マヌ・カッチェ

2011年1月28日 音楽
 クラシック上がりでパリでセッション・マン活動をはじめ、86 年以降、ピーター・ガブリエル、スティング(2000年10月16日)、ロビー・ロバートソン(元ザ・バンド)、ジョニ・ミッチェルと次々にロック賢人のアルバムに参加し、一躍注目の的となったフランス人辣腕ドラマーがマヌ・カッチェだ。当然、サイド・マンとしてはスティングや坂本龍一をはじめ何度も来日しているが、自己名義公演としては今回が初めてとなるとか。ECMレーベルに所属し、ココロあるソングライターであることを前面に出した、どこかメロディアスでもある“私の考えるジャズ”路線を彼は標榜。我が道を行かんとする姿勢はタイプは違えど、ブライアン・ブレイド(2009年7月20日、他)を思い出させるところもあるかな。

 六本木・スイートベイジル139。新作はピノ・パラディーノ(2010年10月26日、他)やもともとフュージョン調リーダー作をジャズ・レーベルから出していたものの近年はジェフ・ベック(2009年2月6日)のサポートもしている英国人ジェイソン・リベロを擁するカルテットによる録音だったが(求める世界は重なるものの、1作ごとに協調者を彼はがらりとかえる)、パラディーノのような電気ベーシストを擁したこの晩の公演はそのECM3作目『サード・ラウンド』を基調とするもの。純ジャズ系の担い手とは明らかに何かが違う絵画的ジャズ表現をさくっと描く。サポート陣は皆パリ在住のようだが、サックス奏者は北欧出身のよう。

 マッチド・グリップで叩くカッチェは出しゃばることなく、芯と立ちのあるビートを飄々と重ねて行くという風情。それほど長くないセットを二つし、MCをする場合はステージ中央に置かれたマイクのもとに行って控え目にしたが、その風情がいい感じだった。

<今日のアイヒャー>
 カッチェに、ライヴ前に楽屋で取材。90年にインタヴューしていらい。痩身で、なかなか格好いい。人生をオープンに楽しんでいるがゆえの、ある種の賢さも感じさせるかな。ながら、質問に対しての答えはけっこう長め。とりとめがないのではなく、誠実に話を積み上げて、そうなっちゃう、みたいな感じ。TVのタレント発掘番組の審査員をやっているという、カイル・イーストウッド情報(2006年11月3日)も確かめてみたら、数年前までやっていたそうで、フランス版“アメリカン・アイドル”みたいな番組とか。「辛口批評を一手に引き受けるような感じになっていた」、とのこと。
 ところで、ロック界で売れっ子の彼が大々的にジャズ側の人間と絡んだのは、ヤン・ガルバレク(2002年2月13日、2004年2月25日)が最初。92年以降、彼のECM発のアルバムで重用されている。で、ヴォーカル・アルバム(92年BMG発『イッツ・アバウト・タイム』。デビュー作)以外のリーダー作3枚はすべてECMからリリースされているわけで、ECMとのディールはガルバレクとの関係から発展したのかと思いきや、真相はまるで違っていてビックリ。なんと、ECMの社主プロデューサーのマンフレート・アイヒャーから直接電話があって、ガルバレクのアルバムで叩いてみないと言われたのだそう。なんでも、アイヒャーは、ロビー・ロバートソンのセルフ・タイトルの初ソロ作(87年、ゲフィン)を聞いてカチェのドラミングに感銘を受けたとか。おおっ。あのアイヒャーはいろいろ広くアンテナを張り巡らし、引っかかったものを自分が信じるジャズに注ぎ込んでいるという事実が、そこからは浮かび上がるか。ちょっと、いい話。それを聞いて、ブルーノート創始者のアルフレッド・ライオンが晩年はプリンス(2002年11月19日)を愛聴していた、という話を思い出した。そういえば、カッチェのECMの初作はトーマス・スタンコ・バンド(2005年10月26日)を起用、同2作目はECMからリーダー作を出しているデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)も参加していたが、その重なりもアイヒャーの勧めがあったと考えると合点が行きます。