ロン・カーター。レジーナ・スペクター
2010年5月6日 音楽 今年のゴールデン・ウィークは天候に恵まれて(こんなに、晴天が続くのも珍しいのでは)、気持ち良かったなー。さんざんこぼしているように、今年は春になってもエっというくらい寒い日が続いていたから、余計にうれしくなちゃったなー。ほんわかあと過ごし、財布もほんわか開いちゃったりして。交通違反のキップを切られちゃったのだけが、バツでしたが。
南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)、大御所ジャズ・ベーシストのザ・ゴールデン・ストライカーと名乗るベース、ピアノ、ギターという編成ドラムレス・トリオの実演を見る。ぼくがこのトリオを見るのは6年ぶり(2004年1月14日)となるが、ギタリストのラッセル・マローンはそのままながら、ピアニストがマルグリュー・ミラーからジャッキー・テラソンに変わっている。昨年のテラソンのリーダー公演(2009年5月8日)を見ていたく感心したぼくとしては、こりゃ行かなきゃとなりますね。
で、そのピアニスト変更は小さくない変化をもたらしていたような。なんか、構成/仕掛けにも留意しつつ、淡々と流れていくような演奏のそこここに、心地よい濁りやアカンベーがあったような気がしたから。思索があった、なんて、曖昧な書き方もしたくなるかな。マローンの演奏もより辛口なジャズ度が増していたような。アンコール曲のときだけ、テラソンがグイ乗りで弾き出し、唸り声をごんごんあげだしたのがおかしかった。
その後、六本木・ビルボードライブ東京に移って、ロシアのモスクワ出身(80年生まれ)で今はNYに住む(MCも歌詞も英語)シンガー・ソングライターのレジーナ・スペクターを見る。すでに数枚のリーダー作をリリースし、デイヴィッド・カーンやジャックナイフ・リーやELOのジェフ・リンら著名人が制作関与している人だが、最近はピーター・ゲイブリエルのお気に入りアーティストとして名を出している女性でもありますね。ゲイブリエルの7年ぶりのオリジナル10年作『スクラッチ・マイ・バック』はカヴァー・アルバムでそこにはルー・リード、ニール・ヤング、レディオヘッドらの曲とともに、なんとスペクターの楽曲が取り上げられている。
場内に入ったら、びっくり。滅茶、混んでいる。1日だけの出演とはいえ、ちゃんとファンを獲得しているんだナ。で、パフォーマンスが始まると余計にびっくり。もう、指笛と嬌声の嵐。ええええええ、こんなに熱狂的な支持を受けている人とは。繰り返すが、ライヴ行きまくっているぼくでも、なんじゃあこの受け方は、という客の反応が認められた公演でありました。
グランド・ピアノ(蓋を閉めていたが、それ珍しいんじゃないか?)を弾きながら穏健に歌う彼女に加え、東洋系(ともに、若い男性)のチェロ奏者とヴァイオリン奏者、スキンヘッドの白人ドラマーを従えての実演だったが、それに接して感じたのは、とってもまっとうなシンガー・ソングライターであるということ。思っていた以上に、オーセンティックな味わいを持つとも了解。ときに、誰かに似ているなと思うときがあったが、具体的な名前があがるというよりは普遍的な女性ピアノ弾き語り表現としてアリなものをまっとうに開いているということなのダ、と了解しました。どこか尖っているところやヒステリックなところもあるのかと思ったが、初々しさはいまだ持つものの、もっと熟していて、ふくよかな感じを与えもする。
また、サポート陣にも感心。弦楽器の二人はいろんな奏法のもと効果的に絡んで的確に曲趣を高めるし、ときにドカスカとプッシュするドラマーも表現に芯や起伏を与えていた。1曲、彼女は鮮やかなエメラルド色のセミ・アコースティック・タイプのギターを持ち一人でパフォーマンスしたりもしたが、トレモロ・アームも用いたそれも嬉しい味あり。また、前に立って歌った曲もあったが、すべてはうれしい存在のアピールに繋がっていたのは間違いない。1時間半ぐらいのパフォーマンス時間、でした。
南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)、大御所ジャズ・ベーシストのザ・ゴールデン・ストライカーと名乗るベース、ピアノ、ギターという編成ドラムレス・トリオの実演を見る。ぼくがこのトリオを見るのは6年ぶり(2004年1月14日)となるが、ギタリストのラッセル・マローンはそのままながら、ピアニストがマルグリュー・ミラーからジャッキー・テラソンに変わっている。昨年のテラソンのリーダー公演(2009年5月8日)を見ていたく感心したぼくとしては、こりゃ行かなきゃとなりますね。
で、そのピアニスト変更は小さくない変化をもたらしていたような。なんか、構成/仕掛けにも留意しつつ、淡々と流れていくような演奏のそこここに、心地よい濁りやアカンベーがあったような気がしたから。思索があった、なんて、曖昧な書き方もしたくなるかな。マローンの演奏もより辛口なジャズ度が増していたような。アンコール曲のときだけ、テラソンがグイ乗りで弾き出し、唸り声をごんごんあげだしたのがおかしかった。
その後、六本木・ビルボードライブ東京に移って、ロシアのモスクワ出身(80年生まれ)で今はNYに住む(MCも歌詞も英語)シンガー・ソングライターのレジーナ・スペクターを見る。すでに数枚のリーダー作をリリースし、デイヴィッド・カーンやジャックナイフ・リーやELOのジェフ・リンら著名人が制作関与している人だが、最近はピーター・ゲイブリエルのお気に入りアーティストとして名を出している女性でもありますね。ゲイブリエルの7年ぶりのオリジナル10年作『スクラッチ・マイ・バック』はカヴァー・アルバムでそこにはルー・リード、ニール・ヤング、レディオヘッドらの曲とともに、なんとスペクターの楽曲が取り上げられている。
場内に入ったら、びっくり。滅茶、混んでいる。1日だけの出演とはいえ、ちゃんとファンを獲得しているんだナ。で、パフォーマンスが始まると余計にびっくり。もう、指笛と嬌声の嵐。ええええええ、こんなに熱狂的な支持を受けている人とは。繰り返すが、ライヴ行きまくっているぼくでも、なんじゃあこの受け方は、という客の反応が認められた公演でありました。
グランド・ピアノ(蓋を閉めていたが、それ珍しいんじゃないか?)を弾きながら穏健に歌う彼女に加え、東洋系(ともに、若い男性)のチェロ奏者とヴァイオリン奏者、スキンヘッドの白人ドラマーを従えての実演だったが、それに接して感じたのは、とってもまっとうなシンガー・ソングライターであるということ。思っていた以上に、オーセンティックな味わいを持つとも了解。ときに、誰かに似ているなと思うときがあったが、具体的な名前があがるというよりは普遍的な女性ピアノ弾き語り表現としてアリなものをまっとうに開いているということなのダ、と了解しました。どこか尖っているところやヒステリックなところもあるのかと思ったが、初々しさはいまだ持つものの、もっと熟していて、ふくよかな感じを与えもする。
また、サポート陣にも感心。弦楽器の二人はいろんな奏法のもと効果的に絡んで的確に曲趣を高めるし、ときにドカスカとプッシュするドラマーも表現に芯や起伏を与えていた。1曲、彼女は鮮やかなエメラルド色のセミ・アコースティック・タイプのギターを持ち一人でパフォーマンスしたりもしたが、トレモロ・アームも用いたそれも嬉しい味あり。また、前に立って歌った曲もあったが、すべてはうれしい存在のアピールに繋がっていたのは間違いない。1時間半ぐらいのパフォーマンス時間、でした。
ザ・インスペクター・クルーゾ
2010年5月7日 音楽 自身のプロダクションで公演を仕切ったりCDをリリースしたりと、フィッシュボーン(2007年4月6日)の後見人的な存在も親身にしている、歌詞は英語を用いるフランスの2人組が、昨年のフジ・ロック(2009年7月25日)に続いて来日した。代官山・ユニット。欧州、中国ツアーを経ての訪日のよう。
ちゃんとネクタイをする、ギタリスト/シンガーとドラマーの二人組。音楽的には基本、“ファンク/R&Bの肉感性やまろみ”と“ロックの爆発感や刺っぽさ"の掛け合わせ。けっこう、ヴィーカルはファルセットが多用され、ジ・アイズリー・ブラザーズ(2004年3月1日、他)やプリンス(2002年11月19日)を思い出させたりも。それを認めると、CDで触れる以上に黒人音楽に影響を受けているバンドであるとも、思わされますね。客扱いも上手い二人の噛み合いは良好。それに触れると、二人っていう単位の美点をしっかり用いているなとも了解。機材が少ないのでステージ上の余白にたくさん客をあげることもできるし。
