パラグアイをはじめラテン・アメリカのフォルクローレでアルバ(ハープのスペイン語)がポピュラーな楽器として用いられるのはなんとなく知っていたが、なるほどなー。その実演に触れて、また見聞を広めました。ありがたいことです。青山・草月ホール。

 ベネズエラからやってきた二人が中心となる公演。ベタンクールさんはアルバ奏者で、ピノさんはクアトロ(4弦の小さなギターみたいな弦楽器)奏者、二人とも30代か。アルバは普通36弦から38弦だそうで、大きさはちょうどスコティッシュ・ハープと同様。だとすると、けっこう軽く持ち運びしやすそう(カトリオーナ・マッケイ;2009 年12月12日他によれば、スコティッシュやアイリッシュ・ハープは馬に乗って待ち運びできるようにあの大きさなのだという)。今回ベンタクールはより持ち運びしやすい32弦の特注アルバを持ってきているそうな。というような情報は、今回招聘したというパラグアイのアルバ表現をずっとやっているルシア塩満という女性(あっち育ちで、けっこう南米に行っていて、ベタンクールとはフェスで知り合ったらしい)のいろんな説明MC(とってもよどみなく、朗々と分かり易くなさる。ナレーションの副業をやってましたと言われたら、信じそう)から得た。また、彼女は半数近くの曲では一緒に無理なく演奏したりも(他に、二人の日本人奏者も少し入ったときも)。

 演奏されるのはフォークロア曲。パラグアイとベネスエラのアルバ表現はまた少し違うのだろうが、そんなことは門外漢には分かるはずもなく、繊細と大胆さ、素朴さと優美さ、そして積み重ねられた伝統の膨大さを指し示す技巧、といったものが入り交じる、確実に別な文化で育まれたことが了解できる、アコースティックな弦音協調演奏が示される。ステージ背景には曲説明が映し出されるとともに、彼らの手元なんかも追う映像も映し出されたか。ときに、とってもインタープレイされる曲もあり、その際のアルバ演奏はなかなかに壮絶。ベタンクールは一部マラカスも手にして演奏したが、それもすこぶる上手い。うーん、ハイ・クォリティなミュージシャン。当たり前だが、世界は広い。。。

 O-H-I-O!

 O(両腕を上げて両中指をくっつけて丸を作る)、H(両腕を平行に頭上に出す)、I(片腕をあげる)、O(最初と同様)。終盤、メンバーがそうしたジェスチャーをオーディエンスにうながすのに触れて、だいぶ前のオハイオ・プレイヤーズのライヴを見たときのことを、もあもあ思いだす。オレ、嬉々としてそれをやったはず。おお、フリって意外に記憶に残るものなんだな。とともに、彼らの両腕を使ったO-H-I-Oサインは音楽界トップ級に明解で、ココロをつかむものではないか。イエイ。

 まあ、月末/月頭は締め切りが立て込んで落ち着かないというか、テンパリ気味になるものだが、うー落ち着かない。おちおち飲んでもいられない(←そりゃ、嘘になるな)。おまけに、体内時計が狂っていて、やたら寝る/起きるが不規則になっていて困ってシマウマ。と、シマウマなぞと趣味の良くない書き方をしているところに、私の困惑というか、浮き足立った状態が表れていますね。

 それとは全然関係ないのだが、ここのところ、けっこう、ぼくにしては歩いている。といっても、2キロぐらいだが。寒からず暑からずという感じで、気候が歩き易いせいもあるだろう。真冬や真夏だったら、やっぱ歩くのヤだもん。

 お昼に、渋谷でご飯を食べながら、ほんわか打ち合わせ。天気もなかなか良好でそのまま広尾まで歩こうとしたが、距離的にも時間的にも無理なことを途中で認知し、タクる。やはり、タクシーが拾いやすいというのは精神衛生上よろしい。だからこそ、歩く気にもなります。3時から、フランス大使館でエミリー・シモンをインタヴュー。もともとフランスのケイト・ブッシュなんて感じの音楽をやる人で、NYに居住しての新作『ザ・ビッグ・マシーン』はエレ・ポップ度数を高める。わあ、頭小せえ、なかなか可愛い。ちゃんと、ミュージシャンシップを持ってもいるな。この9、10月に彼女はまた来日するかも。

 そして、5時からは六本木のブルース・インターアクションズで某有名UK大人テクノ・ポップ・ユニットの9月に出る新作の試聴会(7日まで、それに関することをブログ等でも口外しない、という誓約書を書かされる。だから、名前を伏せます。そのメンバーが近くプロモ来日して取材する予定になっているので、行かざるを得なかった)。時間は十分、広尾から六本木(地下鉄で、一駅ぶん)まで歩く。有栖川公園の横をのぼって行くとある中国大使館の周辺にやたら警察官がいる。が、後で、その2時間前に乱入事件があったことを知る。六本木ヒルズ下から鳥居坂を登り、東洋英和の横を通り、試聴会10分前にオフィス入り。けっこう小さな音で流したのにはびっくり。某音楽雑誌の編集部は大挙全員で来ていたナ。

 その後、同じ社内のbmr編集部(同誌は近々出る号からリニューアル。とともに、ネット記事もかなり熱心に配信していて、よく3人でやっているナ)で油を売り、時間調整をした後に、同じく六本木のビルボードライブ東京へ。で、70年代にウェストバウンドやマーキュリーからアルバムを出し天下をとっていた(75年のアルバム『ファイアー』は総合/R&Bともにチャート1位)アトラクティヴなファンク・バンドであるオハイオ・プレイヤーズを率いていたシュガーフットを中央に置くバンド(シュガーフットのオハイオ・プレイヤーズというアーティスト表記なり。他の人たちが率いているオハイオ・プレイヤーズもあるのだろうか)を見る。その名前にあるように、オハイオ州(のデイトン)で結成のバンドで、ザップ/ロジャー(2010年2月11日)は同郷の後輩バンドだが、キーボード奏者のビリー・ベックは後にザップ作に関与したりしたはずだ。また、同じくオハイオ・プレイヤーズのマルチ系奏者のウォルター“ジュニー”モリソンはP-ファンク入りして活躍しましたね。当のルロイ“シュガーフット”ボナーはハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)の『パーフェクト・マシーン』(コロムビア、88年)でブーツィ・コリンズと共演。それを仕掛けたのは、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、他)ですね。

