シュギー・オーティス。渡辺貞夫カルテット
2013年4月1日 音楽 父親のジョニ−・オーティス(1921年〜2012年)はギリシャ系(ようは、白人ですね)米国人ながら、西海岸ジャンプ・ブルース/R&B作りの大才人。マルチ系プレイヤー、コンポーザー、バンド・リーダー、タレント・スカウトなど多方で才を発揮した人物で、シュギー・オーティス(1953年生まれ)はその息子さんであり、アフリカ系とのミックスだ。まだ10代だった1969年には天才ブルース・ギタリストという触れ込みでアル・クーパー(2007年12月10日)との双頭リーダー作『クーパー・セッション』(コロムビア)をリリースし、翌年にエピックとソロ契約。同社発の3作目であるスライ・ストーン(2010年1月20日、他)的な部分も持つ虚脱系グルーヴ・ポップ作『インスピレーション・インフォメーション』はその表現を買うデイヴッド・バーン(2009年1月27日)が自身のルアカ・バップ・レーベルを通して2001年に再発したこともある。同作はソニー/レガシーが1970年代から2000年にかけての未発表曲集『ウィングス・オブ・ラヴ』を伴う2枚組で再リリース、それはちゃんと日本盤も来月に出る。
1970年代前半に3作品をリリースしたあと、彼は沈黙。ながら、先に触れたデイヴィッド・バーンをはじめ、スライ・ストーン的な揺れや(1970年代中期以降の)ギル・スコット・ヘロン的な俯瞰感覚を持つ彼のメロウ表現は知る人ぞ知るという感じで愛好されて来ており、ザ・ブラザーズ・ジョンソンはオーティスのセカンド作収録の「ストロベリー・レター23」を1977年にカヴァーし、R&Bチャート1位を獲得。また、ビヨンセ(2006年9月4日、他)は彼の曲をサンプリングしたのだろう、2003年曲「ギフト・フロム・ヴァーゴ」をオーティスとの共作で登録している。そんなこともあり、彼はなんもしていなくても印税は得ていたと思われる。
ずっと人前に出る事がなかったオーティスではあったが(六本木ピットインで、彼の情けないパフォーマンスを見たという先輩あり。渡米前の山岸潤史〜2012年9月8日、他〜やバーナード・パーディが〜2012年6月19日、他〜一緒だったと、彼は言う)、唐突に昨年秋から大々的にライヴ活動をするようになり、今回は豪州のバイロン・ベイのフェスに出た帰りに日本にも寄った。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まず、ちゃんと管(トランペット、バリトン・サックス/フルート、テナー・サックス)付きのバンドを率いているのに、かるく驚く。当人を含めて、全8人編成。でもって、オーティス本人の風体にほうっ。痩身、けっこう薬に溺れていたとは思えない精悍な顔つきというのはともかく、王子様のようなシャツとブーツという出で立ち。感じとしては、モノトーン色でまとめたプリンス(少し前の)。こんな感じの人であったのか。また、驚かされたのは、かつてはとっても猫なで声だった(それを聞くと、ぼくはアート・リンゼイ〜2011年6月8日、他〜のヴォーカルを思い出す)はずの歌声がかなり声量が増してたこと。とはいえ、けっこう音痴で、それに関しても、かつてよりパワー・アップ。おそらく、今年接する実演のなかで、彼は一番歌声が不確かな人となるのではないか。
もともと歌は上手じゃないのは分っていたので、それに関しては別に失望を覚えず。バンドも一緒に回っているはずの人たちなはずだが、合格点のサポートの域までは行かず。どこか、ピリっとしない。だから、往年のメロウ・グルーヴ曲をやってもいまいちその妙味は伝わりづらいとも書けるのだが、俺はシュギー・オーティスという数奇な有色才人のブラックホール的なもやもや/常人には窺い知れない音楽人生〜業に触れているのだという所感はおおいに得るわけで、なんか見ていて、不思議な達成感のようなものをぼくは得た。
中盤より少し後の3曲は純ブルース曲。やはり、それが根っこにある? このときは、歌もギター演奏もより太くなる。アンコールは「ストロベリー・レター23」、最後のほうはかなり出音が大きくなっていた。
その後は、南青山・ブルーノート東京に移って、ヴェテラン日本人のジャズ・スターと在NYの若手奏者たちとのお手合わせライヴを見る。今にはじまったことではないが、渡辺貞夫は若い才との出会い、そこから起きる活き活きした音楽的成果の獲得を心から楽しんでいて、まったくレコーディングとは関係のないこの顔合わせ(この4月にリリースされる新作は、ブラジル人奏者/歌手とのリオデジャネイロ録音)もその流れにある。なんでも、けっこう彼はPCを通して若い奏者のチェックに余念がないようだ。そんな彼はこの6月には、この晩とは別の米国人若手奏者たちとブルーノートNY3日間出演を含む米国数カ所のライヴをすることにもなっている。
2011年7月のライヴ(2011年7月4日)で呼んでいるピアノのアーロン・ゴールドバーグ(2012年6月8日)、渡辺貞夫の近2作に録音参加するとともに今やパット・メセニーの現ワーキング・グループの正メンバーになってしまった縦ベースのベン・ウィリアムズ(2012年3月3日〜4、他)、ジャッキー・テラソン(2013年2月8日)の4年前の来日公演(2009年5月18日)やパット・メセニーのジャカルタ公演(2012年3月3日〜4、他)でベン・ウィリアムズとコンビを組んでいるドラマーのジャマイア・ウィリアムズという3人がアルト・サックスの御大をサポート。彼はこの2月で80歳になったようだが、全く元気。アルトの音色も奇麗だし、本当にのれているという感想を抱く。
演奏した曲のなかでは、チャールズ・ミンガスの屈強曲「ブギー・ストップ・シャッフル」には少し驚く。これは、若手とのやりとりの息吹を明快に出したくて取り上げた? いい感じで飛ばしていた貞夫さんだった。
<今日の、盛り下がり>
ここ3日間、また寒い。今日は流れたバーから出たときは、雨がちらついていたりして、なかなかに悲しい。一気に春が遠のいたキブン? 夕方から外に出たからかもしれないが、今日からピカピカの新学期という感じもしないな。エイプリル・フールの嘘もぼくの回りではなんも出回っていない。けっこう遊びゴコロを持つのは好きだけど、ぼくも4月1日用の特別嘘を用意したことは(ここんとこ、ずっと)ないかなあ。なんか、万が一誤解を与えることを考慮すると、日常の他愛ない戯れ言で十分かと。
1970年代前半に3作品をリリースしたあと、彼は沈黙。ながら、先に触れたデイヴィッド・バーンをはじめ、スライ・ストーン的な揺れや(1970年代中期以降の)ギル・スコット・ヘロン的な俯瞰感覚を持つ彼のメロウ表現は知る人ぞ知るという感じで愛好されて来ており、ザ・ブラザーズ・ジョンソンはオーティスのセカンド作収録の「ストロベリー・レター23」を1977年にカヴァーし、R&Bチャート1位を獲得。また、ビヨンセ(2006年9月4日、他)は彼の曲をサンプリングしたのだろう、2003年曲「ギフト・フロム・ヴァーゴ」をオーティスとの共作で登録している。そんなこともあり、彼はなんもしていなくても印税は得ていたと思われる。
ずっと人前に出る事がなかったオーティスではあったが(六本木ピットインで、彼の情けないパフォーマンスを見たという先輩あり。渡米前の山岸潤史〜2012年9月8日、他〜やバーナード・パーディが〜2012年6月19日、他〜一緒だったと、彼は言う)、唐突に昨年秋から大々的にライヴ活動をするようになり、今回は豪州のバイロン・ベイのフェスに出た帰りに日本にも寄った。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まず、ちゃんと管(トランペット、バリトン・サックス/フルート、テナー・サックス)付きのバンドを率いているのに、かるく驚く。当人を含めて、全8人編成。でもって、オーティス本人の風体にほうっ。痩身、けっこう薬に溺れていたとは思えない精悍な顔つきというのはともかく、王子様のようなシャツとブーツという出で立ち。感じとしては、モノトーン色でまとめたプリンス(少し前の)。こんな感じの人であったのか。また、驚かされたのは、かつてはとっても猫なで声だった(それを聞くと、ぼくはアート・リンゼイ〜2011年6月8日、他〜のヴォーカルを思い出す)はずの歌声がかなり声量が増してたこと。とはいえ、けっこう音痴で、それに関しても、かつてよりパワー・アップ。おそらく、今年接する実演のなかで、彼は一番歌声が不確かな人となるのではないか。
もともと歌は上手じゃないのは分っていたので、それに関しては別に失望を覚えず。バンドも一緒に回っているはずの人たちなはずだが、合格点のサポートの域までは行かず。どこか、ピリっとしない。だから、往年のメロウ・グルーヴ曲をやってもいまいちその妙味は伝わりづらいとも書けるのだが、俺はシュギー・オーティスという数奇な有色才人のブラックホール的なもやもや/常人には窺い知れない音楽人生〜業に触れているのだという所感はおおいに得るわけで、なんか見ていて、不思議な達成感のようなものをぼくは得た。
中盤より少し後の3曲は純ブルース曲。やはり、それが根っこにある? このときは、歌もギター演奏もより太くなる。アンコールは「ストロベリー・レター23」、最後のほうはかなり出音が大きくなっていた。
その後は、南青山・ブルーノート東京に移って、ヴェテラン日本人のジャズ・スターと在NYの若手奏者たちとのお手合わせライヴを見る。今にはじまったことではないが、渡辺貞夫は若い才との出会い、そこから起きる活き活きした音楽的成果の獲得を心から楽しんでいて、まったくレコーディングとは関係のないこの顔合わせ(この4月にリリースされる新作は、ブラジル人奏者/歌手とのリオデジャネイロ録音)もその流れにある。なんでも、けっこう彼はPCを通して若い奏者のチェックに余念がないようだ。そんな彼はこの6月には、この晩とは別の米国人若手奏者たちとブルーノートNY3日間出演を含む米国数カ所のライヴをすることにもなっている。
2011年7月のライヴ(2011年7月4日)で呼んでいるピアノのアーロン・ゴールドバーグ(2012年6月8日)、渡辺貞夫の近2作に録音参加するとともに今やパット・メセニーの現ワーキング・グループの正メンバーになってしまった縦ベースのベン・ウィリアムズ(2012年3月3日〜4、他)、ジャッキー・テラソン(2013年2月8日)の4年前の来日公演(2009年5月18日)やパット・メセニーのジャカルタ公演(2012年3月3日〜4、他)でベン・ウィリアムズとコンビを組んでいるドラマーのジャマイア・ウィリアムズという3人がアルト・サックスの御大をサポート。彼はこの2月で80歳になったようだが、全く元気。アルトの音色も奇麗だし、本当にのれているという感想を抱く。
演奏した曲のなかでは、チャールズ・ミンガスの屈強曲「ブギー・ストップ・シャッフル」には少し驚く。これは、若手とのやりとりの息吹を明快に出したくて取り上げた? いい感じで飛ばしていた貞夫さんだった。
<今日の、盛り下がり>
ここ3日間、また寒い。今日は流れたバーから出たときは、雨がちらついていたりして、なかなかに悲しい。一気に春が遠のいたキブン? 夕方から外に出たからかもしれないが、今日からピカピカの新学期という感じもしないな。エイプリル・フールの嘘もぼくの回りではなんも出回っていない。けっこう遊びゴコロを持つのは好きだけど、ぼくも4月1日用の特別嘘を用意したことは(ここんとこ、ずっと)ないかなあ。なんか、万が一誤解を与えることを考慮すると、日常の他愛ない戯れ言で十分かと。
昨年米国でブレイクした、新進ブルー・アイド・ソウルの担い手(1987年、ワシントン州生まれ。確かに、若い顔つきナリ〜)の初来日公演。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。無造作な格好、もうちっとカッコ付けてぇとも思ったが、メロウ傾向ソウル愛を下敷きにする自然体実演をちゃんと見せた。
自作(曲)派だが、カヴァーも2曲。ボブ・マーリーの「イズ・ディス・ラヴ」と、ルーファスの「テル・ミー・サムシング・グッド」。後者のストーンの歌い口に触れて、この曲はスティーヴィー・ワンダーがルーファスのセカンド作用に書き下ろした曲であるのを思い出す。ストーンくん、そうとうワンダーの真似をしてきたんだろうナ、ふふふ。
バンドはギター(単音によるギター・ソロがぼくは少しイヤだった)、ベース、キーボード2人(うち、コーラスも付けたアフリカ系の奏者はカーティス・メイフィールドを意識したようなルックス)、ドラム(叩ける人)という陣容。ショウの出だしはベーシストを筆頭に、1人づつステージに上がり演奏し、どんどんバンドの音になっていくという設定。ストーンは基本ステージ中央で歌に専念したが、一部はアコースティック・ギターを持つ場合も。1曲は弾き語りで歌った。
<今日の、ふと……>
そろそろ、針をかえたほうがいいかにゃー。いや、本当のところは、アナログ・プレイヤーを変えたくなったんだが。
自作(曲)派だが、カヴァーも2曲。ボブ・マーリーの「イズ・ディス・ラヴ」と、ルーファスの「テル・ミー・サムシング・グッド」。後者のストーンの歌い口に触れて、この曲はスティーヴィー・ワンダーがルーファスのセカンド作用に書き下ろした曲であるのを思い出す。ストーンくん、そうとうワンダーの真似をしてきたんだろうナ、ふふふ。
バンドはギター(単音によるギター・ソロがぼくは少しイヤだった)、ベース、キーボード2人(うち、コーラスも付けたアフリカ系の奏者はカーティス・メイフィールドを意識したようなルックス)、ドラム(叩ける人)という陣容。ショウの出だしはベーシストを筆頭に、1人づつステージに上がり演奏し、どんどんバンドの音になっていくという設定。ストーンは基本ステージ中央で歌に専念したが、一部はアコースティック・ギターを持つ場合も。1曲は弾き語りで歌った。
<今日の、ふと……>
そろそろ、針をかえたほうがいいかにゃー。いや、本当のところは、アナログ・プレイヤーを変えたくなったんだが。
ダンス・レザブル+田中悠美子。アラマーイルマン・ヴァサラット
2013年4月7日 音楽 爆弾低気圧のため大荒れだった土曜日を経て、風は強いものの好天の日曜、スカンジナヴィア圏の演奏者にいろいろと触れる。
まず、渋谷・公園通りクラシックスで、ECM契約グループであるダンス・レザブル(Dans Les Arbres)のギグを見る。ピアノ、クラリネット、電気ギターやバンジョー、打楽器という編成で、ノルウェイ人2、ノルウェイ/オーストリアのミックス、フランス人という内訳。実演が始まる前、小物がいろいろと置いていたりもする楽器関連セッティングを見て(なんか、楽しくもなる)も、これは普通のジャズ系グループではないと思わされたか。この日の公演は三味線の田中悠美子(彼女は坂田明〜2013年1月12日、他〜の『平家物語』の録音/実演に関与している)を加えてのもので、彼女は対等な演奏者という形で最初から最後まで演奏に加わる。
で、音が出始めると、CDでおおまかなノリは知っていたものの、そうかそうかとおおきく頷く。まず、みんな素直な楽器音を出さずに、従来の楽器奏法から大きく離れたやり方で、その楽器固有の音色とはおおいに異なる音を出す。ピアノはプリペアド多様だし、弦楽器奏者はエフェクターをつなぐとともに小物で弦を押さえたりはじいたしするし、バカでかい太鼓その他の打楽器奏者も細やか&イマジネイティヴなアクセント/状況設定音を自己流儀のもと繰り出す。それらは、明快に彼らの自在なスタンスや美意識を映し出す。
でもって、多少のモチーフはあるのかもしれないが、基本インプロヴィゼーションによる楽器音の呼応は静的にして、柔らか。なんなんだ、この抑制の美は! そのナチュラルな音群は、木々のざわめきや水のせせらぎのようなもの……少し誇張して言えば。ああ、この世でもっとも聞く者にストレスを感じさせないインプロ表現?