ところで、今回の来日はこの4月に出した2作目『フレンチ・バスタード』というアルバム(1曲でフィッシュボーンのアンジェロ・ムーア:2009年11月25日、もスポークン・ワードで参加)をフォロウするものだが、その新作で二人は「ファック・マイケル・ジャクソン」という曲もやっている。ニュー・ソウル調の穏健で澄んだ情緒を持つもので、歌詞を見ると本当に故人をくさしているのか屈折した肯定なのかよく分からないところもあるけど、そのクリップを見ると、別の新作クリップ(DJミュージックを攻撃する「ソンビーズ・DJズ・キラーズ」)でDJ をアタックしているゾンビーをまた登場させジャクソン(役の人)のことも喰い殺させているので、その真意はタイトルのままと取っていいのだろう。ぼくが知る限り、唯一死後MJに駄目だしをする曲。いい根性してんじゃん。生を見ると飄々としていて、なかなかにいい奴っぽくも見えるんだが。なんであれ、一方向に固まらず、いろいろな見解が出されるのは健全なこと。ビッグ・スターがあの曲/クリップを発表していたら物議をかもすはずで、それは彼らの大きくなさを示すもので残念。。。
ちゃんとネクタイをする、ギタリスト/シンガーとドラマーの二人組。音楽的には基本、“ファンク/R&Bの肉感性やまろみ”と“ロックの爆発感や刺っぽさ"の掛け合わせ。けっこう、ヴィーカルはファルセットが多用され、ジ・アイズリー・ブラザーズ(2004年3月1日、他)やプリンス(2002年11月19日)を思い出させたりも。それを認めると、CDで触れる以上に黒人音楽に影響を受けているバンドであるとも、思わされますね。客扱いも上手い二人の噛み合いは良好。それに触れると、二人っていう単位の美点をしっかり用いているなとも了解。機材が少ないのでステージ上の余白にたくさん客をあげることもできるし。
ところで、今回の来日はこの4月に出した2作目『フレンチ・バスタード』というアルバム(1曲でフィッシュボーンのアンジェロ・ムーア:2009年11月25日、もスポークン・ワードで参加)をフォロウするものだが、その新作で二人は「ファック・マイケル・ジャクソン」という曲もやっている。ニュー・ソウル調の穏健で澄んだ情緒を持つもので、歌詞を見ると本当に故人をくさしているのか屈折した肯定なのかよく分からないところもあるけど、そのクリップを見ると、別の新作クリップ(DJミュージックを攻撃する「ソンビーズ・DJズ・キラーズ」)でDJ をアタックしているゾンビーをまた登場させジャクソン(役の人)のことも喰い殺させているので、その真意はタイトルのままと取っていいのだろう。ぼくが知る限り、唯一死後MJに駄目だしをする曲。いい根性してんじゃん。生を見ると飄々としていて、なかなかにいい奴っぽくも見えるんだが。なんであれ、一方向に固まらず、いろいろな見解が出されるのは健全なこと。ビッグ・スターがあの曲/クリップを発表していたら物議をかもすはずで、それは彼らの大きくなさを示すもので残念。。。
南青山・プラッサオンゼ。ときにスキャットも適切にかます女性シンガーのnobie(2009年12月18日)と、ソイル&“ピンプ”セッションズ(2009年6月12日、他)の丈青(ピアノ)、吉田サトシ(ギター)、小泉”P”克人(電気ベース)、斉藤良(ドラム)という男性演奏陣たちによるグループ。ドラマーはジャズトロニックのライヴで行っていたロンドンから、今日戻ったばかりとか。なんでも、空港表示には噴火の影響でまたディレイやキャンセル表示が出ていたという。セカンド・ショウから見たが、なるほど、これはグループによる所作を持つナと思わせる実演。それゆえ、その確かな結びつきを感じさせるジャジー表現は、ブラジル音楽ほか見据える世界が広いこともあり、<ちゃんとした丁々発止がある、演奏面にも力を入れた、視野の広いアダルト・ポップ>なんていうふうにも、ぼくは説明したくもなるか。
2曲目はマーカス・ミラーがマイルス・デイヴィスのために書いた有名曲「ツツ」。歌詞付きで披露されていたけど、歌詞を付けたヴァージョンがあるのか、それとも自分で付けたのか。ともあれ、この曲での丈青のキーボード・ソロは凄かった。それに合わせ、他の楽器音マナーもぐぐっと美味しく曲がり、もう一つ別のステージにポンっと上がる。うーん、ライヴならではの美味しい局面。一人の女性のお客さんがたまらずビール片手に立ちあがり……、その気持ちよく分かりました。
2曲目はマーカス・ミラーがマイルス・デイヴィスのために書いた有名曲「ツツ」。歌詞付きで披露されていたけど、歌詞を付けたヴァージョンがあるのか、それとも自分で付けたのか。ともあれ、この曲での丈青のキーボード・ソロは凄かった。それに合わせ、他の楽器音マナーもぐぐっと美味しく曲がり、もう一つ別のステージにポンっと上がる。うーん、ライヴならではの美味しい局面。一人の女性のお客さんがたまらずビール片手に立ちあがり……、その気持ちよく分かりました。
タワー・オブ・パワー
2010年5月11日 音楽 40年を超える歴史を持つ、北カリフォルニアの“イースト・ベイ・ファンク”をアイデンティファイする大所帯バンド(2008年5月18日、他)の公演、二人の管楽器奏者やリズム・セクションらはオリジナル・メンバーだ。ツンツンツン、ドクドクドクと前のめり&縦ノリで突き進んで行くような独自のヴァイタルな躍動感覚はさすが減じているところもある(それは、肉体的な衰えとともに、時代のヴァイブと繋がる部分もあるかもしれないし、メンバーが少なからずシスコ/オークランド地区に住んでいないことも左右しているかもしれない)が、何度触れても嬉しCとなる様式や妙味を持つパフォーマンスであるのは間違いない。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。その新作は<タワー・オブ・パワー版ザ・ブルース・ブラザーズ>とも紹介したくなるソウル曲カヴァー集だったが、それを無視のTOPワールドを提示。高揚しつつ、前からなのかもしれないが、以下の2点にへえそうなのと頷く。まず一つは、オルガン奏者がフィーチャーされたときにベーシストのロッコ・プレステアは弾くのをやめ、オルガン奏者は左手でベース・ラインも弾いたのだが、終盤プレステアが弾きだしてもそのベース音の音色やフレイジングの感じがほぼ同じだったこと。あれれれぇ。横には某有名ベーシストがいたのだが、ぼくと同様に驚いていました。それ、プレステアは鍵盤ベース的なニュアンスを持つベースを弾いていたということを示すのか? それからもう一つは、1曲でリーダー/テナー・サックスのエミリオ・キャスティロがリード・ヴォーカルを取ったこと。けっこう、いい感じではなかったか。芸風、ひろがっているぅ。最後のほう、エリック宮城(トランペット)がゲスト入りした。
アンコール曲(だったかな?)は名バラード「ユーアー・スティル・ア・ヤング・マン」。彼らは当初から怒濤のビート曲と和みのスロウによる2本立て表現で勝負してきたが、ぼくはどうにも後者が苦手でしょうがなかった(なんで、ファンキーなアップ曲だけでアルバム作らないのかといつも思っていました)ことを思い出す。←いや、あのバラードのときのリズム隊の切れを抱えたまろみこそが彼らの凄さなんだよと年長者から諭されたことがあったような。さすが、今はこのヒット曲に心から浸れる耳の広さを持ち得るようにはなりましたが。デモ、ヤッパリふぁんきーナ曲ダケヤッテクレタホウガ嬉シイ、かな?
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。その新作は<タワー・オブ・パワー版ザ・ブルース・ブラザーズ>とも紹介したくなるソウル曲カヴァー集だったが、それを無視のTOPワールドを提示。高揚しつつ、前からなのかもしれないが、以下の2点にへえそうなのと頷く。まず一つは、オルガン奏者がフィーチャーされたときにベーシストのロッコ・プレステアは弾くのをやめ、オルガン奏者は左手でベース・ラインも弾いたのだが、終盤プレステアが弾きだしてもそのベース音の音色やフレイジングの感じがほぼ同じだったこと。あれれれぇ。横には某有名ベーシストがいたのだが、ぼくと同様に驚いていました。それ、プレステアは鍵盤ベース的なニュアンスを持つベースを弾いていたということを示すのか? それからもう一つは、1曲でリーダー/テナー・サックスのエミリオ・キャスティロがリード・ヴォーカルを取ったこと。けっこう、いい感じではなかったか。芸風、ひろがっているぅ。最後のほう、エリック宮城(トランペット)がゲスト入りした。
アンコール曲(だったかな?)は名バラード「ユーアー・スティル・ア・ヤング・マン」。彼らは当初から怒濤のビート曲と和みのスロウによる2本立て表現で勝負してきたが、ぼくはどうにも後者が苦手でしょうがなかった(なんで、ファンキーなアップ曲だけでアルバム作らないのかといつも思っていました)ことを思い出す。←いや、あのバラードのときのリズム隊の切れを抱えたまろみこそが彼らの凄さなんだよと年長者から諭されたことがあったような。さすが、今はこのヒット曲に心から浸れる耳の広さを持ち得るようにはなりましたが。デモ、ヤッパリふぁんきーナ曲ダケヤッテクレタホウガ嬉シイ、かな?