 トロンボーン、トランペット、アルト・サックスの三管、2キーボード、ギター、ベース、ドラムの編成を取るバンドに、ヴォーカルのシュガーフットが重なる。みんな白い色の格好をしていて、それはシュガーフットも同様。痩身のシュガーフットは杖をついて出てきたりもし、椅子にふんぞり返って歌ったり(立って歌う場合もある)するのだが、なんかスライ・ストーン(2010年1月20日、他)ともどこか重なる真性ファンカーにありがちなヤクザな風情をステージ上ではなんとなく出していて、それだけでウププ。声のよれとかも、それに繋がる? ラスト2曲は大ヒット曲の「ラヴ・ローラーコースター」と「ファイアー」。俺、ちゃんとリアル・タイムに聞いてんるんだよなー。実は、他のファンク系公演と比べるとすっこ〜んと昇天できない部分もあったのだが、ともあれ、冒頭にあるように、O-H-I-O!

 その後、2軒流れたんだが、途中から雨ふってきちゃったりも。うえーん。そして、翌日起きたら15時。オレ、どうやら疲れてんだなー。

 前回のマイク・スターン公演(2009年6月18日)のカルテット編成バンドのベーシストだけ替わり、ボナ(2010年2月5日、他)が新たに入ってのパフォーマンス。ギターのスターンは好漢まるだしの張り切りさん演奏、トランペットのランディ・ブレッカーはすべて電気を通しての演奏で、その聞き味には疑問。衰えていて生音では勝負できなくなっているのかどうかは知らぬが、あれだと別に鍵盤でやっても同じような音をだせちゃう感じで、トランペットという楽器を用いる美点は何もないじゃないか。そんな音を出す人(といっても、ときに一緒にテーマを弾いたり、ソロを取ったりするだけで、消えている時間はかなり多いが)を雇うスターンにも少し首をかしげる。ボナはやはり自分のバンドのときよりは控え目な存在感にて、となるか。デモ、イテクレルダケデウレシイ? 例のサンプリング/ループを用いてのヴォーカル小宇宙創作を披露する局面もありました。で、そうしなか、今回おおおおすげえじゃんと耳を引き付けたのが、ドラマーのデイヴ・ウェックル。ワザありの先に小気味いいタイトさやパワーをばっちり出したドラミングを披露していて、これはおいしい。最後のがちんこな曲を終えたとき、メンバー紹介をするスターンは彼のことを「ドラムは、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)」と言っていた。アハハハ。米国フュージョン/スタジオ界にいる人でロック側でも売れっ子のドラマーというとまずヴィニー・カリウタのことが思いだされるが、ぼくがジェフ・ベック(2009年2月6日)だったらカリウタではなくウェックルのことを迷わず指名するナとも、そのうれしいドラミングに触れつつ思った。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
 MIKA(2009年11月30日)の公演もこの日にあって、約半年の間に彼がどのぐらい変化しているかというのことに非常に興味があったのだが、最近知りとっても興味そそられたアーティストがいてライヴをやるので、そちらの方を取る。吉祥寺・MANDA-LA2。

 そのアーティストは航という女性シンガー/ピアニスト。小窓ノ王というのは彼女とドラマーの植村昌弘のユニット名で、その単位にチェロ奏者やトランペット奏者も曲によっては入るアルバム『Do-Chu』は航名義のものになっていて、この晩のライヴはそのアルバム発売を受けてのものとなる。

 まず、辻隼人というシンガー/ピアニストがソロでパフォーマンス。初めて触れるが、ほう。けっこうレディオヘッド(2008年10月4日、他)やジェフ・バックリーなどを想起させる曲をピアノ弾き語りでやっているという印象を受ける。ときにアヴァンギャルドなかき回しピアノ奏法を見せたり、歌声とは離れる金切り声をあげたりも。何語で歌っているのかは、ぼくの耳には判別できなかったのは残念(←追記。後からCDを聞いたら、自分なりの擬音/感覚韻で歌っているみたい)。が、なんにせよ、きっちり自分の美意識のもと音楽と対峙しているのが分かる人で、たとえばシガー・ロス(2006年4月5日、他)の前座としてひょいっと出てきたりしたら、話題を呼ぶのではないか。MCによれば、彼はリーダー作を複数出しているようだ。

 2番目は、航のファースト作をプロデュースしている藤井郷子らのファースト・ミーティング(2010年1月9日)。この日のギグは、オーストラリア人で現在はシンガポールに住んでいるそうなアルト・サックス奏者のティムさんという人が加わる。30分1本の、彼女たちならではの、丁々発止。

 そして、小窓ノ王。ぼくは航の『Do-Chu』を聞いて、“リアル・ジャズ環境にいるUA(2009年5月30日、他)”と説明したくなることを、凛とした佇まいのもと見事にやっている人だなあという感想を持った。で、実演を聞いても、ちゃんとした芯と視点と閃きと気を有する才ある人物という印象は減じず。途中でトランペットの田村夏樹(2004年10月10日、2005年2月10日、他)が加わったりも。アンコールは童謡「月の砂漠」を自分流に広げたカタチでやったが、それを聞いて、矢野顕子(2009年12月13日、他)のことも好きなのかとも思う。終演後に聞いたら、矢野の一番好きなアルバムは『ジャパニーズ・ガール』であるそう。


J.A.M

2010年6月11日 音楽
 ソイル&ザ・ピンプ・ザ・セッションズ(2009年6月12日、他)のリズム隊(ピアノ、縦ベース、ドラム)、新作リリースを追うツアーの初日。赤レンガ倉庫・モーション・ブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。フル・ハウス、定期的にここではやっているようで、しっかり固定の客がついているのだと思わせられる。一応、純アコースティックな編成にてジャズな行き方=インタープレイを柱に据えた表現をしていく。ながら、立ったリズムの採用やポップ側に軸足をかけたメロディ感覚を持つなどもし、そこから浮き上がろうとするピアノ・トリオ表現を標榜しているという書き方はできるはず。もう少し暴れてほしいところもあったが、それは着席会場での実演という部分もあったのか。

