実はぼくよりメイシオ・パーカー(2010年2月16日 、他)に入れこんでいると思われる人が、こんなんことを言った。「前回、来日がキャンセルになったじゃない。あんときけっこう大病だったみたいで、いつまでメイシオを見れるか分らないよ」。事実はどうかは知らないが。ちなみに、御大、今度のヴァレンタイン・デイでちょうど70歳となる。

 そしたら……。確かに前より痩せていたけど、ものすげえ元気じゃん。オープナー(「オン・ザ・フック」だったっけ)はメンバーにがんがんソロを回したんだけど、もうソリストたちをジャスチャー大げさに煽るあおる。そんなメイシオを見るのは初めて。放っておいたら、ムーン・ウォークまでしちゃうんじゃないかと思わせるほどの勢い。で、より歌をかます頻度は高くなったかもしれない。あんましよく覚えていないけど、何気にソロをかます時間は少なくなった? そういえば、4、5年前から加入したコートニー・バイン(2012年12月17日、他)・バンド出身の英国人トロンボニストのデニス・ロリンズのソロのパートは間違いなく減っていた。

 なんてことは、まあどうでもいい、JB表現を技ありで再開示する意思をみなぎらせる、極めて密度の高いファンク・ショウをきっちり遂行。見ていて、いっぱいかけ声をあげちゃったな。

 ここのところの不動のメンバーに少し変更ありで、元JBファミリーのマーサ・ハイ(2005年9月6日、2007年9月13日、他)に加え、もう1人女性コーラスがつく。パーカー姓を持つ20代とおぼしき彼女、バック・コーラスをしている分には問題ないが1曲リード・ヴォーカルを取ったら、役不足だった。今回、マーサ・ハイも1曲前に出て来て歌ったが、ゴスペル調に声を張り上げるそれは出色。すげえ、いい歌い手。昇天。やっぱり、才ある人をJBは揃えていたのだとも痛感。彼女を真ん中に据えたショウも大ありとぼくは感じた。故マーヴァ・ホイットニー(2006年6月8日)のアルバムを熱意制作したオーサカ=モノレール(2006年6月8日)、次は彼女のアルバムを作らないかな。

 それから、ドラマーも若造に変わったが、なんとメイシオの弟にして、一時はジェイムズ・ブラウン・バンドの屋台骨を担ったメルヴィン・パーカーの息子だそう。そのマーカス・パーカーは、実に優れた叩き手。しかも年相応(?)に一部ではPC音もさりげなく自分のオペレートで生ドラム音に重ねていた。あと、長年在籍する元P-ファンクのロドニー・スキート・カーティスのベースはやっぱ好きだなあ。六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。

 次は、南青山・ボディ&ソウルで、在NYの俊英ドラマーのトリオを見る(ファースト・ショウ)。ビルボードライブ東京も盛況だったが、こちらも紛うことなきブル・ハウス。いやあ、音楽ファンがいっぱい。
 
 テレンス・ブランチャード公演の項(2009年3月26日)で、その在籍者をはじめとする同年代の視野の広い共通認識を持つ在NYのミュージシャンのサークルがあるんじゃいかと記しているが、ケンドリック・スコット(2009年3月26日)もそのなかの1人。でもって、彼はロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)、ビヨンセ(2006年9月4日、他)、マイク・モレーノ(2008年11月22日)、エリック・ハーランド(2013年1月6日、他)、ジェイソン・モラン(2013年1月6日、他)、クリス・デイヴ(2012年9月21日、他)などが出ているヒューストンのパフォーミング&ヴィジュアル・アーツ高校の出身。なんか、驚異の高校? 聞けば、オーディションを受ければ入れるが、入学してからの生徒間の競争は半端ないとか。特に1学年下のジャマイア・ウィリアムズ(2012年3月3日、他)には脅威を感じたという。で、彼は洒落になんねえと頑張ったら上達し、その後バークリー音楽大学に進み(主専攻は教育で、5年通ったそう)、卒業すると同時にザ・クルセイダーズとテレンス・ブランチャードのバンドから即お呼びがかかったという秀才だ。実際、奇麗な英語を話す人で、そういう印象を持たせる。

 そんな彼はケンドリック・スコット・オラクルと名乗るバンドを持っているが、近く出るコンコード発の2作目はなんとスフィアン・スティーヴンスの曲を歌つきで開いていたり(歌っているのは、グレッチェン・パーラト〜2012年2月22日、他〜やアンドリュー・バード〜2010年2月3日〜の表現に助力しているアラン・ハンプトンという白人。彼の『The Moving Sidewalk』というリーダー作はかなりいい!)、相当にレディオヘッド好きなんだろうな思わせる曲が入っている。実際、同様のテイストを持つクリスチャン・スコットとは親戚なんじゃないのと言われたりもするそう。あ、苗字が同じなのか。ながら、一番好きなのはスティーヴィ・ワンダーとプリンスと言ったりもする彼ではあるが。

 今回はテイラー・アイグスティ(ピアノ。2012年2月22日、他)とヴェイセンテ・アーチャー(ベース。2010年7月24日、他)が同行してのパフォーマンス。で、まるっきりオラクル表現とは別物もののジャズ・ピアノ・トリオのパフォーマンスを彼は披露する。スコットは自ら曲を書きオラクルの新作でも4曲オリジナルをやっているが、ここではアイグスティの曲やヴィクター・ルイス(2012年10月17日、他)やチック・コリア(2007年10月1日、他)の曲、ハービー・ハンコック(2012年3月3日、他)は2曲(うち、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」は新作でも取り上げている)など、全て他人の曲で通す。まあ純ジャズの行き方に終始したが、だからこそ、きっちり基本をおさえつつ(彼はレギュラー・グリップにて叩く)、そこここで見所あるドラミングをしていたのはよく伝わった。そういえば、彼はスティック、ブラシ、マレットを自在に用いて叩いていた。

 彼は、ドラムへの対し方が広い。そんなことがよく伝わるのが、2つあったドラム・ソロのパート。最初のほうはすべて素手でやり、ヘッドをこすって音を出してみたりもする。また、後の時には最初スネアを裏返し(つまり、金属の共鳴用帯が上になる)にして叩く。すると、なんかエフェクターを通したような音が出て来てびっくり。そんなことする奴は初めてだ。なんか、ジャズ・ドラマーであることをまっとうしつつ、開かれた視点を持ち続けているのがよく出ていた。

<今日の、異変>
 朝、目覚めてあらら。毛布を蹴飛ばして、掛け布団だけで寝ていたよう。昨日の夜は少し雨が散らついたりもしたが、夜半〜早朝はそんなに温かかったのか。……そしたら、確かに昼間はエ〜ってぐらい暖かい。ぽかぽか。日中は20度近くまであがり4月の気温であったそうな。湿度も低くはなかったような。今日、成田や羽田についた外国人は、日本ってなんて温暖なんだと驚いたに違いない。
 青山・プラッサオンゼで、2グループを見る。ぐうぜん、リーダーがともに飲み屋経由で顔見知りだなあ。

 まず、広義のラテン/トロピカルほのぼの情緒を持つ手作りポップを送り出すコロリダス。歌とギターを担当するリーダーのしみずけんたにくわえ、ウッド・ベース(を担当の、ぽん は2000年代後期にキューバでカチャイート〜2001年11月21日〜に師事、そのとき高齢の名人は亡くなったという)、スティール・ドラム、トランペットという編成。普段はもう1人打楽器奏者が入って、5人でライヴをすることが多いらしい。ともあれ、どこか人を喰ったところも持つ、天真爛漫さも覚えさせる、ペーソス溢れる、人懐こい弾んだポップ曲をきかせる。言葉がちゃんと聞こえるのがいいよね。彼らのビールの歌は、ビールが飲みたくなる。彼ら、2週間前にもここでライヴをやり、重なるお客さんもいるというので、この晩は普段はあまり披露しないブルジル曲カヴァーをいくつか披露したりも。1番はポル語歌詞で歌っても、2曲は自らつけた日本語歌詞で送り出すのは彼ららしいか。この日はどちらかというと、少し格調高いコロリダスであったらしい。

 続いては、カンタス村田とサンバマシーンズ(2012年10月27日、他)のベーシストでもある渡辺健吾が率いるトリオ・バンド。彼にプラスし、さいとうりょうじ(ギター)と副島泰嗣(ドラム)。これが初ライヴらしいが、メンバー名を綴ったバンド名は少し気がなえるなあ。インストと渡辺が歌うヴォーカル・ナンバー(たぶん、ブラジル曲)が半々ぐらいづつ。まあ、どっちにしろインスト部はたっぷりとられているのだが……。ん。あ。ああああん。なんと、ギタリストは本場ブルース・マンのように堂にいったピックを用いない奏法で演奏しているのだが、徐々にぼくはそのギタリストの一挙一動に釘付け。