mori shige+ポウタ・キウーサ+……
2010年5月12日 音楽 ハンス・コッハ、ミハイル・ティーク、ペード・コンク(3人ともに、クラリネット主体奏者。ポルタ・キウーザと名乗りスイスからやってきて日本各所でライヴ中)、ネナート・シウンフリーニ(リード)、クリスティアーノ・デ・ファブリティイス(打楽器)、ヒグチケイコ(ヴォイス)、mori-shige(チェロ)、トッド・ニコルソン(ベース)……スイス人3人、イタリア人2人、日本人2人、在日外国人1人(何人か分からないので、こういう書き方になりました)という内訳のセッション、たぶん。名前の読みもあまり自信がない。なんにせよ、いろんな属性と経験を持つ多様な即興演奏家8人が東京の街角で気ままに交錯……したということですね。渋谷・Bar Isshee、例によって、投げ銭制なり。
進行役はmori-shige、彼がこの晩を仕切っていると取っていいんだろう。とっても穏健な人格者という顔つきの人で、本ブログ原稿はみな敬称略で書かさせてもらっているが、なんかさん付けで書きたくなる感じの人でありました。で、彼の指名(ちゃんと、それは事前に決められていたよう)により3人ぐらいの組み合わせで、次々に音を重ね合う。音楽演奏向けではない狭い店だからもちろん生音であり、ほんの鼻の先でパフォーマンンスはなされる。息づかいが感じられる、なんて形容があるが、まさに送り手の何から何までが直に見る者の前にあるわけで、ああなんと贅沢な。ぼくは昔ECMからリーダー作をだしたことがあるハンス・コッハしかちゃんと知らず、まずは彼の演奏を聞きたくて飲み会を早々に抜けて行ったのだが、皆ちゃんと質を持つ人たちであったよなあ。で、彼らは自在に重なり、気持ちの交換を悠々おこないまくる。
打楽器奏者(とっても、ぼくの波長/感覚と合う人で嬉しくなる)が入ったときは少しジャズ臭が強くなったりもしたか。でも、みんな、その楽器の定型の用い方からも離れようともするものでもあり、物事の正解は一つじゃない、という考えをいろんな方向からやんわりアピールする。その、<物事の正解は一つじゃない>という行き方は、ただの自慰的演奏になったり、逆に固まった行き方を定めちゃう場合もなくはないが、この日のコミュニケーション好きの、諧謔の感覚を持つ自立した音楽家たちの振る舞いには、そういう危惧は余計なお世話。2部制にて行われ、最後は全員によるパフォーマンス。ところで、先に触れたようにノーPAでのギグ。ゆえに、音バランスについて疑問を抱く方もいるだろうが、少なくてもこの手の人たちなら大丈夫。修羅場/劣悪な条件に慣れていて、全体の音を見極めつつ、自分の音をバランス良く出す本能のようなものをちゃんと持っている。とともに、やはり生音はいいもんデス。
それにしても、いい歳をこいた、イケてる音楽観と積み重ねや修練を持つ敏感な音楽家たちがこんな少ない客(20人はいなかったと思う)を前に、その境遇を嘆くこともなく、まっすぐにその流儀を開く。生理的にとても高潔であり、なんか心が洗われる。やっぱ大衆的なポップ・ミュージックも好きだが、ときどきこういう世界にも触れて、音楽家のありかた、もう一つの音楽の現場を知らなきゃイカンと切に思う。そして、即興音楽/フリー・ミュージックなんかに興味を持てなくても、音楽にちゃんと向き合いたいと思う人なら、それに触れることはすごく有意義なことと思う。また、音楽の送る方の側にいる人なら、それはかなりマストなこととなるのではないか。井の中の蛙、であってはならズ。そんなことも、この晩にぼくは思った。
進行役はmori-shige、彼がこの晩を仕切っていると取っていいんだろう。とっても穏健な人格者という顔つきの人で、本ブログ原稿はみな敬称略で書かさせてもらっているが、なんかさん付けで書きたくなる感じの人でありました。で、彼の指名(ちゃんと、それは事前に決められていたよう)により3人ぐらいの組み合わせで、次々に音を重ね合う。音楽演奏向けではない狭い店だからもちろん生音であり、ほんの鼻の先でパフォーマンンスはなされる。息づかいが感じられる、なんて形容があるが、まさに送り手の何から何までが直に見る者の前にあるわけで、ああなんと贅沢な。ぼくは昔ECMからリーダー作をだしたことがあるハンス・コッハしかちゃんと知らず、まずは彼の演奏を聞きたくて飲み会を早々に抜けて行ったのだが、皆ちゃんと質を持つ人たちであったよなあ。で、彼らは自在に重なり、気持ちの交換を悠々おこないまくる。
打楽器奏者(とっても、ぼくの波長/感覚と合う人で嬉しくなる)が入ったときは少しジャズ臭が強くなったりもしたか。でも、みんな、その楽器の定型の用い方からも離れようともするものでもあり、物事の正解は一つじゃない、という考えをいろんな方向からやんわりアピールする。その、<物事の正解は一つじゃない>という行き方は、ただの自慰的演奏になったり、逆に固まった行き方を定めちゃう場合もなくはないが、この日のコミュニケーション好きの、諧謔の感覚を持つ自立した音楽家たちの振る舞いには、そういう危惧は余計なお世話。2部制にて行われ、最後は全員によるパフォーマンス。ところで、先に触れたようにノーPAでのギグ。ゆえに、音バランスについて疑問を抱く方もいるだろうが、少なくてもこの手の人たちなら大丈夫。修羅場/劣悪な条件に慣れていて、全体の音を見極めつつ、自分の音をバランス良く出す本能のようなものをちゃんと持っている。とともに、やはり生音はいいもんデス。
それにしても、いい歳をこいた、イケてる音楽観と積み重ねや修練を持つ敏感な音楽家たちがこんな少ない客(20人はいなかったと思う)を前に、その境遇を嘆くこともなく、まっすぐにその流儀を開く。生理的にとても高潔であり、なんか心が洗われる。やっぱ大衆的なポップ・ミュージックも好きだが、ときどきこういう世界にも触れて、音楽家のありかた、もう一つの音楽の現場を知らなきゃイカンと切に思う。そして、即興音楽/フリー・ミュージックなんかに興味を持てなくても、音楽にちゃんと向き合いたいと思う人なら、それに触れることはすごく有意義なことと思う。また、音楽の送る方の側にいる人なら、それはかなりマストなこととなるのではないか。井の中の蛙、であってはならズ。そんなことも、この晩にぼくは思った。
Ryusenkei-Body、大介グループ
2010年5月13日 音楽 昨日のリアル・ジャズの場で得た高揚のせいかもしれない、この晩もジャズを根に置く発展を受けることが出来る所を求めて、代官山・晴れたら空に豆まいて。2つのバンドを見る。
まず、Ryusenkei-Body。伊藤匠(テナー・サックス、エレクトロニクス)、早川徹(エレクトリック・ベース)、服部正嗣(ドラム、2009年7月13日)のトリオで、的をいた電気音が生音と干渉し合うと書けそうなその総体はインダストリアル・ロックならぬ、インダストリアル・ジャズというべきもの。微妙な含みもそこには付帯する。演奏が終わったあと、この3人でのライヴはこれが最後となることがMCされる。その最後に触れることができて良かったナと、演奏から得た満足感とともに、ほんの少し感傷的な気持ちにもなったか。集合〜離散を繰り返し、意思を持つ音塊は発展して行く……。な〜んて、何痒いこと、オレはぬけしゃあしゃあと書いているんだか。こうした、気取った書き方をぼくは基本嫌う。
続いては、takahashi daisuke(テナー・サックス)、赤坂みちる(電気アップライト・ベース)、END(ドラム)からなる大介バンド。その3人一丸疾走の表現を聞いて即おもいうかべたのは、80年代前半メルス・レーベル発のオーディン・ポープのピアノレス表現。←ぼくにとって、それはいまやリジェンダリーとも書きたくなるものですね。というのはともかく、それはまさに、立った感覚を持つ正義のジャズ! そして、それは申し分なく、今の感覚を持つとも、ぼくは感じた。
その後には菊地雅晃や藤井信雄(1999年12月22日、他)らが組むTravels Through Time And Textureというユニットがメインの出演者として出たはずだが、どうだったろう。
まず、Ryusenkei-Body。伊藤匠(テナー・サックス、エレクトロニクス)、早川徹(エレクトリック・ベース)、服部正嗣(ドラム、2009年7月13日)のトリオで、的をいた電気音が生音と干渉し合うと書けそうなその総体はインダストリアル・ロックならぬ、インダストリアル・ジャズというべきもの。微妙な含みもそこには付帯する。演奏が終わったあと、この3人でのライヴはこれが最後となることがMCされる。その最後に触れることができて良かったナと、演奏から得た満足感とともに、ほんの少し感傷的な気持ちにもなったか。集合〜離散を繰り返し、意思を持つ音塊は発展して行く……。な〜んて、何痒いこと、オレはぬけしゃあしゃあと書いているんだか。こうした、気取った書き方をぼくは基本嫌う。
続いては、takahashi daisuke(テナー・サックス)、赤坂みちる(電気アップライト・ベース)、END(ドラム)からなる大介バンド。その3人一丸疾走の表現を聞いて即おもいうかべたのは、80年代前半メルス・レーベル発のオーディン・ポープのピアノレス表現。←ぼくにとって、それはいまやリジェンダリーとも書きたくなるものですね。というのはともかく、それはまさに、立った感覚を持つ正義のジャズ! そして、それは申し分なく、今の感覚を持つとも、ぼくは感じた。
その後には菊地雅晃や藤井信雄(1999年12月22日、他)らが組むTravels Through Time And Textureというユニットがメインの出演者として出たはずだが、どうだったろう。
新しいことをはじめた業界先輩と、夕方に久しぶりに会う。Tokyo Boot Up!(http://tokyobootup.jp/tbu/)という、米国サウス・バイ・サウス・ウェストのような音楽見本市を立ち上げたそうな。考えてみれば、この手のものが日本になかったのが不思議ではあるな。この時期だからこそ、大きな意味を持つかもしれない。ともあれ、いろいろ楽しい会話が弾む。そのあと、デパ地下でお買い物。後で、ポットラック・パーティがあるため。手にワインを持つのは重いなあ。