 その後、怒濤。この日は昨年までパリ在住だった米日ハーフの娘とフランスから来日中の男女と見に行ったのだが、うちアパレル関連従事者であるフレデリックは、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」で人生が変わったんだとか。あの映画に触発されて離婚し、それまで無縁だった酒とタバコを享受するようになり、クラシック以外の音楽も聞くようになったのだそう。とうぜん、舞台となった新宿のホテルに行って大感激したという。彼はサッカーには興味がないそうだが、翌日だか東京ドームに野球を見に行くのが楽しみと言っていた。なんで、野球?とサッカー派のぼくが問うと、スタジアムの感じが好きなんだそう。モーションでワインのボトルを2本あけていたけど、その後はまず野毛の立ち飲みに行って、乾杯〜。

 そして、渋谷に戻り、フランス組が行きたがったお店に行き、さらにもう1軒。今日からワールドカップの開幕で、オープニングのセレモニーは見ることはできなかったが、開幕の南アフリカvs.メキシコの試合はお店で見れた。期間中、試合を放映しますというお店は多いんだろうな。とくに、後のほうのお店の大型プロジェクター映像はとても綺麗でびっくり。その後、深夜2時過ぎ、ハーフ娘の手引きでとんこつラーメン屋へ。俺、なぜか豚骨ラーメンはほとんど食べたことがなく(昔、博多に行ったとき、屋台で食べたことがあるだけ?)、替え玉初体験かも。ましてや、深夜ラーメンなんていつ以来だ? 

 3時半からは開幕第2戦のフランスとウルグアイの試合がある。で、誘われるままにイケイケで、フランス人が集まってフランス戦を応援しているという個人宅におじゃましちゃう。大学教授と証券マンとか、みんな10年以上日本に住んでいるとかで日本語もできる。すでにだいぶシャンパンを開けているとのことだったが、この後もシャンパンがまさに次々に出てくる。最初は少し銘柄を気にしていたが、途中からそんなことどーでもよくなった。たぶん、この早朝が生涯で一番“泡”を飲んだ日になるんだろうナ。一度、ホストがシャンパンを開けるときにこぼすと、シャパーニュ地方の出の一人がそうゆう無様なのはなんだかかんだかと口を出す。こだわりをもっているみたい。

 疑惑の判定(2009年11月24日、参照)でW杯出場を決めたり、大会前の練習試合で出場できない中国に破れたりと前大会準優勝チームながらなにかと評判の悪いフランス代表チームだが、試合が始まって10分もしないうちに、「こりゃ駄目だ。0-0だな」とかフランス人たちは話しだす。サディスティックな俺(2002年6月11日、参照)ではあったが、そこは一飲の恩を感じ、「いやあ、サッカーは最後まで分かりませんから、まだまだこれからです」とか、いい人発言をする。彼ら、試合そっちのけで「なんで黒人選手はあんなにいいケツの形してんのか」とか、そんな話を延々としていたようだ。

 結局、0-0。だが、酔っぱらいまくりつつ、見ていて楽しかった。今年のW杯はあんまし燃えず、TV放映予定なんかも全然チェックせずにいたのだけどなあ……。試合終わったあともうだうだ皆で飲んでいて(テラスに出たりもしたが、あの時間にあんなにデカい声で話していて苦情はこないのか?)、たぶん6時半ぐらいにおいとましたが、すげえ天気がいい。うひょ。

 夕方、錦糸町・すみだトリフォニー・ホールに。地下鉄半蔵門線の錦糸町駅の次の駅は押上。そう、何かと話題になっている東京スカイツリー(ぼくの知人は、語呂も東京タワーと似ているし、経営会社の名前を取って東武タワーでいいじゃん、と言っている。賛成かも)がある駅ですね。天気もいいしホールに行く前にスカイツリー周辺探訪をしようかと思ったが、さすが昨日の12時間に渡る痛飲のためハング・オーヴァー気味で、やめにする。でも、すみだトリフォニー・ホールの側からも通り一直線先にタワーが見える箇所があった。そういう所は、必ず携帯かざして写真を撮っている人がいるのですぐに分かる。現在400メートル弱だそうだが、工事途中のそれはぼくが想像していたよりも低く見えた。うーぬ、家から見えるところでこんなの作っていたら、ワクワクするかな。いや、絶対するだろうな。そして、タワーが見えないところにいると、落ち着かなくなっちゃったりするんだろーな。

 今年早々にリリースされた現代ジャズ・ギター界の大スター(1999年12月15日、2002年9月19日)の新作『オーケストリオン』はオーケストリオンという同名の自動演奏装置が奏でるサウンドのもとギターを弾いたアルバムで、今回の来日はそのオーケストリオンを持ってきてのソロ・パフォーマンス。東京2日間のみのもので、それは早々に売り切れとなったようだ。

 冒頭の数曲は、生ギター、バリトン・ギター、ピカソ・ギター、エレクトリック・ギターなど各種ギターを手して、ソロで1曲づつ弾く。その後はオーケストリオンを用いてのものだが、ナンダコレハと接した者は感じずにはいられない装置だよな。左右と背後に、各種パーカッション、鍵盤類、その他いろんな楽器/鳴りもの(全部で、100ぐらいはある?)が少しアートぽく置かれていて、それはいかなる仕掛けかは分からぬが、その場で動いて音を出し(例えば、シンバルだったらスティックが動いて対象を叩く)、その一個一個の音が重なり一つのサウンドが作られる。それは、物凄く大掛かりで、手間とお金がかかった“明和電気なるもの”なんて、言い方も少しは出来ようか。なんでも、子供のころに親類の家にあった自動演奏装置に対する好奇心がその根にあるようだが、とにもかくにも、酔狂。そのシステムを成り立たせるまでの労力や時間やコストのことを考えると本当に気が遠くなる。とともに、そのアナログな複雑装置が一切トラブルなしで動いている様にも驚く。ここまで安定させるまでには、相当な苦労があったろうて。ちなみに、バンドのときよりスタッフ数は多いそうだ。

 というわけで、ステージ上には寛いだ雰囲気が流れていたが、生理的に壮絶。ガキのころの夢を温め続けて、それを見事に形にしちゃった、メセニーの行動力や気持ちの強さにゃ感服。あんた馬鹿、いや大バカだ。で、そんなオーケストリオンがリアルタイムで出す音群に合わせて、メセニーは思うまま、得意気にギターを弾く。ギターのフレイズに連動して機械が動くところもあるのかもしれないが、基本そのオーケストリオンが出す音にヴィヴィッドな即興性があるわけではないし、採用楽器や装置の回路上やはりサウンドの傾向は一方向を向きがち。それだけを取るなら、バンドをバックにしたほうが生々しいことはできるだろうし、いろんな音を思うまま重ねたプリセット音を流してそれに合わせてギターを弾いたほうが多様に飛び散る表現はできるはず。それゆえ、純粋な音楽面においての新しさの獲得は皆無と言える。音楽的にも新たな境地に達したなんて言う人はメセニー狂信者か、耳のくもっている人と、ぼくは思う。CD『オーケストリオン』のリード・トラックたる1曲目なんて、マイク・オールドフィールドが70年代初頭に発表した「チューブラー・ベルズ」の聞き味からそんなに変わってないでしょ?