そんな演奏なわけで、最初は田中の音数が多すぎる(音も、他の人たちより少しデカく聞こえた)と感じもしたが、ずっとやっている4人に難なく重なっていたのはすごい。過去に共演歴があるのだろうが、問題なく加わっていたよな。彼女もまるで本来の奏法からは慣れた音響音発生装置として三味線を用いるわけだが(呼称は恥ずかしながら知らないが、和の小さな鍵盤系楽器も一部用いた)、その端々から、まっとうなクラシック教育享受や伝統和音楽研鑽を経ての飛躍であると思わせる確かさも抱えていたか。
かようにみんな楽器本来の使い方をしていなかったわけだが、クラリネット奏者だけは別。彼はノーマイクで普通に吹く事だけで多様な情緒を持つクラリネット音を出し、他の音に溶け込んでいて、うなる。うぬ、実力者だな。ま、高力量であるは他の人たちも同じ。ちゃんと楽器や音楽の“正”の部分を知りつつ、それを秀でた発想のもと一度ごわさんにした上で、音を漂わせ、共振させる様は滅茶格好よい。いやあ興味深い、うわあ瑞々しい、うひょう楽しい。
本編は、1時間ぐらいの文様を思うまま描く。アンコールはもう少し語調の強いものを10分ぐらいやったか。そのとき、田中は長唄みたいな歌も入れた。ぜんぜん違和感なかった。音楽観のちょっとした洗濯になりました。
そして、浅草に向かい、アサヒアートスクエアで、フィンランドの変則6人組インストゥルメンタル・バンド(2009年10月2日)を見る。ソプラノとチューバックスという超低音サックスを吹くリーダーに加えて、トランペット(彼は自作のテルミンも一部操る)、チェロ2人、鍵盤、ドラムという編成。前はハンサム君もいると思ったような気もするが、今回はそう感じない。まあ、その分、キャラ立ち濃度はよりあがっている。トロンボーン奏者→トランペット奏者という以外にも、メンバー・チェンジはあったのかしら。そういえば、前回重なり方が地味だと思った2人のチェロ奏者の絡みが今回はいろいろ耳をひくものになっていて、良かったア。
今回改めて聞いて、変種のプログ・ロックの〜インプロヴィゼーション要素を持たない〜担い手であると、強く感じた。それは、先にダンス・レザブルを聞いたが故ではないと思う。単純なヘヴィメタ調ビート曲のほうが客からは受けていたような気がしたが、このいろんなポイントを持つバンドのファンは普段どういうものを愛好する人たちが多いのか。明確に見えない、それはそれで彼らの型破りな魅力を写すものか。
凝った曲設定のもと、山あり谷ありの、一座的と言いたくなるキブンの演奏が1時間ほど。チェロ演奏が激しいので、それ以上の長尺演奏は不可能と聞いた。だが、そこに込められた妄想や情報の量は多く、そして、そこからは山ほどの諧謔や酔狂さや人間くささやアンチの姿勢が迸る。ブルージィなベース・ラインが強調された曲は大昔のザ・ラウンジ・リザースのノリも受けた。
<今日の、会場>
1本目のハコは、渋谷の公園通りの山手教会の地下駐車場の一角奥にある。かつては演劇その他の出し物を提供していたジャンジャンという一時代を彩った著名スペースもあり、山手教会と聞くと胸がうずく方もいるだろうが、ぼくはジャンジャンには一度も足を運んだことがなかった。なんせ、最初に同所に行ったのは21世紀に入ってから、そこに事務所を置くHEADZにトータス(2011年11月21日、他)だったかシカゴ・アンダーグラウンド(2004年1月20日)だったかを取材するときだった。話はとぶが、ザ・パステルズの16年ぶりのドミノ発新作はトータスのジョン・マッケンタイアが共同プロデュースをしている。相変わらずのでれでれ、ほんわかポップ。「ロング・ライト」とか、ちょいスコティッシュ風情を滲ませる曲に誘われる。
そして、2本目のライヴ会場もとっても有名な場所ですね。黄金の炎とビールのジョッキをかたどったという、あまりに酔狂な造型を持つ建物として。ちょうどできたのはバブル期のようだが、変な気張り方のため、ぼくはもっと古い建物かと思っていた。というのはともかく、よくもまああの設計にOKが出されたものだとも思うし、立ってしまってからあの爆笑モノの見てくれを咎める声はあがらなかったのか。よく分らんが、あのビルを見るたびに(首都高速からも良く見えます)アサヒビールはすごい、パンクじゃと思わずにはいられない。<こんな”美しい”ビルでライヴをできてうれちい>みたいな出演者のMCは、客に受けてたな。今は浅草駅/吾妻橋対岸側から見ると同ビル横奥に東京スカイツリーがいい感じで立っていて、会場の行き帰りともに、写真を撮る少なくない人たちを認めた。
まず、渋谷・公園通りクラシックスで、ECM契約グループであるダンス・レザブル(Dans Les Arbres)のギグを見る。ピアノ、クラリネット、電気ギターやバンジョー、打楽器という編成で、ノルウェイ人2、ノルウェイ/オーストリアのミックス、フランス人という内訳。実演が始まる前、小物がいろいろと置いていたりもする楽器関連セッティングを見て(なんか、楽しくもなる)も、これは普通のジャズ系グループではないと思わされたか。この日の公演は三味線の田中悠美子(彼女は坂田明〜2013年1月12日、他〜の『平家物語』の録音/実演に関与している)を加えてのもので、彼女は対等な演奏者という形で最初から最後まで演奏に加わる。
で、音が出始めると、CDでおおまかなノリは知っていたものの、そうかそうかとおおきく頷く。まず、みんな素直な楽器音を出さずに、従来の楽器奏法から大きく離れたやり方で、その楽器固有の音色とはおおいに異なる音を出す。ピアノはプリペアド多様だし、弦楽器奏者はエフェクターをつなぐとともに小物で弦を押さえたりはじいたしするし、バカでかい太鼓その他の打楽器奏者も細やか&イマジネイティヴなアクセント/状況設定音を自己流儀のもと繰り出す。それらは、明快に彼らの自在なスタンスや美意識を映し出す。
でもって、多少のモチーフはあるのかもしれないが、基本インプロヴィゼーションによる楽器音の呼応は静的にして、柔らか。なんなんだ、この抑制の美は! そのナチュラルな音群は、木々のざわめきや水のせせらぎのようなもの……少し誇張して言えば。ああ、この世でもっとも聞く者にストレスを感じさせないインプロ表現?
そんな演奏なわけで、最初は田中の音数が多すぎる(音も、他の人たちより少しデカく聞こえた)と感じもしたが、ずっとやっている4人に難なく重なっていたのはすごい。過去に共演歴があるのだろうが、問題なく加わっていたよな。彼女もまるで本来の奏法からは慣れた音響音発生装置として三味線を用いるわけだが(呼称は恥ずかしながら知らないが、和の小さな鍵盤系楽器も一部用いた)、その端々から、まっとうなクラシック教育享受や伝統和音楽研鑽を経ての飛躍であると思わせる確かさも抱えていたか。
かようにみんな楽器本来の使い方をしていなかったわけだが、クラリネット奏者だけは別。彼はノーマイクで普通に吹く事だけで多様な情緒を持つクラリネット音を出し、他の音に溶け込んでいて、うなる。うぬ、実力者だな。ま、高力量であるは他の人たちも同じ。ちゃんと楽器や音楽の“正”の部分を知りつつ、それを秀でた発想のもと一度ごわさんにした上で、音を漂わせ、共振させる様は滅茶格好よい。いやあ興味深い、うわあ瑞々しい、うひょう楽しい。
本編は、1時間ぐらいの文様を思うまま描く。アンコールはもう少し語調の強いものを10分ぐらいやったか。そのとき、田中は長唄みたいな歌も入れた。ぜんぜん違和感なかった。音楽観のちょっとした洗濯になりました。
そして、浅草に向かい、アサヒアートスクエアで、フィンランドの変則6人組インストゥルメンタル・バンド(2009年10月2日)を見る。ソプラノとチューバックスという超低音サックスを吹くリーダーに加えて、トランペット(彼は自作のテルミンも一部操る)、チェロ2人、鍵盤、ドラムという編成。前はハンサム君もいると思ったような気もするが、今回はそう感じない。まあ、その分、キャラ立ち濃度はよりあがっている。トロンボーン奏者→トランペット奏者という以外にも、メンバー・チェンジはあったのかしら。そういえば、前回重なり方が地味だと思った2人のチェロ奏者の絡みが今回はいろいろ耳をひくものになっていて、良かったア。
今回改めて聞いて、変種のプログ・ロックの〜インプロヴィゼーション要素を持たない〜担い手であると、強く感じた。それは、先にダンス・レザブルを聞いたが故ではないと思う。単純なヘヴィメタ調ビート曲のほうが客からは受けていたような気がしたが、このいろんなポイントを持つバンドのファンは普段どういうものを愛好する人たちが多いのか。明確に見えない、それはそれで彼らの型破りな魅力を写すものか。
凝った曲設定のもと、山あり谷ありの、一座的と言いたくなるキブンの演奏が1時間ほど。チェロ演奏が激しいので、それ以上の長尺演奏は不可能と聞いた。だが、そこに込められた妄想や情報の量は多く、そして、そこからは山ほどの諧謔や酔狂さや人間くささやアンチの姿勢が迸る。ブルージィなベース・ラインが強調された曲は大昔のザ・ラウンジ・リザースのノリも受けた。
<今日の、会場>
1本目のハコは、渋谷の公園通りの山手教会の地下駐車場の一角奥にある。かつては演劇その他の出し物を提供していたジャンジャンという一時代を彩った著名スペースもあり、山手教会と聞くと胸がうずく方もいるだろうが、ぼくはジャンジャンには一度も足を運んだことがなかった。なんせ、最初に同所に行ったのは21世紀に入ってから、そこに事務所を置くHEADZにトータス(2011年11月21日、他)だったかシカゴ・アンダーグラウンド(2004年1月20日)だったかを取材するときだった。話はとぶが、ザ・パステルズの16年ぶりのドミノ発新作はトータスのジョン・マッケンタイアが共同プロデュースをしている。相変わらずのでれでれ、ほんわかポップ。「ロング・ライト」とか、ちょいスコティッシュ風情を滲ませる曲に誘われる。
そして、2本目のライヴ会場もとっても有名な場所ですね。黄金の炎とビールのジョッキをかたどったという、あまりに酔狂な造型を持つ建物として。ちょうどできたのはバブル期のようだが、変な気張り方のため、ぼくはもっと古い建物かと思っていた。というのはともかく、よくもまああの設計にOKが出されたものだとも思うし、立ってしまってからあの爆笑モノの見てくれを咎める声はあがらなかったのか。よく分らんが、あのビルを見るたびに(首都高速からも良く見えます)アサヒビールはすごい、パンクじゃと思わずにはいられない。<こんな”美しい”ビルでライヴをできてうれちい>みたいな出演者のMCは、客に受けてたな。今は浅草駅/吾妻橋対岸側から見ると同ビル横奥に東京スカイツリーがいい感じで立っていて、会場の行き帰りともに、写真を撮る少なくない人たちを認めた。
マイケル・キワヌーカ。ヘレン・メリル+佐藤允彦トリオ+山本邦山
2013年4月9日 音楽 最初に、六本木・ビルボードライブ東京で、新進の1986年生まれUKシンガーソングライターを見る。その慈しみの情をたっぷり抱えたデビュー作はビル・ウィザースやテリー・キャリアなどをまず想起させる傾向の曲が収められていたが、生のパフォーマンスはそれにおさまらないいろんな部分を出していた。ショウはギター類を弾きながら歌う当人に、ベーシストとドラマーがつく。
意外であったのは、スライド・バーを用いるドブロ・ギター(チューニングはもちろん、オープン・チューニング)、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターと、曲によって弾く楽器をわけていたこと。1曲目はドブロを持ち、その際のリズム隊の演奏はジミ・ヘンドリックスのエキスペリエンス的とも言えたし、そのままジェイムズ・ブラッド・ウルマーの牧歌的1コード曲に突入してもおかしくないゾという風情もほんのり持っていた。そういうときは、彼のごつごつし、より動的な感覚が外に出る。ドブロはあとも1曲持ったはずだが、そういう側面はCDにおいては見事に省かれている。一方、アコースティック・ギターによる、訥々弾き語り曲も2曲。ベースとのデュオも1曲。いろんなことやりたそうだし、今後、セールスに結びつくかどうかは別として、変容していく可能性もあるナと思わせる実演だった。彼は昨年のフジ・ロックにも出演。ぼくは別の主演者を見ていて、それには触れてないが、そのときはどんなパフォーマンスを彼は見せたのか。
そして、南青山・ブルーノート東京。親日家でもある大御所米国人ジャズ歌手とかつて共同作業を持った日本人アーティストたちが邂逅する出し物。彼女達はこの単位で、先に北海道で2公演を持ったようだ。
まず、佐藤允彦(ピアノ)が、加藤真一(ベース)と村上寛(ドラム。2009年1月22日)を擁するワーキング・トリオで演奏。粒立ちのいい指さばきのもと、ジャズたるワクワクや奥深さが品良く送り出される。佐藤はいろんな才を持つ人物だが、やはり秀でたジャズ・ピアニスト。すんごく久しぶりにその実演に触れたが、今度ちゃんと彼のパフォーマンスに触れたいナと思うことしきり。あと、髪の毛ふさふさの佐藤、すでに70歳を超えているが、あまり老けていないないなあとも感心する。
そして、途中から尺八奏者の山本邦山が加わる。ぼくが子供のころにすでにジャズの尺八奏者としてエスタブリッシュされていたと記憶するが、普通にスーツを着た彼は人間国宝を授けられていて、東京芸大教授をつとめたりもした人物であるのか。尺八音に少しエコーがかかりすぎと感じたが、その演奏自体は達者にして滑らか。サックス奏者の演奏をそのまま尺八に置き換えたという感じの吹き口を見せ、音色を巧みにコントロールしつつフツーにインプロヴァイズする様には無条件に頷かされる。へえ〜。
と、ここまででショウの半分強がすぎた。メリルを見たいっと気張って見に来た人は一体いつ出てくるのかと気をもんだかもしれぬ。だが、彼女もすでに80歳超え(1930年生まれ)。前回みたとき(2005年7月10日。その後も何度か来日しているはず)、ロバータ・フラック(2008年3月5日)ほどではないにせよ、喉の衰えはあったので、要所で適切な曲数を歌えばいいと、ぼくは思っていた。で、結局、彼女はこのセットでは5曲を歌った。
出てくる様を見て、少し足腰が弱って来ているのかなと思ったが、ステージにあがった小柄な彼女を見て、まずうなる。華のある黒基調の衣服にサングラス(ぼくが前回みたときはしていなかった)をした様がただ者ではない。とてもサマになっていて、風情もたっぷり。ぼくの母親のほうが少し年下だが、わが母の有り様との差に……って、比べるものでもないですね。そして、余裕たっぷりに「サマータイム」を歌いはじめたが、思っていたよりちゃんと歌っているという印象を持つ。50年前の滑らかさも輝きもないわけだが、今の彼女にはジャズ歌手をずっとやってきたゆえの重みや品格や妙な訴求力がある。それは、純音楽的物差しや理屈を超えて、見る者にちゃんと届く。さらに「枯葉」、「オール・ブルース」、「サムタイム・アイ・フィール・ライク・ア・マザーレス・チャイルド」とあまりに知られるスタンダードを披露。そして、最後は当たり曲「ユード・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、このあたりになると彼女の声はだいぶヘロってきて、このあたりが適切な長さかなと思えた。