そして、代官山・ユニットで、英国のたん美系新進のThe XXを見る。ヴォーカル/ギター(女性)、ヴォーカル/ベース、機会経由ビート供給者という内訳の、ロンドンの3人組。会場はとっても混んでおり、音楽性にあわせて(?)ステージ上は暗め。見辛いの二乗。まだハタチちょいと喧伝される連中。ずっとロックを聞いている人間にとって慌てさせる部分はないが、若いのにいろいろと自分たちであらんとしている部分があって、そこには頷く。編成や視覚面、茫洋とした曲調などから、彼らなりのダーク・ワールドを統合的に出さんという創意工夫やツっぱりはよく感じることができました。どこかつたない男女ヴォーカルの絡みも、なんか風情があった。彼女たちならではの気持ちの交換があった。
1時間弱見て(全部で1時間少しだったそうだが)、その近くのデザイン事務所に。某女史故人と関わり持つ人たちが集まった宴。半数はたまに顔を合わせるが、もう半分は初めて会う方々。またまた話はおおいに弾む。
そして、代官山・ユニットで、英国のたん美系新進のThe XXを見る。ヴォーカル/ギター(女性)、ヴォーカル/ベース、機会経由ビート供給者という内訳の、ロンドンの3人組。会場はとっても混んでおり、音楽性にあわせて(?)ステージ上は暗め。見辛いの二乗。まだハタチちょいと喧伝される連中。ずっとロックを聞いている人間にとって慌てさせる部分はないが、若いのにいろいろと自分たちであらんとしている部分があって、そこには頷く。編成や視覚面、茫洋とした曲調などから、彼らなりのダーク・ワールドを統合的に出さんという創意工夫やツっぱりはよく感じることができました。どこかつたない男女ヴォーカルの絡みも、なんか風情があった。彼女たちならではの気持ちの交換があった。
1時間弱見て(全部で1時間少しだったそうだが)、その近くのデザイン事務所に。某女史故人と関わり持つ人たちが集まった宴。半数はたまに顔を合わせるが、もう半分は初めて会う方々。またまた話はおおいに弾む。
飯田橋・東京日仏学院/ラ・ブラスリー(お、ステージの位置が変わったのだな)での、短めのショーケース・ライヴ。主役は、モロッコ出身で、13歳以降はパリで育っている女性シンガー・ソングライター。ベルベル人の血を引きそのことにとても自負を抱いているという情報があったり、高校を出てルーブル美術館の監視員としての職を得たり&25歳を過ぎてちゃんとシンガー・ソングライターの道を目指したりという経歴など、興味を引く項目を持つ人。終わったあと少し言葉を交わしたら、とてもいい人そう。とともに、オトナというか、ちゃんと自分を持ってしなやかに生きているノリを感じさせられた。
生ギターを弾く優男がサポート(日本盤も出ている、パリでボサノヴァ・ユニットをやっているトム&ジョイスの人だそう)。マイナー・キー多用の襞を持つ曲はときにアシャ(2008年9月10日、他)やモリアーティ(2009年5月31日)のそれを少し想起させる場合も。今のパリの多国籍性の確かな欠片、な〜んてね。アルバムを聞くとアクセント/打楽器音が個性あり(←それは、どこかベルベルの血を想起させる?)と思わせるので。パーカッション奏者も同行させてほしかったかな。
この16日に、長老ジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズがNYで亡くなったという報道。死因は発表されていないようだが、91歳だし、天寿をまっとうしたと言っていいのだろう。今年の矍鑠さと粋さを持つ来日パフォーマンス(2010年2月22日)に触れておいて、本当に良かったという思いが頭のなかに渦巻く。
生ギターを弾く優男がサポート(日本盤も出ている、パリでボサノヴァ・ユニットをやっているトム&ジョイスの人だそう)。マイナー・キー多用の襞を持つ曲はときにアシャ(2008年9月10日、他)やモリアーティ(2009年5月31日)のそれを少し想起させる場合も。今のパリの多国籍性の確かな欠片、な〜んてね。アルバムを聞くとアクセント/打楽器音が個性あり(←それは、どこかベルベルの血を想起させる?)と思わせるので。パーカッション奏者も同行させてほしかったかな。
この16日に、長老ジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズがNYで亡くなったという報道。死因は発表されていないようだが、91歳だし、天寿をまっとうしたと言っていいのだろう。今年の矍鑠さと粋さを持つ来日パフォーマンス(2010年2月22日)に触れておいて、本当に良かったという思いが頭のなかに渦巻く。
ジェイムズ・チャンス&ザ・コントーションズ、フリクション、SADY &MADY
2010年5月19日 音楽 雨天、ここのところ、まあ涼しい。恵比寿・リキッドルーム。会場入りすると、SADY & MADYというユニットがやっている。ギターを持っている二人がそのメンバーなのか、さらに二人のドラムや効果音担当者がステージ上に。そんな編成による実演はかなり開放系のものに聞こえた。感想を書けるほど触れることはできなかったが、悪い印象はない。
続いて、近く各所のライヴで収録されたプロダクツをまとめた2枚組(音質は良くないが、いろいろ興味深い)をリリースするフリクション(2008年5月21日、他)が登場。もちろん、レックと中村達也の二人による。きっちり、剛性感の高い演奏。ながら、今回のそれはカチっとまとまり過ぎのようにもぼくには思え、どこかスリルに欠けると感じた。ファンによれば、フリクションのギグの予定は当分ないらしい。
そして、休憩を挟んで、フリクションを組む前のレックが渡米時代に関わりを持ったこともあった、NYのリジェンダリーなファンク・パンク・ジャズの担い手であるジェイムズ・チャンス(2005年7月16日、2007年6月13日は単独)と彼のバンドのショウ。アルト・サックスとオルガン音を出すキーボードとヴォーカルを担当する本人に加え、テナー・サックス兼キーボード(チャンスとともにセクション音をだすことはない。また、キーボードは同じものを弾く。つまり、両者の鍵盤音は重ならない)、絵に描いたようにひしゃげた情緒を出すギター、かなりタイトで肉感的なリズム・セクションという構成。
なお、今回のザ・コントーションズのベーシストは、ザ・ラウンジ・リザーズにもいた名手エリック・サンコではなかった。実は3年前に偶然に知ったのだが、サンコの01年リーダー作『Past Impaerfect,present Tense』(Jet Set)は素晴らしく風情のある自給自足なシンガー・ソングライター作。リアルタイムで聞いたなら、きっとその年のベスト10に入れていたかもと唸らせる出来で、あえて説明するなら、“音響の入った、NYのロバート・ワイアット”と言いたくなる? 蛇足だが、サンコほど結びつきは太くないが、やはりザ・ラウンジ・リザーズに入っていたことのあるギタリストのオーレン・ブロードウも歌モノ作に冴えを見せる異才だよな。ザ・ニッティング・ファクトリー・ワークス他からリーダー作を出すとともに、一方で彼は女房と一緒にエリージャン・フィールズという倦怠ポップ・ユニットも組んでいますね。そのデビューはメジャーのMCAで、サンコ作をだしたジェット・セットや仏のナイーヴからもアルバムをリリースしている。
話を戻そう。始まる前には、フェラ・クティとおぼしきアフロ・ビート表現が流れていたが、1曲目の冒頭でチャンスが弾いた鍵盤ソロはその流儀を引き継ぐもので笑う。もっととっちらかったキーボード・ソロを取る人のハズなのに。いまだインプルーヴしている、ということ? それはともかく、彼がクティを好きなのは間違いない。
率いたバンド員の腕は確か(それは、前回以上と思えたかも)、いくらコワれていても、あのちゃんとした伴奏が下敷きになっていれば、それなりに形にはなるよナ。まっとうなパンク・ファンク・サウンドに乗って、御大は気ままな感じでサックスをいななかせたり、キーボードを押えたり、奇妙さを持つ歌を聞かせたり、変テコなダンスを見せたり。ま、過去の繰り返しでもそれなりに絵になるし、人を引き付けるよナとニヤニヤ見ていたんだが、途中からそっかアと感じたことが一つ。それは、外見的にはすっかり落ち着いたようにも見える彼が、いまだ収まりの悪い自意識というか、朽ちぬフラストレーションのようなものを垣間見せていたこと。で、以下は勝手な曲解を経てのワタシの感想。
実は、チャンスは70年代中期にNYに出てきたとき、ハードボイルドな美意識とともに、純ジャズ・マンを目指したという。会場で聞いたのだが、彼はパンク・ファンク表現に手を染める前に、当時間違いなく世界一の先鋭ジャズ・サックス奏者であるデイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6日)にサックスを習ったことがあったらしい! それは彼が本格派のフリー・ジャズの奏者を目指さんとしていたことの証にはならないにせよ、真摯にジャズと対峙しようとしていたのを示す。ながら、当時の時勢や本人の年齢やツっぱりもあったろうが、彼がZEレーベル経由でセンセーショナルに登場した際は、ジャズ文脈とは離れた、ひしゃげたビート・ポップの領域にて。で、紛い物/異物として振る舞ったら受けただけでなく、そうした方面でいまやカリスマ的な存在になってしまっている……。それ、アウトローなものや破壊的なものを愛でたり、どこか米国的なサムライ感覚を持つ彼の資質が花開いたものではあったろう。だが、一方では、穏健にジャズや文学を愛好する正統的(?)モダニストとしてのチャンスもずっといるわけで、彼としてはその間にある隔たりに決着をつけておらず、いまだ折り合いの悪さを感じている部分があるのではないか。そして、そうした事実に彼は生理的にイラだち、心のなかでのたうつ。それが、明解な道化的所作に繋がったりもする。しかしながら、それゆえ、彼のパフォーマンスは過去のパロディではなく、生きた人間的行為であり続けているのではないだろうか。