 意地悪なことを書けば、メセニーのバンド表現におけるサウンド構築のヴァリエーションや純粋なギター演奏語彙は行き詰まっているところはあるはず。それを敏感なメセニーは察知しているからこそ、彼はこういうプロジェクトにも望んだとも言えなくはないだろう。でも、経過はどうであれ、その変テコでやっかいな筋道を通ってのメセニーのギター表現は言葉を超えた感慨を引き出し、輝きや妙味を持つものとして、あの場にいた受け手に向かいまくっていたのは間違いのないこと。なんか、掛け替えのない何かが存分にあの場にはあった!

 <パット・メセニー、私とギター、そしてその音楽人生……>そんな副題が付けられそうな、メセニーのギターや音楽に対する並外れた執念がこれでもかと放出された公演。途中からは達成感を下敷きにするだろう心のこもったMCを1曲ごとに挟んだりもし、3度やったアンコール曲も含めると、3時間にも及ぶショウとなった。そういえば、最後のほうになると、メセニーのギター演奏に関しては、そのライヴ・ギター音をサンプリングしそれをループして行く手法も取ったりもした(それ自体はリチャード・ボナ他いろんな人がやっていることで新味なし)し、オーネット・コールマン(2006年3月27日)の「ピース」をやったりもした。オーケストリオン装置は豆電球が光ったりもする(それ、演奏しているものが光るという話もあるが、遠目にはピカピカ光っているようにしか見えなかった)が、照明ともどもそれは子供っぽい感じを与えるもので、趣味がいいとは言いがたい。まあ、そこらあたりは服装に無頓着な彼らしいと思わせるか。

 あのからくり装置のお化けのようなものを介する生サウンドにギター演奏を重ねる様に触れて、メセニーは強大な“スカイツリー”を一人で見事に作り上げちゃたんだなーと、思ったりも。無駄なことを嬉々としてやるパワー、その創造性や権力の自由な行使にはおおきく心を動かされちゃったナ。メセニー、あんたって人は……。巨大なおもちゃを前に永遠のギター少年が思うまま振る舞う様に、ピーターパンという言葉を思い出したりも。これをMJ(マイケル・ジャクソンのことです)が見たら、メセニーと共演したくなったんじゃないか。なんか、ぼくはそんな唐突なことも思った。

 この日は、オーケストリオンをひっさげてのツアーの最終日。秋にはまたこのプロジェクト・ツアーをやるという話もあるが、この欧州サマー・フェス・ツアーはカルテット(ラリー・メイズ、スティーヴ・ロドビー、アントニオ・サンチェス)でやるようだ。

 ジャズを根に置く広角型シンガーの今回の実演は、マーヴィン・スーウェル(ギター、ミュージカル・ディレクター)、ロニー・プラキシコ(ベース)、ジョナサン・バティステ(ピアノ)、ハーリン・ライリー(ドラム)、レカン・ババロラ(パーカッション)という面々のサポート。前回公演(2008年8月11日)の同行者と重なるのは、スーウェル(メンバー紹介のMCで、彼だけが拍手がデカかった)とババロラ。ながら、バティステ以外は今のところ一番新しいアルバムとなる『ラヴァリー』参加者となる。←おお、全員、肌の黒い人たちですね。蛇足だが、本来ならこの頃には新作が出るとも言われていた。ながら、(彼女が所属している)ブルーノートの新作リリース情報のリストから現在は名前がドロップしてしまったという。うぬ、新作どーなる?

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。冒頭、ブルージィなインスト。おお、ウィルソンが出てこなくてもこれだけで1時間半持つじゃないかと、頷く。そして、彼女が加わり、嬉しい含みや襞や隙間を感じさせるジャズ・ヴォーカル表現を悠々と出して行く。我が道を行く迂回する感覚を強く含みつつ、新作がそうであったように、これまでではトップ級にジャズ色が強いパフォーマンスとも言えるのか。かなり覚醒した感覚で開かれた「ムーン・リヴァー」をやるなど、スタンダードも数曲うたったし。意外だったのは、大スタンダードの「ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー」(新作のオープナーでもあるが)を歌い始めたときの歓声が異常に大きかったこと。はみだした傾向にある彼女だが、実は普通のジャズ愛好者もお客は少なくなかった? 

 今回、奏者で一番感心したのはライリー(2000年3月9日、2007年9月7日)。80年代中期にアーマッド・ジャマルに可愛がられるとともにウィントン・マルサリスやハリー・コニックJr.やドクター・ジョンらニューオーリンズのバッキングが目立った人なのでおそらくそこの出身なのだろうけど、その純ジャズから大きく離れるどこかいい感じのバラけた叩き口にはかなり驚く。おまけに彼はときどき大声でかけ声をあげたりもして、それも良い。そのリーダー作を聞くとまっとうなハード・パップを自作曲のもと披露しているが、うーんいいドラマーだ。それから、ほとんど無名のバティステもその名前から察するに根はニューオーリンズか。延々と右手のみでシングル・トーンのソロを弾いたり、突然セロニアス・モンク風のコワレを入れたりとか、変な弾き口を披露。上手いんだかそれほどでもないんだかはいまいち判別が付かず。ババロアの打楽器群にはテルミンも置いてあったが、使用せず。

