楽器、ピアノやウッド・ベース(鳥越啓介。2003年3月6日、他)やハープやバンドネオン、ストリング・カルテットという内訳の10人に、各種サックスをときに吹いて、指揮(CDJも少し扱う)をする菊地が加わる。また、曲によってはオペラ歌手の林正子、さらにヒップホップ・ユニットのSIMI LABの中心メンバーであるOMSBとDyyPRIDEがラップや語りで重なる。
といった、参加ミュージシャンの羅列だけでも、キューバン・ラテン、タンゴ、ジャズ、クラシック、ヒップホップなどいろいろな音楽要素を、菊地は編集感覚を介した行き方で執拗に交錯させていく。その多彩さは、ときに子供っぽいと感じもするが、なかなかに壮絶。そして、クラシック的歌唱(ほとんど触れたことはないが、ぼくはかなり苦手意識を持っている)をなんら違和感なく重ねているのには驚く。スケールあるなと思った。
しかしながら、公演中にぼくが一番いいと感じたのは、後半に菊地が披露した歌唱。かつて持っていたスパンク・ハッピー(2002年11月30日)をはじめ、彼の歌には何度か触れ、それは“外しの感覚を持つ余芸”と感じていたが、この晩の彼の澄んだ情緒をおおいに持つヴォーカルにはマジな歌としてグっと来た。自分は歌いたいという意思、歌いたいことがあるという必然性を持つ、いい歌い手じゃないか! なんか、それ以降、ぼくの目には中央に立つ彼が70%増しでカッコ良く見えるようになったし、この晩のパフォーマンスが魅力的に思えたのはまぎれもない事実なのだ。もっと、彼の歌を聞きたいっ。やはり、まっすぐな歌やダンスの力は偉大なのである。
<今日の、郵便物>
家のポストを覗くと、ドイツからの郵便物あり。現在ベルリンにも拠点を置いている藤井郷子さんから、彼女がいろいろと持っているユニットのなかの一つであるカルテット、MA-DO(2010年1月9日)の新作『time stands still』(Nottwo)が封入されている。メンバーの是安則克(べース)は2011年9月に亡くなってしまったので、これが同バンドの最終作になるのかな。あっち側を真摯に見つめる、嵐と詩情をいろいろ抱えた集団表現作だ。パッケージに張ってあるスタンプを見ると、郵送料は3,45ユーロ。ありゃ、日本国内宅急便と変わらない。で、発売元は前作と同様に、ポーランドのレーベル。上でちらりと触れた、初来日のトルケイヴィッチ君はポーランドのジャズ・フェス“jazztopad”のディレクターを勤めていて、知識と見識を持ち、英語が上手い。知人のお誘いで、公演を見た後に一緒にお寿司を食べたりもしたのだが(彼があちらで作っている巻モノや握りの写真を見て、その完成度の高さにびっくり)、ポーランドのジャズ界にとても興味をひかれた1日でもあった。
エグベルト・ジスモンチ+アレシャンドレ・ジスモンチ
2013年3月27日 音楽 前日に続いて、渋谷・東急シアターオーブで開かれている、<JAZZ WEEK TOKYO 2013>の一出し物。最終日となるこの晩の出演者は、ブラジルの異才にして音楽偉人であるエグベルト・ジスモンチ(2008年7月3日)と、息子のアレシャンドレ・ジスモンチ。ヒッピーじじい風情の父親に対して、息子の見てくれはお行儀良い真面目青年そのもの。その対比は、コンサート後の知人たちとの飲みの席でも話題に上った。会場では知り合いといろいろと遭遇、ブラジル音楽ファンはもちろん、ジャズの聞き手やプログ・ロックの愛好者、そしてプロの演奏者まで、いろいろ。そして、その事実は彼の素敵を語るものにほかならない。
パフォーマンスは2部制にて。1部は、10弦のギターを持つエグベルトと、普通のガット・ギターを持つアレシャンドレのデュオ演奏。父親の演奏はときに、ビリンバウを想起させるような感じのときも。うなずく。途中で、息子は2曲、ソロ演奏のパートも与えられる。新種のブラジリアン・ジャズと言えそうなリーダー作を持つ彼だが、クラシック音楽教育も受けた人なんだろうな。2人、譜面などは一切置かず、とてもナチュラルに、精緻なのにおいしい棘や凸凹も要所で持つギター共演を披露。ECMから2009年にリリースされている『Saudações』はアレシャンドルとキューバの女性室内弦楽グループのカメラータ・ロメウとジスモンチ三者連名のアルバムで、エグベルド曲を素材にクラシックから南米音楽までを自在に横切る現代感覚にも富むインストメンタル作だ。