物理的な量をばかみたいに超える、生理的なサムシングの量のバカでかさ。ジャズ、歌う事を生業として来た人間の多大な積み重ねが導く、言葉にならない何かがちゃんと開示されていた。非ジャズのちゃらちゃらしたところも持つ歌い手と一緒に見ていたのだが、もう胸がいっぱいになって涙が出た、そう。
<今日も、ヘロった>
ここのところ、すぐに目がさめる傾向にあって、ハンパなく早起き。でも、やはり公演を見た後はバテてて酔っぱらってもいるのを自覚しつつ飲み屋巡礼をしたくなる。で、深夜、知り合いにあくびしているねと指摘される。確かにコンサート中にあくびはしても、飲んでいてアクビをすることはあまりないかもなあ。
意外であったのは、スライド・バーを用いるドブロ・ギター(チューニングはもちろん、オープン・チューニング)、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターと、曲によって弾く楽器をわけていたこと。1曲目はドブロを持ち、その際のリズム隊の演奏はジミ・ヘンドリックスのエキスペリエンス的とも言えたし、そのままジェイムズ・ブラッド・ウルマーの牧歌的1コード曲に突入してもおかしくないゾという風情もほんのり持っていた。そういうときは、彼のごつごつし、より動的な感覚が外に出る。ドブロはあとも1曲持ったはずだが、そういう側面はCDにおいては見事に省かれている。一方、アコースティック・ギターによる、訥々弾き語り曲も2曲。ベースとのデュオも1曲。いろんなことやりたそうだし、今後、セールスに結びつくかどうかは別として、変容していく可能性もあるナと思わせる実演だった。彼は昨年のフジ・ロックにも出演。ぼくは別の主演者を見ていて、それには触れてないが、そのときはどんなパフォーマンスを彼は見せたのか。
そして、南青山・ブルーノート東京。親日家でもある大御所米国人ジャズ歌手とかつて共同作業を持った日本人アーティストたちが邂逅する出し物。彼女達はこの単位で、先に北海道で2公演を持ったようだ。
まず、佐藤允彦(ピアノ)が、加藤真一(ベース)と村上寛(ドラム。2009年1月22日)を擁するワーキング・トリオで演奏。粒立ちのいい指さばきのもと、ジャズたるワクワクや奥深さが品良く送り出される。佐藤はいろんな才を持つ人物だが、やはり秀でたジャズ・ピアニスト。すんごく久しぶりにその実演に触れたが、今度ちゃんと彼のパフォーマンスに触れたいナと思うことしきり。あと、髪の毛ふさふさの佐藤、すでに70歳を超えているが、あまり老けていないないなあとも感心する。
そして、途中から尺八奏者の山本邦山が加わる。ぼくが子供のころにすでにジャズの尺八奏者としてエスタブリッシュされていたと記憶するが、普通にスーツを着た彼は人間国宝を授けられていて、東京芸大教授をつとめたりもした人物であるのか。尺八音に少しエコーがかかりすぎと感じたが、その演奏自体は達者にして滑らか。サックス奏者の演奏をそのまま尺八に置き換えたという感じの吹き口を見せ、音色を巧みにコントロールしつつフツーにインプロヴァイズする様には無条件に頷かされる。へえ〜。
と、ここまででショウの半分強がすぎた。メリルを見たいっと気張って見に来た人は一体いつ出てくるのかと気をもんだかもしれぬ。だが、彼女もすでに80歳超え(1930年生まれ)。前回みたとき(2005年7月10日。その後も何度か来日しているはず)、ロバータ・フラック(2008年3月5日)ほどではないにせよ、喉の衰えはあったので、要所で適切な曲数を歌えばいいと、ぼくは思っていた。で、結局、彼女はこのセットでは5曲を歌った。
出てくる様を見て、少し足腰が弱って来ているのかなと思ったが、ステージにあがった小柄な彼女を見て、まずうなる。華のある黒基調の衣服にサングラス(ぼくが前回みたときはしていなかった)をした様がただ者ではない。とてもサマになっていて、風情もたっぷり。ぼくの母親のほうが少し年下だが、わが母の有り様との差に……って、比べるものでもないですね。そして、余裕たっぷりに「サマータイム」を歌いはじめたが、思っていたよりちゃんと歌っているという印象を持つ。50年前の滑らかさも輝きもないわけだが、今の彼女にはジャズ歌手をずっとやってきたゆえの重みや品格や妙な訴求力がある。それは、純音楽的物差しや理屈を超えて、見る者にちゃんと届く。さらに「枯葉」、「オール・ブルース」、「サムタイム・アイ・フィール・ライク・ア・マザーレス・チャイルド」とあまりに知られるスタンダードを披露。そして、最後は当たり曲「ユード・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、このあたりになると彼女の声はだいぶヘロってきて、このあたりが適切な長さかなと思えた。
物理的な量をばかみたいに超える、生理的なサムシングの量のバカでかさ。ジャズ、歌う事を生業として来た人間の多大な積み重ねが導く、言葉にならない何かがちゃんと開示されていた。非ジャズのちゃらちゃらしたところも持つ歌い手と一緒に見ていたのだが、もう胸がいっぱいになって涙が出た、そう。
<今日も、ヘロった>
ここのところ、すぐに目がさめる傾向にあって、ハンパなく早起き。でも、やはり公演を見た後はバテてて酔っぱらってもいるのを自覚しつつ飲み屋巡礼をしたくなる。で、深夜、知り合いにあくびしているねと指摘される。確かにコンサート中にあくびはしても、飲んでいてアクビをすることはあまりないかもなあ。
ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラー
2013年4月10日 音楽 ぶいぶい言わせていたのは2000年前後、そしてスパっと(かどうかは知らぬが)解散。したものの、2010年から活動を再開したカナダの変種ロック・インストゥメンタル・バンドを恵比寿・リキッドルームで見る。ま、ロックの世界ではポスト・ロックとかエクスペリメンタル・ロックという呼称が、彼らには用いられたりもする。再活動後でも、2度目の来日。大昔に見た事があるような気もし、この項でも触れたことがあったと思っていたのだが、見つからない。その記憶は幻なのか。
始まり方、趣あり。構成員がバラバラに出て来てそれぞれに楽器整備や音を出し始めるうちに、全員がそろい、轟音サウンドの体をなす。電気ギター3、電気ベース1、電気ベース/コントラバス1、ヴァイオリン1(女性)、ドラム/打楽器2という布陣なり。前のほうに位置するギター奏者ややドラマーや1人の電気ベーシストは弧を描くような形でステージ上の椅子に座る。2人のドラマーはときに魅力的な絡みを見せ、リズムは平板なものを採用するバンドが多い、この手の担い手のなかではアドヴァンテージを獲得している。
背後に映像を流すなか、起承転結のある(アルバム収録曲もそうだが、彼らの曲は1曲がかなり長い。ライヴだと余計に……)、響きや重なりの妙に留意した、具象性と抽象性を兼ね備える、インスト表現を淡々と送り出して行く。そこらへん、字義以上の訴求力を持つ場合もあるか。昔から、妙なところで民俗音楽的な手触りを入れていたりした彼らだが、今回のパフォーマンスも中近東っぽかったり雅楽を思わせるような響き/音の流れを覚えさせられる局面も。そこらへんの視野の広さは今様と思わせられるか。音の棘や揺らぎが、波のように、自在の音圧とともにステージから広がっていた。
<今日の、番組>
昼間、2級殺人罪で収監されている大レコーディング・プロデューサーのフィル・スペクター(72歳)の転落を扱った、どこか低俗な米ドキュメンタリー番組を光通信のTVチャンネルでやっていて、つい見てしまう。それ、駄目な悪人としてスペクターのことを描いている。彼は近年もリッチで御殿のような家に住んでいたようだ。ぼくはザ・ビートルズ以前の白人の音楽関連者についてはかなり暗いのだが、なかなか性格の歪んだ変人であったのはよく伝わって来た。スペクターは『レット・イット・ビー』の制作にかかわり、レノンやハリソンなどはかなり信頼をおいたわけだが。で、強引に今日のライヴに結びつけるが、今日のゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーの皆さんはまっとうそうな人たちで、だからこそ、ミュージシャンシップを発露していこうとするなかで陰影や傷を抱えた表現を送り出しているのだと思えたか。素は、どんな人たちであるのだろう。
始まり方、趣あり。構成員がバラバラに出て来てそれぞれに楽器整備や音を出し始めるうちに、全員がそろい、轟音サウンドの体をなす。電気ギター3、電気ベース1、電気ベース/コントラバス1、ヴァイオリン1(女性)、ドラム/打楽器2という布陣なり。前のほうに位置するギター奏者ややドラマーや1人の電気ベーシストは弧を描くような形でステージ上の椅子に座る。2人のドラマーはときに魅力的な絡みを見せ、リズムは平板なものを採用するバンドが多い、この手の担い手のなかではアドヴァンテージを獲得している。
背後に映像を流すなか、起承転結のある(アルバム収録曲もそうだが、彼らの曲は1曲がかなり長い。ライヴだと余計に……)、響きや重なりの妙に留意した、具象性と抽象性を兼ね備える、インスト表現を淡々と送り出して行く。そこらへん、字義以上の訴求力を持つ場合もあるか。昔から、妙なところで民俗音楽的な手触りを入れていたりした彼らだが、今回のパフォーマンスも中近東っぽかったり雅楽を思わせるような響き/音の流れを覚えさせられる局面も。そこらへんの視野の広さは今様と思わせられるか。音の棘や揺らぎが、波のように、自在の音圧とともにステージから広がっていた。
<今日の、番組>
昼間、2級殺人罪で収監されている大レコーディング・プロデューサーのフィル・スペクター(72歳)の転落を扱った、どこか低俗な米ドキュメンタリー番組を光通信のTVチャンネルでやっていて、つい見てしまう。それ、駄目な悪人としてスペクターのことを描いている。彼は近年もリッチで御殿のような家に住んでいたようだ。ぼくはザ・ビートルズ以前の白人の音楽関連者についてはかなり暗いのだが、なかなか性格の歪んだ変人であったのはよく伝わって来た。スペクターは『レット・イット・ビー』の制作にかかわり、レノンやハリソンなどはかなり信頼をおいたわけだが。で、強引に今日のライヴに結びつけるが、今日のゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーの皆さんはまっとうそうな人たちで、だからこそ、ミュージシャンシップを発露していこうとするなかで陰影や傷を抱えた表現を送り出しているのだと思えたか。素は、どんな人たちであるのだろう。
ジョージ・クリントン。マルセル・パウエル+Saigenji
2013年4月12日 音楽 ええっ、あの人がジョージ・クリントンだったのか。彼は奇麗に白っぽいスーツを来て、帽子をかぶり、眼鏡をかけている。すごく、エスタブリッッシュされた人物っぽく見え、そして円満そう。かつてのよぼよぼし、小汚い風情なぞ微塵もなく(それは、少し太って、顔や身体がパンパンとしていたせいもあるか)。そのためか、前よりガタイが大きく、堂々としているようにも見える。で、頭から終わりまでステージ上にいて、終始バンドを盛りあげ、結構声も出す。とっても腰低く、観客に働きかけもする。前はもっと尊大な感じ、なかったっけ? でも、このツブれたような声はなるほど彼だし、なにより眼鏡の奥に見える細い目もクリントン翁だ。それはわりと正面ぽいところで見る事ができたので分った。うぬー。2011年1月22日の項に、クリントンがどこにいるか分らなかったとマヌケなことを書いていたが、あのビリー・ポール然とした人物(まさに、そんな感じなの)がご本人でありました。すごい横のほうから前回は見ていたので、かつての風体と180度変わった彼がまるで結びつかなかった。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。定時にミュージシャンたちがポツリポツリ出て来て、ギター奏者が刻みはじめ、ショウはスタート。ステージ上には20人近い人たち。今回はホーン奏者が2人入っているのもうれしい。そんなにピリっとした音を出していたわけではないが、やはりP-ファンク(とくに、パーラメント)の表現は管奏者がいなくちゃ。女性シンガーの1人とキーボード奏者の1人いがいは、すべてアフリカ系か。ブーツィ・コリンズ(2012年5月31日、他)の実演のときも思うが、イカレた風情の黒人が沢山。フフフフ。
いやあ、燃える、楽しいっ。フジ・ロック出演時(2002年7月28日)のときの様は忘却の彼方だが、少なくてもこの3回の来日公演のなかでは一番の質を持つか。それから、びっくりしたのは途中である中年女性シンガーをフィーチャーしたとき。1曲歌って彼女は引っ込もうとしたが、クリントンはもう1曲やりなよと促す。で、彼女はどスロウ・ブルースをどっぷりかます。わあああ、これが滅茶すげえ。まだブルースはアフリカン・アメリカン音楽のなか、イビツなもの、ダーティなもの、吹っ切れたものを表出する最良の手段として確固とした位置にあり、生きている! なんて、それは口走りもさせるもの。観客も発情。こんなにすんげえブルース・パフォーマンスをこの日、この場でまさか聞けちゃうとは! 曲によってはP−ファンク名士たるギタリストのマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンはステージの袖に降りていたが、このブルース披露のとき、彼は袖で(思わず?)ギターを肩にかける。ステージに上がることはなかったが、この曲に触れ、思わずソロを取りたくなったのかな。
無駄にゾロゾロ人がいるなか、打楽器系楽器担当者は、ドラマーのフォーリー、ただ1人。近年のクリントン・バンドの常連ながら、1980年代後半はマイルズ・デイヴィス・バンドの花形リード・ベース奏者だった御仁。確かにドラム一筋な奏者から見れば、劣るところもあるだろう。だが、彼はしっかりファンクの勘所を理解した演奏をし、クリントンの意に添った流れをバンドに全体に伝える。なるほどにゃー。最後の曲の終盤、クリントンはステージを降りかけたが、戻り、マイク・スタンドをにょっきり股間から突き出すように持ち、片手で猛烈にこすりはじまる。なんだア、最後ははた迷惑な愛すべきじじいになっちゃった。ひゃひゃ。