 総じて奏者ソロを回す頻度はいつもより高めであったか。ま、純ジャズ・ヴォーカルとして触れるぶんには、それは普通の行き方ではあるのだけど。だけど、扇子さばきもお上手なカサンドラが中央にいると、すべては彼女が掌握するものであり、全部を統括してこその、アタシのヴォーカル表現なのよというノリも大いに出てくるわけだ。ただ、毎度の如く多大な説得力を持つ余裕綽々な彼女ではあったが、いつもより歌声がかすれ気味で、少し喉は本調子でないのかもと思えた。ともあれ、毎度のごとく、素晴らしく視点のある統合的アフリカン・アメリカン・ミュージックを聞かせてくれたのは間違いないし、やはり示唆も受けました。


 渋谷・JZブラット。P-ヴァインが新たに出すという新人ジャジー系バンドが二つ出る公演を見る。会場入りすると、ボヘミアンブードゥーという4人組がやっている。名前が与える印象と異なり、アコースティックな音質のギター演奏を前に置く、物わかりのいい爽やかフュージョンを展開。その後、休憩を挟んで、スピーカー・サージェントが登場。3ピースのグルーヴ・ジャズ・トリオという触れ込みであったが、いい意味でぼくの想像から離れた音を出す連中だった。間をいかしつつ3人が重なりグツグツと進んで行くようなパフォーマンスを披露するのだが、少なくてもシンプルな音構成になるライヴにおいては、そんなに誰々風というところがなくて、へーえ。ベースはザ・レイ・マン3(2010年5月25日)を思い出させたり、ギターのつま弾き方はジョン・スコフィールド(2008年10月8日、他)好きそうとか思わせたりもするのだが、今のファンキーなインスト勢にありがちなザ・ミーターズ風とかザ・JBズ風とかいう回路からはするりと抜け出ているところがあって、ぼくは頷いた。途中から、トランぺッターやキーボーディストが加わったりも。

 彼らのショウは2部制であったが、W杯の日本の初戦を見るために、ファースト・ショウのみで会場をあとにする。試合の開始は11時からだが、いろいろ買い出しとか準備があってサ。実は、今うちの受像器は地上波放送が良く映らなくて(光ファイバーTVが映れば問題ないという感じで放っている。このまま行けば、地デジに完全移行してもモニターの買い替えはしないと思う)、基本W杯観戦は知人の家かお店でしなきゃならないこともあり、完全に外向きお祭りモードなり。

 対、カメルーン戦。まさか、神風が吹くとは。それで、駄目ダメ指揮官をほめようとはこれっぽちも思わないが(彼が就任してからの2年間はホントいったい何だったのだろう)、でも皆で見ていて燃えたア、沸いたア。わーい。これで、あと10日間は当事者キブンでも楽しめる。このまま、幸運が続いてほしいっ。

 自分でもびっくり。もともとサッカー好きとはいえ、今回の南アのW杯については日本の代表チームに心から感情移入できない部分もあったりしてどこか醒めていたのだが、始まったとたんこんなにTV試合観戦に燃えるとは思わなかった。まあ、先に書いたように、初日の偶然の成り行きで観戦三昧のドアがガバっと開かれたという感じか。そんなわけなんで、ここのところ不規則な生活パターンを送ちがちだったのだが、よけいに歪むゥ。まあ、それが出来るうちが花。やっちゃえばァと、俺の本能が言っている。昨日も友達んちで、23時からのコートジボアールvs.ポルトガル戦を見ていたら盛り上がっちゃって、早朝3時半からのブラジルの初戦(対北朝鮮というのも興味深くもあり)もがぜん見たくなっちゃう。が、地上波放映予定はなく、どこかで見れないものかと馴染みの店に見られまっかと電話すると、そこでは見られないものの、ちょうどその店に来ている知人がこの後に別のお店に行って観戦する手はずになっているという。やりい、それに便乗。そんなん、ばっか。成り行きが一番……。だらだら行けば海路の日和あり、ぢゃ。

 とかなんとか、仕事の合間にサッカー放映を楽しむでなく、TV観戦&関連もろもろの合間に仕事をすますという感じにもなっちゃっている(締め切りにはちゃんと原稿を出すぼくが、一件泣きの電話を事前に入れちゃったりもした)のだが、なんかライヴに行くのも久しぶりという感じ(←でもないか)で、この日はライヴを2つハシゴ。偶然、LAスタジオ勢とNYスタジオ勢がそれぞれ集った出し物だ。

 まずは、丸の内・コットンクラブ。アリサ・フランクリン、ボブ・ディラン、リッキー・リー・ジョーンズ、デイヴィッド・サンボーン他様々な録音セッションに関与するとともに、自己バンドのフル・ムーンやラーセン・フェイトン・バンドでも根強い支持者を持つ、西海岸の大物セッション・ギタリストのリーダー・バンドによる公演。で、びっくり。“ファットバック”というどすこいファンク傾向フィーリングを示す言葉があるが、まさしくファンキーと言うよりはファットバックながちんこインスト主体表現をこれでもかと送り出してくれて。ショウが始まったとたん、ぼくの身体は揺れっぱなし、ときに心のなかでイエィと声をあげる。確かに黒っぽい弾き方も示していた人と思うが、こんなにグルーヴを柱に置く御仁とは知りませんでした。

 その聞き味を支えるのは、もうドカチンなドラミングを披露するジェイソン・スミスと達者な指さばきを見せるオルガンのジョン“JT”トーマス。そんなに有名じゃないけど、なんだコイツら。そこに5弦電気ベースのJVコリアー(彼のみ、アフリカ系)とサックスのブランダン・フィールズ(テナーのみ使用。ぶいぶい、音色を吹き分けた)、そしていなくてもなんら問題はないサイド・ギターのアレクサンドラ・ゼファーという人たちが加わる。若い頃はけっこう綺麗だったんだろうなと思わせる長身のアラフォー女性である彼女は実はフェイトンの彼女らしい(フェイトンともども彼女はテレキャス系のモデルを弾いていた)。ドイツ生まれで00年からLAに住むようになった彼女は本来シンガー・ソングライターで、ネットでチェックしたら、もろに初期のリッキー・リー・ジョーンズ(2010年5月23日、他)を想起させる表現をやっている。ようは、アリ。この晩も2曲で前に出て歌ったが、ながら、その際はやはりがちんこなサウンドに乗っての黒っぽくもロック度数の強い曲を歌っていて、それはネットで聞けたものとはあまりに違う。このバンド、こういう豪腕モノしかできないのか?