 えええ、こんなギタリストが日本にいたの? もう引っかかりたっぷり、そして存分に味と歌心アリ。感じとしては、米国ヴェテランの激渋アフリカ系プレイヤーという感じ。あとコードの分散〜発展の仕方ははジョン・スコフィールド(2012年10月10日、他)に近い部分があるかもしれない。本人はここ数年デレク・トラックス(2006年11月20日、他)にやられていると言っていたが、なるほど、(この日はスライド・バーをはめなかったが)彼のギター演奏に近い部分もあるか。ぼくの趣味ではトラックスより彼のほうがグっと来る。あ、全身でクライしているような感じでギターを弾く様は山岸潤史(2012年9月8日、他)を思い出させたりもする? ありったけの含蓄と閃きのもと、えも言われぬフレイズが溢れ出る。なのに、彼はまだ(おそらく)20代、いやはやすごすぎ。エリック・ゲイルみたいな演奏もお手のものだろう。

 普段はアメリカン・ロックぽいバンドをやったり、1人でギター弾き語りなどもする人のようだが、この晩のようなブラジルっぽいことはしていないようで、やる曲のコードがいつもより100倍多いとMCで言っていたような気もするが、それもきっちり味ありでこなす。彼は一時は鍵盤をやっていたこともあるというし、譜面もOKのよう。じゃなきゃ、今日みたいなこと器用にできないよな。この晩のブラジル調楽曲とギター演奏のうれしいミスマッチな様は、「レッツ・ダンス」期のデイヴィッド・ボウイにおけるスティーヴィ・レイ・ボーンというか、ウィルコ(2010年4月23日、他)に入ったフリー・ジャズ・ギタリストのルネス・クライン(2010年1月9日)のようというか、トム・ウェイツやエルヴィス・コステロ(2011年3月1日、他)におけるマーク・リーボウ(2011年8月4日、他)の如しというか。そうか、今日の演奏だと、偽キューバ人プロジェクトにおけるリーボウの演奏が生理的に近いかもしれない。綻びと歌心のマリアージュ、ということで。あ、ぼくがプロデューサーだったら、即刻リーボウとお手合わせするアルバムを企画しちゃう? ケンゴくんには、こういうギタリストとできるのだったら、ビル・フリゼール(2011年1月30日、他)のアメリカーナ路線のブラジル楽曲版みたいなことをすればと注進した。

 さいとうりょうじ というギタリストに着目してきている人には何を今さらという感じだろうが、初めて接したぼくは仰天、ケラケラ笑いながら衝撃を受けまくった。おそらく、2013年最大の音楽家との出会いになるのではないか。いやはや、ぼくの好みのギタリストの大ストラク・ゾーンじゃ。

<今日の、破綻>
 節分だ。近年、スーパーやコンビニの恵方巻き商戦がハンパなく、ぼくはなんとなく戸惑っている。急に、そうなっちゃったよな。実は食べたことないのだが、多少豪華目の太巻き、にしか思えないが。機会があればよろこんで試すが、無理して食べるものでもないだろうと、ぼくは判断してしまう。もともと西日本のアイテムと聞いたことがあるが、ならばずっと知らなかったのも合点が行く。でも、ある関西人は、そんなの知らねえと言っていた。豆じゃあんまり儲からないところ、エンギものとしてお金を引きだせる<節分に恵方巻きを食べましょう>というヘンてこ行為を、あれだけ世に広めた仕掛人側の手腕には舌を巻く。やっぱ、日本人ってイヴェント好き? 今日、如才ない知人がライヴ会場に2種類の恵方巻きを差し入れとして持って来た。で、年ごとに変わるラッキー方角に向かい一気食いすると幸福が訪れるとか、講釈をたれやがる。あんな太いの一気喰いできる人いるのか。挑戦した人はみんな失敗していたような。爆笑。とってもマンガな、破綻をはらんだ習わし/食い物であるのを、ぼくは知った。
 代官山・晴れたら空に豆まいて。“島の風、砂漠の風”という副題がついた久保田麻琴(2010年12月4日、他)が提供する出し物。

 まずは、”砂漠の風”の巻で、ウード奏者の常見裕司のソロ・パフォーマンス。楽器を演奏するだけでなく、その異なる文化圏にある楽器のポイントや、曲の説明を曲間にゆっくりと彼はする。少し、ウード講座という感じもあるか。心から音楽を謳歌演奏するという感覚からは外れるが、その道の音楽や楽器に詳しい人以外は、有益で示唆に富む情報提供/パフォーマンスと言えるだろう。その弦を普通にポロロンと1弦(複弦のようだから、2弦となるか)づつ弾くだけでも、アラブの雰囲気が濃厚に出る。へえ。演奏は滑らか、なんか牧歌的と感じさせるところもあり、ウードという楽器を用いて、もう少し一般的なフォーク・ソングを演奏しているという所感もぼくは得た。

 そして、大工哲弘。八重山民謡の第一人者。65歳になるそうだが、全然老いた感じはなく、まさしく今油が乗っていると言う感じ。冒頭2曲は三線の弾き語り。なるほど、活き活き。今の民謡としての輝きや張りを持つと感じる。で、おやじギャグも目一杯カマすが、話がとっても達者。それは、当人のフランクさや快活さを直裁に伝える。

 それ以降は、ギターの久保田麻琴、鍵盤のロケットマツ、ぼくは細野晴臣(2013年1月29日、他)のサポートで見ているはずのドラムの伊藤大地が全曲で加わる。さすがおおらかな進歩派たる彼らしく、”島の風”と乱暴に言えばロック/ポップ流儀にあるバンド音がなんら違和感なく重なる。惹かれるなあ。ロケットマツがアコーディオンを持つときは、なんかザ・バンドがサポートしているみたいな雰囲気も出る。へへ。久保田は単音でいくときはベース的な音をだし、ときにおいしいコードで先を照らす光や広がりを与える。そして、そこから八重山の積み重ねを内にどかんと持つ大工の強さや味がすうっと仁王立ちする。

 強い文化をちゃんと持つ者、自らの文化に強い自負を持つの者は、他の文化の美点にも敬意を払い、寛容である。そんな理を認知させるようなパフォーマンス。千正夫の「星影のワルツ」も、いい塩梅でカヴァーした。MCによれば、この実演の前に彼らはレコーディングをしているそう。こりゃ、そうとういい感じの内容になるのではないのかあ。アンコールは常見もそこに加わった。

 終演後、知人に紹介していただき大工さんと少しお話しした。若い時はけっこうイケ面だったと思われる。今もパっと見たら、民謡をやっているというよりは、ザ・ヴェンチャーズのコピー・バンドやってますと聞いたほうがピンと来るかも。彼に、八重山は沖縄島とは別な感じもあったでしょうが、何歳まで米国統治下であったんですかと、思わず聞いてしまう。それ、なんか彼にぼくはハイカラな印象をおおいに得たことによる。あのころ、沖縄にはいろいろフィリピンのバンドが来ていたそう。関係ないが、八重山諸島の上が尖閣諸島なんだよな。


<今夜の、空模様>
 1月14日に大雪が降ったのだが、それと同様の雪が今夜夜半から降ると言われ、多くの人が構える。ぼくも少し。確かに、あれはすごかったもの。ダイヤ混乱を予想して、鉄道は間引き運転するなんてこともすでに報道されていた。ライヴの後に気持ちよく流れ、飲み屋を2時ごろに出るころはまだ雪は降っておらず。過剰に寒くもなく。→結局、起きても雪はあまり降らなかった。まあ、自然の予想は難しいよね。
 激わくわくって、熱心なファンだらけだったんだろうな。まあ一介のロック・バンドとして接して来ているぼくは、平常心で見に行ったけど。昨年の渾身(?)の旧作リマスター盤リリースだけでなく、抜群のタイミングで22年ぶりの新作『mbv』が発表されたばかり。それにしても、追加も含めて、都内のスタンディングの音楽会場ではトップの大箱と言える新木場・スタジオコーストで3日間の公演というのはすごいな。おそらく、複数日行くゾと張り切る人も少なくないと思うが。ちなみに、再結成後の2008年のフジ・ロックに続いての来日となる。

 シューゲイザーというロック用語も用いられる、アイルランドで結成された4人組。刺やノイズの感覚を孕む、なんかスタンスは大胆さも感じさせる、想像力をくすぐる轟音ギター・ロック表現の雄。かつて英国でやった公演でメイカーとのタイアップで耳栓を配ったというニュースが流れたことがあったが、日本公演でも入り口で耳栓を配る。ハハハ。でも、それが必要なほど音は大きくはなかった。前にもたぶん書いたことがあるけど、ぼくが接した一番音が大きなロック公演は、1980年代後期のジョージア・サテライツ@新宿厚生年金会館。あれは次の日も耳が完全に死んでいた。

