まず、ボブ・マーリーと重なるように1970年代にインターナショナルな人気を得たヴェテランのレゲエ歌手(2004年9月5日、2006年8月19日)のショウを六本木・ビルボードライブ東京で見る。ファースト・ショウ。赤のTシャツを全員着たバンドは総勢9人。ギター2、キーボード、ベース、ドラム、打楽器、トランペット、サックス、女性コーラス。お、にぎやか。

 4月になると、65歳。だが、往年のノリを踏まんかとするかのように、溌剌なショウの進め方。そりゃ、足のステップは少し遅くはなっているかもしれない。歌声も少しでなくなっているかもしれない。だけど、バンドと一体のショウはルーツ・ロック・レゲエの良さ、歌唱やメロディの力を前面に出すレゲエの良さを存分に出し、ジミー・クリフという不世出のレゲエ・シンガー/コンポーザーの素晴らしさを前に出す。そう、「ユー・キャン・ゲット・イット・イフ・ユー・リアリー・ウォント・イット」とか「ヴェトナム」とか「シッティング・イン・ザ・リンボー」とか、「メニー・リヴァー・トゥ・クロス」はやらなかったものの、いい曲いろいろ書いていることも再確認。彼は様々な“負”と表裏一体の輝きや瞬発力を掲げてきた人物であることも痛感した。

 本編最後の曲は、全員太鼓を叩いてのナイヤビンギ調曲(と言っていいのかな)で、それ結構長目にやった。クリフは何曲かでギターを持って歌ったが、彼は左利き、右利き用のレスポールを逆さにして弾いていた。

 その後は青山・プラッサオンゼで、ブラジル音楽方面で活躍するギタリストの越田太郎丸のソロ演奏を聞く。頭のほう、少しクラシカルとも言えそうな、静謐な弾き方をしているようにも思え、ブラジル音楽とクラシックの重なりということにちょい思いを巡らすが、あまりにぼくには無理なテーマですね。繊細に、ときに大胆に、6本の弦をいろいろと操る。取り上げる曲はジョビン他のブラジル曲か。「イパネマの娘」は大胆に調を変えていて、頷く。いろんな意味で、クリフ公演で得た感興をクール・ダウン、次に公演へのより良いクッションになった。ところで、ぼく以外は、全てお客さんは女性だった。

 そして、南青山・ブルーノート東京で、話題のジャズ・シンガーのグレゴリー・ポーターを見る。そういえば、ジミー・クリフは新作でグラミー賞の<ベスト・レゲエ・アルバム賞>を取り、ポーターの場合、一等賞獲得は叶わなかったものの2枚出したアルバムが同傾向の内容ながら別の年にそれぞれ<ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞>と<ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス賞>にノミネートされた。

 アルバム・レコーディングにも参加しているワーキング・バンド(ピアノ、アルト、ウッド・ベース、ドラム)を従えた彼の歌を聞いて、声がたっぷりしているとおおいに思いを新たにする。声量があり、音程も確か。大学入学時はアメリカン・フットボールで将来を嘱望されたというが、なるほど巨体。だが、それが歌手にとってはなんとも美徳であることを、その堂々の歌唱に触れると痛感させられる。

 ポーターは自ら曲を書くタイプであるのだが、なかんかいい感じで書かれたそれらの曲のおっとりした佇まいはジャズであるとともに、大人のR&Bリスナーをも相手にできるものだろう。そういう意味では、グラミーのノミネーションには頷ける。「ビー・グッド」とか慈しみの情たっぷりで、万人受けしても不思議はないと思わされます。

 実演において、驚かされたのは伴奏陣。シンガーが主役だと、通常では歌手を後からもり立てようとする”従”の演奏をするものだが、4人は親分とずっとやっていてツーカーであるということもあるのだろう、かなり攻めの演奏をする。アルトやピアノはけっこうソロの時間も与えられ、みんな個をきっちり出す方向に出る。そして、それをポーターも度量でっかく許容する。おおいに質量感ある歌とそうした伴奏はときに120%+120%という感じでトゥ・マッチな印象を与えもするが、おおらか和み系のヴォーカルが中央にある表現であるのに、これだけ攻撃的なヴェクトルを持つ伴奏を生で採用しているとは思いもしなかった。とくに、NY在住の日本人アルト・サックス奏者の佐藤洋祐はどの曲でも長いソロ・パートを与えられ、存分に技量を発揮。その演奏は若いときのフィル・ウッズ(2011年3月26日)を思い出させるようなそれで、すごいゾ。そして、そうした総体の意外性こそは生きている音楽の証であり、ジャズという本質の側面を照らし出すものなのだ。「ワーク・ソング」(だったっけ?)などでは、ポーターはけっこうスキャットもかましていた。

<今日の、もろもろ>
 通常、ビルボードライブ東京のファースト・ショウは19時から。ではあるものの、クリフのそれは18時半開始。それ、一つのセットのパフォーマンス時間が長いからそう設定したのかと思ったら、やった時間は1時間15分ほど(ぼくが見たのは、4日間公演のなかの3日目)なので、まあ通常並み。クリフがファーストとセカンド・ショウの間を空けてほしいと要求したのか。それゆえ、プラッサ・オンゼ(ここも基本、2ショウ制)でもライヴを見る事ができたのだが。ここでは来場者にしっかりとギター・ソロのCD(1曲入りだが)を無料で配布。サーヴィス、いいな。ま、それと女性客が多いのは無関係だろうけど。それから、ポーターのショウは、90分ぐらいやったか。
 というわけで、この晩は3つのライヴをハシゴ。かつてNY なぞに行ったときは、せっかく来ているわけだし、日本で見られないものが見ることができると平気で2つ、3つとハコをハシゴしていて、現地の人に笑われたもんだ。わー今のぼく、ヴィジターのような感じで東京に居住している、な〜んて。一つのものに依拠したくないという気持ちはどこかで常々持っている(それが、音楽の聞き方にも出ている)が、年をとるごとに、ある意味、日本への帰属意識は出て来ているとも思うものナ。この晩、無理な回り方はしていない。まあ、いろんな会場があって、いろんな時間でライヴが見れるというように、東京のライヴ・シーンがおおいに多様になっているということなのだと思う。