 実は、フェイトンが前にいるとき、1曲だけ茫洋としたスロウ曲をやった。その際、JTはオルガンではなくキーボードを実にどんくさく弾いたのだが、その総体の聞き味の悪さには驚愕。親族がこんな音楽をやっていたら幻滅し世間様に申し訳なくなって自決しなきゃと思うんではないか。その曲の間、いやでイヤでたまらないぼくはそんなことを考えていた。が、そんなことを思ったのも、他のアップ曲の味や手触りが素晴らしすぎるからナリ。

 で、主役のフェイトンさん、刻みはいい感じで、単音主体のソロ(ライトハンド奏法も適時くりだす)も手際の良いフュージョンに陥らない刺あり。また、オープナーとクローザーでは歌った。とともに、ほうと思わされたのは、Tシャツ&ジーンズ、短髪という出で立ちの初老の彼の風体や足を踏ん張ってギターを弾く姿の奥に容易に少年時代の姿を透かせ見させるところがあったこと。ほんと、この人はギターを手にしたまま成人し、エスタブリッシュされ、先が見えつつも納得できる現在があるんだろうなと実感させられました。

 そして、南青山・ブルーノート東京で、80年代中期からNYのポップ・フュージョン界でプログラミング/キーボード演奏で相当数の仕事をし、企画モノっぽいリーダー作(ぼくはあまり好きではない)を何作もだしているジャイソン・マイルズを元締めに、ギターのニック・モロク(2003年7月18日、他)、ベースのジェラルド・ビーズリー(2004年3月24日)、ドラムのバディ・ウィリアムズ(2002年6月25日)、サックスのアンディ・スニッツァーら同シーンの売れっ子セッション・マンが絡む公演。彼らは1ワクを挟んだ先週に行われた、グローヴァー・ワシントン・トリビュート・プロジェクトに参加していた5/7の面々。そして、そこにブレイズ頭が綺麗な喉自慢シンガーのライアン・ショウ(2008年3月1日、2008年11月24日)がアンコールを含めて5曲で入る。過去の彼の公演は簡素なギター・トリオが伴奏するものであっただけに、それなりに洗練された厚いサウンドが付けられた今回公演はそれだけでも意義がある。

 くだけた、ソウル&ビヨンドの、インスト部にも時間をかける都会派洗練表現の夕べ、てな言い方も可能か。マイルス曲カヴァー(「ジャン・ピエール」)のインストもあれば、「ピープル・ゲット・レディ」の熱唱もありという感じでちょい間口を広げ過ぎ。個人的には、ライアンが歌う曲だけでまとめてほしかったな。

 1943年生まれと41年生まれ、ルーツ・ミュージックに対する愛好と理解を根に置きながら70年代に視点ありのノスタルジックさや&洒脱さを時代の先端を行くような感じで広げて天下を取ったり、きっちり米国音楽史に居場所を作ったヴェテランの女男が共演した公演を見る。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 バンドは、ピアノ、ギター(帽子ともども、近年のジェイムズ・テイラーに見てくれが似ている?)、ウッド・ベース(女性)、ドラムという布陣。それ、マルダーの新作にも名前が見られる人たちなので、マルダーのバンドだろう。で、彼らがかなりまっとう。渋く、どこか粋でジャジーな伴奏を飄々と紡ぐ様はいい感じ。それゆえ、マルダーの前回公演(2006年8月23日)のバンドは一体なんだったのかとも思ってしまったが。ミレニアム以降もとっても順調にリーダー作を出しているマルダーだが、残念ながら喉のほうは駄目になっている。だが、このバンドと重なるのならOKとも思えたわけで、ちゃんと大人の枯れた米国のお伽噺みたいなものを浮かび上がらせていましたね。

 彼女が数曲歌い、そこにヒックスが登場し1曲共演し、その後はマルダーが退出しヒックスのパフォーマンスが続けられ、後半はまたマルダーが出てきて一緒に数曲やり、そしてアンコールという構成。ようは、対等のフィーチャーのされ具合なり。いや、後に出てきたぶん、ヒックスのほうの印象が強くなるか。

 生ギターを弾きながら歌うダン・ヒックス(2009年5月27日、他)のほうもそりゃ全盛期から見ればだいぶ老けてはいるが、お茶目な踊りや仕草をはじめ、この人だけが持つ豊穣な何かがあふれるもので文句なくニッコリできる。バンドとの噛み合いも良好。というか、ジャジーという観点ではマルダー・バンドのほうが今の彼のワーキング・バンドより達者であるのは間違いなく、通常のヒックス公演とは別の妙味が出されていたのではないか。なんか、いい時間を過ごさせてもらっているという気持ちになりました。


 W杯万歳モードは続く。そこに、月末の締め切りラッシュが重なり、もーてんてこまい。

 そんなわけで、インタヴューのときはワン・パターンにワールド・カップ話をマクラに持って行くワタシ……。イングランドの第2戦(アルジェリアと引き分け。2試合でまさかの勝ち点2)の翌日には、アンダーワールドのカール・ハイドにインタヴューしたのだが、やはりワールドカップの話題から入る。そしたら、「おいおい、あんな試合をやったすぐ後に、そんなことを聞くのかい」と、彼は苦笑い。ちゃんと日本の日程も把握していて、「イングランドのことについては一切話さないよ。(今日ある)日本とオランダの試合のことは語ってもいいけどね」。

 彼はマンチェスター・ユナイテッドのクレイズとか。彼の血縁者はみんなアストン・ヴィラを応援しているそうだが、子供のころにジョージ・ベストの大ファンになったためハイドは彼が所属したマンUを応援するようになったという。確かにベストはロック・ミュージシャンと同列で格好良かったですよねと応対すると、「そう、彼はザ・ビートルズと同じような存在だった。あと、モハメド・アリもね」。フットボールは好きだったものの子供の頃からヘタでその道に進むなんてことはこれっぽちも思わなかったそうだが、代々ハイド家周辺はサッカーが上手な人が多くて、僕は親族から駄目な奴と非難轟々だったと、彼は言ってもいた。