 平板な(でも、強靭さはそれなりに持つかな)リズムのもと、いろんな情緒を孕むエフェクター経由のギター音が悠然に、ときに険悪に乗る。入る歌は歌っていることは分るがサウンドに埋もれ、メロディ・ラインは分らない。笑える。だが、それが彼らの流儀と思わせちゃう。新作からも1曲やったが、2回途中で辞めて、やり直す。最後の曲では、20分弱、ガガガガガと同一コード/テンポによるバンド一丸の畳み掛け演奏を延々続ける。わー、見事な芸。そのままスパっと終わればクールと思ったが、また短い歌パートに戻って曲を無難に終え、ショウも終了。変なもあもあ感に、ぼくは笑いっぱなし。そして、ファンは悶絶している様子がありあり。
 
 そのリーダー、ギターと歌のケヴィン・シールズは一時プライマル・スクリーム(2000年2月11 日、2002年11月16日、2005年7月31日、2009年1月28日、2011年8月12日)に加わっていたが、それとともに、かつて見たカナダのダンス・カンパニーの実演(1999年12月5日参照)に楽曲を提供していたことなんかをすうっと思い出してしまったのは、どこかにアートぽい局面を抱えていたからだろうか。

<今後の、豪州>
 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインはこの後、豪州であるオール・トゥモローズ・パーティに出たりもするよう。今、オーストラリは夏だよなあ。夏と秋の変わり目に開かれるバイロン・ベイのブルース・フェスティヴァル(2007年4月5日、2007年4月6日。今年は3月28日から4月1日に開かれる)は、相変わらず豪華。うち、ウィルコ、ジミー・クリフ、シュギー・オーティス、アレン・ストーン、ルーファス・ウェインライトなどは、その前後に日本でも公演をやる。が、同フェスには他にも、ポール・サイモン、ロバート・プラント、ボニー・レイット、ベン・ハーパー、イギー&ザ・ストゥージーズ、マヌー・チャオ、スティーヴ・ミラー、カウンティグ・クロウズ、クリス・アイザック、タージ・マハール、ザ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、ベティ・ラヴェット、ジョーン・アーマトレイディングなど、いろいろ出演。うーむ、もう少し日本によってもいいのではないかなー。
 自分であらんとする意思が横溢する米国外生まれのジャズ・ピアニストの、それぞれのグループ公演を2つ見る。

 まずは丸の内・コットンクラブで、いろんなものがミックスしている(1966年生まれ。父はフランス人で、母はアメリカ人。ベルリン生まれで、育ちはパリ。米バークリー音楽大学卒業後はフランスを拠点としカサンドラ・ウィルソンとの双頭リーダー盤を作ったりもするが、1990年ごろからNYに住む。長年ブルーノートからアルバムをだしていたが、昨年ユニヴァーサルに移籍した)ジャッキ・テラソン(2009年5月18日、2010年5月6日)のトリオ。パリ録音の『ガッシュ』と名付けられた新作はエレクトリック・ピアノを積極的に弾いたり、電気ベースも使用したり、雰囲気派の女性歌手に歌わせたり、エイミー・ワインハウス曲をやったりと、彼にしてはかなりポップ方向にふったなという感じだったが、今回の来日のショウは普通にトリオで、アコースティックにすすめる。リズムはその新作でも弾いていたバーニス・トラヴィスとラヴィ・コルトレーンのグループにいるE.J.ストリックランド。トラヴィスは電気ベース(2本?)も置いていたが弾かず。ストリックランドはマーカス・ストリックランドのバンドでも叩いているが、もしかして兄弟か血縁者? 

 まっすぐではないことが美徳で今様さも感じさせる今回のトリオ演奏は1曲の長さは例によってそこそこ長め。手あかにまみれたスタンダードの「キャラヴァン」や「枯葉」は大胆にくずし飛躍させ、マイルス曲「ナルディス」ら複数曲をだまし絵的にマッシュ・アップしたものもやる。聞き手をホロっとさせたジョン・レノンの「オー・マイ・ラヴ」は新作でもやっていた。あちらは、ヴォーカル曲だったが、ことらは詩的なインストにて開示。やはり、いろいろ、我が道を行っていました。

 次は南青山・ブルーノート東京で、1944年ジャマイカ生まれのモンティ・アレキサンダーの7人による公演を見る。NYジャズ側にいるリズム・セクション(ウッド・べース、ドラム)と、ジャマイカのレゲエ奏者(キーボード、歌/電気ベース、打楽器/ギター、ドラム)が左右に位置し、中央には両側にまたがりグランド・ピアノを弾く(一部、ピアニカと歌も)御大が位置する。そして、彼のディレクションで同じ曲のなかでそれぞれのバンドが交換/交錯。とにかく、やっているそれぞれのミュージシャンたちがうれしそう、白い歯がこぼれる。

 アレキサンダーの前回の来日公演はスライ&ロビー(1999年12月6日、2009年3月7日、他)をリズム隊に従えたジャズ・ジャマイカ(2011年11月4日)名義のものだったが、このダブルのバンドを従えての彼の実演を見るのは3度目。過去の模様は、それぞれ1999年8月18日と2006年6月14日の項を見てほしいが、どちらかと言うとぼくは1999年のほうの時の内容に近いと思ったかな。終盤に、それなりに年の離れた奥さんが出て来て少し歌ったのも共通するし。ま、なんにせよ、ジャズ・ピアニストという以上に、自らの出自を謳歌する快楽型音楽実践者としての姿を嬉々として求めるノリは同じであり、ジャズもジャマイカン・ミュージックも元は同じ、アフリカを根っこに置くビート・ミュージックなんだよと快活に語りかけるものであったのは間違いない。この晩は、ジャズ曲とともに、ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン、ノークライ」や「スリー・リトル・バーズ」なども歌付きで取り上げる。しかし、こういう複合的な設定で王道のピアノ・トリオのスタイルでアレキサンダーがソロを取るとジャズっていいなとも思わされる。

<R.I.P. ジェイン・コルテス>
 知人からのメールで知ったのだが、詩人/ジャズ・ポエットであり、オーネット・コールマン(2006年3月27日)と結婚していたこともあるジェイン・コルテスが、昨年12月28日にマンハッタンで心不全のために亡くなった。享年、78歳。なるほど、NYタイムズのネット版でもちゃんと報じられている。知らなかった……。2月6日にお別れの会が開かれたよう。デナード・コールマン(2006年3月27日)の母親でもある彼女は、ハーモロディック・ファンク路線+ブルース+αにあるバンド・サウンドにイケすぎてる肉声を載せたアルバムをいろいろ出していて、詩集、アルバムともに10作を超える。また、ラングストン・ヒューズ賞などの賞もいろいろ受賞していたようだ。まさしく、ぼくにとっては、スーパー・ママ√!
  納得の2人と、あまり結びつきを感じない女性歌手が重なったライヴ。まあ、とってもおおまかに重なる項目を挙げれば、ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)という用語が有効だった時期、1980年代に出て来たR&B歌手たちであるとは言えるのか。共通のバンド(5人編成のそれは完全な生音で勝負。プラスして、女性コーラスが2人)を用いてのもの、向こうでも同様のパッケージのショウをやっているのかな。六本木・ビルボードライブ、ファースト・ショウ。1時間40分やってくれた。

 オニール(1953年、ミシシッピ州ナッチェス生まれ)とシェレール(1958年LA生まれ)はタブー・レコードに所属し、デュエットをしあうなどもし、1980年代下半期にぶいぶい言わせたお二人。彼らのアルバムはどれもプリンス・ファミリー出身の名制作者チームであるジミー・ジャム&テリー・ルイスが作っていましたね。両者をフィーチャーした“タブー・ナイト”という出し物も東京で複数回行われたことあったよなー。少なくとも、1回は行った。あれ、エムザだったっけ? ←あのあたりのブラコン系のライヴというと、真っ先に有明(当時は、車でしか行けなかった)のバブルな建物を思い出すよなー。リネンがけ丸テーブルに着席して飲めたエムザのガディルという箱のほうは、宇宙人みたいなと書きたくなるミニの制服を着ていた女性がサーヴィスしていたよな。ああ、バブルきわまりない時代、それを思い出すと少し甘酸っぱい気持ちにもなる。でも、スタンディング会場のエムザのほうはR.E.M.なんかも来日公演をそこでやっている。