次は、青山・CAYで、ブラジルの名ギタリスト&作曲家であるバーデン・パウエル(1937〜2000年)の息子である、マルセル・パウエル(2008年12月14日)をファースト・セットの終盤から見る。この会場はステージ高がなく、演奏者が座る公演だと、その所作を見るのが難儀なのだが、この晩はちゃんとステージ高が応急処置で高くしてあった。マル。『情熱のギター』(リスペクト)のリリースを祝うソロ・パフォーマンスの公演。とってもシャイな感じを持つ彼は、現在31歳であるとか。繊細さとまろやかさを抱えた線画のようなものが、彼の手により描かれる。演目は父親曲、ブラジルの有名曲、自作曲など。
セカンド・セットの頭3曲とアンコールでは、Saigenji(2013年1月7日、他)が加わる。グっと華や広がりが出る。やっぱ、ギターとの相乗を持つ歌も素晴らしいが、ギタリストとしてもSaigenjiは素敵。パウエルもおおいに彼を気に入り、一緒にアルバムを作りたいと感じたよう。
<今日の、感謝>
ノーベル文学賞候補筆頭であるインターナショナルな人気作家の新作が本日発売で、盛り上がっているようだ。元ジャズ喫茶の若おやじというし、ちゃんとした社会観も持つような感じもあり、ぼくのなかでは好感を持てる作家だな。と書きつつ、実のところ彼の小説をちゃんと読んだことがない。それって音楽だったら、レディオヘッドを聞いたことがない、と言うのと同じ? とはいえ、フリーになってそれほどたたない四半世紀は前に友達の家でぼーっとしていたときがあって、その際そこにあった彼のエッセー集をペラペラめくったことがあった。その中の一遍に、原稿を書くのは朝型のほうが健全、みたいな内容のものがあって、仰せの通り〜そうしたほうが格好いい、そうありたい、と膝を打ったことがあった。そして、いつの間にか、ぼくは朝ちゃんと起き、昼間にしか原稿を書かない人間になっている。そうなって長いし、このままそうあり続けるだろう。とっても正しい導きをしてくれた、村上さん、ありがとう。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。定時にミュージシャンたちがポツリポツリ出て来て、ギター奏者が刻みはじめ、ショウはスタート。ステージ上には20人近い人たち。今回はホーン奏者が2人入っているのもうれしい。そんなにピリっとした音を出していたわけではないが、やはりP-ファンク(とくに、パーラメント)の表現は管奏者がいなくちゃ。女性シンガーの1人とキーボード奏者の1人いがいは、すべてアフリカ系か。ブーツィ・コリンズ(2012年5月31日、他)の実演のときも思うが、イカレた風情の黒人が沢山。フフフフ。
いやあ、燃える、楽しいっ。フジ・ロック出演時(2002年7月28日)のときの様は忘却の彼方だが、少なくてもこの3回の来日公演のなかでは一番の質を持つか。それから、びっくりしたのは途中である中年女性シンガーをフィーチャーしたとき。1曲歌って彼女は引っ込もうとしたが、クリントンはもう1曲やりなよと促す。で、彼女はどスロウ・ブルースをどっぷりかます。わあああ、これが滅茶すげえ。まだブルースはアフリカン・アメリカン音楽のなか、イビツなもの、ダーティなもの、吹っ切れたものを表出する最良の手段として確固とした位置にあり、生きている! なんて、それは口走りもさせるもの。観客も発情。こんなにすんげえブルース・パフォーマンスをこの日、この場でまさか聞けちゃうとは! 曲によってはP−ファンク名士たるギタリストのマイケル“キッド・ファンカデリック”ハンプトンはステージの袖に降りていたが、このブルース披露のとき、彼は袖で(思わず?)ギターを肩にかける。ステージに上がることはなかったが、この曲に触れ、思わずソロを取りたくなったのかな。
無駄にゾロゾロ人がいるなか、打楽器系楽器担当者は、ドラマーのフォーリー、ただ1人。近年のクリントン・バンドの常連ながら、1980年代後半はマイルズ・デイヴィス・バンドの花形リード・ベース奏者だった御仁。確かにドラム一筋な奏者から見れば、劣るところもあるだろう。だが、彼はしっかりファンクの勘所を理解した演奏をし、クリントンの意に添った流れをバンドに全体に伝える。なるほどにゃー。最後の曲の終盤、クリントンはステージを降りかけたが、戻り、マイク・スタンドをにょっきり股間から突き出すように持ち、片手で猛烈にこすりはじまる。なんだア、最後ははた迷惑な愛すべきじじいになっちゃった。ひゃひゃ。
次は、青山・CAYで、ブラジルの名ギタリスト&作曲家であるバーデン・パウエル(1937〜2000年)の息子である、マルセル・パウエル(2008年12月14日)をファースト・セットの終盤から見る。この会場はステージ高がなく、演奏者が座る公演だと、その所作を見るのが難儀なのだが、この晩はちゃんとステージ高が応急処置で高くしてあった。マル。『情熱のギター』(リスペクト)のリリースを祝うソロ・パフォーマンスの公演。とってもシャイな感じを持つ彼は、現在31歳であるとか。繊細さとまろやかさを抱えた線画のようなものが、彼の手により描かれる。演目は父親曲、ブラジルの有名曲、自作曲など。
セカンド・セットの頭3曲とアンコールでは、Saigenji(2013年1月7日、他)が加わる。グっと華や広がりが出る。やっぱ、ギターとの相乗を持つ歌も素晴らしいが、ギタリストとしてもSaigenjiは素敵。パウエルもおおいに彼を気に入り、一緒にアルバムを作りたいと感じたよう。
<今日の、感謝>
ノーベル文学賞候補筆頭であるインターナショナルな人気作家の新作が本日発売で、盛り上がっているようだ。元ジャズ喫茶の若おやじというし、ちゃんとした社会観も持つような感じもあり、ぼくのなかでは好感を持てる作家だな。と書きつつ、実のところ彼の小説をちゃんと読んだことがない。それって音楽だったら、レディオヘッドを聞いたことがない、と言うのと同じ? とはいえ、フリーになってそれほどたたない四半世紀は前に友達の家でぼーっとしていたときがあって、その際そこにあった彼のエッセー集をペラペラめくったことがあった。その中の一遍に、原稿を書くのは朝型のほうが健全、みたいな内容のものがあって、仰せの通り〜そうしたほうが格好いい、そうありたい、と膝を打ったことがあった。そして、いつの間にか、ぼくは朝ちゃんと起き、昼間にしか原稿を書かない人間になっている。そうなって長いし、このままそうあり続けるだろう。とっても正しい導きをしてくれた、村上さん、ありがとう。
冒頭から、ものすごい歓声。それはずうっと、延々。熱烈で、すごかった。同じ場にいて、それは文章に残しておきたいと思ったもの。リーダーのジェフ・トゥイーディーもかような反応を見せる観客を、MCで大肯定していた。
米国を代表する大人ロック・バンド(2003年2月9日、2004年9月19日、2010年4月23日)の公演は、渋谷・AX。台場・ゼップダイバーシティ(青海のゼップ東京とは別)公演の追加となるもので、ここも満員。ダフ屋は出ていなかったが、入り口にはチケット売り切れを知らせる紙が張ってあった。ぼくは2階で見たが、お酒を買いに下に降りたついでに、1階フロアでもその熱気にふれようと思ったら、ぎちぎちでとてもじゃないが中に入れない。
歌心と、現代的感覚を持つ冒険の見事な拮抗を持つ、アメリカン・ロック・バンド。もう、すばらしい。ぶっちゃけ、前々回、前回に見たときほどの感興はえられなかったが、それはあまりに凄すぎると思いつつ(リズムも良いしネ。ドラマーのグレン・コッチェ〜2010年4月15日〜は基本マッチド・グリップで叩くのだな)、一部飛躍せんとするパート/アレンジが予定調和的に感じる部分があったから。それ、見る回数を重ねて、彼らの表現方策に慣れてきていることもあるだろう。もし、今回彼らを初めて見たなら、狂喜しちゃうと思う。あと、歌詞を理解していると、アレンジの様は必然的に、より鮮やかに感じられるのかもしれない。
ステージ横にはギターがずらりと並べられている。ギター・テックも1人じゃなかったかもしれない。リード・ヴォーカルのジェフ・トゥイーディとキーボード兼任ギタリスト(今回、半々の比率だったか)のパトリック・サンソンもとには、けっこうギターを持った補助者が頻繁にかけよる。だが、リード・ギター担当のネルス・クライン(2010年1月9日)は基本、ギターを横に置き自らの手で持ち替え、チューニングも自分でする。ダブル・ネックのギターを弾いたとき以外はそうだったはず。それ、彼がまだ片足おいいるフリー・ジャズ環境のDIY精神、清貧さを胸を張って肯定しているようでもあった。
<今日の、ウォッチング・ザ・スカイ>
ウィルコを見る前に、日比谷野外音楽堂に行って、近年よく開かれているフェス“ウォッチング・ザ・スカイ”を少しだけ覗く。最初に出て来たのは、いろんな人から引っ張りだこでもある おおはた雄一(2013年2月19日)。ひたすら、さりげなく。能力アリの、謙虚な裏返し。続く、GRAPEVINE(2012年8月12日)の選抜2人の清らかユニット(田中和将&高野勲)であるPermanentsの途中まで見る。くるり(2009年6月10日)の岸田繁のソロでの出演などもあり、なかなか盛況。海外からは、リチャード・ジュリアン(2008年6月6日、他)が参加。今回で、すでに6回目を数えるのか。やっぱ、日比谷野音って、街中のオアシス的な場での野外公演って、なんとなくいいナ。なお、日比谷野音は今年で90周年なのだとか。歴史、たんまりあるな。そして、ウォッチング・ザ・スカイはこの10月にも持たれるよう。
米国を代表する大人ロック・バンド(2003年2月9日、2004年9月19日、2010年4月23日)の公演は、渋谷・AX。台場・ゼップダイバーシティ(青海のゼップ東京とは別)公演の追加となるもので、ここも満員。ダフ屋は出ていなかったが、入り口にはチケット売り切れを知らせる紙が張ってあった。ぼくは2階で見たが、お酒を買いに下に降りたついでに、1階フロアでもその熱気にふれようと思ったら、ぎちぎちでとてもじゃないが中に入れない。
歌心と、現代的感覚を持つ冒険の見事な拮抗を持つ、アメリカン・ロック・バンド。もう、すばらしい。ぶっちゃけ、前々回、前回に見たときほどの感興はえられなかったが、それはあまりに凄すぎると思いつつ(リズムも良いしネ。ドラマーのグレン・コッチェ〜2010年4月15日〜は基本マッチド・グリップで叩くのだな)、一部飛躍せんとするパート/アレンジが予定調和的に感じる部分があったから。それ、見る回数を重ねて、彼らの表現方策に慣れてきていることもあるだろう。もし、今回彼らを初めて見たなら、狂喜しちゃうと思う。あと、歌詞を理解していると、アレンジの様は必然的に、より鮮やかに感じられるのかもしれない。
ステージ横にはギターがずらりと並べられている。ギター・テックも1人じゃなかったかもしれない。リード・ヴォーカルのジェフ・トゥイーディとキーボード兼任ギタリスト(今回、半々の比率だったか)のパトリック・サンソンもとには、けっこうギターを持った補助者が頻繁にかけよる。だが、リード・ギター担当のネルス・クライン(2010年1月9日)は基本、ギターを横に置き自らの手で持ち替え、チューニングも自分でする。ダブル・ネックのギターを弾いたとき以外はそうだったはず。それ、彼がまだ片足おいいるフリー・ジャズ環境のDIY精神、清貧さを胸を張って肯定しているようでもあった。
<今日の、ウォッチング・ザ・スカイ>
ウィルコを見る前に、日比谷野外音楽堂に行って、近年よく開かれているフェス“ウォッチング・ザ・スカイ”を少しだけ覗く。最初に出て来たのは、いろんな人から引っ張りだこでもある おおはた雄一(2013年2月19日)。ひたすら、さりげなく。能力アリの、謙虚な裏返し。続く、GRAPEVINE(2012年8月12日)の選抜2人の清らかユニット(田中和将&高野勲)であるPermanentsの途中まで見る。くるり(2009年6月10日)の岸田繁のソロでの出演などもあり、なかなか盛況。海外からは、リチャード・ジュリアン(2008年6月6日、他)が参加。今回で、すでに6回目を数えるのか。やっぱ、日比谷野音って、街中のオアシス的な場での野外公演って、なんとなくいいナ。なお、日比谷野音は今年で90周年なのだとか。歴史、たんまりあるな。そして、ウォッチング・ザ・スカイはこの10月にも持たれるよう。
トゥイン・デンジャー
2013年4月16日 音楽 トゥイン・デンジャーはシャーデーの初期からの重要メンバーである、スチュアート・マシューマン(ギター、サックス)が組んでいるバンド。シャーデーは思い出した頃にアルバムを出し、ツアーをやっている(彼女もプリンスと同じく、あまり日本を視野に入れないライヴを行っているな。アルバムだしたときに日本向けの電話インタヴューを受けてはいるはず〜ぼくも『ラヴァーズ・ロック』のときにやったことがあった〜で、日本が嫌いなわけではないだろうけど)わけで、スチュワートにとって空いた間はたっぷり。ゆえに、彼はスウィートバックというユニットでアルバムを出したり、サントラを担当したり、マックスウェルやエステロらのプロダクションに関わったりしてきている。そして、トゥイン・デンジャーも2010年ごろには今に繋がる実態はあったはずで、有名人/気鋭の人満載の2011年リリースの好コンピ『レッド・ホット+リオ2』にも、彼らは1曲提供している。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。ヴァネッサ・ブレイという白人女性歌手をフィーチャーし、他にテナー・サックス、トランペット、キーボード/コーラス、ギター、ウッド・ベース、ドラムという構成。なんと、マシューマンはテナー・サックス(1曲、クラリネットも吹いた)に専念。非ジャズの奏者としては、かなり吹ける。先の『レッド・ホット+リオ2』提出曲はマシューマンとブレイの共作曲だったが、彼らのレパートリーの多くは2人の共作曲なのかな? 中盤では、ジャズ・スタンダードも料理して披露。
ブレイの歌はけっこうブリストル系サウンドに合いそうな癖を有するとぼくは数少ないマテリアルで判断していたが、実演においてはもう少しサラリとした感じを持つ。ギターを持つときも少々ながらそれはお飾り、それと2曲ほどはキーボードを押さえながら歌う。基本は、UKらしいジャジー・ポップのグループ。一部の曲は、やはりシャーデーのそれをちょい想起させもするか。そして、トゥイン・デンジャーの場合はどこかレトロな情感を持つ曲が少なくないことも指摘できるだろう。
追記) ヴァネッサ・ブレイは、なんと、あのポール・ブレイ(1999年6月1日)の娘であるよう!