フリクションにせよ、チャンスにせよ、ともに時代を切り取るような感じでぶいぶい言わせていたのは30年も前のこと。客もそれなりの年長者が多くてもなんら不思議はないはずだが、意外に客層はそうではなかった。両者が登場したとき、まだ生まれていない人もそれなりにいたはずだ。それには、おおいにマル。
続いて、近く各所のライヴで収録されたプロダクツをまとめた2枚組(音質は良くないが、いろいろ興味深い)をリリースするフリクション(2008年5月21日、他)が登場。もちろん、レックと中村達也の二人による。きっちり、剛性感の高い演奏。ながら、今回のそれはカチっとまとまり過ぎのようにもぼくには思え、どこかスリルに欠けると感じた。ファンによれば、フリクションのギグの予定は当分ないらしい。
そして、休憩を挟んで、フリクションを組む前のレックが渡米時代に関わりを持ったこともあった、NYのリジェンダリーなファンク・パンク・ジャズの担い手であるジェイムズ・チャンス(2005年7月16日、2007年6月13日は単独)と彼のバンドのショウ。アルト・サックスとオルガン音を出すキーボードとヴォーカルを担当する本人に加え、テナー・サックス兼キーボード(チャンスとともにセクション音をだすことはない。また、キーボードは同じものを弾く。つまり、両者の鍵盤音は重ならない)、絵に描いたようにひしゃげた情緒を出すギター、かなりタイトで肉感的なリズム・セクションという構成。
なお、今回のザ・コントーションズのベーシストは、ザ・ラウンジ・リザーズにもいた名手エリック・サンコではなかった。実は3年前に偶然に知ったのだが、サンコの01年リーダー作『Past Impaerfect,present Tense』(Jet Set)は素晴らしく風情のある自給自足なシンガー・ソングライター作。リアルタイムで聞いたなら、きっとその年のベスト10に入れていたかもと唸らせる出来で、あえて説明するなら、“音響の入った、NYのロバート・ワイアット”と言いたくなる? 蛇足だが、サンコほど結びつきは太くないが、やはりザ・ラウンジ・リザーズに入っていたことのあるギタリストのオーレン・ブロードウも歌モノ作に冴えを見せる異才だよな。ザ・ニッティング・ファクトリー・ワークス他からリーダー作を出すとともに、一方で彼は女房と一緒にエリージャン・フィールズという倦怠ポップ・ユニットも組んでいますね。そのデビューはメジャーのMCAで、サンコ作をだしたジェット・セットや仏のナイーヴからもアルバムをリリースしている。
話を戻そう。始まる前には、フェラ・クティとおぼしきアフロ・ビート表現が流れていたが、1曲目の冒頭でチャンスが弾いた鍵盤ソロはその流儀を引き継ぐもので笑う。もっととっちらかったキーボード・ソロを取る人のハズなのに。いまだインプルーヴしている、ということ? それはともかく、彼がクティを好きなのは間違いない。
率いたバンド員の腕は確か(それは、前回以上と思えたかも)、いくらコワれていても、あのちゃんとした伴奏が下敷きになっていれば、それなりに形にはなるよナ。まっとうなパンク・ファンク・サウンドに乗って、御大は気ままな感じでサックスをいななかせたり、キーボードを押えたり、奇妙さを持つ歌を聞かせたり、変テコなダンスを見せたり。ま、過去の繰り返しでもそれなりに絵になるし、人を引き付けるよナとニヤニヤ見ていたんだが、途中からそっかアと感じたことが一つ。それは、外見的にはすっかり落ち着いたようにも見える彼が、いまだ収まりの悪い自意識というか、朽ちぬフラストレーションのようなものを垣間見せていたこと。で、以下は勝手な曲解を経てのワタシの感想。
実は、チャンスは70年代中期にNYに出てきたとき、ハードボイルドな美意識とともに、純ジャズ・マンを目指したという。会場で聞いたのだが、彼はパンク・ファンク表現に手を染める前に、当時間違いなく世界一の先鋭ジャズ・サックス奏者であるデイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6日)にサックスを習ったことがあったらしい! それは彼が本格派のフリー・ジャズの奏者を目指さんとしていたことの証にはならないにせよ、真摯にジャズと対峙しようとしていたのを示す。ながら、当時の時勢や本人の年齢やツっぱりもあったろうが、彼がZEレーベル経由でセンセーショナルに登場した際は、ジャズ文脈とは離れた、ひしゃげたビート・ポップの領域にて。で、紛い物/異物として振る舞ったら受けただけでなく、そうした方面でいまやカリスマ的な存在になってしまっている……。それ、アウトローなものや破壊的なものを愛でたり、どこか米国的なサムライ感覚を持つ彼の資質が花開いたものではあったろう。だが、一方では、穏健にジャズや文学を愛好する正統的(?)モダニストとしてのチャンスもずっといるわけで、彼としてはその間にある隔たりに決着をつけておらず、いまだ折り合いの悪さを感じている部分があるのではないか。そして、そうした事実に彼は生理的にイラだち、心のなかでのたうつ。それが、明解な道化的所作に繋がったりもする。しかしながら、それゆえ、彼のパフォーマンスは過去のパロディではなく、生きた人間的行為であり続けているのではないだろうか。
フリクションにせよ、チャンスにせよ、ともに時代を切り取るような感じでぶいぶい言わせていたのは30年も前のこと。客もそれなりの年長者が多くてもなんら不思議はないはずだが、意外に客層はそうではなかった。両者が登場したとき、まだ生まれていない人もそれなりにいたはずだ。それには、おおいにマル。
エリック・シールマンス、高岡大祐、タカダアキコ
2010年5月22日 音楽 祖師ケ谷大蔵・カフェムリウイ。小田急線の祖師ケ谷大蔵の駅には、初めて下車する。それほど広くない道を挟む商店街が駅前から伸びた先に、目指す場所はあった。2階立ての建物の屋上にあるようなお店で、とっても開放的な作り。周りに高い建物がないので、眺めがいい。途中、何度も購入しなくてもいいようにマイヤーズをダブルで頼んだら、うちはダブルで出しています(ながら、500円!)と、お店の方。ささやかな幸福を感じる、安上がりなぼく。
チューバ奏者の高岡大祐が、ベルギーのドラマーのエリック・シールマンスを呼んでのツアーの一環ナリ。実は、そのシールマンスのスネア演奏が凄すぎという信頼できる知人の情報を受けて、出向いた。
一部は、三者がそれぞれに、ソロのパフォーマンス(一人、15分ぐらい?)を披露。最初は、高岡。右手によるピストン(メロディ)操作はほとんどなしで、息づかいと小物を用いた効果音的音使いで、目に見えぬ何かと交信するような静的演奏を披露。2番目はタカダ(2008年1月30日)のダンス+α。ときに、身につけている衣服や肉声(それが、デカい)やベルなども用いて、アタシの世界を表出。そして、シールマンスはスネアだけをダダダダダと叩くソロ。文字にすると、とてもシンプルだが、そのスネア連打音/パルスはいろんな含みをもって、自在に広がって行く。倍音(と、言ってもいいのかな?)の神秘や連呼音の不思議、抑揚の誘いがいっぱい。なるほどォ、こういうパフォーマンスであったか。
そして、休憩を挟んでの2部は3人一緒に重なり、やりとり。実のある、インタープレイの夕べ。シールマンスはシンバルも控え目に用いたりも。終演後、40歳ちょいの彼と少し話をしたら、もともとクラシックの打楽器を学んでいて、マリンバやティンパニーも得意らしい。そして、クラシックに行き詰まりを感じて、ジャズとか即興の世界に興味を持つようになったようだ。
チューバ奏者の高岡大祐が、ベルギーのドラマーのエリック・シールマンスを呼んでのツアーの一環ナリ。実は、そのシールマンスのスネア演奏が凄すぎという信頼できる知人の情報を受けて、出向いた。
一部は、三者がそれぞれに、ソロのパフォーマンス(一人、15分ぐらい?)を披露。最初は、高岡。右手によるピストン(メロディ)操作はほとんどなしで、息づかいと小物を用いた効果音的音使いで、目に見えぬ何かと交信するような静的演奏を披露。2番目はタカダ(2008年1月30日)のダンス+α。ときに、身につけている衣服や肉声(それが、デカい)やベルなども用いて、アタシの世界を表出。そして、シールマンスはスネアだけをダダダダダと叩くソロ。文字にすると、とてもシンプルだが、そのスネア連打音/パルスはいろんな含みをもって、自在に広がって行く。倍音(と、言ってもいいのかな?)の神秘や連呼音の不思議、抑揚の誘いがいっぱい。なるほどォ、こういうパフォーマンスであったか。
そして、休憩を挟んでの2部は3人一緒に重なり、やりとり。実のある、インタープレイの夕べ。シールマンスはシンバルも控え目に用いたりも。終演後、40歳ちょいの彼と少し話をしたら、もともとクラシックの打楽器を学んでいて、マリンバやティンパニーも得意らしい。そして、クラシックに行き詰まりを感じて、ジャズとか即興の世界に興味を持つようになったようだ。
ザ・グリーンルーム・フェスティヴァル
2010年5月23日 音楽 なんてこったい。
あ〜、雨天。それにより、この港ヨコハマ5月下旬恒例のフェスの魅力は10分の1ぐらいになっちゃったんじゃないか。過去2回の原稿(2007年5月26日、2009年5月30日)で、会場となっていた大桟橋ホールは床の尋常ならぬ揺れ方のため音楽公演には用いてはいけない場所じゃねーのと指摘していたが、今回は同じ横浜の海沿いながら、より地下鉄駅にも近い赤レンガ倉庫周辺に場所を移しての開催となった。今年はテレビ朝日が主催についてより規模は大きくなった、とも書けるのかな。