 そんなハイドは8月下旬から9月中旬かけて彼が描いたペインティングを70点ほどそろえた(ブライアン・イーノとの協調曲も収められたコンピ盤『Athens』のジャケット・カヴァーになっていた絵のようなものが、主となるらしい)展覧会をラフォーレミュージアム原宿で開くことになっている。それは、“What’s Going on in Your Head When You’re Dancing?”と名付けるそう。なんか、マーヴィン・ゲイ(『ホワッツ・ゴーイン・オン』)とオーネット・コールマン(『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』)のアルバム・タイトルをくっつけたみたいですねというと、思いもしなかったそうだが、その指摘にとっても喜ぶ。そこから、R&Bやジャズの話になだれこんだりもしました。彼とキャミオ/ラリー・ブラックモンの話をするとは思わなかった。でもって、ハイドは何よりマイルス・デイヴィス命で、彼の話をするともう止まらないという人でありますね。

 話題は変わるが、そういううれしいい意外性をレーベル単位で見せているのが、エピタフ/アンタイではないか。もともとエピタフは80年代初頭に西海岸パンク・バンドのバッド・リリジョンのメンバーが立ち上げた理想主義を持つインディだが、パンク系バンドを送り出すだけでなく、90年代後期に入るとヘル・キャットやアンタイといった傍系レーベルを持ち、またミシシッピ州の慧眼アリのぶっ壊れブルース・レーベルのファット・ポッサムを傘下に引き寄せちゃうなど、本当に音楽ジャンルの枠を超えた“自由”をプロダクツ送出で体現しているレーベルだよな。とくに、アンタイからは、アンティバラス(2005年1月21日、他)、マイケル・フランティ(2006年10月5日、他))、ブッカー・T(2010年2月8日、他)、メイヴィス・ステイプルズ、デヴォーチカ等、本当に興味深い人のブツが沢山出ている。自身も同レーベルに所属し、ソロモン・バーク(2010年5月29日、他)、ベティ・ラヴェット(2007年10月9日)、モーズ・アリソンらプロデュース作もそこから出してもらっているジョー・ヘンリー(2010年4月2日、4日)も、「アンタイはいい、やり易い。企画を持って行くと乗ってくれるし、このままの関係を続けたい」、と言っていたもの。どういう人が現場の担当者なのかは知らないが、本当に“眼”のある仕事をしていると思う。

 と前置きが長くなったが、ストーリー・オブ・ザ・イアーはそのエピタフ所属のバンド。デビュー時はマドンナのマーヴェリックが契約したというのもくすぐるし、積極的にCDを聞こうとは思わないけど、その周辺状況に対する興味のひかれ具合もあり、ライヴ・ショウに言ってみた。渋谷・O-イースト。

 入りは上々。熱い反応。ぼくの音楽履歴においてはなかなか形容の言葉遣いに困る、激情型太平楽ロック表現をサーヴィス満点に示す連中。かつて見たフォール・アウト・ボーイ公演(2007年2月27日)のように、ステージの前面へりにはお立ち台が左右に二つおいてある。で、時々メンバーがそこに立ち、見栄を切り、客を湧かす。メンバーの一人が、今回は日本人とのハーフの子供を作って帰りたい、みたいな40年前の外タレみたいな発言もかます。なる程ねーという感じで、45分見させてもらいました。

 その後(というか、翌日の3時半から)はW杯の日本vs.デンマーク。おお、素晴らしい勝利。これほど素敵なTVプログラムもそうはないのでは。グループ・リーグ突破、万歳。知人と燃えまくる。こういうこともあるのだなー。ラッキーよ、続け! おねがいっ。



 バック・バンド(鍵盤、ギター、ベース、ドラム、女性バックグラウンド・シンガー)が出てきて、イントロ演奏を始めたときはどうなることかと思った。始めた曲はサヴァイヴァーの手あかにまみれたと書きたくなる82年全米1位曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」の有名リフ。なぜ、今さら、こんなのをやるのか。なんかドサ回りのバンドに接した気分になるとともに、サポート陣はみんな20代とおぼしき外見を持つように見えたが、演奏もどこか心もとない。その印象は、ジェイムズが出てきて歌いだすと、だいぶ払拭されたが。やっぱ、主役がイケてれば、回りもそれにつられる……。

 5年ほど前にばっかみたいに歌える、昔気質臭ムンムンのR&B歌手としてワーナー・ブラザーズからデビューし(今は、スタックス/コンコード所属)、好き者から注目を受けた歌える女性歌手。まず目を引くのは、チャカ・カーン(2008年6月5日、他)もびっくりの存在感あるアフロ・ヘア。もう、それだけで、つかみはOKって感じがしちゃいます。で、やっぱし、めっぽう本格派。彼女が自然な感じでディープに歌うと、さあっと“豊かなソウルの森”が表れると言う感じ。どこかに、可愛らしさをもっているのも良い。輝いている! もう、その存在に触れられるだけで、うれしいと感じさせる歌手ですじゃ。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

フィーダー

2010年6月29日 音楽
 英国人シンガー/ギタリストのグラント・ニコラスと日本人ベーシストのタカ・ヒロセ、現在はそこにサポート奏者を加えて活動している国民的人気を誇るUKバンド(日本の人気との落差はトップ・クラス?)を、代官山・ユニットで見る。新作『レネゲイズ』のプロモーションのためやってきて、これは一回だけやったライヴ。この9月に、彼らはちゃんと日本ツアーをやることになっている。

 ヒロセは英国に渡ってからサッカーに興味を持つようになったそうで、プレミアのチェルシーの応援者。英国ロック界で成功した日本人ベーシストというと70年代前半にフリーやフェイセズといったUK一級バンドに加入したテツ山内のことを思い出してしまうが、よくそれを言われるものの世代的にピンと来ないよう。一方、ニコラスはアーセナルのファンで、ウェールズ出身ながらW杯には絶対出られないからもちろんイングランドを応援している。

 この公演前日に、イングランドはドイツに大敗し、ワールドカップを終了。心中お察っしします。サポート・ドラマーはかなりヘコんでいてちゃんと叩けるか心配だったそうだが(「もし、これがロンドンでのショウなら、大変なことになっていると思う、泣いている人続出みたいな」、ともニコラスは言っていたな。出しているネタは公演の前日にやったインタヴューによる→7月15日の毎日新聞夕刊に記事が出ます)、がつんと3人が噛み合う、パワフルながら、どこか澄んだ情緒を持つ表現を彼らは送り出す。なるほどなるほど。実は、彼らはこの年頭にフィーダーではなく、レネゲイズというバンド名でクラブを回るツアーを英国で敢行。そのココロは、フィーダーというブランドが出来上がってしまったので、それを払拭したところで新曲による裸のギグをしたかった! で、その新鮮な所感を受けた楽曲群は新作『レネゲイズ』としてまとめられ、日本でもレネゲイズのりの新曲ぶちかましギグを一回だけやってしまったというわけなのですね。