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
<今日の、出演者>
アンコールのとき、面々はとってもうれしそうに、改めてステージにあがった。ほんと皆さん、音楽をやり、客から拍手をもらう歓びを直裁に出していた。しかし、マシューマンは50歳ぐらいになっていても不思議はないのだが、若い感じあるナ。実は、そんなトゥイン・デンジャーは米国ブルーノートからアルバムを出すはずであった。ものの、彼らを担当しようとしていた社員A&Rのイーライ・ウルフが退社してしまったため(ドン・ワズ〜2013年2月15日〜入社と前後する?)、その話はなしになってしまったよう。話はとぶが、そのウルフさんはブルーノートのジャム・バンド路線やアダルト・ポップ路線を押し進めた現場の代表者。ノラ・ジョーンズ(2012年11月8日、他)も彼が担当していた。今はなきマサチューセッツ州のバーク・フェス(2000年8月13〜15日)に行ったときに紹介されたことがあったけど、痩身でとっても喧嘩が弱そうな人でありました。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。ヴァネッサ・ブレイという白人女性歌手をフィーチャーし、他にテナー・サックス、トランペット、キーボード/コーラス、ギター、ウッド・ベース、ドラムという構成。なんと、マシューマンはテナー・サックス(1曲、クラリネットも吹いた)に専念。非ジャズの奏者としては、かなり吹ける。先の『レッド・ホット+リオ2』提出曲はマシューマンとブレイの共作曲だったが、彼らのレパートリーの多くは2人の共作曲なのかな? 中盤では、ジャズ・スタンダードも料理して披露。
ブレイの歌はけっこうブリストル系サウンドに合いそうな癖を有するとぼくは数少ないマテリアルで判断していたが、実演においてはもう少しサラリとした感じを持つ。ギターを持つときも少々ながらそれはお飾り、それと2曲ほどはキーボードを押さえながら歌う。基本は、UKらしいジャジー・ポップのグループ。一部の曲は、やはりシャーデーのそれをちょい想起させもするか。そして、トゥイン・デンジャーの場合はどこかレトロな情感を持つ曲が少なくないことも指摘できるだろう。
追記) ヴァネッサ・ブレイは、なんと、あのポール・ブレイ(1999年6月1日)の娘であるよう!
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
<今日の、出演者>
アンコールのとき、面々はとってもうれしそうに、改めてステージにあがった。ほんと皆さん、音楽をやり、客から拍手をもらう歓びを直裁に出していた。しかし、マシューマンは50歳ぐらいになっていても不思議はないのだが、若い感じあるナ。実は、そんなトゥイン・デンジャーは米国ブルーノートからアルバムを出すはずであった。ものの、彼らを担当しようとしていた社員A&Rのイーライ・ウルフが退社してしまったため(ドン・ワズ〜2013年2月15日〜入社と前後する?)、その話はなしになってしまったよう。話はとぶが、そのウルフさんはブルーノートのジャム・バンド路線やアダルト・ポップ路線を押し進めた現場の代表者。ノラ・ジョーンズ(2012年11月8日、他)も彼が担当していた。今はなきマサチューセッツ州のバーク・フェス(2000年8月13〜15日)に行ったときに紹介されたことがあったけど、痩身でとっても喧嘩が弱そうな人でありました。
ハーシュは1955年、オハイオ州シンシナチ生まれのジャズ・ピアニストで、1970年代末からアート・ファーマーやビリー・ハーパー(2012年10月17日)のコンボ演奏で頭角を現し、1984年以降、様々な個あるジャズ系レーベルからリーダー作をごんごん出している(40作ほどになる?)、まさにミュージシャンズ・ミュージシャンと言える実力者。研ぎすまされたなかに、いろんな思索や情緒を湛えたピアノを、彼は長年聞かせてきた。
ハーシュといえば、HIVポジティヴであり、その発病のため一時は深刻な状況と言われたこともあったが、薬の進歩もあり、現在は普通の生活をするのにはなんの妨げもないようで、それは今回のソロによるパフォーマンスに接しても良く分った。
思っていた以上に、優しい指さばき、という所感を持つ。ときに、アブストラクトな弾き方も見せるという印象もぼくは持っていたが、今回のショウはそんなことはなく、柔和にしてしなやかな調べが無理なく聞き手に働きかけるといった感じ。持つセンスが秀でているという感じはやはりあり、過剰に難しいことをやらなくてもテクニックあるぞと、思わせられる。
オリジナル曲とスタンダードを交え、約80分ぐらいのパフォーマンスだったか。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。ショウが終わると、ポーンポーンと調整が始まる。本人はすぐに出て来て、サインに応じていた。ぼくの隣には楽譜を持った外国人が座りメモをとっていたが、はやりピアノを弾く人やピアノ愛好家の客比率が多かったのだろうか。お店には、普段は置かれていない、HIV/エイズについての知識を提供する小冊子が(日本語のそれと、英語の小さなものの2種)が置かれていた。
<今日の、その後>
原宿であったハイネケンのパーティにちょい顔を出す。ロクに場所も確認せず行ったが、歩道に人がどばっと溢れていて、すぐに場所が分る。18時半からやっているはずだが、人多すぎ。外国人比率も高し。早い時間にはケントモリ(2011年12月13日)も出たよう、DJはケンイシイ(2004年1月30日)と案内状に記されていたので、流れていた音楽は彼によるものだったのだろうか。ここで提供していたのは、普通の小瓶のみで、ダーク・ビールの供給はなかった。まだハイネケン・ダークのほうが、好きなワタシ。ところで、ハイネケンというと、夏フェスでのサプライヤー度の高いビール会社としてぼくの頭のなかには入っているが、日本の受け皿になっているのはキリンであるのを初めて知る。普段、飲まないものナ。その後、女性もいたが、流れた店でどうしてバド・ガールのハイネケン版はいないのかという話になる。なじみの3人、2軒でワインをポンポンポンポンポン。今、トップ級にダラダラ飲む顔ぶれであるのを再認知。そういえば、別な人とよく飲んでいた頃、一緒に行くと深い午前様になるので、ぼくら2人を<悪の枢軸>と呼ぶ知人がいた。
ハーシュといえば、HIVポジティヴであり、その発病のため一時は深刻な状況と言われたこともあったが、薬の進歩もあり、現在は普通の生活をするのにはなんの妨げもないようで、それは今回のソロによるパフォーマンスに接しても良く分った。
思っていた以上に、優しい指さばき、という所感を持つ。ときに、アブストラクトな弾き方も見せるという印象もぼくは持っていたが、今回のショウはそんなことはなく、柔和にしてしなやかな調べが無理なく聞き手に働きかけるといった感じ。持つセンスが秀でているという感じはやはりあり、過剰に難しいことをやらなくてもテクニックあるぞと、思わせられる。
オリジナル曲とスタンダードを交え、約80分ぐらいのパフォーマンスだったか。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。ショウが終わると、ポーンポーンと調整が始まる。本人はすぐに出て来て、サインに応じていた。ぼくの隣には楽譜を持った外国人が座りメモをとっていたが、はやりピアノを弾く人やピアノ愛好家の客比率が多かったのだろうか。お店には、普段は置かれていない、HIV/エイズについての知識を提供する小冊子が(日本語のそれと、英語の小さなものの2種)が置かれていた。
<今日の、その後>
原宿であったハイネケンのパーティにちょい顔を出す。ロクに場所も確認せず行ったが、歩道に人がどばっと溢れていて、すぐに場所が分る。18時半からやっているはずだが、人多すぎ。外国人比率も高し。早い時間にはケントモリ(2011年12月13日)も出たよう、DJはケンイシイ(2004年1月30日)と案内状に記されていたので、流れていた音楽は彼によるものだったのだろうか。ここで提供していたのは、普通の小瓶のみで、ダーク・ビールの供給はなかった。まだハイネケン・ダークのほうが、好きなワタシ。ところで、ハイネケンというと、夏フェスでのサプライヤー度の高いビール会社としてぼくの頭のなかには入っているが、日本の受け皿になっているのはキリンであるのを初めて知る。普段、飲まないものナ。その後、女性もいたが、流れた店でどうしてバド・ガールのハイネケン版はいないのかという話になる。なじみの3人、2軒でワインをポンポンポンポンポン。今、トップ級にダラダラ飲む顔ぶれであるのを再認知。そういえば、別な人とよく飲んでいた頃、一緒に行くと深い午前様になるので、ぼくら2人を<悪の枢軸>と呼ぶ知人がいた。
アレステッド・ディヴェロップメント。Nobie+藤本一馬+伊藤志宏。カレン・ソウザ
2013年4月19日 音楽 アトランタ拠点の彼らは1992年デビュー作で大ブレイク。グラミー賞2部門を即とるなど、その成功の様は米国ポップ音楽界新人の鮮やかなブライク譚としてかなりその上位にあげられるんじゃないか。黒人文化の積み重ねや南部立脚の重要性を巧みに強調することを成功させたリーダーのスピーチは若くして“伝説の人”みたいなイメージもなぜかつき、初来日のときインタヴューできたときはとってもうれしかったし、やはり博識な人でいろいろ話は盛り上がった。一時は、ほんと注視すべき存在だったな。そういえば、当時はMTVの“アンプラグド”がブームで、人気者の彼らもすぐにそれをやる機会を得て、その1993年リリースの同CDにはブランドン・ロス(2011年12月14日、他)やマーク・バトゥソンといったNY在住のオルタナティ・ブラック・ミュージック界の逸材(さらには、ワシントン・ゴー・ゴー・ファンクの名ドラマーのジュ・ジュ・ハウスも)が入っていた。
そんなスピーチ率いるオルタナティヴ・ヒップホップ・ユニット(2000年4月27日、2000年8月5日、2001年2月3日、 2002年4月17日)の実演を見るのは、たびたび来日しているはずだが、ぼくとしてはなんと10年強ぶり。時がたつのは早い(しんみり)。六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。
MCと歌のスピーチに加え、見た目がうれしい女性コーラス2人、男性MC2人(うち、1人は一部プリセット音の音だしも)、ギター、ベース、ドラムという編成による。PA から出る音は大きめ目、だがスピーチたちの声もよく通り、無理はない。なんかよりサバけ気安くなった風情を持つスピーチは、アフリカン・アメリカン音楽の積み重ねを抱えたオーガニックな広角型ヒップホップ・ミュージック集団のリーダーとしての姿をまっとう。旧曲も屈託なくやる。背後にはスクリーンをたらし映像を流すが、それほど印象的な映像ではない(あまり記憶に残っていない。革命という、漢字が映しだされたときも)し、それは無しでもいいか。かつて、彼らはパパ・オジェという、何もしないおじいさんを象徴的存在のようにステージ上の椅子に座らせていた(2007年10月25日の項、参照を)が、それを思い出させる椅子だけは今も置いてあった。
次は青山・プラッサオンゼで、女性ヴォーカル(2010年12月22日、他)と生ギター(2012年6月17日、他)とキーボードの三者パフォーマンスを見る。淡々悠々、そして笑み。ブラジル音楽やジャジーな行き方に対する共感を重ね、その先に今を生きる3人のたゆたふ協調表現を共有しあおうとしていたと書けるか。そして、Nobieが他人曲にせよオリジナルにせよ、歌詞を見ずに歌っているのにココロで喝采。そうじゃなきゃ。大人系シンガーは判で押したように歌詞を置いたスタンドを前に置くけど、それをしないで大丈夫なら絶対にそれにこしたことはないし、プロならそうあってほしいナと、その様を見ながら、ぼくは思った。伊藤とデュオでやったハービー・ハンコックの「バタフライ」のカヴァーには誘われる。マイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」も清々しくやったな。ファースト・セットを見て移動。