2部は御大のみが登場、12弦ギター演奏を2曲、ピアノ・ソロ演奏は3曲。その後は、ピアノとガット・ギターの父子デュオとなり3曲やる。さらに、アンコールも1曲。ぼくはエグベルトのギター演奏よりもピアノ演奏により魅力を感じる者で、よりセカンド・セットのほうに身を乗り出す。そのピアノ・ソロの2曲目はストラヴィンスキー曲をどこか想起させるような開き方をしていたかも。まあ、ほとんどクラシックを聞かない(そんななか、ストラヴィンスキーはほんの少し例外)ぼくであるので、この項、軽く流してくださいナ。作曲家である事と即興演奏家であることが自由に綱引き、かついろんなな音楽様式をワープする形で、どこにも属さないような有機的演奏が場内に満ちる様はやはり絶品なり。いやはや、であります。
<今日の、捨て身の応援>
ばくが世界で一番好きなラッパーである、下町兄弟の『LIFE IS HELL』(SHIBAURA RECORDS TSR-112)が出る。タイトル曲を含む2曲、そしてそのヴァージョンからなる全10曲入り。タイトル曲はちょいエスノな、ファンキーなシンセ音もいけてる新機軸曲。やっぱ、ビートの感覚/グルーヴが内在しまくる早口フロウはカッコよすぎ。肉感的な喉力、抜群! それについては、やはり日本で一番だと思う。皆、きいてきいてきいて。4月1日発売、当人のHPほか(試聴できます)、アマゾンやタワーやHMVなどで買う事が可能なよう。
パフォーマンスは2部制にて。1部は、10弦のギターを持つエグベルトと、普通のガット・ギターを持つアレシャンドレのデュオ演奏。父親の演奏はときに、ビリンバウを想起させるような感じのときも。うなずく。途中で、息子は2曲、ソロ演奏のパートも与えられる。新種のブラジリアン・ジャズと言えそうなリーダー作を持つ彼だが、クラシック音楽教育も受けた人なんだろうな。2人、譜面などは一切置かず、とてもナチュラルに、精緻なのにおいしい棘や凸凹も要所で持つギター共演を披露。ECMから2009年にリリースされている『Saudações』はアレシャンドルとキューバの女性室内弦楽グループのカメラータ・ロメウとジスモンチ三者連名のアルバムで、エグベルド曲を素材にクラシックから南米音楽までを自在に横切る現代感覚にも富むインストメンタル作だ。
2部は御大のみが登場、12弦ギター演奏を2曲、ピアノ・ソロ演奏は3曲。その後は、ピアノとガット・ギターの父子デュオとなり3曲やる。さらに、アンコールも1曲。ぼくはエグベルトのギター演奏よりもピアノ演奏により魅力を感じる者で、よりセカンド・セットのほうに身を乗り出す。そのピアノ・ソロの2曲目はストラヴィンスキー曲をどこか想起させるような開き方をしていたかも。まあ、ほとんどクラシックを聞かない(そんななか、ストラヴィンスキーはほんの少し例外)ぼくであるので、この項、軽く流してくださいナ。作曲家である事と即興演奏家であることが自由に綱引き、かついろんなな音楽様式をワープする形で、どこにも属さないような有機的演奏が場内に満ちる様はやはり絶品なり。いやはや、であります。
<今日の、捨て身の応援>
ばくが世界で一番好きなラッパーである、下町兄弟の『LIFE IS HELL』(SHIBAURA RECORDS TSR-112)が出る。タイトル曲を含む2曲、そしてそのヴァージョンからなる全10曲入り。タイトル曲はちょいエスノな、ファンキーなシンセ音もいけてる新機軸曲。やっぱ、ビートの感覚/グルーヴが内在しまくる早口フロウはカッコよすぎ。肉感的な喉力、抜群! それについては、やはり日本で一番だと思う。皆、きいてきいてきいて。4月1日発売、当人のHPほか(試聴できます)、アマゾンやタワーやHMVなどで買う事が可能なよう。
元フェアフランド・アトラクションの精気に満ちた自然体スコティッシュ・シンガー(2002年3月20日)の来日公演は、前回(2009年9月10日)と同様のもの。ブー・ヒューワディーン(1999年6月8日、他)やトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のギター奏者でもあるジョン・ダグラス(今回、私の旦那よ、と彼女は紹介)、他にはギター、アイルランド出身のアコーディオン、ウッド・ベース。ほんと、和気あいあいの図。前回と比すと、今回はドラムレスで、ギター奏者が一人増えた。