土日2日間開催の、2日目。晴天だった前日と異なり、この日は結構な降雨とともに風もそこそこあり、相当に寒い。それゆえ、昼下がりからやっているはずだが、夕方に着くように東横線に乗る。赤レンガ倉庫の敷地+αを全面的に使用。こんなに余白スペースがあったんだという海に面した広場に二つの野外ステージや物販場や寛ぎ場など。ただし、雨ふっていちゃあ、な。少し離れたほうにも野外ステージと船を用いたDJステージがあったよう。そっちのほうには雨と寒さのために気持ちが萎えて行く気がおきませんでした。その船ステージはときどき出航して完全に海の上でどんちゃかやる設定になっていたようで、一度だけ赤レンガ倉庫沖を進んで行くその船(屋形船感覚とも言える?)を確認。うーん、それはとっても楽しそうに見えました。
また、赤レンガ倉庫2練のうちの1練も展示場や室内ステージとして用いられており、そのステージはぼくが行ったときには内外ミュージシャンがいろいろ上がってのセッション大会。ちらしによれば、F.I.Bジャーナル(2009年10月19日)、ソイル(2009年6月12日、他)、ダブル・フェイマス(2004年2月15日、他)、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2008年10月15日)、クール・ワイズ・メン(2009年5月30日)らの人たちが出たみたい。セッションという企画、アリであり、意義も感じさせるもので、いいんでない。実際、誰が仕切っていたかは知らないが、程よくまとめられていたのも事実。
海に面したスペースも広いし、さぞや晴天であったらくつろげて気分良く、楽すィとなったはず。晴天なら、また行きたいぞお(この日は入りが悪かったが、今後も続いてほしい)。あ、それから、いろんな飲食店やショップが入っている赤レンガの別練ももちろん一般の人がそうであるように出入りできて(モーション・ブルー・ヨコハマはこちらに入っているが、お休みをとっていた)、雨をさけるため、ぼくはそちらで茶をしっぱなし。そういう意味では、雨天だからといって、行き場に困るわけではないイヴェントであることも付記しておきたい。
最後になったが、見た出演者(避難ばかりしていて、ちょい見ばかりだけど)にも簡単に触れておく。サンパウロ(2004年1月30日、他)→沼澤尚(2010年1月12日、他)が抜けてしまった彼らだが、久しぶりに見る。会場入りしたらやっていて、おーやってるやってると思いつつ、少し触れた。オリジナル・ラヴ→数年前にトーキング・ヘッズの影響大なことをやったときには少しがっかりしたが、おお今はこんなことになっているのか。最小限のバンド編成でワイルド&ソウルフル、勃起したチンチン丸だしという感じの田島貴男(2002年7月7日)のパフォーマンスにはびっくり。時に透けて見える、モボな襞も魅力的。支持する。今はグレアム・グールドマンだけが残っている10cc→74年作収録の「ザ・ウォール・ストリート・シャッフル」で幕を開け、73年デビュー作収録の「ラバー・バレッツ」で終わったステージ。荒くおやじ臭かったが、聞かせどころはいろいろ。ふふ。リッキー・リー・ジョーンズ(2005年12月31日、他))→リズム隊を率いての生一本、精気と意思あふれる質の高すぎるパフォーマンス(を、展開したハズ)。
ザ・ビートルズやトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)が大好きだったぼくは10ccも本当に大好きでした(そこからの2分の1のゴドリー&クリームは余計に)。だから、今でも70年代のものだったら曲名もすぐに言えちゃう。でもって、ぼくは再結成10ccというと、ウェッジウッドの少し古めの皿を思い出す。ポリドールと切れたグレアム・グールドマンとエリック・スチュアートによる10ccは90年代中期にエイベックスと関係を深め(インタヴュー時にスチュアートだったと記憶するが、エイベックスの出資でスタジオを持ったなんて言っていたはず)、同社から新作(『ミラー・ミラー』だったか)をリリースし、ロンドンのザ・シティ地区の変な造形を持つ有名ビルであるロイズ・ビル内で新作発表パーティをやったことがあった。バブルなころなんで行かせてもらったんだが、そのときの会場のテーブルには件のいい柄のお皿が一杯置かれていて……。そのころ、けっこうその手のものに興味を持っていたぼくは……。ハイ、国際窃盗犯です。
あ〜、雨天。それにより、この港ヨコハマ5月下旬恒例のフェスの魅力は10分の1ぐらいになっちゃったんじゃないか。過去2回の原稿(2007年5月26日、2009年5月30日)で、会場となっていた大桟橋ホールは床の尋常ならぬ揺れ方のため音楽公演には用いてはいけない場所じゃねーのと指摘していたが、今回は同じ横浜の海沿いながら、より地下鉄駅にも近い赤レンガ倉庫周辺に場所を移しての開催となった。今年はテレビ朝日が主催についてより規模は大きくなった、とも書けるのかな。
土日2日間開催の、2日目。晴天だった前日と異なり、この日は結構な降雨とともに風もそこそこあり、相当に寒い。それゆえ、昼下がりからやっているはずだが、夕方に着くように東横線に乗る。赤レンガ倉庫の敷地+αを全面的に使用。こんなに余白スペースがあったんだという海に面した広場に二つの野外ステージや物販場や寛ぎ場など。ただし、雨ふっていちゃあ、な。少し離れたほうにも野外ステージと船を用いたDJステージがあったよう。そっちのほうには雨と寒さのために気持ちが萎えて行く気がおきませんでした。その船ステージはときどき出航して完全に海の上でどんちゃかやる設定になっていたようで、一度だけ赤レンガ倉庫沖を進んで行くその船(屋形船感覚とも言える?)を確認。うーん、それはとっても楽しそうに見えました。
また、赤レンガ倉庫2練のうちの1練も展示場や室内ステージとして用いられており、そのステージはぼくが行ったときには内外ミュージシャンがいろいろ上がってのセッション大会。ちらしによれば、F.I.Bジャーナル(2009年10月19日)、ソイル(2009年6月12日、他)、ダブル・フェイマス(2004年2月15日、他)、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2008年10月15日)、クール・ワイズ・メン(2009年5月30日)らの人たちが出たみたい。セッションという企画、アリであり、意義も感じさせるもので、いいんでない。実際、誰が仕切っていたかは知らないが、程よくまとめられていたのも事実。
海に面したスペースも広いし、さぞや晴天であったらくつろげて気分良く、楽すィとなったはず。晴天なら、また行きたいぞお(この日は入りが悪かったが、今後も続いてほしい)。あ、それから、いろんな飲食店やショップが入っている赤レンガの別練ももちろん一般の人がそうであるように出入りできて(モーション・ブルー・ヨコハマはこちらに入っているが、お休みをとっていた)、雨をさけるため、ぼくはそちらで茶をしっぱなし。そういう意味では、雨天だからといって、行き場に困るわけではないイヴェントであることも付記しておきたい。
最後になったが、見た出演者(避難ばかりしていて、ちょい見ばかりだけど)にも簡単に触れておく。サンパウロ(2004年1月30日、他)→沼澤尚(2010年1月12日、他)が抜けてしまった彼らだが、久しぶりに見る。会場入りしたらやっていて、おーやってるやってると思いつつ、少し触れた。オリジナル・ラヴ→数年前にトーキング・ヘッズの影響大なことをやったときには少しがっかりしたが、おお今はこんなことになっているのか。最小限のバンド編成でワイルド&ソウルフル、勃起したチンチン丸だしという感じの田島貴男(2002年7月7日)のパフォーマンスにはびっくり。時に透けて見える、モボな襞も魅力的。支持する。今はグレアム・グールドマンだけが残っている10cc→74年作収録の「ザ・ウォール・ストリート・シャッフル」で幕を開け、73年デビュー作収録の「ラバー・バレッツ」で終わったステージ。荒くおやじ臭かったが、聞かせどころはいろいろ。ふふ。リッキー・リー・ジョーンズ(2005年12月31日、他))→リズム隊を率いての生一本、精気と意思あふれる質の高すぎるパフォーマンス(を、展開したハズ)。
ザ・ビートルズやトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)が大好きだったぼくは10ccも本当に大好きでした(そこからの2分の1のゴドリー&クリームは余計に)。だから、今でも70年代のものだったら曲名もすぐに言えちゃう。でもって、ぼくは再結成10ccというと、ウェッジウッドの少し古めの皿を思い出す。ポリドールと切れたグレアム・グールドマンとエリック・スチュアートによる10ccは90年代中期にエイベックスと関係を深め(インタヴュー時にスチュアートだったと記憶するが、エイベックスの出資でスタジオを持ったなんて言っていたはず)、同社から新作(『ミラー・ミラー』だったか)をリリースし、ロンドンのザ・シティ地区の変な造形を持つ有名ビルであるロイズ・ビル内で新作発表パーティをやったことがあった。バブルなころなんで行かせてもらったんだが、そのときの会場のテーブルには件のいい柄のお皿が一杯置かれていて……。そのころ、けっこうその手のものに興味を持っていたぼくは……。ハイ、国際窃盗犯です。
ザ・レイ・マン・スリー。マルコス・ヴァーリ・ウィズ・ホベルト・メネスカル
2010年5月25日 音楽 まず、渋谷・デュオで、オーストラリアの技ありソウル・オリエンテッドなバンド表現を聞かせるレイ・マン・スリーを見る。スリーってくらいなもんで、ギターを弾きながら歌うレイ・マンを中心に、ベーシストとドラマーの3人組。で、アーティスト写真もそうだったが、みんなネクタイをしている。2010年3月3日の項で触れているように、ベーシストはジョン・バトラー・トリオのワールド・ツアーに取られているので、代役ベーシストが入ってのもの。ながら、彼は譜面台を前におくこともなく、堂に入った演奏を披露し、ときにはコーラスもつけるなど、なんの問題もなかったはず。