そして、南青山・ブルーノート東京では、アルゼンチン出身の雰囲気系ジャジー・シンガーを見る。彼女はパーティ・ピープル御用達のスペインのイビサ島に行ってダンス・ミュージックを歌ったりしていた人のようだが、もともと低目の歌声もあり、それがジャズぽい方向に流れることに繋がった。そんな経歴を持つ人ながら、ピアノ・トリオを従えたショウはちゃらちゃらしたものを超える、クールな風景を出していて、少し驚いた。まあ、現在、マジなジャズ・シンガーとして認知されているニコール・ヘンリー(2008年4月25日、2009年11月18日、2009年12月22日)ももともとはマイアミのハウス/ダンス・ミュージックのシンガーだったので、そんなに出発点にこだわることもないし、逆にそういう経験も持つから生理的にしなやかな見方を持てるという説明もできるわけだが。
けっこう奇麗に見えるソウザさんは役者、きっちり自分が出すもの、求めるものを分ってらっしゃる。奇麗なブロンド、黒いドレスに身をかため、身長も高め。イケている。で、斜に構えるように椅子に座り、どこか退廃的な感じで、さばさば歌って行く。その様、見事なSっぷりというか、アイス・ドールぶり。だが、その振る舞いや歌い方や歌声や佇まいが見事に合っていて、ちゃんとジャズ・ヴァーカルのエンターテインメントのあり方として大アリ、一つの世界をちゃんと作っている。
歌うのは、カルチャー・クラブからレディオヘッドまでのポップ曲をジャジーに紐解き直した曲を中心に、「マイ・フーリッシュ・ハート」や「サマータイム」などのスタンダードやトム・ジョビンの「ヂンヂ」なども。ポップ曲のアレンジ、実はけっこう巧みでかったるさは皆無。ソウザは別に凝った歌い方をするわけではないが、その抑えられ、醒めた歌唱は無理がなく、意外に音程もちゃんとしている。アンコールでやったCCRの「雨を見たかい」の処理もいいなあ。ジャズのある種のムードをきっちり、プロの行き方として体現していた。
そんなに伴奏者のソロはない(一度、お召替えのとき演奏陣で「いつか王子様が」を演奏)ためもあり、それぞれの曲は長くない。次々と20曲近くやったか。先にピアノ・トリオと書いたが、ベース奏者は縦ではなく、全編エレクトリックを弾く。まあ、ポップな曲を題材にしていたりすること、必要以上のことはせず堅実なサポートに接するので、ジャズにおいて電気ベース使用は嫌いと言い切るぼくでも、それほど違和感はなかった。ところで、今は米国をベースとするとも伝えられる彼女だが、サポートの男性3人は皆ラテン系の名前で、なんとなくアルゼンチン人的な風貌を持つ。彼ら、何人なのだろ? なお、ソウザを見て、即アルゼンチン出身と思う人はあまりいないと思う。それは、音楽的にも……。
<今日の、略>
驚きの表明として、外国人はOMGと書いたりもしますね。そしたら、今日のメールのやりとりで、OMBと書いて来た者あり。なんじゃ。そしたら、ぼくが日本人だからガッドじゃなく、仏陀にしてみたとの返事。余計な気配り愛嬌はときにマイナスとなる。そんなことを知った。
そんなスピーチ率いるオルタナティヴ・ヒップホップ・ユニット(2000年4月27日、2000年8月5日、2001年2月3日、 2002年4月17日)の実演を見るのは、たびたび来日しているはずだが、ぼくとしてはなんと10年強ぶり。時がたつのは早い(しんみり)。六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。
MCと歌のスピーチに加え、見た目がうれしい女性コーラス2人、男性MC2人(うち、1人は一部プリセット音の音だしも)、ギター、ベース、ドラムという編成による。PA から出る音は大きめ目、だがスピーチたちの声もよく通り、無理はない。なんかよりサバけ気安くなった風情を持つスピーチは、アフリカン・アメリカン音楽の積み重ねを抱えたオーガニックな広角型ヒップホップ・ミュージック集団のリーダーとしての姿をまっとう。旧曲も屈託なくやる。背後にはスクリーンをたらし映像を流すが、それほど印象的な映像ではない(あまり記憶に残っていない。革命という、漢字が映しだされたときも)し、それは無しでもいいか。かつて、彼らはパパ・オジェという、何もしないおじいさんを象徴的存在のようにステージ上の椅子に座らせていた(2007年10月25日の項、参照を)が、それを思い出させる椅子だけは今も置いてあった。
次は青山・プラッサオンゼで、女性ヴォーカル(2010年12月22日、他)と生ギター(2012年6月17日、他)とキーボードの三者パフォーマンスを見る。淡々悠々、そして笑み。ブラジル音楽やジャジーな行き方に対する共感を重ね、その先に今を生きる3人のたゆたふ協調表現を共有しあおうとしていたと書けるか。そして、Nobieが他人曲にせよオリジナルにせよ、歌詞を見ずに歌っているのにココロで喝采。そうじゃなきゃ。大人系シンガーは判で押したように歌詞を置いたスタンドを前に置くけど、それをしないで大丈夫なら絶対にそれにこしたことはないし、プロならそうあってほしいナと、その様を見ながら、ぼくは思った。伊藤とデュオでやったハービー・ハンコックの「バタフライ」のカヴァーには誘われる。マイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」も清々しくやったな。ファースト・セットを見て移動。
そして、南青山・ブルーノート東京では、アルゼンチン出身の雰囲気系ジャジー・シンガーを見る。彼女はパーティ・ピープル御用達のスペインのイビサ島に行ってダンス・ミュージックを歌ったりしていた人のようだが、もともと低目の歌声もあり、それがジャズぽい方向に流れることに繋がった。そんな経歴を持つ人ながら、ピアノ・トリオを従えたショウはちゃらちゃらしたものを超える、クールな風景を出していて、少し驚いた。まあ、現在、マジなジャズ・シンガーとして認知されているニコール・ヘンリー(2008年4月25日、2009年11月18日、2009年12月22日)ももともとはマイアミのハウス/ダンス・ミュージックのシンガーだったので、そんなに出発点にこだわることもないし、逆にそういう経験も持つから生理的にしなやかな見方を持てるという説明もできるわけだが。
けっこう奇麗に見えるソウザさんは役者、きっちり自分が出すもの、求めるものを分ってらっしゃる。奇麗なブロンド、黒いドレスに身をかため、身長も高め。イケている。で、斜に構えるように椅子に座り、どこか退廃的な感じで、さばさば歌って行く。その様、見事なSっぷりというか、アイス・ドールぶり。だが、その振る舞いや歌い方や歌声や佇まいが見事に合っていて、ちゃんとジャズ・ヴァーカルのエンターテインメントのあり方として大アリ、一つの世界をちゃんと作っている。
歌うのは、カルチャー・クラブからレディオヘッドまでのポップ曲をジャジーに紐解き直した曲を中心に、「マイ・フーリッシュ・ハート」や「サマータイム」などのスタンダードやトム・ジョビンの「ヂンヂ」なども。ポップ曲のアレンジ、実はけっこう巧みでかったるさは皆無。ソウザは別に凝った歌い方をするわけではないが、その抑えられ、醒めた歌唱は無理がなく、意外に音程もちゃんとしている。アンコールでやったCCRの「雨を見たかい」の処理もいいなあ。ジャズのある種のムードをきっちり、プロの行き方として体現していた。
そんなに伴奏者のソロはない(一度、お召替えのとき演奏陣で「いつか王子様が」を演奏)ためもあり、それぞれの曲は長くない。次々と20曲近くやったか。先にピアノ・トリオと書いたが、ベース奏者は縦ではなく、全編エレクトリックを弾く。まあ、ポップな曲を題材にしていたりすること、必要以上のことはせず堅実なサポートに接するので、ジャズにおいて電気ベース使用は嫌いと言い切るぼくでも、それほど違和感はなかった。ところで、今は米国をベースとするとも伝えられる彼女だが、サポートの男性3人は皆ラテン系の名前で、なんとなくアルゼンチン人的な風貌を持つ。彼ら、何人なのだろ? なお、ソウザを見て、即アルゼンチン出身と思う人はあまりいないと思う。それは、音楽的にも……。
<今日の、略>
驚きの表明として、外国人はOMGと書いたりもしますね。そしたら、今日のメールのやりとりで、OMBと書いて来た者あり。なんじゃ。そしたら、ぼくが日本人だからガッドじゃなく、仏陀にしてみたとの返事。余計な気配り愛嬌はときにマイナスとなる。そんなことを知った。
前野健太とソープランダーズ・スペシャル
2013年4月21日 音楽 おもしろかった。ぼくにとってはフォークの範疇にはいり、今ひとつ入り込めないタイプの音楽をするという所感を持つ御仁ではある。ながら、このサポート陣による伴奏と、主役との相乗の様には接してみたいと思った。前野健太の新作『オレらは肉の歩く朝』のプロデュースは、ジム・オルーク(2010年11月17日、他)。そして、前野はアルバム録音参加者たち、オルーク、石橋英子(2011年1月8日、他)、須藤俊明(2010年4月15日)からなるソープランダーズというバンドとともに各地を回り、ぼくが見たのはそのツアーの最終日となるショウ。恵比寿・リキッドルーム。
しかし、こんなにもくるくるとサポート奏者たちは楽器を持ち替えるのかあ。少し驚き、とってもうれしくなる。オルークはギターやベースやキーボードやドラムを、石橋はドラムやキーボードやフルートを、須藤はベースやドラム(あれ、ギターも持ったっけ?)を演奏。やっぱり、ザ・バンドが持っていたバンド員楽器持ち替えの自由をなんとなく反芻してしまうな。石橋のある曲でのオルガン・ソロは(ザ・バンドの)ガース・ハドソンみたいだったかも。必要に応じて、3人はコーラスもとり、オルークは1曲でシャウト気味のスキャット・ヴォーカルを聞かせたりもした。おお。MCの際、前野といろいろ絡んだりもした日本語堪能なオルークは約3割の曲でギンギンにギター・ソロを取る。インプロヴァイザーとしてのオルークが明快に仁王立ち。その際、ニール・ヤングの“ラスト・ネヴァー・スリープス”轟音路線を思い出す人もいた?
終盤では、ヴィオラの波多野敦子、ドラムの山本達久(2012 年1月10日、他)も加わる。「オンナを買いに行こう」みたいな歌詞で始まる曲はもろにタンゴ風味付けが採用されていた。また、アンコールでは前野のワーキング・バンドであるような デビッドボウイたち とのパフォーマンスも。べーシストとドラマー、そしてスタッフ・ベンダ・ビリリ(2010年6月30日、2010年10月3日、2010年10月11日、2010年10月17日)のサントゲのような使われ方をするプリミティヴな弦楽器(中国の二胡?)担当者を擁するが、その編成に触れて、前野って変な人だなという印象を新たにする。
冒頭でフォークという形容を付けたが、前野は全編テレキャスターを持って、堂々歌う。多くの曲は洋楽中心に聞いてきたぼくにはやはり入り込みにくいものではあった(でも、「東京の空」とか、妙にココロに入ってくる曲もある)が、洋楽文脈において燦然と輝くポップ・ロック盤『ユリイカ』をモノにしているオルークは前野のドメスティックな曲作りや歌唱にいろいろと魅力を覚えているのは明らか。彼はこの日と同様のミュージシャンたちを起用したシンガー・ソングライター制作盤(この3月発売の、『423/長谷川健一』)も持つし、5月アタマには今日のような体制でその長谷川のライヴをサポート。また、この日も一部で控え目にキーボードを弾いていたカフカの5月下旬のライヴでも“オルーク組”は鋭意サポートするよう。
ところで、前野のパンチ・パーマがこんもりしたような髪型とサングラスの組み合わせは、井上陽水に対するオマージュがあるのだろうか。
<今日の、気温>
うう、金曜日からまた寒いなあ。今日、J2の松本がホームの東京とのサッカー試合がなんと降雪で中止になった。郡山市での、JFLの試合も同様であるよう。
しかし、こんなにもくるくるとサポート奏者たちは楽器を持ち替えるのかあ。少し驚き、とってもうれしくなる。オルークはギターやベースやキーボードやドラムを、石橋はドラムやキーボードやフルートを、須藤はベースやドラム(あれ、ギターも持ったっけ?)を演奏。やっぱり、ザ・バンドが持っていたバンド員楽器持ち替えの自由をなんとなく反芻してしまうな。石橋のある曲でのオルガン・ソロは(ザ・バンドの)ガース・ハドソンみたいだったかも。必要に応じて、3人はコーラスもとり、オルークは1曲でシャウト気味のスキャット・ヴォーカルを聞かせたりもした。おお。MCの際、前野といろいろ絡んだりもした日本語堪能なオルークは約3割の曲でギンギンにギター・ソロを取る。インプロヴァイザーとしてのオルークが明快に仁王立ち。その際、ニール・ヤングの“ラスト・ネヴァー・スリープス”轟音路線を思い出す人もいた?