 で、今回はその2人に、1980年代上半期にルネ・ムーアと男女デュオであるルネ&アンジェラを組んで世に出た、アンジェラ・ウィンブッシュ(1955年、セントルイス生まれ)も加わる。彼女は歌うだけなく、曲作りもサウンド作りもばっちりできる才人で、その後ピンになったが、マーキュリー発の2枚のリーダー作でエグゼクティヴ制作者をしていたのが、ザ・アイズレー・ブラザーズ(2001月12月6日、2004年3月1日)のロナルド・アイズレー。2人は結婚(し、離婚)、彼女は天下のザ・アイズレー・ブラザーズの表現にも一時関わったこともあった。

 まず、登場したのはウィンブッシュ。問題あるところなし、才ある人物の天下無敵のステージ。身体は太目だが、顔はかなり若く見える。で、喉は手応えありまくり。途中にゴスペル調の叩き込みも見せるが、それがなんともうれC。で、彼女は男性客や女性客も1人づつ上げて、いじったり一緒に踊ったりしたのだが、特に男性が相手のときは野卑猥褻路線をざくっと出したものでうわあ。そういう路線の最たる人というと、ミリー・ジャクソンが思い出されるが、そこまで下品ではないウィンブッシュの場合はなんか可愛らしさも少し出たりもする。なんにせよ、ウィンブッシュがいまや貴重なR&B女性流儀をいまだ持つ人であるのを認知した。

 シェレールも過剰には老けてなく、なるほどのショウを見せる。どっちかというと、ちゃんと歌えつつも雰囲気幻惑路線を行っていたという印象もあるのだが、彼女も堂々歌っていたな。片方の足にはギブスがわりのスキー靴みたいのを履いていたが、健気に動き、彼女もまたゴスペル流儀を見せる局面もあり。最後のほうで、1984年曲「アイ・ドント・ミーン・トゥ・ターン・ユー・オン」をやる。ぼくはアゲアゲ。翌年、故ロバート・パーマーが翌年全米2位となるカヴァー・ヒットさせた曲だ。それ、もちろん、ジャム&ルイス曲ですね。

 そして、3番目にオニールが登場。彼はシェレールの最後の曲のときデュエットする感じで、2階から降りてくる。立派な体躯の彼、声にエコーがかかり過ぎではないか。ぼくが得た感興の大きさは、ウィンブッシュ、シェレール、オニールの順。しかし、曜日を連呼する曲とか「フェイク」とか、知っていると思わせる曲が多かったのは彼だった。ヒット曲は大事ですね。終盤、シェレール(彼女は着替え、このときはギブス靴を脱いで出て来た)がまた出て来てデュエットした後、そこにウインブッシュも呼び込まれ、最後は和気あいあいとシェレールの「サタディ・ラヴ」を3人で歌う。良い、な。

 続いて、J-WAVEの人気ブラジル音楽番組” SAUDE! SAUDADE…”(ちょうど四半世紀続いているそう)が主催する、毎年2月に行われているパーティに行く。今年から会場は渋谷・クラブクアトロ。生理的に、敷居がより低くなる。入り口階ではブラジル仕様の食べ物や飲み物も販売、というのはともかく、盛況の場内にはなんか華やいだヴァイブがあって和む。先のハコがバブル期を経験しています的な年齢層の人が多かっただけに、若い人が目立つこちらはより弾けたキブンを与える。それは今のブラジル愛好層のノリを直裁に示しているのかもしれないし、我々のブラジルのイメージを映し出すものかもしれない。

 だいぶ遅れて会場に入ったが、4組いた出演者のトリの、Saigenji(2013年1月7日、他)のトリオによる実演には間に合う。パッション、鮮やか。こういう場だけに、有名曲カヴァーもさくっと。パっと広がる感じ、ドライヴする感じ、枠を突き破る感じに、やっぱこの人は持っている、人に誇るべき事をやっていると思わずにはいられず。終盤は、カンタス村田とサンバマシーンズ(2012年10月27日、他)のトロンボーン奏者とアルト・サックス奏者も加わる。Sigenjiはこの週の金曜は、モーション・ブルー・ヨコハマで、新作をフォロウするギター弾き語りのライヴをするとか。行きたい。けど、用事が入っている。

 この日はもう一つハシゴ。その後は、新宿ピットインで、Bondagefruitのセカンド・セットを見る。ギターの鬼怒無月(2012年11月21日、他)、ヴァイオリンの勝井祐二(2013年1月7日、他)、ヴァイブラフォンを主に演奏するや高良久美子(2006年12月13日)、電気アップライト・ベースの大坪寛彦、打楽器(けっこう、ドラムっぽい叩き方もした)岡部洋一(2011年8月22日、他)という面々の長寿バンド。

 ものすごーく久しぶりに見たが、ああ、成育しているんだなと、すぐに合点する。プログ・ロックとパンク・ジャズを掛け合わせた事をやっているという印象を彼らに持っていたが、もっと繊細で、ジャンル分け不可能なことをやっていて。それが顕著に出たのが、新曲と紹介された室内楽的な新曲。それ、奏者間の息遣いが丁寧に重ねられる、どこか漂う曲。で、けっこう譜面で書かれているのかと思ったらそれほど詳しくはなされていないようで、それはメンバーのイマジネーションの良好な持ち合いかたを示していたと思う。ぼくが一番気に入ったのは、「ロコモーション」と紹介された曲。勝井はフィドル的な奏法を取る(それ、美味しい)曲で、一応カントリーにインスピレーションを受けていると説明できるのかもしれないが、そこにはいろんな表現様式や情緒の縦糸と横糸が交錯しあっていて、興味深く変質して行く。一筋縄では行かないこのグループの面白さがよく出ていたと思う。

 この日のライヴは、ここで持たれる<鬼怒無月3デイズ>の1日目。明日は、ナスノミツル(2007年6月3日、他)と吉田達也(2008年8月24日、他)とのトリオの是巨人+壷井彰久(ヴァイオリン)、水曜日はアストラ・ピアソラ曲ビヨンドを求めるサルガヴォでの出演となる。ライヴ終演後、ダニー・ハサウェイの『ライヴ』がかかる。なんか、いい日だったなと思う。

<今日の、ニっ>
 その後、行った飲み屋で、Jリーグができた頃、サッカー日本代表チームの不動のレギュラーだった人物がお母さんの弟だという女性と会った。なんか、それだけでうれしくなるサッカー・ファンのぼく。でも、考えてみたら、やはり同時期に不動の代表レギュラーだった選手のお兄さんと知り合いなのを思い出す。一時はコンサートで会ったりし、飲みに流れたりもしたが、ここ10年ほどはまったく顔を合わせてないなー。地方に転勤になったんだっけ?

 純ジャズとジャジーなクラブ・ミュージック/ポップ・ミュージックの間を自在に行き来する1980年生まれ米国人歌手(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日)の公演はフル・ハウス。ブルーノートに移籍してリリースした『ノー・ビギニング・ノー・エンド』(2012年9月13日、参照)が過去作と比較にならないぐらい話題になっているという話は聞いていたが、今回の2日間4公演も早々に売り切れたという。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 電気ベースのソロモン・ドーシー、4ヒーローで叩いていた事もある英国人ドラマーのリチャード・スペイヴェン、NY在住のトランペッターの黒田卓也はジェイムズの近作にも参加し、昨年2月のバンド公演のライヴにも同行している人たち。キーボード/ピアノのクリス・バウワースはマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)からこのところ気に入られ、ジェイムズがスペシャル・ゲストと紹介したトロンボーンのコーリー・キングはクリスチャン・スコット(2011年12月17日、他)やエスペランサ・スポルディング(2012年9月9日、他)の新作で吹いている。管の2人は半数ぐらいで加わったか。

 そんな気心知れ、スキルもある人たち(ぼくは、ベース奏者に一番ニコっ)の、ジャジーで、温もりやグルーヴあるバンド・サウンドを得て、ジェイムズは悠々と、含みを持つ曲を歌う。その大半は、新作からのものであったはず。そして、すぐに感じてしまったのは、この人、こんなに歌声に存在感あったっけか。平たく言えば堂々、以前よりもでっかい声に聞こえる。これは、ぼく同様に何度か彼のショウに接している人も同様の感想を漏らしていた。卓をいじるエンジニア(曲によっては、ダブっぽい効果も少しかます)が優秀だったのかもしれないが、あれれというほど、ジェイムズの声は仁王立ち、聞き手に働きかけていた。

 そして、2曲では、新作に入っていた、かつてR&B調のリーダー作をだしたことがあるエミリー・キングがギター片手に出て来て、2曲一緒に歌う。アフリカ系ではない彼女(実は、ジェイムズとけっこう顔が似ていると、ぼくは思った)はフォーキー系シンガー・ソングライターといった感じ。なるほど、ライヴに接して、彼女も彼にしっかりと“風”を与えているのを認知した。