ディアンジェロ表現に憧れた面々のバンドなんて言われ方もするように、半分の曲はディアンジェロの曲を簡素化してやってますよと言われても、それほど違和感はなさそう。確かな肉体感と好感の持てる簡素さやゴツゴツ感を掛け合わせたサウンドのもとメロウにしてちろちろとソウルネスを放つメロディを訥々と開いて行く様は得難い妙味あり。やっぱ、いいじゃないか! この日は、同じ豪州のブルー・キング・ブラウン(2007年5月26日、他)の前座としての出演。そのため、演奏時間が短かったのがとても残念。
その後、南青山・ブルーノート東京。ブラジルの洒脱スーダラ好漢おやじ(2008年4月28日)のステージに触れる。女性シンガー、サックス/フルート奏者、リズム隊を率いてのステージで、そこに曲によっては作曲家としても名高いホベルト・メネスカルもギターで加わる。彼、ニコニコとけっこうラフな演奏していたな。二人一緒にやるときがあれば、どちらかだけがステージ上にいるときも。ヴァーリはギターも弾く人だが、今回はメネスカルがいるためだろう、キーボードだけを弾く。響きの輪郭/音の立ち上がりに違いを持つフェンダー・ローズとエレピ音に設定された電気キーボードを曲によって使い分ける。それ、雑な人だったら、どちらか一つで通しちゃう? ともあれ、やはり今回も嬉しい不可解な広がりや柔和さ→ブラジル的美点を出していたか。彼は70年代渡米期とかにリオン・ウェア(2009年8月23日)とも関わりを持ち、協調アルバムも作っているが、共作曲も披露した。
ディアンジェロ表現に憧れた面々のバンドなんて言われ方もするように、半分の曲はディアンジェロの曲を簡素化してやってますよと言われても、それほど違和感はなさそう。確かな肉体感と好感の持てる簡素さやゴツゴツ感を掛け合わせたサウンドのもとメロウにしてちろちろとソウルネスを放つメロディを訥々と開いて行く様は得難い妙味あり。やっぱ、いいじゃないか! この日は、同じ豪州のブルー・キング・ブラウン(2007年5月26日、他)の前座としての出演。そのため、演奏時間が短かったのがとても残念。
その後、南青山・ブルーノート東京。ブラジルの洒脱スーダラ好漢おやじ(2008年4月28日)のステージに触れる。女性シンガー、サックス/フルート奏者、リズム隊を率いてのステージで、そこに曲によっては作曲家としても名高いホベルト・メネスカルもギターで加わる。彼、ニコニコとけっこうラフな演奏していたな。二人一緒にやるときがあれば、どちらかだけがステージ上にいるときも。ヴァーリはギターも弾く人だが、今回はメネスカルがいるためだろう、キーボードだけを弾く。響きの輪郭/音の立ち上がりに違いを持つフェンダー・ローズとエレピ音に設定された電気キーボードを曲によって使い分ける。それ、雑な人だったら、どちらか一つで通しちゃう? ともあれ、やはり今回も嬉しい不可解な広がりや柔和さ→ブラジル的美点を出していたか。彼は70年代渡米期とかにリオン・ウェア(2009年8月23日)とも関わりを持ち、協調アルバムも作っているが、共作曲も披露した。
キム・チャーチル。ソウライヴ
2010年5月28日 音楽 キム・チャーチルはまだ19歳(1990年生まれ)だという、サーフィン大好きの、豪州のシンガー・ソングライター。けっこう、マイケル・ヘッジスのようなタッピング多用のどんなもんだい的技巧に富むギター演奏とボブ・ディランも嫌いじゃないんだろう的な渋味ギター弾き語り演奏(デビュー作ではわざとそれが出ないようにしたそう)を重ねたことをする。ま、なんにせよ、その年齢よりはだいぶ上のようなことをやるとは言えるか。
三田・オーストラリア大使館での、ショーケース・ライヴ。横のテラスではバーベキューをやっていたりして、くだけたなかでの、普段着の一人実演。ハーモニカをサスペンダーで下げ、プラグした生ギターを弾きつつ(足元には数個のエフェクター)、歌う。生だと、ギター演奏を聞かせようとする曲と、しっとり歌心を開こうとする曲を分けている印象をCDより受けるか。けっこう小柄で痩身、ルックスも悪くないので、日本では別の文脈で人気が出ても不思議はないとも思う。後日に取材したら、なるほどの好青年で現在は1日に3曲とかのペースで曲をごんごん作っているという。今、歌詞作りにも新たな目覚めがあって、制限を作らないめに歌詞をメロディよりも先に作る場合が多いという。ピッキングのため、彼は右手の中指とかを伸ばして保護のためもあるのだろうマニュキアをしているが、ネイル・サロンに出入りするのが恥ずかしいとか。そんな彼は現在トレイラー生活者だ。
1名だけが当たるワイン賞品くじ引きでなぜか当たっちゃって(シラーズではなく、カベルネでした)、ほくほくで六本木・ビルボードライブ東京へ。先に渋谷の飲み屋に持っていってと、大使館で会った女性におねがいしちゃう。こういうところの要領はほんといいな。で、ソウライヴ(2009 年7月8日、他)のセカンド・ショウ。あれれ、なんかオーセンティックなソウライヴ……てな、所感をすぐに持ったが、そっか過去の3度ほどの来日公演はシンガーを入れたり、ホーン・セクションがついてのものだったんだよな。その点、今回はオリジナルの演奏陣三人ぽっきりによるパフォーマンス。とともに、初期のソウライヴはきっちりとスーツを着るのがトレードマークだったのだが、この晩の三人は昔に戻ってばしっと正装していた。そのことも、ぐぐいと初期の姿を思い出させたのかもしれない。
実際、演奏も3人だけなので、すぱっと直球のパフォーマンス。鼓舞される。彼らの新作『ラバー・ソウライヴ』はザ・ビートルズ曲集だが、途中には3曲ぶんメドレーで披露も。バブロフの犬になっちゃいますね。あと、ずっとスキンヘッドだったリーダー格のアラン・エヴァンス(ドラム)がライオン丸のようなヘアスタイルになっていました。
三田・オーストラリア大使館での、ショーケース・ライヴ。横のテラスではバーベキューをやっていたりして、くだけたなかでの、普段着の一人実演。ハーモニカをサスペンダーで下げ、プラグした生ギターを弾きつつ(足元には数個のエフェクター)、歌う。生だと、ギター演奏を聞かせようとする曲と、しっとり歌心を開こうとする曲を分けている印象をCDより受けるか。けっこう小柄で痩身、ルックスも悪くないので、日本では別の文脈で人気が出ても不思議はないとも思う。後日に取材したら、なるほどの好青年で現在は1日に3曲とかのペースで曲をごんごん作っているという。今、歌詞作りにも新たな目覚めがあって、制限を作らないめに歌詞をメロディよりも先に作る場合が多いという。ピッキングのため、彼は右手の中指とかを伸ばして保護のためもあるのだろうマニュキアをしているが、ネイル・サロンに出入りするのが恥ずかしいとか。そんな彼は現在トレイラー生活者だ。
1名だけが当たるワイン賞品くじ引きでなぜか当たっちゃって(シラーズではなく、カベルネでした)、ほくほくで六本木・ビルボードライブ東京へ。先に渋谷の飲み屋に持っていってと、大使館で会った女性におねがいしちゃう。こういうところの要領はほんといいな。で、ソウライヴ(2009 年7月8日、他)のセカンド・ショウ。あれれ、なんかオーセンティックなソウライヴ……てな、所感をすぐに持ったが、そっか過去の3度ほどの来日公演はシンガーを入れたり、ホーン・セクションがついてのものだったんだよな。その点、今回はオリジナルの演奏陣三人ぽっきりによるパフォーマンス。とともに、初期のソウライヴはきっちりとスーツを着るのがトレードマークだったのだが、この晩の三人は昔に戻ってばしっと正装していた。そのことも、ぐぐいと初期の姿を思い出させたのかもしれない。
実際、演奏も3人だけなので、すぱっと直球のパフォーマンス。鼓舞される。彼らの新作『ラバー・ソウライヴ』はザ・ビートルズ曲集だが、途中には3曲ぶんメドレーで披露も。バブロフの犬になっちゃいますね。あと、ずっとスキンヘッドだったリーダー格のアラン・エヴァンス(ドラム)がライオン丸のようなヘアスタイルになっていました。
ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル
2010年5月29日 音楽 日比谷野外大音楽堂。雨という予報だったが、かろうじて降らず。気温は低かったが、良かった良かった。野音でのこの公演は翌日も予定されていて、そちらも雨天の予報だったが、降らずにすみましたね。なにより何より。正義はあると、思うことにしよう。
開演時間を間違えてしまい、小一時間周辺を探索。日比谷公園の奥のほうでは、<日比谷オクトーバーフェスト>とうのをやっていた。ドイツのお祭りを日本に持ってこようとしたものなのかどうかは知らないが、いろんな種類のドイツ・ビールを売るテントや食べ物を売るテントなんかが一杯出ていて、椅子とテーブルもとても沢山出て、相当なにぎわい。大勢の人が寒空の下、和気あいあいとゴクゴクやっている。へえ、こんな催しやっているんだあ。ビールをドイツ仕様のグラスで売っているのはいいが、大きめながら1500円ぐらいと安くはない。一角にステージがあり、アコーディオン奏者他を擁する若いドイツ人のバンドが民俗衣装みたいなのを来て演奏(何調といえばいいのか。ポルカみたいに、ダサいのが味という類いのもの)。それ、ステージ前につめかけたビール片手の若者たちに大受け。その様は、フジ・ロックでのレーヴェン(2009年7月25日)の受け方みたいだった? なんか、その場にいて、ぼくも楽しかった。
で、野音。雨は降らないのはいいが、寒かったなー。まずは、ローラーコースター(MCでは、ドラムの山崎よしきがリーダーと言われていたような)に達者ゲストが入っての出し物。ジャングル・ホップ(2005年6月16日)の面々がいて、吾妻光良(2007年7月22日、他)もいて。吾妻のトリッキーなギターは切れきれ、おおいに客は沸く。日本人のおやじって、ブルースうまいなあと素直に思う。
続いて、ジョー・ルイス・ウォーカーと彼のバンド。本当はバーナード・アリソンが出る予定だったが、急病とかでウォーカーが代わりに日本の地を踏んだ。どっちを見たかったと言えば、アリソンかもしれないが、格としてはかつてフランスのユニヴァーサルとも契約していた年長者でもあるウォーカーのほうが上ではないか。日本人のバンドのあとだと、荒く感じる部分もあるが、コテコテさと一握りの意欲を出しつつ、実演。まあ良く急遽来なすった。