 この晩の23時からは、ベスト16に進んだ日本とパラグアイの試合。なんでも、先の日本とカルメーンの試合放映のとき、まさしく彼らはロンドンで新作発表のパーティを日本のビールなどを取り揃えて開いていたのだという。あのときも日本がばっちし勝ったから、今晩もまた勝つよと彼らは言っていたが、PK戦の末に敗退。うーむ、残念じゃ。

 その放映を渋谷のお店で観戦し、そのまままったり飲んでいて、2時半すぎぐらいに雨のなか外にでると、あちこちに青い格好をしたグループが(タクシーを拾えなくて彷徨っている)。相当な、数。常軌を逸した混雑/混乱だろうからハチ公前には近寄りもしなかったが、ものすごい数の人たちが渋谷周辺のお店に集まってそれぞれにTV観戦したのは疑いがないナ。実は日本初戦のカメルーンとの試合のあと、ワタシも少しだけハチ公前にいました……。それを知人に言うと、アンタはいったい何歳なのと言われたりも。

 某出版社で夏のフェスについての座談会をやったあと、一杯ひっかけ、この9月に公開される音楽ドキュメンタリー映画の試写に。渋谷・イメージフォーラム、夜9時すぎの始まりなので、赤い顔していっても問題ない。今年のカンヌ映画祭にも出品され、話題を呼んでもいる作品だ。

 主役となるのはコンゴ(旧ザイール。リンガラ音楽を生むなど、アフリカの名だたる音楽豊穣国ですね)の主都キンシャサの、ストリート・バンド。練習場所は、騒音から逃れられるキンシャサ動物園だったりする。リーダーをはじめ多くは小児まひにかかり下半身付随となってしまった人たち(発病時に満足な治療を受けられなかったためであろう、それは劣悪な環境を指し示す。障害を持つ人の数は少なくないようで、映画ではそうした人たちによるボール・ゲームの様が紹介されたりも)で、彼らは自転車を改造したろう手漕ぎの車いすに乗っていて、祖末なギターだったり手作りの楽器を手にし、思うままブチかましていた。で、たまたま撮影で同地にやってきたフランス人がその存在を知って、彼らを追いかけることを決意。04年から09年に渡る、メンバーの日々の生活やメンバー間のやり取り、練習の様子、レコーディング、喝采を持って迎えられた欧州ツアーなどが、なんの細工もなく、そこには並べられている。

 なるほど、もう見所満載。見る人によって、いろんなポイントで感動したり、考えたくなったり、身につまされたり、喝采をさけんだりできちゃう映画だろう。なんか、自分のなかにあるページを一杯めくった気分になっちゃったりもしたな。

 アイランド・レコードがレゲエを売り出そうとしてジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日)を主役に据えてジャマイカの状況紹介も絡めて作った72年作「ハーダー・ゼイ・カム」から、ライ・クーダーを案内役にキューバ音楽の豊穣さにスポットを当てて担い手たちの世界進出も促したヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(2001年2月9日)まで。音楽好きの人なら、これをそうした傑作音楽映画の系譜に並べたくなるかもしれない。だが、ここには名のある企業も映画監督もミュージシャンも関わっていない。あまり持っていない者が自然発生的音楽的所作に突き動かされ、突っ走った末の掛け替えのない“黄金”がここにはまとめられている。だからこそ本当に作為なく、彼らの天然的行為は哲学に昇華し、必然の結果はアートに転化し、本能に支えられた行為は粋にすり替わる。わあ!

 影も光もあるが、細かくは触れない。見れば、判る。だが、素直に収められた、別の大陸に住む人たちの所作やキャラクターが、どうしてこうも魅力的に感じられるのか。ラテンやジェイムズ・ブラウンまでをも飲み込む素朴な手作り音楽が、なぜに爽快きわまりなく、また滋味ににあふれまくるのか。そんな彼らは、その音楽や怒濤のライヴ・パフォーマンスは、勝手にぼくたちの中に入り込み、あちこちをノックし、ぼくたちのなかにあるセンサーを刺激しまくり、思いや想像力を爆発させる。

 音楽のことについて、一つだけ触れておこう。演奏される場面では歌詞の訳が載せられるが、普段歌詞なんかどうでもいいじゃねえかと暴言を吐くぼくはその歌詞にぶっとんだ。台詞やト書きがなくても、彼らの生活や心情を素直に言葉に置き換えたそれらさえあれば、その境遇や考えは鮮やかに伝わってしまう。見事、すぎる。歌詞なんて、身の回りの事、感じた事を作為なしに書けばいいのだ。それで自分の世界が語れないのなら、人をひきつけることができないのなら、本当に無味乾燥な生活を送っているということだ。その歌詞にふれて、啓発を受ける同業者は多数なのではないか。

 雄弁にして、スリリング。世の中にはいろんなところがあり、様々な流儀があり、多様な喜怒哀楽があり、神が書いた気まぐれなストーリーがあり。そして、だからこそ、見る者は人間って捨てたもんじゃないな、人の営みって面白いなと、思わずにはいられないだろう。ああ、DIY の素敵……。頭のなかの常識や澱をさあーと吹き飛ばし、心の洗濯や磨き込みを促すこの映画に、ぼくは頭を垂れる。


 追記)キンシャサの目抜き通りっぽい交差点にはヤマハの看板をでっっかく掲げた建物があるのを、映画はちょい映す。ふむ、そのヤマハのオフィスは何を扱っているんだろうか。クルーザーやシステム・キッチンでないのは確かかな。ビリリの連中の持ちモノから推測するに楽器も売れるとはあまり思えないが。それともオートバイの類? 農耕機器? それから、街角や人の表情に機知感をほんの少し感じると思ったら、ぼくはWomex会場で「Jupiter”s Dance」というキンシャサのドキュメンタリー・フィルムを見たこと(2007年10月24日)があったんだー。←実は、ビリリの現在のドラマーのモンタナはそこに出ていたらしい。