 ジェイムズが生ギターを持ちながら歌った(それ、2曲だったか)のは初めて、客席前にいる女性のお客さんに握手を求めたのも初めて。最後、客が見事なほどスタンディング・オヴェーションになったのも(彼にとっては)初めて。そして、なにより、あんなに彼がうれしそうにパフォーマンスしていたのも初めて。ジェイムズさん、ブルーノートに移籍して良かったァと思うとともに、かなり音楽家としての冥利も感じていたのではないか。ぼくがこれまで見た彼の実演のなかで、一番良いと思えました。

<今日の、昼下がり>
 昼下がりに、ホセ・ジェイムズが新規所属アーティストとなったブルーノート・レコードのコンヴェンションがビルボードライブ東京で開かれ、それに合わせて来日した同社新社長のドン・ワズが挨拶し、少しお話した。1952年デトロイト生まれ、1980年代初頭にハイパーかつマニアックな複合性を持つファンク・ポップ・ユニットのウォズ(・ノット・ウォズ)で世に出て、その後、ザ・B-52ズ、ボニー・レイット(2007年4月5日)、ボブ・ディラン、ザ・ローリング・ストーンズ((2003年3月15日)ら、様々なものを手がける敏腕プロデューサーとしてよく知られますね。また、初期ザ・ビートルズを題材にした映画『バックビート』のサウンドトラックもぼくには印象深い。実は彼にはインタヴューをすることになっていたが、体調不良でキャンセル。けっこう、話をいろいろ聞きたい人であったな。そんな彼はベース弾いたり、好きなレコーディングに関わっていればOKと思っていそうな政とはあまり縁のない御仁であるような感じをぼくは得ていたが、じっさい社長になって(その前に少し同社A&Rの職についたよう)、一番びっくりしているのは、彼自身であるのだとか。ともあれ、外見は髭面のウェスタン・ハットをかぶったおっさん。格好もまるっきり、奇麗とは言えない。それゆえ、日本についた際、イミグレーションでとめられたという。うぬ、ちょい良い話じゃ。そのコンヴェンションでは、ホセ・ジェイムズがバンドとともに4曲だったか演奏。うち、2曲はエミリー・キングが本公演と同様に関わる。彼を呼び込むとき、ドン・ワズは、“ジニアス、モダン・ミュージック”と前置きしたような。まず、社長になって彼がしたのは、ウェンイン・ショーター(2004年2月9日、他)を同社に呼び戻すことと、アーロン・ネヴォル(2012年5月14日、他)の新作録音にキース・リチャーズ(2003年3月15日)を呼ぶことであったそうな。再びブルーノートに出戻るヴァン・モリソンの新作はどんなものになるのだろうか。なんか、『アストラル・ウィークス』と繋がりが出てくるような内容になったらうれしいが。今後の、彼の舵取りに期待したい。→来年は、途中休止があるものの、ブルーノート設立75周年となるそうな。なお、黒田卓也は近くジェイムズのプロデュースで新作を作るそうで、それはブルーノートから出るようだ。
 もうひとつの音楽性や提出の仕方を求めている越路姉妹(2009年10月12日、他)の越路よう子の新バンドを代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。シンガーはもう1人、ちゃんと歌える男性もいて、ツイン・ヴォーカル編成。へえ。今、レコーディング中だそうだが、バンドは皆黒のスーツ系が基調。なるほど、下世話な越路姉妹と一線を画して、エレガントに行きますという感じであるのか。その様を見て、デイヴィッド・ヨハンセン、改めバスター・ポインデクスターのかつての洒落のめし小洒落路線を想起する。こちらはホーン隊はいないし、ジャジーな曲は少し。でも、粋な社交の場の洒脱音楽を提供するというのは重なるか。なにより、ヒネリある諧謔や視点がどこかにあるという構図は近いかも。大げさに言えば、”ロック芸”の積み重ねの、不可解な妙?

 そして、出演者のもう一組は、完全ジャズの担い手。すごい、ブッキングだァ。こちらはピアノの南博(2011年3月2日、他)とソプラノやアルト・サックスの津上研太(2011年6月23日、他)のデュオ。なんでも、南は病気療養していて、この晩が久しぶりのライヴとなるという。頭のほうはフリー・フォームと言いたくなる、瑞々しい対話演奏をずっと聞かせる。さすが実力者たちだなと頷く。

<今日の、1940年代生まれ>
 この項に書こうとしていて、忘れていたことを書いておこう。トニー・ヴィスコンティ制作、デイヴィッド・ボウイ(1947年生まれ)の10年ぶりの30作目となるアルバム『ザ・ネクスト・デイ』の先行シングル・カット曲「ホエア・アー・ウィ・ナウ」が、とってもグっと来る。諦観路線にあるが、なんとも誘う力がハンパない。ぼくの同年代の聞き手にはボウイを神格化している人がいるが、全然そうじゃないぼくにしてそう思えるのだから、静かながら多大な訴求力を持つ曲なのだと思う。そして、ぼくはそれと続けて、カエターノ・ヴェローゾ(1942年生まれ)の新作『アブラッサッソ』を違和感なく聞いたりもする。ヴェローゾ制作のボウイ曲……これまでそんなこと、考えたこともなかったが、今それを切望する自分がいる。今日、東横線の渋谷駅で格好いいと唸らせる初老の紳士を見かけたことで、この件を思い出した。1940年代生まれというと、仕事をリタイアしている人も多いのか。

 まず、渋谷・WWWで、カナダのデュオ・バンドのジャパンドロイズを見る。ギターとドラムのデュオ、ヴォーカルは両方取るが、主にリード・ヴォーカルはクネクネ良く動き、ポーズも決めるギター君のほうが担う。で、ショウが始まって、即こりゃ音がデカいと少し慌てる。完全2人による演奏ながら、なぜか単純なベース音も出ていて、その音が耳に刺さる。近年では一番、耳に負担がかかるライヴだと思わせられた。しかし、そのベース音、最初はギターの低い弦の音が分けられてベース音として出ているのかとも思ったが、ギターを弾いていない時も認めることができ、かといって2人の演奏が走ってもきっちりズレずに重なっているし、どういう仕組みなのだろうか。

 ライトニング・ボルト(2009年11月15日)とかKIRIHITO(2011年12月1日)とか、バンドという形式に逆らうような2人のロック系バンドというと、変なものがいろいろ散見されるが、彼らもそういう部分は少し出していたかな。通り一遍にさらっと曲をやる場合は産業ロック調曲を2人で杜撰にやっているだけという感じだが、キブンで進める度数が増してよく曲調が分らない感じのもの(歌がうまくないので、そのノリはよく増幅される)だと、酔狂さやいい人ぽさと表裏一体のやぶれかぶれさやイケイケの意欲がもわっと湧いて来て、わはは頑張れという気持ちも出てくる。なお、ドラマーは英国の若い人たちと違い、手数は多いながら叩き口はしっかりしている。渋谷・WWW。このスペース・シャワーが持つハコには何度か来ているが、外国人アクトを見るのは今回が初めて。大き目ふっくら目の外国人の客も散見されたが、彼らはカナダ人だったのだろうか。

 そして六本木に移動して、ビルボードライブ東京で、1988年生まれの新進英国人シンガー・ソングライターのナタリー・ダンカンを見る。ギター、ベース(電気とウッドの両刀)、ドラム、女性バッキング・コーラス(グロッケンシュピールも担当)という面々と一緒のもの。ギリシャとジャマイカのミックスらしい本人は可愛らしい女性ラッパーみたいな顔つき(つまり、そのデビュー作『デヴィル・イン・ミー』のジャケ写とはかなり別人)だが、ネクタイ/スーツで行儀良く固めた男性の3人の演奏者は整った外見の白人さんたちだった。

 ショウのスタートは無伴奏で歌いだし、そこにピアノやバンド音を重なっていく、アルバムのタイトル・トラック。それだけで、彼女は選ばれた才を持つ人だと思わされる。何かが、接する者に突き刺さる。大体の曲は彼女のピアノ弾き語りに、控え目にバンド音が寄り添うという構図を持つ。なるほど、ほんの少し慣れていない所を感じさせる場合もあるが、これはいいシンガーであり、作曲者であり、パフォーマーであると思わせられるな。世に紹介されるべき、優れた人です。実は彼女のデビュー作のプロデューサーは、米国人実力者のジョー・ヘンリー(2012年10月16日、他)。それをつかさどるのに際して、ヘンリーはパトリック・ウォーレン(2010年4月2、4日)やグレッグ・コーエン(2006年6月2日、他)ら馴染みの米国人奏者を英国(リアル・ワールド・スタジオ)まで連れていってじっくり録音した(予算も潤沢だったんだろう。英国からは、お馴染みジョン・スミスも参加)のにも頷ける。とはいえ、ぼくの耳には、ヘンリー制作のアルバムのなか、もっともヘンリー色の薄いアルバムにも聞こえるが、それも彼女の個性ゆえであったろう。