そして、トリは同カーニヴァル25周年記念という名目のもと満を持して呼んだ巨人、ソロモン・バークの登場。そのパフォーマンスに関しては、テキサス州オースティンのフェスで見た際のびっくり具合を2004年9月19日の項で触れているが、それを知っていても、すごいすごいすごい、うれしいうれしいうれしい、あっぱれあっぱれあっぱれ、てな、感謝感激の嵐のテンコ盛りであったな。”キング”なでかい椅子に座って歌う巨漢の彼をバック・アップするのは、キーボード2、ギター2、管楽器4、ベース、ドラム、ヴァイオリン2、男女コーラスと大所帯。その二人のバックグラウンド・シンガーはバークの子供たちだそう(子供や孫はたくさんいるハズ)。で、二人のヴァイオリン奏者や一人のサックス奏者ら女性は黒のボディコン調でまとめているが、けっこうヴァイオリン音はストリングス系音として効いていた。……なんてことは、些細なこと。そうした集団を従えてのバークの歌声や語り、佇まいの存在感の有り様といったなら。もう、R&B表現の精華というべきものであり、他にはなかなか触れられないだろうそれには高揚させられつつ、もう感無量。これは日本の黒人音楽愛好家の間で語り継がれるべき、ライヴではなかったか。彼の最新作『ナッシングズ・インポッシブル』は、ハイ・レコードのウィリー・ミッチェル制作(彼の遺作となった)によるものだが、そのライナーノーツを書いたことがなんとも光栄なことに思えてしかったなかった。いいもの、見せてもらいました。ありがたや〜。ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル、今後も続いてほしいっ。
開演時間を間違えてしまい、小一時間周辺を探索。日比谷公園の奥のほうでは、<日比谷オクトーバーフェスト>とうのをやっていた。ドイツのお祭りを日本に持ってこようとしたものなのかどうかは知らないが、いろんな種類のドイツ・ビールを売るテントや食べ物を売るテントなんかが一杯出ていて、椅子とテーブルもとても沢山出て、相当なにぎわい。大勢の人が寒空の下、和気あいあいとゴクゴクやっている。へえ、こんな催しやっているんだあ。ビールをドイツ仕様のグラスで売っているのはいいが、大きめながら1500円ぐらいと安くはない。一角にステージがあり、アコーディオン奏者他を擁する若いドイツ人のバンドが民俗衣装みたいなのを来て演奏(何調といえばいいのか。ポルカみたいに、ダサいのが味という類いのもの)。それ、ステージ前につめかけたビール片手の若者たちに大受け。その様は、フジ・ロックでのレーヴェン(2009年7月25日)の受け方みたいだった? なんか、その場にいて、ぼくも楽しかった。
で、野音。雨は降らないのはいいが、寒かったなー。まずは、ローラーコースター(MCでは、ドラムの山崎よしきがリーダーと言われていたような)に達者ゲストが入っての出し物。ジャングル・ホップ(2005年6月16日)の面々がいて、吾妻光良(2007年7月22日、他)もいて。吾妻のトリッキーなギターは切れきれ、おおいに客は沸く。日本人のおやじって、ブルースうまいなあと素直に思う。
続いて、ジョー・ルイス・ウォーカーと彼のバンド。本当はバーナード・アリソンが出る予定だったが、急病とかでウォーカーが代わりに日本の地を踏んだ。どっちを見たかったと言えば、アリソンかもしれないが、格としてはかつてフランスのユニヴァーサルとも契約していた年長者でもあるウォーカーのほうが上ではないか。日本人のバンドのあとだと、荒く感じる部分もあるが、コテコテさと一握りの意欲を出しつつ、実演。まあ良く急遽来なすった。
そして、トリは同カーニヴァル25周年記念という名目のもと満を持して呼んだ巨人、ソロモン・バークの登場。そのパフォーマンスに関しては、テキサス州オースティンのフェスで見た際のびっくり具合を2004年9月19日の項で触れているが、それを知っていても、すごいすごいすごい、うれしいうれしいうれしい、あっぱれあっぱれあっぱれ、てな、感謝感激の嵐のテンコ盛りであったな。”キング”なでかい椅子に座って歌う巨漢の彼をバック・アップするのは、キーボード2、ギター2、管楽器4、ベース、ドラム、ヴァイオリン2、男女コーラスと大所帯。その二人のバックグラウンド・シンガーはバークの子供たちだそう(子供や孫はたくさんいるハズ)。で、二人のヴァイオリン奏者や一人のサックス奏者ら女性は黒のボディコン調でまとめているが、けっこうヴァイオリン音はストリングス系音として効いていた。……なんてことは、些細なこと。そうした集団を従えてのバークの歌声や語り、佇まいの存在感の有り様といったなら。もう、R&B表現の精華というべきものであり、他にはなかなか触れられないだろうそれには高揚させられつつ、もう感無量。これは日本の黒人音楽愛好家の間で語り継がれるべき、ライヴではなかったか。彼の最新作『ナッシングズ・インポッシブル』は、ハイ・レコードのウィリー・ミッチェル制作(彼の遺作となった)によるものだが、そのライナーノーツを書いたことがなんとも光栄なことに思えてしかったなかった。いいもの、見せてもらいました。ありがたや〜。ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル、今後も続いてほしいっ。
ステフォン・ハリス。ベンジャミン・スケッパー
2010年5月30日 音楽 ハリスは1973年NY州生まれのジャズ・ヴァイブラフォン奏者で、90年代後半以降ずっとブルーノートからアルバムを発表しつづけてきた(昨年出た新作は、コンコードから)俊英のヴァイブラフォン奏者。ブラックアウトと名付けたワーキング・バンドを率いてのものだが、すごいメンツがそろったバンドで、サックスとヴォコーダーのケイシー・ベンジャミン(2009年12月19日)、ピアノのサリヴァン・フォートナー(ハリスの演奏と被らないように地味にキーボードを弾いていたが、1曲でとったピアノ・ソロは非凡)、ウッド・ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日)、ドラムのテリオン・ガリー(2006年9月17日、2010年3月23日)という面々。それは新作『ウルバヌス』と同様の顔ぶれだが、実演はそれに寄りかからないものであったな。というか、1曲ごとに大きく表情が変わるものを涼しい顔してをやる。ベンジャミンの変テコなヴォーコーダーをフィーチャーした曲もやれば、比較的ストレート・アヘッドなこともやれば、ちょいフュージョンに流れた感じのものもあり、自作もやればスタンダードもやるし、スティングのサントラ曲もやるといった具合。散ったことを、あまりにやり過ぎ。が、共通しているのは、どんな曲調のものをやっても達者なステフォンのソロ(マレットは左右2本づつ使用。ヴァイブラフォンとマリンバを使い分ける)が入るところ。なるほど、若いころから看板はっているだけに、達者。ながら、その音圧のない音色ゆえ、聞き手は(少なくても、ぼくの場合は)確固たる焦点を結びにくいとも感じちゃう。まじ、優秀な弾き手とは思いつつ。そういう意味では、ヴァイブラフォンはクラリネットがそうであるように、ビートが強めの現代ジャズでは生きにくい楽器であると、ハリスのライヴを見てぼくはおおいに再確認したりもした。ながら、彼は安易にシンセ・ヴァイブラフォンに可能性を求めることはせず(大賛成!)、これは俺が選んだ楽器なんダという自負とともに、サウンドや曲調の工夫を凝らしつつ、現代ジャズ・ヴァイブラフォン表現の生き残りの方策を日々模索しているということなのだと思う。ハリスの感じは好青年ぽく、また過剰に尖ってはいないが、表層に表れるもの以上にその表現はストラグルを抱えているのだと思った。
続いて、早稲田にある早稲田奉仕館スコットホールに行って、豪州と日本のハーフというイケ面のベンジャミン・スケッパーのソロ・パフォーマンスを見る。チェンバロの音を次々にサンプリング/ルーピングし重ねていき(その際、少し音色変換もされるか)、そこにさらにチェロ音も同様に重ねて最終的にはまとまった固まりを提示、というようなことをやる。妙味あり、メロディアス&スペクタクル。巧みで、完全にその行き方は出来上がっているよう。ある種の映画にはしっくり合いそうな音世界をあっという間に一人で作ってしまうわけで、予算のない映画やアート・パフォーマンスの出し物には吉ですね。
続いて、早稲田にある早稲田奉仕館スコットホールに行って、豪州と日本のハーフというイケ面のベンジャミン・スケッパーのソロ・パフォーマンスを見る。チェンバロの音を次々にサンプリング/ルーピングし重ねていき(その際、少し音色変換もされるか)、そこにさらにチェロ音も同様に重ねて最終的にはまとまった固まりを提示、というようなことをやる。妙味あり、メロディアス&スペクタクル。巧みで、完全にその行き方は出来上がっているよう。ある種の映画にはしっくり合いそうな音世界をあっという間に一人で作ってしまうわけで、予算のない映画やアート・パフォーマンスの出し物には吉ですね。
代官山・晴れたら空に豆まいて。いろんなスケールの抱え方が興味深いシンガーソングライター(2009年7月26日、他)、日本語曲による新作『パスポート』をフォロウするツアーの最終日。遅れて行ったら、後ろのほうまで人がびっしり。シアトルから両親も来ていたよう。基本のリズム・セクションは彼女もキーボード奏者として参加するShingo02の歪曲バンド(2010年2月25日)の構成員のようで、さらにパーカッション、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ奏者も曲によってはそこに加わる。これまで見たなかで、一番安定感が本人の歌にはあったんではないか。また、アンコールではShingo02、サックス奏者、中国人ピアニストなんかも登場。新曲もやったが、ファースト作と同じように英語曲で固めたアルバム(かなり、しっとりしているらしい)もとっくに完成しており、そこからの曲もあったのかな。