終盤では、ヴィオラの波多野敦子、ドラムの山本達久(2012 年1月10日、他)も加わる。「オンナを買いに行こう」みたいな歌詞で始まる曲はもろにタンゴ風味付けが採用されていた。また、アンコールでは前野のワーキング・バンドであるような デビッドボウイたち とのパフォーマンスも。べーシストとドラマー、そしてスタッフ・ベンダ・ビリリ(2010年6月30日、2010年10月3日、2010年10月11日、2010年10月17日)のサントゲのような使われ方をするプリミティヴな弦楽器(中国の二胡?)担当者を擁するが、その編成に触れて、前野って変な人だなという印象を新たにする。
冒頭でフォークという形容を付けたが、前野は全編テレキャスターを持って、堂々歌う。多くの曲は洋楽中心に聞いてきたぼくにはやはり入り込みにくいものではあった(でも、「東京の空」とか、妙にココロに入ってくる曲もある)が、洋楽文脈において燦然と輝くポップ・ロック盤『ユリイカ』をモノにしているオルークは前野のドメスティックな曲作りや歌唱にいろいろと魅力を覚えているのは明らか。彼はこの日と同様のミュージシャンたちを起用したシンガー・ソングライター制作盤(この3月発売の、『423/長谷川健一』)も持つし、5月アタマには今日のような体制でその長谷川のライヴをサポート。また、この日も一部で控え目にキーボードを弾いていたカフカの5月下旬のライヴでも“オルーク組”は鋭意サポートするよう。
ところで、前野のパンチ・パーマがこんもりしたような髪型とサングラスの組み合わせは、井上陽水に対するオマージュがあるのだろうか。
<今日の、気温>
うう、金曜日からまた寒いなあ。今日、J2の松本がホームの東京とのサッカー試合がなんと降雪で中止になった。郡山市での、JFLの試合も同様であるよう。
クロード・マックナイト・ウィズ・カーク・ウェイラム・バンド
2013年4月22日 音楽 人気アカペラ・コーラス・グループのテイク6(2005年11月10日、2012年9月8日)の中心人物であるクロード・マックナイトが、フュージョン・サックス(テナー、一部ソプラノを吹く)奏者のカーク・ウェイラム(2011年2月28日)とそのバンドを従えるステージ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。クロードの弟はソロとして活躍するブライアン・マックナイト。弟のほうはデューク・エリントン楽団(2005年4月13日、2009年11月18日、2012年10月17日)のゲスト歌手として同行来日(2010年11月24日)したことがありましたね。
両者の噛み合いは無理なく良好、ながら選ばれた曲にはちと驚く。冒頭3曲は、ボビー・コールドウェル、ザ・ドゥービー・ブラザーズ、ジェイムズ・テイラーの白人曲を悠々かます。確か、自分の中で重要な曲を選んだと、MCで言っていたよな。弟のブライアンの曲もR&BというよりAOR的な手触りを持っているときがあるが、趣味は兄弟らしく似ているのか。他はデバージやアル・ジャロウなどの、穏健なブラック・ポップ曲を歌う。生理として、かなりブライトで穏健で、大人。ぼくとしては、もう少し濁った感覚があったほうが和めるが、それを排したところで協調しようという意思を持っていたのかもしれない。テイク6は敬虔なクリスチャン達で組まれゴスペルの洗練の極みのような表現を初期は標榜し、ウェイラムは牧師の息子でゴスペル系アルバムもあり……そんな両者の重なる出自が顕われたもの、1曲ぐらいゴスペル曲をやのかと思ったら、それはなかった。というか、この日のレパートリーでそれをやったら、浮きまくりだろう。
<今日の、主役>
MCで初めてのツアーと言っていた、クロードさん。スーツでバシっと固める姿は弟同様に格好いい。2曲目から出て来て、本編最後の曲まで彼は参加。ながら、中盤にはインストゥメンタル曲(ウェイラムがオリジナルでも吹いていた、ウィットニー・ヒューストンの「アイル・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」)とキーボード奏者のジョン・ストッダードの鍵盤弾き語り曲も入れられていた。その際、クロード・マックナイトは中央から袖に退いたものの、楽屋に引っ込んだり、横のスツール席にひっそり座ったりせず、ステージのすぐ横でちゃんと立って、その様を見守る。なんか、真心〜アーティストとしてのまっすぐな姿勢を感じたな。
両者の噛み合いは無理なく良好、ながら選ばれた曲にはちと驚く。冒頭3曲は、ボビー・コールドウェル、ザ・ドゥービー・ブラザーズ、ジェイムズ・テイラーの白人曲を悠々かます。確か、自分の中で重要な曲を選んだと、MCで言っていたよな。弟のブライアンの曲もR&BというよりAOR的な手触りを持っているときがあるが、趣味は兄弟らしく似ているのか。他はデバージやアル・ジャロウなどの、穏健なブラック・ポップ曲を歌う。生理として、かなりブライトで穏健で、大人。ぼくとしては、もう少し濁った感覚があったほうが和めるが、それを排したところで協調しようという意思を持っていたのかもしれない。テイク6は敬虔なクリスチャン達で組まれゴスペルの洗練の極みのような表現を初期は標榜し、ウェイラムは牧師の息子でゴスペル系アルバムもあり……そんな両者の重なる出自が顕われたもの、1曲ぐらいゴスペル曲をやのかと思ったら、それはなかった。というか、この日のレパートリーでそれをやったら、浮きまくりだろう。
<今日の、主役>
MCで初めてのツアーと言っていた、クロードさん。スーツでバシっと固める姿は弟同様に格好いい。2曲目から出て来て、本編最後の曲まで彼は参加。ながら、中盤にはインストゥメンタル曲(ウェイラムがオリジナルでも吹いていた、ウィットニー・ヒューストンの「アイル・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」)とキーボード奏者のジョン・ストッダードの鍵盤弾き語り曲も入れられていた。その際、クロード・マックナイトは中央から袖に退いたものの、楽屋に引っ込んだり、横のスツール席にひっそり座ったりせず、ステージのすぐ横でちゃんと立って、その様を見守る。なんか、真心〜アーティストとしてのまっすぐな姿勢を感じたな。
いやはや。びっくり。こんなに確固とした味、世界を持つ御仁であるとは。今年のトップ5の公演に入るかと思う。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
2006年にジェレマイアという名前で、どこかダニー・ハサウェイの世界を良質に昇華した感じも少し持つ静的かつジャジーなオーガニック・ソウル傾向作を出していた人物(NY州ロチェスター生まれ)だが、なんと彼はジャズとアーバン〜現代ブラック・ポップ路線を自在に束ねるロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)のいとこなのだとか。なるほど、アビアと名義を代えての2012年新作『Life As A Ballad』(Madoh)はグラスパーが参加している。
ギター(エレクトリックとアコースティックを使い分ける)、ウッド・ベース、ドラムを従えてのパフォーマンス。ギター奏者とベース奏者は非アフリカンだ。意外だったのは、ピアノを弾きながら歌うのかと思ったら、基本は中央に立ち、ヴォーカルに専念していたこと。ピアノを押さえながら歌ったのは4曲ぐらいだったか。だが、そんなことは些細なこと。ちゃんと主役の意を汲むバンドとともに、彼はなんとも清新な、オルタナティヴなソウル・ミュージックをあっと驚くほど鮮やかに送り出していたのだから。含みのある、スピリチュアルという形容もできるだろう自作曲(1曲は、プリンスの「ホエン・ダブズ・クライ」の超静謐カヴァー)を、彼は抜群にコントロールされたファルセット・ヴォイス(大学でオペラをやっていたという経歴にも納得させられる瞬間もあるか)のもと広げ、そこにはちょっと例をみない澄み超然とした世界がぽっかりと浮かび上がる。うわー、すごい。ただただ、ため息。マジに。
で、大きく頷かされたのは、そうした手触りを彼は実に慣れた感じで、完璧に生の場で開いていたこと。普段、頻繁にライヴ・パフォーマンスをやっているとも思えないのだが、それに関しても、彼は非の打ち所なし。すげえ、実演能力。日本語の挨拶もイントネーション確かで心がこもっていたし、聞き手に大きく手を開いた態度を見せるのも巧みで、自然。バンドも皆無名の人たちだが、それぞれ腕は確か。
なお、アビアは米フォックスTVのドラマ「ラスヴェガス」にMIT出の配車係役で出てくるジェイムズ・レジャーが大きくなり、堂々とさせたような感じ。こんなに素敵なライヴをあっさりと享受できてしてしまっていいの、彼があまり有名じゃなくていいの……。どこかで、ぼくはそう思いながらショウに接していたかもしれない。
<今日の、そうなのか>
ここのところ、携帯電話の電波が地下鉄でおおいに通じる。どうせ、車内は通話できないのだから、どっちでもいいぢゃん、メールなんか駅に止まっているときに送ったり受信したりすればいいぢゃん、と、ぼくは思っていた。だが、ネットを車内にいて使えるのはすこぶる便利と友人は言う。フェイスブックやツイッターを見たり、書いたり。そうか、携帯でネットを見るという習慣がないぼく〜とうぜん、ガラ携使用者ですね〜は、そんなこと思いもよらなかった。よくもまあ皆、フェイスブックやツイッターをマメに見る時間があるなーと思っていたら、そういうことなのか。ぼくは、1日0.8回ぐらいみるが、30件ぐらい見ると、飽きてしまうことが多い。たまに有益な情報を得るとは分っていても。
2006年にジェレマイアという名前で、どこかダニー・ハサウェイの世界を良質に昇華した感じも少し持つ静的かつジャジーなオーガニック・ソウル傾向作を出していた人物(NY州ロチェスター生まれ)だが、なんと彼はジャズとアーバン〜現代ブラック・ポップ路線を自在に束ねるロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)のいとこなのだとか。なるほど、アビアと名義を代えての2012年新作『Life As A Ballad』(Madoh)はグラスパーが参加している。
ギター(エレクトリックとアコースティックを使い分ける)、ウッド・ベース、ドラムを従えてのパフォーマンス。ギター奏者とベース奏者は非アフリカンだ。意外だったのは、ピアノを弾きながら歌うのかと思ったら、基本は中央に立ち、ヴォーカルに専念していたこと。ピアノを押さえながら歌ったのは4曲ぐらいだったか。だが、そんなことは些細なこと。ちゃんと主役の意を汲むバンドとともに、彼はなんとも清新な、オルタナティヴなソウル・ミュージックをあっと驚くほど鮮やかに送り出していたのだから。含みのある、スピリチュアルという形容もできるだろう自作曲(1曲は、プリンスの「ホエン・ダブズ・クライ」の超静謐カヴァー)を、彼は抜群にコントロールされたファルセット・ヴォイス(大学でオペラをやっていたという経歴にも納得させられる瞬間もあるか)のもと広げ、そこにはちょっと例をみない澄み超然とした世界がぽっかりと浮かび上がる。うわー、すごい。ただただ、ため息。マジに。
で、大きく頷かされたのは、そうした手触りを彼は実に慣れた感じで、完璧に生の場で開いていたこと。普段、頻繁にライヴ・パフォーマンスをやっているとも思えないのだが、それに関しても、彼は非の打ち所なし。すげえ、実演能力。日本語の挨拶もイントネーション確かで心がこもっていたし、聞き手に大きく手を開いた態度を見せるのも巧みで、自然。バンドも皆無名の人たちだが、それぞれ腕は確か。
なお、アビアは米フォックスTVのドラマ「ラスヴェガス」にMIT出の配車係役で出てくるジェイムズ・レジャーが大きくなり、堂々とさせたような感じ。こんなに素敵なライヴをあっさりと享受できてしてしまっていいの、彼があまり有名じゃなくていいの……。どこかで、ぼくはそう思いながらショウに接していたかもしれない。
<今日の、そうなのか>
ここのところ、携帯電話の電波が地下鉄でおおいに通じる。どうせ、車内は通話できないのだから、どっちでもいいぢゃん、メールなんか駅に止まっているときに送ったり受信したりすればいいぢゃん、と、ぼくは思っていた。だが、ネットを車内にいて使えるのはすこぶる便利と友人は言う。フェイスブックやツイッターを見たり、書いたり。そうか、携帯でネットを見るという習慣がないぼく〜とうぜん、ガラ携使用者ですね〜は、そんなこと思いもよらなかった。よくもまあ皆、フェイスブックやツイッターをマメに見る時間があるなーと思っていたら、そういうことなのか。ぼくは、1日0.8回ぐらいみるが、30件ぐらい見ると、飽きてしまうことが多い。たまに有益な情報を得るとは分っていても。
ヴィンセント・ギャロ。ザ・ピート・ベスト・バンド
2013年4月27日 音楽 南青山・ブルーノート東京、そして丸の内・コットンクラブと、二つの音楽会場をはしご。
俳優/監督、絵描き、音楽など、いろんな自己表現を悠々と行っている人物、この日は白のスーツぽい格好で登場。なんと、前回みたとき(2010年12月2日)は基本オーディエンスに背を向けてパフォーマンスしていたが、今回はちゃんと客席側を斜めに見てパフォーマンスした。そんな彼、今回はドラムを叩かず、ダブル・ネックのギターを中心に、ベースやメロトロンを弾き、歌う。サポートは前回見た時の2人とは異なる人たち、1人はギターやベースや鍵盤、もう1人は弦楽器、リード楽器、鍵盤楽器、打楽器などを手にする。そういう構成員間の楽器の絶え間ない持ち替えは、既成概念に囚われていないことの表出につながるか。また一方では、思いついたことはなんでもやりたいという無邪気なアマチュアリズムを透けて見させる部分もあるかもしれない。
前回のショウでも歌ったスタンダード「ムーン・リヴァー」とキング・クリムゾン曲「ムーン・チャイルド」も歌うが、それはショウの最初と最後の曲に置かれていた。テーマは何気に月だった、な〜んて。今回はヴォーカルをとる曲が多く、その中性的な歌はより確かなものになっていた。インストは中盤の終わりぐらいにまとめ、漂う断片を提出したりやもろにフリー・ミュージック的なもの(カチっと曲を終えたナ)を披露。どこかもったいぶった感じも持つその作法は、さすが音楽の世界以外で評価を受けている人だからこそ、とも思わせられるかな。
やはり、そこにはある種のツっぱった無頼性のようなものと、それとは表裏一体にありそうな気取りや柔軟性のようなものが横たわる。そんな実演に触れながら、彼はそうした凸凹を持て余してきた人であったものの、今はある程度折り合いをつけることができていて、そのもやもやを楽しんでいるようだとも、ぼくは感じた。
その後は、ザ・ビートルズのパーロフォンからのデビュー前、ようはリンゴ・スターの前任者として約2年間メンバーであったドラマーのピート・ベストのバンドを見る。ふふふ、ようはジョンやポールやジョージと横並びにいた人……。1941年生まれの彼は1980年代以降に何作かアルバムを出していて、一番新しいアルバムとなる『Haymans Green』(Lightyear)というアルバムはすべてオリジナル曲のもと爽やかにザ・ビートルズ初期風の曲を披露している。そのジャケット・カヴァーにはザ・ビートルズ時代だろう彼の若き日の写真を出すなど、ザ・ビートルズのメンバーであることを利用しているのは疑いないが、音はうまく作ってある。
フロントにそれぞれがリード・ヴォーカルをとるギター、ベース、ギターの3人、そしてステージ後列にドラムを叩く彼に加え、弟であるというローグ・ベストというドラマー。つまり、ツイン・ドラムにてショウはすすむ。兄のほうが高齢にてあまり叩かないのかと思ったら、本人もしゃかりきになって叩いていた。息子と言われても信じそうな大分年齢が離れていそうな弟は要所をきちっと締めるという役割。2度ほど前に出て来てMCをしたりもしたピート・ベストはフライヤーの写真のまんま。ほんとに愛想よく、いい人そう。かつ、若いころはけっこうハンサムだったんだろうなという面影も。初期ザ・ビートルズのなかで、彼が一番女の子にモテたという話があったっけ。なんか、いい老後のように思えた。