 基本、暗目の曲が多い(本当に暗い、絶望的な時期に作ったからだそう)が、それがある種の灯火的な輝きとともに悠然と広がる。クラシック的な部分とR&B/ブルージーな部分の両方を併せ持つことも実演ではより出していたが、これからいろいろと変わっていきそうとも感じた。次作に入るだろう、「ホールド・ユア・ヘッド」という新曲は完全ピアノ弾き語りにて披露。良い。それで、十分とも思わせる。が、実は次のアルバムではもう少し、エレクトリックな音も入れたい意向を彼女は持っている。

<先週の、ダンカン>
 昨週末に、ダンカンには取材した。ボクシングが趣味という、会った限りは、快活な女性。そして、自分の言いたい事、気持ちをちゃんと伝えられる人だった。ジョー・ヘンリーと絡んだのは、彼の仕事はあまり知らなかったようだが、ヘンリーが送って来た熱くも詩的なメールが決め手となったとか。レコーディングは最初かなりビビったらしいが、途中ではけっこうヘンリーと色づけでやりあったそう。ピンク・フロイドのような響きが欲しい曲が私にはあったと言っていたが、なるほど、フロイドの『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』から触発されたようなのも2曲あるナと、ショウを見ながら、ぼくは感じました。

 渋谷・WWW。わー、ミュージック・ラヴァーがいっぱい。なんか、そう思える、公演だったな。

 いろんな活動で大車輪(月に休みの日って、何日あるのか?)の芳垣安洋(2011年3月2日、他)がここのところ力を入れている大所帯バンド、オルケスタ・リブレの公演を見る。国内ツアーをしてきて、今晩がその最終日。ゲストも入れて、とにかく、盛りだくさん。別なバンドが3つとか出る公演はいくらでもあるが、一つのバンドによる完全3部制のショウというのは初めてのような。バンドの面々はセットごとに上着を変えていた。

 基本の演奏陣は、リーダー/ドラマーの芳垣安洋に加え、トロンボーン/ピアニカ/編曲の青木タイセイ(2007年1月27日、他。あと、原稿では触れていないが、サム・ムーア〜2011年7月27日、他〜の来日公演に、彼は毎度加わっている)、ソプラノ・サックス/クラリネットの塩谷博之(2007年1月27日)、テナー・サックスの藤原大輔(2006年10月19日、他)、渡辺隆雄(2010年12月28日、他)、チューバのギデオン・ジュークス(2008年8月24日)、ヴァイブラフォンの高良久美子(2013年2月11日、他)、ベース/編曲の鈴木正人(2013年1月29日、他)、ギター/ペダル・スティールの椎谷求、パーカションの岡部洋一(2013年2月11日、他)。それ、不動の顔ぶれで、芳垣の人望や統率力の高さをうかがわせる。

 ファーストはそこにヴォーカルとギターのおおはた雄一(2012年7月16日、他)、セカンドはタップ・ダンスのRON×II(ちゃんと見える位置にいたせいもあり、おおいに感心して見てしまった。ぼくは初めて知ったが、素晴らしい踊り手)とピアノのスガダイロー(2009年7月3日、他。なんと短髪で無精髭なし、見た目かなり新鮮)、サード・セットはヴォーカルの柳原陽一郎(歌声きっちりデカく、毅然とした個性を持っている。ぼくには少し濃すぎるところはあったが)が加わる。そして、アンコールはゲスト陣が全員出てくる。終わったのは、23時近く。

 有名曲を想像力あるブラス中心サウンドのもと開き、そこに言葉/肉声がのり、さらにこの日は肉体音やピアノ音も乗る。いろんなミュージシャンシップ、技、感情などが交錯し、解け合い、溢れていく……。アルバム収録曲からやるのかと思ったら、新しく出て来た曲もやっていたようで、大きく頷きもした。ちゃんと、表現を育んでいるナ。少年期から洋楽に入れこみ、いろんな音楽をどん欲に追い求めて、ジャズもちゃんと知っている……そういう人間〜世代ならではのしなやかな音楽観や矜持のようなものがここには具現化されていると、ぼくは感じもした。

<昨年6月の、芳垣安洋>
 昨年(2012年)夏にオルケスタ・リブレは2種類のアルバムを同時にイースト・ワークスからリリースしている。これは、それに際して、同年6月にとったインタヴューの抜粋だ。
——芳垣さんはROVO(2006年12月3日、他)をはじめいろんなことをやるかたわら、複数のリーダー・バンドを持っていますが、本人のなかではどう分けているのでしょう?
「やっていることが違いますよね。簡単に言うと、それぞれ、他でできない事をやっています。ヴィンセント・アトミクス(2005年2月19日)は形としてはミニマルなものとか民族音楽的要素をジャズ、ジャズ・ロック、ファンクをミックスし、同じような旋律やビートが変化していくみたいな事を求めています。オリジナル曲をやっていますね。エマージェンシー(2004年1月21日)は、ロック形式のジャズ・バンドと思っている。ギター・サウンドに固執して、(チャールズ・)ミンガスとかの作品を中心にやっていますね。オルケスタ・ナッジ! ナッジ!(2005年9月17日)は打楽器だけでやりたい。そして、今回のオルケスタ・リブレは基本、カヴァーをやるというのからスタートしている。言葉があるものを言葉がない状態でやるとどうなるか。あるいは、英語の歌を日本語でやるとどうなるかというのを、しかも1920年後半から70年代までぐらいまでの曲を視野におき、そうした古い曲を僕はこう解釈している、こうもできる、というのをやりたかった」
——2011年6月に新宿ピットインで始めたことが出発点となっているようですが。
「ワーとしたことをやりたかったんです。去年(2011年)は盛り上がってなかったので。特に春以降沈滞していて、気持ちを切り替えたいと思いました。で、旧き良き時代のもの、僕が子供のころワクワクしたものを、僕たちなりに届けたら皆も元気になるんじゃないか、そういう純粋な気持ちから始まったんです。ほんと、皆で楽しくなりたいな、ライヴで気持ちをあげたいなという気持ちだった。インスト曲に関しては、今回やっている8割はそのときやっていますね」
——では、ある意味、選曲は芳垣さんの音楽遍歴を出してしまっていると言えるのでしょうか。
「かなり。完全にぼくの好きな曲です。だから選曲には困っていません、好きな曲をやっているだけですから。ただ、アレンジに時間がかかる。とはいえ、1年の間にけっこうな数になって、やってない曲もありますね」
——レコーディングしている顔ぶれもそのときと同じなんですか。
「そうですね。それぞれ、僕がいろんなシチュエーションで仕事をして、気になった人たちです。たとえば、(青木)タイセイは東京に出て来たときからの付き合い。鈴木は南博(2013年2月17日、他)とかUA(2009年7月25日、他)とか、しょっちゅう顔を合わせていますね」
——そして、ヴォーカリストの選択も興味深いです。
「おおはた(雄一)はよく一緒にやっています。デュオで回ったりもしていますし。僕が知っているシンガー・ソンライターの中では、一番ウマがあった人なんです。録りあげる曲のセンスと、訳詞のセンスがいい」
——日本語でやりたいというのはあったんですか? 確かに、言葉が入って来たり、言葉が残ったりします。
「それは考えました。歌モノよりもインストが多いという世界を選んでしまったわけですが、どうせやるなら洋楽曲であっても、自分も、聞く人も言葉が分るものをやったほうがいいですから。そこで、日本語でできないかと思い、日本語で歌っていていいなと思える人で、作詞者や訳詞者、詩人として優れている人に加わってほしいと思ったんです。柳原(陽一郎)はまさしく詩人。出会いは古いんですが、そんなに一緒にやったことはなかった。でも、ヤナちゃんが訳詞した曲で、いつかやりたいなとずっと思っていました」
——そして、今回形となったのは、ヴォーカル付き曲からなる2枚組『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』(柳原陽一郎とおおはた雄一が、1枚づつフィーチャーされる)、そしてインスト曲を収めた『Can’t Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』という、3枚にまとめられましたが。
「ヴォーカルとインストと、それぞれ分けて出そうとは思っていました。でも、ヴォーカル曲は1枚にしようと思ったんだけど、別にしたほうがいいので、こうなりました」
——どんな感じで、レコーディングは進んだのでしょう?
「楽しくできました。今回は変わったやり方をしたんです。ちょっと大きめの部屋に全員で入って、マイクを2本立ててヘッドフォンもせずに、せえので録りました。間違えたら、やり直し。歌も、同じ所に入ってやりました。だから、録りもミックスも大変でしたが、それゆえに緊張感はあるのにゆったりしたものが録れたと思います。音がかぶるので、そりゃ別撮りのほうが楽です。でも、モニター・システムがないころの昔のジャズは耳研ぎすませてそうやって録っていたわけだし、ビートルズのハーモニーがどうしていいかというと、ポールとジョージが1本のマイクに向かって歌っていたからだと思う。(エンジニアを勤めた)益子(樹。ROVOのメンバーでもある)くんは本当に苦労したはずですが、今回はそれが功を奏したと思います」
——リーダーとして、一番気をつかったのは。
「メンバーの人間性がおもしろく、いい人たちなので、あまり気は使わなかったですね。たとえば、この曲をやりたいというときに、ホーンのアレンジは書けないので、タイセイや鈴木に頼むんですけど、自分がやりたい形〜方向性を伝えることには気を使いました。出来上がってきたものを、再度お願いして直してもらったものもあります。また、伝えたものとは違っているんだけど、別の意味で面白くなっていたものもあります」
——インスト部の演奏を聞いて、夢のブラバンだなとも思いました。芳垣さんはトランペットを吹いたりもしますが、ブラス・バンドをやっていた経験ってあるんですか。
「やってないけど、ブラスは好きです。シカゴやタワー・オブ・パワー、ニューオーリンスのものも。それから、(レスター・ボウイの)ブラス・ファンタジーが大好きだったんです。やはり、憧れはあって、そういうものを作りたかった。そして、これが出発点。これから広がり、びっくりするほうに変わっていくと思います」
——(2012年の)7月には、オルケスタ・リブレでヨーロッパをツアーすることになっていますよね。
「5カ所です。ロンドン、コペンハーゲンや南バイエルンのパッサウとか。沢山の人にきいてもらいたいですね」
 最初に恵比寿・リキッドルームで、ミネアポリス出身、大方エピタフからアルバムをリリースしている、5人組ロック・バンドのモーション・シティ・サウンドトラックを見る。歌とギター、ギター、ベースとコーラス、キーボード(弾かないで、踊っている曲も)、ドラムという面々なのだが、皆フツーっぽいというか垢抜けない佇まい(眼鏡2、髭面3、うち1人は重なる)を持っていて、なんか和ませる。両腕に刺青をしているキーボードくん以外、道ですれ違っても音楽をやっているとは思わないんじゃないか。