それにしても、リーダーさんはいやはや、本当に乱暴というか、ざっくばらんな人だな。歌詞が書かれた(コピーされた?)B5の紙を無造作に丸めて入れてあるコンビニ風ビニール袋を手にステージに出て来て、雑に床に置いた〜でも、それを見ていなかったような〜のをはじめ。ま、毎度のファンは多いはずで、そうそうそれが彼女といった感じで笑いが広がるわけだが。
だが、そんな人ゆえ、どんなときでも、この人の歌唱は自分と直結した、嘘偽りない、自然体の所作であるんだろうなとも思わせるわけだ。そして、そんなことはフェアグランド・アトラクション時代から変わらない事であり、だからこそ、昔と今の落差も少ないとも……。エディ・リーダーはギターや小さなアコーディオンを手にして、歌うときもアリ。つまりは、多いときは生ギターを持つ人間が4人並ぶわけだが、彼女がギターを持つときは旦那はウクレレを弾くことのほうが多かった。スコットランドのトラッドも何曲か、いろいろな英国土着表現の襞が透けて見え、いい感じ。伴奏陣も含蓄と含みあり。なんか途中で、ロニー・レインのスリム・チャンスもこんな感じのときもあったのかなあと、ぼくは少し夢想した。
魅力ある歌を歌える、いい性格でもあるシンガーと、その仲間達による、英国北方感覚も持つのしなやかショウ。六本木・ビルボードライブ東京、ファース・トショウ。
<今日の、それから>
ライヴの後、恵比寿のリキッドルームの入り口階(2階)の奥の展示スペースで26日からやっているクラーク志織さんの個展「Spark!! -Shiori Clark Print Market-」に顔を出す。ぼくのフェイスブック(なんもやってないけど)の絵は彼女が描いたもの。現在ロンドンに居住していて、絵だけでなく、スカーフやタイツなども作っており、展示販売もしていた。朝日美穂(2013年3月23日)の新作『ひつじ雲』のジャケットの絵も彼女が描いていて、その販売も。
その後は、花見会合流。何気に、派手にやっていてびっくり。天気予報50%確率の雨は降らずに良かったが、寒さには少し震える。それは毎年のこと、まったく。桜もだいぶ散ってきたな。。。。。
それにしても、リーダーさんはいやはや、本当に乱暴というか、ざっくばらんな人だな。歌詞が書かれた(コピーされた?)B5の紙を無造作に丸めて入れてあるコンビニ風ビニール袋を手にステージに出て来て、雑に床に置いた〜でも、それを見ていなかったような〜のをはじめ。ま、毎度のファンは多いはずで、そうそうそれが彼女といった感じで笑いが広がるわけだが。
だが、そんな人ゆえ、どんなときでも、この人の歌唱は自分と直結した、嘘偽りない、自然体の所作であるんだろうなとも思わせるわけだ。そして、そんなことはフェアグランド・アトラクション時代から変わらない事であり、だからこそ、昔と今の落差も少ないとも……。エディ・リーダーはギターや小さなアコーディオンを手にして、歌うときもアリ。つまりは、多いときは生ギターを持つ人間が4人並ぶわけだが、彼女がギターを持つときは旦那はウクレレを弾くことのほうが多かった。スコットランドのトラッドも何曲か、いろいろな英国土着表現の襞が透けて見え、いい感じ。伴奏陣も含蓄と含みあり。なんか途中で、ロニー・レインのスリム・チャンスもこんな感じのときもあったのかなあと、ぼくは少し夢想した。
魅力ある歌を歌える、いい性格でもあるシンガーと、その仲間達による、英国北方感覚も持つのしなやかショウ。六本木・ビルボードライブ東京、ファース・トショウ。
<今日の、それから>
ライヴの後、恵比寿のリキッドルームの入り口階(2階)の奥の展示スペースで26日からやっているクラーク志織さんの個展「Spark!! -Shiori Clark Print Market-」に顔を出す。ぼくのフェイスブック(なんもやってないけど)の絵は彼女が描いたもの。現在ロンドンに居住していて、絵だけでなく、スカーフやタイツなども作っており、展示販売もしていた。朝日美穂(2013年3月23日)の新作『ひつじ雲』のジャケットの絵も彼女が描いていて、その販売も。
その後は、花見会合流。何気に、派手にやっていてびっくり。天気予報50%確率の雨は降らずに良かったが、寒さには少し震える。それは毎年のこと、まったく。桜もだいぶ散ってきたな。。。。。