ショウは『Haymans Green』の世界を出そうと言う事はせず、まさにピート・ベストがいたころの、ザ・ビートルズのハンブルグ出稼ぎでのショウを再現するような指針を持っていたと言えるか。チャック・ベリーらのロックロール・スタンダードやザ・ビートルズもやっていた「ベサメ・ムーチョ」のような有名曲、ザ・ビ—トルズの初期ロックンロール曲(ロックロールぽいということで『レット・イット・ビー』収録の「ワン・アフター・909」もやった)などを、ざくっと、満面の娯楽性を掲げて披露。なんか2、3曲は初期のザ・スクイーズみたいだなとぼくは思ってしまったものもあったが、それもオールディーズのカヴァーだったのだろうか。それとも、オリジナル? ショウが終わると、ピートさんはサイン会にはげんでいた。
なんか、かなり対比的なヴェクトルのショウを続けて見ちゃったナ、という思い。
<今日の、超赤面>
英語ができるなんて思っちゃいないので、外国人とのやりとりは、ブロークンな英語でえいやっとすませる。単語の使い方、文法が違っていようが、まあ言わんとすることは分るでしょという感じナリ。で、先日アルゼンチン人のミュージシャンからメールが来たので返事をしたのだが……。そのまた返信にはお礼とともに、なんか奇妙な表現だね、fleshってどういう意味?との記載。あちゃー。うわーん。rをlにスペル間違えちゃった。ま、ぼくの英語能力、英語勘なんてそんなもん、なんて開き直っちゃいけないな。かなり、恥。スライ・ストーンの名盤『Fresh』を『Flesh』と書いていたら、酷いなあと、ぼくも思うはずだし、だいいち発音が異なるぢゃん。いかんいかんいかん。ともあれ、そのメールの主のクリスチャンのバンド、ヴァベルの音を紹介します。聞いてみてください。ぼくは大好き、日本にもマーケットあると思うんのだが。前にも一度この項で紹介したけど、一番上の動画は新着デス。
http://vimeo.com/63482799
https://soundcloud.com/valbetrio
https://vimeo.com/47519728
俳優/監督、絵描き、音楽など、いろんな自己表現を悠々と行っている人物、この日は白のスーツぽい格好で登場。なんと、前回みたとき(2010年12月2日)は基本オーディエンスに背を向けてパフォーマンスしていたが、今回はちゃんと客席側を斜めに見てパフォーマンスした。そんな彼、今回はドラムを叩かず、ダブル・ネックのギターを中心に、ベースやメロトロンを弾き、歌う。サポートは前回見た時の2人とは異なる人たち、1人はギターやベースや鍵盤、もう1人は弦楽器、リード楽器、鍵盤楽器、打楽器などを手にする。そういう構成員間の楽器の絶え間ない持ち替えは、既成概念に囚われていないことの表出につながるか。また一方では、思いついたことはなんでもやりたいという無邪気なアマチュアリズムを透けて見させる部分もあるかもしれない。
前回のショウでも歌ったスタンダード「ムーン・リヴァー」とキング・クリムゾン曲「ムーン・チャイルド」も歌うが、それはショウの最初と最後の曲に置かれていた。テーマは何気に月だった、な〜んて。今回はヴォーカルをとる曲が多く、その中性的な歌はより確かなものになっていた。インストは中盤の終わりぐらいにまとめ、漂う断片を提出したりやもろにフリー・ミュージック的なもの(カチっと曲を終えたナ)を披露。どこかもったいぶった感じも持つその作法は、さすが音楽の世界以外で評価を受けている人だからこそ、とも思わせられるかな。
やはり、そこにはある種のツっぱった無頼性のようなものと、それとは表裏一体にありそうな気取りや柔軟性のようなものが横たわる。そんな実演に触れながら、彼はそうした凸凹を持て余してきた人であったものの、今はある程度折り合いをつけることができていて、そのもやもやを楽しんでいるようだとも、ぼくは感じた。
その後は、ザ・ビートルズのパーロフォンからのデビュー前、ようはリンゴ・スターの前任者として約2年間メンバーであったドラマーのピート・ベストのバンドを見る。ふふふ、ようはジョンやポールやジョージと横並びにいた人……。1941年生まれの彼は1980年代以降に何作かアルバムを出していて、一番新しいアルバムとなる『Haymans Green』(Lightyear)というアルバムはすべてオリジナル曲のもと爽やかにザ・ビートルズ初期風の曲を披露している。そのジャケット・カヴァーにはザ・ビートルズ時代だろう彼の若き日の写真を出すなど、ザ・ビートルズのメンバーであることを利用しているのは疑いないが、音はうまく作ってある。
フロントにそれぞれがリード・ヴォーカルをとるギター、ベース、ギターの3人、そしてステージ後列にドラムを叩く彼に加え、弟であるというローグ・ベストというドラマー。つまり、ツイン・ドラムにてショウはすすむ。兄のほうが高齢にてあまり叩かないのかと思ったら、本人もしゃかりきになって叩いていた。息子と言われても信じそうな大分年齢が離れていそうな弟は要所をきちっと締めるという役割。2度ほど前に出て来てMCをしたりもしたピート・ベストはフライヤーの写真のまんま。ほんとに愛想よく、いい人そう。かつ、若いころはけっこうハンサムだったんだろうなという面影も。初期ザ・ビートルズのなかで、彼が一番女の子にモテたという話があったっけ。なんか、いい老後のように思えた。
ショウは『Haymans Green』の世界を出そうと言う事はせず、まさにピート・ベストがいたころの、ザ・ビートルズのハンブルグ出稼ぎでのショウを再現するような指針を持っていたと言えるか。チャック・ベリーらのロックロール・スタンダードやザ・ビートルズもやっていた「ベサメ・ムーチョ」のような有名曲、ザ・ビ—トルズの初期ロックンロール曲(ロックロールぽいということで『レット・イット・ビー』収録の「ワン・アフター・909」もやった)などを、ざくっと、満面の娯楽性を掲げて披露。なんか2、3曲は初期のザ・スクイーズみたいだなとぼくは思ってしまったものもあったが、それもオールディーズのカヴァーだったのだろうか。それとも、オリジナル? ショウが終わると、ピートさんはサイン会にはげんでいた。
なんか、かなり対比的なヴェクトルのショウを続けて見ちゃったナ、という思い。
<今日の、超赤面>
英語ができるなんて思っちゃいないので、外国人とのやりとりは、ブロークンな英語でえいやっとすませる。単語の使い方、文法が違っていようが、まあ言わんとすることは分るでしょという感じナリ。で、先日アルゼンチン人のミュージシャンからメールが来たので返事をしたのだが……。そのまた返信にはお礼とともに、なんか奇妙な表現だね、fleshってどういう意味?との記載。あちゃー。うわーん。rをlにスペル間違えちゃった。ま、ぼくの英語能力、英語勘なんてそんなもん、なんて開き直っちゃいけないな。かなり、恥。スライ・ストーンの名盤『Fresh』を『Flesh』と書いていたら、酷いなあと、ぼくも思うはずだし、だいいち発音が異なるぢゃん。いかんいかんいかん。ともあれ、そのメールの主のクリスチャンのバンド、ヴァベルの音を紹介します。聞いてみてください。ぼくは大好き、日本にもマーケットあると思うんのだが。前にも一度この項で紹介したけど、一番上の動画は新着デス。
http://vimeo.com/63482799
https://soundcloud.com/valbetrio
https://vimeo.com/47519728
龝吉 敏子ジャズ・オーケストラ
2013年4月30日 音楽 日本人ジャズ・アーティストの大の先駆者にして、インターナショナルなジャズの担い手の第一人者であるピアニスト(1929年生まれ)の、夫のリード奏者のルー・タバキン(1940年生まれ)を立てての結成当初はとってもプログレッシヴでもあったビッグ・バンドの、90分あまりのショウを見る。同バンドは(結成30周年となる)2003年に解散、今回は特別に再結成してのものとなる。
彼女にプラスして、今回の団員は16人。偶然だろうが、アフリカ系の奏者は1人もいない。楽曲は代表曲「ロング・イエロー・ロード」を皮切りに、青森や広島ゆかりの曲、オーケストラの第一作のタイトル・トラックの「孤軍」やヘンリー・マンシーニ的な賑やかしな諧謔性を持つ「フィースト・イン・ミラノ」(比較的、新し目の曲となるのかな? この曲はラテン系の打楽器奏者が加わった)などを緩急おりまぜて、いろいろと披露。「孤軍」は雅楽要素を入れた曲だが、出だしの謡と鼓の音はプリセットの音を用いる。管セクション音は笙のごとき響きを活用したと書きたくなるもの。MCで彼女は、「こういう和洋折衷は日本で絶対には叩かれると思ったのに、評判が良かった」というようなことをコメントした。
いやはや、しかし。龝吉敏子は現在83歳だが、凛としていて(背筋もピンっ)、スタイリッシュで、遠目には20歳はゆうに若く見える。それだけで、感心させる何かを彼女はしかと放つ。うわー。さすが困難な道を鋭意歩んで来ているパイオニア、本物の麗しき女傑だァとも、ぼくは唸った。音楽だけでなく、その若々しくもしゃきっとした存在感に、ぼくは大きく頭をたれちゃったな。
この晩はブルーノート東京の開店25周年を祝うクローズドのショウ。実は今回、初めて彼女の大所帯編成公演に触れるのではないかと思っていた。ところが、見ているうちに四半世紀ぐらいは前に彼女たち(当時は、龝吉 敏子/ルー・タバキン・ビッグ・バンドと名乗っていたはず)を見たことがあったのを思い出す。いやあ、本当に物事って忘れるナ。今回、あまりピアノを弾かずディレクションにあたる彼女の姿と山ほどのソロのパートを与えられるタバキンの様に触れて、これは前に見たことがあるゾと確信した次第。なお、そういう奏者依怙贔屓もビッグ・バンド表現にはよくあることであります。
<今日は、IJD>
あははは。略すと、なんのことだか分りませんね。なんでも、昨年から、ユネスコに顔の効くハービー・ハンコックの音頭とり(?)で、毎年4月30日は<インターナショナル・ジャズ・デイ>としてユネスコ制定されたのだという。それで、今年は同日にトルコのイスタンブールで、ハンコック他の米国人の人気/実力者が山ほど集まったショウが持たれ、それは映像配信されたようだ。その流れで日本でもお茶の水で3日間にわたり無料のイヴェントが開かれ、そこにはこのオーケストラも出演。MCで風が強くて大変だったと彼女がMCで言っていたので、野外でパフォーマンスしたのだろうな。
個人的な事を少し書けば、彼女のアルバムは比較的若いときに購入した。とにかく、龝吉さんの名声は凄くて、それは大ロック愛好者でもあったぼくの耳にも届き、ぼくは高校生のときに背伸びして、彼女の『インサイツ』(RCA,1976年)を購入。当然真価は分らなかったが、なんかすげえ重厚で気品があって、アートな音楽であると感じたのは確かだ。そのアルバムでも彼女は雅楽の奏者たちを参加させていたが、その作法にもぼくは驚き、唸った。それは、今考えると、チャーリー・ヘイデン(2009年9月10日、他)の『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(インパルス、1969年。2001年11月20日の項を参照されたし)におけるコラージュ的音使用の流れにあると取れなくもないが、日本人であることを真摯に見つめ直す課程で出て来た行き方だったのだと思う。そこで邦楽古典の音楽家たちが参加していたのは、「墨絵」と言う曲と20分を超える組曲「水俣」の一部。楽曲に意味を持たせようとする考え方は、一時の彼女のバンマスであったチャールズ・ミンガスのそれを自然に受け継いでいるからかもしれぬ。「墨絵」のほうにはローティーンだったマンディ満ちる(そのときのクレジットはマンディ・マリアーノ。彼女は最初の旦那さんだったチャーリー・マリアーノ〜2005年12月18日〜との間に生まれた娘だった)も加わっていた。話はとぶが、チャーリー・ヘイデンは身体の調子が良くないとの話が伝わってきていたりもするが。
彼女にプラスして、今回の団員は16人。偶然だろうが、アフリカ系の奏者は1人もいない。楽曲は代表曲「ロング・イエロー・ロード」を皮切りに、青森や広島ゆかりの曲、オーケストラの第一作のタイトル・トラックの「孤軍」やヘンリー・マンシーニ的な賑やかしな諧謔性を持つ「フィースト・イン・ミラノ」(比較的、新し目の曲となるのかな? この曲はラテン系の打楽器奏者が加わった)などを緩急おりまぜて、いろいろと披露。「孤軍」は雅楽要素を入れた曲だが、出だしの謡と鼓の音はプリセットの音を用いる。管セクション音は笙のごとき響きを活用したと書きたくなるもの。MCで彼女は、「こういう和洋折衷は日本で絶対には叩かれると思ったのに、評判が良かった」というようなことをコメントした。
いやはや、しかし。龝吉敏子は現在83歳だが、凛としていて(背筋もピンっ)、スタイリッシュで、遠目には20歳はゆうに若く見える。それだけで、感心させる何かを彼女はしかと放つ。うわー。さすが困難な道を鋭意歩んで来ているパイオニア、本物の麗しき女傑だァとも、ぼくは唸った。音楽だけでなく、その若々しくもしゃきっとした存在感に、ぼくは大きく頭をたれちゃったな。
この晩はブルーノート東京の開店25周年を祝うクローズドのショウ。実は今回、初めて彼女の大所帯編成公演に触れるのではないかと思っていた。ところが、見ているうちに四半世紀ぐらいは前に彼女たち(当時は、龝吉 敏子/ルー・タバキン・ビッグ・バンドと名乗っていたはず)を見たことがあったのを思い出す。いやあ、本当に物事って忘れるナ。今回、あまりピアノを弾かずディレクションにあたる彼女の姿と山ほどのソロのパートを与えられるタバキンの様に触れて、これは前に見たことがあるゾと確信した次第。なお、そういう奏者依怙贔屓もビッグ・バンド表現にはよくあることであります。
<今日は、IJD>
あははは。略すと、なんのことだか分りませんね。なんでも、昨年から、ユネスコに顔の効くハービー・ハンコックの音頭とり(?)で、毎年4月30日は<インターナショナル・ジャズ・デイ>としてユネスコ制定されたのだという。それで、今年は同日にトルコのイスタンブールで、ハンコック他の米国人の人気/実力者が山ほど集まったショウが持たれ、それは映像配信されたようだ。その流れで日本でもお茶の水で3日間にわたり無料のイヴェントが開かれ、そこにはこのオーケストラも出演。MCで風が強くて大変だったと彼女がMCで言っていたので、野外でパフォーマンスしたのだろうな。
個人的な事を少し書けば、彼女のアルバムは比較的若いときに購入した。とにかく、龝吉さんの名声は凄くて、それは大ロック愛好者でもあったぼくの耳にも届き、ぼくは高校生のときに背伸びして、彼女の『インサイツ』(RCA,1976年)を購入。当然真価は分らなかったが、なんかすげえ重厚で気品があって、アートな音楽であると感じたのは確かだ。そのアルバムでも彼女は雅楽の奏者たちを参加させていたが、その作法にもぼくは驚き、唸った。それは、今考えると、チャーリー・ヘイデン(2009年9月10日、他)の『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(インパルス、1969年。2001年11月20日の項を参照されたし)におけるコラージュ的音使用の流れにあると取れなくもないが、日本人であることを真摯に見つめ直す課程で出て来た行き方だったのだと思う。そこで邦楽古典の音楽家たちが参加していたのは、「墨絵」と言う曲と20分を超える組曲「水俣」の一部。楽曲に意味を持たせようとする考え方は、一時の彼女のバンマスであったチャールズ・ミンガスのそれを自然に受け継いでいるからかもしれぬ。「墨絵」のほうにはローティーンだったマンディ満ちる(そのときのクレジットはマンディ・マリアーノ。彼女は最初の旦那さんだったチャーリー・マリアーノ〜2005年12月18日〜との間に生まれた娘だった)も加わっていた。話はとぶが、チャーリー・ヘイデンは身体の調子が良くないとの話が伝わってきていたりもするが。