 そんな彼らが、別に突出しているとはぼくは感じないないんだが、なんか歌心、くいいっと聞き手にアピールするところを持つのには驚いた。へえっ。ヴォーカルの歌声は高め、声量があるわけではないのに、ちゃんと聞き手の耳をひく。この日は、会場後部に客を入れていなかったので、ぼくはフロアの少し前目で見ていたのだけど、前の方のやんやのはしゃぎ具合を見ても、当然のことのように思えた。なんか総体として、今時の、人懐こい、誠実なロック・バンドだなあという所感を得る。

 最後までは見ることはできず、次は丸の内・コットンクラブ。こちらは、仏米夫婦が核となる、今の感覚も存分に持つ、ほんわか夢心地ポップ・ユニット(2005年5月22日、2009年2月13日、2010年8月20日、2010年11月21日)が出演。アルミ・ホイルで楽器やモニター・スピーカーを覆っていたが、それはなんか貧乏くさく見えないか。ステージ背後には、魚群やジュゴンやイルカや海鳥やクリオネなぞを映した広義の海洋ものの映像が流されるが、それがバンドの雰囲気や曲調に合っておらず。おやおや。今回、そうしたお膳立ての部分はおおいに空振り。まあ、何度も来日公演を重ねていて、お客に異なる行き方を与えようとしたいのはよく分るが。

 でも、音楽的には、やはり誘われる。リード・ヴォーカルの紅一点クレア・マルダーはギターやバンジョーや鳴り物も手にし、他の男性陣3人も例によって、キーボード、ピアノ、ギター、ヴァイオリン、エレクトリック・ベース、ドラム、打楽器などをいろいろ持ち替える。ベルリン録音(半年以上滞在したとも言われる)の新作『KR-51』はけっこう暗めで静謐な仕上がりだったはずだが、ここでは過去曲も取り上げていたせいもあるだろうが、暗さはあまりないほんわかストレンジ・ポップをめりはりを付けて送り出していた。ときにはけっこうタイトなドラムを採用していたり、ノイジーなギターが採用されたりもしていて、そういう行き方に触れると、たとえばヨ・ラ・テンゴ(2012年11月6日、他)のファンが彼女たちに流れても不思議はないとも感じた。それは今回、レトロ濃度が薄めだったせいもあるかもしれない。

<今日の、地下の渋谷駅>
 ライヴ会場に向かうため田園都市線の地下の渋谷駅で降りると、とても混雑している。わー、これが来月半ばになるとどうなるのか。東横線/副都心線が相互乗り入れとなると、その階違いの地下ホームはこのホームとも改札なしで繋がり、これまで銀座線を使っていた東横線利用者がみんな半蔵門線を使うようになると言われている。混みそう。それはともかく、東横線沿線の人はみんな新しい乗り入れをイヤがっている。ぼくの回りで、これだけ歓迎されていない変化も珍しいナ。ま、定期をちゃんと持ったことないぼくが言うのもナンだが。学校卒業後、3年半は一応会社員をしていたが、そのときも電車が走っていない時間の帰宅が多いこともあり、アタマの2ヶ月ぐらいしか、定期を買わなかったんだよなー。とか書いたら、もう一度、定期券を持てる境遇に身を置きたいという思いがもわっとわいて来た。勤め人でも、学生でもいいのだが……。

 いろんなことをしてきているジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイス(2008年7月2日、2009年8月29日、2010年9月28日、2011年8月22日)のグループに、EW&F(2012年5月17日、他)の人気シンガーが重なる公演。EW&Fのリーダーたるモーリス・ホワイトは1960年代中期にかつてラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーを勤めていたことがあり、EW&Fが人気者になった1970 年代半ばには恩返し的にルイスの『サン・ゴッデス』や『サロンゴ』をプロデュースしてもいるので、その絡みに違和感はない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 前半は、電気キーボード奏者やギタリストを入れての、前回来日時と同様の編成によるルイス・グループのパフォーマンス。そして、途中からベイリー(2010年11月11日、他)が加わる。ベイリーが出てくると、お客さんたちは自然発生的に立ち始める。曲はEW&F曲が中心。彼はファルセットでは歌わなかったはずだが、はんなり訴求力をやはり持ち、聞き手に絶対的な働きかけをする。フフフ。ベイリーさん、ジムで鍛えたような筋肉がついている印象もあったが、今回はけっこうスリムな印象を受ける。そして、派手なヘア・スタイルもあり、若く見えた。

<今日の、じゃんけん>
 ライヴを見る前に、かなり大人数の新年会(遅っ)に顔を出す。そして、じゃんけん大会があり、勝ち抜いて1万円をゲット。ときどき、ぼくはこういうのに当たる。そういえば、大昔ヴァージン・ジャパン(ヴァージン・レコードの、今はなき日本法人)の新年会だかでレーザー・ディスク・プレイヤーが当たったことがあったのをふと思い出す。フジ・テレビの女性アナウンサーがなぜか司会進行役をしていて、彼女から目録をもらうポラロイド写真が家にはあるはずだ。うーぬ、レーザー・ディスクのハードとソフト、ずっと家に置いたままになっているが、ここ10年は触れてもいないはず。処分しちゃったほうがいいのだろうなー。ライヴ後、バーに回り、じゃんけんに当たったからと、知人におごる。タクシー代も含めれば、マイナスですね。お金の処分は、滅法得意なワタシです。

 女性アーティストが仕切る2つの実演を、不慣れな会場に見に行く。ただし、後に用事が控えていて、双方ともハンパなかたちでしか見ていないのだけど。

 まずは、渋谷・渋谷区文化総合センター大和田さくらホール。駅横の桜ヶ丘の坂の上にある渋谷区の施設のなかにあるホール。おお、最上階にはプラネタリウムもあるのか。旧東急文化会館(今は、ヒカリエ)にもその施設はあったが、そのこととは無関係なんだよな? ともあれ、700席強のこのホールはクラシック用途の会場と言えるのかな。バンドの腕がいいのか、ホールの音響がいいのか、PAがいいのか、この日の公演は各人の音が聞き取りやすいと思わせられたのは確か。

 ちゃんと伝統を踏まえたジャズのビッグ・バンドであることをおさえて上で、自分ならでは行き方をいろいろと入れているのが、鮮やかに分る実演。全17人、前回見たとき(2011年2月10日)と同じ顔ぶれなのかな? 全アレンジをしピアノとリーダーを兼ねる守屋は張りのある声で、テキパキとMCをする。カーラ・ブレイの影響があるかもしれないとか、チャールズ・ミンガス的とか、アレンジの例をきっぱりとあげるところも潔い。前者の例はぼくには分らなかったが。

 次は西荻窪。ぼくは中央線沿線にはとんと縁のない人間で、40年近い歴史を持つジャズ真実のライヴ・クラブたる アケタの店 には今回初めて行くと思っていたが、なぜか駅を降りて半信半疑で歩いていったら店の前に来てしまったので、昔行った事があるのか? 実は、地図をプリント・アウトするのを忘れてヤバイと思っていたので、とてもホっとした。

 狭い店だが、店主の自称天才ピアニスト(兼オカリナ普及者)の明田川荘之のアルバムをはじめ、多数のライヴ・アルバムを生んでいるお店。なるほど、裸電球が多数下げられ、不揃いのテーブルや椅子が置かれた店内は、音楽の好ましい何かが宿っていると言いたくなる? 確か、渋谷毅(2011年6月23日、他)さんに昔インタヴューしたとき、ここを売ってと明田川さんに話を持ちかけたことがあった、と言っていたことがあるような気がしたけど。記憶違いかな?

 こちらは、橋本真由己(2009年11月19日)のパフォーマンス。冒頭、1人でピアノの弾き語り。歌の揺れとピアノ音の噛み合い方がとてもいい感じ、彼女はピアノを弾きながら歌ったほうがいいとすぐに思ってしまった。そして、やはり何より、その清らかな歌声はありそうでなかなかない佇まいを持つ。気持ちよい誘いや、奥行きや、滑らかさを持つ。2曲目からは、ギターの加藤みちあき(2009年11月19日。彼のブラジルっぽいオリジナルをやったときは自ら詠唱も)と、この日は主に気分屋的にボンゴを叩く(1曲だけピアノを弾くとともに、何もしないで座っているときもある)姉の橋本一子(2012年9月5日、他)も加わった。しかし、MCを聞くと、この姉妹は本当に仲が良さそうだな〜。

<今日の、PR誌>
 東急電鉄は月イチで、<SALUS>という中とじのPR誌を発行している。電車内での暇つぶしになるので、ぼくは駅内のラックに並ぶと必ず手にするが、今号は<おせーて、東急電鉄>というような特集が組まれていた。基本的に想像の範囲内の情報が提供されていたが、電車の運転手についての項目には驚く。だって、駅係員4年以上、車掌1年以上の経験を積んだ上で、試験を受けて運転手養成所入り。そこで9ヶ月学んだ後に国家試験に受からないと、運転手にはなれないようであるから。わー、たいへん。と思いつつ、電車の運転手になりたいと思ったことは小さな頃から一度もなかったなあなぞとも感慨に(?)にふける。ぼく、景色が身近なバスのほうが好きだった。

 ぼくの捉え方のなかでは、ジョシュア・レッドマン(2012年5月31日、他)とジェイムズ・カーターはわりと同じような位置にいる。1990 年代に前者はワーナー・ブラザーズ、後者はアトランティックから送り出され、ともに当時の風を切るリード奏者という感じで脚光を集めたということで。現在、レッドマンはノンサッチ、カーターはユニヴァーサルと契約している。

 てな情報はともかく、前からぼくのなかの評価は、ものすごくカーターのほうが上だった。だって、彼のほうが溌剌エモーショナルなブロウができるし、バックのサウンド作りの才もずっと好奇心旺盛でカーターのほうがよろしい。彼は純ジャズは当然のこと、パンク・ジャズ調からマヌーシュ・スウィング調、編成の大きな瀟洒なものや歌を用いたものまで、本当にいろんなお膳立てを持つ、秀でたアルバムを発表してきている。それゆえ、日本ではレッドマンばかりに光があたり、彼がブルーノートに来たり、東京ジャズに呼ばれたりするのを見ると、なんでカーターではないのだアと、ぼくはフラストレーションを溜めていた。

 そしたら、見事にコットンクラブが呼んでくれ、ぼくが拳を握りしめたのは言うまでもない。そして、カーターは威風堂々、やはり秀逸な吹き口を見せてくれ、ぼくはココロの中でガッツ・ポーズ。とともに、彼は快活陽性な所作/MCをする人だった。

 カーターの近作『アット・ザ・クロスロード』と同じオルガン奏者とドラマーを率い、トリオでショウを行う。ジャズ的疾走感を持つものから、R&B調のもの(このとき、ドラマーはデカい良く通る声でヴォーカルも取った)まで。だが、そんなのは些細な事と言いたくなるほど、やはり彼の演奏が鮮烈。もう、きっぱり滑舌よく曲ごとにいろんなリード楽器を吹く様にはポっとなった。ときに、子供っぽいと思わせるブロウを聞かせるときもあったが、それも完璧に楽器をコントロールでき、とっても濃厚にその特性を開けるからこそ。基本各曲は15分ぐらいの長さを持ち、テナー、アルト、フルートの演奏を彼はそれぞれの曲で披露。アンコールではソプラノ・サックスまで吹いた。もうツラツラと、存在感あるフレイズが泉のごとく湧いてくる。ぼくはテナー・サックスの演奏が一番好みだが、そのマルチな様はまさにナチュラル・ボーンなリード奏者というしかない。いやはや、カーターに接し、途方にくれちゃう同業者もいるのではないか。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、ジャズ・トランペッターのロイ・ハーグローヴ(2012年3月23日、他)のR&B/ファンク傾向ユニットであるR.H.ファクター(2003年9月21日)の実演を見る。全部で9人編成、紅一点の元ジャネイのルネー・ヌーヴィルは途中でリード・ヴァーカルを取り、他の曲でも補助的にキーボードを弾く。

 マイルス・デイヴィス調の演奏で始まった演奏は、黒目のフュージョン調演奏や、アーバン・ヴォーカル曲、P-ファンク曲やスライ曲カヴァーなど盛りだくさん。本編1時間半、さらにアンコールも2曲。その1曲目はロックぽいリフのもと、ハーグローヴが延々とラップをかます。才能がないから辞めたそうだが、彼はジャズ界でエスタブリッシュされた後、こっそり打ち込みやラップを試みていたこともあったんだよね。


<今日の、格好>
 先に見たカーターは、きちんと黒いシャツのもと(ネクタイは赤系の色だったか)、ばしっとスーツで決めていた。そのカーターのライヴには、来日中のデイヴィッド・T・ウォーカー(2011年6月21日、他)が見に来ていた。多忙につき、今回の彼の来日公演をぼくはパスしたが、充実してそうな彼の姿を側で見て、今回はこれでいいのダと思うことにした。彼、オフでもちゃんとスーツを着ているんだな。
 ハーグローヴは通常のジャズのライヴ時には崩し気味ならジャケットやタイをしているが、今回のR.H.ファクターのショウではキンキラの格好をしていた。それ、どこで買ったのか。実は、ロイ・ハーグローヴは人口透析を受けなくてはならない身体で、来日時もそうしているのだそうな。過去の、彼の過去の項の原稿でも触れているように、今回に限らずハーグローヴのライヴ・パフォーマンスは演奏時間が長い。それは明白であったので、今回はワインをボトルで頼んでしまった、ハハハ。いやはや、実演を見る限り、彼が病を抱えているなんて、本当に分らない。プロであり、音楽のムシなんだろうナ。

 最初に丸の内・リキッドルームで、ヴェテランのキューバ人ジャズ・ピアニスト(2012年5月1日、他)のソロの演奏を聞く。ほとんどラテン色を交えず、ジャズ有名曲+αを鼻歌キブンで、悠々と弾いていく。(つまみ食い的に次々に別な曲に行かず)それぞれの曲をちゃんと弾くが、途切れる事なく別の曲に流れていくことが多かった。とっても気ままに、指が動くまま。てな、感じが出せるのは、ソロ・パフォーマンスのいいところ也。

 そして、恵比寿・リキッドルームに。前座が出るので20時ぐらいに当人たちは出るという情報を得ていたので、ハシゴが可能かと思ったんだが、ぼくが会場に入ってしばらくしたら、本編最後の曲になってしまった。え〜。オハイオ州コロンバスをベースとする、ヴォーカル/キーボード担当者とドラマーからなる2人組。とはいえ、彼らはプリセット音も用いる。曲調はとってもポップで、ある意味健やか。一方、ドラマーは力づくというか爆裂調で叩き倒すという感じもあって、そのミスマッチ感がライヴにおいてはフックとなっていた。ま、ちゃーんと見れなかったので、本当にちょいちょいな感想……。

<今日は、温暖>
 先週とかかなり寒い(特に夜は)日が続いて、けっこう参っていたが、春一番が吹いたと言われる昨日から暖かくなった。それゆえ、リキッドルームから渋谷までふふふと歩き、バーに流れる。もう日はだいぶ長くなっている。うん、暖かくなったら、もう少し歩きたいな。というのは、毎度思っていることなのだが、まるで実行されない。とても悲しい。